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799 名前:ぽけもん黒  最終話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/08/12(月) 20:19:13 ID:F.d9Ljgs [2/12]
 強すぎる日差しと、塩の混じった波しぶきが私の肌を焼く。
 手すりに寄りかかり、きらきらと光る海面を眺めながらため息を吐く。
 彼が難しい話に夢中で、退屈だったから甲板に出てきたのに、失敗だったな。
 ため息をつく私の眼下に広がるのは、どこまでも続く大海原。
 ここは洋上。私は今、船の上にいる。



「もう、香草さん。日焼け止めも無しにこんなところにいたら、体調を悪くしちゃうよ」
 物思いにふけっていると、後ろから声をかけられた。
 私に尻尾がなくてよかった。
 もしそんなものがあれば、恥も外聞もなくぶんぶんと振り回していただろうから。
「ごめんね、つい話が白熱しちゃって」
 その言葉に、私は少し嫉妬してそっぽを向く。
 私以外のものに、夢中にならないで。
「馬鹿にしないでよ。自己管理くらいちゃんとできるわ」
 馬鹿。どうしてこういうとき悪態しか吐けないの?
 素直になれない、自分の性格が心底嫌になる。
「君の健康を守ることは僕の仕事なんだから、ね」
 そういってゴールドは私を抱き寄せる。
 無意識に、顔が真っ赤に染まり、彼の顔を直視できなくなってしまう。
 こうされたら、私が逆らえないのを知っているから彼はこうするのだ。
 まったく、酷い男だ。
「ばか。ばーか」
 私は照れ隠しに悪態をつきながら船内に戻る。
 
 
 

 私達は、トレーナーとそのパートナーとなって世界を回っている。
 ゴールドの夢でもない。私の夢でもない。私達、二人で作った夢。
 シルバーのことがあって、ゴールドはすっかり生きる気力を失ってしまっていた。
 私はそんなゴールドの隣にただ居ることしか出来なかった。
 私が話しかけても、彼は暗い作り笑顔で答えるだけの毎日。
 そんなある日、彼が言った。
「もう、ここで旅を終わりにしようと思うんだ」
 心臓が一拍止まった。
「そ……それってどういうこと?」
 私と一緒にいるのが嫌になったの?
 旅を終えれば、私達はまた他人同士に戻ってしまう。ゴールドと離れ離れ。永遠に離れ離れ。
 そんなのは、絶対に、嫌。
「私は! 私はどうなるのよ! 勝手に決めないでよ!」
 違う。言いたいことはそんなことじゃないのに。私が、私が本当に伝えたいことは……
「ごめん、でも、もう……。それに、これ以上君に迷惑は」
 そこから先は聞きたくなかった。私は頭が真っ白になって
、そして気づいたら、ゴールドにキスをしていた。
 私の口から吐息が漏れる。彼が呆気にとられた顔で私を見ている。
「私は……私は、ゴールドが、好き」
 彼が息を飲むのが分かった。
「ゴールドとずっと一緒にいたいの。だから……終わりなんて言わないで! そばにいさせて! 迷惑なんかじゃない! 迷惑なんかじゃないからぁ!!」
 涙と嗚咽交じりの必死の告白。お世辞にも綺麗なものじゃなかった。だけど、それが私の精一杯だった。
 彼は少し間をおいた後、私の頬に手を這わせた。
 そして、少し微笑んで言葉をつむぐ。
「僕はもう、旅をする理由を失ってしまった。身勝手だけど、もう僕は旅を続けられない」
 ゴールドは笑いながら私の涙を拭う。
「でも、僕が君に迷惑をかけることを許してくれるのなら……二人で暮らそう。戦いなんてない世界で、二人で、平和に」
 不覚にも、心が満たされる心地がした。
 彼は、私と二人で、私だけいればいいといってくれたのだ。
 私だけいれば、他になにもいらないと。彼はそういってくれたのだ。
 それもいいと思った。それはとっても幸せなことだと。
 ……だけど、私はそれを断った。
「何言ってるの! ゴールドはまだまだこれからなんだからね! だってゴールドはこの私が好きになった人なんだから、だから……ゴールドの人生は、これから始まるのよ!」
 私は思ったのだ。ゴールドは、狭い世界しか知らず、偏見に凝り固まっていた私に本物の世界を見せてくれた。
 同種以外何も価値を感じられなかった私を変えてしまった。
 世界はこんなに素敵なものなんだと、私に教えてくれた!
 だから、思ったのだ。
 今度は私の番だ。
 だって変じゃない。
 私に世界の広さを教えてくれたゴールドが、今度は自分から狭い世界に閉じこもろうとするだなんて。
 だから今度は、私がゴールドを変えてみせる。ゴールドの支えになってみせる。
 それに、私はゴールドが特別な人間であることを知っている。。
 彼は今とても弱って、そのせいでこんなことを言っているだけだ。
 彼は、世界に羽ばたく人間なのだ。
 私がいるところは、広い世界で、皆の前で輝く、そんな彼の隣だから。
 驚く彼に、今度は深い口付けを交わした。
 そうして、私達はまた歩き出した。
 今度は、二人で。

