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743 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 01:56:23 ID:2qzBLu79
「んー……こんなもんかな?」
 ボールペンを机の上に転がし、便箋を右手でつまんで持ち上げる。
 B5サイズの便箋には彼へ向けたアタシの想いが綴ってある。
 現国の課題で作文用紙に感想文を書かされる時はすっごく悩むのに、これを書いている間は悩む暇も無かった。
 って言っても、悩まなかったのは文章だけ。
 要点を押さえながら、不必要な部分を省く方が難しかった。
 「アタシはあなたを助けたいの」って部分は残しておきたかったんだけど、頭の痛い女だと思われるかもしれないから、渋々削除した。
 文章って難しい。もうちょっと真面目に授業を受けたり、本を読んだりしておけばよかった。
 これから勉強する暇も無くなると考えると、損をした気分になる。
 でも、いっか。
 損した分を補って余りあるものがもうすぐ手に入るんだから、少しは我慢しないとね。

 便箋を折りたたんで封筒に入れる。そしてラブレターらしく、ピンク色のハートのシールで封をする。
 あとはこれと、アタシの愛が凝縮したチョコレートを彼の靴箱の中に入れれば、事を行う準備が全て整う。
 チョコは今日の夕方にようやく完成した。
 作り始めたのは何日も前からなのに時間がかかったのは、理想通りに仕上がらなかったから。
 アタシの血とか愛液とか入れると必ず失敗するのよね。
 おかげでチョコレートを溶かして固めただけのバレンタインチョコしかできなかった。
 でも、我慢しよう。明日の今頃には、彼はアタシを食べているはずだから。
「そして、アタシも…………ふひひひひ」
 告白の舞台は完璧に整っている。彼の性格を考慮に入れた作戦もできている。
 彼がやってきて、告白されてどんな顔をして何を言うのか、手に取るように分かる。
 そして、アタシに抱きつかれても彼が受け入れてくれないということも。

 椅子から腰を浮かせて、ベッドの上に身を投げ出す。音も立てずにベッドがアタシの体を受け止めた。
 このベッドで眠るのが恐ろしくなくなったのは、彼に出会って癒されてから。
 それ以前は自分の部屋に入るだけで吐き気がして、その度に胃の中身をもどしてた。
 彼にもしも出会っていなければ、アタシはずっとあのままだったに違いない。
 今では、どうしてあそこまであの男の影に怯えていたのかすら思い出せない。
 あの男はアタシの件を含めたいくつもの罪で懲役中。少なくとも十年は出てこないはず。
 死刑になっちゃえばいいのに。日本の司法の甘さにはほとほと呆れる。
「あー、やめやめ。バカバカしい」
 いくら考えたって過去は過去。決定したものは覆らない。
 今みたいに世の中の理不尽さを恨んだところで何も変わらないんだ。
 それよりも前を見よう。明日のことを考えよう。

 どこまで考えてたっけ? ――そうそう、彼の返事のところまでだった。
 きっと彼はこう言うはず。「ごめん。僕は他の人が好きだから、君とは付き合えない」。
 台詞は違っても、返事に込められた意味は同じ。
 ――アタシを受け入れることはできない、アタシなんか要らない、ってね。

「ハ……アハハ………………ッハハ、ハハハハハ、アハハッ……」
 乾いた笑いが勝手に漏れ出た。満たされない虚しさが心に広がっていく。
 分かってるよ。あなたが自分の想いをねじ曲げたりしないなんて、重々理解してる。
 だけど、アタシだって気持ちを変えたりしない。
 あなたが拒否しようと、逃げようと、アタシを強引にねじ伏せようと、諦めない。
 どうしてか? ――好きだからに決まっているじゃない。

 あなたの好きな黒い仮面を被ったヒーローさん。
 ヒーローはどうして戦うのかしら? 仕事だから? お金のため? 誰かの命令?
 どれも違うでしょう。守りたい人がいるから戦うの。
 力尽きてもボロボロに傷ついても死にそうな時でも、死を恐れずに立ち上がる。
 アタシも同じ。無条件にあなたが好き。だから諦めない。挑み続ける。
 どうして好きなのか、なんて無粋な質問はしないでね。
 好きだから好きなの。好きになるのに理由なんて必要ない。

744 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 01:57:05 ID:2qzBLu79
 ごめんね。こんなに思いこみの激しい女で。
 最初はこんなに好きになるつもりじゃなかったの。
 あなたが優しくしてくれたから、ほんのちょっとの間だけすがろうと思っていたの。
 救いがどこかにあると信じて生きてきて、ちょっと疲れた時に立ち寄った小さな休憩所があなた。
 からかって遊んで、アタシの台詞でどぎまぎするあなたの顔を見るだけのつもりだった。
 あなたは時々顔を赤くした。けど、アタシに気があるような素振りを少しも見せなかった。
 その理由はあなたの行動を観察しているうちに判明した。

 葵紋花火。別のクラスに居る一見して不良っぽい女。
 でも実際は髪が金髪なだけで、成績はとても優秀。
 目立つ金色の髪の毛と大きな胸のおかげで男子のウケはとてもいい。先生たちも時々いやらしい目で見てる。
 あなたが有象無象の男共と同じだったらまだ良かった。
 それなのに、よりによって幼なじみで、しかも惚れているだなんて。
 面白くなかった。捜し回ってようやく見つけたおもちゃ屋がもうすぐ取り壊されると知ったときみたい。
 この時点で、すでにあなたにのめり込んでいたんでしょうね。

