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470 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 11:49:41 ID:3EWtNrIn
*****

 休日の朝である。眠いのである。
 なぜ眠いのかというと、やむにやまれぬ事情というものがあるからであった。
 なにせ、昨晩から両親はどこかへ出かけているのである。
 故に、健全な高校生としては、不健全に徹夜のようなものをするのにふさわしい状況だったのである。
 もちろんただ起きていたわけではない。
 昨晩は夜間のプラモデル作りについてとやかく言う母が我が家に不在であったため、
昼間しか使えないエアブラシを夜間に存分に使うことができた。
 結果、1/12サイズのGPレーサーのプラモデルを完成させられた。
 朝日の差す場所に、数分前に完成させた作品を置く。
 ――おお、黄色く輝いて見えるぞ。
 出来としては、最近作ったものの中では一番である。
 やはり創作環境というものは大事だと改めて気づかされた。
 これからも父には是非とも頑張ってもらい、母を外へ連れ出していただかなくては。
 なんなら、このまま一ヶ月ぐらい旅行へ出かけてもらっても構わないぞ、父と母よ。

 さて、今は7時。
 今から昨晩の睡眠時間を取り戻すとしようか。
 7時間寝るとして、起きるのは十四時。つまり午後の2時。
 まあ、昼飯を食うのに遅すぎる時間というわけではないな。
 朝飯は食わず、このまま倒れるように布団の上で眠るとしよう――。

 布団がちょうどいい暖かさになっていて、心地よく眠れそうだ、などと思っていた時であった。
 携帯電話に突然着信があったのである。
 誰だ?こんな朝から電話してくるような俺の知り合いは。
 携帯電話のディスプレイを見る。知らない番号だ。よし。
 通話ボタンを押す。間髪入れずに電話を切る。
 朝から間違い電話などに付き合っていられるほど、今の俺に余裕はない。
 早く眠りたいのである。

 もう一度布団に身を投げ出し、再度眠りにつこうとしたら、今度は部屋のドアがノックされた。
 弟か妹であろう。めんどくさかったので、狸寝入りをする。
 が、いくら待ってもノックが止む気配がない。
 むう。なにかあったのであろうか。もしやとうとう父の体力が尽きて危険な状態になってしまったのか?
 仕方ないな。少しだけなら相手をしてやってもいいだろう。
「空いてるから入っていいぞ」
 扉へ向けて話しかける。すると、弟がドアを開けて入ってきた。
「兄さん、おはよ。電話がかかってきてるよ」
「誰からだ?」
「話してみたらわかるって。はい」
 弟は電話の子機ではなく、自分の携帯電話を俺に渡した。
 弟の知り合いか?俺と弟に共通する知り合いなどいないのだが。
 いまいち納得のゆかないまま電話に話しかける。



471 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 11:50:28 ID:3EWtNrIn
「もしもし、変わりました」
「……あ……」
「あの、どちらさまですか?」
「あの……その……」
 あのその、と言われても。
 電話越しに緊張するなんて、どれだけシャイなんだ、この相手は。
「とりあえず、名前を教えてくれませんか?」
「あ……そ、そっか。私、同じクラスの葉月」
「え……」
 葉月さんだって?なぜよりにもよってこんな朝から電話をかけてくるんだ。
 昨日、あんなかたちでふってしまったというのに、どうして電話をしてくる?
「おはよ。葉月さん」
「お、おはよっ、うございます」
 もしかして今、噛んだ?
 まあ、緊張するのも無理はないか。昨日のこともあるし。
「何か用なの?」
「あ、あのね。今日おうちにいるかな、と思って。それで電話したの」
「はあ。一応、今日はずっと家にいるつもりだけど」
 俺の予定など聞いてどうしようと言うんだ。葉月さんは、弟が好きなのに。
 そういうことは俺ではなく、弟に聞くべきだろう。
「そうなんだ……あの、誰かが遊びに来るわけじゃあないよね?」
「違うよ」
 悲しむべきか喜ぶべきかわからないが、今日は誰かと遊ぶという約束はしていない。
 恋人でもいるのならば、デートにでも行くのであろうが。
 恋人か。もし昨日葉月さんの告白にOKの返事をしていれば――やめよう。
 葉月さんの気持ちが俺に向けられていないことを知っておいて付き合うなど、失礼だ。
 それに、そんなことをしてもまた俺が惨めな気分を味わうだけである。
 葉月さんが何用で俺に電話をかけてきたのかは知らないが、早いところ切ってしまうに限る。
 だいたい、葉月さんは弟のことが好きなわけで――ん。おお、そうだ。
「葉月さんは今日、何か用事が?」
「え……無いけど?」
「じゃあ、うちに来ない? 弟もいるよ」
「え……嘘、いいの? 今、こっちから遊びに行ってもいいか聞こうとしてたんだけど」
「もちろんいいよ。弟も喜ぶと思う」
「う、うん、わかった! すぐに行くから待っててね! じゃあ!」
 言い終わると、葉月さんはすぐに電話を切った。

 なんともわかりやすい反応であった。
 弟がいると聞いてあそこまで喜ぶということは、やはり葉月さんは弟のことが好きなのであろう。
 携帯電話の番号を交換しあうほど2人は仲良くなっていたのか。葉月さんの熱意には敬意を表したい。
 しかし、どうして俺に電話を代わるという展開になったのかは、よくわからない。
 弟も勝手に葉月さんを家に呼べばいいというのに、なぜ俺に電話を代わったのか。
 もしや、俺に遠慮でもしているのであろうか?
 弟のことだから有り得る。だが、俺はそのへんは寛大なつもりである。
 もし弟と葉月さんの間に甘い空気が流れ始めたら俺はしばらく家を出て時間をつぶす。
 人の恋路を邪魔して、その後で馬に蹴られて死ぬ予定は俺にはない。