800 名前:ぽけもん黒  最終話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/08/12(月) 20:19:43 ID:F.d9Ljgs [3/12]
 
 
 
 

 本当に世界は広く、険しく、そして美しい。
 負けそうな戦いもあった。眠れない夜もあった。それでも、隣に彼がいてくれたから、私はずっと幸せだった。

 

 私は今、船室で彼と二人でいる。
 そして、船内での供覧試合で傷ついた私の体を労わってくれていた。
 彼の暖かい手が、私の全身を揉み解す。
 そのせいで、私の中の熱は静まるどころかますます高ぶっていた。
「ねぇ、ゴールド……もっと」
 高ぶっていたせいだろう。私は普段はとても口に出来ないことを、半ば朦朧として口走っていた。
「そうだね。けっこう攻撃をうけちゃったからね。ごめん、僕が未熟なせいで」
 そういいながら、彼は私の肢体をより丹念に揉み解す。
 私は彼の冷静な切り替えしに、急に恥ずかしくなってしまった。
「もう! 本当に鈍感なんだから! バカ! バーカ!!」
 彼は困ったように頬を掻く。
「だって、ご両親へのご挨拶もまだなのにさ。こういうのはちゃんとしたいんだ。君が好きだから」
「ま、まだ早いわよそんなの! 何勘違いしてんのよ!」
 ああ、顔が真っ赤に染まっていくのが分かる。彼には私の心なんてすべてお見通しなんだろう。
 私が心の中でいっぱい慌てさせられてるのに、彼はいっつもにこにこしてるのだ。それが私は大好き。
 ゴールドはこうやって本当に私をドキドキさせる。もう、彼のいない生活なんて想像できない。
 そ、それにしても、私のお父さんとお母さんに挨拶なんて、それってけ、けけけ結婚のことよね?
 もう、ゴールドったら気が早すぎ! どれだけ私のこと好きなのよ! ホントに私のこと大好きなのね!
 わ、私と結婚なんて、どれだけ光栄なことか本当に分かってんでしょうね!? ず、頭が高いわ!
 ……でも、いずれは、ね?
 彼は穏やかに微笑んでいる。
 私の愛しい人。私のすべてを変えてくれた人。




――――――――――――――――――――




 
 