 後はずるずるとはまっていった。気づけば、あなたが葵紋花火の方を見ているだけで歯ぎしりをするようになってた。
 あんなすました女のどこがいいの? いつもむっつり黙り込んで愛想も見せないのに。
 あいつより、アタシの方がずっとあなたのことを愛してる。アタシならあなたをもっと幸せにすることができる。
 アタシだけを見て。アタシの目はあなただけしか見てないの。
 見てくれないと、寂しくて泣いちゃうよ?
「本当に、寂しいんだから……毎日毎日、もうヤダよ……」
 呟いた途端に涙腺が緩んだ。涙が零れる。
 いくら泣いても無駄なのに。あなたは手に入らない。少しも寂しさは紛れない。
 心の中から寂しさを永遠に無くす方法はたった一つ。
 ちっとも冴えてない泥臭いやり方だけど、これしかない。

 あなたを二人だけの世界へと連れて行く。
 他の手段はない。あなたの心を動かせない以上、無理矢理奪うしかないの。
 責任をとってあなたの面倒は一生見るから。いいえ、見させてもらいますから。
 明日からアタシは、あなたの良き妻となります。
 あなたとだけ体を重ねて、あなたのためだけにご飯を作って、あなただけを愛する存在になる。
 重ね重ね、ごめんなさい。好きになってしまって、ごめんなさい。
 でも、こうなってしまった以上、もう仕方がないの。
 自分では抑えがきかない。あなたを独占しなきゃ、この疼きは収まらない。

 壁にかけている時計を見る。
 まだ夜の十時か。明日が待ち遠しいなあ。
 早く二人っきりで会いたいな。その時から、アタシとあなたの物語が始まるんだから。
745 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 01:58:17 ID:2qzBLu79
*****

 毎年二月十四日になると思う。バレンタインデイって無意味だな、と。
 こう思うのは、毎年学校の女子や家族からチョコをもらえないからではない。
 また、帰宅した弟が持ち込んだ大量のチョコレートを妹に見つかったら処分されるからという理由で
俺の部屋に運搬され、貴重なスペースを占領されることに腹を立てているわけでもない。
 男としての感情を抜きにして、無意味だと思うのだ。
 そう思うのは、女性が想いを込めた贈り物をするのが珍しいことではないという認識が働いているから。

 うちの両親は兄妹でありながら子供を作った。妹は弟に過剰なまでの好意を向けている。
 どちらも世間の常識に反しているのだが、その想いだけは本物の好意だと言える。
 この二組と同居している俺は、母と妹がチョコレートを差し出す様子を毎年見ている。
 昨日はキッチンでにぎやかにしていたから、今年もチョコレートを送るのだろう。
 だが、それがなんだというのであろうか。
 我が家では母が父への愛を込めた鼻歌を歌いながら調理に励むのは当たり前だし、
妹が弟の目を気にしながら鍋をかき混ぜるのも当たり前。ほぼ毎日繰り返されていることだ。
 バレンタインデイなど、贈り物がチョコレートに変わるだけの日でしかない。
 それが俺の認識である。

 俺は、告白するなら何も今日でなくとも構わないと思う。
 告白したいときに告白すればいいし、贈り物をするならいつでもいい。
 受ける側が困るということなどないだろう。
 恋人がいたり、人から施しを受けるのが嫌いな人間以外なら喜ぶはずだ。

 バレンタインデイのいいところは、男に小さな期待を抱かせるところ。
 もしかしたら大好きなあの子が告白してくれるかも、なんて思ってしまうのが俺ぐらいの年頃の男だ。
 俺の経験で語るならば、告白されるかもなんて考えている男は告白されない。
 もしくは、好きでも嫌いでもない女子に告白される。現実はそんなものだ。
 まあ、たかが毎年やってくる慣例的なイベントである。
 特別なことを期待せず、どっしりと構えているのがよかろう。

 朝起きたときにそんなことを考えて自分に言い聞かせ、部屋を覆う冷気に辟易しながら学校へ向かう準備をした。
 その後で朝食を食べ終えて、弟と一緒に登校しようと玄関へ向かった。
 ここまでは良かった。昨日と何ら変わりない朝の光景だった。
 しかし、今日は違った。俺と弟が玄関から出ようとするのを阻む者がいたのである。
746 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 01:59:33 ID:2qzBLu79
「おはよう、お兄ちゃん」
 バスケットのディフェンスみたいな構えで玄関の扉の前に立ち、弟に向けて挨拶をしたのは妹だった。
 妹は来年度から俺と同じ高校に入学することが決まっている。
 兄二人と同じ高校を選んだ理由は弟と同じ高校に通いたいからだろう。聞いていないけどそれぐらい分かる。

