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 エーレン達の選択は結果としては正しかった。
 ウルフタウンに到着した時、討伐軍の本隊は既にそこを発っていたので。
 役所に行って尋ねてみると北東に向かって進軍しているとの返答があり、エーレンはウルフタウンで食料の調達と旅の疲れを癒すため一泊だけすることにした。
「こんな光景、一年前には誰も想像していなかっただろうな」
 ウルフタウンの街並みを見てエーレンは思う。
 ここまでくると今回の事態の影響が如実に表れてくると言うべきか、普段は人間、エルフ、ドワーフぐらいしか目にしないであろう通りにも、蛇人、オーガ、さらにはゴブリンに至るまで、多種多様な邪悪と混沌の勢力の姿が見て取れる。もちろん暴れているという訳でもなく、商店で品定めをしていたり、酒場で陽気に歌っている者までいた。
 住民にしても彼等を避けている様子もなく、戦争特需ともいうべき商売のチャンスを最大限利用しようとしているようだった。
 そんな商魂の逞しさにエーレンはあきれつつも感心した。どんな環境であれ、大多数の一般市民は順応していくものなのだろうと。

 ――――――

 ウルフタウンを発った後、エーレン達はひたすら北東への旅路を続け、続けること五日目、ついに目的のものを見つける。
 乾いた風が吹き、時折大きく曲がる道が延々と続くその道程の遥か先に長大な軍影をエーレンは確かに捉えた。
 それは地上だけではない。
 上空には数限りなく飛び回る翼ある者達の姿も見える。その中の一つは遠く離れたエーレンにもはっきりと分るほど金色に眩しく光り輝いていた。
「竜王デイトナだ。奴も来ていたのか」
「竜王!?」
 伝説でしか聞いたことのない、地上最強の誉れも高い偉大なる生物の名を聞いて、エーレンは息を飲む。
 討伐軍の規模は文字通り、空前絶後のものとなっているようだ。

 エーレン達は翌日正午前に、先行していた軍勢に追いつく。
 間近で見ると、討伐軍の威容はさらに際立っていた。多種族の言語が刻まれた旗がそこかしこに立ち並び、これまたそれぞれの種族の意匠が施された武具をきらびやかに身に着けた戦士たちが、同族ずつ一団となっている。そしてそれが延々と、まるで海が広がっているかの如く連なっている。進軍による土煙の中で刀槍が鈍い光を放っていた。
 昼休憩となったのか、皆が落ち着き腰を下ろし始めている中をエーレンはかき分けて進み、やがて鉄の甲冑に身を包んだ一団を見つけた。リンドランドの正規兵である。
 自身の身分を告げ、討伐軍への参加を願う。
 すると、一団の隊長らしき人物の前に案内された。
「そなたの名はエーレン・ミュンヒハウゼン、間違いないか?」
 その隊長の問いにエーレンは「はい」とだけ返答する。それを聞くと隊長はエーレンをまじまじと見つめた後、「しばし待たれよ」と告げると馬に乗っていずこかへ去っていった。
「エーレン」
 リアがそう言って背後から自分の左腕を掴んで来たのでエーレンは振り向く。フードに隠された表情はうかがえないが、不安がっているのは声音から分かった。
「大丈夫ですよ。また逮捕されるとか、そういう事にはならないはずです」
「でも」
 その時蹄の音が鳴り、隊長が戻ってくるのが見えた。余程急いでいたのか、騎上から声をかけてくる。
「ミュンヒハウゼン殿、まいられい。御大将がお会いなさる」