「やどりさん!」
 それは、なんとも形容しがたい音だった。
 乾いているとも、湿っているともいえる。破裂音の様でも打撃音の様でもある。
 全身が総毛立つ。純然たる嫌悪。叫ばずにはいられないほどの恐怖。
 生暖かいものが背後から降り注ぐ。
 同時に、僕自身も落ちていく。
 僕を抱くやどりさんの両の手から、急速に力が抜けていく。
 重力に従って、あっという間に地面が近づく。
 どうすることも出来ず、もがく間もなく。
 僕は、柔らかな彼女を下敷きにして地面に落ちた。
 思いのほかに乾いた音が聞こえた。同時に、鉄の匂いが辺りに立ち込める。
「や、やどり……さん?」
 地面に投げ出された僕は、恐る恐る周囲を見回しながら、彼女の名前を呼ぶ。
 怖くて、体が満足に動かない。
 殆ど狂乱状態でさまよっていた僕の手が、力の抜けた彼女の手を、強く握り締める。
 違う。
 これじゃない。
 確かに、これはやわらかく暖かい。
 だけど、これはただの肉の塊だ。
 違う。これは人の腕なんかじゃない。
「やどりさん! やどりさん!!」
 お願いだから、返事をしてよ!
 強く握り締めた肉の塊が、ビクリと一回跳ねた。
 よかった! 無事だったんだ!
「やどりさん! 心配し……た…………」
 起き上がり、振り返った僕の眼に入ったものは、頭の無い、肉の塊だった。
「う、うわああああああああああ!!」
 う、嘘だ! 何だ、何だこれ!!
 あるべきところにあるべきものが無い。
 それだけで、僕は目の前の物体が人間だとは、いや人間だったとは思えなかった。
 頭部以外は、綺麗なままの肉体だ。
 まだ熱もある。先ほどまで僕はそれに抱かれていた。
 だけど僕はそれを受け入れることが出来なかった。
 人が死ぬのを見るのは初めてでは無いというのに。
 僕は半ば狂乱のままに這い、ソレから遠ざかる。

801 名前:ぽけもん黒  最終話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/08/12(月) 20:20:14 ID:F.d9Ljgs [4/12]
――――――――――――――――――――――
 仕留めた!
 石を放った直後。彼女は確かな手ごたえを感じた。
 ゴールドを受け止めに行きたい。
 彼女はそう思ったが、しかし視線をゴールドとは正反対の方向に向ける。
 目線の先には、狂気に目を血走らせた、怪鳥染みた、童女と呼んでも差し支えがないような少女の姿がある。
 彼女の渾身の攻撃を喰らったにも関わらず、ポポは平然と空にある。これは彼女が決して手加減をしたわけなどではない。
 香草チコが放った攻撃は間違いなく以前のポポなら致命傷を負わすに足る攻撃だった。
 しかし今のポポは、以前よりはるかに強くなっていたのだ。香草の想像も、やどりの想像も超えて。
 
 香草チコの脳内は煮えたぎっていた。それはまさに狂乱する獣のような、感情の濁流そのもの。体系的な思考など微塵も存在しない。
 だが彼女の行動は獣のそれと違い、機械のごとく極めて合理的なものだった。
 例えば虫は複雑な神経回路を有さず、それゆえに高度な論理思考を行うことは不可能とされている。
 しかし虫は、その神経回路の簡素さとは反対に極めて優れた戦闘行動を行う。純粋な戦闘に、高度な思考は不要だと主張せんばかりに。
 今の香草の状態は、それとある種同一の状態であった。
 彼女の焼け付いた、論理とはもはや無縁の脳は、それでも高い合理性でポポを見据える。
 彼女らはやどりが絶命の刹那、自らの体を下に回し、ゴールドの安全を確保したのを確認した。
 科学的には、外界からの刺激に対し、残った脊柱が成したただの反射行動である。しかし頭部を丸ごと喪失し、欠片の思考も持ち得ない彼女が、それでもまるでゴールドを庇うように動いたのは、まさに彼女の深い愛がなした奇跡と言っていいだろう。
 だが、そんなことに彼女らは興味を示さない。
 彼女らが意識するのは、自らの愛しい彼が無事であるということ。
 そして、その自らの愛しいものを傷つける存在を一片の生存の可能性も無く完全に抹殺すること。
 それのみである。
 素早く自らに向き直ったチコを見て、ポポは内心舌打ちをする。
 もしあのままチコがゴールドを助けに行けば。
 いや、そこまででなくても、あとほんの少し長く、自分から意識が逸れたのなら。
 彼女には、その一刹那の間にチコを絶命せしめ、そしてゴールドが地面に到達するより早く彼を救い出せる確信があった。
 しかし実際は、香草チコはその一刹那の隙すら与えてはくれなかった。
 ポポの目の前の生き物はどこまでも合理的で、しかしその相貌は合理性など微塵も感じさせない、歪な怪物へと変じつつあった。



