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631 名前: ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:21:58 ID:89A4IfTU [2/22]
「そんでさ、いつから付き合ってんの?」

姫さんの話になると、みんな鼻孔が少し広がる。
姫さんというのは僕の交際中の相手の事で、こういう話題になるのも僕の携帯の待受が姫さんと僕のツーショット写真だからだ。

「高二からかな、姫ちゃんの卒業式からだから、もしかしたら高一からかも」

交際の申し出は向こうからだ。 これを言うと相手はいつも驚く。

「なんて告白したの?」

ほら来た。 誰も僕が告白された側だなんてこと、微塵も考えちゃいない。

「リボン貰いにいく時に」

これは嘘だ。 驚かれるのが癪に障るからこういう風に言うようになった。
卒業式の日に一年生がわざわざ学校に行くわけ無い。 姫さんが僕の家に来てそのまま上がり込まれて告白されて一方的にリボンを渡された。
一方的になんて言うと聞こえが悪いが本当に一方的にだったんだからこれは語弊にはならないハズだ。

「どれ待受見せてよ。 うわ激マブ! 年上ってこんなエロいんだな……」

この時、僕は言うべきなのだろうか。

「そりゃあ、もうすごい」と

632 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:24:39 ID:89A4IfTU [3/22]

学校の講義をすべて終えて、帰路に着くと必ず姫さんからメールが届く。
受信の件名が未だに『姫せんぱい』のままなのは僕が不精だからなんだと思う。

『講義お疲れ様、お腹空いてる?』

『姫ちゃんも就活、お疲れ様。 空いてるけど、今日母さんなんて言ってた?』

帰路の電車内で少し吟味してからこの内容で返信した。
勿論僕と姫さんは兄弟でも、ましてや幼馴染でもない。
しかし姫さんの方が僕よりも僕の母親と仲が良い。 今では遅くなるかどうかを僕よりも姫さんに伝えておくほどだ。

あと文章内で「姫ちゃん」と呼ぶのは向こうが一方的に取り決めた事で、それを破ると姫さんは拗ねる。
「付き合ってるのに、距離を置かれてるみたいで不安になる」と泣きつかれ、一時間もその事に対し問答が続くとさすがに不精の僕でも気をつけるようになる。

リュックの中から文庫出すよりも早く、返信が来た。 相変わらず早いなと感心する。

『今日師長会で遅いらしいよ。 冷蔵庫にも何にも無いし、ジョニーパスタに行こうよ、お金も貰ってるし!』

愛で溢れる絵文字に、この返信速度。 聞けば僕とメールのやり取りをしている時は常に携帯を握っているらしい。
友達と喋っているときなんかはわざわざ中断するというんだから、何だか僕の方が申し訳なく思ってしまう。
姫さんの友達界隈では僕は「束縛彼氏」なんて言われているそうな……。

『じゃあ、そうしますか。 今○○駅出たから後三十分ぐらいで付くと思う』

今度はあまり考えずに返信して、すぐに携帯をポケットの奥にねじ込む。 すぐに返信の合図の振動が来たが、僕はそれを無視して文庫本を開いた。

633 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:25:17 ID:89A4IfTU [4/22]

富野姫華と出会ったのは高校の入試当日だった。
姫さんは僕の高校の先輩でその日監督生として学校に来ていた。
僕は試験が終わった直後にその昨夜の徹夜が祟ってトイレの便座で下半身を丸出しにして眠りこけてしまった。

僕の高校は少し辺鄙な土地にあるもので受験生の内に僕と友達と言えるような知り合いもいなくて僕は放置されて二時間もトイレで過ごしてしまった。
起きた頃には既に遅くて、すぐに職員室の電話を借りて中学校の方に安全を伝えた。

次に両親に電話したが、親は共働きで、両親二人は遅くなると言う事で迎えにはかなり遅くなると言う知らせを受けた。
バス停も下校時間を過ぎると、一気に本数が減りダイヤを見てもらうと、ほんの二分前に出たばかりで次は三十分ほどかかると言う。

それならば地元の駅まで送り届けると、ちょうど答案用紙を数え終えた姫さんが名乗りを挙げてくれた。
しかし僕は男子、もしもがあってはならないので、付き添いで会場に来ていた姫さんの後輩の女子生徒も付き添うと言う事で帰路は三人になった。

帰り道はとても受験直後とは思えないほど賑やかなものとなった。
理由は答え合わせの結果が上々だったからという事と、僕がトイレで眠りこけていた事で盛り上がったからだ。

前半はそんな感じで三人で盛り上がり、後半は注意すべき教員や、規則のレクチュアで。

付き添いで来た女子生徒とは駅のロータリーで別れ、駅から地元までは姫さんとしばらく同じだった。
生徒会の苦労話を聞いて、「生徒会も大変だな」としみじみ思っていた矢先、いつの間にか僕が生徒会に入る事を約束事にされていた。

この時は生返事の口約束で立候補しなければ投票を受け付ける事もあるまい、とタカを括っていたのが甘かった。

まさか生徒会長直々の『他薦』を貰う事になるとはこの時は粒とも考えていなかった。

しかも帰路を共にした女子生徒がゴネて、事もあろうに受験当日の僕の失態を恩着せがましく僕に説いてきたのだ。
こうなると僕は断る事も出来ず、生徒会として三年間のポストを約束させられたのである。

生徒会に入会して、始めにやったのは書記であった。
姫さんが懇切丁寧に僕にイロハを教えてくれたおかげで、二年次には会計、三年次には副会長の役職をそれぞれ全うする事が出来た。

しかし姫さんの「懇切丁寧」は文字通り丁寧であり、それと同時に姫さん自身の熱も合わさり下校時間を過ぎる事もしばしばあった。
正直迷惑だったが、教えてもらっている手前それを無碍にすることも出来ず、メモを取ったりして熱意に応えている「フリ」をしていた。 ……たまにだが。

そんなこともあって無事僕は姫さんの卒業まで真面目な後輩を演じきった。

やっと下校時間ギリギリで帰宅する事がなくなる! と思っていた春休みの頭、姫さんが卒業式を終えたその足で、自宅を訪ねて来た。
何で知ってるか、その時は驚きで一度しか聞かなかったが、上手くはぐらかされて結局聞けずにそのまま告白された。

後から聞いた話によると、僕の地元の祭りや近況の報告、些細な世間話などから大体の地元の割り出しをして探し回ったらしいが、僕は少しそれを疑問に感じていた。

634 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:26:12 ID:89A4IfTU [5/22]
タラコのカルボナーラは本当に最高だと食べ終わっていつも気付く。
ナポリタンおいしいとか言って食わず嫌いしいたあの頃の僕に論語を説きたい。