472 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 11:51:35 ID:3EWtNrIn
 ただ、弟と葉月さんが付き合いだすには、一つの障害がある。三兄妹の末っ子の、妹のことである。
 今では立派なブラコンに成長してしまった妹は、葉月さんを快く思うまい。
 いや、心証を悪くするだけならまだよい。あくまでも勘であるが、ただごとでは済まない気がするのである。
 具体的には、昼ドラ的な展開が起こりそうな気がするのだ。
 あの、『この泥棒猫!』がリアルに聞ける可能性が大である。
 オプションとして妹が葉月さんに包丁を向ける可能性もなきにしもあらず。
 しかも演じるのはベテラン女優ではないにしても、シリアスに怒っている妹である。
 思わず身震いするような気迫を放ってくれるに違いない。
 現場に居合わせたくはない。録画した映像で俺は満足できるから。
 とはいえ、妹が怒りに燃えるとなると、間違いなくその場に居合わせるであろう弟と葉月さんが
無事で済むという保証ができなくなる。
 やはりここは妹を外に連れ出して、弟と葉月さんの2人っきりにさせるのがベストであろうな。

 さあ、妹を外に――――――どうやって連れ出す?
 如何なる手段をもって妹を外に連れ出そうなどと考えついたんだ、俺は。
 連れ出せるわけがないだろう。なにせ妹は俺を嫌っている。いや、それ以前にどうでもいい存在に思っている。
 同様の理由で妹を引き留めるのも不可能。
 そんな絶望的な条件下で、どうやって同じ屋根の下にいる弟と妹と葉月さんを鉢合わせさせないようにできるのだろう。
 俺と弟で家を出て葉月さんを迎えに――行ったら、おまけに妹もついてくるか。
 仕方がない。今から電話をかけ直して葉月さんに、今日は来ないでくれ、と言おう。
 こちらから誘っておいて来るなと言うのも失礼だがこの場合は仕方がない。
 弟と葉月さんには、この家以外の場所で会うようにしてもらおう。

 慣れない弟の携帯電話を操作し、葉月さんにリダイヤルしようとしたときである。
 ピンポーン、という間延びした音が鳴った。来客が玄関のチャイムを押したのであろう。
 つまり、今この家の玄関に来客が来ているということになる。
 携帯電話で時刻確認。7時50分。
 この時間に突然の訪問者は現れることは稀にあるが、今日ばかりはそれとは違うように思える。
 おそらく、玄関のチャイムを押したのは葉月さんだ。
 来るのが早過ぎるぜ、葉月さん。通話が終了してから10分も経っていないじゃないか。
 葉月さんの家は、この家のすぐ近くなのか?
 いや、電話をかけてきたとき、すでにこの家へ向かっていたのであろう。だからこんなに早く来られたんだ。
 葉月さんが我が家の玄関まで来てしまった以上、出迎えに行かない、というわけにはいくまい。
 おお、そうだ。俺が出て葉月さんに帰ってくれるよう頼めばいいじゃないか。電話をする手間が省けた。

 部屋を出て、玄関へと向かう途中のことである。2人分の話し声が聞こえた。
「弟君、おはよう」
「おはようございます、葉月先輩。今日は、やっぱり……」
「うん。昨日のことをちゃんと聞こうと思ってきちゃった」
「わかりました。じゃあ早速中へどうぞ」
 足音が玄関の方向から伝わってきた。即座に自室へ引き返す。
 しばらく待っていると2人分の足音は部屋の前を通り過ぎ、リビングへと向かった。
 危なかった。別に弟と葉月さんに会って危ないということではないが、つい逃げてしまった。
 昨日、あんなかたちでふってしまったから、葉月さんと顔を合わせたくなかった。だからつい逃げてしまった。
 チキン。ヘタレ。臆病者。なんとでも罵れ、自分。俺はこんなやつなのだから。



473 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 11:52:37 ID:3EWtNrIn
 部屋を出て、廊下からこっそりとリビングの音声を聞く。
「葉月先輩、コーヒーでいいですか?」
「うん、ありがと。ねえ、弟君」
「はい?」
「私って、魅力が無いのかなあ……?」
 自信なさげな声であった。
 俺は葉月さんに魅力がない、とは思わないのだが。
「僕はそんなことないと思います。同じクラスの男子も先輩は美人だって言ってますよ」
 この辺の考えは俺と弟は一致しているらしい。というか大概の男なら同じ意見であろう。
「じゃあ、どうしてあんな簡単にふられちゃったんだろ。私嫌われてるのかな、お兄さんに」
 俺が葉月さんをふったということは、弟に伝達済みらしい。
 俺は弟に話していないから、葉月さんから話したのであろう。
「うーん……兄さんは先輩みたいなひと好きそうなんですけどね。
 どうして断ったのか、僕にもよくわからないです」
「そう……」
 弟よ。本当にわからないというのか?
 目の前にいる葉月さんが、お前を強く想っているということが。
 彼女の目をよく見ろ。どこまで鈍感なんだお前という男は。
 いや、鈍感であるから弟は女性にもてているのか?
 むう。こうなったら俺も負けじとニブチン男になってやろうか。
 しかし、如何なる訓練を積めば女性の好意に気づきにくくなれるのであろう。
 うむむ……思いつかん。やはり鈍感というのは天賦の才なのか?

「ねえ、弟君。お兄さんは今どこ?」
 ぎくり。
「部屋にいますよ。先輩が来ても出てこないってことは、寝てるんじゃないんですか。
 昨日は徹夜してたみたいだから。見に行きます?」
 見に行く?まるで動物園にいるシカを見物しにいくような調子ではないか、弟よ。
 それに出てこないのは寝ているからではなく、葉月さんと顔を合わせたくないからだぞ。
 交際を断った昨日の今日で正面から話せるわけがないだろう。そのへんの事情を察して発言しろ。
「うん……でも、私……もしかしたら嫌われてるかも。だから会ってくれないんじゃ……」
「大丈夫ですって。兄さんも一晩過ぎて先輩と付き合わなかったことを後悔してる頃ですよ。
 もう1回告白すれば、きっとオーケーしてくれます」
 このアホ弟!なぜ葉月さんの好意に気づかない!
 葉月さんが俺に告白してきたのは、お前に近づくためなんだぞ!
 本気で好きじゃない男に告白してまでお前に近づきたいと思っているんだ!
 彼女はそこまで思い詰めているんだぞ!
「うん……わかった。もう1回言ってみる。このコーヒー飲み終わったら行くよ」
 ええい、葉月さんも葉月さんだ。
 なぜ二人っきりのシチュエーションだというのに甘い空気へ持っていかない。
 恋の勝負はチャンスを逃せばそれでおしまいなんだぞ。いや、よくわからないけど、たぶんそう。

