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630 名前:子猫の願い[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 13:41:42 ID:gwTji9Z. [2/7]
 耕平にとってそれまでの人生で最も波乱に富んでいたであろう一日が終わり、少なくとも表面上は平穏な朝を迎えた。
「起きろ、ミー子」
「ん……ンニャ」
 サイズが大きすぎるトレーナーを半ば以上はだけながら着て、涎まで垂らして爆睡中のミー子を目のやり場に困りつつ揺り動かす。
 猫だった時はかなりの早起きで目覚まし代わりに部屋中で鳴き叫ぶのがミー子の役割だったのだが。
 人間になってその習性もなくなってしまったのか、それとも昨夜の騒動で疲れているだけだろうか、と耕平は考えた。
 寝ぼけ眼で目をこすりながら起き出したミー子の顔を拭いてやり、髪の毛を解かしてやりながら――ちなみにうっかりしていて猫用のブラシをそのまま使っていたが――尋ねる
「どうだった?」
 ミー子は横に頭を振った。
「そうか、ダメだったか。ありがとう、じゃあまた他のやりかたを考えてみよう」
 昨夜の話通りなら、天使と悪魔双方ともミー子の願いをかなえる為に現れたはずである。
 そこでそれならば、とミー子に天使と悪魔が再度現れますように、と眠りに落ちるまで願い続けるよう頼んでみた、という訳だったのだが。残念ながら失敗したようであった。
「さすがに安直だったか」
 呟いて自分の寝ぐせのついた髪をいじくっていた耕平だったが、ややあって会話を続ける
「ところでだなミー子」
「なに?」
「昨夜言った通りちゃんとベッドで寝なさい」
「ニャ!?」
 耕平の部屋はおよそ六畳で、一つだけある南向きの窓に向かって右側、西面に一人用のベッドが置いてある。
 だが、そこは現在空であり、二人がいるのは部屋のほぼ中央に敷いた毛布の上だった。
 耕平ににしがみ付いて首筋をこすり付けていたミー子は手を放すと
「だってニャ……」
 と、両手の人差し指を突き合わせて上目づかいで抗議の眼差しをした。
 昨夜はミー子にベッドを使ってもらい自分は床で寝ることにして、一緒に寝ると言い張るミー子を説得し、それでも寝付く前に二度ほど忍び込んできたのを追い帰していた。
 しかし結局目を覚ました時には案の定耕平の隣にいたのだが。
 それを見て耕平はため息をついた。が、もっとも本心では、やっぱりこういう所は猫の時と変わらないんだな、と喜んでいたりもする。
「だってじゃありません。ベッドで寝ないんならマグロの刺身、もう買ってこないぞ」
「ニャ!?」
 ミー子は可愛らしい口を開けて本気で驚いた表情をすると、大げさに手をついて落ち込んで見せた。さらにさめざめ、という副詞が実に似合いそうに泣き崩れる。
「うう……酷いニャ、コーヘイと寝れないなんて、こんなことなら人間にならなければよかったニャ」
 たぶんまた今日も忍び込んでくるのだろうな、と思いつつ耕平は右手でミー子の頭を撫でながら別のことを話し始める。
「ひょっとしてなにか呼び出す特定の条件があるのかもしれないな、ただ願いつつけるだけじゃなくて」
 半ば独り言だったのだが、それを聞いたミー子も頭をひねって考え出した。あの時、周囲で普段とは異なる状況は何かあっただろうか、と。
 ちなみにこの時点では二人とも共通の目的に協力して取り組んでいるのだが、実のところ天使と悪魔を呼び出してどうするか、ということになると考えを異にしていた。

「そういえばコーヘイ」
 昨夜、ようやく落ち着きを見せた部屋で遅めの夕食中に、人間になって制限する必要がなくなったマグロの刺身を口いっぱいに頬張りながらミー子が尋ねた。
「ん?」
「天使たちの約束通りだとすると、コーヘイにはもう一人彼女ができているはずだけど」
「うむ」
 と、耕平は茶碗から箸で白米を口内に放り込んで答える
「それがさっき電話で話してた女かニャ?」
「分からん」
 嘘はついていない。状況から判断すると静音がもう一人の選ばれた彼女である可能性は高いが、確信があるわけでもなかった。
 まあそうであってほしくないというのが正直な気持ちである。
 仮に天使と悪魔を呼び出して話し合い、その結果が双方が引くという結論になったとする。それで静音との付き合いもなくなってしまうとしたら、それはそれで残念というか惜しいと思う男としてのスケベ心は耕平にも多分にあった。
 先日までは女性と付き合えるなど考えてもいなかったのに随分変わったものだ、と自分の欲深さというか単純さには本人も呆れている。
 とは言えなんといってもミー子は別としてまともに話せる初めての女性なのだ。しかも美人だし、おとなしやかだし……