「師いわく、齢十七にしてカルボナーラに感服す」
「何言ってんの? 秀くん」

まだ梅肉パスタを食べている最中の姫さんがフッと笑う。
この図、歳の近い兄弟だと思われるんだろうな。

「カルボナーラに気付くのが遅すぎた。 それを悔やんで文献に残そうかなと」
「梅肉も美味しいよ。 ほら、あーん」

そう言って僕の口元までパスタを玉状にまとめたフォークを持ってくる。
こういうのも僕が情けなく思われる原因なんだろうな。 親鳥が行儀よくエサを運び、それを食べるひな鳥の図。
しかしひな鳥からすれば親鳥の食べろ、フォークを口に含めと言う物言わぬ圧力が口をこじ開けさせる。

フォークを口に含んだ瞬間、姫さんはなんとも言えぬ、嬉しそうな顔をする。 それもまたひな鳥としては複雑だ。

「どう、お味の方は?」
「うん。 まあまあ」
「そう? じゃあもう一口いる?」

甲斐甲斐しいと言われるのはこの辺りの性格のせいだろう。 高校の時もそう言われてからかわれていた。
でも実際は善意の押し売りなのだと、少し聞こえの悪い言い訳をしてしまうのが「ひな鳥のフリ」が上手い生徒の心情である。

「いや、デザートまで開けときたいからもういい」
「そうか、デザートも来るんだったね。 ごめん、すぐ食べちゃうね」
「ゆっくり食べて、もう少し姫ちゃんと一緒にいたいし」

嘘も方便である。 こうでも言わないと姫さんは急かされたみたいに急いで食べるからだ。
それは傍から見れば尽くす彼女に毒吐く彼氏で、僕に向けられる視線がまるでスキャンダルを暴かれたアイドルみたいに厳しいものとなる。

方便と言ったのも理由がある。
目の前の姫さんは頬を少し紅くしてとろける様な眼差しを僕に向け、「うん、わかったぁ」と普段はしっかりした声もおぼつかない赤子みたいになっている。
交際を始めてもう四年、慣れというものだろうか。

「ところでさ」

梅肉をフォークで掬い、口に含むと姫さんは言った。

「結構大事な話、あるんだよね」
「ん、なに?」

姫さんは一度わざとらしく咳払いをしてから、僕の方に改めて向きなおす。

635 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:27:08 ID:89A4IfTU [6/22]
「私達、もう付き合って五年目に入ったんだよね」
「うん」
「それで、私も内定がめでたく通りまして……」

僕が今大学二回生で、姫さんが四回生なのに姫さんがこんなに余裕なのは八月にはもう大手の内定を決めていたからだ。

「うんうん」

ここでもう一度姫さんが咳払い。

「おほん、それでね秀くん。 私考えたの」

姫さんは、そう言って少し前に乗り出してきて僕の手を握る。

「四年経った今でも好きで、これからはもっと一緒にいたいと思ったの。 だから、ね?」

ほんのりと漂う空気が湿り気を帯びて、二人の間にある空気はさらに質感さえも伴っていく。

「……。 一緒に暮らさない?」
「え?」
「ああ、一緒に暮らすって言ってもね、結婚しようとかじゃないの。 同棲しようってこと、なんだけど……」

僕の驚きが、若干の戸惑いが意外だったのか、見る見るうちに姫さんはしぼんでいく。

「ええと、もしかしてイヤだったかな?」

握っていた手を離して、努めて落ち着いている様子を保ちながら姫さんは訊ねる。
しかしその表情は見ていて辛いものがある。

ひびの走る氷の上のような危うさ、ペキペキという音が聞こえる。
口元をキツく結ぶ姫さん。 それでも困ったような笑みを目元だけに浮かべている。

「イヤって言うか、突然すぎてさ……。 親にも言わないとさ、ね?」
「それなら大丈夫だと、思う」
「え?」
「もう話は何度かしてるの……」

口元の緊張を少し緩めて、でも困ったような笑みを崩す事は無く姫さんは続ける。

「学校の方も今より二駅は近くなるかなってぐらいだし、今よりも少し動きやすくなると思う」
「へえ、そうなんだ」

心情を吐露すると、同棲は望んでいない。
セックスだって僕はあまり積極的ではないし、姫さんの事も好きだけれどもずっと一緒にいたいわけではない。
気を使ってるし、姫さんはやたらと会いたがるし一緒にもいようとするけど、そういう気持ちは僕の方にはあまり無い。

「僕が通学してる大学は私立って事しってるよね?」
「ああ、うん。 でも家賃も光熱費とか生活費は私が負担するし、秀君には負担はかけないつもりだよ」

それはそれで困るのだ。 なんと言うかその辺りの事の比重が違うと“後ろめたさ”が出来てしまう。
今でさえ僕は姫さんに負い目や、自分という人間の情けなさを自覚しているのに、これ以上の自分の不甲斐なさを認識するような項目を作りたくない。

「ね? どうかな?」

さっきの笑みは既に、歓喜の色を見せていた。 僕の不安要素は無いと思っているのだろう。

「急でさ、ごめん……、まだ何もいえない」

笑って見せるけど、きっと逆効果だ。 見る見るうちに姫さんがしぼんでいく。

「そっか、うん。 分かった」

636 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:28:03 ID:89A4IfTU [7/22]
あの食事から今日までの一週間、僕はとにかく姫さんから離れた。
メールは出来る限り手短に済ましたし、会う約束はとにかく蹴った。

そして今、僕は戸惑っている。

学校で少し残ってレポートを終わらして、いつもよりも遅く帰ってきた。
姫さんとのメールも「友達と遊びに行くから」とテキトーなこと言って切り上げた。

これで多分逃げ切れたはずなんだ。 なのに……姫さんが改札にいる。
それも必死に僕を探しているのか、改札から出てくる一人一人をしっかりと吟味している。

携帯を見ると着信が五回ほどきていた。 すべて姫さんからだ。

おそらく最近の僕の態度に気付いたのだろう。
このままでは仕方ないし、次の改札に向かう列に紛れていく事にした。

「あっ! 秀くん!!」

改札を抜けると同時に姫さんは僕に駆け寄り、手を握ってきた。
ものすごく嬉しそうなその表情に、僕以外の人は微笑ましいと心の内で思っているのだろう、優しい笑みを僕に向けてきた。

