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215 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:48:11 ID:L0TLbg72
*****

 俺と妹と着物姿の葉月さんが、ほとんどの生徒が帰ってしまった放課後、蛍光灯の明かりのない廊下で、
向かうところ敵なしのはずの覆面ヒーローを引きずっている女忍者と出会った。
 つい今し方、俺が遭遇した状況を端的に言い表すとそうなる。
 昨日こんなことがあったんだ、と他人に言っても決して信じてもらえそうにない光景である。
 しかし、今日は学校内で文化祭が行われている。中にはコスプレ喫茶を営むクラスも存在する。
 よって、覆面ヒーローがいようと女忍者がいようと、俺は驚かない。
 だが、コスプレ喫茶の存在を知らない、俺以外の人間はそうでもないようだ。
 俺と行動を共にしていた葉月さんと妹は、何度も目をしばたたかせている。
 葉月さんは一日中、自分のクラスのウェイトレスをやっていた。
 妹は一般公開の終わった時刻になってこの学校へやってきた。
 弟のクラスの出し物がコスプレ喫茶だということを知らなくても仕方ない。
 
 揃って覆面を被った二人のうち、一人は弟だ。
 あの仮面も、黒いボディスーツも、薄く汚れたプロテクターも、俺が手を加えて作ったものだ。
 弟の細かい注文を聞いて作った特注品である。着ている本人よりも詳しく知っている。
 弟に平和を守るヒーローになって欲しいという願いを込めて作ったわけではないのだが、弟よ、ヒーローが
気絶して、あまつさえ連れ去られたらさすがにまずいだろう。
 第一話で主人公が悪の組織のアジトに連れ去られる展開はある。
 が、変身できるようになってからは悪の首領を成敗する目的で乗り込むのが王道だ。
 強くなってからさらわれちゃ格好がつかないぞ。
 お前が理想とする英雄たちはそんなへたれた存在じゃないはずだ。しっかりしやがれ。

 俺たちがやってきたことに気づいたくノ一は、引きずる動作をやめてこちらを向いた。
 校舎の窓ガラス四枚分の距離を開けて、俺たちは対峙した。
「……ねえ」
 葉月さんが小声で話しかけてきた。
「あれ、何? なんで忍者が居るの? しかも……なんか引きずってるし」
 まったく、その通りだ。運ぶのならもっと効率のいい手段もあるだろうに。
 それに、まだ生徒がいるかもしれないこの時間に動かなくてもいいじゃないか。
 もしかしてこの忍者――要領が悪いのか? それとも頭が回らないのか?
 どちらにせよ、そのドジ振りはありがたい。おかげで弟誘拐の憂き目を回避できた。

216 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:49:10 ID:L0TLbg72
「お兄さん」
 今度は妹が声を出す番だった。妹の声は静かで冷たい。
 しかしそれは妹が俺と話す際のデフォルトであり、この状況に影響されたわけではない。
「もしかしてあの倒れた仮面の方、お兄ちゃんじゃないの?」
 ――え? なんでわかるんだ?
 愛の力でわかったとか、間違っても口にするなよ。
 妹の気持ちはくどさを感じるほどわかっている。こんな時まで聞きたくない。
「昨日の夜、話をしているときにはしゃいでたから、もしかしたらと思って。
 やっぱりこういうことだったんだ。でも……こんなことだったら内緒にしなくてもいいのに」
 なんだ。妹は弟がヒーローのコスプレをすることをとっくに知っていたのか。
 妹は弟の変化に敏感だ。前日にはしゃいでいれば、何かあると勘づくのは当然のことだ。
 弟から文化祭の出し物でコスプレ喫茶を開くと聞いていたのだろう。隠すことでもない。
 戦うヒーロー大好きの弟が、仮装パーティの衣装を選んだらどんな格好を選ぶか。
 我が家に住んでいる人間なら誰でもわかる。
 日曜の朝、特撮番組を見る弟がリビングのテレビを独占するのが慣例だから。
 今回はそのわかりやすい習性が裏目にでた。

 連れ去られそうになっているのが弟だとは悟られたくなかった。
 妹がどんな反応をするかなんて、たやすく予想できる。予想が百パーセント的中することも保証できる。
 また修羅場が発生する。前回は対葉月さんだったが、今回の相手はくノ一だ。
 女忍者の実力が未知数だから、妹の勝率はわからない。
 妹の戦闘能力はどれほどか知らないが、以前葉月さんに怒りの勢いで特攻した点、そしてその後為す術もなく
投げ飛ばされ着地し咳き込んだ点から考えて、対人戦術を身につけているわけではないとわかる。
 戦わずに済んでくれればなによりなんだが……そうはならないだろう。断言できる。
 場に妹がいなければ弟を取り返して終わりだ。女忍者はその後で追い払えばいい。
 しかし妹がいると、問答無用で殴りかかるだろう。
 妹には悪いが、やっかいな奴がもう一人いるような気さえする。
 夕方になってから、妹が学校に来なければよかったのに。

 さて、なぜ俺たち三人がこの場にいるのかを説明するとなると、今日の四時頃まで時を遡らなくてはならない。

*****

 今日の四時、つまり文化祭一日目の一般公開の時間が終了する頃。
 二年D組の教室内に、寝ぼけ眼で周囲の状況を確認している男が居た。俺のことだ。
 ふて寝していたのだ。昨日の夜から今朝までずっと眠っていなかったから。
 また、誰かの下した命令のせいで半拘束状態に置かれていたからでもある。
 普段ならば、後日白い目で見られることを覚悟した後に、甲高い奇声を上げて脱走するところである。
 絶対に従いたくない類の命令だったのだ。被緊縛嗜好は持ち合わせていない。精神的にも肉体的にも。
 あえて従ったのは、しかめっ面をつくりながらもなんとか許容できる程度の理由があったからだ。

217 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:50:07 ID:L0TLbg72
 さらに時間を遡り、午前中。純文学喫茶開店前。

