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686 名前:子猫の願い[] 投稿日:2013/07/14(日) 12:23:20 ID:DC.WoNUo [2/7]
 ミー子はただ魂が抜けたかのように茫然と口を開け、目を見開きその少女――天使を眺めていた。
 背中に生やした羽は身にまとう衣装と共に純白で、その色を除けば白鳥の美麗さよりも鷹の猛々しさを感じさせる。
 胸の辺りまで伸ばした巻き毛は頭上の輪に劣らないほど金色に輝き、その目はサファイアのように青くこれも輝いていた。
 硝子細工のように整った顔立ちはミー子とどちらが美人か、と言えば甲乙つけがたい所である。が、ミー子の顔立ちが日本人を思わせるのに対し、天使は東欧系白人のそれであった。
 年の頃はミー子とほぼ同年代かむしろやや幼いかもしれない。あくまで外見は、だが。 

 天使は踊るようにミー子の前でくるりと回ると、背中の羽を大きく広げミー子に薄く笑ってみせた。
「この姿になるのは久しぶり……でもないわね、まだ二週間も経ってないもの。ところでどう? 驚いたかしら」
 ミー子は答えない。というより答えられないでいた。
「あら、目の前の事実を理解はすれど、受け入れることができない、って所かしら。まあいいわ」
 そして天使は両手を腰に当て、テストで満点を取った子供のような顔をして話し出す。
「貴女が私を見るのは今日を含めて二回目、でも私はずっと貴女達を見ていたのよ。正確に言えば彼、吉良さんをね。それこそさっき言ったように子供の頃からずっと。彼が少年から青年になるのを見てきたわ。彼の成功も失敗も、誇れる所も他の人には言えない恥ずかしい所も、青春と挫折も、喜劇と悲劇も。そして彼の愛情と、憎悪も」
 一息つくと声音に威嚇の色を強くして言葉を続ける。
「……全部私だけが知っているのよ。他の誰も知らない、彼自身さえ覚えていないかもしれない。だから彼は私のものなの。これだけは絶対に揺るがない、揺るがせないわ」
 それを黙って聞いていたミー子だったが、天使が話し終えると猫が威嚇するように歯をむき出しにして声を出した。
「言いたいことはそれだけかニャ?」
「え?」
「コーヘイを見続けていたからってそれがなんニャ? そんなものコーヘイには関係ない、コーヘイはおまえの事なんか知らない。おまえが勝手にコーヘイの傍で見ていただけニャ」
 天使は一瞬息をのんだ。
「でもミー子は違う。コーヘイはミー子を拾ってくれた。自分からミー子を隣に置いてくれた、一緒に生活することを選んでくれた、家族にしてくれた。……おまえの思い込みなんか知るか! コーヘイが選んだのはミー子だニャ! 分かったら消え失せろ、この白くてヒョロヒョロなアヒルのなりそこない!」
 空気が凍り付くような音が部屋の中に鳴り、天使は黙ってミー子の方に歩み寄る。三色の髪を掴んでそのまま引き起こし持ち上げ、目線をミー子と合わせた。
「言ってくれたわね、この化け猫」
 無表情で硝子細工のように精巧な顔が本当の硝子のように冷たく輝いた。
「消えるのはおまえの方よ。彼の前からだけじゃなく、人間界からも消し去ってくれるわ。楽に死ねると思わない事ね。でもいくら叫んでもいいわよ、玄関からこの部屋まで結界を張っておいたわ。外には一切音は漏れないから、せいぜい苦しんで……」
 そこまで話すと天使は急に髪を離した。ミー子はバランスを崩し、両膝をついた状態で座り込む。その前で天使の体が再び輝き始めていた。
 ミー子は部屋の角までずり下がり、後ろ手を組んだ体育座りのような姿勢でそれを眺める。
 先程と同じように光は強さを増し続け、一つの塊となる。そして輪郭を変えていき人型になると、今度は黒いパンツスーツを纏った黒髪の美女、河原崎静音の姿となった。
「……時間切れだわ。あの姿で人間界にはあまりいられないのよ。でも元々正体を見せるつもりもなかったのよね。まったく、貴女のせいで予定外の事ばかり起きるわ」
「どういう事ニャ?」
「今夜の事よ。本当だったら吉良さんにはお店で眠ってもらった後は、真っ直ぐ私の家に来てもらうはずだったのよ。幸い明日は休みだしね、起きた後は私と心行くまで愛し合う予定だった。その為の薬も道具も全部取り揃えて用意してあったのに」
 拗ねたような口ぶりでそう言う。
「彼の傍にいる女の正体が貴女だと分かって、先に始末しなければならなくなったのよ。調べさせた写真には貴女しか写っていなかった……飼っていたはずの猫がどこにも写っていなかった、一枚も。そしてその三色の髪の毛と色違いの両目……まさかと思ったけどね。とは言え、彼と同じ部屋に住んでいるというだけでも万死に値するわ。悪魔と契約したのだろうがそうでなかろうが、さっさと片付けるのに越したことはない。そう思ったのよ」
 そして静音は目に無機質な光を宿した。