「どうしたの? なにかあった?」
「うん。 今日おばさん夜勤らしいから晩御飯作っておいたんだけど、携帯は繋がらなかったし、ね」

あくまで、僕に非を求めない。 僕の罪悪感が喉元まで来たのが分かる。
何も言えない。なんでだ。

「帰ろう?」

手を引かれるまま、僕は歩みを開始する。

「今週カリキュラム詰まってて大変だったでしょ? 明日から二連休うれしいね」

僕の嘘すら暴こうとしない。辛い。乾いた笑顔しか出来ない。

「ビーフシチュー久しぶりに作ってみたんだ。 秋になってまだすぐだけど、上手くできたと思うんだよね。 フフン」

どれくらい待ってたんだろう? 何時間、僕を。
もういっそのこと僕を攻めて欲しかった。罵詈雑言を浴びせ、僕の嘘を暴き、僕に謝罪を要求して欲しい。

「ちゃんとパンも用意してるから、抜かりはないハズ!」
「あのさ、」
「うん?」

改まって僕よりも目線よりも少し高い位置にある姫さんの目を見る。

僕よりも高い身長、すらっと長い足が目立つ体躯。華奢なイメージを思わせる腰、肩まで伸びた髪を後ろで束ねたお決まりのポニーテール。
少し高い鼻、小ぶりな唇、少し垂れ気味の眼、血色の良い白い肌。

いつもそうだった、僕の負い目。
釣り合うわけも無い。姫さんの友人も言っていた。

『姫ちゃん、なんであんな子と付き合ってるんだろうね?』

盲目的な愛。それは見えていないだけで、気付けば途端にしらけてしまう。
もしかしたら、そう考えた事もあった。でもそれは、きっと狂人の戯言。
健常な人からすればただの妄言なのだ。

気付いていたが、最後まで付き合うつもりだった。こう言えば聞こえはいいが、僕もきっと盲目的に愛されていただけなのだろう。
今まで黙って、自分の気持ちを不愉快に感じていたのがその証拠だ。

637 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:29:10 ID:89A4IfTU [8/22]
「今日は、外食にしたい」
「えっ? でもお財布は家に置いて来ちゃったよ?」
「僕が出すよ」

そう言うと姫さんは慌てて言った。

「そんな! 悪いよ」
「大丈夫、お金あるから」

知っていた。姫さんが外食やデートの経費を自己負担していること、母さんから貰っているという嘘。
言わなかったのは、言えなかったのは僕の甘え。

「いいんだ、話もあるし」
「うー。 ……分かった。 じゃあ、そうしよっか」

やっと、折れてくれた。
最後ぐらいは僕が出さないと、いけないよな。

別れよう。

晩御飯を終えてから、近所の公園まで足を伸ばした。

自宅でするような話じゃないからだ。
きっと姫さんは承諾しない。それどころか、おそらくひどい癇癪を起こす。
そんなところに両親が来たら……、考えただけでもぞっとする。

公園のベンチに座ると、姫さんも隣に腰掛けてきた。肩が当たるそんな近さが、今は不快でしかなかった。
繋いできた手が、それを際立たせる。

「あのさ」
「うん?」

切り出したのは僕ではなく、姫さんの方からだった。

「同棲の話、考えてくれた?」
「うん、まあね……」

嘘ではない。

「私もね、この一週間ずっと、頑張って考えたの。 話してもいい?」
「いや、まずは俺からいいかな」
「うん。 いいよ」

肩に重みを感じた。姫さんが頭を預けてきていた。

「まずさ、同棲の話。 やっぱりこれは出来ない」

思い切って、言ってみた。
反論がくると思ったけど、案外あっさり姫さんは頷くだけで了承してくれた。

その穏やかな表情に一抹の不安を感じながら、僕は続ける。

「次にさ、俺たちのこれから、何だけど……」

握られていた手を解く。それから姫さんの両肩に手を置き、姫さんを僕の肩から離し、僕も姫さんと対面するような姿勢に改まってから言った。

「俺たち、少し距離を置こう」

姫さんの両目が何度か瞬きをした後、「え?」と僕の発言に虚を衝かれたような、そんな表情を浮かべる。

急に後悔に似た罪悪感が僕の背を押した。 立ち上がるしかなかった。
横からの姫さんの視線から逃げるために立ち上がったのだ。

改まって後ろを振り返る。 姫さんはまだ膠着したままでこちらを見上げている。 僕が急に立ち上がって驚いたのかもしれない。

638 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:29:36 ID:89A4IfTU [9/22]
「ごめん……」

そう言って、その場を後にしようとした。 逃げようとしたのだ。

初めて他人をあそこまで落胆させた。 その光景に背を向けるしか僕は出来なかった。
一歩踏み出すかどうか、その瞬間に腕を捕まれた。

「ちょっと待って!」

姫さんの大きい声は普段は聞くことは無い。 それほどに普段は穏やかな人なのだ。
公園一面に聞こえたのではないか、そう思うくらいの“叫び”。

「座って」
「イヤだ」

情けないが、もう姫さんの顔を見れる自信は無かった。 愚かだ。
あまつさえ姫さんを引き剥がそうと綱引きを展開し始める自分に笑えてくる。

「座りなさい」
「話すことなんて無いよ、距離を置こう」

今度は姫さんが立ち上がった。
腕を手繰り寄せられ、姫さんと向き合う形になった。 なんて非力なんだ、僕。

「答えはノーよ。 昔も今も私に秀くんに不満なんてないよ。 秀くんにあるのなら言って? 頑張って直すから」

姫さんの瞳には強い意志が宿っていた。掴まれているのが腕から手に変わっていた。
僕よりも強い力。 日ごろのトレーニングの賜物だろうか。
そのまま抱き寄せられる。 僕は抵抗するが、それも空しく抱きしめられてしまう。

華奢な体のどこにこんな力があるんだ? たしかに姫さんの腹筋はうっすらと割れてるけども、線自体は細い。

「やめて、離して!」

普通は女性の方が言うセリフなんだろうな……。

「秀くんは、何にも心配しなくてもいいんだよ?」

少し姫さんの腕の力が弱まったと思うと途端、頬を片手で挟まれ唇を奪われてしまった。
入ってくれる舌。 いつもより大きい音で唾液を啜られる。

思わず縮こまりそうになる。 背中から来る姫さんの腕の力が強まる。
荒くなる呼吸、隅々まで這い回る姫さんの舌。

僕は既に抗う力を無くしていた。 それは諦めとかそういうのではなくて、ただただ姫さんの術による圧倒からだった。

「はあ、」

気持ちよかった、僕は若干の体重を姫さんの身体に預けていたから、姫さんの声は耳元で聞こえている。

休む間もなく、姫さんは耳を弄り始めた。
啄ばむ様な口付けと、軟骨を這う舌。 徐々に湿り気を帯びていくのに応じて背筋に電気が走り、思わず仰け反る。

「ずっと、一緒だよね? ずっと……ねえ? 秀」

やっと離れた。 が、一人では踏ん張らなければ、到底立てない。

すぐに姫さんが僕を抱きしめる。 今度は無理やりではなく、優しく。
背中を摩る姫さんの手。 しかし息はまだ荒い。
姫さんは僕よりも六センチほど高いので、見上げる形で姫さんの表情を伺う。
うっとりとした表情はきっと僕意外は見たことが無いだろう。 完全にしまりを無くしている。
欲望を充足させ、放心によって満足に限りなく近づいた姫さんのその表情。

