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 天は高く高く遥か上方に突きぬけており、その頂にある日輪からは、太陽神の恵みである暖かく柔らかい秋特有の陽射しが地上に降り注いでいた。
 その光輝に照らされた、そしてなだらかに続く丘陵の麓で屹立する街並みがある。
 それは周囲を石造りの壁――上空から見ると歪んだ円形をして街を一周している――に囲まれている、俗に言う城塞都市と呼ばれる街であった。
 そびえたつその街壁には数十年以上に渡って外敵の侵入を拒んで来た傷跡が刻み込まれている。
 刀や斧や弓矢の跡であり、投石器によって衝突した岩の跡であり、あるいは巨大な木槌の跡であったり。それらは、この街の誇る無言の武勲であった。
 ――だが、最も新しく加えられた傷跡は過去の物とは大きく異なっていた。
 南門から西へ二十メートルほどの所に刻まれた、巨大な穴。幅が四メートル、高さはてっぺんを突き抜け、厚さ五メートルを超えるその街壁を貫通していた。
 この街は建設以来初の侵入者を許していたのだ。

 街壁に負けず劣らず居住区も至る所に甚大な損傷を抱えていた。
 家屋は多くが崩れるか焼け落ちており、黒煙が今も何本も立ち上っている。
 そして住人たちの亡骸が累々と、と言う言葉のままに路上から家屋の中に至るまで老若男女を問わず横たわっていた。
 兵士だった男は甲冑を何かに貫かれ胸に大穴を開けてうつ伏せに倒れ、母は子を守るように蹲りながら、しかしその子もろとも押しつぶされている、と言った有様である。
 もはや動くものとてない、と表現しうる状況なのだが、だがしかし、それを許さない存在が街の中央通りを南から北へ歩き続けていた。
 それは年の頃二十代半ばと思しき黒い髪、白い肌、そして秀麗と表現するに足る整った顔立ちをした青年であった。
 革と鋼で作られた甲冑を着こんでいるが、それは正規兵の重装備ではなくやや軽装と言っても良い格好である。
 騎士よりも傭兵を思わせる装備なのだが、しかし腰に吊り下げられた長剣には、そのような自由戦士には似つかわしくない家紋のような紋様が刻まれていた。
 街中に満ち満ちている死臭、それを一息吸い込んで辟易しながらも青年は結論を出した。どうやらこの街で生きている人間は自分一人だけらしい、と。
 まだ生存者がいないかと駆けずり回り声を大にして呼びかけてみたのだが、返事どころか何かが動く気配さえしないとなるとそう考えざるを得ない。
 旅の途中でこの城塞都市の存在を知り、疲れを癒す事と情報収集を目的として立ち寄ることにしたのだが、来てみればこの有様だった。
 街の状況からすると、侵略されてからまだ数日といった所なのだろう。今頃は逃げ出した者が近隣の街に知らせているだろうが……と、そこまで考えていた青年の耳に、静寂に支配されていた空気を切り裂く剣戟の音が届き、青年は青い目を見開いて音の出所を探す。
 剣戟は継続して響いていて、それは進行方向、街の中心部から届いていた。
 腰の長剣を鳴らして踏み出すと、青年は駆け出す。さっきの結論はどうやら間違っていたようだ、と思いながら。