 エーレンが連れて来られたのは全軍の中で恐らく最も大きく、最も頑強に作られた幕舎の前だった。その入口には大柄な衛兵が左右に二人、仁王立ちして油断なく辺りを見回している。
 そしてその間に金髪を短く刈り上げた二十代半ばと思しき青年が立っていた。豪奢な白色の鎧を着こんでおり、かなり高い位にいる人物というのが一見して判断できる。
 朗らかに笑ってエーレン一行を迎えたその将校に、隊長が報告した。
「ミュンヒハウゼン殿をお連れしました」
「うむ」
 将校はエーレンに視線を向ける。
「卿がミュンヒハウゼンか。御大将がお待ちかねだ」
「あり難き幸せにございます」
 二人のやり取りを聞いて、リアは妙な違和感を感じた。子供がふざけ合っているのを見るような感覚に捕われたのだ。
「ところで、後ろの御仁は?」
「私の友人です。旅路ではいつも助けてくれました」
「ふむ。だが、面会を許されているのは卿だけだ。申し訳ないがその方にはここでお待ちいただきたい、よろしいかな?」
「断る」
 リアの返答を聞いて、エーレンと将校は共に困惑した。特に将校は相手が女性と気づいたので、より驚きは大きかったかもしれない。
「そうはいっても、入れるわけにはいかぬぞ」
「勝手にすればよかろう。だが、私はそなたらの部下でも家臣でもない。こちらも勝手にエーレンについていくだけの事だ」
 左右に立つ衛兵が剣の柄に手をかける。気付いた将校は視線でその行動を抑えると、「しばし待たれよ」と言って幕舎の中に入っていった。
「どうしたんです、リア」
「言ったはずだ、君が傷つくのはもう見たくない」
 中に入ったら危害が及ぶと思っているのだろうか、エーレンはそう考え、リアをなだめる言葉を発しようとしたが、将校が戻ってくるのがそれよりも早かった。
「御大将がお許しくださった。二人とも中へ入られよ。ただし、武器はお預かりするし、フードも脱いでもらうぞ」
 その言葉に対しリアは数瞬考え込んでいたが、結局は大人しく従う。
 初めてリアの素顔を見た将校は、相手がダークエルフだったことに驚き、続いてその美しさに対して「ほう……」と感嘆の溜め息を漏らしていた。
 ややあって我に返ったように咳払いをすると「では付いて来られい」と二人に告げ、幕舎内に入っていく。
 エーレンとリアもその後に続いた。
 幕舎の中は外からは見えないように計算された上で陽光を取り入れる工夫がされており、肉眼でもはっきり見渡せるほど明るい。その明かりに照らされて、柱や天幕に至るまで華美な装飾が施されているのが見て取れる。その見事さは、ここが軍隊の中であることを忘れさせるほどだ。
 中央部には長方形の大きな机が設置されており、それを囲むように白色の鎧を着こんだ一団が座っている。その中の一人、最上位の席に着座していた人物は、エーレン達が入ってくるのを見るや否や立ち上がり、声をかけてきた。
「ミュンヒハウゼン!」
「お久しぶりです、エーデルワイス殿下……えっ?」
 返事を聞く間ももどかしいと言わんばかりに、その人物はエーレンに向かって駆け寄ると、その体を全身で抱きすくめた。エーレンは戦場でも消しようのない、若い女性特有のかぐわしい香りに身体がつつまれるのを感じ、一瞬酩酊しそうになる。
 そんな二人の様子を周囲は呆気に取られて見つめていたが、エーレン達を案内した将校が真っ先に我を取り戻した。
「殿下、再会を喜ぶ気持ちは分かりますが、その辺りでミュンヒハウゼンをお離し下さい」
「やだ」
「は!?」
「何年ぶりだと思っているのだ。このままずっとこうしていたい」
 将校は天を仰ぐと今度はエーレンに声をかけた。
「ミュンヒハウゼン、おまえから言ってくれ。卿の事になると殿下は幼児になってしまう。全く、昔と全然変わっていない」
「殿下、バーネット先輩の言う通りです。またいつでも会えるようになったんですから今は離してください」
 エーレンの言葉を聞いて、相手の女性――エーデルワイスは、それでも不満そうにしぶしぶとエーレンから離れた。
 その姿をエーレンは眺める。
 肩の下まで伸ばしている巻き毛は金色に輝き、蒼氷色の瞳と共に白磁のような肌に映えて、極めて美しい。その美貌は、五年前と変わっていないか、むしろ磨きがかかっているように感じた。身長はエーレンとほぼ同じで、女性としては稀に見る高さと言える。
 そしてエーデルワイスが非凡なのは外見だけではない。彼女はリンドランドの皇女にして大将軍であり、今回の討伐軍の総大将を努める才気の持ち主なのだ。