 ちい。このままでは葉月さんと顔を合わせることになってしまう。
 そうなったら、昨日なぜ告白を断ったのか問い質されてしまう。
 それに対して洗いざらい吐いてしまうという手段もあるが、できればそれはしたくない。
 いくら葉月さんが嘘をついているとはいえ、当人の前で嘘を暴いてしまったら傷つくだろう。
 早く家から出よう。葉月さんから逃げるんだ。
 目に涙を溜めた儚い表情の葉月さんから告白されて、また断れるかはわからない。
 ふとした弾みで頷いてしまうかもしれない。
 それだけはしたくない。また後になってふられてしまって、苦い思いを味わいたくはない。
 前の彼女みたいに、葉月さんを心の底から嫌いになりたくない。



474 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 11:55:58 ID:3EWtNrIn
 立ち聞きしていた場所から玄関へ向けて一歩踏み出したそのときである。
 カチャ、という丁寧な音が聞こえた。リビングのドアが開く音に似ていた。
 似ているということはつまり本物の音である可能性もあるわけで。
 もし今の音がリビングのドアが開く音であると仮定した場合、後ろには葉月さんがいる、ということになる。
 逃げ遅れてしまった。
 ああ、何を言われるのであろう。もしかしたらあの手紙での告白以上に熱烈であり、しかし嘘である告白を
してくれるのであろうか。
 いやそれとも、葉月さんが言いそうにない罵詈雑言をたっぷりぶつけてきてくれるのであろうか。
 不意に、家の前の道路を自動車の走行音が通り過ぎた。そして、排気音の響きが止んだころである。

「誰よ! あんた!」
 いきなり妹の怒声が背後からすっ飛んできた。
 脳に残っていた朝特有の爽快な気持ちの残滓が、今ので全て吹き飛んだ。
 振り返ると、確かにリビングのドアは開いていた。しかし葉月さんはそこにはいなかった。
 代わりに、妹の後姿が廊下へ少しだけはみ出していた。妹はリビングへ向けて怒鳴っていた。
「なんで朝から人の家に上がりこんでいるの!」
 弟と葉月さんが一緒に居る光景を妹が見たらまずい空気になるだろうとは思っていた。
 だが、妹の調子は最初から怒りの方向へまっしぐらであった。いきなり臨戦態勢になっている。
 体を後ろへ方向転換し、リビングへ向かう。
 リビングの入り口から見えたのは、まず妹のセミロングの黒髪であった。
 その奥に、致命的な失敗をしましたと物語っている表情の弟と、きょとんとしながらコーヒーカップを
持ち上げている葉月さんが、一つのテーブルに向き合うように座っていた。
 2人の視線は妹へ固定されている。妹は視線を一身に受けながら叫ぶ。
「答えなさいよ! どういうつもり?!」
「落ち着けって。この人は葉月先輩。兄さんのクラスメイトの人だよ」
 表情を普段のように柔和にした弟が言った。
「先輩……?」
「そうよ。よろしくね、妹さん」
 葉月さんは微笑みながらそう言ったのだが、妹の感情は落ち着いてくれなかった。
「何しにきたの……? もしかして、お兄ちゃんを奪いにきたの?」
「奪う? どういう意味?」
「お兄ちゃんを誑かして、この家から連れ去る気だったんでしょ!」
「誑かす? え?」
「絶対に、お兄ちゃんは渡さない! お兄ちゃんは私とずっと一緒にいるんだから!」
「え……なに、それ」
 葉月さんが困惑している。
 まあ、無理もない。いきなり目の前でブラコン宣言されたのだから。
 しかもそのブラコンっぷりが兄弟愛のレベルを超して、男女の愛であることを匂わせるようなものであったから、
なおのこと葉月さんには理解し難かったろう。



475 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 11:58:18 ID:3EWtNrIn
 葉月さんはようやく俺に気づいたようだった。妹を挟んで、見つめ合う。葉月さんから話しかけてきた。
「ねえ、どういうこと、これ」
「その……見ての通り、妹はこういう人間なわけで」
「もしかして昨日の告白を断ったとき、理由を言えなかったのって、妹さんのせい……?
 妹さんが好きだから、私を拒絶したの?」
 ふむん?妹の話をしていたというのに、なぜ昨日の告白の話になるのであろう。
 それに、俺が妹を好き?好きか嫌いかで言わせれば好きである。ラブではなくライク。
「確かに妹のことは家族として大事に思ってるよ。けどそれと昨日……のことは関係ないよ」
「……嘘。今、返事するまで間があった。ごまかすために、言い訳を探してた」
 それ、言いがかりですから。
 返事に窮しているときは嘘を考えているときである、なんて乱暴すぎる。
 俺が嘘を吐いていないと困ることでもあるのだろうか。
 嘘を吐いているということにすれば、昨日葉月さんをふった理由になるからかもしれない。
 なるほど、それなら今の言いがかりが葉月さんの口から飛び出してもおかしくはない。
 だがその言いがかりは絶対的に真実ではない。
 だって葉月さんは、俺の「妹のことを家族として大事に思っている」という台詞を嘘だと思っているのだ。
 つまり、葉月さんはこう言いたいのだ。
「妹さんが好きなんでしょ? だから昨日、何も言えなかった。そうでしょう?」
 ありがたくも葉月さんが脳内の台詞を代弁してくれた。
 そしてその台詞はとうてい無視できるようなものではない。
「違うよ。俺が昨日あの返事をしたのは…………別の理由があるからなんだ」
「じゃあ、それを教えて」
「言えないんだ、どうしても。ごめん」
「……ほら、やっぱり嘘を吐いてる。バレバレだよ」
 真実を語っているというのにそれを相手が信じない。
 俺が隠し事をしているからそう思われているだけかもしれないが。
「そうなんだ。妹がいいんだ……だから、私をふったんだ……」
 ゆっくりと椅子をひき、葉月さんは立ち上がった。
 葉月さんの目は、今まで俺が目にしたことの無いような――いや、どこかで似たものを見た気もするが
思い出せない、暗い色をたたえていた。