 控え室の隅っこに設えられた俺専用の席に座っていると、高橋から話しかけられた。
「不満そうな顔だね、色男」
「お前は相変わらず地味な顔つきをしているな」
「ありがとう。僕は自分が地味な容姿をしていることにも、地味な性格をしていることにも誇りを持っているから、
 君が抱く僕の印象がそうであってとても嬉しいよ」
「……少しは堪える素振りを見せろってんだ」
「ところで、君はあのプリントを見て、それに書かれていた内容に腹を立てているようだが、それはよくない。
 あの命令は、クラスメイト全員の総意と言ってもいいものだよ」
「お前らは、俺に窓際族でいてほしいのか……?」
「そういう意味じゃない。君がこの教室にいてくれないと、喫茶店の利益が上がらないからだ」
「俺が居たところで客がくるわけでもないだろ」
「違うんだな、これが。確かに、君がウェイターをしたところで売れ行きは伸びないだろう。
 しかし、君が居てくれないと売り上げが落ちるのは結果として起こりうることなんだ」
「……なんだそりゃ?」
「要約すると、君が教室にいれば葉月さんがウェイトレスをやり続けてくれるから、
 君には教室に居てもらわなければいけない、ということだ。
 もし君が居なくなれば、葉月さんは君を捜しにどこかへ行ってしまうだろう。それは非常によろしくない」
「そんなわけないだろ? 給仕役は交代制のはずだし、勝手にどこかに行ったりは……」
「葉月さんが何を目的にしてウェイトレスをやっていると思っているんだね、君は」
「……さあ? ウェイトレスをやると取り分が増えるから、とかか?」
「この鈍感め。彼女は君に見て欲し………………ふ、言わないでおこう。言うほどのことじゃない。
 それに、僕が言うべきことでもない」
「気持ち悪いところで止めるなよ。俺に、なんだってんだ?」
「自分で考えるんだな。ここまで言ってもわからないんだったら、今日から君と言葉を交わすとき、
 僕は自分の台詞の後ろに(鈍)をつける。そうなりたくなかったら、脳の血の巡りを良くすることだ」

 高橋に「おはよう、今日も元気そうだな(鈍)」とか、
「悪い、忙しくて宿題をやってくるのを忘れてしまった(鈍)。写させてくれ(鈍)」とか言われようと
かまわなかったのだが、あそこまで馬鹿にされて放っておくのも癪である。黙って沈思することにした。
 机の上で腕を枕にして伏せる。体勢を維持したまま、窓から差し込む陽光に微睡んでいると、答えが浮かんだ。
 葉月さんは、自分の着物姿をクラスの誰よりも早く俺に見て欲しいと言っていた。
 男冥利に尽きる殺し文句を、俺だけに見て欲しかった、という意味で勝手に解釈するとしよう。
 すると、俺が見ていなければ葉月さんが着物姿でいる理由は消失してしまう。
 結果、葉月さんはウェイトレスをしなくなる。またひとつ、日本から美が失われる。
 導かれる結末として、我がクラスの総力を結集した喫茶店の売り上げは落ち、打ち上げ会場のテーブルの
上に並べられるピッツァがスナック菓子の偽物ピッツァに変わってしまう。
 高橋の言葉をそのまま借りよう。それは非常によろしくない。

 葉月さんが袴姿の給仕役を請け負った理由を悟ったことにより、友人から括弧綴じしてまで鈍感さを
強調されることはなくなったわけだが、それこそ蛇足というべき余計な効果である。
 一番大事なのは、俺が今日明日ともに教室に立て籠もらなければいけない理由が正当なものであると気づいたこと、
そしてクラスメイトから軟禁状態に置かれているのはやむなくのことである、と知れたことだ。
 そりゃそうだ。いくらなんでも謂れなくあんな命令をクラスメイトが下すはずがない。
 理不尽ともとれる命令は二年D組全体のためを思ってのことだったのだ。
 すまなかった、皆。
 皆はあそこまで陰湿なやり口で俺を追い詰めたりしないもんな。――俺、信じているよ、うん。

218 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:51:39 ID:L0TLbg72
 納得したところで、目をつぶり、意識のベクトルを体の外から内へ変更する。
 首の後ろから背中にかけて人肌の温度に保たれたタオルを乗せられているような陽光の中、ああもし自分の魂を
今のままに生物種を変えられるなら猫になりたい、と荒唐無稽なことを考えているうちに、眠ってしまったらしい。
 らしい、という持って回った言い方をしたのは、いつの間に睡眠状態に移行したのかわからなかったから。
 あと、もう一つ。それが睡眠ではなく、昏睡だったのかもしれなかったからである。

 目を覚ましたとき、カーテンで仕切られた簡易控え室の中にクラスメイトの姿はなかった。
 眠りの余韻を残した瞳で床を見る。俺の影がなかった。リノリウムの床が灰色に染まっていた。
 振り向いて、窓の向こうの空を見上げる。
 すでに太陽は沈んでいた。青くて暗いパノラマには置いてきぼりにされたように雲が点々としていた。
 デジタル式で表示された携帯電話の時刻表示を確認する。
 午前中を最初のコーナーでパスし、昼食時間をあっさり周回遅れにし、午後の時間のすべてをラストの直線で
置き去りにして、トップでゴールしていたことに気づいた。
 優勝カップの携帯電話には、PM4:40の文字が表示されている。
 どうりでクラスメイトの姿がないわけだ。
 明日のことは明日すればいいや、程度にしか喫茶店の成功について考えていないのだろう。
 担任は臨時従業員の意識変革を図る必要がある。
 もっとも、明後日になれば教え子に戻るわけだからあえて説き伏せる必要性は感じられない。

 既に営業が終了している以上、教室にいても仕方がない。教室を後にする。
 二年の教室をC、B、Aの順に通り過ぎる。校舎の設計上、先には上下階への昇降を可能にする階段が存在している。
 三階へ行く用事は差し当たってないため、階段を降りていく。
 踊り場にて階段を折り返し、さらに下へ向かおうとしたときである。
「きゃっ!」
 という可愛らしい悲鳴を、俺とは逆に階段を昇ってきた女性が言った。
 彼女は俺と顔を合わせることなく、頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ。ちょっと急いでいたので、つい!」
「いえ、別にいいですよ」
「本当すみません、それじゃ!」
 言い残し、俺の左側を過ぎようとしたその瞬間だった。
 日が沈み、薄暗くなった階段の空気の中、俺と彼女の視線がぶつかった。
 俺はなんとなく、本当に理由もなく彼女の顔を確認しようとしていた。
 彼女はきっと、俺以上に理由なんかなかったんだろうけど、俺の顔に目を向けていた。
 偶然により引き起こされた視線の邂逅。