「改めて、来てくれて嬉しく思う。私の手紙は問題なく届いたようだな」
「はい」
「話したいこと、聞きたいことは山ほどあるのだ。この五年の間にあったこと、卿の身に起こった事……」
「殿下の活躍は風の噂でお聞きしていました」
「世辞でも卿から言われると嬉しいな」
 そう言って朗らかに笑ったエーデルワイスだが、エーレンの後ろから自身を射抜く視線に気づくと、笑顔を消して問いかけた。
「ところでミュンヒハウゼン、卿の後ろにいる女性を紹介してくれぬか? 随分と殺気のこもった眼光で私を見ている。名も知らぬ相手に殺されるのはたまらぬぞ」
 エーレンは言われて振り返り、絶句した。リアの双眸は燃えているかの如く揺らめき、瞬きもせずエーデルワイスを一点に捉えていた。
「どうしたんです、リア」
 リアは返答しなかったが、逆にエーデルワイスが口を開いた。
「……ほう? リア殿と申されるのか。宜しければフルネームを教えていただきたい」
「断る」
「ふむ。では私から言おうか。リア・カムチャッカリリーだろう。違うかな?」
 誰かが息を飲む気配をエーレンは感じた。しばらく押し黙っていたリアだが、ついに口を開く。
「……その通りだ」
 幕舎の中にざわめきが広がる。エーデルワイスは皮肉っぽく笑い、エーレンに言葉をかけた。
「ミュンヒハウゼン、随分な大人物と旅をしていたのだな」
「カムチャッカリリー……」
「そうだ。卿も知っているだろう。ダークエルフの帝都、アン・デア・ルールを守護し、彼等の武力を司る名門貴族だ。数年前、前当主が亡くなって、およそ千年ぶりに代替わりしたのだが、後任を請け負ったのは当主としては史上最年少の女傑だと聞く。その名がリア・カムチャッカリリーだ」
「え?」
 驚いてリアに向き直るエーレンの前で、リア本人はあふれ出る殺気を隠そうともせずエーデルワイスに正対していた。
「今回、ダークエルフ勢からは討伐軍への参加はないものと思っていたが。わざわざ新当主御自ら出馬されたとは」
「神の御意思だ。無視するわけにはいかぬ。とは言え、アン・デア・ルールには諍いが絶えぬ。軍を動かすとなると隙に乗じて反乱をたくらむ貴族がいるやもしれぬ。だから私一人で来ることになったのだ。帝都の守備は先代から仕えてくれている重臣達に任せておけば安心なのでな」
「なるほどな。カムチャッカリリーの当主ともなれば、その戦力は兵一万に相当しよう。食費も一人前ですむし、こちらとしてはあり難い話だ」 
 ここで先の青年将校――バーネットが二人の会話に割って入った。
「殿下、お話の途中ですが間もなく出発のお時間です」
「うん? もうそんな時間か。楽しい時は過ぎるのが早いな。ミュンヒハウゼンの処遇についてはどうなっている?」
「当面は他の志願兵達と同様、義勇軍の部隊に入ってもらうことになっております」
「よかろう。ミュンヒハウゼン、すまぬな。できれば直ぐにでも私の傍で仕えてもらいたいのだが。表に案内を呼んでおくので、その指示に従ってほしい」
「いえ、私は国外追放となった身。受け入れてくださっただけで感謝の念に堪えません」
 エーレンの言葉を聞いてエーデルワイスは微笑したが、表情を改めるとリアの方を向く。
「リア殿」
「気安く名を呼ばないでいただこう」
「……では、カムチャッカリリー殿、貴女の処遇についてだが」
「私はエーレンと共に居る」
「ならぬ。ミュンヒハウゼンが所属するのはリンドランドの市民達からなる部隊だ。そこで貴女を受け入れるわけにはいかない」
「そなた達の都合など私の知った事ではない」
 言葉の端々から火花がほとばしるような二人の会話を聞いて、周囲の者達の内何人かは冷や汗を流した。エーレンもその一人なのだが、それでも仲裁に乗り出す。
「殿下、リアにリンドランド軍の事を色々案内したいと思います。しばらくは僕と一緒にいさせてくださいませんか」
 それを聞いたエーデルワイスの全身に雷火が走ったのをエーレンは見る。しまった、と思ったがもう取り消す訳にもいかない。
 だが、エーデルワイスは瞼を閉じると異様なまでに低い声音を発した。
「卿がそう言うならよかろう。だが、今しばらくの間だけだぞ」
「御意」
 頭を垂れてエーレンは返答する。すると、リアがその右腕に抱き付いてきた。
「行こう、エーレン」
 そのまま引っ張るようにエーレンを連れて出口に向かう。
「リア! 殿下、ご無礼はお許しください! 失礼いたします!」
 二人が出ていくと、後には重い静寂が訪れた。エーデルワイスが激怒しているのが誰の目にも明らかだったからだ。だが憤激が収まらぬ状態ながらも、エーデルワイスは傍らにいるバーネットに呼びかける。
「バーネット」
「はっ」
「やはりあの時、国外追放処分は阻止すべきだった。地下牢に幽閉しておくべきだった。そうすれば厄介な虫がつくこともなかったものを」