――――――――――――――――――――――

 前方では香草さんとポポの二人の攻撃が激突し、炸裂した空気の余波がこちらにまで及んでいる。
 僕はその様子を見てわずかにだけど正気を取り戻す。
 しかし正気を取り戻したところで、あの怪物たちに一体何が出来るというのか。
 僕が出来るような小細工で何とかなるような段階はとうに超えている。
 何をやったところで、濁流に石くれをひとつ投げ込むようなものにしかなりはしないだろう。
 やどりさんに視線を這わせる。
 まだ彼女の肉体は緩慢に痙攣を繰り返している。
 しかし生死は確認するまでも無い。
 美しかった彼女の、あまりにも痛ましい死。
 今の僕には、彼女を弔ってあげることが出来るかどうかさえ不明だった。




 ポポの薙ぐような低い翼の一撃を、香草さんは木に蔓を巻きつけ、手繰り寄せることで回避した。
 森の中じゃ香草さんの方が有利だ。
 香草さんは木々を利用してポポを撹乱できるし、ポポは飛行範囲も攻撃範囲も制限される。
 速度で圧倒的に勝るポポを、ここでなら香草さんは完全に翻弄できる。
 もちろん、ポポは勝つことが難しいというだけで負けが決まったというわけではない。
 ポポはただ逃げればいいだけなのだ。それだけで香草さんには何も出来なくなる。
 遅いやどりさんと違いポポなら先ほどのようなことも起こりえない。
 しかしポポの中にその選択肢は存在し得ない。
 彼女は狂気に満ち満ちているにもかかわらず、冷静さも失っていない。
 だからこそ彼女は引き下がれない。

802 名前:ぽけもん黒  最終話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/08/12(月) 20:20:42 ID:F.d9Ljgs [5/12]
 彼女は十分に理解している。今、香草チコを逃がせば、もう生涯僕を見つけることが出来なくなるということに。
 通常の手段では、この広い世界のどこかに逃亡したたった一人の人間を見つけることなど、ましてその相手が社会とのかかわりを完全に避けるというのなら、見つけることなど絶対に不可能だ。
 今回、それがなされたのは、やどりの超能力と、他にも何か私には分かりえない細工があったのだろうと、そうポポは考える。
 ポポにとっての敗北は香草チコに二度と再起不能なまでに叩きのめされることでも、まして殺されることでもない。
 僕を失うこと。
 それこそが彼女にとっての敗北である。
 一度距離をとれば、木々に紛れてすぐに二人を見失う。そしたら、もう一度見つけられるかどうかは運頼り以外の何者でもなくなる。
 だから、彼女に逃走という選択肢は絶対に存在しない。
 彼女は必至に勝機を探す。
 状況はすべて彼女にとって不利に働いている。
 しかしだからといって僕が何か余計なことをし、現在の均衡が崩れれば……その先に待っているのは香草さんかポポ、どちらかの無残な死。
 たったいまやどりさんを失ったばかりの僕に、そんな危険な選択はとても取れない。
 僕は戦況を、ただ見守ることしか出来なかった。