 そして、彼女が眉を顰める。
 なんという失礼な反応であろうか。こっちだって目を合わせたくなんかなかったんだぞ。
 そう思っても、俺は表情を変えない。
 彼女から――既知の相手である彼女から今のような顔で見つめられることには慣れているのだ。
 むしろ、温いくらい。目があったらオプションで舌打ちをされるくらいが普段の対応だ。
 彼女があらぬ方向へ視線を逸らし、口を開く。口調に嫌悪感が滲んでいるのは(以下略)。
「お兄さん、まだ学校に残ってたんだ」
「ああ、ちょっと色々あってな」
「そう」

219 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:52:51 ID:L0TLbg72
 短いやりとりの後、沈黙が場を支配する。
 まあ、これもいつも通り。彼女――二つ歳の離れた妹と一分以上会話を継続させたことなど記憶に無い。
 悲しくはある。だが、高橋みたいに饒舌になられてもむしろ俺が困ってしまうので、今の方がやりやすい。
 妹の冷たい態度の中に暖かみを探すのが俺側の対応である。
 妹がデレを見せたのは葉月さんが家にやってきた日に起こった、朝食を作ってもらった事件(誤用ではない)が最後。
 以来、妹の態度は改まることもなく、弟に勉強を教えているときは憎悪の視線を向けてくるし、風呂上がりの俺の
格好を見てはさりげなさを演じず顔を背けるようになった。
 ……なんだろうな。朝食事件があまりにも暖かすぎたから、妹の態度がさらに冷え込んだように感じられる。
 だけど、妹が俺と弟を勘違いして優しさを見せてくれないかなとか、つい期待してしまう。
 いくらムチで叩かれようと、アメがもらえそうな気がするから離れられない。
 こうやって世の男は調教されていくのだろうか。
 俺がそうならないとも限らない。注意しておこう。

「お兄さん、お兄ちゃんを見なかった?」
 兄弟以外が聞けば誤解を招くこと必至の問いかけだった。
 『お兄さん』は俺。『お兄ちゃん』は弟。明らかに片方だけに親しみが込められている。
 まだ『お兄さん』と呼ばれているからいい。いつか『兄さん』になったら、俺はどうしたらいいのだ。
 ――という内心の葛藤はこの場ではさて置いて、妹に返事する。
「見てないな。というか、朝見てから弟の顔は見てない。弟を迎えに来たのか?」
 妹が頷く。
「本当は明るいうちに喫茶店に様子を見に行きたかったんだけど、お兄ちゃんが土曜日でも学校はさぼったら
 ダメだって言うから、こんな時間になったの」
 なるほどね。弟の言うことは素直に聞くからな、こいつ。
「一般公開が終わったのが四時頃だから、もう着替え終わって、明日の準備でもしてるんじゃないか」
「お兄ちゃんの教室に行って来たけど、お兄ちゃんはいなかった」
「同じクラスの人に聞いてみたか?」
「聞いてみたけど、知らない、としか。だから自分の足で探しているの」
「……ん? そりゃおかしいな」
 まじめで、誰に対しても優しい弟がクラスメイトに黙って帰るとは思えない。
 それに、「知らない」? 
 知らないなんてことないだろ。本人の与り知らないところでハーレムが形成されるほど人気者の弟が、
女子からの視線をかいくぐってどこかに行けるなんて考えられない。
 こそこそ隠れてなら不可能ではないだろう。でも、隠れる必要があるほどの用事が弟にあったのか?
「お兄さんはお兄ちゃんがどこに行ったか……知らないよね」
「ああ。いちいち弟の行動を把握するほど俺も暇じゃないからな」
「あっ、そう」
 使えねえなコイツ、というニュアンスを含んだ返事である。
 だが、この程度でへこたれるほど俺だって弱くない。ちと反撃してやろう。

220 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:54:41 ID:L0TLbg72
「お前こそ、まだ弟を見つけてないんだろ?」
「……ええ」
「いかんな、それじゃ。もしかしたら弟のやつ、今頃女の子と……」
「はぁ? …………なんですって?」
 妹が距離を一歩詰めた。見上げる格好だが、上目遣いではない。
「お兄ちゃんに近寄る女がいるっていうの?」
「いや、いるというか……いないというか……」
「はっきりしなさいよ。いるの? いないの? ……どっち?」
 可愛らしさをアピールしない女の子の目って、どうして男を不安な気持ちにさせるんだろう。
 疑問の答えを出さぬまま、妹の迫力に押された臆病な長兄は正直に答える。
「いる。たくさん」
「……何人?」
「正確にはわからん。だが十名は下らない。安心しろ。あの子たちは弟の特定の相手じゃないから」
「そんなことわかってるのよ!」
 いや、吼えなくても、いいんじゃない? お兄さん結構怖がってるんだよ?

「許せない、許せない許せない! どこの雌豚がお兄ちゃんに近寄ってるのよ!」
「あー……近寄ってはいないんだ。女の子たちはお互い牽制しあって、同盟みたいなのを結んでいて」
「同盟……一緒になってお兄ちゃんを犯すつもり? いいえ、そうに違いないわ!」
「すまん、違った。同盟じゃなくって、えっと、見守っているだけだった」
「かっ、はっ…………お兄ちゃんと同じ学校にいるだけじゃ足りず、ずっと見つめているですってぇ!」
 そんな強引な解釈の仕方、アリか?
 今となっては妹に何を言ってもネガティブな意味合いでしか受け取ってくれない気がする。
 嫉妬深い性格をしているとは知っていたが、これほど性質が悪いものとは思わなかった。
 何も言えん。言ったら言った分だけ妹の怒りが根強く浸透していってしまう。
「お兄ちゃんもお兄ちゃんよ! 他の女に隙を見せるなんて、どういうつもりなの!?
 私がお兄ちゃんのそばにいないからって、浮気していいってわけじゃないのに!」
 今気づいたが、俺の台詞ってさりげなく弟を追い詰めてなかったか?
 もちろん追い詰めるつもりなんかさらさら無かったけど。
 フォロー……してももう遅いな。さらに怒りを深刻化させる危険もある。
 すまん、弟よ。藪をつついて蛇を出してしまった。
 俺はこれ以上刺激しないよう逃げる。お前はなんとかして大蛇の怒りを鎮めてくれ。