 今朝の妹は俺に挨拶するどころか視線さえ向けない。
 それ自体は毎度のことなのだが、今朝はどうも様子が違う。
 弟を険しい目で見つめたまま黙り込んでいるのだ。
 弟の顔を見る。疑問符を頭の上に浮かべそうな顔つきをして、人差し指で頬を掻いていた。
「おはよ。朝ご飯食べてなかったのは、ずっとそうしてたから?」
「そうよ」
「なんでさ?」
「決まっているじゃない。お兄ちゃんを学校に行かせないためよ」
 妹に止められたから今日は学校を休みます、という言い訳は果たして教師に通用するのだろうか。
 医者ならともかく、妹に止められたではさすがに苦しいと思われる。
「……なんでさ?」
 再度弟が問う。俺も同じ問いをしてやろうかと思ったが、妹の反応が怖いのでやめた。
「今日はバレンタインよね?」
「ああ、うん。そうだけど」
「はい、お兄ちゃん。ハッピーバレンタイン」
 妹が差し出したのは黒い紙と赤いリボンでラッピングされた四角い箱だった。
 中身はカカオを主としてその他諸々を練り固めたお菓子、いわゆるチョコレートだろう。
 ……チョコレート、か? 形はそうだとしても中身はチョコレートの材料だけなのか?
 アイドルの追っかけがやりそうな変なモノ入りのチョコだったりしないか?
 もしそうだったとしても食べるのは弟だから俺に害はないのだが、さすがに引いてしまう。
 髪の毛は入れないはずだ。食感でやばい物だということがすぐに分かってしまう。
 血液もないだろう。湯煎している最中に水分が入り込んだら上手く固まらない。
 待てよ、凝固させていれば大丈夫かな?
 数日前から一滴ずつ容器の中に垂らしていき、固まったら次の一滴を、とかしていったらなんとかなりそうだ。
 ――考えるのはやめよう。怖くなってきた。
 心配無用だと考えることする。妹がそこまでイカれていないと信じよう。

「今年もくれるんだ。ありがと」
「当たり前でしょ。私の本命はお兄ちゃんだけなんだから。本命の人以外には絶対にあげないもん」
 妹よ。今の台詞の後半は俺に向けて言っていたな?
 こっちだってもらえるなんて思っていないぞ。
 妹にもらっても数のうちに入らないからありがたくもない。
 そう。ありがたくなんかない。繰り返して言うが、ありがたくなんかないんだ。

「――でもね、お兄ちゃん」
 妹が突然声を低くした。チョコレートは手に持ったままで、まだ弟に渡していない。
「なに?」
「お兄ちゃんは学校に行ったら誰かにもらうよね? そして、家に持ってくるよね?」
「うん。もしもらったら、だけど」
「もらうに決まってるじゃない。お兄ちゃんのことを好きな人、学校に一杯いるんでしょう?
 ファンクラブがいるんですってね? しかも何人も」
「それは兄さんの嘘だって言っただろ」
「下手な嘘はやめてよ、お兄ちゃん。お願いだから、本当のこと言って? ……ね?」
「だから、嘘なんかじゃないって」
「嘘吐かないでってば!」
747 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:01:27 ID:2qzBLu79
 妹が玄関に拳を叩きつけた。朝の静けさとは異なる沈黙が玄関を支配した。
「どうして黙ってるの? どうして本当のこと言わないの?
 私、ファンクラブがあることぐらいじゃ怒らないよ。だって、お兄ちゃんがかっこいいのは事実だから、
 惹かれる女の子がいたっておかしくないもん。
 私が怒っているのは、お兄ちゃんのせい。お兄ちゃんが本当のことを言ってくれないから悪いの。
 もう一回聞くね。お兄ちゃんの、通っている高校には、お兄ちゃんのファンクラブが、あるの?」
 朝から妹が嫉妬心全開で怒っている。
 一体どうしたのだ。バレンタインデイで気持ちが浮かれているせいで、頭まで熱に浮かされたのか?
 この状態の妹に対して、弟はなんと答える?
 イエスと言ってもノーと言っても逃げられそうな感じがしない。

「どうなの? お兄ちゃん」
「……いるよ。詳しいことは知らないけど、そういう人たちがいるってことは知ってる」
「やっぱり、そうなんだ。……ふうん」
「ちゃんと答えたろ。そこ、どいてくれないか?」
「嫌よ。お兄ちゃんを狙っている女共がいるところに行くのを、みすみす見逃すと思う?」
 思わないな。きっと弟も俺と同じ認識を持っているはず。
 なるほど。弟を学校に行かせたくないから、朝から玄関の扉を死守している訳だ。
 ううむ。弟が学校をサボることについては構わないのだが、模範的な生徒としての行動を
心がけている俺としては早く学校に行きたいところだ。
 どうしてやろうか。このまま強行突破――してもいいんだけど後が怖いな。
 何か使えそうなものは無いかと玄関を見回す。
 置いてあるものは靴箱と傘とドライフラワーと、対女人用決戦兵器の弟のみ。使えそうなのは弟だけだ。
 障害物はブラコンを超えたブラコン、頭の中が弟のことで一杯の妹。
 仕方がない。最初から俺は何もしていなかったが、この場は弟に任せるとしよう。