631 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 13:43:19 ID:gwTji9Z. [3/7]
「むー」
 食事の手を止め、形の良い眉をゆがめて不満そうに自分を見つめるミー子の視線に気づいて耕平はやや慌てた。どうも考えが顔に出ていたらしい。
「他にもそれらしい女がいるのかニャ?」
「いや、そういうわけじゃないが」
「むー」
 ミー子は再度不満そうに唸ると箸をおいて顎に白く細い指をあてて考えていたが
「とにかく、コーヘイの周りにミー子以外の女は必要ないニャ!」
 と、告げる。
「へ?」
 耕平が虚を突かれたような返答をするとミー子は
「あの時、ミー子は彼女って言葉がよく分からなかったニャ。でも意味の分かった今ならはっきり言える、ミー子の願いは自分がコーヘイの彼女になることだニャ!」
「だからなんとしても天使と悪魔をもう一度呼び出して、ミー子以外のもう一人の彼女、という願いは取り消してもらうニャ」
 と、決意を込めた強い口調で続けた。

 耕平の考えは当然ながら異なる。
 少なくともミー子が悪魔に魂を渡す、という約束は取り消さなければならない。そして、ミー子が今のままで良いとも思えない。
 このままだといつか誰かの目に留まって、正体が世間に知れれば大騒ぎになるのは目に見えている。髪や目だけならともかく猫耳もあるし、それこそ身体検査でもしてみればどれだけ普通の人間と異なる特徴が出てくるのか。
 マスコミに騒がれ、世間に弄ばれて、神の御業ともてはやされてどこぞの教祖にでも祭り上げられるか、逆に悪魔の悪戯と蔑まれて現代に魔女狩りに会うか。
 単純に人間になるにしても戸籍すらないのだ、どうもあまり明るい未来は想像できなかった。
 ミー子を人間にしたのが悪魔なら契約を取り消して、ミー子が猫に戻るならそれはそれでよし。
 それが神となると、ミー子の魂を悪魔に渡さない交渉とミー子の身体を改善する交渉の同時進行になるであろうから、神と悪魔双方が相手になり、ややこしくなってくるのだが……。
 
 耕平はまず天使と悪魔を呼び出してどちらがどの願いを聞き届けたのかを確認した後、対応を考えようと提案してみた。それについてはミー子も異論はなかった、交渉相手を特定しなければいけないのはミー子も同じなのだ。
 それからどうするかはその時の問題だ。

 ――――――

 耕平の会社のオフィス、多くの社員がせわしそうにパソコンの画面と向き合ったり、電話で連絡を取り合っている。
 数分前にそこを訪れた良太は、やはりデスクでパソコンの画面とにらみ合っていた耕平を銀縁メガネの奥の目でしみじみと眺めていたが、
「今日のおまえの顔はなんなんだ」
 と、容赦のない一言を発した
「そんなに酷いか」
 憮然とした口調で耕平は返答する。
「酷いというか面白い。七色の変化というのはこういうことを言うのかな、と」
 それはまあさぞ面白いだろうな、と耕平も心の中で同意した。
 ミー子のことで心配し、解決策を考えていれば青い顔をしているであろうし、神や悪魔に対して理不尽ながらも怒りが沸くときは赤い顔をしているのだろう。
「で、どうなったんだ、河原崎さんとは」
「どうというと?」
 良太の問いに対して耕平は質問で返したが、声にややぎこちなさがあったのを自覚した。
「昨日河原崎さんが事故にあって、疾風のごとく現れたおまえが救い出して、河原崎さんをかっさらって行ったともっぱらの噂だぞ」
 最後だけ微妙に違う、と抗議しつつ耕平は今度は静音のことを考える。
 そして、事故とその後の食事の時の会話を思いだせばその顔はにやけて赤くなり、これから昨夜のことを説明しなければならないと考えると青くなる。
 そうやって顔色を都度変えている耕平をまたしばらく眺めていた良太だったが、一度肩をすくめて分厚い唇を開いた
「よく分からんが、どういう心境の変化があったにしろ、俺にとってはめでたいことだな」
「なんでお前がめでたいんだ」
「おまえが河原崎さんと上手くいくことになれば、将来は役員にもなれるだろ。そうなれば親友の俺もきっと引き上げてくれる、そうだろ?」
 片目を閉じて不気味としか表現しようのないウインクをする友人に呆れ、口をポカンと開けた耕平だったが、こちらも肩をすくめて返した
「最初の段階で躓くかもしれんぞ、今まさにこれから」