 妹から離れるべく、右足を引く。回れ右をするためには右足を引かねばならないから。
 だが、今の妹にとってはわずかな動きさえ気に障ってしまうようだ。
 マイシスターが一歩踏み出す。距離を詰める。続けてブラザーである俺に対して詰問する。
「どこに行くつもりなの?」
 目的地なんかない。お前の前から姿を眩ましたかっただけだ。
「いやなに、ちょっと忘れ物をしたから、教室に。ああ、弟のことなら心配するな。
 放っといたら家に帰ってくる。説教するんなら帰ってからでもいいだろ」
「いいえ。もうお兄ちゃんは信じられないわ。今日は意地でも探し出して連れ帰る。
 もしかしたらこれから女の家に行くかもしれない」
「そうか。まあ、そういうことなら止めやしない。あんまり遅くならないうちに帰るんだぞ」
 兄貴っぽい台詞を言い残し、回れ右の動作を続行する。
 体が後ろを向いたところで、妹に動作の完了していない左腕を捕まれて引き戻された。
「……どうか、したのか?」
「協力して。お兄ちゃんを捜すの」
 妹に頼まれごとをされるなんていつ以来だろう。ひょっとしたら初めてのことかも知れない。
 本来なら諸手を挙げて喜んでいるところだが、弟を捜すことに協力するのとは別の問題だ。

221 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:56:23 ID:L0TLbg72
「悪いが、協力することはできない」
「どうして?」
「さっきも言っただろ。忘れ物を取りに教室に行くんだよ。」
「――嘘ね。あの女のところに行くんでしょう、お兄さん」
 ん? 誰のことを言っているんだ? あの女?
 妹が知っている俺の知り合いなんていたか? 今のところ――ひとり、該当しているな。
 忘れるはずもない。なにせ、妹は一回彼女に豪快に投げられたのだから。
「葉月さんのことか? 前にうちに来た」
「そんな名前だったんだ。印象の薄い名字だから覚えるのも一苦労ね」
 葉月って結構いい名字だと思うけどな。響きがいい。
 うちの家族総員の名前にくっついている名字みたいに没個性的ではないぞ。

「あの女に会うのは後回しにして。先にお兄ちゃんを捜すの、手伝って」
「お前、やけに葉月さんには辛辣な態度をとるな」
 俺に対しても辛辣だが。けれど、葉月さんに対してはとりつく島もない。
「当然。あの女、私を思いっきり放り投げたんだから。あれ、下手したら死んでたわよ」
「それについては否定しないが。だからって……」
「私、あの女嫌い」
 にべもない返事だった。俺に対してさえ、嫌いと言ったことはないのに。
 妹は俺を嫌っているだろう。少なくとも、好きよりは嫌いの方に気持ちが偏っているはず。
 嫌われるような真似をした覚えはない。
 だが、俺は昔の出来事の記憶をなくしているらしい。弟の態度から察するとそういうことになる。
 過去の出来事が原因で妹は俺を嫌っているのか、それとも俺の性格容姿その他諸々が気に入らないのか。
 俺にはわからない。聞くこともできない。何を言われるか怖くて、聞くことができないんだ。

 妹は自分の感情を口から吐き出す。まるで対象への嫌悪を再確認するかのように。
「嫌い。私がどれだけ、お兄ちゃんへの想いに苦しんでいるかも知らず、あんなことを言うなんて。大っ嫌い」
 あんなこと。「兄妹は絶対に結ばれない」という葉月さんの台詞か。
「お兄ちゃんのこと諦めようと思って、けど、顔を見ていると気持ちが膨らんで、その繰り返し。
 あの女もだけど、きっとお兄さんにもわからない。上手くいかないってわかっているのに、それでも挑まなきゃ
 ならない人間の気持ちなんかわからないでしょ。わかってくれなくていいよ。私、優しさなんて要らないから。
 お兄ちゃんだけが優しくしてくれたらいい。昔から、私を守ってくれたのはお兄ちゃんだけだったもの」
 また昔話か? なんで弟妹揃ってもやもやさせるんだ。
 全四巻の漫画のうち三巻だけが抜け落ちてるみたいな気分だ。
 俺は、欠けた道を突き進んで、今の場所に辿りついたのか? 本当に通っていないのか?
 いいや。何かの事件があったはずだ。俺ら三人兄妹全員に関わる――暴力的な事件が。

「でも――お兄さん」
 妹が俺の顔を見上げた。何事かを思い出したような様子だ。
「あの女から、お兄さんは私を守ってくれたよね?」
「あ、ああ……」
「どうしてあんなことしたの? どうして、何度投げられても立ち上がって、かばってくれたの?」
 理由なんかなかった。弟と妹を庇わないと、葉月さんを止めないと、という気持ちだけだった。
「長男が弟妹を庇ったらおかしいか? 理由なんかねえよ」
「だって、おかしい。お兄さんが私を庇うなんて、そんなの……」
 妹はそこで言葉を切った。俯いて、黙考している。俺は続きの言葉を待つ。
 やがて、顔を上げた。続きの言葉を口にする。
「お兄さんは昔、私を………………いじめていたのに」

222 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:58:31 ID:L0TLbg72
 妹の小さな声が、氷の固まりになって胃を満たした。
 いじめていた。俺が、妹を傷つけていた。
 「妹をいじめないで」。葉月さんに向けて弟が言った台詞だ。
 思い出すだけで恐怖が沸いてくる。いじめていたのなら、どうして俺が戦く?
 黒いもやが脳に入り込む。明かりのない校舎の空間全体が俺の敵になっている。
 逃げられない。どこに逃げても、俺は捉えられてしまう。
 それに、さっきから、胃が苦しい。破裂しそう。膨らんでいる。内側から貫かれている。
「記憶はおぼろげだからわからないけど、でもたぶんあれは――あ、れ? お兄さん?」
 足が自分のものではないみたいに無様に揺れる。膝が折れる。足首が曲がる。
 目の前には、暗い階段の列がずらりと続いていた。俺を階下へと導いている。
 抵抗する術をなくした俺は、そのまま暗い空間へと身を投げた。

「――――だめ!」
 がくり、と首がうなだれた。そこで気づく。
 俺は踊り場から一階へ向けてダイビングを敢行していた。
 落ちていたら怪我は免れなかっただろう。骨折ぐらいしてもおかしくない段数だ。
 倒れる俺をその場に留めていたのは、葉月さんであった。
 振り袖と袴のコンビネーションが、いっそう魅力を引き立てている。
 ――髪の毛を結んでるリボン、解きたいなあ。
「ねえ! 大丈夫? どうして顔色が悪いのに笑っていられるの?」
 ああ、俺は笑っていたのか。きっと葉月さんのおかげだろう。
 葉月さんは綺麗で、清楚で、まっすぐだ。なのに、俺なんかを好きでいてくれる。
 ちゃんと応えないといけない。

