317 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 20:12:56 ID:U3EspJww [2/9]
「年賀状は一枚か……」
数なんてあんまり気にしないものの、やはり寂しかった。
「ま、何枚あってもさ、お年玉に当選するわけじゃないしな」
独り言を繰り返しても……やっぱりむなしかった。
確かに僕は誰にも出していない。
むしろ、受け取ってから相手に出す予定である。
言い訳を繰り返しながら、呼び鈴を指で押した。
ピンポーンと乾いた機械音が響く。
「はーい」
と同時に、少し低い女性の声が耳に届いた。
あまりに早すぎて、待ち伏せていたんじゃないかと驚いてしまう。
「と、隣のものだけど、」
その動揺を隠しつつ、
「あの、年賀状を」
言葉を続ける。
そう、僕は受け取ってから相手に返すようにしているのだ。
しかもアパートの隣の住人なのだから、直に手渡した方が会う機会も出来て一石二鳥。
318 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 20:13:27 ID:U3EspJww [3/9]
「あけましておめでとう!」
さっきより少しだけ高い声と共に、勢いよく開く扉。
眼前に表れた〝どてら”姿の女性。
まるで、慌ててそれを羽織ったようにも見える。
「もしかして寝てた?」
「ううん、全然!」
彼女は否定したのだけど、本当は舟を漕いでいたのかもしれない。
だとしたら、悪いことをしたな。
「手短に言うけど、用件は」
「まま、寒いでしょ。入って入って」
また、最後まで言い終わる前だった。
部屋の中へと、彼女に手を引かれたのは。
「でーんと座って。今温かいものでも持ってくるから」
僕がコタツに座るのを待ったかのように、
「いや、年賀状を渡しに」
「気にしない気にしない」
矢継ぎ早に、言葉を残して台所へと消えていく。
彼女は、よく二回同じ言葉を繰り返す癖があった。
そういうのを知ってるほどには、隣付き合いを持っている。
一つため息をついて、コタツの机に持ってきた年賀状を置いた。
大掃除をしたのがわかるぐらい、とても磨かれた机に。
僕の年賀状とは、比べものにならないほど綺麗だった。
「ま、まぁ、小一時間で作ったものだからな」
不思議に思うのは、ある年までは仕事の仲間達から何枚も来たこと。
いつからだろうか、一枚しか来なくなった。
その最後の一枚はもちろん、彼女からの物。
だから、最近では受け取ったら返すという風に気取ったりもしている。
うーん、職場で不和を起こしたことはないのだけれど……。
319 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 20:13:55 ID:U3EspJww [4/9]
「はい、お待たせ。君の大好きな緑茶だよー」
「早っ!?」
あらかじめ用意でもしてたのかと思えるほどに早かった。
「ふふん、私は出来る子だからねー」
「さいですか」
「むー、信じてないなぁ」
軽口を叩け合えるのも、それぐらい信用されてる証拠なのかもしれない。
普通、正月早々に赤の他人に来られたら困るだろうに。
「黙っちゃって、」
ふっと考え込んだ自分を見逃さないように、人差し指で頬をつつかれた。
「どうしたのどうしたのー」
そうして顔を傾ける。
それに倣って長い髪が垂れた。
「そういえばさ、両親とか来てないの? 親戚とか」
もちろん、自分は来ない。彼女のも来たのを見たことはない。
それを知っているのだけど、あえて質問で場をにごした。
「ふふ、来るわけないじゃーん。君と同じで年賀状の数も同じ」
どてら姿の女性が、机の上の雑な年賀状を手に取る。
「だから嬉しいな。ありがとう、宝物にするよ」
そして、そう付け加えた。
320 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 20:14:14 ID:U3EspJww [5/9]
「あーっ、君は照れてるな」
「ちがっ!」
彼女がもう一度、「照れてるな」と付け加えて微笑む。
