701 名前:今帰さんと忘れ物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/22(月) 00:21:12 ID:yqdsYsEU [2/6]
この世のすべての苦痛は、人と人の間より生じる。
争い。諍い。嫉妬。不平不満。
どんな苦痛も、一人では起こり得ない。
持たざるものは幸いである。かつて聖人はそう言った。
そのとおりだ。
だから、ただ一人の人間関係すら持つことが出来ていないぼっちこそが、この呪われた世で唯一救われた存在なのだ。
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家路の途中、何の気無しにポケットに手を突っ込んで、そこで初めて携帯電話の不在に気がついた。
しまったな。教室の施錠までに間に合うだろうか。
僕は冷や汗をうっすらとかきながら、学校のほうを見た。
今、僕は寄り道もせず学校から家へ帰る途中だ。だから携帯電話を忘れたのも学校以外にない。
忘れたのは教室か、放課後寄った図書室か。
うちの学校は空き教室で馬鹿がやらかして以来、すべての教室は放課後施錠することになっている。
うちのクラスの施錠担当は生徒会メンバーの今帰さんだ。
生徒会は普段は五時くらいまで仕事してるんだったかな。彼女が施錠するのはその後のはずだ。果たして間に合うだろうか。携帯がないから時間も分からない。
どうして忘れてしまったりしたんだ。自分の迂闊さを嘆きたい。
携帯の充電が切れるということは、ぼっちにとって命の関わる事態だ。
明日の休み時間を携帯なしで乗り切るビジョンがさっぱり浮かばない。
ちなみに教室で充電するというプランはなしだ。
教室のコンセントはリア充のものだ。ぼっちには盗電なんて許されない。
教室が空いていることを願いながら、あるいは図書室に忘れていることを願いながら、僕は踵を返し学校に向かった。
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外や運動場は運動部の出す音や声で騒がしいが、教室棟はとても静かだ。
やましいこともないのに、静かな廊下に足音を響かせるのが気が引けて、僕は足音を殺して廊下を進む。
僕のように放課後の学校に縁遠い人間にとって、ここは僕のいるべき場所じゃない。そう思えるからだ。
かといって、昼間の教室なら僕のいる場所と思えるのかと言ったら、それも違うのだけれど。
僕の教室の戸が半開きになっているのが見えた。よかった、まだ開いていた。
僕は急いで教室に入った。
夕暮れの西日が僕の眼を強烈に打つ。
他に誰もいない教室の中で、長い髪をした少女の輪郭が、その西日に照らされて見えた。
その少女は口に手を当て、机の上に投げ出された携帯電話を見ていた。
あれ、あの携帯、僕のじゃないか?
物音に気づいたようで、夕日に照らされた少女はあわててこちらに向き直った。
僕も驚いて足を止めてしまう。
日の光に眼が慣れてきて、だんだん少女が誰だか分かってきた。
その少女は、今帰さんだった。
快活で、可愛くて、面倒見がよくて、成績優秀で。でもそれを鼻にかけず、誰にでもわけ隔てなく優しい、みんなの人気者。
そんな彼女が、指をくわえて、僕の携帯電話を見ている。
どういうことだろうか。
そもそも、僕、携帯を机の上に出しっぱなしにしてたっけ。
ちゃんとロックされてるよな?
万が一、アレの中身が今帰さんの目に触れるようなことがあれば大惨事だ。
ぼっちの生態を優等生に無修正でお届けするのは、まるで赤ちゃんはコウノトリがキャベツ畑から運んでくることを信じているような無垢な少女に無修正ポルノを見せ付けるようなものだ。
あの今帰さんからも嫌われたとなれば、クラスすべてが僕の敵になること必至だ。
ぼっちといじめられっ子は別物だ。僕はあくまでぼっちなのだ。ぼっちでいたい。
僕に気づいた彼女はぽかんと口を開ける。
指と口の間に橋がかかり、光を反射してわずかに輝く。
思わず顔が赤くなる。
その扇情的な光景は童貞の僕にはあまりにも刺激が強すぎる。
赤ちゃんはコウノトリがキャベツ畑から運んでくると信じている無垢な少女は僕のほうだった。いや無垢じゃなくキモオタで、少女じゃなく少年なんだけども。
702 名前:今帰さんと忘れ物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/22(月) 00:21:56 ID:yqdsYsEU [3/6]
今帰さんは僕がそれを見ていることに気づいたようで、慌てて手を口から離し、後ろに回した。
「あ、その、あの、阿賀……くん? どうしたの、こんな時間に」
彼女は困惑した様子で僕の名を呼んだ。
今、僕の名前の後ろに疑問符ついてなかったか?