「大丈夫だよ。ちょっと目眩がしただけだからさ」
「そう、なんだ。よかった、話し声を聞いて駆け出さなかったら間に合ってなかったよ」
「ごめん。あと、ありがと。助けてくれて」
「ううん、いいの。当たり前のことだもの。でも、なんで……、ん?」
 葉月さんの視線が俺の顔から、俺の背後へと進路変更。即座に無表情になる。
「妹さん?」
「……どうも」
 妹はぞんざいな返事をする。葉月さんは失礼な態度を気にした様子はなかった。
 だが、妹の顔を見続けているうちに怒りの表情を浮かべた。なぜ。
「あなた、お兄さんに何を言ったの?」
「別に。普段通りの会話よ。家族同士の会話なんだから――部外者は引っ込んでて」
 失礼な態度なんて段階じゃない。あからさまに敵意を放っている。挑発している。
「ぶっ、部外者ですって?! 私は、彼の!」
「……何?」
「か、彼の…………クラスメイトよ。まだ」
「ふうん。まだ、彼女じゃないんだ。人の家で大胆なことはできるくせに、お兄さんには弱いのね」
「なっ……こ、このこ、この小娘…………」
「お兄さん、小娘って言われちゃった。どうしよう?」
 どうしようじゃねえだろ。自分で種を蒔いておいて人を巻き込むな。
 妹の態度にデレ成分を見つけようと思ってはいたさ。だが、俺はデレの演技が見たいわけじゃないんだ。
 ホッチキスの針が切れていて困っているとき、黙って針を取り替えてくれるようなさりげないのがいいんだ。
 いや、そりゃまあ、バレバレな演技も満更ではないけどね。

223 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 06:59:49 ID:L0TLbg72
 妹の台詞を反芻する。頼られるのも悪くないな、うむ。
 今の気分を噛みしめていると、二時の方向にいる葉月さんの方面からうなり声が聞こえた。
 葉月さんが、なんと――頬を膨らまして俺を見つめていた。なんだ、このデレ合戦。
「どうしてそんな優しい顔してるのよぅ……」
 葉月さんがくしゃくしゃに顔を歪ませる。携帯電話のカメラ機能ってこういうときすぐ使えたら便利だよな。
 プリントアウトして額に飾って目覚まし時計のそばに置いておきたい。毎日頑張れること、必至。
 ――さて、不埒な思考はここらで止めておくとしようか。

「ごめんごめん。いいことがあったから、ついね」
「……ふんだ。やっぱり妹さんがいいのね。だからいつまで経っても、してくれないんだ」
「それは……また別の話だよ」
 妹に対して甘いのは認めよう。だけど、葉月さんに告白できないのは、別の理由があるからだ。
 自分の気持ちに自信がないから告白できない、なんてのは告白じゃないもんな。
 葉月さんが言っているのは、恋愛感情を伝える目的でされる告白のことだ。
「謝ってばかりだけど、ごめん。もうちょっとだけ、待ってて」
「…………わかった。でも、ちゃんと白黒はっきりさせてよね」
 返事と、心に誓いを立てる目的を兼ねて、首肯する。
 ふと葉月さんと目が合ったので、見つめ合う。しばらくして、妹の声が脇から割り込んできた。
「ふん……とっとと付き合えばいいのに。バカみたい」

 放課後に着物姿でいる理由を葉月さんに問いただしたら、要領を得ない答えが返ってきた。
 葉月さんは体育館に設置してあるシャワールームで汗を流してきたという。
 それはいい。秋とはいえ動き回れば汗もかく。
 理解しがたかったのは、なぜ着物を着直したのかという点だ。
 今日は喫茶店の営業は終了した。ウェイトレスもお休みの時間である。
 問い詰めているうちに、とうとうしどろもどろになってしまったので、追求をやめる。
 俺に見せるために着直した、とかだったらとても嬉しい。もはや真相を知ることはできないが。

 別の話題として、弟が行方不明になっているという話をしたら、気になることを言われた。
「さっき、って言っても三十分前だけど。変な格好の人がいたよ。
 ちらっとしか見なかったんだけど、二人連れ。一人は頭にかぶり物してて。あ、かぶってるのは二人ともだった。
 えーっとね……一人は、アニメに出てきそうな格好だった。もう一人は僧侶か忍者みたいだった。それがどうかしたの?」
 確定した。葉月さんが目にしたのは間違いなく弟だ。
 喫茶店が終了してから特撮ヒーロー気分を味わおうとでもしたのだろう。
 自分一人では浮いているから、友人をもう一人連れて。

 一年の教室は一階にある。二年の全クラスが並んでいるのは二階。
 二階から校舎の外にある体育館へ向かう際、一年の教室前は通らない。
 つまり、弟はあの格好で校舎の外に出たということになる。
 仮面というのは恐ろしい。普段大胆なことができそうにない人さえはっちゃけさせてしまう。
 弟は人気者だが、派手なことをして目立とうとするタイプではない。
 フラストレーションが溜まっていたんだろうな。作ってやって良かった、コスプレ衣装。
 葉月さんの目撃情報から時間が経っているが、校舎内に弟がいる可能性は低い。
 立ち話していた踊り場から一階へ下り、一路体育館へ向かう。
 妹と話し込んでいる時間は結構長かったらしい。時刻は五時二十分になっていた。
 暗くなっても見えないことはないが、全身ほぼ黒の衣装を纏った弟は発見しにくい。
 校舎へ引き返し、一階の全教室を見回し、二階へと向かう。
 階段を上りきったときに廊下でばったり遭遇したのが、気絶して哀愁漂う姿になった即席ヒーローの弟と、
弟の脇の下に腕を回しずりずりと引きずっていく女忍者だったのである。

 時間軸はここで巻き戻る。ここからは、如何にして事態を収拾すべきかが肝要である。

224 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 07:01:04 ID:L0TLbg72
*****

 校舎に染みこんだ夕方の冷たい空気の中、妹が表情を暗くして、喉から声を絞り出す。
「あいつ、あの黒ずくめ……許さない。よくも、お兄ちゃんを……」
「え、あれって弟くん? 仮面被ってるからわかんなかったよ」
 無理もない。弟のクラスで出し物の準備をしていなかったら俺だってわからなかった。
 しかし、こんなときに不謹慎かもしれないが、遠目に見ると弟の着ているボディスーツとマスク、良い出来だ。
 若干暗闇補正がかかって、黒が映えて見える。空間に同化することなく存在を主張している。
 動きを犠牲にした設計により、ボディスーツは弟の体型をぴったり包んでいる。
 マスクは竹籤を編んで、その上から紙粘土で覆い、プラスチックを流し込んだうえで黒の塗装を施した。
 プロテクターとブーツは自宅にあった玩具に少々手を加えて加工したから、それっぽく見えている。
 正直、今日一日しか見られないのが惜しい。来年も弟のクラスがコスプレ喫茶を開いてくれると嬉しい。

