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593 名前:子猫の願い[sage] 投稿日:2013/06/13(木) 17:09:02 ID:W3fR4Du. [2/7]
 それはその年の梅雨入りが宣言されてからちょうど一週間が経過した金曜日のこと
 一日中降り続いていた雨の中を小走りで帰路に就く、二十代前半と思しき青年の姿があった。
 やや癖のある髪とまだ少年の面影を残した柔和な顔、日本人の成人男性の平均よりもわずかに大きな体格をしたその風貌は、見る人によっては育ちと家柄の良さを感じるかもしれない。
 もっとも当人にそんなことを言ってみても苦笑が返ってくるだけであろう、彼は今年初め唯一の肉親であった父を交通事故で失った。彼の目の前で。
 病弱だった母が幼少期に他界してからは男手一つで育ててくれた父であった。
 息子には愛情をもって接してくれていたが、母の死以降はどこか女性の存在というものを自身の周囲や家庭内からも消し去ろうとしていた気配があり、そのせいか彼は今でも女性への接し方に悩むことがある。
 父は母とのなれ初めについて詳しくは息子にも語らなかったが、結婚する際双方の親族から大反対されたらしく駆け落ち同然であったらしい。それから親族からは絶縁状態であるということは彼も聞かされていて、実際幼いころから親戚というものには会ったことがない。
 それでも一応連絡先のようなものが伝えられてはいたのだが、そこに父の死について連絡をしてみても親族からの葬儀への参列者は皆無であり、弔電等も一切なかった。もっとも彼は当時喪主を務めており慣れない仕事に忙殺されていてその非情さに憤慨する暇もなかったのだが。
 そして葬儀が終わり一段落すると自身の新生活の準備もあってそのことはそのうち忘れてしまった。

 一定のリズムで続いていた足並みがふと止まる。
 道端にある何かが彼の気を引いたのだが、それが何であるかというのはすぐに分かった。
 段ボールの箱と、その中にある白・茶色・黒の三色の毛に包まれた小さな体と、彼を見つめる二つの目――右目が黄色で左目が青の――三毛猫であった。
 べつに猫というだけなら彼もそこまで気にも留めなかっただろうが、道端に置かれた段ボール箱の中に入った子猫という安直なシチュエーションが彼の興味を引いた。試しに箱の中をのぞいてみると「どなたかもらってください」と書かれた紙まで入っている。
「やはりこれは間違いないな。完璧な捨て猫だ」
 なぜか納得したように呟くと、子猫と再度目が合う。
 助けを求める目というよりは威嚇されているように彼は感じた。
 よくよく見てみればいつからここに置かれていたのか、降り続いた雨により全身濡れていて、小さく震えている。
「今までは不幸だったようだけど」
 彼は優しく箱を抱えて子猫に告げた
「幸い俺のアパートはペット可だ。親父がなくなって、女気もなし、そんな俺が新しい家族を作るとなると猫か、犬か、まあそんなところしかない訳で」
「そんな俺に出会えたんだ、おまえこれからはきっとついてるぞ」
 子猫は理解したのかしないのか、依然彼を見つめたままであったが
 少なくとも箱の中から逃げ出そうとはしなかった。

 ――――――

「でさー、ミー子が可愛いんだよお。昨日も俺のベッドの中に入ってきてさあ。あいつのためにちゃんと寝床を買ってやったのに、俺のそばがいいって……」
「うるせえぞ耕平、何回目だと思ってんだその話」
 とある電機メーカーの社員食堂の一角で、向かい合って食事をしている男性二名の内、やや肥満気味の体をした銀縁メガネの男がそういって相手の会話をさえぎった。
「何回目って、今日初めてだが」
「そうじゃねえ、昨日も、一昨日も、その前も、似たような話を散々聞いたわ!」
 そうだっけ、忘れてたわ、と耕平と呼ばれた相手の男は意に返さない。
「大体おまえがその子猫を拾ったのって何ヶ月前だよ。なんだってここ最近急に惚気だしたんだ」
「……」
 耕平は一瞬沈黙すると
「一月前ぐらいに何か大きな事件がおまえに起きなかったか? 良太」
 と逆に質問した。
 良太と呼ばれた銀縁メガネの男はわずかに悩む素振りを見せたが、すぐにだらしない笑みを浮かべながら「俺と香奈タンが付き合い始めた」と心底嬉しそうに答える。
「タンって言うな、気持ち悪い。そこでだ、わが友よ。俺がミー子との愛の生活を語りださないとここで何が起きるであろうか?」
「俺が香奈タンの素晴らしさと二人のラブストーリーを延々話し出すことになるな」
 なるほど、それが原因か、と良太は大げさに何度も納得するようにうなづいた。
「そういうことだ。鬱陶しさでは似たようなもんだろ。おまえも俺の苦しみを味わえ」
 聞いた良太はわざとらしくため息をつくと
「しかしなあ、耕平よ、友人に人生初の彼女ができて、その惚気話に対抗するためにペットの惚気話を持ち出したりして空しくはならないのか」
「空しい」