 弟がうつむいた。妹にばれないよう、横目で俺にアイコンタクトを送ってきている。
 なになに――――ちょっとギリギリなことをやってもいいか、だと?
 瞬きを素早く繰り返す。――――何をする気だ、弟。
 弟が小さく首を振る。――――心配するようなことじゃないよ、か。
 ……ふむ。何をやらかすつもりか知らないが、俺がいる状況で暴力を振るったりはしないだろう。
 それにゆっくりしていたら学校に着いてからまったりぼんやりする時間が無くなってしまう。
 よし。異常な状況をつくった張本人は身内だが、緊急事態には変わりない。いいだろう。
 大きく一回頷く。承認の合図と受け取った弟が首を持ち上げ、妹と対面した。

「お兄さんと何の話をしていたの? 逃げる相談?」
「ううん、そうじゃないよ。妹がそこまでするんなら今日は学校を休んでいいか聞いただけ」
 あれ、アイコンタクトを読み違えてたか?
 弟は逃げる作戦を立てていたはずではなかったのか?
「……本当に? 今日は家に居てくれるの?」
「もちろん。高校ではたまにサボっても大目に見てくれるから平気さ」
 でまかせを言うんじゃない。無断で欠席なんかしたら放課後に居残らせて反省文なんか書かせるような高校だぞ。
 今の発言を信じた妹が来年サボりの常習犯になったらどうするつもりだ。留年だぞ、留年。
 弟、お前だって同じだ。俺が勉強を教えていなければ高校は受からなかったし、テストだってクリアできなかっただろう。
 弟と妹が同時期に卒業するなんてあっちゃいけないことだ。
 学校ぐらい平凡に卒業してくれ。非凡なのは家庭の事情だけで十分だ。
748 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:02:26 ID:2qzBLu79
 妹の顔から少しだけ険しさが消えた。代わりに疑惑の色を浮かべている。
「証拠は? 今日一日中家に居てくれる証拠を見せて」
「何を見せたら信じてくれるんだ?」
「そうねえ。お兄ちゃんが制服から私服に着替えたら信じてあげてもいいよ」
「うーん……別なやつじゃダメかな」
「証拠になるんだったらなんでもいいよ。他にあるのなら、ね」
「じゃあ、代わりは――――僕の気持ちでもいいよね」 
「え?」
 なに? なんだそのうすら寒い台詞。
 弟が言うから様になっているが、俺の気持ちを見せてあげる、なんて俺が言ったらほとんどの人間は卒倒するか逃げ出すぞ。
「本当は今渡すつもりじゃなかったんだけど、せっかくだから渡すとするよ」
「え、え? 渡すって何?」
 弟が学生鞄の中に手を突っ込んだ。
 隠されていた手がその全容を見せたとき、長方形の物体も同時に姿を現した。
「うそ……それって。もしかしなくても、やっぱり……」
 妹の考えていることは当たっている。
 俺だって、ワインレッドの包装紙に包まれた箱の中身を九分九厘当てることができる。

 ――そう。
 それは、黒ずくめのカカオ菓子。
 それは、情念の凝縮した姿。
 我々(俺を含む一部の男)が求める、高貴なる存在。
 その名も――――――

「バレンタイン、チョコレート……」
「そう。タイミングを見計らって渡そうと思って持っていたんだ」
 なんて奴だ。座っているだけで山のような数のチョコレートをもらえるくせに、
一個でも数を増やすために身銭を切って用意しているなんて。
 そこまでして、見栄を張りたいのか――――って、それはないな。
「なんでお兄ちゃんがチョコレートなんか持っているの……? 今日はお兄ちゃん、もらう側でしょう?」
 そうだ。何でチョコなんか鞄の中に入れてやがる。
 まさか本当に妹に渡すつもりでいたのか? いや、そんなはずがない。
 いくら鈍感アンド天然な弟でも、妹のむき出しの好意に気づいているだろう。
 妹からチョコレートをもらえることは予測していたはずだ。
 でも、現に弟は目の前でチョコレートの入っているらしき箱を手にしている。
 ということは、やはり妹に渡すつもりで?
「男が渡すのってやっぱり変かな?」
「変っていえば変だけど、でもあげるのはその人の自由だから。
 ……でも、お兄ちゃんからもらうんなら、やっぱりホワイトデイの方が私は嬉しいな」
 妹はそう言いながらも嬉しそうである。弟からもらえるものならなんでもいいのだろう。

 弟の作戦は妹に餌を与えて油断させ、その隙に登校するものであったようだ。
 そうか。ならば早く渡すがいい。すでにいつも出発する時間より十分オーバーしてしまっている。
 バレンタインデイに遅刻なんかしたら高橋に誤解されかねん。
 「チョコレートの食べ過ぎで体が重いのかい、ハハハハハ」なんて言われたら何も考えず蹴ってしまう。
 そうならないためにも、ホレ、弟よ。妹に早くチョコレートを譲渡するんだ。
749 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:03:55 ID:2qzBLu79
「お兄ちゃん、私……今すごく感動してる。だってそれ、本命なんでしょ? 
 ちゃんと味わって食べるから、その後でお兄ちゃんにも…………してあげるよ。
 ねえ、早く頂戴?」
「あれ。僕、妹に渡すなんて言ったっけ?」
「もう、今更照れなくても……」
「違うって。これは妹のやつじゃなくって」
 弟が言葉を切った。
 ああ、なんだろう。また嫌な予感が湧いてきた。
 なんとなく読めてきたぞ。弟が何をしようとしているのか。
 さっきのアイコンタクトの通り、これは色々ギリギリだわ。俺の安全の確保が。
 兄妹三人しかいないこの状況下で、妹以外にチョコレートを渡す相手は、一人しかいないもんな。