 街の中心部はかつて休日や祝日の度にバザーが開かれ、住人たちの憩いと歓談の場所になっていた広場である。ほぼ正円形をしており、さらに中央には直径四十メートルにも達するこれも正円形の泉がある。
 それを見て取った青年の視線は泉の北方に向けられた。
 視界に入ったのは、泉を背にして立つ小柄な人影とそれを取り囲むようにしてレイピア(片手剣)を構える長身の七人の男達だった。
 背負っていた荷袋を放り出し、泉を回り込むようにして駆け寄りながら、相手の様子を観察するうちに青年はやや意表を突かれた。
 男達の誰もが長く先のとがった耳をして、肌は輝くばかりに白く、そして長い金髪をしていたのだ。
「エルフか」
 心の内でつぶやいてから青年は瞬時に判断を下す。
 エルフは善の勢力に属している。つまりは自分にとっては敵ではない。本来であれば、だがしかし。
「シャア!」
 集団まであと十数メートルという所で青年はそう叫ぶと、目前の集団の注意を自分に向けた。
 エルフ達が振り向く。皆一様に驚愕と困惑の表情を浮かべていた。広場の中で青年の存在に今まで気づかなかったのが不覚だったのだろう。
 それは彼らが目の前の小柄な人影にそれほど集中していたという証であるのだが。
 青年が猛然と刀を抜いて切りかかってくるのを見ても多くは反撃体勢も取れず、そのまま手にしたレイピアで斬撃を受け止めるのが精いっぱいだった。
 無理に追撃を出すこともなく、青年はそのまま相手を押しのけるとエルフ達の囲みを突破し――正確には囲みの中に入ったのだが――中央にいる小柄な人影の前に立ち長剣を構えた。
 刃に日光が煌めき、エルフ達は細い目をさらに細くして青年を見やる。
「どういうつもりだ、人間」
 リーダー格らしい、七人の真ん中に位置していたエルフが憤怒に満ちた声を出した。
 青年は、慎重に距離を測りながらリーダーに答える。
「義を見てせざるは勇無きなり、という言葉が人間界にはありまして」
「貴様、その後ろに立っているのが誰だか分かっているのか!?」
 指を突き付けられてそう言われ、青年も背後の人物に僅かに目をやった。
 黒いフードを目深にかぶり、足もとまで届く黒いマントを着たその人物は、表情すらうかがう事ができない。ただ、マントに施された銀の見事な刺繍が目についた。
「いえ、残念ながら初対面なもので。宜しければこちらの方がどなたか教えて頂けますか」
 口調は丁寧なのだが、小馬鹿にされているようにしか感じないその返答を聞いて、エルフのリーダーは今度は憎悪交じりの声を出した。
「そいつは、ダークエルフだ!」
 なんとまあ、と思うと同時に青年は納得した。
 ダークエルフ、エルフの対極に位置する邪悪な種族。エルフが本気で忌み嫌う唯一の存在だ。
 それならここにいるエルフ達にとってはこの戦いは正当なものなのだろう。
 とは言え、青年にはそれでもこの争いを止めさせたい理由がある。
「善の勢力は邪悪と混沌の勢力と和解しました。ご存じないのですか?」
 それを聞いたエルフのリーダーは眉を歪めて歯ぎしりをした。他のエルフ達も皆一様に苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「知らぬわけがあるまい。だが、そいつだけは別だ」
「千年を越える長命にして調和を愛される貴方達がなぜそう性急に?」
「ほざくな人間。よかろう、教えてやる。いいか、そいつはただのダークエルフではない、そいつは……」
 次の瞬間、エルフのリーダーは何か違和感を感じたかのように目を瞬かせた。そして顔面を蒼白にして青年の後ろにいる人物に殺気のこもった視線を向ける。
「しまった! おの……」
 そこまで話すと糸が切れるように一瞬にして膝から頽れた。
 彼だけではない、他のエルフ達もリーダーに倣うかのように痛恨極まりないと言った表情で次々と乾いた音を立てて地面に突っ伏して行く。
 そのまま動かなくなった彼らは目の焦点もあわさず瞬きもしない。明らかに意識を失っていた。
 青年は呆気にとられて目の前の光景を眺めていたが、間数髪をおいて気を取り直すと後ろに立つ相手に対して体ごと振り返り声をかけた。
「今のは、あなたがやったんですか?」
「そうだ」
 帰ってきた声が女性の物だったので青年は表情にこそ現さなかったものの驚愕する。
 相手はフードを脱ぎ、マントも肩口まで上げると青年に正対した。
 その姿を見て青年は息を飲む。
 それは、ビロードのごとく黒い肌、短く整えられた銀白色の髪、全てを飲み込みそうなほど深い深い緑の目の――この世の物とも思えぬ美しさをしたダークエルフだった。