687 名前:子猫の願い[] 投稿日:2013/07/14(日) 12:24:25 ID:DC.WoNUo [3/7]
「貴女の痕跡は完全に人間界から消し去ってあげるわ。そして吉良さんの中からも存在を消し去ってあげる、私の家でね。一日中愛し合って私の事しか考えられないようにしてあげるの……この部屋に彼が帰ってきても貴女がいない事なんか気にも留めなくなるわ。じゃあ覚悟はいいかしら? 予定が大分変わっちゃったけど、本筋に戻らせてもらうわよ」

「河原崎さん、申し訳ないけどその予定、もうちょっと変更できるかな」

 その声と共に玄関の照明が点灯し、明かりが差し込んでくる。その光を受けて静音は狼狽した。
 だが恐怖はなかった。声の持ち主は、彼女の最愛の相手であったから。
 静音は振り返り、玄関に佇む耕平の姿を見た。

「なぜ……?」
 口を開けて立ちすくむ静音には状況が理解できない。食後酒に混入させて耕平に飲ませた薬の効果は残り数時間はあったはずなのに。
 ミー子を始末し、耕平を家に連れ帰る、それができるだけの十分な余裕があるはずだった。
 だが、疑問はすぐに氷解する。玄関のドアを開け、耕平の後ろからもう一人の人物が入ってきたのだ。
 上下黒のスーツ姿のその人物は天井にぶつかりそうな頭をかがめながら、そのまま勢いよく進み出て静音の眼前で土下座する。
「申し訳ございませんお嬢様! この加藤、いかなる罰もお受けいたします! ですから、どうかこのような事はもうおやめ下さい!」
 呆気にとられてその姿を見つめる静音の前で女丈夫は話し続けた。
「吉良様を拉致するだけではなく、その部屋まで押しかけて狼藉に及ぶなど、正気とは思えません! どうか目を覚ましてくださいませ!」
 その後も「なにとぞ、なにとぞ」とやや時代がかった謝罪と諫言を加藤は繰り返す。それを見つめていた静音だが、やがて全てを理解すると、両手を腰に当てて淡々と問いかけた。
「なるほど、加藤さん、貴女が裏切るとはね。一応聞いておくけど吉良さんに飲ませた薬の効果が短かったのはなぜ?」
「お飲物に入れるように手配した薬はお嬢様が依頼されたものとは別種のものです。即効性はありますが持続性は短くなっておりました。また、店からここまで吉良様を運ぶ途中で解毒剤を使用させて頂きました」
「そう、分かったわ。今回の件に対する処分はおって伝えます。車に戻って待機してなさい」
「お嬢様……」
 加藤は顔を上げ、静音を仰ぎ見るが、静音は一瞥しただけで視線を耕平に向けた。
「ここからは私と彼の時間なの。貴女に割く時間なんて一秒たりともない、すぐに出ていきなさい」
 加藤は捨てられた子犬のような顔になるが、やがてよろけながら立ち上がり、静音に向かって一礼すると肩を落としたまま退室する。そのまま玄関から出ていったが、耕平はすれ違う時にありがとう、と声をかけていた。
 ドアが閉まると、今度は耕平が玄関から部屋の中に入る。照明を点けると、まず角にいるミー子に声をかけた
「ただいま」
「お帰りなさい、コーヘイ!」
 ミー子は目に涙を浮かべてこれ以上はないという文字通り最高の笑顔で応える。
「ぎりぎり日付が変わる前に帰ってこれたかな。約束を破らずに済んだ」
 時計は23時58分を指していた。