 妹が、俺と葉月さんを結ぶ空間に割り込んできた。
「帰って頂戴。お兄ちゃんは私とずっと一緒にいるの。この家でずっと暮らし続けるの。
 あなたが割り込む隙間なんか、一ミリだってありはしない」
「……あなただったのね。あなたがいるから、彼は私を拒んだんだ。
 あなたの言うことは、少しも聞き入れられないわ。だって、私はあなたのお兄さんを好きなんだもの」
「お兄ちゃんを……?」
「ええ、そうよ。諦めなさい。兄妹が結ばれることなんか、ありはしない。絶対にね」
「そんなことない! だってうちの両親は……」
 ――まずい!
「言うな!」
 叫んだのは弟。タッチの差だった。もし弟が言わなかったら、俺が妹を止めていた。
「そのことは、言っちゃダメだ。家族だけの秘密なんだから」
 妹は弟の言葉には返答せず、ただ頷きだけしてみせた。



476 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 12:00:05 ID:3EWtNrIn
 しかし妹の勢いは少しも静まっていなかった。再度葉月さんに食ってかかる。
「世間では兄妹同士は結婚できないって言うわ。けど、結婚なんかしなくたって一緒には居られる。
 私は、結婚できなくてもいい。ただお兄ちゃんと暮らせればそれでいい。
 だけど、その生活には誰も割り込ませない。特に、あんたみたいな泥棒猫にはね!」
「本気なの? そんな馬鹿げた考えが世の中で通用すると思っているの?
 きっと、あなたの両親も親戚もあなたの考えを認めないわ。2人別々の道を歩かせようとする。
 そんなとき、あなたは立ち向かえるの? 悪いことは言わないわ。よしておきなさい。
 お兄さんへの感情なんか、所詮兄弟愛を超えるものになりはしないんだから」
「あんたに何がわかるのよ! お兄ちゃんのことなんか、何一つ知りはしないくせに!」
「そうね。まだ少しだけしか知らないけど、私は全てを受け入れるつもりでいるわ。
 そして、妹であるあなた以上に彼のことを理解してあげられる。私なら、それができる。
 お兄さんの幸せを願うなら、お兄さんの一生を壊したくないのなら――諦めなさい」
 葉月さんは、まったく妹の考えを認めていなかった。
 兄妹の恋愛など、絶対に成立しない。むしろ、相手のことを思うならば諦めるべきだと、そう語っていた。
 葉月さんの言葉は俺に直接向けられたわけではないが、どれだけ妹にとって残酷な台詞だっただろうか。
 両親が兄妹同士でありながら結ばれたのと同じように、自分と兄も一緒になれると思っていた妹。
 きっと妹は、正面から自分の考えを否定されたことなどなかったろう。
 両親は我が身を省みては何も言えなかったはずだ。俺は妹に説教したことはない。
 おそらく、弟も何も言っていない。弟は妹に優しいから。否、誰に対しても優しいから。
 だから、初めて妹に説教した葉月さんに対して、妹が反発するのは当然のことであった。

「この……! あんたなんかに、お兄ちゃんを幸せにできるはずがない!
 どうせ誰にでもそんなこと言ってるんでしょ! 美人はいいわね、男に不自由しなくって!」
「私、誰とも付き合ったことなんかないわよ? おまけに言うと、あなたのお兄さんに会うまで、
 誰かを好きになったことすらなかったもの」
 そうだったのか? 葉月さんの初恋は弟だった?
 なんて果報者なんだ、弟よ。できたら俺と代わってくれ。妹はお前に譲るから。
「嘘! 嘘よ! あんたなんか、あんたなんか……」
「私なんか、何?」
「あんたなんか……死んじゃえ! お兄ちゃんの前から、消えてしまえ!」
 突然妹が葉月さんへ向かって駆けた。後ろにいた俺は止めることさえできなかった。弟も同様であった。
 ただ、妹が葉月さんに両手を伸ばし――突然宙を舞い、床に叩きつけられるのを見ているだけだった。
「がっ! ……あっ…………ぐ、ごほっ、ごほっ!」
 ずだん! という音と共にフローリングの床の上に背中から着地した妹が、激しく咳き込んだ。
 妹の位置は、葉月さんの斜め後ろ。着地地点には何も置かれていなかったことが幸いだった。
 何が起こったのかは理解できた。葉月さんが妹を投げたのだ。
 細かくは見られなかったが、一瞬で妹の体が頭上まで浮いたシーンは目に焼き付いている。
 その際に妹のスカートの中身も見えた。青と白のしましまであった。だがそんなことはどうでもいい。
「葉月先輩、いきなり何を!」
 妹の背中をさすりながら、弟が言った。
「いきなり襲いかかってきたんだもの。正当防衛よ」
「だからって、いきなりこんな!」
「聞き分けのない子供には、誰かがしつけをしてあげないと。それがその子のためよ」

 弟と妹を見下ろしていた葉月さんの視線が、俺へと向けられた。
 たじろがず、正面から見つめ返す。ここで引くことはできない。
 ――あれ、なんで俺はそんなことを思うんだ?
 理由は、思い出せない。兄として妹を守らなくては、という意識のせいであろうか。
 ただ、どうしても弱気にならない。葉月さんのナイフのような目が俺に向けられていて怖いと思っているくせに、
体だけは恐怖を覚えない。
 今なら、包丁が正面から飛んできても突っ込めそうだ。体が心を鼓舞してくれている。