「はいはい、照れてる照れてる」
「今度は私の真似マネかな?」
「ちげぇよ」
端から見たら、僕らはどういう風に見えるのだろうか。
「なぁ、気になったんだけどさ」
「何々?」
間髪を容れず答えながら、今度はさっきと逆の方へと首を揺らした。
次いで、見とれるほど黒く美しい髪も傾く。
その視線は、観察しているように自分へと向いていた。
「ほら年賀状で、同じ枚数って言ったじゃんか?」
だから恥ずかしかった。
彼氏はいるのかとか、これからの予定とか……問いかけることが。
「うんうん、言ったよぉ。他にも君と私は色んなことが一緒で」
「いやいやいや、そうじゃなくて」
口早にしゃべり始めた彼女を止める。
「僕さー、昔はもっとたくさん枚数もらってたんだけどさ」
「ふぅん」
「もしかして疑ってる?」
それとも、彼女自身が一枚しか来ないのを気にしているのだろうか。
本当は、特定の誰かから来る予定だったとか。
目の前の女性は、そう思っても当然なほどに見栄えが良かった。
321 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 20:14:37 ID:U3EspJww [6/9]
「疑ってないよぉ。……それで?」
思い返せば、自分の部屋に職場の友人が来たこともない。
誘えども、いつも用事がと言われた覚えが……。
「早く続きを言ってもらえないかな?」
「ああ、うん。でさ、」
促されるように、僕はもう一度口を開く。
その間、目の前の女性と何度も視線がぶつかった。
あちゃー、地雷の話題だったか。
「なんで来なくなったのか、年明けの七不思議として話そうと思ってさ」
質問したかったこととは違って、自分でも内容をまとめ切れなかった。
「もう、そんなのは七不思議にはならないよ」
「……で、ですよねぇ」
「だって謎なんてないからね。真実はわかってるのだから」
まるで名探偵のように、人差し指を立てる彼女。
「な、なんだってっ!? それは本当かキバヤシ!」
ポーズを決めるその仕草がよく似合っていた。
「もちろんだとも。なにせ私が全部破り捨ててるんだからなっ」
…………。
一瞬どころか、時が止まりそうだった。
322 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 20:14:56 ID:U3EspJww [7/9]
「ふぅ……。また冗談ですか」
往々にして、彼女はこういうジョークを出してくる。
いつかの時も、そうだったような。
「えへへー。でもこれで私と君は一枚岩だ」
「あー、聞いて損した」
それは年賀状が一枚なのと掛けてるギャグなのかと、突っ込む気も起きなかった。
「もう! そんなこと言うならお雑煮出さないよー!」
「それだけは、お代官様!」
言葉とは裏腹に、彼女の表情は笑顔だった。
こういっては何だけど、僕たちはお似合いなんだと思う。
……たぶん。
誰に言われるまでもなく、出されたお雑煮を一口すする。
「そうそう、一つ忘れてた」
また低くなった声色に、首を振り向けた。
口に入った長く黒い髪の毛を取り出しながら。
間違いなく彼女のモノだ。
たまに……というか、ほとんど入っている。
要するに、おっちょこちょいなのだ。
それが分かるぐらいには、隣同士の付き合いがある。
もう気にはならなくなったのだけど。
「今年、君の職場に入った女がいるようだけど」
「ほへが、ほほしたの?」
ちょうどお餅を噛んでいたため、ちゃんと発音はできなかった。
けれど、なんとなく意図がわかったのだろう。
323 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 20:15:19 ID:U3EspJww [8/9]
「アイツはもう二度と来ないわ。遠い実家に帰ったのだから、遠いね」
「……ふぁい?」
だろうが、返答された言葉の意味はわかるはずもない。
「いつもと同じ二人だけの新年。今年もヨロシク」
まだ口に餅が残っている僕を後目に、彼女はおせちの用意に取り掛かるのだった。
最終更新:2014年01月08日 14:23