 静音を挟んで耕平とミー子が対角線上に位置している。その室内の空気は緊張、疑問、愛情、といった様々な要素が混在していて、他者がここにいれば喉が締め付けられるような感覚を味わったかもしれない。
 静音が口火を切った。
「いつから聞いてらしたんですか?」
「いや、今来たばかりですよ。まだ薬が抜けきってないらしくて足元もおぼつかないぐらいですから」
 正直に耕平は答える。
「だから今何が起きているのかさっぱり分からないんです。一体どうして……」
 そう言って静音に向って歩み寄ろうとしたが、間髪入れずにミー子の声が届いた。
「コーヘイ、近づいたらだめだニャ! そいつ、天使だニャ!」
「へ?」
 二重の意味で耕平は混乱した。
 まず、静音が天使だという事が唐突すぎる。次に、天使に近づいたらいけない、と言うのも意味不明である。天使と言えば神の使いで正義の味方ではないのか。
 とは言え、ミー子の緊迫した表情と声の調子からすると、少なくともただならぬ事態に踏み込もうとしているのは間違いないらしい。そう判断して耕平は元の位置に下がった。
「随分素直にいう事を聞くんですね」
「ミー子は俺が不幸になるようなことはしませんし、言いませんから」
 静音の不快感を露わにした言葉にそう返してから、しまった、と耕平は後悔した。騙されて薬を盛られたことを揶揄したように取られたのではないかと思ったのだ。

688 名前:子猫の願い[] 投稿日:2013/07/14(日) 12:25:31 ID:DC.WoNUo [4/7]
「まあ、約束破って寝床に忍び込んできたりしますけど」
 と、そう言葉を継ぎ足したがこれも明らかに静音を逆上させていた。そのこめかみの血管が膨れ上がり目尻が痙攣するのを耕平は目にして、慌てて理論立てて説明しようと試みる
「でもミー子を今みたいに拘束して、動きを封じているってだけでも、河原崎さんが普通の人じゃないのは分かります。しかもミー子を見て驚いてもいなかったみたいですしね。普通だったら通報してるか、そこまでいかなくても誰か他の人に相談してもおかしくない。それを自分一人だけで何とかしようっていう時点で、ある程度ミー子に起こったことについて知識があるんでしょう」
 静音はまだ剣呑な雰囲気を漂わせていたが、耕平の説明を聞いているうちに落ち着いてきたらしい。一息吐くと口を開いて「それで、どうなさるんですか?」と尋ねてきた。
「正直どうしたらいいか俺にも分からないですよ。だから判断の材料になるものが欲しいんです。今回、俺やミー子に起こったことについて河原崎さんが知ってることを教えてもらえますか?」
 静音は細く白い手を顎に当てて考えるそぶりを見せたが、それも数瞬であった。
「聞いてもしょうがないと思いますわ」
「なぜです?」
「私の結論は変わりませんもの」
「というと……」
「そこの化け猫を始末して、貴方を私の家に連れ帰る、という事ですわ」
 困った結論だ。と、耕平はそう思ったがさすがに口には出さなかった。頭をかきながら説得を始める。
「河原崎さんだけの話だったら良いですけど、俺やミー子に関わってくるのなら、せめて納得できる理由が知りたいです。納得して、それを受け入れるかどうかはまた別問題ですけど。少なくとも今、その結論を突き付けられても俺は全力で拒否しますよ」
 聞くと静音はまた同じ姿勢で考えていたが、今度は数十秒の後耕平に答えた。
「分かりましたわ。でも条件が三つあります」
「それは?」
「一つ、私が話す事は他言無用に願います」
「もちろんです、分かりました」
「二つ、私の話の前に、まず貴方が知っていることを教えてください。私も全てを知っているわけではないの」
「いいですよ」
 耕平は了承した。これもまあ止むを得ないという所である。
 静音は頷くと、続いて耕平に淫猥、と言ってよい笑みを向けて告げた。
「三つ目、これからは私の事は静音って呼んでください」
「え?」
 耕平は一瞬呆気にとられたが、耕平を見つめる静音の目は本気であった。と言うよりもねっとりとした視線で耕平の口元をとらえ離さない。
「ねえ、早く呼んで。し・ず・ね。さあ早く」
 もはや口から涎まで垂らして静音はせがむ。
 言葉を失った耕平だったが、覚悟を決めた。部屋の角でミー子がなにやら絶叫し暴れているのが視界に入ったが無視して口を開く。
「し、静音……さん」
「んー……まあいいわ、許してあげる、耕平さん」
 両手を頬に当てて悦に入る静音の後ろで、ミー子は涙目になって唇をかんでいた。