477 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 12:01:42 ID:3EWtNrIn
 くすり、と葉月さんが笑った。
 おかしいから笑ったのか、嬉しくて笑ったのかはわからない。
「見た? あなたの妹さん。おとなしそうな外見とは違って凶暴なのね」
「……そうだね」
「実は私の実家、道場を開いててね。ときどき練習にお邪魔させてもらっているの。
 だから、さっきみたいに襲いかかられるとつい体が反応してしまうのよ」
「なるほどね」
 昨日、屋上で俺を地面に組み伏せることができたのは武道の心得があったからなのか。
 ぱっと見ただけではそういうことをしている人には見えないが、美人には謎が多い方がいい、
とか誰かが言っていたから、葉月さんに意外な一面があってよかったと思うとしよう。
 しかしそんなことを聞いても、この場では緊張の種にしかならない。
 いったいどれほどの実力者なのか、話を聞いただけでは推測できなかった。
 理想としては初心者レベルであって欲しいが、一瞬で妹の体を投げ飛ばす人が軽く武道をかじっただけなら
師範クラスの人はどこまで化け物なのかわからなくなり空恐ろしいので、葉月さんは中堅クラスとお見受けする。
 まあ、武道を習っている時点で脅威であることに代わりはないか。

 俺がそんなことを考えているうちに、葉月さんは妹に向き直っていた。
「妹さん。お兄さんのこと、諦める気になった?」
 いいえ、と答えることを許さない口調である。
 妹は咳を吐き出していた胸を鎮め終わったところだった。
 床に手を着きながら立ち上がる。が、体をぐらつかせて弟に支えられた。
 それでも、葉月さんに敵意を向けることだけは忘れない。
「誰が諦めるか……。お兄ちゃんは、私の、ものよ」
「まだそんな口を叩けるのね。本当はやっちゃいけない投げ方で投げたのに。
 なんなら、もう1回いっとく?」
「やれるもんなら、やってみなさいよ……。近づいた瞬間、あんた喉笛を噛み切ってやる。
 投げようとしたら、その時に肘をへし折ってやるから」
 実に勇ましい台詞ではあったが、それが強がりであることは俺にもわかる。
 おそらく葉月さんもそれを理解している。
 妹の執念は、蛮勇をもってしてどうにか支えられている状態であった。
「そう。じゃあ、涙と鼻水を流しながらごめんなさいするまで、痛めつけてあげましょうか」
 葉月さんが一歩踏み出す。妹は歯ぎしりをさせつつ、葉月さんをきつく睨む。
 その雰囲気に危険を感じた俺よりもいち早く、弟が妹をかばうように抱きしめた。
「やめてください、先輩」
「どきなさい、弟くん」
「嫌です」
「どうしても?」
「絶対に、絶対に嫌です。先輩が何をしようと、どきませんから」
「そんなふうに妹さんをかばうから、わがままな妹さんになってしまったとは思わない?」
「僕は、先輩が何を言っても絶対にどきません」
 弟はすでに葉月さんも妹も見ていない。ただ目を閉じて妹を抱きしめていた。
 そして、抱きしめながら言う。

「先輩、『妹をいじめないで。いじめないでください』」

 2つの写真を用いた間違い探し。それの正解を見つけたときの閃きに似た、既視感が脳をよぎった。
 同時に、悲しくなり、寂しくなる。
 叫びたくなった。けれどそれが喉にある堤防のようなもので止められ、やはり叫べない。声も出せない。
 恐怖だった。俺は恐怖を思い出していた。弟の言葉が引き金になって。
 『妹をいじめないで』。妹をいじめないで。ただこれだけで、どうしてここまで心が揺れ動く?
 何かが思い出せそう――なんだけど、何かの影しか浮かんでこない。何かの正体が掴めない。
 探れば探るほど、影は薄くなっていく。そして――あっというまに見えなくなった。



478 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 12:03:52 ID:3EWtNrIn
 夢想から覚めた時、目の前には以前と同じ光景がまだ残っていた。
 葉月さんと妹はにらみ合っていた。弟は妹の体を横から抱きしめていた。
 妹が葉月さんへ飛びかからないように、また同時に葉月さんが妹に手を出せないように、抱き留めていた。
「いじめるだなんて。別にそんなつもりはないんだけど。ただ妹さんに考えを改めてほしいだけなのに」
「けど、そのためなら先輩は妹をいじめるんでしょう? 同じことです」
「強情ね。その妹を守ろうとする姿勢はいいのだけれど、そのせいで自分の身が危険にさらされている、
 ってことわかってる?」
「……もちろんです」
「それでもどくつもりはない、ってわけ。いいわ。だったら、君も……」
 君も?弟も妹と同じ目に合わせるつもりか?
 どうしてだ。どうして、葉月さんは自分の好きな男に対しても憎悪を向けるんだ?
 もしや、妹への憎悪で我を忘れているのか?

 こんなことはやめてほしかった。ここが俺の家であるという要素を抜きにしても、骨が軋み皮膚が
裂かれてしまうような争いは、葉月さんにも妹にもしてほしくない。
 2人ともただ弟が好きなだけで、その気持ちは似通っているはずなのに、ぶつかり合ってしまう。
 似たもの同士であるはずなのに、磁石のSとNが弾かれるように、太極の陰と陽が交わらないように、
葉月さんと妹はわかり合おうとしない。
 諍いが、どちらか一方が弟からの恋や愛を独占するためのものであることなどわかっている。
 決着が、どちらかが諦めるまではつかないということもわかっている。
 また、どちらも決して諦めないということも。
 この場にいる俺はなにもせず、終わる目処の立たない争いをじっと見ているつもりか?
 俺は何のためにここにいる?俺がここでできることは何もないのか?
 そんなことはないだろう。この3人にはできない、何かが俺にはできる。
 3人とは違うからこそ、成せないこともあれば成せることもある。
 母性本能をくすぐると女子生徒の間で評判の弟にも、可愛い顔をしながら弟以外の男に興味を持たない
妹にも、クラス一の美少女でありながら意外と怖い葉月さんにも、できないことがある。
 そうとも。この修羅場を鎮めることができるのは、俺だけしかいないんだ。