 弟が俺と向かい合い、胸元に箱を押しつけた。
 まだわからない。まだ弟の意図ははっきりしていない。
 もしかして、このチョコレートを同じクラスの葉月さんや高橋に渡してくれ、と言いたいのかもしれない。
 頼む。俺に向けた贈り物ではないと言ってくれ、弟!
「これは、兄さんの分だよ」
「なん…………です、って?」
「兄さん、受け取ってくれるよね?」
 あー。
 はっはっはっ。
 へーえ。やっぱり。
 そうだったんだねえ。

 ………………弟のド阿呆。

750 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:08:33 ID:2qzBLu79
* * *

「やあ、おはよう。どうしたんだい今日は。遅かったじゃないか。
 もしかして、チョコレートの過剰摂取のせいで体が自分のものではないように重いのかい?」
 高校の教室に辿り着いて机に座った途端高橋から話しかけられた。
 返事する気力は残っていない。朝のホームルーム前のわずかな時間は体力回復に使わなければならない。
 ハンカチを机の上に広げて、その上に頬を軟着陸させる。
 机がひんやり冷たくて気持ちいい。このまま眠ってしまいたい気分だ。
「むう。返事することもできないほどに疲労しているのか。
 こんな気持ちのいい日の朝から一体何をやっていたんだね、君は」
「…………妹に追いかけられた」
「なんと! 世の妹好きの男から羨ましがられるような朝の過ごし方だね。素敵だ。
 妹の居ない僕としては一度でいいから君みたいに追いかけられたいものだよ」
 ああ。確かに羨ましく聞こえるだろうさ。追いかけられるだけだったら俺だってそれなりに楽しめたんだ。
 だけど俺の妹は違うんだ。傘を全力で振り回し、聞くに堪えない罵詈雑言を叫び散らしながら追撃してくるんだ。
 そもそも弟が悪い。妹にさんざん期待させたのは反動で我を忘れさせるほど怒らせるためだったのだろうが、やり過ぎだ。
 結果的には逃げられたが、俺と妹の間にはより深い溝が生まれてしまった。
 今日家に帰ったら今朝の続きが待っているだろう。
 帰りたくねえなあ、ちくしょう。
「それほど仲がいいからには、妹からチョコを貰えたのだろう? それとも、帰ってから渡されるのか?」
「…………おそらくは」
 渡されるのはチョコレートでなく、引導だと思うけど。

 高橋から振ってくる話をぼんやり聞きながら相づちを打っていると、チャイムが鳴った。
 途端に高橋は自分の席へと戻る。奴にとっては今この時から一日が始まると言っても過言ではない。
 その理由は単純である。高橋が恋する男子高校生だから。恋のお相手が担任だから。
 したがって、ホームルームが始まる前には絶対に席に着かなければならないのだ。
 ほどなくしてカーディガンとロングスカートという相変わらずの格好をした担任の篤子女史が教室にやってきて、
朝のホームルームが始まった。
751 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:10:36 ID:2qzBLu79
* * *

 本日の一時間目となる体育では、ボールを足蹴にしていじめる競技、柔らかく言うとサッカーをすることになった。
 ちなみに屋内でやるサッカーの簡略版みたいな競技はフットサルと言う。
 五人ほどのチーム二組が小さなコート上で試合を行う。ボールもゴールも小さい。
 サッカーと言った場合は、人数もコートもボールもゴールも、全てがひと回り以上大きいものを指す。
 よって、サッカーの試合場はとても体育館の中には収まりきらない。
 当然、やる場所は寒風吹きすさぶ屋外ということになる。

 運動場の一角で準備運動をする俺の横では、高橋が腕組みをして立ち尽くしていた。
 視線はゴールを一直線に見据えている。早くもドリブルでの切り込み方をシミュレーションしているらしい。
 体前屈をしている最中に話しかけられた。
「鉄壁のディフェンダー君」
「なんだ? エースストライカー殿」
「いいか。寒い、と言ったら負けだぞ」
「冷える、と言ったら?」
「それも無しだ。ともかく、でっちあげの理由をつけて途中で動きを鈍らせるのはダメだぞ」
「わかってるって。一点も相手にやらねえよ。お前こそ本気でやるんだぞ」
「言われるまでもない。始まると同時に一気に攻めて敵の戦意を削いでやるさ」
 力強く言い残し、高橋はコートへ向けて歩き出した。
 ――うむ。お互いにできもしないことを誓い合う会話は不毛だ。
 高橋は中盤より前、いわゆるフォワードの位置に立つのを好むが足が遅いので点取り屋としては役不足。
 俺は敵が攻め込んできたら無様に立ちふさがり、ほとんどの場合突破されるダメな壁の役。
 お互いにその事実を理解し合っているのに格好付けた会話をしたのはなんでだろう。
 手足が冷えて寒いから、バカな会話をして少しでも熱くなりたかったのかもしれない。
 そんなことをしても暖かくなるわけがないんだけど。