「なるほどね。まさか私が去った直後に悪魔がここに来てたとは」
 耕平の説明を一通り聞いて静音は独り言ちた。悪魔のその行動は予想外であったらしい、悔しそうに唇をゆがめてみせる。
「しばらくこの部屋に残っていれば良かったのかしらね……まあもう遅いけど。ありがとうございます、よく分かりました」
「どういたしまして」
 そう答えて耕平の話が終わり、今度は静音の番となる。だがその初っ端、自身が天使であることと、耕平を母の死の日に見初め、それからずっと見続けていたという話を聞いた段階で耕平は頭を抱えてしまった。
 猫だったミー子の前で痴態を晒していたのも赤面ものだったが、自分の半生のほとんどを誰かに見られていたなどと首を釣りたくなるレベルの恥ずかしさである。
 そして静音は静音で別の意味で恥ずかしかったらしく、初恋を告白した少女のごとく頬を赤らめて俯いていた。
「それにしてもなんだって今頃になって俺の前に姿を現したんですか」
 憔悴しきった顔で耕平は尋ねる。
「仕方がなかったんです。姿を現す訳にはいかない理由がありましたから」
 そう前置きして静音は詳しい説明を始めた。
「天使には役目があるんです。人間で言う仕事のようなものですわ。各々神様から任された使命があって、それを遂行する時以外は人間の前に姿を現すこともできないし、天使としての力、能力を使うことは出来ないんです。自衛の為とかなら別ですけど。そして私の場合、三つの使命を任されています。そのうち一つ目が、『純粋で美しい心の持ち主を見つけ、その願いを神様まで届けること』なんです」
 なるほど、と耕平は頷いた。それを見て静音も続ける。

689 名前:子猫の願い[] 投稿日:2013/07/14(日) 12:26:51 ID:DC.WoNUo [5/7]
「それも直接本人の利益になる願いでは駄目なんです。それだと私利私欲ですから、美しい心にはふさわしくない、と判断されてしまいます。他者の幸せを願うものでないといけません。でもあの日、そこにいる化け猫……ミー子さんの、耕平さんに彼女ができますように、という願いは条件に当てはまりました。だから神様までお届けしたんですわ」
 静音が横目でミー子に視線を向ける。ミー子は座り込み、低く猫のように唸りながらそれを睨み返していた。
 耕平は再度なるほど、と相槌を打った。しかし疑問も沸いてくる。
「でも、天使として勤めながら静音さんは今迄人間としての生活も送っていたんですか?」
「いいえ。それはこれから説明いたしますわ。そこで二つ目の使命ですが、それは『届けられた願いのうち、神様に許可されたものを実現させること』なんです」
「……? つまり、神様は許可するだけで、実際に願いを現実のものにするのは天使の役目なんでしょうか」
「その通りですわ」
 嬉しそうに静音は言う。
 なんだか神様も投げっぱなしな対応をするんだなあ、と耕平は思った。
 まあ全世界を見ているのならば願いの一つ一つを叶えて回るなど忙しくて無理なのかもしれない。でもそれで全能と言えるのか、という気はするが。
「そこで、許可の出た私は耕平さんの彼女を作ることにしました。正確に言えば、私が彼女になることにしたのです」
 静音の口調に独占欲のようなものを感じ、耕平は背筋が寒くなるのを感じた。
「その為にこの体をもらうことにしましたの。耕平さん、この体の本来の持ち主、河原崎静音本人は、あの日あの事故で死ぬ運命だったんです。それを変更して助けたんですが、魂には肉体から出ていってもらいました。彼女は善行を積んでいたので天国に行きましたわ」
 耕平は絶句した。
 死ぬ運命だったのなら当人にとっては変わらないのだろうが、まだ生きている人間の魂を抜き取ってしまうという手法には慄然とせざるを得ない。
「人間の魂を抜き取るって、そんなことが可能なんですか」
「普通なら無理ですわ。でも本来そこで死ぬ運命だった人ですから、それなら作業は簡単です。後は抜け殻になった体に私が入り込むだけ……この肉体の記憶や癖も残っていますので、それを自分に合わせるだけでした」
 そう話し続ける静音の黒い目は、今や濃暗色となっていた。
「耕平さん、長い間待ち続けて、やっと訪れた機会だったんです。私はあなたと一つになりたかった。心の美しい者が貴方の幸せを願うのを待った。いえ、そういう願いの持ち主というだけなら貴方のお父さん含めて何人もいましたけど……でもただの幸せではダメ、私が貴方と結ばれなくては……。それが実現する時がついにあの日訪れたんですわ。私がどれだけ喜んだか、そこの化け猫にこの点だけは感謝してます」
 そう言って静音が微笑を浮かべたままゆっくりと近づいて来る。
 耕平は蛇に見込まれた蛙のように、ただその姿を眺める。しかしその時、必死になって自分を呼ぶ声を聞いた
「駄目だニャ! コーヘイ! しっかりするニャ!」
 ミー子が拘束された体を懸命に動かして耕平の方に這いずろうとしていた。目に涙を浮かべ、声をかけ続けている。それを見て耕平は我に返った
「待ってください。まだ質問があります」
 そう言って静音の動きを制する。
「ミー子の事です。ミー子を完全な人間にすることや、元の猫に戻すことは静音さんにはできないんですか?」
 それを聞いてミー子が悲痛な叫びをあげる。猫に戻るのは彼女の本意ではない。
「無理ですわ。悪魔の仕業であるのならば、解除できるのはその悪魔だけです」
「……では、悪魔に魂を取られる、という約束を反古にするのも無理ですか?」
「いえ、それは簡単ですわ」
 静音が薄く笑ってそう答えたので耕平は心が晴れるのを感じた。それが可能ならばミー子は救われるのではないか。
「耕平さん、貴方達はまだ結ばれてないのでしょう? 男女の関係にはなっていない、そうですね? もしそうなってたら貴方の性格からすると猫に戻すという発想はなくなるはずですから」
「はい」
「じゃあ今すぐそこの化け猫を殺しましょう。そいつが貴方の彼女になる前に死ねば契約は不履行となり、魂を取られる、という約束も無くなりますわ」

