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848 :セルロイド西洋人形:2012/09/01(土) 01:32:15 ID:XiiiafCM [1/3]

 自分の息遣いが、やけに近くで聞こえました。
 彼の、私のそれより随分大きな手を引いて、生い茂る草木をかき分けながらひた走ります。
 はだしの足は痛み、いくつも切り傷ができていますが、最早そんなことには構っていられません。
 私の後につづく彼も、汗だくでした。彼が負った傷は大分癒えていましたが、それでも、私に手を引かれて走るのがやっとです。

「もう少しです、頑張って」

 彼に励ましの声を掛けて、なおも私たち二人は林の中を進みます。迫りくる追手から逃れるために。

849 :セルロイド西洋人形:2012/09/01(土) 01:33:29 ID:XiiiafCM [2/3]




 彼の名前は、ういりあむ、と言います。
 かろうじて名前はわかったものの、私はそれ以上、彼について知ることできませんでした。
 彼の喋る言葉は、学ぶことはおろか、使うことさえも禁じられていた敵性語だから、私には到底理解ができなかったのです。
 私と彼が初めて出会ったのは、二ヶ月ほど前、家の裏の、広い竹林を抜けた先でした。
 突然家の裏で大きな音がしたので、何事だろうと様子を見に行ったのです。
 私がそこで発見したのは、黒煙と炎を上げる翼の折れた戦闘機、そして、傷を負った米兵でした。それが彼、ういりあむです。

 この戦争が始まる前のことです。
 いつの日か、小学校にセルロイド人形という、美しい西洋人形が届いたことがあります。
 アメリカから届いたプレゼントなのだと、優しい佐江子先生は私たち児童に言い聞かせてくれました。
 はるばると海を越えて日本にやってきた青い目のお人形は、その後廊下の棚に飾られ、私たち児童によって大変可愛がられ、大切に扱われました。
 綺麗に澄んだ真っ青な目、輝くような金色の髪、絹で作られた豪奢なお洋服。私はその全てが美しいと思いました。
 中でも、彼女の綺麗な蒼い瞳は、未だに忘れられません。
 そして、戦争が始まりました。
 私たちが大事にしていたお人形は、とたんに「敵性品」となり、処分せねばならなくなったのでした。
 柱に縛りつけられて竹やりで突かれ、最期は火にあぶられたそのお人形を、私たちは最期まで見ていました。

 私が初めて彼を見たとき、敵国の人間に出会ったしまった事に驚き、恐怖すると共に、なんて綺麗な目なのだろう、と、素直に思いました。
 見開かれた彼の瞳は、あのお人形の瞳に似ていたのです。
 乗っていた戦闘機が撃墜したのでしょうか、彼の着る軍服からは血が滲んでいました。
 彼はだいぶ負傷していてその場から動けないようでしたし、辺りに鉄砲は見当たりませんでしたが、油断は禁物です。うかつに近づいたら、彼は私を殺すやもしれません。
 私が手をこまねいていると、彼は左腕を挙げて、開いた掌を見せました。右腕は動かすことができないようです。
 昨年亡くなったおばあさまから聞いた話によると、その仕草は「降参」を示すものだと言います。
 私は彼を背負って家に帰ると、傷の手当てをして、「傷が治るまで」という条件の下、彼を匿いました。
 それからというもの、私と彼の、二人の生活が始まりました。
 利き手である右腕と右足を負傷した彼は、最初の三週間を布団の上で過ごしました。食事を用意し、包帯を巻き換え、生活を共にする。私はなんだかお人形のお世話をしているようだと、おかしく感じたりもしました。
 日が経つにつれ、彼は笑みを見せるようになり、私も彼に心を許していきました。
 会話こそできませんでしたが、しだいに意思疎通ができるほどにはなりました。
 彼は、布団の上で過ごすうちに、「いただきます」や「いってらっしゃい」など、わずかに日本語を覚えました。
 私が折り鶴を折ってみせると、彼は喜びました。
 彼と過ごすうちに、私は、アメリカ人は、かつて学校で教わったような冷血非道な人間ではないのでは、とすら思うようになりました。
 私は紛れもない非国民でしょう。しかし、そう言われても構わないから、それ以上に彼を守りたいと、いつしかそう思うようになりました。
 そう、およそ二ヶ月間、この村はずれの家なら見つかるまいと、人目を避けてひっそりと暮らしていたのです。そうです、今日、彼が村人の一人に見つかるまでは。

850 :セルロイド西洋人形:2012/09/01(土) 01:35:56 ID:XiiiafCM [3/3]







 逃げる私たちを攻め立てるように、背後、遠くで銃声が聞こえました。
 いちいち立ち止まってなどいられませんから、私たちは、深い木々に紛れるように、ひたすら進み、進みます。

「Tell me...where are you going?」

 彼が息絶え絶えに言いました。
 私は答えません。ただ「心配は無用です。さあ、こっちです」と言い、一直線にあの場所を目指します。
 そう、何も心配はいりません。あと少しです。あと少しなのです。
 道を外れたの山の中を、走って、走って走って走って走って走って、そして、どれくらい時間が経った頃でしょうか、やっとあの場所に辿りつきました。
 草むらを抜けたとき、まずはじめに、潮風が鼻腔をくすぐりました。ようやく辿りついたこの場所は、高く険しい崖になっています。下には海が広がっていますが、崖はあまりにも高く、飛び下りればまず命はありません。

 絶好の場所でした。

「What's going on?」

 行き止まりのこの場所で立ち止まった私を不審に思ったのか、呼吸を整えながら、彼が言います。
 私はゆっくりと背後を振り返り、彼の碧い両目を見つめました。そして優しく微笑みます。

「これであなたは、私とずっと一緒です」

 私の言葉を理解出来ないのですから、彼はわずかに首をかしげるだけです。
 私は満ち足りた気分で、彼を眺めました。
 出会った頃より幾分か伸びた金髪に、変わることのない鮮やかな碧眼。
 こうして改めて見てみても、彼はまるで、かつて私が愛したあのお人形のようではありませんか。
 奇妙なことです。あの時のお人形が米兵の姿になって、私の元へ再び帰ってきたようにも思えます。
 だからこそ、私は彼を守らねばならぬのです。
 あのお人形のように殺されてはたまりません。縛りつけられ、竹やりで突かれて、最期は火にあぶられて殺されてしまうなんて、そんなことはさせはしません。
 彼は私の、私だけのものなのです。
 その綺麗な瞳は、他の誰でもなく、私だけのものなのです。

 もう二度と。



「……もう二度と、誰にも渡すものか」



 彼を守るためなら、すべてを失ってもいい。
 しかし、何を構うものですか。
 これで私と彼はずっと一緒、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、いっしょなのです。
 これいじょうのしあわせが、ありますか?

 彼は私の目指すところにようやく気付いたのでしょうか。でももう遅い。
 「No...Stay away from me!」と彼はなにかを叫び、後ずさりましたが、私はその手を取って、構わず海に飛びました。






 彼のその言葉の意味は、最期までわからずじまいです。