 女忍者は佇んだまま、一向に動く気配を見せない。
 忍装束は職業柄、闇に紛れて行動することに適して作られている。
 それに準じ、目前のくノ一の衣装も濃紺に染まっている。胴体は見えるが、手先足先は確認しづらい。
 何を待っているのだ、この女忍者――いや、この子、というべきだな。俺は彼女の正体を知っているから。
 
 気絶している方の覆面が弟だと知った妹が、その場から動いた。
「お兄ちゃん!」
 叫び、見知らぬ人間の手から兄を救うべく、標的のもとへ向けて駆け出す。
 しかし、妹の手が弟を掴むことはなかった。葉月さんが妹の腕を握ってその場に留めていた。
「離しなさいよ!」
「それはできないわ。みすみす見殺しにするわけにはいかない」
「あんたは関係ないでしょ! ほっといて!」
 やはり妹は冷静さを欠いてしまっている。
 以前葉月さんを相手に同じように突っ込み、投げ捨てられた結果から何も学んでいないらしい。
「関係なくなんか、ないわ。あなたはいずれ私の義妹になる人なんだから」
「……はぁぁっ?! あんたもしかして、まだお兄ちゃんのこと!」
「お兄ちゃんの方じゃないわ。私が言っているのは、あなたのお兄さんの方よ。
 というわけで、ここは私に任せておきなさい。荒事なら、我が家では日常茶飯事だから、慣れっこよ」
「え、でも……あんた」
「気にする必要なんかないわ。戦う女がいたって、別にかまわないでしょう?」
 ね? と言いながら葉月さんが俺を見た。
 ――いかん、惚れてしまいそうだ。格好良すぎ。
 もしも俺が女だったとしても、今の葉月さんには一目惚れしたに違いない。
 
 葉月さんが一歩、二歩、三歩、と前進した。
 俺も、邪魔にならず、いざというとき手助けできそうな位置へ移動する。葉月さんの左斜め後ろだ。
 左手を腰に当て、葉月さんが口を開く。女忍者は動かない。
「何から言ったらいいのかしらね……。とりあえず、こんばんは。私は葉月。あなた、名前は?」
 視線を葉月さんからくノ一へ向ける。やはり動かない。
「答えるわけがないか。なら、態度で示してくれる? そこにいる、さっきまで引きずっていた男の子。
 彼は私たちにとって大事な人なのよ。後ろにいる二人は彼の兄妹。私にとっては弟分なの。
 あなたにもここまでする理由があるんだろうけど、この場は一旦引いてくれないかしら?」
 ようやく、影同然の存在が動きを見せた。
 スタンスを広げる。上体が床と平行になる。両手がだらりとぶらさがる。
 ゆらゆらと体を揺らし始める。引く気配など一切感じ取れない。
「……そう。思ったとおりの反応ね。強引な手を使ってでも、彼が欲しいのね。
 なら、教えてあげましょうか。意地を通したいなら、実力よりも――強固な意志を持たねばならないということを」

225 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 07:03:20 ID:L0TLbg72
 骨の鳴る軽い音がした。葉月さんの拳が握りしめられ、開かれる。
 左足を半歩前へ踏み出す。左手が腿の上で、右手が胸の前で止まる。
 武道の構えは剣道と空手と柔道ぐらいしか見たことがないけど、いずれとも似ていない構えだ。
 これが葉月さんの身につけた武道の構え。落ち着いていて、構えっぽく見えない。
 対面するくノ一が揺れる。両手と胴体を不規則に揺らしつつも、葉月さんから目を逸らさない。
 止まる葉月さん。揺れるくノ一。見守る俺と妹。気絶したままの弟。

 誰もが足を止まらせる中、最初に動いたのは葉月さんだった。
 力の溜めもなく蹴る音もなく、前進する。一足飛びで瞬時に相手との距離を詰める。あと一メートル。
 葉月さんは次の一歩を踏み出――すことなく、窓際へ向けて跳んだ。
 かろうじて見えた。葉月さんが踏み出したその瞬間、『何か』をくノ一が投げた。腕が素早く一閃していた。
 『何か』は二人の距離を結び、廊下の向こう側へ消えた。
 軽い音が聞こえた。まるで、ボールペンと教室の床が衝突した音のようだった。
 何を投げた? ナイフ――にしては音が軽すぎた。金属音なんかしていない。
「あなた、飛び道具なんか使うのね。いえ……あれは飛び道具とは言えない。本来、武器として使うものでもない」
 え、葉月さんには見えていたのか? 見えたから避けられたんだろうけど、この暗さ、あの刹那で確認したのか?
 でたらめだ。葉月さんも、弟の同級生の――あの子も。

 葉月さんが再度構えをとる。またもや前進。呼応して、くノ一が『何か』を投げる。
 だが、さっきの動きで距離を詰めていた葉月さんには通用しない。
 やすやすとステップで回避し、接近戦に持ち込む。
 くノ一の頭が揺れる。胴に打ち込まれる。足が吹き飛ぶ。……何をやっているかわからない。
 葉月さんの動きが速すぎて見えないのだ。猛ラッシュだった、としか言い表せない。
 ともあれ、連続で打たれたことにより女忍者は後ろへ下がり、床に尻をついた。勝負ありだ。
「葉月さん、もうこれで終わり……ん?」
 構えを解かないまま、葉月さんはくノ一を見下ろしていた。警戒しているのか? 
「葉月さん?」
「静かにして。今、こいつは――」
 くノ一が後ろに跳んだせいで、言葉が遮られた。
 着地の音。続けて襲ってくるのは――殺意混じりの視線だった。

「だめ、逃げてっ!」
 声がスイッチになってくれた。脳が危険を感知する。
 もっとも速い動作として、足の力をまるごと抜いた。尻と床が激突する。
 背後から破砕音。振りむくと、後ろにあったA組の窓ガラスが割れているのが目に入った。
 床にはガラスの残骸と、ボールペンが一本、転がっていた。
 ということは、さっき葉月さんを襲ったものも、俺に向けて飛来したものも、ボールペンだったのか?
 ――いや、甘く見たら駄目だ。
 ボールペンの先で床を打ち付けても、ペン先は潰れない。
 比較的重いボールペンを全力で投げれば、今やったように窓ガラスだって壊せる。
 人間の目に向けて飛んできて、失明せずに済むなんて保証できるか?
 ペンを投擲したのは、当然、女忍者だった。俺の方を向き、右腕を振り切っている。
 このくノ一――この女の子、俺が失明するかもしれないとわかっていて、こんなことをしたのか。
 弟を想っている女の子の中に、ここまで危険な人間が混じっていたなんて。
 妹とこの子。現時点ではこの子の方がずっと危ないじゃないか!

