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333 名前:たった三人のディストピア ◆JkXU0aP5a2[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 18:15:50 ID:RpFkDG2A [2/5]

 高校までの道のりはいつも億劫だ。ぼけっとした頭のまま、今日はどんな日程だったかなと思考している。
 でもそれは霞がかったように思い出せなくてそこで思考の波は途切れる。別に学校で見ればいいし、確認したかって面倒な科目が無くなるわけでもない。
 はあとため息を付けば俺は蒼一色の空へと眼をやったりする。
 こんなことやってもこの気だるさは取れそうにないけれど、でも憂鬱そうにアスファルトの路面を見ているよりはマシだった。
 普段は心穏やかになりそうである綿飴のような白雲の層も、今はこっちを嘲笑っているようにしか見えなかった。
 どことなく厳しく、清涼な風が頬を打つ。ぶるりと頭を振れば俺はそんな風景に対する抗議のように双眸を瞑った。
 自動車が来るなら音で分かるし、なにせちょっとの間だ。ぶつかるなんてことはないと思う。たぶん。
 ああ、視界が真っ黒だ。なんにも考えないで済みそうな暗闇にほっとして、少しだけ気持ちが楽になる。小さな反抗に酔いながら、ほら、ぶつかってこいやとでも心中で叫べば、背後からこの澄み渡る朝空にお似合いの、よく届く声が響き渡った。

「危ない! 眼を開けろ」

 誰だっけかと剣呑な声色を寝起きのぼけっとした頭のデータベースで探っている間に、不意に俺は背後へと強く引っ張られる。
 ワイシャツの衿で首が締まった。驚きと抗議の声をあげる間に、俺は背後へと数歩後ずさる。眼を開け、こんな乱暴なことをしたのは誰だと振り向いた。

「……薫?」
「やあ。僕だよ」

 そこには幼馴染の友人が立っていて、彼女は腕を組むとあきれ果てたとばかりに肩を落とす。彼女は首を振って前を見ろと指図すれば俺も前を見る。
 と、視界に映ったのは一本の大樹――ならぬ電柱である。
 薄汚れたピンクチラシだのが張られた下に、茶褐色のこんもりと盛られた物体があった。グロテスクな形状のそれは熟成された刺激臭を放っているように思えた。

「登校中は眼を開けたほうがいいね。ぶつかった上にそんなもの踏みたくないだろ」
「あ、危なかった」

 俺が大げさに眼を見張っているとなりで、薫はそんなことを言う。
 彼女は腕を組むのを止めると背後で一つに括った長く、艶やかな黒髪を弄びながら俺の左手を掴んだ。

「とにかく。またあんな馬鹿なことをしないように一緒に付いていく」
「も、もうしないよ。安心してくれて大丈夫だ」
「君はそんなこと言って、また同じことを繰り返すんだからね」

 問答無用とばかりに俺の左手を引くと彼女は俺を引きずるようにして進んでいく。
 とりあえず手を繋ぐのは恥ずかしかったし、色々と拙い状況でもあった。俺は小声で言う。

「ちょっと待て、薫。やばいって」
「何が? 君が顔面に痣を作って靴の後ろに犬の排泄物をくっ付けることよりも危険なことかい」
「い、いやさ。その、第一俺が恥ずかしいし、それに……」

 それに、俺なんかとそんなことをしている姿を見られたら彼女に迷惑がかかる。
 薫は確かに幼馴染だが、学校でのヒエラルキーは俺よりもずいぶんと高いのだ。基本的に人当たりも良いし、容姿も相当なもの。
 となれば取り巻きも少なからずいるわけで。

334 名前:たった三人のディストピア ◆JkXU0aP5a2[sage] 投稿日:2013/01/23(水) 18:17:04 ID:RpFkDG2A [3/5]

「ふーん。見られたら俺に迷惑がかかるーとでも言いたいわけ?」
「そ、そうだよ。だから手を」
「違うね」

 手を離してもらえると、ほっとしたのつかの間。彼女は俺を見た。その中性的な容姿に冷笑がこびりついていた。俺は一瞬で顔を俯かせる。冷や汗が額に滲んだ。

「君はさ。自分が可愛いだけなんだよ。僕の取り巻きに陰口叩かれるのが怖いんだろ。いつも君はそんな感じだね。嘘吐きくん」
「……ごめん」
「そんな顔をしないでよ。君がそういう人間だって言うのは分かってるから」

 彼女はぐんにゃりと力を失った俺の身体を引き寄せると、軽く抱きしめた。

「――それに、そっちのほうが可愛いしね。守ってあげたくなるなぁ」

 くすくすと彼女は嗤った。鼻孔にふわりと漂うのはいつまでも嗅いでいたくなるような華の香りだった。なんだろう。よく分からない。
 ただ昔からこうして彼女に包まれていると安心した。頭がぽーっとする。

「僕と一緒にいるかぎりは嫌なことから守ってもあげるし、不安なときは道を示してあげる。こうやって抱きしめることだってできるよ? 君が中学校でいじめられていたときも上手く対処してあげたし、小学校で友達を融通もしてあげたよね。あんまり君に構えないお母さんのために進路を作ってあげたりもしたっけ。まあ、君のためなら何でもしてあげる」
「う……あ……」
「ふふ、そんな情けない顔をしないでよ。本当に可愛いんだから」

 彼女は母性を感じさせる顔付きで俺の頬を撫でた。ひどく胸の内が暖かくなる。

「君は本当に甘えん坊だね。普通の女の子は君なんか相手にしてくれないよ。分かってる?」
「……分かってる」
「うん。覚えておいてね。いくら君に親しむ素振りを見せようが、君のことを好きになる女の子なんて一人もいないんだ。みーんな君を内心では気持ち悪いって思ってるんだよ? くすくす。だから気をつけてね。中学校時代はどうなったか、よーく思い出しておかないと。君の好きだった一ノ瀬さんは?」

 思わず顔を背けた。思い出したくない。軽い吐き気がこみ上げてくるのを必死で抑えた。薫はそれが気に入らなかったのか、軽く髪を掴むと顔を無理やりあげさせる。

「こら、質問には答えないと」
「……彼女は、いじめの首謀者だった」
「そうそう。本当に君って女運ないよ。女性不信もさもありなんってところだ。今でも彼女と連絡取ってるんだけどね。君の話題を振ったら途端に」
「やめてくれ!」
「うん。あんまりやりすぎるのも可哀想か」

 そう言うと彼女は静かに微笑みながら俺を離してくれた。すぐに口を手で抑えると必死に逆流する胃液を引っ込めようとする。苦しさのあまりに眼から涙が零れた。

「僕が君のことを守ってあげるから。だから他の女性に近づいたらいけないよ。また辛い思いはしたくないでしょ」

 彼女は繋がれていた手を離すと、ゆっくりと俺の背中をさすった。少しすればだいぶ楽になる。それを見計らって彼女は言った。

「手は許してあげる。さあ、学校まで歩こうか。遅刻扱いは困るからね」
「……うん」

 俺が従順を込めて頷けば、彼女はその凛々しく秀麗な顔を笑みで歪めて。俺は彼女の後ろを忠実な従者のように進み始めた。