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591 :a childie:2011/08/19(金) 10:38:59 ID:cvfXo0Hw
第3話




下に鉛色の海。上に灰色のまだら雲。錆ついた世界。

クラクションが鳴り響いていた。

雨季に入る前の、少し荒れた海岸線を走る幹線道路、T字交差点。
追突した二台の車両。
一方は逃走車で、もう一方は追手で。
追手側のフロントガラスには無数の弾痕と蜘蛛の巣状の罅(ひび)、
一面に染まった血化粧。
追突された逃走車は運転席が潰れ、エンジンルームから煙。

人通りのない沿岸部の街。

クラクションが支配した世界。



助手席から這いずり出る。全身を道路へ打ちつけた。
起き上がろうとする。何とか右腕一本だけで。
左腕は車に置いてきた。ドアと追手の車の間に挟まり、潰れて抜けなくなったから。
三、四発撃ったら千切れた。
破けたジャケットの切れ端で左腕の先端を縛り、止血する。

まだだ。

まだ、進める。

拳銃から空のマガジンを振り落とし、口に咥えて弾薬を装填する。
唇と舌が焼ける感覚。構いはしない。
ストッパーを外し、スライドが重い響きをたて初弾を薬室に込める。

立って、道の先を見た。
その先にあるものを。


592 :a childie:2011/08/19(金) 10:40:49 ID:cvfXo0Hw
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何かが欲しくて、必死に手を伸ばす。

初めての経験だった。

誰かが頭を撫でている。
髪を、頬を、顎を、首を、でたらめに。
目の前にある物を実感するように。
手で確かめる盲目のように。

触れられていることに現実味が湧かない。
自分が二つに分かれた。
一方が触れられ、一方が眺めている。
主観と客観。

そのうちに目を覚ます方法を思い出す。


593 :a childie:2011/08/19(金) 10:42:21 ID:cvfXo0Hw
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暗い部屋。

密室ではない。夜でも無い。
雨音?
もう、雨季に入ったのか。

そうか、これは雨時の暗さ

焦点が合わない。
思考が追い付かない。
少なくとも、前にいた部屋ではない。
ということは。

まだ、生きている。
なぜ。

ユリィ。

俺の隣にいる。
椅子に座ってこちらを見下ろしている。


まさぐる彼女の手。
その指の一本一本に恐怖を抱く。




日が差し込まない、密室での狂宴。
血で斑に染まった髪。手。いや、全身。
幼子な彼女が、足を、羽を、頭を千切っていく。
本当に無邪気に。

笑い声をあげて。




その手を遠ざけようと、右手を上げる。

金属同士が擦れる音。
手首に拘束具。
鎖がベッドの鉄柱と繋いでいる。

嵌った金属製の輪が、自分を罪人だと告げさせる。

中途半端に上がった右手。
それをユリィは掴み、身体を寝ている俺に枝垂れかかる。

銀髪が視界を覆う。
間近に寄せられた顔。
陰の中でも、目の底無しな暗さは識別できる。
無感情な目。
感情の表現を忘れた目。

ああ、そうだ。

あの部屋で理解した事を取り戻す。

口を開いた。
名前を呼ぼうと。自然に。
息が漏れるだけ。
もう、けして声が出ることは無い喉が、あった。

ユリィが舌を突き出す。真っ赤な触手じみた舌。
逃げずに、受け入れる。
唇に舌が這う。
味わうように、確かめるように。

次第に荒くなる彼女の吐息。
欲情の高ぶりの証。

右腕で顔を掴まれる。
体重で押さえつけられる。

舌が咥内へと侵入し、口付けに変わった。

視線だけ部屋に向ける。

壁にベージュの壁紙。
一卓のテーブルと一組のイス。木製。
何処かに続くドア。

窓。
雨で濡れていた。

頭痛。
観察するのが辛い。
脳がまだ、起きるのを拒否している。

目を瞑る。
もう何も見ないように。

絶え間なく咥内に唾液が送り込まれる。
自分を味わえと。
舌で舌を嬲られる。
自分を感じろと。

飲み込めずに溢れる唾液が口端から一筋に、頬を伝う。

雨音が響く。

その中で祈った。
約束を破った相手への無事と、懺悔を。


594 :a childie:2011/08/19(金) 10:43:54 ID:cvfXo0Hw
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ざー。ざー。ざー。

降りしきる雨音。
単調な音程。
去年までなら、ただ憂鬱でしかなかった季節。

それでが、今は。

例年通り、この街で雨が降り出す。
雨が周囲を閉ざす。

私と彼だけにしてくれるために。


595 :a childie:2011/08/19(金) 10:44:52 ID:cvfXo0Hw
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医者が言った通りの時間帯で目を覚ましてくれた。

これで、本当に、私の物になった。
もう、邪魔するものはいない。

それでも、不安だった。
目の前にあるのが、念願だったものだったのか。

手に触れて安心させる。
これが悪い夢では無くて、現の事だと。
願いがかなったのだと。

人差し指と中指で顎を撫でる。
そこにある、薄い傷跡が何か、私は知っている。
慣れていなかった髭剃りで失敗した跡。
子供から大人になる間の跡。

私と彼しかいなかった時間。

目を覚ました彼が、私を見つめてくれる。
それで、やっと落ち着けた。

長く細く、息を吐いた。

彼はまだ、夢にいるようだった。
まだ、違う光景をみているの?

失敗したというのに。
けっして、二度と会えるわけがないというのに。

私に触れようと右手が上がって、止まった。

たくさんの人に向かって引き金を引いた手。
尽くしてくれた手。

私を愛してくれた左手は、もう無い。

彼は右手で人を殺し、左手で人を愛した。

右手を掴む。

もう、いい。
もう、何もしなくていい。
与えてくれる必要はない。
手に入れたから。
あなたの全てを。

これからは、私だけを見て。

顔を覗き込む。

私の陰の中でも、光る黒い目。
これも、私の物。

かさついてしまった、この唇も。

味わいたい。感じたい。
舌でなぞる。
ざらついた感触。
彼の、リュウジの感触。

もっと、もっと。

足りない。

全身で感じたい。

もたれた体をより、密着させる。
腕を、足を絡める。

舌を潜らす。
甘い、甘い唾液。
柔らかな触感。
微かな煙草の匂い。

頭を痺れさす。

存分に味わって、知って
今度は私と言う物を感じさせる。

二人分の唾液でぐじゅぐじゅになる。

まともでいる気なんてない。

欲しくて、欲しくて、やっと手に入れた物に
どうして我慢する理由があるのかしら。

口を離す。
どろどろになったリュウジの口元。
うまく飲み込めなかったのか、
可愛く咽込んでいる。

包帯の下で動く喉。

話す必要もない。
優しい、欺瞞に満ちた声はいらない。

ただ、私に愛されればいい。
この小さな部屋で。
二人きりで。

ねぇ、リュウジ。
ようやく二人きりになれたよ。
嬉しいでしょう。
私はとっても、嬉しいよ。

本当に、あなたを殺さずに済んで、

良かった。