「どうする……? 続き、する?」

妖しげな期待の色が瞳に入り混じり、笑みも艶かしいものに変わっていく。
そして、僕を片手抱きとめたまま、もう一方の片手が僕の身体に沿って降りていく。

「うふ」

姫さんの笑みが邪なものに変わる。
僕が勃起しているのが堪らなく嬉しいのだろう。

639 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:30:21 ID:89A4IfTU [10/22]
「お家いこっか?」

このまま、姫さんに身体を預けたまま、自宅に戻れば……。
急所に触れられたせいか、急に頭の隅がハッキリとした。
冷静になった一部が必死に拒否と診断する。

「イヤ、だ」
「え?」

姫さんから離れて、姫さんの眼を見て言う。

「もうたくさんだ」
「秀……くん?」
「少しの間、会いたくない。 独りにしてくれ」

そこまで言って、やっと駆け出す。
姫さんは追ってこなかった。
そんな事に安心している自分に気付いたのは、施錠を解いている時だった。

リビングに入ると、微かにビーフシチューの香りがした。
テーブルにはフランスパンのような固いイメージを思わせるパンが何丁か用意されていてランチョンマットもお皿も、スプーンも二個ずつ行儀よく置かれていた。
僕は着替えも、シャワーも浴びないまま施錠だけをしてすぐにベッドに横になった。

心の中は疲弊と、達成感と、少しの寂しさがあった。
思えば、この部屋に何度姫さんが来たんだろう?
両親よりも多くここにいた気がする。

部屋を見渡せばそこら中に姫さん由来の物があった。
姫さんからのプレゼント、姫さんが持っている物とセットの物。
下手をすれば僕の物よりそっちの方が多いかもしれない。

姫さんは好んで僕によく何かをプレゼントしてくれた。 そして僕がそれを身に付けたり、使っていたりすると上機嫌になる。

僕の方はあまり財政がよくなかったのであまり贈り物を用意する事は少なかったが、ストラップや欲しいと言っていたものを渡すと、目尻を濡らして喜んでくれた。
喜んで付けるのは別にいいのだけれども劣化した挙句、ストラップの紐などが何度も修繕されているのを見ると、何だか僕は情けない気持ちになっていた。

そういえば、この部屋が互いにとって始めての性交渉を持った場所でもあった。
思い出して情けなくなるのが、終始リードしてくれていたのは姫さんの方で、誘ってきたのも姫さんだった。

あの日から姫さんのアプローチとアクションが過激になり、僕は会うのが少し億劫になっていた。
それからはデートの誘いも断り、一緒にいることも少なくなってきた。

そして姫さんに土下座をされた。 しかも改札でだ。

「許してください、お願いします」

周囲の目が僕と姫さんに突き刺さる中、謝罪を続けようとする姫さんをやっとの事で立たせると、この部屋で長い長い談合を行った。

必死な姫さんに折れて、僕は性交渉の頻度と内容の改善を提案した。
姫さんはそれを受諾し、それから今後の交際の続行を望んだ。

その時の必死さは、いま思い出しても怖い。

「本当に、いいんだよね? それだけ我慢したら、一緒にいてくれるんだよね?」

必死なその姿に、僕は頷くしかなかった。

まどろむ中、そういった経験が何度かあった事が僕の姫さんに対する負い目と付随して、大きくなっていたのだろうと確信した。
きっとあのまま、このベッドに二人横になっていたら、それこそ後悔していただろう。

このまま、眠って目覚めたら、変わろう。
もう、何も気にしなくてもいいように。 それなら臨終まで独りでもいい。

そう思いながら、明日に何も不安の無いまま、まどろみの中に落ちていく。
何も考えずに明日を迎えるなんていつ以来だろう。

640 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:31:08 ID:89A4IfTU [11/22]
何度かメールを送ったけど返信が来ない。
あれからどれくらい時間が過ぎたのだろう。
携帯の液晶に表示された時刻は既に先の出来事が昨日の事だと掲示している。

交際を始めて、三年と半年。
思い返せば彼、秀くんの事ばかりを優先していた事に少し胸がドキリとする。
頭から足の先まで、彼の事ばかり。

秋の始めの頃の空気は夜になるともう寒く感じるほどで、少しだけ熱を帯びた携帯が妙に浮きだって感じる。
携帯のメニューから電話帳を呼び出し、秀君の番号を選択し発信する。
何度かの電子音を聞いてから電源ボタンを押して立ち上げる。

ベンチから立ち上がり、公園を出てすぐに足は秀くんの家に向いて歩き出した。

何だか。 何だか昔の事をさっきからずっと思い出している。
そして決まって思い出すのは秀くんの事ばかりで、勝手に笑みがこぼれる。


生徒会に入ったばかりの頃、私の指導を熱心に聞く彼。 メモを取り、言われた事を反芻する声。
まだあの時は可愛い後輩にしか思っていなかった。 でも時が経つにつれて、私は無理やり理由を作って彼と生徒会の活動をするようになっていた。

私のいきなりの誘いには、彼も困っていただろう。
あの頃は秀くんは高校一年生で、初めての事の連続だったから。

分かっていながらも、私は彼を連れまわした。
放課後も彼を拘束するような事を何度もした。
夏休みや祝日も学校に呼び出し、筆記係がしなくてもいいような事を私と彼の二人きりで行っていた。

義務感からか、それともそういう性分からか、彼は少し困ったような態度を見せるだけで、私が強引に押し切れば付き合ってくれた。
ここで私は彼の性格に味をしめてしまったわけだ。

「彼は頼まれれば断れない性格なのだ」

私のこの予感は当たっていた。
そうして彼を独占したのだ。 卒業式の当日に。

住所は、恥かしながらストーキングをしていたので知っていた。

卒業式の当日、生徒会は基本的に全員出席のだけれども、一年生は例外的に一般性と同様に休日を割り当てられる。
彼が来ないことは大学入試の前日に知った。

彼が私のために出席してくれないのに落胆し、入試はギリギリの成績となってしまったのを今でも覚えている。

卒業式を終えて何人かの友人たちと別れを惜しみ、何人かの男子生徒からの「お約束の」告白を済ませた後、すぐさま彼の家へ向かった。

電車に少し揺られて、何度も彼の背中を追って歩いた道を通り、彼の家の前に立つ。
そして意外な事に、これが始めて秀くんの家のインターホンを押した瞬間だった。

641 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:31:39 ID:89A4IfTU [12/22]
「先輩!?」