 お隣のC組とのサッカー対決は、冬の寒さにも関わらず、意外に白熱した。
 動いていると体は自然と温まる。朝から全力疾走していたというのに、俺は飽きもせずグラウンドを走り回った。
 俺だけでなく、やる気のある人間は皆サッカーを楽しんでいた。
 いつもはいまいちキレのない高橋でさえナイスアシストをして、チームの得点に貢献した。
 試合自体は一点差で惜しくも敗れてしまったが、所詮は体育の授業。あまり悔しくない。
 少しだけ欝だった気分が晴れて気持ちいいぐらいだ。
752 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:13:24 ID:2qzBLu79
 一時間目終了後、暖まった体が冷えないうちに校舎へ戻り制服に着替える。
 俺の所属するD組とC組は隣同士なので、体育の時間は合同で行う。
 よって、男女それぞれ別々の教室で着替えることができるのだ。男子はC組で、女子はD組で。
 D組に隠しカメラでも仕掛けておけば女子の生着替えを録画することができるが、実行する人間はいない。
 俺だって退屈な思考がたまたまそんな不埒なことを浮かべただけで、やろうとは思わない。
 というか、あまり見たくない。嫌いなD組男子の机にいたずらをしている光景とかが映っていたら女性不信になってしまう。
 仮に、もしもいたずらされているのが俺だったりしたら、登校拒否になってしまうかもしれない。
 人気者の葉月さんと仲良くしているため一部の女子に目を付けられているから、全くあり得ないとは言えないのだ。
 そんなこともあり、同級生の女子の着替えシーンには触れないことにしている。
 そもそも盗撮自体が犯罪だ。俺は犯罪者になりたくない。

 女子の着替えが終了してから、教室へと戻る。
 自分の席を見てみる。変わったところは見受けられない。良かった。
 安堵の吐息を小さくついてから席に着く。
 二時間目は国語。高橋にとって一日のうちで最も幸せになれる時間である。
 教科書とノートを出すために鞄に手を伸ばし――――あることに気づいた。
 家を出る際に弟のヤロウがとち狂って渡してきたチョコレートが、鞄の中に入ったままだった。
 菓子類の摂取に消極と積極の中間的な態度をとる俺にはチョコをゴミ箱へ放り込むことができなかったのだ。
 たとえ弟から渡されたものだとしても、だ。
 弟がどんなつもりでチョコを用意していたのかは、朝のゴタゴタのせいで聞けなかった。
 真実はわからないが、俺のために用意していた、という答えはあり得ない。あっちゃいけない。
 そういうことにしておこう。

 異物が混入しているとはいえ、教科書とノートを取り出さないわけにはいかない。
 膝の上に鞄を乗せ、クラスメイトに見られないようにして開ける。
 ペンケースと、教科書とノートが数冊と、バレンタインチョコが入っているらしきオレンジ色の箱が入っていた。
 さしあたって必要としている筆記用具と国語の教科書とノートを机の上に並べる。
 そして腕組みをして高橋のアイドルが到着するのを待って――――いられれば良かったのだが。
「…………箱が、変わってた?」
 今気づいた。箱の色が変化した事実を自然にスルーしていた。
 呆けていたわけではない。弟からもらった箱の存在を無いものとして捉えていたからつい見過ごしてしまっただけだ。
 だけど、もしかしたらチョコを求める本能が生み出した幻視だったかもしれない。
 もう一度鞄の中身を確認する。
「ふうむ……」
 やはり入っている。弟がよこしたワインレッドの箱の代わりにオレンジ色の箱が混入している。
 さて、俺はこの事実をどう受け止めるべきだろう。
753 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:15:44 ID:2qzBLu79
 一つ目。殺気だった妹の攻撃を知らぬ間に鞄で受けていて、箱の色が変わった。
 ポケットの中に入っているビスケットを叩いたら増えていくのと同じ理屈である。
 しかしあの歌はそうであったらいいという願望を歌ったものだ。
 もしくは叩いたら割れてしまったというもの悲しい出来事を努めて明るく表現しただけだ。
 鞄の中に入っている箱は色だけでなく大きさも違う。
 弟のものと比べるとオレンジの方は二倍ほど大きい。潰れたのならもっと不格好になっているはずだ。
 よって、一つ目の思いつきは却下。

 二つ目。あらかじめ俺がオレンジ色の箱を入れていた。
 事実であった場合、弟に渡された箱はどこかに紛失したということになる。
 そろそろバレンタインチョコレートを頂戴した数を表わしたグラフに波を作りたい俺の気持ちが無意識のうちに体を動かし、
自腹でチョコを購入して鞄の中に入れたとは考えられないだろうか。
 もしそうだったとすれば、このオレンジの箱は俺が用意したものだとは言えない。
 純粋に貰ったものとしてカウントしてもいいだろう。俺が意識して用意したのではないのだから。
 だが、俺は認めたくない。チョコレートに飢えた男なんて格好悪い。
 俺はやっていない。俺はここ数日間チョコレートなんか買っていない。貰えなければそれで構わないんだ。
 よって、二つ目のひらめきも却下する。断じて却下する。