――――――――――――――――――――――

 先に状況を変えたのは香草だった。
 十数の蔦で小石を拾い上げ、高速でポポ目掛けて弾丸のように射出する。
 同時に、自身は数本の蔦で地面を打つと共に、周囲の木々に蔦を巻きつけ、弾かれるように飛んだ。
 行き先はゴールドの倒れている地点。
 彼女にとっての勝利条件はポポを殺すことなどではない。
 ポポ同様、ゴールドを確保し、そして危険を排除することだ。
 危険の排除の方法が殺傷か、それとも逃走かなど、考慮するまでもないほどに瑣末な問題に過ぎない。
 理性を失っているように見える彼女は、しかし極めて合理的にゴールドの確保に動いた。
 対するポポはわずかに出遅れた。
 先ほどまで自分に向けられていた殺意は極めて強烈で、それは自分を殺戮することを第一に優先していると錯覚させるのに十分な強さであった。だから彼女にとって、香草が自分からの逃避行動を開始することなど、まるで思考の埒外にあった。
 常識で考えれば、それが間違いなく真実だろう。しかし今回はそれは通用しなかった。相手は理性ある人でも、理性を失った獣でもない。彼女が今まで相対したことの無いモノなのだ。ポポは最初から、香草を正確に測るものさしを持ち合わせていなかった。そして彼女は今この瞬間の失敗をもって、初めてその事実に気づいた。
 冷静であったがための油断。そしてその油断がこの失態を招いた。
 彼女は頭の中で刹那のあいだ短い罵倒と呪詛を吐き、そしてそれが終わらぬうちに急降下体勢に入る。
 小石を避けるだけの猶予は無い。しかし弾丸にも匹敵するそれを正面から受け、傷を負うのは今後の戦闘行為において致命的であることを意味した。
 しかし、今を逃せば私は全てを失う。戦う意味も、いや、生きる意味すらも。ここで引いても死ぬことになるというのならば……!
 その恐怖が、彼女の神経を極限までに研ぎ澄まさせた。
 音速に迫る体で、瞬時に殆どの小石を識別する。そして彼女の追う損傷の程度が戦闘行動に大きな影響が出ない航路を刹那で見極め、そのまま急降下した。
 いくつかの小石は彼女の周囲をすり抜け、そして残る数発の小石が彼女の羽毛を打ち、筋肉と神経に打撃を加えながら砕け、そして二発の小石が彼女の薄い皮膚を抉った。
 彼女は着弾と出血の事実を知覚する。しかし痛覚も恐怖も無かった。
 もちろん、傷は浅くは無い。平時であれば激痛に顔を歪め、苦悶の声を漏らし、攻撃行動にも支障をきたすのだろうが、彼女は彼女の脳内に多量に分泌されている脳内物質のお陰で、怪我を知覚しながらも苦痛などの要素を排し、殆どパフォーマンスを落とさないことに成功した。
 その速度のまま、彼女は香草の首を掻き斬らんと翼を広げる。
 その刹那、彼女の全身に衝撃が走る。