226 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 07:05:21 ID:L0TLbg72
 どうする。俺にはこの子の狂気に立ち向かう術がない。一体どうすればいい?
「あ………………」
 己の無力さに歯がみしたとき、つぶやき声を耳にした。
 こんな掠れた声は、俺でも妹でも葉月さんでも持っていないはず。
 でも、弟はまだ床に倒れたままだ。じゃあ、今のは誰の声だ?
「ああ、ぁああああああああああああ、おぁああああああああああっ!」
 雄叫びが木霊した。肌が粟立つ。今の声、聞いたことがある。この声は――葉月さんだ。

「お前っ! お前っ! お前っ! お前っ! お前っ! お前っ! お前っ! おまえはあぁぁっ!」
 鈍い音が聞こえ、間髪入れず黒い影がA組のドアに激突した。
 衝撃で、割れた窓に残っていたガラスの破片が落下した。
 くノ一が床に倒れる。激しく咳き込み、酸素を求めている。
 葉月さんの腕が黒い影に向けて伸びた。頭を掴み、床に叩きつける。がつん、がづん、ごづん。
「よくも! こんな、こんな真似をっ! 壊してやる砕いてやる潰してやる、ねじ切ってやるっ!」
 黒い固まりが空を舞う。いつぞや俺も味わった空中回転木馬だ。
 だが俺のときと比べたら――慈悲なんか欠片も感じられない。
 両手で首を掴み、対象を窓や壁や天井にぶつけながら大きく回転する。
 何回、何十回と回転してから壁に放り投げ、叩きつける。
 一度止まってもなお収まらない。このままだと、相手の命を奪うまで止まらないかも知れない。
「だめだ……止まってくれ、葉月さん!」
 回転する嵐の中心へ向けて突っ込む。
 目前を黒い塊が通過する。通り過ぎてから、もう一度挑む。
 とにかく早く止めなければいけなかった。葉月さんを着地点にするつもりで飛びかかる。
 背中から抱きつき、回転の勢いを殺すためシューズでブレーキをかける。
 回転が収まっても、葉月さんは女忍者の首を離さなかった。
 両手の指が強く食い込んでいる。これは――窒息させるつもりだ!
「駄目だ! やめてくれ! 俺なら大丈夫だから!」
「こんな奴がいるから! 私はずっと待たなきゃいけない! びくびくしなきゃいけない!
 なんでここまでおびえなきゃいけないのよ! ただ、願いを叶えたいだけなのにっ!」
「おい、見てないで手伝え! 妹!」
 呆然としていた妹を呼んで、くノ一の首を自由にする。
 自由になった途端、くノ一はあれほど振り回されたダメージを感じさせることなく、立ち去ってしまった。
 一度も振り向かず、どうして弟をさらおうとしたのかも弁解しないままに。

 くノ一が立ち去ってからも、まだ葉月さんの慟哭は続いていた。
「いやだ、やだ、嫌だ! 消えないで! なんでもするから、ずっと守ってあげるから!
 わがままなことはもう言わない! 家に籠もってずっと待っててなんて馬鹿なこと口にしない!
 消えないで……もう、やだよお……う、ぅあ、うぁぁあああああああああああぁん……」
 葉月さんが一体何をここまで恐れているのか、俺にはわからなかった。
 俺が傷つけられそうになったことが、葉月さんのスイッチを入れてしまったのは間違いない。
 消えないで。葉月さんの切実な願い。誰かに消えて欲しくないと望んでいる。
 その誰かは――俺だったりするのだろうか。それとも、俺が知らない他の誰かなんだろうか。
 俺には知らないことが多すぎる。忘れていることも多すぎる。
 でも、今は全てを後回しにする。
 今は、葉月さんの涙を胸で受け止めていればいい。

 粉々に破壊された窓から吹き込んでくる風は、一足早い冬の匂いを一年ぶりに俺の肌に思い出させてくれた。

227 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 07:08:02 ID:L0TLbg72
*****

 文化祭二日目の日曜日、アタシは昨日と同じように学校に登校した。
 昨晩受けた傷は、奇跡的に打撲とかすり傷のみだった。顔に傷はないから、皆に心配されることはない。
 あれだけ振り回されたのに軽傷で済んだのは、彼の先輩が割り込んでくれたからだろう。
 あと三回、いや二回床に叩きつけられていたら、今頃アタシは病院のベッドの上にいるはずだ。
 計何回、床とコンバンハしただろう? ……数えるのも嫌になる。
 あれだけやられてこの程度で済んだ私も頑丈だけど。
 あの女――先輩は葉月さん、とか言っていたっけ。クラスの皆も噂している、評判の女性だ。
 先輩の彼女なのかな? 先輩には悪いけど、容姿は釣り合っていない。でも性格は凶暴だから、トントンかも。

 先輩を狙ったのは、葉月さんの動揺を誘うためだった。
 先輩を怪我させて、一瞬の隙を逃さずに行動不能にする。
 もう一人の女の子は軽く脅しておけば傷つけずに済んだはず。
 でも、誤算があった。葉月さんはあまりにも強すぎた。
 いきなり突っ込んでこられて、次の瞬間には体当たりでドアまではじき飛ばされていた。
 頭を床に打ち付けられて、その後で首を大根でも引き抜くみたいに捕まれて、ブン回された。
 葉月さんのスイッチは、どうやら先輩みたい。
 先輩を傷つけるのは止めた方が賢明だね。

