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342 名前:たった三人のディストピア ◆JkXU0aP5a2[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 22:17:02 ID:wORmiXJw [2/6]

 昇降口で薫と別れ、俺は自分のクラスへと赴いた。少し気分が悪い。まだ後味の悪さが胸中に残っていた。
 苦虫を噛んだような味が口腔に広がり、脳裏では思い出したくもない記憶が時々、そのグロテスクな顔をのぞかせる。
 今までこんなことは何回もあった。その度に酷い無力感とやるせなさでどうしようもない思いをする。
 重苦しい気持ちを抱えたままで、階段を昇る。
 最近ますます薫に依存していくような気がしていた。
 ネガティブなことばっかりが身の回りで起こり、その度に薫に助けてもらっている。
 昔からそうだったが、昨今は特にそうだった。登校中のあれも俺に対する警告だろう。また同じ失敗なんてするなと。
 本当にどうしようもなかった。
 クラスの扉を開ける。疎らに人がいた。知っている人間に挨拶すると、自分の席にカバンを置き、ため息を付きながら腰を下ろす。
 そのままぼうっとし始めたところで肩を叩かれた。

「やあ。どうしてため息なんか吐いてるんだよ」
「あ、修治か。誰かと思った」
「後ろの席だからね」

 メガネをかけた整った顔立ちの男子。大倫修治。
 彼はこちらを案じるような光を双眸に宿したまま、口では気安く笑ってみせた。
 根は良い奴だし、なによりも勤勉で頭がいい。顔だって悪くないし、どうしてか俺みたいな奴の友達になってくれているんだろうか。
 永遠の謎だった。

「何かあったなら話してみろよ」
「いや、最近疲れてきちゃってさ」
「冬悟はお人好しだからなあ、情緒不安定な時も多いし」
「前者はともかく、後者は止めてくれ。なんか扱いづらい人間っぽいだろ」
「ま、表向きは親しみやすいんだけどさ。実際、付き合ってみると扱いづらいよ。冬悟は」

 ははとメガネの修治は軽い笑みを見せた。俺は眉をしかめると視線をスライドさせる。
 まともに応対なんかしてやるものか。だけどまあ、俺は一皮剥けば嫌な奴なんだろうなあとは思う。

「どうしてさ」
「お前、深い付き合いしないんだもん。浅く広くーって感じ。もっと言えば自分が大事なタイプだ。人から嫌な奴と思われたくない、いざという時は束縛されたくないっていう」
「おい、頼むからそれ以上言うなよ。朝っぱらから本当に鬱気味になりそう」

 顔を両手で押さえてうーうー言い始めると、修治はけらけらと白い歯をこぼした。

「まあ、でもな。俺はそんなこと気にしないから」
「なんでこんな性格なんだろうなあ」
「知らないよ。ずっと薫さんみたいな良い人と一緒にいるからだろ。楽が去って苦が来たんだ」
「あれ、お前に話したっけ?」
「三ヶ月くらい前に。他の連中には言ってないから気にするな」

 修治はそんなことをいって親指を立てた。顔が良いとこんなのまでサマになるから憎たらしくてたまらない。
 疼いてきた劣等感を冗談交じりの苦笑に込めた。

「ならいいか。そういえば、どうしてか薫とは小中高一緒なんだよね」
「いいよなあ。幼なじみって奴かい?」
「たぶん、そんな感じ。ずっと世話してもらってた」
「罰当たりな奴だよなー。薫さんのこと好きな奴多いんだぜ」
「知ってるけどさ。なんというか、ああいう人間と一緒にいると自分がクズに見えてくる」
「そういうもんかい? ひねくれてるなあ、お前」
「だってさ。昔から運動も勉強も出来たし。顔も良いし。そんなのに金魚のフンみたく付いてる俺は、ずいぶんと苦労したんだからな――」

 忌々しい記憶が静かに浮上し、その顔を見せ始める。俺は慌てて口をつぐんでそれを沈めかえすと別の話題に話を持っていった。

343 名前:たった三人のディストピア ◆JkXU0aP5a2[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 22:17:51 ID:wORmiXJw [3/6]

「そういや、ずっと前から気になってたんだけど」
「なんだ」
「お前って彼女いないのか」
「いきなり来たな。まあ、率直にいえばそんなものはいない」
「お前モテるだろ」
「いやいや。思うほどじゃないよ。ただ告白してくれる子はいる」
「クソ。いいなあ」
「でも。今は勉強だの趣味だのに時間割きたいからさ。断らせてもらってる」
「贅沢者」
「なんとでもいえ。それよりかはお前はどうなんだよ」
「俺?」