803 名前:ぽけもん黒  最終話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/08/12(月) 20:21:09 ID:F.d9Ljgs [6/12]
 ポポの全身には緑の刃が生えていた。
 刃と呼んで差し支えのないほどに研ぎ澄まされた無数の葉が彼女に突き刺さったのだ。
 ここは下草の生い茂る森。
 そんな場所で、地面へ急降下しながら、同時に自分に向かってくる飛来物を認識しつつ、さらにその下草の色と似た暗器の存在まで知覚することなど不可能であった。
 香草の口が歪み、笑顔を作る。
 狡猾な策だった。まるで狂乱している生物が、激しい戦闘の最中に思いつくことの出来るような策ではない。
 いや、狂乱していなくとも、通常の精神状態でこれを成しうる生き物は存在しないだろう。絶え間ない訓練の末に、精神と無関係に戦闘行動を行うことができるほどに研ぎ澄まされた兵か、あるいは、ただただ狂気に身をゆだねるものだけが到達しうる領域。
 しかし狂気に身をゆだねているものはこの場に一人ではなかった。
 ポポの口がぐにゃりと歪んだ。
 なんだ、この程度か。
 そう嘲笑するように。
 ポポの有す武器は速度のみである。翼に鋭い爪があるわけでも、刃がついているわけでもない。
 しかし、そこに香草は鋭利な刃物を生やしてくれたのだ。
 彼女の羽は元来、自然物に強い。
 木々生い茂る森の中を棲家にするのだから当然のことである。
 自然界にはそこここに肉体を傷つけるような植物が存在する。
 彼女は種としてそれらに適応してきた。種として強いわけである。
 いかに研ぎ澄まされようと、例外はない。
 香草の放った刃は、ポポの表面を切り裂いたのみで、殆どは風圧に押し付けられる形で刺さっているように見えているだけに過ぎない。
 もちろん、それによって速度は落ちた。速度が落ちれば当然破壊力も低下する。
 ポポはその速度の低下を、体を捻ることによって改善した。
 彼女のやわらかくしなやかな体がまるでムチのように捻られ、打ち付けられる翼の先端の速度は音の速さを優に凌駕した。
 ただまっすぐ飛行する際に音速を突破することとはわけが違う。
 平素であれば何のこともない動作も、速度が増すに比例して筋繊維や骨格にかかる負担は跳ね上がる。無論、衝撃を逃し損ねれば低速とは比べ物にならない負荷が肉体を襲うだろう。ほんの数ミリの体軸のずれが、全身の筋をばらばらに裂くことになるほどの複雑な動作を彼女は音速で行っているのだ。
 それほどまでに、彼女は完璧に肉体を制御していた。
 音の壁を突き破る衝撃波と共に、植物の刃が生えたポポの翼が香草に振り下ろされる。
 香草が放った植物の刃は諸刃。つまりポポに刺さった刃の反対は香草のほうを向いていた。
 ポポは、それを香草につきたてようというのだ。
 しかしいくら浅いとは言え、自らに刺さった刃物をそのまま相手に押し付ければ、相手だけでなく自分にもさらにその刃を深く差し込むこととなる。
 正気では行おうと思うものはいないだろう。
 しかし彼女からもとうに正気などという、この場においてはなんの有用性もない愚物は保持されていなかった。
 だからこそ、彼女にはそれが成しえた。
 トゲを持つ植物が自らのトゲによって傷つけられることがないように、本来ならば香草の皮膚を植物の刃は裂きはしない。
 しかし、それが音速を越えて振り下ろされるとあらば話は別だ。
 香草はその音速の刃に切り裂かれ、後方に飛ばされる。
 が、彼女もただ攻撃を受けたわけではない。
 空気中に放たれた、光を反射して輝く微粒子。
 ポポがそれを認識したときには、すでにそれはいくらかポポの肺の中に取り込まれていた。
 強力な沈静作用と催眠作用を持つその粉は、ポポから容赦なく急激に意識を奪っていく。
 空中に逃げようとするが、コントロールを失った彼女はもがくように地面と木々にぶつかりながら後退する。
 これを好機と見て香草は追撃の蔓を伸ばすが、ポポはすぐに地面を蹴り、宙に舞った。
 凶悪なまでに強い睡眠薬に、彼女の痛みと精神が打ち勝ったのだ。
 本来、強力な睡眠薬の効果はどんな苦痛や精神を持ってしても抗いがたい、強制的に脳神経を停止させる毒のようなものである。
 毒といえば、それに対し意志の力で打ち勝つことがどれほど馬鹿げたことかは明白である。