 歳は人間でいえば十代後半ぐらいだろうか。もっとも実際にはその十倍以上の齢を重ねているのかもしれないが。
「一瞬にして全員……失神させたのかな、これは」
「殺しても良かったのだがな」
 倒れたエルフ達を冷然と眺めながらダークエルフの少女が返答する。
 青年は上を向いて気まずそうに頭をかいた。
「となると、わざわざ助ける必要もなかったかな」
 それを聞いたダークエルフの少女は視線を青年に戻した。
「そうでもない。君が奴らの注意を惹きつけてくれていたから術がかかったのだ。私一人だったらこうも上手くはいくまい。礼を述べさせてもらう」
 そこで一呼吸おいて、言葉を続ける。
「ところで、なぜ私を助けてくれたのだ」
 青年は肩をすくめた。 
「さっき彼らにも言ったけど、もはや善と悪は戦う理由がない。まあ個人的諍いみたいなのはあるだろうけど」
「それで仲裁にきたのか。酔狂な事だな」
 そう言う少女は呆れているというよりもむしろ面白がっているような表情を浮かべた。
 その姿を青年は再度眺める。
 少女の背丈は人間としては高身長の部類に入る青年の肩辺りまで、といった所だろうか。
 纏っている衣装は黒一色で、その至る所に銀で縫われた見事な刺繍が施されている。特に腰回りの髑髏と胸回りにある悪魔の骸骨の図柄はおぞましいながらもその造形美に感嘆せざるを得ない。
 そこまで見て、青年はふと気付いたことがあった。
「貴女は僧侶なんですか?」
「そうだ」
 着ている服は確かに僧服であったので、青年はそう思ったのだが、だがしかしそれにしては腰にぶら下げている長剣が気になった。
 僧侶は戒律で刃物の使用を禁止されているはずなのだ。
「如何なる神を崇拝されているのですか?」
「アル・ド・ゲリサン」
 聞いて青年はやや面食らった。
 アル・ド・ゲリサンとは人間界では俗にヴァーサと呼ばれている悪意の神であり、その妹神ダニアと共に多くの国々で嫌悪と忌避の対象となっている。ヴァーサの信者と言ったらそれだけで殺されるか、よくても国外追放処分になるだろう。
 なるほど、ヴァーサの僧侶ならまあ剣を振り回すぐらい平気でやるだろうな、と納得している青年の前で少女は広場の隅にある石造りのベンチに歩み寄っていた。
 よく見るとそこにやはり黒と銀で装飾された荷袋が見て取れた。少女の荷物なのだろう。それを手に取った少女に青年は声をかける。
「貴女も旅の途中なんですか?」
「そうだ。ここに街があると聞いて、立ち寄ってみたらこの有様だ。なにか侵略者の情報になるものでもあれば、と思い調べていたらこのエルフ達に見つかってしまった。連中も目的は同じだったらしいが」
「これからどちらへ?」
「古代妖魔の討伐軍に参加する予定だ。恐らく、この街を滅ぼしたのも奴の仕業だろうが……」
「じゃあ僕と一緒ですね」
 笑顔でそう答える青年に、少女はやや意外そうな顔を向けた。
「君一人でか?」
「貴女も一人ですよ」
「私は一人で行くと決……」
 そこまで言って少女は口をつぐんだ。そのまま貝のように口を閉ざす。
 それを見て青年は自分から会話を続けた。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
 青年の申し出を聞いて少女は切れ長の目を丸くする。
 その少女らしい純朴な驚愕の表情に青年は一瞬胸が高鳴るのを感じていた。
「なぜだ?」
 ややあって発せられたその少女の問いに青年は右手で髪の毛をかき回しながら返答した。
「僕は見ての通り戦士ですから。魔法には疎いんです。貴女のような方に一緒にいてもらえれば心強いですし」
「なるほど、君にとっては良いことかもしれんな。だが私に利点はあるか?」
「僕といれば、少なくともさっきみたいなトラブルは起きにくいと思います」
 少女は無言で片眉を上げる。
「フードをかぶっていれば、まさか人間とダークエルフが一緒に行動しているなんて思われませんよ」
 少女は顎に細い指をあてて考え込むような仕草をしたが、その指を放すと澄んだ美しい声で答えた。
「よかろう。君と一緒に行くとしよう」
「ありがとう」
 青年は太陽のような満面の笑みを浮かべる。それを見た少女はなぜか下を向いてフードを目深にかぶってしまった。もはや表情を知ることは出来ない。
「僕の名前はエーレン。エーレン・ミュンヒハウゼンです。貴女は?」
「リア」
「じゃあリア、これからよろしく」
 青年は右手を差し出す。少女はとまどい、躊躇するような動きを見せていたが、しばらくしてその右手を握り返していた。
 手の中にある少女の手の細さと、しかし鍛え抜かれた筋肉の質感を青年は感じていた。
 倒れているエルフ達に数十分後に目覚める解除呪文を少女がかけた後、二人は出発した。