秀くんの驚いた声に私はその時、我に返ったのだ。

秀くんにアポイメントをとるのを忘れていた。
その事に気付いたせいで声が裏返る。

「少し、よろしいでしょうか?」

しまった。 秀くんの前ではいつも冷静な先輩を演じていたのに、ここでボロを出してしまうなんて。

「えっと……」

しかし、そんな事でここを終わらせてしまえば、ここを逃してしまうと。
そんな事が脳裏によぎり、勝手に言葉を紡いでいた。

「中に入ってもいい?」
「えっ?」
「すぐに終わるから」

いつもの通り、押し切った。
そして秀くんは、いつも通り押し切られた。

そのまま私は家に上がりこみ、秀くんの部屋に入り、告白をした。

部屋に入った瞬間、部屋の匂いにあてられ少し眼が回ったけど、すぐに立ち直った。
それほどに気合が入っていた。

「卒業式、お疲れ様でした」
「ふー、本当にこないんだもん。 代表者の挨拶読み上げるとき探してたのに……」

わざと秀くんに嫌味を言う。
今後の展開も視野に入れての発言。 嫌な女だ。

秀くんは悪びれて何度か軽く頭を下げ、謝辞を告げる。

「それで、話って何ですか?」

秀くんがそう言ったのをきっかけに私は姿勢を改め、正座を組み、秀くんの眼の目を見る。

「あのね、ずっと前から言おうと思っていたんだけど……」

話している最中から制服のリボンを解き、何度か畳んで秀くんに差し出す。

「私と付き合ってください」

642 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:32:06 ID:89A4IfTU [13/22]
秀くんはすぐに眉間に皺を寄せた。すかさず私は彼の手にリボンをねじ込み、秀くんを抱き寄せた。

実際力ずくでも良かったけど、秀くんの了解を得て交際を始めたかった。
秀くんの鼓動は、私の告白か行動かのいずれかによって激しく彼の胸を叩いていた。
それを肌越しに感じて、濁った思考が心の中に満ちていく。

『あともう少し、いつも通り押し切ってしまえ』

「えっと、先輩……、あの、ですね」

ダメだ!
グッと抱きしめる。 秀くんの骨が鳴る。 肋骨は鳴りやすい。

「生徒会の時に、いつも連れまわしてごめんね? イヤだったよね? 私がもう少し自分を抑えてたら……ごめんね」

感極まり、涙が出る。 嗚咽を理由に彼の髪の匂いを思い切り吸う。
ここぞとばかりに彼の手を握る。 そして必死に秀くんを抱きしめる。 足を絡ませる。

「い、いえ、別に迷惑になんて思っていません」

この言葉に心の中で酷く笑ってしまった。
もう少しで、もう少しで彼を手に入れることが出来る。

それから溜息を彼の耳に何度も当て、背中に回していた手を彼の首筋に回す。
動脈の鼓動は未だに激しいまま。 私はそれに歓喜する。

「あんな風にしたのは、秀くんに会う理由がそれしかなかったからなんだ……ごめんね」

わざとらしく彼のうなじに口をつけながら声を出す。 一言出すたびに彼の体が少し震えて……、秀くんの私に対する反応の一つ一つが愛おしくて仕方が無い。

「俺なんかでいいのか、分からないんです……」

嗚呼、やった! ここまで長かった。
でもそれもこれで終わりなのだと思うと、すぐに心労は消える。

彼の後ろめたさに対する抵抗の無さに、私はどれだけ助けられてきたのだろう。
利用し続けたが、彼は一度も私のその卑怯な手段を見抜かぬまま、私の手中に落ちるのだ。

嬉しさで心が躍る。 それを表面には出さない。
ここはそういう場面だと、今までの経験が告げる。

あくまで冷静な演出を続けなければならない。
それが彼への礼儀だと思うのだ。

「ううん、秀くんじゃなきゃいやなの。 もう一度聞くね?」

わざとらしい涙も彼には一途な宝石に見えただろう。
上擦った声も純情な乙女の命がけの告白に聞こえただろう。
知らなくてもいい。 彼はこの事に気付かず、終わるに違いない。
その自信がある。

「私と付き合ってください」

643 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:32:36 ID:89A4IfTU [14/22]
コンビニに入って、駄菓子を買う。
秀くんの好きなじゃがりことのりしお味のポテトチップス。
飲み物はポカリスエットを二つ。

店員さんはもうフリーターなんだろう、私が大学に入ってからずっとここでバイトしている人だ。
何度か声を掛けられた記憶がある。
コイツの印象というか目つきが細くて嫌な気持ちになったのを覚えている。

そういえば初めてコンドームを買ったのもこのコンビニだったなあ。
別になんとも思っていなかったけど、わざと秀くんと連れ立ってコイツがレジを担当している時に買ったな。

「あれ? 今日彼氏さんはいないんですか?」

最悪、話しかけてきた。
「その目って見えてるんですか?」と嫌味を返してやろうかと考えたが、面倒なのでテキトーに笑みを返しておいた。

「おつりとレシートになります」

おつりを受け取る際、手を握られた。 思わず笑みが崩れる。
狐目の癖に調子に乗るな。 そういう嫌味も込めて、握られた手を目の前で拭いだ。

狐目が眉間に皺を作るが、気持ち悪いモノは気持ち悪い。

「あの、ウェットシートください」

コンビニを出て、ウェットシートでさらに手を拭う。
あの手の輩は調子に乗らせておくとろくな事が無い。 妙に自信があるのもいただけない。

私達ぐらいの若者で「特別」というのは本当に希少な事なのだ。
容姿や何かの後ろ盾がないとまず輝けはしない。
だから恋人や友人と言う役をわざわざ認識して、各々でそれらを特別な扱いをしているというポーズをとるしかない。
いわばごっこなのだ。 それらというものは社会に出てからも重要だから慣れ親しんでおかなければならない。
子供が人形遊びで擬似的な母親をするのも、ヒーローごっこでわざわざ悪役を演じるのも、予行練習という一言に集約している。

でも、なぜだろう。
そう思うたびに、秀くんの事で胸が痛む。
彼を思うたびに、考えるほど、待っている時ほど私の中で彼がどんどん大きくなっていくのだ。

何かしてあげたい、喜んで欲しい、ずっと好きでいて欲しい。

そういった感情が、秀くんをもっと特別にしていく。
そして、私以外の人には秀君のことを特別に思って欲しくない、見ないで欲しい。 そう思うようになった。

だから私は彼と共有の友人が多い。
彼が誰かと遊ぶ予定があると私は決まってそれに参加した。

彼の友人達には私は出来た人間だと思われているだろう。 それはそういう風に演じきった自信があるからだ。
器量よしで、一途で、彼以外には興味が無い。
そういった人物像で彼の友人と接していた。

それが功を奏したのだろう、友人達は彼と私の関係に羨ましいということ以外に口を挟むことはなくなった。
あれだけ秀くんののろけ話をしていればそうなるのもおかしくは無い。