804 名前:ぽけもん黒  最終話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/08/12(月) 20:21:34 ID:F.d9Ljgs [7/12]
 しかしその馬鹿げたことは現に起きた。
 現象があるのだから、それがどれほど荒唐無稽であろうと否定することは不可能である。
 それが起こってしまったのは、陳腐な言い方をすれば狂愛が毒に打ち勝った。常識で考えれば、激しい戦闘中において、相手を昏倒させるほどの眠り粉を摂取させることに失敗したのだろうという推測が成せるのみである。
 宙に舞ったポポは、しかしはっきりとした冷徹な目で香草を凝視した。
 対する香草の表情はもはやようとしてしれない。嗤っているようにも、激怒しているようにも見え、それはもはやまともな生物の表情ではない、狂相そのものもだった。
 驚愕するべきは、これほどの手数のやり取りが、わずか数秒の間に交わされたものだということだ。
 ほんの数秒前にはほぼ無傷であった両者が、今は全身に打撲痕と無数の切り傷、そして流血に塗れている。
 怪我の程度はポポのほうが重かった。
 この怪我の差は、そのまま一瞬間の油断の差、それが齎したポポへの罰といえよう。
 先ほどの小競り合いとは打って変わって繰り広げられた高速戦闘。
 それは膠着を打破し、お互いを撃滅せんとする殺意の嵐そのものだった。
 
 
 
 
 
 吹き荒れる嵐の果てに、深手を負ったポポは焦りを覚える。
 このまま正面からぶつかっても、もはや負ける可能性の方が高い。
 幸い、ここしばらくのゴールドとの蜜月の間に、この周囲の地形は殆ど把握している。入られたら最後、追跡が不可能となるような洞窟や抜け穴の類は無いはずだ。
 また、このようなフィールドはポポにとって機動力を活かしきれない場でもあるが、しかし本来であれば彼女の生活の場、狩りの場でもある。この地は彼女にとって不利なだけの場ではない。
 獲物が森に紛れようと、彼女が獲物を見失う可能性は低い。
 ましてゴールドには自分の匂いがたっぷりと染み付いている。
 追跡できないわけがない。
 持久戦、という言葉がポポの脳裏を掠める。
 ゴールドの確保という点においては、そもそも香草の方が不利なのだ。
 彼女は飛べず、また木々に蔦を巻きつけ、手繰り寄せることで瞬間的にはある程度の速度を出すことはできるが、それも空を翔るポポにとっては大した速さではない。
 一方のポポは、ゴールドを捕まえ、一度宙に浮かびさえすればもはや何者にも決して追いつかれることはないだろう。
 さらに超能力でこちらを探知するやどりは死んだ。
 とすれば香草ひとりで、逃走するポポに何が出来よう。
 ゴールドを確保し次第、逃げる。
 屈辱的だが、その選択が最善に思えた。
 しかし果たしてそれは可能なのだろうか。
 この傷、出血は決して軽くはない。これ以上の時間をかけることは、彼女にやや不利と現実が告げている。
 元々体重の軽い彼女、血液の量は決して多くはない。
 これほどまでに神経が高ぶっていなければ、思考判断力が低下するに十分な量の血がすでに彼女の体内から流れ出ていた。
 さらに、彼女にとって、ゴールドが錯乱して見えることも懸念の材料だった。
 ゴールドの精神はある程度真っ当なものであったが、彼女にとっては、ゴールドが彼女を拒む時点で狂気の沙汰なのだ。
 狂人にとっては、正気の人間こそ狂気に映るものだ。
 結局、彼女は消極的な策として、香草を少しずつ削ることを選んだ。
 そもそも彼女は狩る側だ。攻撃者と防衛者の関係において、どちらも同条件であれば攻撃者は絶対優位である。守る側は守るタイミングを選ぶことは不可能であり、行動の自由に絶対的な制限がある。一方、攻撃者にそれらの制限は皆無だ。攻めたいときに自由に攻めることが出来る。防衛者は常に襲撃者に神経を張り詰めざるを得ない。それによる消耗は隙を生み、そして隙は敗北を生む。
 私の体力が尽きるのが先か、香草の精神力が尽きるのが先か。
 分のいい賭けには思えなかった。
 しかし、今は他に選択肢が無い。
 そうして、持久戦の覚悟を決めたポポは、次の香草の一手で息を飲んだ。
 香草の全身にが、燐光に包まれる。
 そしてその燐光が、束ねられた蔦の先、その一点へと収束している。
 蔦の先端の輝きは見る見る増し、周囲から光を奪っていると錯覚するまでになる。
 ポポは驚愕する。
 あれは太陽の光。彼女は、蔦の先に極小の太陽を作り出し、それを打ち出そうとしているのか。
 しかし次の瞬間のポポの顔に浮かんだのは、驚愕ではなく歓喜の表情。
 笑わせる。この私を目の前にして、そんなものなど。