「葉月さん」
 呼びかける。葉月さんが端正な横顔を向け、目線を流してきた。
「ごめんね。ちょっとだけ待ってて。妹さんをすぐにしつけの行き届いた犬みたいに従順にしてあげるから」
 微笑みを見せながら、葉月さんが言った。
 その笑顔も、俺が立ち向かわなければならないものであると、自分に言い聞かせた。
「妹にも、弟にも手を出さないでくれ。いや、出させない」
「え? 何、言ってるの?」
「目の前で、妹が痛めつけられるのはもう見たくない。だから」
 葉月さんの白い右腕を掴む。思っていたよりもずっと、彼女の手首は細かった。
「悪いけど、今日は帰ってくれ。葉月さん」
 きっぱりと告げて、その場できびすを返して葉月さんの腕を引く。
 突然、足裏が床を滑った。床がベルトコンベアになっているみたいに、後ろへ無理矢理動かされた。
 体は壁に叩きつけられてからようやく止まり、短いうめき声を吐き出した。
 今のが葉月さんの仕掛けた技だとは理解していた。
 彼女の手首を握った瞬間から、こうなることは覚悟していたからだ。 
 だから、まだ俺の手は葉月さんの手首と繋がったままだった。
「妹さんを庇うの? そんなに、妹さんが大事?」
 平らにした目で葉月さんが見下ろしてくる。
 返事の代わりに、腕を引っ張って意志を伝える。妹は大事にしたい人だよ、葉月さん。
 それが不快だったのか、それとも最初からこのつもりでいたのか、葉月さんは俺を持ち上げた。
 いや、俺の感覚からすると持ち上げられたというよりも、自分の超能力で浮いたと言った方がふさわしい。
 もちろん俺に超能力など無いが、もしあったとしての話。
 浮遊の後は、重力に逆らうことなく、今回はテーブルの上に落っこちた。
 頭のすぐ横で猫の絵が描かれたカップが倒れて、中身をテーブルにぶちまけた。
 コーヒーは熱を持っていなかったが、頬をべったりと濡らして俺を不快にさせた。



479 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 12:07:41 ID:3EWtNrIn
 強制的な宙返り運動の余韻に苛まれながらも、俺はまだ葉月さんの手を離していなかった。
 この手を離したら終わりだという意識が働いていたからだろう。
「離してよ! 離してったら!」
 葉月さんが俺の手を外そうとしている。だが当然のごとく俺は抗うわけであり、簡単に事は運ばない。
 右に目を向けると、揃いも揃って目を大きくした弟と妹の姿があった。
 なんだかおかしかったので、やあ、とでも挨拶したい気分になったが忙しかったのでやめた。
 唐突に浮遊感が襲来した。俺の体はテーブルからテイク・オフ。
 今回はひと味違い、回転運動が加わっていた。葉月さんを中心にして、リビングの宙を舞う。
 テレビ、ソファー、窓ガラス越しの朝の風景、顔面蒼白の弟、いつもと違う眼差しで見つめてくる妹、
無人の整頓されたキッチン、リビングのドア。
 あらゆるものがカラフルな線へと変容し、俺の目の前を通り過ぎていく。否、俺が通り過ぎているのか。
 空中回転木馬によるフライトは、固いものに体がぶつかってようやくの終焉を見た。
 意識が千々に乱れていて、自分が衝突した場所を理解するまで手間取った。
 俺は右にある茶色の壁にもたれていた。よし、生きてるな。
 続いて平衡感覚と視界を再構成する。
 あれ――おかしい。葉月さんと弟と妹、さらにあらゆる景色までが右側の壁に垂直に立っている。
 これだけの短時間に地球の重力は歪んでしまったのか?ではなぜ俺だけが正常なんだ?
 いや、待て。もしかして……。
 目を閉じる。スリーカウント。ワン、ツー、スリー。目を開ける。
 ……ああ、さっき見たのは間違いだった。周りがおかしいんじゃなかった。
 俺が床に倒れていたから、景色が90度回転して見えたのだ。

 体が重い。床に引っ張られているような感じだ。
 努力して上半身はどうにか起こせたが、膝が笑っていて立つことができない。
 すでに俺は葉月さんの腕を離していた。俺と彼女の間には1メートル強の距離がある。
 葉月さんが妹に手を出していたら、とても止められない距離であった。
 だが、葉月さんは視線を俺へと向けることに集中していた。
 弟と妹も俺を注視していた。俺は唇だけで小さな笑いを作る。
 手近にあった壁を支えにして立ち上がり、再度葉月さんと対面する。
「気が済んだ? 葉月さん」
「なんで……なんでそこまでして、必死に庇うのよ」
 葉月さんが悔しげな顔で俯いた。ロングヘアーも地面へ向けて垂れる。
「そんなに妹さんが好きなの? 私の告白は断ったのに! 未練なんかこれっぽっちも見せなかったのに!」
 叫び声が肌を襲う。皮膚の表面の毛を軒並み震わせる。そんな錯覚までした。
 俺の腹の虫が機嫌を損ね始めた。どうして今さら、この人は。
「妹さんを見なさいよ! あなたがこんなになっても、どれだけ必死になっても庇ってくれない! 動こうとしない!
 私はあなたのためならなんでもする気なのに、それでも絶対に拒絶するの?!
 妹が好きなら、はっきりそう言えばいいじゃない! 私なんか嫌いだって、そう言えばいいじゃない!」
 そっちこそ、本音で語ってくれないくせに。
 ――もういいや。吼えよう。全部吐き出そう。