644 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:33:55 ID:89A4IfTU [15/22]
ウェットシートをゴミ箱に入れた際に、あの店員と目が合った。
店員は手を振ってきたけど私は無視して歩みを再開した。

一応もう一度携帯から発信してみたが、秀くんは出てくれなかった。
きっとあの狐目の性だな。

携帯の画像フォルダを呼び出し、暗証番号を打ち込んでフォルダにアクセスする。

フォルダ名は“秀くん”

普段は暗証番号なんて打ち込まなくても呼び出せるフォルダで我慢しているのだけれど、さっきみたいに不快な事が起こると私はこのフォルダで癒しを受ける事にしている。
このフォルダはいわゆる“ハメ撮り”という種類の画像が保存されている。
もちろん私自身が撮られているわけではない。 秀くんのフォルダなのだから、そこには秀くんしか写っていない。

中でも一番のお気に入りは始めての写真だ。

付き合い始めて二ヶ月。 秀くんが私と手を繋ぐ事にも慣れ始めて、私が目配せすると秀くんから繋いでくれる様になった頃。
セックスもしない「イチャイチャ」に悶々としていた私は次のデートで絶対にシようと決めていたのだ。

しかし秀くんの奥手な性格ではこれから自分から手を繋ごうとするのが限界だろうという予想は見えていた。
そう、私から仕掛けるしかこの状況の打開は無いのだ。

六月の中間試験の最終日に予定を空けておくように秀くんに釘を刺し、私は私でインターネットや友達伝いの情報で予備知識を集めて戦闘にそなえて動いていた。
幸い、「お姉さんキャラ」というポジションに憧れる女子大生が多数に存在してくれたおかげでその手の話には事欠かなかった。
恥じらいなどが全く存在しない「猥談」には正直呆れてしまったけど、嬉しそうに体験談を語る彼女達を見ていると少なくとも意中の男性とそういう行為を行うのはとても楽しい、嬉しい事だと言うのは分かった。
月並みな言葉だが、それで幸せならそれでいいのだろう。 そう思った。

ついに来た六月十一日、私は歩く保健の教科書と化していた。
気持ちを高揚させ、生理周期も完全に計算に入れてこの日に望んだ。
秀くんの家に行く前には五キロのジョギングとアップを済ませて、シャワーを浴びて、コンビニでゴムも買った。
卑猥な話に私と秀くんを投影し、興奮しても決して自慰行為はしなかった。

その方が感じやすくなるとかそんな都市伝説みたいな迷信を信じていたからではない。
私はこの時セックスしようではなく、彼を犯そうと考えていたからだ。

秀くんは始めての際にインパクトを与えておかなければならないと思ったからだ。

「お前は私のために射精するのだ」

常軌を逸していたと言っても過言ではない。 犯罪者のロジックだ。 しかも犯罪の種類が強姦。交際関係が無ければ腹をくくらなければならない。
いや、交際関係があってもおそらくダメだろう。

しかし犯罪者は浅ましい思考といやらしい欲望の矛先を見つけていた。
これは不幸な事だ。 状況が見えなくなっている証拠なのだ。 きっと冷静ではいられない。
経験者が言うのだから間違いない。
酔っ払いが「酔ってないです」という常套句を吐くのと同じだ。
酔っていたんだ。 富野姫華。

セックスをしに行くというより、レイプしに行くというほうが正しいと思う。

そもそも秀くんからすれば私という人間が犯しに来たというのが分かれば、きっと落胆するに違いない。
それはいけないなと考えを改めたが、これは行為の中断の熟考ではなく、行為の開始に関する熟考であった。
どのようにすれば、強姦を初めから考えていた事をバレずに出来るか。

恥ずかしながら、幼稚である。

645 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:34:31 ID:89A4IfTU [16/22]
部屋に入ると私はすぐに秀くんとベッドに横になった。
秀くんはこれをあまり好まないけど、私が手招きすれば応じてくれる。

これであとはムラムラしたとか言えば、初めからその気は無かったと思ってくれるはず。
今にして思えばだが、バレバレである。

抱き合って三十分ほどしたぐらいで、私は秀くんを思い切り抱き寄せ、付き合ってから六回目の口付けをした。
今回のは深い方だ。
初めての行為なので、秀くんは私を離そうと抱擁を解こうとしたが、私はグッと力を込めてそれを阻止する。

この時から私には確信があった。
私のほうが秀くんよりも体力があると言う事に。
小学校高学年の頃から習い始めた総合格闘技のおかげか、それとも中学校のときから始めたジョギングのおかげか。
ともかく、単純な腕力でも、格闘技から見た腕力でも秀くんには負けることはないという確信があった。

そもそも秀くんは私よりも骨格が太い割りに非力なのだ。
決して私が太いわけではない……、はず。

長い間の口付けを終えて、秀くんの顔を見る。
目をしぱたたかせ、困惑するその表情は、まさしく天使のそれと同じくらい愛おしい。
胸を何度も締め付ける感覚に思わず鳥肌が立つ。

「しよう?」

この時、彼は予想通りためらった。
何か言おうとして、唇が動いたが、私はその言葉が出ることを許さなかった。
再び彼を強引に抱き寄せ、接吻する。 いや、“させた”というべきか。

その後は、秀くんの顔中にキスをして、耳に舌を這わせ、首筋に痕を付けるほどの口付けをした。
それと平行して私は服を脱ぎ、秀くんの服をずらしながら乳首を軽くつねったり、へその入り口に沿って指で舐めたり。

そこまできて、ようやく秀くんが口を開いた。

「や、やめて……」

この時の彼のうっとりした表情、彼の紅くなった頬、絶え絶えになった声。
我慢できるわけがなかった。 いやむしろ私を焚きつけたのはその仕草だった。

「気持ちいい、くせに……」

恥ずかしい事ながら私は我を忘れて彼をむさぼった。
脱いだ服で彼の手足を縛り、言葉攻めにして、彼の感じるたびに震えるその体を満足するまで蹂躙した。

陵辱、強姦、秀くんは腰を浮かせ、身体をねじったりしながらも私が与える刺激に対して抗ったが、その様な仕草も私には肴になってしまった。
いやおそらく、そのような仕草が好物でこういう事をするのだろうと、冷静な私は分析していた。

「ほら、入れるよ?」

散々、遊んだ後秀くんも精根尽き果て、大人しくなり抵抗もしなくなって私はセックスを始めた。
秀くんは目を泣き腫らし、それを隠そうと拘束されて満足に動けない腕で顔を隠しながら騎上位の私を見上げていた。