805 名前:ぽけもん黒  最終話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/08/12(月) 20:21:55 ID:F.d9Ljgs [8/12]
 そしてポポの体も陽光に包まれる。
 そう、ポポも持っていたのだ。
 一撃で確実に相手を絶命せしめる、必殺の一矢を。
 その絶大な破壊力ゆえに、『ゴッドバード』の名を冠され、畏怖された、壮絶な一撃を。
 ポポはむしろ好都合に思えた。
 相手は一撃へと賭けに出た。しかし自分のほうがより強い一撃を持っている。
 この勝負、私の勝ちだ!
 
 その時点では、両者に慢心があった。
 しかし互いに、互いの業の輝きを目にし、そして双方、ほぼ同時に悟る。
 目の前の敵は、今まで戦ったことのある敵の中で最も強い相手である。
 そして自分達の持つ技の数々は、その強敵を抹殺するのには十分ではない。
 もはや、自分達は、「一点」を除いて相手を絶命せしめることが不可能である、と。

 だから、その一撃は双方の命をかけた最後の一撃となり、そしてそれは正面から、自らの全てをぶつける大技となった。
 回避すらここに到っては愚策だった。
 回避などを頭においていては、攻撃の威力が減算する。それでは殺しきれないかもしれない。打ちもらすかもしれない。
 それに、双方共に、一切の打ちもらし無く、一撃で相手を確実に殺しきる。心からのその確信があった。
 双方、互いの業の破壊力を高めることに集中する。
 その結果、この激しい闘争のさなかにおいて、唐突に静寂が訪れた。
 周囲の木々が恐怖で呼吸を止めるような、大気が怯えてこの場から消え去ったかのような、凄惨なまでの静寂。
 しかし、その静寂も幾許も続かなかった。
 周囲の木々が恐怖のあまり発狂するより早く、二人はほぼ同時に業の予備行動を終え、最大の威力まで高められた二人の業が発動する。
 まばゆいまでの光に包まれたポポが怪鳥染みた奇声をもって急降下を開始し、その中心目掛けて香草の光線は放たれた。
 勝った! 殺した!
 互いにそれを確信した。
 彼女達の計算に、誤りは無いはずであった。
 ただ一点。彼女達の犯したミス。
 それはゴールドの存在を、自らの愛しい人の介入を考慮にいれていなかったことにある。
「二人とも、もうやめてくれ!」
 彼女達が知覚したときには、すでにゴールドは目の前にいた。
 互いに、渾身の力を持って相手を撃滅せんとしたばかりに、周囲への注意がおろそかとなった。
 しかし誰が予想しうるだろうか。
 岩を砕き、鉄を裂くような攻撃に、傍目から見ても想像がつくような破壊の権化の只中に、自ら飛び込む人間がいようなどと。
 結果。すべては手遅れとなってしまった。
 一度放たれた銃弾が再び銃口に戻ることがないように、もはやすべてが手遅れであった。
「やめろー!!」
 ゴールドはすべてが手遅れであることを内心悟りつつ、それでも二人を助けるために、二つのエネルギーがぶつかる、その光の中へと飛び込んだ。