 ――――――

 多くの神学者の研究によると、善と悪の戦いはある意味ではすでに決着しているということらしい。
 すなわち神々の父にして天帝たるタイタンとそれに付き従う太陽神・大地神・植物神等善の神々は、それに相反する死・疫病・腐敗等を司る邪悪と混沌の神々を史書に記されている「最初の戦い」の時に虚空に追放し封じ込めているのだ。
 これによって悪は地上に対する直接的な実行力を失った。
 だがしかし、その時から善の神々も地上から去って、以降は善に組する勢力に予言や奇跡といった間接的な補助を与えるのみとなっている。つまるところ悪の神々と地上に及ぼす影響力でいえばほぼ同等になっているのだ。
 この理由については諸説ある。
 一つ、邪悪と混沌との戦いで地上にもたらした破壊の醜さに恥じて手を引いたのだ。
 一つ、虚空に封印される寸前に邪悪と混沌の神々がかけた呪いによって地上に振える力がほとんどなくなったのだ。
 一つ、呪いをかけられたのはそうだが、それは神々ではなく地上にかけられた死の呪いで、それを解除するための作業に全力を挙げねばならないのだ。これが解けた時地上は不死の楽園となる。
 この中に正解があるのかどうかはともかく、実際に善の神々も悪の神々も地上にはおらず、繰り返されるのは人間・エルフ・ドワーフと言った善の勢力(悪に組する人間も多いが)とオーク・ダークエルフ・蛇人と言った悪の勢力による、いわば神の代理戦争である。
 それは永遠に繰り返される不変の事柄であったはずだった。
 ところがそれが覆る事件が起きる。

 古代妖魔という者達がいる。
 彼らこそはこの世界の太古の支配者にして堕落の権化。
 神の存在していない時代に地上に生まれ出でた彼らは、その享楽と怠惰の果てに世界を広げ続けて、やがて天帝タイタン率いる神々の住む天界とぶつかった。
 そこでどのような交渉があったのかはもはや知るものとてないが、結局のところ神々と古代妖魔は戦火を交えることとなる。
 当時の天界は善の勢力も邪悪と混沌の勢力も皆一枚岩で結束していたのだが、その神々の力をもってしても古代妖魔は難敵であった。堕落を極めた彼らは、それゆえに強力であった。
 永劫に続くかもしれぬと思われた戦いだったが、ちょうど百年続いた頃、ついに神々は古代妖魔の大半を滅ぼすことに成功する。
 彼らの中でも最も強力な数十体はそれでも生き残っていたが、神々は彼らを虚空の底の底、辺土界に追放して永久凍土に封じ込めた。
 そうして神々は彼らにとっての新世界たるこの地上の新たな支配者となったのだが。

 近年、多くの預言者や聖職者の下にありとあらゆる神々からの預言や宣託が下された。それは善の神々だけではなく邪悪と混沌の神々からも。
 曰く、善と悪は争いを止めよ。
 曰く、協力せよ。
 曰く、古代妖魔の内の一体が辺土界から目覚め地上に現れる。
 曰く、備えよ。戦うのだ。力を合わせて。

 今まで続けてきた戦争を止めろ、というその言葉に世は大混乱になりかけたが、長くは続かなかった。
 現れたのだ、古代妖魔が。
 世界で最も大きな大陸の東方に、ラドルストーンという都市国家がある。いや、あった、というべきか。
 その都市が半年前におよそ見たこともない異形の怪物からの襲撃を受け、ほとんど一晩で滅亡した。
 辛うじて生き残った者たちの証言、魔術師達が魔法によって映し出した襲撃当時の光景、それらから得られた情報から人々は避けられない結論に到達した。
 神の言葉はやはり正しかった、と。
 その事実はありとあらゆる手段によって全ての種族、勢力、国家に伝達され、善と悪はここに大同団結を余儀なくされた。
 そうして世界で最も強力な国家、リンドランドが中心となり、古代妖魔の討伐軍が結成されることになったのだ。
 エーレンとリアはそこに参加することになる。