その表情も私を酷く満足させてくれた。
征服する喜び、恐怖を与え主導権を握る喜びに血肉も踊る。
例えるなら歓喜、欣幸、法悦、それから随喜。

たまらず私は携帯を取り出し、カメラモードで画面に映りだした秀くんに声をかける。

「ほら、秀くん、腕どけて!」
「えっ、やめて! 撮らないで……」

もはや聞く耳持たんとばかりに無理やり腕をどかせ、シャッターを切る。
何度も何度も。

慣れ始めた腰の動きに緩急をつけて、たまに腰を折り。彼に口付けをする。
それを嫌がり、顔を逸らす秀くん。
しかし生殺与奪の権利はこちらにあるとばかりに、私は彼に強要する。

それもたまらなく私に満足感や、やりがいを与えていると、彼は気付いていない。
燃えるのだ。 文字通り。

「そろそろ、イこっか?」

もはや秀くんは何も言わなかった。
なにも言わなかった。

646 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:34:59 ID:89A4IfTU [17/22]

思えば、それが私たちの初めての喧嘩だった。
内容は秀くんの徹底的な無視。

無理やり会おうと思えば会えるのだが、会ってみても秀くんはどこか虚ろで、屋内には行こうとせず、そのまま帰ってしまう。
手も、繋いでくれなくなった。
私から繋いでも、いつの間にか離れてしまう。 嫌がっているのが分かるのは辛い。

そして何がダメなのかも分からないのだ。
先も言っていた通り、これが私と秀くんの不一致の原因なんだと思う。

ともかく私はその秀くんの態度にとことん追い詰められてしまった。
負けたのだ。
しかし当の本人はその事に気付いていない。 私が降伏をしようと電話をかけるが、一向に出ない。
このままでは私が飢え死にしてしまう。 それが狙いならば本当にまずい。

実際にこの頃の私は奇行を繰り返していた。
彼の部屋の灯りが着いたと同時に電話をかけたり、通学中の彼に対して痴漢行為を行ったり、通り魔を撃退したりと、思い出しただけでも気が狂っていたと自嘲してしまう。

まあ、たくさんの葛藤を乗り越え、敵本陣に乗り込む事に決めた私は改札で彼を待ち、土下座を敢行した。
それが功を奏して、何とか話し合いの席を設ける事が出来た。
先も言ったとおり無茶苦茶なやり口だ。 余裕がなかったにしてもこれは少しお行儀が悪い。
しかし、これを機に私たちの初めての喧嘩は幕を閉じたのだ。

聞けば性行為の際に私と秀くんとの間に温度差があったようで、秀くんはその時の私との齟齬を気に掛けていただけだった様だ。
それならばと私は彼に合わせると彼に意見し、そこをオトシ所とした。

それからはもう禁欲あっての宴のように私の生活は一変した。
秀くんから返ってくるメールの一文字一文字に感動し、聞く発音の一つにも感嘆とした。

「ところでさ、誕生日プレゼントもう買ってあるからね?」

キョトンと一拍置いて「ああ」と秀くんは頷く。
この人は下手をすれば自分の誕生日を忘れてしまうほど自分というものを希薄に感じている節がある。
何よりも自分よりも、自分の嫌悪感を先に優先してしまうのがその現れだ。

「ごめんね、ありがとう」
「ううん、いいよ。 それよりもまだ手を離さないで欲しいな」

腰に回っていた手の感触が離れていくのが素直に悲しかった。
「ああ、ごめん」とばかりに彼はさっきの場所に手を戻してくれた。

嗚呼、もうそれだけでも幸福感が沸いてくる。
どれだけの事なのだろうこの充足感は。 アンドロギュノスが元に戻ったようなそんな感覚だろうか。

彼のほうに体重を預けると、吐息が耳にかかってこそばゆいと同時に深い愛おしさがこみ上げてくるのを感じる。

647 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:35:18 ID:89A4IfTU [18/22]

「きっと喜んでくれると思うの。 自信あるよ」

彼はその顔に笑みを深くして、髪を撫でてくれるそれが無性に嬉しい。
喜んでもらっているのが分かる。 そしてそう感じてもらっているのが無性に嬉しい。
もっと喜んで欲しい。 私でもっと満たされて欲しい。

「晩御飯とか、も、頑張るからね」

とうとう泣いてしまった。
秀くんはそれに戸惑って、私がわがままを言うとすぐにそれに応えて抱きしめてくれる。
きっと、秀くんは誰にもこうなのだと思う。
ただ交際中で、こんなワガママを言うのが現状では私しかいないからこうやってくれてるけど、きっと他の子に対しても頼めば実行してやるのだろう。
それは優しさなのだと思う。 薄情であるわけではなく、ただただ他人に優しい。

彼は人を嫌わない。 怒ることはあるだろうが、それは人に怒っているのではなく、行動のそれに怒っているのだ。
まさに罪を憎んで、人を憎まずを地で行っているのだ。

私は、私はだから不安なのだ。
この優しさも、この扱いも、私ただひとりのモノにしたい。

優しさが彼の総てではない。 しかし彼の強さは優しさから来るものであると私には分かる。
その純然な彼の強かさが、高邁とした彼の哲学がただただ愛おしい。

「私以外に、もう優しくしないで」

無理だと分かっていても、彼は「頑張ってみるよ」と了解をしてくれる。
きっと思いの丈がありすぎるのだ、私は。

「私ももっと、貴方だけになるから。 そうするから……」

叶わない願い、それが思いの丈なのだ。

「お願い、お願いだから……」
「分かってる。 うん、ごめんね」

そうして彼に接吻をねだる。
彼はそれに応じてくれる。

そうして私は激しく彼を求めて、言い訳をする。
彼はそれに応じてくれる。

そうして彼の胸元を抱き寄せる。
こうして私は独り静かに嗤うのだ。

648 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:35:37 ID:89A4IfTU [19/22]

私は嫌われたいから彼を酷く乱暴に扱っているのではない。
これは彼の優しさに甘えているわけではないからだ。
そこまで私は自暴自棄になれないし、あつかましくも無い。

ならばなぜ、こんなにも彼を暴力的に愛してしまうのか、それは彼に対しての怒りがあるからだ。
勝手に自分で『あなた以外を欲しがらない』といった誓いを立て、秀くんにもそれを強要しているのだ。
そして私は恐れている。 一度彼に拒絶されているからだ。
だから自らをセーブしている。
全ての事柄を彼に了解を取ってから進める。

「いま、してもいい?」

我ながら姑息だと思う。
さっきまでこのための布石なのはきっと見抜かれている。
思い返すと、秀くんの少し考えてからの頷きが哀れみがこもっていたのではないのかと思えてしまう。

酷く脆く、危ういと自分自身で評価を下し、壊れたくないからと言う理由で仕方なく秀くんを求める。
そんな事を言って、優しい彼を抱くのだ。

秀くんは自身の体に舌を這わせる私をどういう風に見ているのだろうか?