 三つ目。一時間目の授業中から着替え終わるまでの間に誰かが箱を入れていった。
 これが一番妥当な予測だ。十分に納得できる理由がある。
 それは、席の配置。俺の席は偶然にも男子の席に囲まれている。野郎の頭越しでしか黒板に書かれた文字を拝めない。
 男子の席が集中していると、誰も座っていない状態では机の主の判別がつかなくなる。
 あこがれの男子の席がどこか分からない女子はだいたいの見当をつける。
 席の一つや二つ分見当が外れてしまっても仕方がない。人間だもの。間違いくらいある。
 狙って俺の席に入れたということもあり得るが、これまでの実績からいって可能性は低い。

 男子の席を把握していないということを考慮に入れると、他のクラスの女子が贈ったということになる。
 おそらく、着替えに来ていたC組の女子だ。
 C組の誰かさんは誰にチョコレートを渡すつもりだったのだろう。
 前の席に座るクラス一背が高い椎名君か、後ろでひそひそと話す声まで大きい剣道部所属の木村君か。
 右翼を固めるバイク好き中野君や、左の席にて常習的に居眠りをする藤田君、ということも考えられる。
 しかし、困った。四人のうちで誰が女子に一番好かれているかなんてわからない。
 脳内の仮想スプリントではノッポの椎名君が一位だったが、二位の木村君とは僅差だった。
 四席のいずれかに座っているのが我がクラス一のイケメンである西田君だったらここまで困らないのに。

 何かヒントは無いかと思い、鞄の中で箱を手にとって観察する。
 手に取った手応えは、軽いか重いかで言わせれば重い方。板チョコ三枚分はあろう。
 表面は長方形、高さは三センチほど。B5ノートを真ん中で折りたたんだものがすっぽりと収まりそうだ。
 どの面を見ても差出人の名前や宛先などは書かれていない。メッセージカードも付属していない。
 はて、間違って届けられたチョコレートはどこに預ければいいんだろうか。
 交番、職員室、生徒会室、弟の机、高橋の靴箱、怒れる妹の手の中……いずれも然るべき対応を期待できない。

 ――保留しよう。手の施しようがない。
 間違いに気づいた送り主が取りに来るまで待つことにする。
 もし放課後になっても誰も尋ねてこなかったら……その時に考えよう。
754 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:18:02 ID:2qzBLu79
* * *

 頭が痛い。悩んでいるから。
 肌寒い。座っている場所が屋上のベンチの上だから。

 結局、放課後になってもオレンジの箱について問い質してくる人間は誰一人いなかった。
 慌てながら捜し物をする生徒の姿は一度も目にしなかった。
 手にはオレンジ色の箱に包まれたバレンタインデイの贈り物。今日は一日中こいつに悩まされることになった。
 もう校内にいる生徒は部活に所属している人間だけ。今から誰かがこの箱を取りに来たりはしないだろう。
 どうしたものか。捨てるわけにはいかないし。一番簡単なのは俺が貰う、ってのだけど。
「……なんだか悪い気がするなあ」
 こういう贈り物って念がこもっているみたいに思えるから扱いにくい。バチが当たりそうだ。
 でも、明日になって持ち主を捜してもどうせ見つからないだろう。

 箱を鞄の中に入れる。判定はグレーだが、鞄に入れられていたのだから貰ったものとしてカウントしよう。
 腰を浮かせて立ち上がる。鞄を左脇に挟んで両手をポケットの中に突っ込み、屋上の出口へ向かう。
 ポケットから手を出し扉のドアノブに伸ばす――――と、すさまじい勢いで勝手に扉が開いた。
 この高校は前衛的な趣向を凝らした作りをしていない。自動ドアなど校内のどこにも存在しない。
 勝手に扉が開いたのは、俺以外の人間が扉を開け放ったからだ。
「ったく! どこに逃げたって一緒なんだから大人しく耳から血を…………って、あ、れれ?」
 姿を現したのは葉月さんであった。
 俺と顔を合わせた途端吊り上がっていた目が平常に戻った。
 俺の顔には鎮静剤的な効能でもあるのだろうか。妹に対しても有効だったら嬉しい。

「葉月さんは、屋上に何か用でも?」
「ううん。ちょっとドラね――じゃなくて、探している人がいて」
「そうなんだ。もう五時過ぎだけど、見つかった?」
「三回見たよ。一回目は屋上、二回目は一年の教室、三回目は靴箱の前。逃げ足だけは毎回素早いんだから」
「逃げ足? 探しているんじゃなくて、追いかけてるの?」
「あ」
 葉月さんが口に手を当ててひるんだ。まずった、という感じの顔をしている。
「ち……違うの! 私は別に怒っているわけじゃなくて、ただ聞きたかっただけなの!
 本気なのかどうかとか、朝は家から走って飛び出していったのにどうやって渡せたのか、とか!
 私、朝からずっと見張っていたんだからそんな隙はなかったはずなのに!」
「はあ」
 要領を得ない説明に対しては力の無い返事しかできない。
 主語を用いない会話をする時は相手の理解度をあらかじめ把握しておいて欲しい、なんて思った。
「それで、葉月さんは今からまた探すの? もうすぐ暗くなるよ」
「え? そういえば、そうだね。うん…………もう別にどうでもいいかな。
 探すのはやめる。ねえ、一緒に帰ってくれる?」
「もちろん」
 断るはずが無い。無駄なことに頭を使ったので癒しが欲しかったところだ。
755 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:20:02 ID:2qzBLu79
 葉月さんと談笑しながらの帰り道は、葉月さんの豪邸に着いたことで終わることになった。
 ここまで来てもチョコレートのチョの字も会話に出なかった。
 ひょっとしたら葉月さんから貰えるかも、なんて期待ははずれてしまった。
 でも、二人で歩きながらの帰り道が楽しかったので悔いはない。
 物より思い出。食欲より心を満たそう。
「それじゃあ、葉月さん。また明日」
「うん。……そうだ。一つ聞いてもいいかな?」
「いいよ。何?」
「今日、バレンタインのチョコ、貰えた?」
「う………………………………………………ん、貰った」
 頷いて嘘を吐く。鞄の中にチョコレートが入っているからまるっきり嘘ではないけど。
 何者かが鞄の中に入れていたものを我が物にした、という事実は隠す。
「そうなんだ。悩むってことは、やっぱりアレを、ってこと…………だよね」
「え?」
「だよね!」
「いや、だよねって、何が」
「だ、よ、ね?!」
「…………はい。そうです……だよ、ね」
 よくわからないが押し切られてしまった。今日の葉月さんの勢いはやけに強い。
 それになんだか上機嫌だ。何かいいことでもあったに違いない。