 昼休み、昨日と同じ洋食店を待ち合わせの場所に指定され、先に席を取って待つ間、やはりここは静音のお気に入りの場所なのだろうな、と耕平は考えていた。
 耕平のオフィスからほど近くにある専門店ばかりが入っているビルの最上階にあり、窓から見える眺めには遮る物もなく遥か遠くまで見渡せる。

632 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 13:44:26 ID:gwTji9Z. [4/7]
 その景観の良さは通常であれば入ってくる陽光の暖かさと共に自然と心に落ち着きをもたらすだろう。だが残念ながら昨日同様耕平の心境は平常通りとは言い難かった。
 昨日に比べれば緊張感というか体の固さがないのは自覚していたが、胃が痛くなるような不安感は比ではない。なにしろ人生で初めての修羅場と言っていい。
 夜中に少女が自室にいる説明をしなければならない、それも昨夜の言い訳の整合性をつけるように、だ。
 今に至っても上手い解決策が浮かんでいなかったので、さらに気は沈んでいた。
 耕平に遅れること5分、静音の姿が入口現れる。黒のパンツスーツを隙なく着こなしたその姿は、颯爽とした、と表現してよい。そして昨日に比べやや硬いその表情は周囲には威圧感すら与えていた。
 席に着くと耕平を待たせたことを詫びて、ウェイターに簡単に注文を済ますと静音は柔らかそうな唇を開いて早くも切り出した
「それで、昨夜の事ですけど」
「はい」
「吉良さんが親族の方々とどの程度不仲なのかは存じております。だから昨夜、急に和解のための使者、それも電話口で聞いた限りですが、女の子を遣わして来たというのは……」
 そこで口ごもり、静音は俯いてテーブルの上で細く美しい両手を重ね合わせたまま沈黙した。耕平としても返す言葉がない。
 まさか洗いざらい真実を話す、という訳にもいかないのだ。
 猫が擬人化したなど信じてくれるとも思わないし、静音から誰かに話が伝わってミー子に危険が迫らないとも限らない。静音を信用しない訳ではないが、事態を知る人間は少ないほうが良いと思われた。
 何も話せない。そうである以上、耕平にできることは
「すみません」
 その場で頭を下げて結局ただ謝ることだけであった。
「今回の事はしばらく聞かないでいてくれませんか。自分に都合のよすぎる話をしているというのは分かっています。でも、全てが解決したら、必ずお話します、なにがあったかを」
 若々しい声に苦渋の色をにじませて告げる。怒りにまかせて引っ叩かれるのを覚悟したが、静音から帰ってきたのは怒りよりも悲しみを携えた声音だった。
「私のこと、信用できないのでしょうか」
 驚いて顔を上げた耕平は静音の黒く大きな瞳を見つめ、そこに吸い込まれそうな錯覚を覚える
「何があったのですか。吉良さんが困っていらっしゃるのでしたら、私は貴方の力になりたい。貴方の問題は私にはもう他人事ではないはずです」
 ああ、この人は素晴らしい人だ、と耕平は感嘆していた。そしてやはりこの人を巻き込むわけにはいかない、とも思っていた。
 静音は被害者なのだ。彼女がやはり神か悪魔によって選ばれていたのであれば、それは人生を操作されたということになる。逆に今回の事態とは無関係だったとしても、結局本人に非がないところで迷惑をかけていることになる。
 それともう一つ、静音を巻き込みたくない理由があった。
 なけなしの勇気を振り絞ってテーブルに置かれた静音の手に自分の手を重ねると告げる
「ありがとう。でもこれはやはり俺が解決します。貴女の気持ちに応える資格があるかどうか、きっとこれで分かるんだと思います」
 静音が耕平に好意をもってくれているのは嬉しい、そして耕平自身も静音に少なからず好意はあるのだ。
 しかしミー子が人間であり続けたとして、それでも尚、静音の気持ちに応えられるかどうか。耕平にはまだ自信がなかった。お互いに全てを託しあえる関係になれるのだろうか、と。
 聞いた静音は依然として表情を曇らせていたが、数瞬の後、
「分かりました、お待ちしております」
 まだ僅かに悲しさを帯びてはいたが、朗らかな笑顔で応えた。
 耕平は安堵した。とは言え、問題は先送りされただけなのだ。いつまでも待たせておくわけにはいかない、その為には……
「でも一つだけ、お願いしてもいいでしょうか?」
 耕平の手を握り返し、今度は陰のない笑顔で静音は告げた。