 耕平は今日何度目かの絶句をする。そして死人のように青ざめて片膝をついた。
 それを見たミー子は自身もショックを受けていたにもかかわらず、「コーヘイを苛めるな!」と、何度も絶叫して泣き叫ぶ。
 呆れたような顔をした静音がミー子に手をかざそうとしたが、
「いや、ミー子を殺すなんて冗談じゃない」
 俯いていた耕平が重い口を開いた。絞り出すような声を出す。

690 名前:子猫の願い[] 投稿日:2013/07/14(日) 12:27:28 ID:DC.WoNUo [6/7]
 静音は耕平の前に屈みこんで諭すように話しかけた。
「でもそれ以外に方法はないんですよ?」
「……静音さん、ちなみに、悪魔に取られた魂はどうなるんですか?」
「さあ。魂をどう扱うかまでは悪魔個々人で差がありますから分かりません。でもほぼ間違いなく絶望が訪れる、とだけは言えますわ」
 苦虫を数十匹噛み潰したような表情に耕平はなったが、ややあって顔を上げると静音を真正面から見据えて口を開く
「だとしても殺すなんて冗談じゃない。そんなのがミー子にとって幸せなはずがない。俺が解決策を見つけます」
「どうやって?」
「分かりません。でも必ず見つけ出します。ミー子は俺が幸せにする、そう約束したんです」
 静音の周囲に目に見えるほどのミー子に対する殺意のオーラが立ち上る。耕平の心をここまで捉えた相手に対する純粋な嫉妬であった。
 そして同時に、真っ直ぐに自分を見つめるまだ少年の面影を残した意志の強い目に、抗い難い魅力を感じていた。子供のころから見続けていた最愛の男の最も美しい瞳がそこにあった。
 それを独り占めしたいという欲求を強くして、静音は耕平に告げる。
「最後にお話しすることがあります。私に与えられた使命のうち、三つ目。それは『悪魔とその企みを見つけて排除すること』これは必ず遂行しなければならないの。……つまり、そこにいる悪魔の産物である化け猫、これは始末しなければならない。やはり私の結論は変わりませんわ」
 言うや否や耕平の両手が一人でに後ろ手に回る。さらに両手首と両膝が見えない固い輪のようなもので固定され、耕平はその場にくの字に転がった。
「コーヘイ!」
 ミー子は叫んで這いずりながら周囲に冷気を纏わせ始めるが、しかし静音はそちらに振り返ると右手をミー子に向かってかざす。
 壁に肉体が激突する音と振動が響き渡る。ミー子はそのままずり落ち、またしても痛みで呼吸ができなくなり口を開ける。
「もっとも、使命なんてどうでもいいんです」
 静音は耕平の脇に両膝をついて座り、耕平の顔を天井に向かせてその両頬を自身の両手で挟み込む。そして息がかかるほど目と鼻の先まで顔を近づけて話しかける。
「貴方の傍にあの雌猫がいるのが許せない。耕平さん、私が貴方の恋人になります。そして妻になるわ……いいえ、望むなら貴方の母にもなる、娘にもなる。姉にも、妹にも。友人にも、それこそペットにだって。貴方の周りに私以外の女なんていらないのよ」
 そこで一度言葉を止めて一拍置くと、震える唇を開いた。
「二十年近く待ち続けて、やっと言える……愛しています」
 耕平を見つめる澱んで焦点すらあっているようには見えない漆黒の瞳、それを見つめ返しながら、耕平は全身の力を込めて首を上げる。

 そして唇を重ねてキスをした。