 思わず目蓋をぱちくりとさせた。逆に問われてみると、なかなか受け答えに困る。

「いや、まったくない。影も形も」
「そんなもんかい。薫さんとかは」
「いや、薫は」

 俺は少しだけ俯いた。彼女は恋人というか、そういう関係じゃないと俺は思ってる。
 どちらかといえばダメな弟と出来すぎた姉みたいなものだ。彼女はいつも俺の先にいる。導いてくれる。
 そう、彼女は預言者で支配者だ。俺は彼女のいうことさえ守っていれば幸福になれる。彼女のいうことは絶対なのだ。
 絶対――え? 支配者だって。俺は慌ててかぶりを振った。
 なにを考えていたんだろう。思い出せない。修治が怪訝そうに見てきたので、俺は答えた。

「……薫は幼なじみだよ。それだけだ」
「ふーん。いいなあと思う女子はいないのか」
「ああ、それなら」

 俺は一旦辺りを見渡すと、殊更小声になった。修治なら他に漏らすということはない。
 こいつにも悪癖はあるけれど、基本的には善良なのだ。友情に篤くて口が貝みたいに固いし。だからこそ信頼できる。

「一応言っとくけど、他言無用だぞ?」
「お決まりのパターンだな。大丈夫だって。口は固いほうだから」
「ならいいけどな」
「で、だれだよ」

 修治も小声になって後ろの席から少し身を乗り出した。俺は意を決して答える。

「綾月さん」
「うお。お前、本当に面食いだな」
「うっせえ。気が強いところもいいし、小柄なのも可愛いだろ」
「すまんすまん。ただ上玉すぎないか? 薫さんクラスの美人だぞ」
「それは分かってるよ。どうせ高嶺の花だ。元々告白しようなんて思ってない」

 俺はむすりとして答えを返す。こいつに言われなくてもそんなことは充分に分かっている。
 薫みたいに人付き合いが良いわけじゃなくて、万人受けする美人ではないが、それでも充分にレベルは上だ。むしろ薫とは違う凛々しさがある。
 気が強いくせに案外脆いところも魅力的だし、そりゃスタイルは平坦で小柄だが、そこもまたぐっと来る。
 カリスマ性だってある。薫が計算ずくで周囲を誘導していくタイプなら、綾月さんは単純だけども、みんなを叱咤して引っ張っていくタイプだ。
 とまあ、話がずれたがとにかく彼女は確かにランクが高い。俺なんかが手を出せる相手じゃないのだ。
 まともな会話すらしたことがない。ただ、好きであることが罪というわけじゃないだろう。

「ふうむ。なら話してもいいかな」
「なんだよ。もったいぶるな」
「C組の槙野知ってるか?」
「ああ、サッカー部の」
「あいつが綾月さんに告白したらしい」
「マジかよ」

 俺は槙野の顔を思い浮かべる。知り合いっていうよりかは面識があるだけの話だが、槙野は確かにサッカー部の花型の一人だ。
 人伝の話によれば他の奴とは違って生真面目だし、人にも配慮ができるらしい。人間的には素晴らしいというものだろう。
 しかも顔が良い、そう、イケメンなのだ。俺は腐った沼地に漂う霧のような無力感が忍び寄ってくるのを感じた。
 諦観の池から気化する無力の霧とでもいったところだろうか。

「はあ、似合いのカップルだよな」
「正直にいっちゃうとな。確かにお前と綾月さんよりかはな」
「ウザいな。お前」
「はは」

344 名前:たった三人のディストピア ◆JkXU0aP5a2[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 22:19:30 ID:wORmiXJw [4/6]

 修治の笑みに毒舌を吐いていると、唐突に前の扉から担任が入ってくる。ふと周りを見ればほとんどの生徒が着席していた。
 後ろの方の席とはいえ、見咎められるのも馬鹿らしい。俺は一度修治を睨んでやると、前を向いた。そうしてホームルームが始まる。
 授業は退屈だった。終わらない事務作業のように淡々とノートに板書を書き写していく。
 昼休みを修治と一緒に屋上で食う。一度薫さんに弁当を作ってもらわないかと聞かれたことがあったが、ああみえて薫は料理ができない。
 完璧な人間と思われた薫の唯一の欠点だった。無論、いくら修治とはいえ、薫の名誉に関わることだから曖昧に濁しておいたが。
 そうして最後の授業が終わり、ホームルームを担任が切り上げればがやがやと教室が騒がしくなり、放課後になった。
 俺はカバンを取ると修治に視線をやる。修治は首を振った。都合が合わないらしい。大抵は薫と帰る。
 彼女がそう望むからだ。それは小学校、中学校と同じだった。だがさすがに変な眼で見られて噂を立てられるのはキツい。
 だからこうやって修治と帰ろうともするのだが、あいつとはなかなか予定が合う時がないのだ。俺は一人で帰ろうと思った。
 薫には悪いが、あまり芳しい気分でもなかったし、彼女に女子に近づくなと言われている手前、綾月さんのことで気を落としているなどということが発覚すれば――まず無いとは思うが、薫には隠し事が難しい――どんなことになるかは目に見えている。
 俺はカバンを持つと教室を出た。昇降口まで行き交う混雑の中を降り、靴に足を通すと裏門のほうから出ようとする。
 あまり人が通らない敷地内の小道に差し掛かった時、背後から声が聞こえた。