 筋肉痛で痛む足を引きずって階段を上り、屋上の扉を開ける。
 早朝からアタシの靴箱に手紙を入れて呼び出した人物は――だいたい予想通りの人物だった。
「や。おはよう。体の方は大丈夫?」
「おはようございます、先輩。アタシの体はいつだってどんな状況でも準備オーケーですよ」
 先輩がどんな意味で体調を気にかけてきたのかは知ってる。でもあえてとぼけた振りをする。
「何か用事でもあるんですか? 先輩」
 そしてアタシも、呼び出された理由をわかっているのに気づいていない振りをする。
「あ、もしかして先輩……アタシのこと」
「うん。俺にそういうつもりはないし、今日呼び出した用件も全然違うから」
「これから自分の立場を利用して、強引にしようだなんて……」
「悪いけど俺は他に好きな人が……いるから。君に何もするつもりはないよ。今日は君に」
「なるほど、つまり遊びの関係を結ぼうっていうんですね? うーん……いいですよ。
 先輩は彼のお兄さんですから、遊んであげます」
「今日は君に、だ、な……」
「うふふ。この間みたいに、保健室でふたりきりになって、熱い言葉をぶつけあいましょうか?
 ア・タ・シは……体の方でも、いいですよ?」
「……き、昨日のことを言おうと思って、だな……」
 あははっ。照れてる照れてる。もう少し遊んであげよう。

 先輩の体の正面に立つ。身長差があるから、アタシは自然に見上げる格好をとることになる。
 男の人は上目遣いが好きだっていうのは、反応を見ていればわかるんですよ。
「せっかちですね、先輩は。ここ、屋上ですよ? でも、誰も見ていないから好都合ですね」
「ま、待ってくれ! 俺の話を聞いてくれ!」
「もう遅いですよ。アタシの右手も左手も、先輩が欲しい先輩が欲しいって言って、聞かないんですから。
 ねえ、せんぱぁい……とっても早くイカせてくれる右手と、たっぷり楽しませてくれる左手、どっちが好きですか?」
「そうだな、できれば左、いや最初は右も……じゃないって! だから、俺は!」
「あはっ。じゃあ、両手でしてあげますよ。動かないでくださいね。動いたら――――怪我じゃ済まないですよ」

228 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 07:10:05 ID:L0TLbg72
 両の手首をひねって制服の袖から得物を取り出す。
 右手を先輩のこめかみに、少し遅れて左手を首の付け根に当てる。
 この動き、距離を詰めてさえいれば早ければ秒以下の速さで実行できる。
 もっとも、あんまり役に立ったことがないんだけど。
「……やっぱり、君だったか」
 両手に持ったペン先を先輩の皮膚に軽く当てる。
 心配そうな顔をしなくても。当ててるだけじゃ皮膚は破けませんよ、先輩?
「はい。いつから気づいてました?」
「あの忍装束だよ。あれを着ているのは君だけだ。君と弟のクラスの衣装づくりを手伝った俺にはわかるんだよ。
 木之内……名前はすみこ、だっけ?」
「違います。ちょうこです。木之内澄子、それがアタシのフルネームです」
 初対面の人間は九十九パーセント間違うのよね。ちなみに一パーセントの例外は彼。

「木之内さん、そろそろ手をどけてくれない? 痛くないけどどうしてもむずがゆくなるんだよ」
「澄子ちゃん」
「え?」
「澄子ちゃんって呼んでくれたら解放してあげます」
「……どうしても言わなきゃだめ?」
「はい。言わないとアタシのペンが先輩の顔中を駆け回って面白落書きをしちゃいます。
 安心してください。額には肉じゃなくてHって書いてあげますから」
「わかったよ。その手をどけてくれないかな、澄子ちゃん?」
「はい、よろしい」
 役に立たない特技も脅しには使えるね。
 今度、彼にもやってみよう。彼には澄子ちゃんって呼ばせているから、次は呼び捨てにしてもらおうかな。

 先輩から離れて、ボールペンを袖口に戻す。
 先輩は大仰な動きで飛び退いた。これで、アタシと先輩の距離は一メートル以上空いた。
 アタシは半径五メートル以内なら十中八九ペンを命中させられるから、離れても無意味ですよ。
「それで、先輩。アタシを屋上に呼び出したからには、何か理由があるんじゃないですか?」
「まあね。単刀直入に言うよ」
「俺が作ったメイド服を着て、毎朝行ってらっしゃいと言ってくれ?」
「違う! 俺の理想のプロポーズは、君は俺の部屋に勝手に入らない、けど俺だけは君の心の部屋に勝手に入れさせてくれ、
 ……って、何を言わせるんだ!」
「うわあ……先輩、とっても寒いですよ。その台詞」
「わかってる! 適当に言っただけだよ!」
 先輩が咳払いする。まじめな表情で口を開く。

229 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/18(火) 07:13:12 ID:L0TLbg72
「弟のことだ。木之――澄子ちゃんが弟に恋してることに関しては何も言わない。むしろ俺は推奨する」
「はい」
「だけど、昨日みたいに薬で無理矢理眠らせて連れ去ったりするのは、やめてくれ」
「無理ですよ」
「普通に告白してくれればいいんだ。そうすれば弟だってきっと――」

 先輩は言葉を止めた。止めざるを得なかっただろう。 
 アタシの投げた二本のボールペンが、左右の頸動脈を掠めていったから。
「先輩は知らないから、言えるんですよ。弟さんの心がとっくにある女に捕らわれているということに、気づいていましたか?」
「弟の……好きな女の子?」
「はい。アタシは弟さんの傍でずっと見ていたから知っています。どうしようもないほど、強く心を惹かれていますよ。
 アタシが弟さんを想うぐらい――に強いかは知りませんけど」
「そうだったのか……」
 本気で意外そうな反応だった。
 兄弟であまりそういう話はしていないのだろうか。
「先輩だったら、どうします。自分の好きな女性が、自分以外の男を好きになっていたら」
「それは……俺の場合は……」
「今の先輩にはわかりませんよ。あそこまで強く想ってくれる女性がいたら、不安になることなんか無いでしょう?」
「そうでもないよ。こう見えて、わけのわからない理由で悩まされているんだ」
「ふうん……ま、いいですけど。アタシの場合は、絶対に諦めませんよ。
 弟さんがいたから、アタシは今のアタシになれた。助けてくれたんですよ。とっても寒い、一人きりの世界から。
 アタシは弟さん以外の男に幸せにしてほしくない、っていうか、絶対にできませんね。こっちから拒否しますし。
 だからですね、先輩」

 そこまで言って後ろを向く。屋上の出入り口まで歩いてから、振り返る。
 他人に向けて初めて、決意を告げる。
 退路を完全に断って、自分を追い詰めなければ、彼を手に入れることはできない。

「アタシは彼の全てを、根こそぎ奪ってみせます」