セックス依存症の女、脆い女、気持ち悪いもの。

なんだっていい。 最後まで彼を抱けるのなら。
秀くんに愛が無くても。
私が最後まで、彼の選択肢のなかで私一人しか選べないようにすればいい。
そうだ、私しか、彼に選択肢を剥奪すればいいんだ。

そうしたら、そうしたら思う存分彼におぼれる事が出来る。

「ね? いいよね? ね?」

気持ち悪いくらい、彼の同意を煽る。
余裕が無くなっているのが、後になって分かるのだが……、この時はもうそれこそ必死なのだ。

「気持ちいい? ねえ、どう?」

彼が私から目を背ける。
瞬間、拒絶がフラッシュバックする。

イヤだ、ごめんなさい、もうしませんから。
余裕が無い頭が、言葉をどうにか搾り出す。

「あっ……、ご、ごめん、その、せめて気持ちよくなってもらいたくて……」

どうすればいいのか分からない恐怖。
彼から滲み出した拒絶が、私への嫌悪感が、ただただ怖くてうろたえてしまう。
好きだから、愛してるから、自分で満足して欲しい。
でもそれが空回りしてしまう感触が、吐き気のように気分を、私を追い詰めてしまう。

「えっと!、えっと…えっと…」

狼狽する。 何とかすぐ繋がなければ、彼が、彼に、嫌われてしまう。
もうあれは、いやだ。
こんどはきっと、耐えられない。

「ごめんっ、なさいっ……! もっと気持ちよくするから、もっと……、もっと!」

そこまで言って、手を握られた。
私はその手に驚いて、思わずおののいてしまったけど、彼は構わず私を抱き寄せて謝辞を告げる。

「そんなに、あせらなくてもいいよ」
「でも、でも本当はイヤだったでしょ? ……秀くんが本当にいやなら……、私、が、我慢す、するから、できるからっ!」

彼の笑顔が眩しい。
私は何度この顔を見るのだろう。
何度彼に許しを乞い、許してもらえるのだろう。

「いやだったら、しないよ」

嘘だ。
それが分かる。
私はまた彼の優しさで、彼を傷つけている。
彼はそれに気付いているのだろうか?

649 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:37:29 ID:89A4IfTU [20/22]

彼の家が見えてきた。
青い屋根の一軒家。

思えばどれだけあの家にいたのだろう?
ジーンズのポケットにある合鍵を形だけで確かめる。

そう、違う場所に引っ越すのがいやなら、同じ場所に私が行けばいい。
義母からの了承も貰っている。

彼は驚いてくれるだろうか? いやきっと最初は拒絶されるはずだ。
私はそれでもいい。 ここまでの道程でそう思った。

思い出すのは秀くんの事ばかり。
軋轢があっても、私は彼を愛する事をやめることは出来ない。
彼の拒絶に、きっと私は情実に捕らわれた答弁しか出来ない。
爛熟したこの思いは、本懐を遂げるしかないのだ。

そうでなければ、もう……。 私にはもう……。

一応、玄関の錠を解く前に秀くんの携帯に電話をかけた。
一分待ったが出ない。 ここで、ドアの施錠を解く。

おばさんが夜勤の日はチェーンをしないのは知っていたから、そこは気にせず玄関に入る。

「もう、秀くんったら……」

靴を二つそろえて履きやすい場所に置く。
ここにきて、やっぱり秀くんにも私がいないとダメだなと確信する。
私たちはこの交際期間の間、涵養に互いを求め合ってきた、その上で思ったのだ。 間違いない。

玄関を出て、階段を上がる。
階段をあがって、突き当りを右に曲がればそこが秀くんの部屋だ。 ちなみに左に曲がればおばさんの部屋となっている。

ノブを回してから静かにドアを開く。
暗闇に目が慣れていたので、すぐに白いシャツを視認出来た。

秀くん、疲れてたんだね。 カリキュラムの消化お疲れ様。

すぐに秀くんの手を背中の方で縛り、足をベッドの足に縛った。
どうするかはもう決めていた。
やはり初めてのことを秀くんにも思い出してほしい。

私だけのもので、秀くんだけの人だって。

灯りを点けると、秀くんは煩わしい様子で眉間に皺を刻んで、ゆっくり目を開けた。
可愛いなあ、反則だよ、その顔。

「ん……、えっ? 姫さん?」

650 名前:姫ちゃんの奮闘 ◆Nwuh.X9sWk[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 03:37:54 ID:89A4IfTU [21/22]
「おはよう、ってまだ夜だけどね」

あれだけ言って聞かせたのに、まだ私のことを『さん』付けでまだ呼ぶ。
そこに少し物申したかったけど、今は我慢しよう。

「なんで、どうして? あれ? 手が……」

聞きたいこと、驚いていることがごちゃ混ぜになって困惑する秀くんの表情を十秒ほど楽しんでから私はそれぞれに答えた。
ここで暮らす。 あなたを諦める事なんて出来ない。 一方的な分かれ方なんて認めない。

「そんな……、でも、ぼくはもう姫さんの事」
「さん付けしないでって、言ってるでしょ? いい加減怒るよ?」

少し力を入れて言うと、秀くんは口をつぐんでしまう。
私はこの顔も好きだ。 私のことを自分より強いものだと認めているこの秀くんの顔。
何度見てもそそるものがある。

「大きい声出したら、嫌だけど殴るよ?」
「姫さ……ちゃん」

言いかけたところで、私の顔の微妙な変化を見つけたのだろう、すぐに秀くんは言いなおしてくれた。

「もしも、この事が終わってまだ私と別れるなんて言うのなら、私しか残らないように秀くんの周りを壊すから」
「え?」
「本気だよ? 私は絶対やるよ。 第一秀くんが私のいない世界で幸せになれるわけなんてないの」

秀くんは何かをいいかけてやめる。
きっと「思い直せ」とかそんな言葉を使おうとしたのだろう。
でも私の思いつめた何かがそれを止めたのだ。

「ね? もう決めてよ。 わたしだけだって」

秀くんの答えを聞いてから、私は彼の服を乱暴に脱がせ、そのまま強姦にいたった。
彼に射精を強要し、互いにオーガズムを味わった。

今、彼は私の腕枕の上で寝息をたてている。 規則的な彼の動きと安らかな寝顔とは裏腹に泣き腫らした目が印象的だ。
縛っていた手足に残る痕も、痛々しい。

秀くんは私の問答に「ごめんね」と答えた。
それは拒絶の意味ではなく、哀れみと許容の入り混じったものだった。
こんな風に言いたくはないけど、彼は腹をくくったのだ。
私と添い遂げる覚悟をその言葉に込めてくれた。
私はそれに答えようと思う。

彼の寝顔を見てそう思った。