いくら僕がぼっちのキモオタだからって、名前すら覚えてないなんてあんまりだ。
ちなみに、僕はクラスの半分近い人たちの名前を覚えていない。
いや僕のことはどうでもいい。それより彼女の問題だ。
その取り繕うような質問に、僕はできるだけ冷静を装って答える。
「部活が終わったのが今だったんだ」
「え、あ、ごめんなさい! わたし、てっきり阿賀くんは帰宅部だと思ってて……」
なんで帰宅部だと思ってたんだ。ぼっちだからか? ぼっちだからなのか?
まあ帰宅部なんですけどね。
「そ、それでさ、その携帯、僕のなんだけど」
「あ、ご、ごめんなさい!」
彼女は慌てた様子で携帯電話に手を伸ばす。
僕はそれを阻止するように走って机に近づき、携帯電話の上に手を重ねた。
僕は今帰さんの手の上に手を重ねる格好となる。
しまった!
僕は慌てて手を離すが、気まずい沈黙が流れる。
どう考えても、僕必死すぎる。これじゃ携帯電話にやましいところがあると自白しているようなものだ。
「あ、あはは……」
気まずさを誤魔化そうと、僕は曖昧な笑みを浮かべる。
気まずく思ったのは今帰さんも同じなようで、薄く笑う。
「ガラケーなんて変わってるね」
変わってるとかどうでもいいから早く、携帯電話から手を離して下さい。
彼女の手をじっと眺める。
傷一つない綺麗な手だ。
彼女の手と比べると、僕の携帯電話はまるで粗末なゴミに見える。
あ、それゴミです。もしよろしければそのまま捨てちゃってください。
そんなわけの分からない台詞を口走りたくなる。
「久々に見た。何年使ってるの?」
「中学入学のときに買ってもらって以来だから、もう四年かな」
そんなことはどうでもいいだろ。そう思いながら僕は答える。
「四年……」
彼女は呟く。
彼女は携帯電話を持っていないほうの手を口元に持っていくと、そっとそのまま指を咥えた。
思案顔で、どこか遠くを見ている。
「あ、あの、今帰さん?」
僕の声と僕の視線で、彼女はようやく自分の行為を自覚したらしい。
彼女の白い頬がみるみる紅潮する。
その赤は夕焼けの赤の中でもはっきりと分かった。
「あ、あの、違う! 違うの!」
違うって、何が違うんだろう。
僕は何も聞いていないのに。
それにしても酷い慌てようだ。どうしてそんなに慌てることがある。
僕がスクールカースト最下層、いやいっそアウトサイダーだから、カースト最上層の彼女に何か害を加えるとでも思ったのか。そんなことするわけがない。カースト最下層は獣か何かだとでも思っているのだろうか。
パワーバランス的に考えて、むしろ慌てるべきは僕のほうであって彼女のほうではない。
まあ僕くらいカースト低いと、いっそ嫌われたりすることが怖くなくてカーストから自由なのだと勘違いできる。
ぼっちは誰とも利害関係にならないからね。だって一人だから。誰かとグループとか作れないから。
「あ、あのね、私、実は、ゆ、指をしゃぶる癖があるの」
それで、僕は彼女が指を銜えたことを見咎めたのだと錯覚されたことに気づく。
慌てた感じで弁明する今帰さんが可愛くて、僕はそれを直視できなくて顔を背ける。
「そうなんだ、可愛らしい癖だね」
突然の謎の自白に、僕はそうとしか返せなかった。
無言の静寂が二人の間に横たわった。
703 名前:今帰さんと忘れ物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/22(月) 00:22:19 ID:yqdsYsEU [4/6]
うわー!! 失敗だった!! 可愛いだなんていうんじゃなかった!! 間違いなくキモイと思われる!!
「ご、ごめん、じゃあ僕帰るから!!」
呆然とする彼女から奪うように携帯を手に取ると、僕は逃げるように、いや、まさに逃げ帰った。
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教室の施錠に来た私は、念のため生徒が残っていないか確認する。
「誰もいませんねー?」
見回して誰もいないのを確認した後、形式だけの声をかける。
疲れた。
小さなため息を一つ吐く。
無人なのに、教室にいるというだけで少し気が張り詰める。
馬鹿馬鹿しい。
自嘲気味に少し笑う。
そうして、机の間を抜けながら歩いていると、かつんと音が鳴った。
静かな教室に突然響いた異音に、私の肩が跳ねた。
誰かいる?