「葉月さんが本当は俺のことなんか好きじゃないって、俺にはわかってるんだよ!」
 自分の声で耳鳴りがした。それでも口はいくらでも働いてくれる。
「俺のことなんか少しも興味なんか無いんだろ? だからいつも話をするとき、弟のことしか聞いてこなかったんだろ!
 葉月さんが弟のことが好きだってとっくに俺は知ってるんだよ!」
 葉月さんの顔に驚きが見えた。思惑を言い当てられたんだから当然だ。
 しかし、弟も同様に表情を変化させたのはなぜなのであろう。
 まあいい。今は葉月さんだ。
「俺と嘘の付き合いをして、弟と仲良くなろうとしてたことなんてバレバレなんだよ!
 もう昔みたいな経験をするのはたくさんだ! 好きになってくれないって知っているのに、
 付き合おうなんて言えるもんか! 葉月さんこそ本気になれよ! 真剣になれよ!
 勇気を出して、弟に正面から告白すればいいじゃないか!」
 震える腕を奮い立たせ、びしっ、と葉月さんの顔を指さす。
 ああ恥ずかしい。思ってたこと全部吐いてしまった。
 もう頭の中がからっぽだ。言いたいことなんか一つもねえ。おかげですっきりしたけど。



480 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 12:10:10 ID:3EWtNrIn
 腕を下ろす。果たして飛んでくるのは葉月さんの怒声か、鉄拳か。
 何にしても、もうガス欠である。敗北必至。四面楚歌。
 しかし、身構えていても何も起こらない。
 変だ。俺の口撃から10秒は過ぎている。なのに反撃がこない。
 葉月さんはまるで未知の数式に相対したかのような微妙な表情で俺を見ていた。弟もである。
「あの……………………兄さん」
 なぜ弟が口を開く。
「なんだ、弟。しばらく大人しくするか、逃げるかしてくれ」
「言いたいことがあるんだけど、言ってもいいかな。結構大事なことなんだけど」
 この場で発言しなければならない事項が弟にあるとは思えないのだが。
「いいぞ。言ってみろ」
「うん、あのね、兄さん」
 いつの間にか、葉月さんと弟が微笑み顔を浮かべていた。
 なんだ?この学園ドラマでよく見る喧嘩の和解シーンのような空気。
 妹は困惑顔のままである。たぶん俺も同じであろう。笑っている2人の思考が読めないから当たり前である。
 葉月さんと弟は一度顔を見合わせて笑い合うと、俺を見た。
 二人揃って、先ほど俺がしたように人差し指を突きつけてくる。そして、口を開く。

「勘違いしてる」

*****

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
 俺は謝っていた。後で見たら可哀想になるぐらいかしこまりながら土下座をしていた。
 もはや土下座組にでも入った心意気であった。上手に謝らなければタマをとられる。
 謝罪の意志を向ける対象は葉月さんである。
「勝手に勘違いしてごめんなさい。ひどいこと言っちゃってごめんなさい」
「い、いいよ、もう。そんなに謝られても困るし……私にも悪いところあったと思うし。
 紛らわしいことしちゃって、ごめん」
 俺と葉月さんがいるのは、家の玄関である。
 そこで俺は平身低頭、必死に頭を下げているのであった。
「本当にごめん。俺、昔っからこうで。告白とかされると、疑いから入ってしまうんだ」
「もういいって言ってるのに……。でもよかった。私のことが嫌いなのかとか、
 他に好きな女の子がいるのかとか考えちゃってたから。よく考えたら、妹に恋するわけないよね」
 あはは、と葉月さんが恥ずかしそうに笑った。俺は父親とかを思い浮かべつつも、笑顔を見せた。

 さっきの一件は、俺の勘違いが原因で起こったのである。
 事は、俺が『葉月さんは弟が好きである』と勘違いして告白を断ったことからまず始まる。
 ふられた原因を確かめようとこの家にやってきた葉月さんは、弟と会話しているシーンを妹に目撃された。
 兄(弟の方)ラブの妹は、葉月さんが兄を奪う泥棒猫であると勘違いした。
 妹にとっての『お兄ちゃん』(俺はお兄さんと呼ばれている)が俺のことであると勘違いした葉月さんは、
妹が邪魔者であると勘違い。掴みかかってきた妹を投げ飛ばした。
 そこへ、頭がパーになっていないとやらないような勘違いをした俺が乱入し、リビングは戦場になった。
 というわけである。
 発端は俺、終末も俺。何やってんだ俺。
 ああ、あと十回くらい投げられた方がいいかも。そしたら頭が正常に戻るかもしれないし。
 今度葉月さんの道場を覗きに行こうか。うん、星座占いで一位だったらお邪魔しに行こう。



481 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 12:12:40 ID:3EWtNrIn
*****

 今の私は、嬉しさと恥ずかしさで泣きそうな気分だ。
 だって、彼に恋人がいないという確信が得られた代わりに、3回も投げてしまったのだから。
 目の前で彼が正座しながらまた謝ろうとしてくるのを、私は肩を掴んで止める。
「謝らせてくれ、葉月さん。俺みたいな人を信じられない奴は、こうしなきゃならないんだ」
「あの、あんまり謝られても困るから、その……この辺りでやめてほしいな、私」
「ああ! ごめん。また俺は勘違いを……」
 らちがあかない。こうなったら、強引に話題を変えてしまおう。
「あのさ、告白の返事。まだちゃんとした返事してもらってないかなー、なんて思うんだけど」
 恥ずかしいなあ。昨日屋上で向かい合ったときよりずっと恥ずかしいよ。
 どうしよう。顔、紅くなってないよね?
「返事、もらえないかな。ここで」
 ――言っちゃった。また言っちゃった。
 ああどうしよう。今すぐに答えを求めなくてもいいのに。
 彼に性急な女だと思われないかな?
 彼は頭を掻きながらうー、とか、あー、とか呻いている。
 わかる。彼は今、真剣に私の告白について悩んでくれている。
 彼が私のことだけ考えてくれてる。
 もしかしたら、私とデートするシミュレーションを頭の中で考えたりしてる?
 喫茶店に行ったり映画館に行ったり海に行ったりするところとか。キ……キスするシーンとか。
 いやもしかして、それより先に……ああ、でもそれはまだ早いよ……でも、あなたとなら……。