「逃げるのはお得意だね」
「っ」

 ぱっと背後に振り向けば、そこには皮肉げな笑みを浮かべた黒髪の麗人――薫がいた。彼女はカバンを手に持ったままふらりと近づいてくる。大したことじゃない。ただ一人で帰りたくなっただけだ。何が悪い。心のなかで喚き散らす。しかし言葉には出せなかった。動悸が速くなり、頭から血が下がっていく。俺は知らず知らずに縮こまっていた。彼女を裏切った。理性は別にこんな恐れることではないと言っているのに、身体は自然と震えはじめた。そうだ。薫に逆らってはいけないのだ。彼女は動けない俺の側まで近寄ってくると、俺の腕を掴んだ。

「ねえ、君はさ。少し他人と合わせるってことを覚えたほうがいいんじゃない?」
「ちょ、ちょっと気分が良くなかったんだ」
「嘘吐きは充分だよ。自分の立場を分かってるのかなあ、本当に。君なんて僕がいなければなんの価値もないんだよ? 理解してるの。空っぽの脳みそじゃ分からない?」

 彼女は俺の髪を強く掴んだ。そうして校舎の外壁へと叩きつける。背中に衝撃が走った。女の力とは思えない。

「ぎゃ」
「カエルみたいな声出しちゃって。それじゃ許してもらえないよ? やるならもっと哀れっぽく鳴かないと。ほら、もう一回」
「やめ」

345 名前:たった三人のディストピア ◆JkXU0aP5a2[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 22:20:11 ID:wORmiXJw [5/6]

 今度は腹。激しい鈍痛に両手で腹部を押さえながらうめき声をあげる。彼女の膝がそこに入っていた。痛い。

「……本当はねぇ、暴力はあんまり振るいたくないんだ。だけどまあ、君が少しばかり思い違いをしているみたいだからさ。自分が添え物だってことを思い出させてあげないと。僕と一緒にいないと君は誰にも、そう、だぁれにもスポットライトなんて当ててもらえないんだ」

 不意に、髪を掴まれたまま反対側の手で顎を支えられる。目前にあるのは口元に笑みを貼りつけた薫の顔。眼が笑っていない。
 全身が激しく震えはじめた。ああ、逆らってはダメなのに逆らったからだ。彼女は瞳に怜悧な光を宿した。

「君はなに? そう、惨めで性根の腐った人間なんだよ。だから僕が救ってあげてる。ねえ、その証拠にさ。君はそれを否定できるの。自分は立派とはいえなくても普通の人間なんだって、言える?」
「……」
「答えろ」
「い、いえない。いえないよ……」
「うん、よく分かってるね。依存体質の弱虫くん。君は誰かに頼らないと生きていけないほど弱いんだ」

 そういうと彼女は目の前でくすくすと笑い出した。昔から聞いてきたこの笑い声。耳朶を震わし、脳の奥底まで侵食してくるような。

「じゃあ君を受け止めてくれるのは誰だろう。お母さん? 仕事で忙しいよね。バリバリのキャリアウーマンだもん。友達? まともな友達なんて君にいるの? きっと君が友達だと思ってるだけだよ。じゃあ、君が唯一頼れるのは誰?」
「……しゅ、修治が」
「ああ、彼ね。でも友達だっていうならどうして予定が合わないんだろうね。本当に君のことを大切な親友だと思ってるのかなあ? 君だけがそう思って浮かれてるとしたら痛々しいことこの上ないけど」

 冷酷に微笑む薫。彼女は俺の耳元に口を寄せると、ささやいた。

「僕以外の誰も信じたらいけないよ。みんな君を裏切るんだ。一ノ瀬さんのように、君のお父さんのように、ね」
「……」
「返事は」
「……分かったよ」
「そ。じゃあ一緒に帰ろうか」

 ふと、明朗とした声調になると俺から薫は離れた。そうして腕を組んで薄い笑みを浮かべる。
 俺は震えを無理やりに押さえつける。彼女は俺の腕を掴むと、小さくいった。

「君のことは逃さないから」

 ぞくりと、なぜだかは分からないがその言葉に背筋に悪寒が走った。