音の出るほうを見る。床に、何か黒い塊が落ちていた。
机の前まで行ったらはっきりと分かった。それは携帯電話だった。スマートフォンじゃない、いわゆるガラケーと呼ばれるそれだ。久しぶりに見た。誰のだろう。
先ほどの音は、私が机にほんの少し、自分でも気にしない程度にぶつかった拍子に、机から落ちたそれが出した音だった。
かがんでそれを取ると、机の上に置いた。
こんなものにびっくりさせられたなんて。
苛立ちから、私は無意識に指を口にやっていた。
噛む。
歯に挟まれて、爪が変形する。
そのまま、私は思索に飲まれ、しばし現実から意識が逸れる。
気がついたときには、私を見る人影があった。
夕日を正面から受けて、赤く照らされている。
くせっけで分厚いめがねをかけた、野暮ったい少年だ。
彼は……阿賀君だ。
私はクラスメート全員の顔と名前を覚えるようにしている。
だからというわけではないけど、すぐに彼の名前が分かった。だけど私以外で、彼の顔を見てすぐに名前が浮かぶ人はきっと多くない。あるいは、クラスメートですら彼の名前を知らない人だっているだろう。
それくらい、影の薄い男子だ。
くりっとした彼の瞳は眩しさで細められて、でもまっすぐ私を見ていた。
その視線で、私は指を銜えていたことを思い出し、慌てて手を後ろにやる。
「あ、その、あの、阿賀……くん? どうしたの、こんな時間に」
本当に、どうしたんだろう。
彼は部活に入っていないはずだ。それに授業が終わったらすぐに学校から抜け出す。だからこの時間に学校にいるはずがない。
「部活が終わったのが今だったんだ」
その言葉に私は酷く驚かされた。何を勘違いしていたんだろう。とても部活に入っているようには思えなかったけど、いつの間に、どんな部活に入っていたんだろう。
「え、あ、ごめんなさい! わたし、てっきり阿賀くんは帰宅部だと思ってて……」
「そ、それでさ、その携帯、僕のなんだけど」
阿賀君の少しぞんざいな口調に私は慌てた。
「あ、ご、ごめんなさい!」
返さなきゃ。
私は携帯に手を伸ばす。
すると彼が駆け寄ってきて、私の手の上に手を重ねた。
びっくりした。彼はすぐに手を引いたけど、そんなに私に携帯電話を触られるのが嫌だったのかな。私、嫌われるようなこと、したかな。
「あ、あはは……」
彼がぎこちなく笑う。
その気まずさに耐えられなくて、私はどうでもいい質問をする。
「ガラケーなんて変わってるね」
彼は携帯を見たまま、答えない。
「久々に見た。何年使ってるの?」
「中学入学のときに買ってもらって以来だから、もう四年かな」
「四年……」
そうか。もうそんなになるんだ。
「あ、あの、今帰さん?」
阿賀君が心配するように私の顔を覗き込む。
そこで初めて、私は無意識に爪を噛んでいたことに気づいた。
「あ、あの、違う! 違うの!」
彼は、突然爪を噛みだした私のことを不審に思っただろう。
誰かに不審に思われてはいけない。誰かに嫌われてもいけない。
704 名前:今帰さんと忘れ物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/22(月) 00:22:36 ID:yqdsYsEU [5/6]
「あ、あのね、私、実は、ゆ、指をしゃぶる癖があるの」
わけのわからない弁明だ。私は何を言ってるんだろう。
だけど、そんなわけの分からない私の言葉に、彼は笑って答える。
「そうなんだ、可愛らしい癖だね」
私は呆気にとられてしまった。
「ご、ごめん、じゃあ僕帰るから!!」
彼は私の手から携帯電話を受け取って、そしてそのまま走って帰っていった。
彼の去った教室で、私は一人棒立ちだ。
「可愛らしい……か」
明るい。優しい。かわいい。
そんな風に褒められることはよくあっても、子供に向けるかのように、可愛らしいだなんて言われるのは久しぶりのことだった。
苛立ちが走る。褒められたことにではない。自己嫌悪にだ。
苛立ちを沈めるために、無意識に指が口へと伸びる。
私は口を開き、その指を、そのまま咥えた。
「……つっ」
嘘だ。指をしゃぶるなんて、私の癖はそんな可愛らしいものではない。
私の本当の癖は、これだ。
私の指先からは、血が滲んでいる。
……私が、噛みすぎたせいだ。
爪の、噛み癖。
これが、私の本当の癖だ。見っとも無い癖。可愛げの欠片もない癖。
どうしよう。爪は整えられるけど、怪我はそうはいかない。
猫にでも、噛まれたことにしてしまおうか。
ああ、こんなにもすらすらと、偽り方を思いつく。
私は、醜い。
彼も、本当の私のことを知らない。
私の友人や、親や、先生や、クラスメートと同様に。
私はちっとも可愛らしくなんかない。
こんなに醜いのに。
阿賀君は、こんな私を知っても、それでも可愛らしいと言ってくれるだろうか。
私は、ありえるはずもないことを思った。
最終更新:2014年12月22日 17:40