633 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 13:44:45 ID:gwTji9Z. [5/7]
 ――――――

 最寄りの駅から住宅街に通っている一本道の坂、それを登り切った所に耕平のアパートはある。
 その坂を登りながら 耕平は静音との会話を思い出していた
「来週金曜の夜は、必ず予定を開けておいていただけますか?」
 それが静音の願いであった。
 その程度の事ならいくらでも、と耕平は即答で了承したが、なぜわざわざ来週なのか。日付を確認して十日もあることに気付いて尋ねた。
「準備がありますので」
 と、静音は柔らかそうな口元に微笑を携えて返答した。
 恐らくデートのお誘いなのであろう、それは分かるのだが準備とはなんであろうか。あまり盛大に歓待されても恐縮するのだが。それまでに事態が解決しているとは限らないし、場が白けなければいいが。
 坂を上り続けること約十分、耕平はアパートに着いた。築二十年は経っているという代物だが、ペット可であるため防音対策は万全といってよい。昼間ミー子が留守番をして物音が立とうとも、隣室に気にされることはないはずである。
 一息吸うとドアを開けた。
「ミー子、帰っ……」
「コーヘイ!」
 開けるや否や白・茶色・黒三色の美しい髪をなびかせて盛大にミー子が耕平に抱き着いてくる。そのまま玄関に引き倒すと耕平の全身の匂いを嗅ぎまわり、耕平の胸板に首筋をこすりつけ続けていた。

「ご馳走様でした」
 手を合わせて二人で挨拶をして、駅前のスーパーで買った惣菜の夕食を簡単に終わらせると耕平は台所で後片付けを始める。
 ミー子は満足そうにベッドの上で膝を抱えて横になり丸くなっていたが、何かを思い出したのか急に顔を上げて台所で洗い物をしている耕平の方に視線を向けると、起き上がってそちらに向かって歩きだし、後ろから耕平の腰のやや上に白い手をまわして抱きついた。
「コーヘイ……」
「なんだいミー子」
 洗い物の手を休めずに、穏やかな声で答える
「そろそろ、するニャ?」
「なにを?」
「交尾」
 高い音を立てて食器を滑り落とすと、耕平は慌てて洗い物を中断し、振り向きしゃがみこんで目線をミー子より下げ、先程とは打って変わって乾いた狼狽しきった声で話し始めた
「い、い、い、いきなり何を言いだすんだおい」
「本気だニャ」
 そう言ってミー子は耕平を見つめる。潤んだ黄色い右目と青い左目には、真剣な光があり、それは耕平を射抜いた。
「コーヘイが望むなら、いいよ? 大丈夫、ミー子もう子供産めるニャン」
 バカなことを、と言いかけて耕平はミー子の赤い薄く開いた唇と細い首筋を見て息をのんだ。絶句するほどの美しさだった。
 そしてトレーナーを僅かに押し上げている胸元を見て、鼻腔に広がるミー子の甘い、確実に耕平の雄の本能を刺激する香りを嗅いだ。
 酩酊した。
 本能に身を任せ、ミー子の頬を両手で包み、自身の唇をミー子の唇に重ねようとする。
 ミー子は両目を閉じて訪れる歓喜の瞬間を待った。
 しかし両者の唇が接するまであと間数髪という所で耕平の動きは止まった。そこから距離を開け、両手をミー子の頬から肩に置き換えると目を合わせて話し出す。
「ミー子、ありがとう。でも今は違うんだ」
「コーヘイ……」
 失望の暗い色を両目と声音に込めるミー子に対して耕平は続ける
「ミー子だけは必ず幸せにするよ。信じてくれるかな」
 決意を込めた耕平の、少年のように力強く純粋な瞳を見つめ返すと、
 うん、とミー子はうなづいた。ミー子にとって今回の耕平の言葉を疑うという選択肢は存在しない。それは明らかだったから。

 耕平は思った。時間は少ない、と。
 静音のこともあるし、それにミー子の求愛をどこまで我慢できるか自分でも正直自信がなかった。