 エーデルワイスの恐ろしい台詞をエーレンは当然、聞くこともなかった。彼にとって当面の問題は、こちらも激怒しているらしいダークエルフの少女をなだめることである。
 リアはどこに向かっているのか、ひたすらエーレンを引きずって、歩み続けていた。
「リア、ちょっと止まって。落ち着いて僕と話そう」
「話す? 何をだ? そんなこと言ってあの女の所に戻るつもりなんだろう?」
「違いますよ」
 そう言うと、エーレンはリアの両肩を掴んで自分に向き直らせた。
「なんで黙ってたんですか?」
「え?」
「貴女が、カムチャッカリリーの当主だってことを、です」
「それは、その……」
 リアは一瞬で熱が冷めたのか、両手の人差し指を突き合わせて俯いてしまった。
 行軍している他の兵士達が時々二人を興味深そうに眺めている。数十秒の後、リアは美しい唇を開いた。
「最初は、君を警戒していたからだ」
「まあそうですよね」
 どこの誰とも知れない人間をそう簡単に信じれるものではないだろう、それは理解できる。ただ、旅を続ける中で、リアとの間には少なからず友諠が芽生えていたと思っていたのだが。
 その考えを見透かしたようにリアは言葉を続けた。
「でもすぐに君は信用に足る相手だと気づいた」
「それなら、なぜ?」
「嫌われると思った」
「え?」
 顔を上げ、リアはエーレンの青い両眼を真摯に見つめてくる。
「私の一族は同胞からは畏怖されている。殆ど恐怖の対象と言っていい。他の邪悪と混沌の勢力からはそれ以上に恐れられている。もっと言えば、君たち善の勢力からどう思われているか、言うまでもなかろう」
 それはその通り、とエーレンは思った。
 リアの正体を知った時、おそらく歴戦の将軍揃いのあの幕舎の中にさえ戦慄が走っていたのだ。
 だがそれは口に出さずにエーレンはリアに告げる。
「大丈夫です。僕がリアを嫌いになる事なんてありませんから」
 それを聞いたリアは、ビロードのような黒い肌を限界まで赤く染めて、硬直してしまった。「あ、あ、あ……」と、声にならない声を発する。
 そしてエーレンはと言えば、発言の気恥ずかしさに今更ながら気づいたのか、これも顔面を紅潮させて、自身の黒髪をかき回していた。

「それで、あの女とエーレンはどういった関係なんだ」
 不器用な二人がぎこちなくも沈黙を解除した後、今度はリアが問いかけてきた。
「殿下ですか?」
「そうだ、あの女だ」
「以前話した、僕を支援してくださった皇族の方です。皇女様ですよ」
「なんであんなにエーレンに馴れ馴れしいのだ、あいつは」
 また不機嫌がぶり返して来たらしい、とエーレンは思った。
「僕と殿下は士官学校の学友だったんです。何故か僕の事を気に入っていただいて、学生時代はほとんどずっと、一緒にいました」
「皇女ともあろうものがわざわざ士官学校に通っていたのか」
「元々男勝りな方でしたし。それに、陛下に溺愛されていて自由奔放にふるまえる身分の方でした。帝位は二人の兄君の内どちらかが継ぐでしょうし、そう言った面では気楽ともいえる立場だったのかもしれません」
「ふん」
 リアは顔を背ける仕草をして不信感を露わにして見せていたが、ふと気づいたように別の質問をしてきた。
「そう言えばあいつもなんなのだ、あのバーネットとかいう男」
「ああ、彼ですか」
 エーレン苦笑して見せた。
「彼は士官学校時代、一学年上の先輩だったんです。で、僕は学生寮で同部屋だったもので、色々とお世話になりました」
「それにしては妙だぞ。今日会った時、まるで初対面のような挨拶だったではないか」
「はい。ああいう冗談と言うか、芝居がかった事をされる方なんですよ」
「わざわざそれに付き合う必要もなかろうに」
 リアは呆れたようにそう呟く。
「なんにしても皆僕の大事な友人です。リアにも仲良くしてほしいんですが」
「……善処しよう」
 嫌々ながら、という表現のままに吐き出されたリアの言葉を聞いて、エーレンはやっと安堵した。
 それにしても、自分を巡って二人の美女が対立するというのは、両手に花というべきか、男冥利に尽きると思えばいいのだろうか。
「と言っても、種族と身分が違いすぎるし、勘違いしないようにしないといけないな」
 心中でそう呟いたエーレンだったが、その考えが誤りだったことを、のちに思い知らされることになる。