「――――きさん? 葉月さん?」
「えっ、あっ?!」
「大丈夫? 具合でも悪い?」
「ううん! 平気平気。私健康と頑丈さだけが取り柄みたいなものだから!」
 ちょっとトリップしてたみたい。唇を指で撫でる。よかった、よだれは垂れてない。
 彼が私の目を見据えている。自然と私の体は金縛りにあったみたいに固くなる。
「告白の返事なんだけど」
「う、うん……」
 ああ、何を言われるんだろ。――ううん。断られたっていい。
 彼には何遍だってアタックしてみせる。
 何度投げられたって意志を曲げなかった彼に、私はさらに惚れ込んでいるのだから。
 彼が、躊躇いがちに口を開く。
「オーケーとは、言えない。ごめん」
 ああ、やっぱりか。覚悟はしていたけど、はっきりと言われるとやっぱり辛いなあ。
 仕方ないよね。さっきあんなに投げちゃったんだから。嫌いって言われないだけマシだよ。
 私が肩を落としていると、また彼はしゃべり出した。
「俺さ、女の人と付き合う時は自分から告白しようって決めてたんだよね。昔変な経験したから」
「?」
「だから、女の人から告白では、付き合わないつもりなんだ。こんなの聞いたら男は怒るだろうけど、
 どうしようもないんだ。体がどうしても受け入れてくれない。それでね、じゃなく、けれども……俺は」
 彼の顔が紅くなっている。初めて見た。うわ、なんだか可愛い。
「もう少し葉月さんと仲良くなりたい。前からそう思ってた。俺、葉月さんのことろくに知らないから。
 つまりどうしたいかというと、あのですね」
 彼が白い携帯電話を取り出した。私のと同じ電話会社のだ。嬉しい。
「携帯電話の番号とメールアドレスを教えてください」
 ――要するに、彼は、いつでも私の声を聞きたいと。
 ――どんなときでも私からの連絡をお待ちしていますと。そういうことですね?そう受け取っていいんですね?
 そして、自分から告白したいというさっきの台詞は、いずれ私に告白してくれると。そういうことですね?
「いいかな? 葉月さん」
 好き好き大好き愛してるアドレスだけじゃなくってスリーサイズもカップも敏感なところも全部教えてあげますよ、
とは言わない。実はすでにあなたに朝電話をかけたのは私です、とも言わない。ただ、私は頷いた。
 こみ上げてくる気持ちを涙に変えないよう、じっくりと噛みしめながら。



482 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/10/16(火) 12:15:20 ID:3EWtNrIn
*****

 ごめんクラスの皆、すまない後輩諸君、許してください先輩方。俺はヘタレです。
 みんなの憧れ、葉月さんからの告白を断ってしまいました。身勝手な理由で。
 さらに、葉月さんの好意を利用して携帯電話の番号とアドレスを聞き出してしまいました。
 彼女の気持ちが俺にまだ残っていることを察していながら、そんなことをしたんです。
 いくらでも罵ってください。俺は美人の葉月さんとのつながりをこれっきりにしたくなかったんです。
 浅ましい人間なんです。下劣な下半身が主の人間なんです。そして低脳の勘違い人間でもあるんです。
 でも俺は後悔していません。それだけは事実です。

 さて。まだまだ足りない気もするが、内省はこれぐらいにしておくとしよう。
 葉月さんが帰ってからリビングへ移動すると、床に散らばった小物を拾い集めている弟の姿があった。
 妹はキッチンへ移動して、フライパンをガスコンロの火で炙っていた。朝食でも作っているのであろう。
 弟の手伝いをすべく、床に落ちた割れたコップの破片を拾い集める。
 左手に乗せた破片が、突然弟の手によって取り上げられた。
「何をする。弟よ」
「兄さんは座ってて。僕がやるよ」
「何を言う。さっきの喧嘩は俺のせいで起こったようなもんだ。俺がやるのが当然。
 お前こそ椅子に座って朝食を食べてろ」
 ふう、と弟はため息を吐いた。続いて目をつぶりながらかぶりを振る。
「なんだ、その呆れたことをあらわすようなジェスチャーは」
「兄さんはどれだけ立派なことをしたか、自覚がないんだね」
「立派なんて言葉、俺には十年早い」
 ヘタレだもん。
「そんなことないよ。昔みたいに、僕と妹を庇ってくれた」
「庇ったって……結果的にはそうなるけど、そりゃ普通のことだろ」
 昔っからああするのが当然だったんだ。今さら感謝されるほどのことでもない。
 ――ん、昔?
「なあ、昔お前か妹がいじめられてたことなんかあったか? 記憶にないんだけど」
「やっぱり忘れてるんだ。兄さんは」
 兄さん『は』ってなんだ。俺が馬鹿みたいじゃ――はい、脳みそツルツルピカピカでした。ごめんなさい。
 しかし、弟にしては珍しく思わせぶりな口調だな。
「お前、何か俺に隠し事してないか?」
 弟は首を振る。
「兄さんも知っているはずのことだから、あえて言わないだけだよ」
 ふむん?俺は既知のはずである、と?
 思考の海へボートで出て、オールで漕ぐ。――だめだ。いくら漕いでも目的地にたどり着けない。
 靄がかかっているし、海面から岩が突き出しているから体力ゲージがあっという間に尽きてしまった。
「思い出せなければそれでもいいと思うよ。僕だって、本当は忘れたいんだから」
 くそう。弟のくせに生意気な。もう勉強を教えてやらんぞ。
 本当は忘れたい、ね。俺は何かを忘れているんだろうか。そして、それは思い出せない方がいいものなのか。
 忘れたいと願い、記憶の奥底へ封じ込め、たぐり寄せる糸も、たどりつくために使う磁針も投げ捨てたのか。
 きっとそうなんだろうな。俺は昔から、嫌なこととかすぐに忘れたいと望む男だから。
 それでいいのだ。

 コップの破片を捨てたあと、俺は朝食を摂ることにした。
 朝食は、奇跡でも起こったか投げられたせいで頭でも打ったのか、殊勝にも妹がフレンチトーストを作ってくれた。
 はっきり言おう。妹はなんにでも砂糖や塩を使いすぎである。
 だが、美味かった。それだけは事実である。