594 名前:子猫の願い[sage] 投稿日:2013/06/13(木) 17:10:43 ID:W3fR4Du. [3/7]
 即答であった。
「だったらおまえも女作ってみろ」
「作れるもんならとっくの昔に作ってるわ。非モテ同盟結成していたくせに、この裏切り者」
「というかだなあ……おまえ見栄えはいいじゃないか。言いたくないが俺とおまえ、どちらかと付き合えと言われたら女が10人いたら9人はおまえを選ぶと思うぞ。まあ香奈タンは絶対に俺を選ぶけどな」
「最後のを言いたいだけだろ」
 耕平も言い返してはみたが自分でも容姿はそれほど悪くないはずだという自信はあった。ただの自惚れかもしれないが。ただ女性を前にするとどう対応していいのか分からなくなってしまうのである。
「いっそダメ元で河原崎さんにでもアタックしてみたらどうだ、ショック療法で」
「そんな残酷なことを言うなんてそれでも友人かお前は」
「美人だし、性格もいいって評判だろ、イチかバチか……」
「本社の役員のご息女に特攻して失敗した後の俺の身分保障はしてくれるんでしょうね」
「断る」
 友人の温かい返答を聞いた耕平は何かを言いかけたが、思い直したように
「ま、今の俺にはミー子がいるよ。それに今は不満なんかない」
 負け惜しみとしか言いようがないセリフを告げると立ち上がった。

 ――――――

「ミー子、帰ったぞー」
 と、耕平が玄関の扉を開けるが早いか耕平の足下に三毛猫、ミー子が駆け出してきて甘えるように鳴き、まとわりついてくる。数か月前のみすぼらしい姿が嘘のように毛艶もでて、美しくなっていた。
 体をさかんに耕平にこすり付けていたが、やがて耕平が下げていたレジ袋に興味が移ったようで盛んに嗅ぎまわる。それに気づいた耕平が袋から刺身のパックを取り出して見せると、その手に飛びついた
「いたたたたた! やめろ、やめろって!」
 一応怒りはするが顔は笑ったままの耕平は飛びついてきたミー子をそのまま抱え、部屋へと入って行った。

「ご馳走様でした」
 一人と一匹の食事が終わり耕平が言う。
 別に誰に言うわけでもないのだが、こういう挨拶はきちんとするように、とは父から厳しくしつけられたので一人でもその習慣は守っていたのだ。
 ちなみにミー子は既に満腹して膝の上でまどろんでいる。
 その首筋を撫でながらなんとなく昼間の良太との会話を思い出す。正直女性と付き合うということがどういうことなのか、楽しいものなのか漠然として分からない。
 しかし良太は香奈と出会い、変わった。それまでどちらかといえば神経質で終始不機嫌そうな顔をしていた男が今では世界で一番幸せなのは自分だ、と言いたげな笑みをしょちゅう浮かべている。
 それは可愛げなど感じない、どちらかといえば小憎らしいと思う顔なのだが、その顔を思い浮かべているうちに耕平は
「俺も彼女がほしいなあ」
 と、つぶやいていた。

 どこからか視線を感じる。
 耕平が視線を下に向けると膝の上でこちらを見つめているミー子と目があった。今の独り言を聞いていたらしい。
「あ、違うぞミー子。彼女ほしいって言ったけどミー子に不満があるわけじゃなくて、そもそもミー子は家族なわけだし、家族と彼女は別腹、じゃなかった、別物で……」
 言い訳を続けたが途中で猫相手に弁解している自分の滑稽さに気付いたらしい。わざとらしく咳払いをするとミー子を床におろし夕食の後片付けを始めた。
 その姿もミー子はじっと見つめていた。

 ――――――

 ――コーヘイは食事をくれるし、気持ちのいい暖かいベッドで寝かせてくれるし、先にフワフワのついた棒で遊んでくれるし、愛してくれる……
 その夜、耕平のベッドの中でミー子は考えていた。もっとも子猫の思考なので実際はここまで明文化されたものではなかったが。
 ――コーヘイは私が欲しいものはなんでもくれる。なんでも。でもコーヘイはなにも欲しがらなかった。今日までは。「カノジョ」ってなんなのかな?
 ――コーヘイが欲しがるぐらいなんだからすっごく手に入れるのが難しいものなんだろうけど。私が「カノジョ」を手に入れることはできないのかな。
 ――それをプレゼントしたらきっとコーヘイは喜んでくれる、もっと愛してくれる。
 ――……でも私が手に入れる必要はないんだよね、コーヘイが手に入れられればそれでいいんだ。どうかコーヘイが「カノジョ」を手に入れられますように……。
 その願いはミー子が完全に眠りに落ちるまで続いた。