「じゃ、また明日。そうだ、朝から尋ねていってもいいかな?」
「いいよ。葉月さんが来るまでずっと待ってるから」
「うん。絶対に行くからね。それじゃあ、バイバイ!」
 別れの挨拶の後、葉月さんは身を翻して門の向こう側へと歩いていき、門の手前に着いたところで鞄の中から鍵を取り出した。
 その時、くしゃくしゃになった物体が地面に落ちた。
「え……あ! しまった!」
 葉月さんが慌てている。落としてまずいものだったのだろうか。
 あれは何だ? 暗くていまいちわからないが、紫に近い色合をしているような。
 そういえば、弟に貰った箱の色はワインレッドだった。
 紫とワインレッド。どっちも濃色だから今ぐらいの時間だと判別がつかなくなる。
 じっと目を凝らしていると、葉月さんが両手を横に振る、いわゆる否定の動作をし始めた。
「ち、違うからね! これはその――教科書だから! 変に勘ぐらないでね!」
 そう言いつつ詳細不明の物体を回収し、家の中へと入っていった。
756 名前: 名無しさん@ピンキー [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:23:37 ID:PmDa2ZlT
支援
757 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02:23:38 ID:2qzBLu79
 葉月さん宅からマイハウスまでの歩いて十分少々の道のりは体には甘く、心には険しかった。
 妹という鬼が待っていると思うと、足が自然に止まってしまう。何度友人宅に外泊しようと考えたことか。
 朝の出来事から十時間が経過しようとしている今でも妹の怒りが持続しているのかは、ようとして知れない。
 弟が妹の怒りを諫めてくれていれば、軽傷で済む可能性もある。
 朝のことは水に流してやる。帰っててくれ、弟よ。

 わずかな望みにすがり、玄関のドアノブを掴む。
 深呼吸をする。鼻から入った外気が脳まで冷やしてくれた。吐息は少しだけ白くなって掻き消えた。
 喉を鳴らして唾を飲み込み、覚悟を決める。
「……よし」
 行くぞ!

 勢いよくドアを開け放つ。そして叫ぶ。
「いるか弟! 今朝のことを悪いと思っているのなら今すぐここに来て――く、れ?」
 言葉が止まった。
 玄関を開けて最初に目にしたものは人間の頭頂部だったのだ。
 よく観察してみるとその髪は滑らかで艶があった。この髪は妹のそれだ、と見当をつける。
 妹はうつむきながら震えていた。前髪が垂れていて目の色を伺えない。
 玄関で待っていたということは、俺に暴行を加えるつもり満々だということ。
 ああ、もう終わりだな――――と、さっきの勢いを霧散させ、あっさり生きることを諦める。

 だが、いつまで経っても拳や足技や凶器の類が襲いかかってこない。
 刺激しないよう、優しく声をかける。
「ど、どうかしたのか?」
「……お兄さん。お兄ちゃんなら、帰ってきてないよ。帰ってこないんだよ。ずっと、ずっと……待ってるのに。
 まだ、チョコ、渡してないのに」
「どういう意味だ?」
「そのまんま。メール、見たら?」
 妹はゆっくりと後ろを向き、ふらつきながら自室へ入った。
 帰ってきてない? いや、帰ってこない?
 高校生なんだから帰りが遅くなることもあるだろうに。そこまで消沈しなくても。

 携帯電話を見ると、メールが一件届いていた。
 送り主は弟。思い出してみれば弟からメールが送られてくるのはこれで二回目だ。
 初回はアドレス登録するための空メールだった。
 ということは、用件を伝える目的のある今回のメールこそが初めてのものである、と言える。
 記念すべき弟からの初メール。ちっともドキドキワクワクすることなく開封する。

『兄さん、今までありがとう。
 僕は兄さんの弟に生まれて幸せだったよ。
 さようなら』

 弟からの初メールは、お別れを告げるものだった。
 これがいたずらではないことを、バレンタインデイが終わる時刻になってようやく理解できた。



 弟は、帰ってこなかった。