595 名前:子猫の願い[sage] 投稿日:2013/06/13(木) 17:13:05 ID:W3fR4Du. [4/7]
 最初は朝が訪れたのかと思った。
 部屋を眩しく照らす光の塊がミー子の目の前に浮かんでいた。異変を察知して耕平を起こそうとしたが体が動かないことにその時気が付いた。
 その塊は徐々にその形を変えて行く。人型になり、白い衣をまとった少女となり、その背から白く輝く羽を生やし、やがて頭上に金色の輪を浮かべた。
 少女は「てんし」と名乗ると、ミー子の額に手を添えて語りかけた
「おめでとう。あなたの相手を思いやる純粋な心を神様は愛され、願いをかなえてくださるそうです」
 頭の中に直接響いてくるような不思議な声だった。聞いたことのない単語がいくつも含まれていたのに、その意味を完全に理解できているのにも驚いた。
 それだけを告げると少女は再び姿を変え、光の塊に戻ると段々と暗くなっていき、そのまま消えてしまった。

 ミー子は少女の去った部屋の中で歓喜した。願いがかなう、コーヘイが「カノジョ」を手に入れられる、コーヘイの役に立てたのだと。
 喜びを爆発させ部屋の中を駆けずり回ろうとしたその時、なぜかまだ体が動かないことに気が付いた。
 そして見た。今度は部屋の中央に全てを飲み込むような漆黒の闇の塊が現れていた。
 その塊も徐々にその形を変えていき、人型になり、黒いタキシード姿の男となり、その背からまがまがしい蝙蝠のような羽を生やした。
 男は「あくま」と名乗ると、やはりミー子の額に手を添えて語りかけた
「おまえの美しい魂を俺にくれればおまえの願いをかなえてやろう」
 その声も頭の中に直接響いてくるようなものだったが、先ほどとは違いミー子はその言葉の意味を漠然としか理解できなかった。だが先刻の少女の言葉を思い出し、既に願いはかなえられることになっているのでその必要はないからと断った。
 しかし男は
「もちろん神はおまえの願いをかなえる。だが俺も願いをかなえる。つまり彼は『カノジョ』を二つ手に入れるのだ。多いほうが彼も喜ぶだろう?」と続けた。
 ミー子は考える。確かに欲しいものが一つよりも二つ手に入るほうがコーヘイも喜ぶだろう。その為ならば自分の魂など――魂の意味も漠然としか理解してなかったのだが――惜しくはないと。

 決断は早かった。ミー子は男と取引することにした。
 男は喜ぶとその姿を変え、闇の塊に戻ると今度は段々と広がっていく。やがて部屋全体が闇に包まれたとき、ミー子は深い眠りに落ちていった。

 ――――――

 俺はどうも安直なシチュエーションに縁があるらしい。
 ミー子と出会った時の事を思い出して耕平は考えた。雨の中段ボール箱に入った捨て猫に出会うという使い古されて手垢のついたシチュエーションから、今のところは幸せと言っていい生活をつかんでいる。
 ならば今これから訪れようとしているのは幸福なのか、不幸なのか。
 と、目の前でテーブルを挟んで座っている女性――黒く澄んだ大きな目、ロングの黒髪、気品のあるスーツの着こなしがともすれば近寄り難さを醸し出しそうになるところを、柔らかそうな口元が絶妙のバランスで食い止めている、掛け値なしの美女――河原崎静音を見て耕平は思った。

 元はといえばいつものように良太を昼食に誘いに行ったところ、急な来客の対応とかで断られたところから始まっていた。
 社食に行く気も削がれたので、コンビニで弁当でも買って済まそうかと思い会社から出てしばらく歩いたところで、悲鳴を聞いた。反射的にその方向を見ると、横断歩道の中央に一人の女性がいて――先に渡ってしまった同僚に急いで追いつこうとしているようだった――そこにトラックが突っ込んできていた。
 耕平は間髪入れずに飛び出した。
 目の前で人が死ぬ。それが他人であってもそんな経験はもうまっぴらだった。

 しかし後になって考えてみると間に合ったはずがないのだ。飛び出した時点で女性と自分よりもトラックのほうが距離が近いのは明白だった。
 それでも走るさなか耕平は目の前が白く輝くのを感じ、眩しさに思わず瞼を閉じる。
 次の瞬間耕平は腕の中に女性を抱えて歩道上に突っ伏していた。
 周囲から驚きと称賛の言葉の雨が降り注いできたが耕平の耳には入ってこない。腕の中の女性が全く動かないことに気を取られていた。ショックで失神でもしたのだろうかと救急車の要請を周囲に呼びかけようとした時、うつぶせに倒れていた女性が顔を上げた。
 その顔を見て耕平は自分が助けたのが何者だったのかに気が付いた。

「いや、そんな大したことしたわけじゃないですし……」
 お礼に昼食をごちそうさせてほしい、との静音の申し出を耕平はそう言って断ったのだが、静音は半ば強引に同僚との約束も反古にして耕平を近くの洋食店に連れ込んでいった。

596 名前:子猫の願い[sage] 投稿日:2013/06/13(木) 17:13:42 ID:W3fR4Du. [5/7]
 そして現状はというと、普段は口にもしないような横文字の長ったらしい名前のランチを食べながら耕平は沈黙に耐えていた。
 やはり何を話せばいいのか分からないのだ。
 つまらない男ね、とさぞ呆れているだろうと静音を見てみるが微笑みを絶やさない、という表現そのものの表情で耕平を見つめ続けている。
 さすがにこれは状況を打開しなければならない、決心した耕平が口を開こうとしたその時
「女性と話すのが苦手なんでしょう? 無理はなさらないで下さい」
 静音が言い、耕平は軽くショックを受けた。憐れみを持たれたのだろうか、と
「いえ、違うんです」
 耕平の心情が表情にも表れていたのか、それを見た静音があわてたように訂正した
「私、よく存じ上げてます、吉良さんのこと」
 吉良って誰だ? と思った耕平が自分の名字が吉良だということを思い出すのに数瞬の時間を必要とした。

 ――――――

 その夜、小走りというよりも小躍りといったほうがよいであろう足並みで帰路に就く耕平の姿があった。文字通りの満面の笑みを浮かべるその姿を良太が見れば、自分を棚に上げて蹴飛ばすに違いない。
 静音は確かに耕平のことを知っていた。いや、知っているというレベルではなく、所属部署、交友関係、趣味、食事の好き嫌い、その他諸々までもを知っていた。そして驚愕した耕平に
「以前からずっと吉良さんのことを見てましたから」
 と告げたのだ。
 いくら女性経験が皆無に近いとはいえ、さすがにこれが告白とほぼ同じ台詞だということぐらいは耕平にも分かった。
 こういうきっかけを作ってくれて事故とあのドライバーには感謝している、とまで静音は言っていた。
 自分のコンプレックスを知っていてしかもそれに付き合ってくれる女性が相手だということで、耕平も全身の力が抜けるのを感じた。そこからは話が弾み、トントン拍子にことは進んだ。お互いのメールアドレスを交換し、明日以降も会う約束を取り付けて二人は別れた。
 別れる際に静音が小さく手を振っていた姿も耕平を興奮させた。

「このような出会いをもたらしてくれたのだから、やはりあのドライバーには感謝しなければならない、河原崎さんと結婚することになったら招待するべきだろうか……」
 そんな気の早すぎることを考えているといつの間にか目の前に自宅の玄関のドアがあることに気が付いた。有頂天になって周りが見えていなかったらしいが、特に反省することもなくドアを開けて叫んだ
「ミー子、帰ったぞー!」

 異変にはすぐに気付いた。いつもなら飛び出してきてまとわりつくミー子が出てこない。
 そして思い出した、今朝のミー子は様子がおかしかったことを。
 いつもなら耕平よりも先に目を覚ますのだがいつまでたってもベッドから出て来ずに眠っていた。
 病院に駆け込もうとしたのだが、撫でれば喉を鳴らすし具合が悪そうな気配もなかったので一日様子を見ることにしたのだった。

「ミー子!」
 鞄を投げ出して消灯された真っ暗な部屋に飛び込んだ耕平は見た、その中で座り込む白い裸体を。
 歳は十代前半ぐらいだろうか? きめ細かな肌をして暗闇の中でも光り輝くように美しい。

 そして本来問うべき「誰だ?」という質問は耕平からは出て来なかった
 その少女がなびかせる白・茶色・黒の美しい三色の頭髪に見覚えがあったから。
 そして自分を見つめる途方に暮れたような黄色い右目と青い左目にも見覚えがあったから。
 その奥底にある自分に向けられた絶大な信頼と愛情を感じ取ったから。

「コーヘイ……」

 ミー子が生まれて初めて耕平の名を人語で呼んだ瞬間であった。