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 八か月前、古代妖魔が地上に現れたという報告を受けてから後、それに対するエーデルワイスの行動は極めて早かったと言ってよい。
 援軍を待つことなく当初はリンドランドの正規軍二十万のみで出撃する意向だった程である。そうしなければならない理由もあったのだが、それが変更されたのはこの怪物についての重要な情報を得られたからだった。

 ジ・ス。
 それが古代妖魔の名である。
 この一報が「奈落」と呼ばれている異界の支配者である七人の魔神の一人、蛙魔神ブランシュからエーデルワイスの元にもたらされたのはジ・スの復活からおよそ二か月後の事であった。ジ・スが封印されていた辺土界に最も近い場所である奈落の主は、それ以外にもいくつかの情報を伝えてきている。
 まず、ジ・スは「食欲」の権化で、常になにかしら食べ続けていなければならない習性をしている、という事である。と言っても不老不死の身であるので、食べなければ餓死するという訳でもないのだが。
 しかしそれを知って、エーデルワイスには得心する所があった。
 ジ・スは都市国家ラドルストーンを陥落させた後、とにかくそこから一番近い村、そして街を次々と襲っているのである。つまりとにかく近くにある「食物」を狙って活動し続けていたのだ。
 次に、ジ・スの異常な繁殖能力についてである。斥候からの情報でエーデルワイスも予め知っていたのだが、わずか二ヶ月でジ・ス一族の総数は既に五千匹を越えていた。
 エーデルワイスは戦慄し、当時出撃体制にあったリンドランド軍のみで討伐することも考えたのだが、ブランシュの使いはそれを止めた。
 ジ・スの繁殖力は脅威だが、先に述べた通り食欲はそれ以上に膨大なので、一族が増える程食糧不足となり、為に共食いを始めてしまうのである。従って最大限に増えたとしても一万匹が限度である、それが使者の意見であった。
 また、例え相手が親兄弟とはいえ、食い殺されるのはジ・スの子供達と言っても嫌なので、逃げ出す集団もいるらしい。ただそう言った連中は、妙なことにジ・スから離れれば離れる程繁殖力・食欲ともに減退して行って、ついには破壊衝動の塊となり自壊するまで戦いを続ける存在になり果ててしまうのである。
 エーレンとリアが出会った街で、殺された人々が死体のまま放置されていたのもこれが原因であろう。逆にコク大橋で戦った一匹は、よりジ・スに近い場所にいた為まだ食欲を失ってなかったのだと言える。

 以上がブランシュからの情報である。エーデルワイスは使者に謝意を述べると、全種族の援軍を待ちつつ、自身が望む戦場に相手を引きずり出す為の作戦を開始した。
 ジ・スとその一族はこの頃から正式にジ・ス軍と呼ばれるようになっていたのだが、彼らに近い街や集落には当然ながら避難命令を出した。
 その一方で全軍の集合地点であるウルフタウンとジ・ス軍の間に導線を引き、そこに位置する街には、避難命令を出すのを遅らせたのである。
 民衆を餌にして敵を誘導しようという訳で、標的にされた民衆にしてみればたまったものではないだろうが、エーデルワイスも犠牲を出すつもりはなく、襲撃から逃れられる直前のタイミングで順次退避させている。作戦の意図もパニックを避ける為に秘匿していた。
 その誘導にジ・ス軍は乗った。途中、野生生物の集団や、盗賊の住処等リンドランド軍でも把握しきれていなかった集落を襲いながらも、確実にウルフタウンに接近してくる。
「戦というより狩りのようなものだ」
 相手の単純さに拍子抜けし、皮肉交じりに自身の作戦をそう評したエーデルワイスだったが、この時点で勝利をほぼ確信していた。
 そして決戦場をウルフタウンの東北、サラトガ平原に定めると、集結した全軍に出撃を命じたのだった。その数、およそ百万。

 ――――――

 与えられた書類にもう一度目を通し、エーレンは軽く腕を上げて体をほぐす動作をした。
 エーデルワイスの侍従を務めるにあたり、最低限知っておかなければならない事。それを学ぶだけでも一日ではとても足りそうにない。
 兵舎から外を眺めると、遠く東の丘の頂に姿を現した日輪が見える。
「ほう、早朝から勉学に励んでいたか。さすがに御大将がお目をかけてるだけの事はある」
 そう言ってエーレンの視界に入って来たのは、浅黒い肌をした壮年の男性である。親衛隊長のゴーシュであった。
 二メートルに届こうかという長身であり、その豹のような身体つきには無駄な贅肉というものが一切ない。
「着替えろ。御大将へご挨拶に行くぞ」
 と、ゴーシュは命令した。
 昨日は転属の準備に追われていた為、親衛隊としてエーデルワイスに会うのは今日が初となる。
 エーレンは「はい」と返事をすると、自身に支給された鎧を手に取った。
 親衛隊の鎧は一般兵とは異なり、将軍達と同じ白色に塗られている。そこに華美な装飾が黄金で施されていて、その見事さは多くの兵卒達にとって憧憬の対象になっていた。
 エーレンはその鎧と、これだけは他の親衛隊員と異なる、家宝の長剣を装備する。
「行くぞ」
 準備が整ったのを見て、ゴーシュは兵舎を出て行った。エーレンも後に続く。
 道中で鋲付きの鎧を着こんだオークの一団とすれ違い、彼らがエーデルワイスと面会予定だったことをエーレンは思い出した。早朝から分刻みのスケジュールをこなすエーデルワイスは多忙を極めている。
 自分がその力になって、多少なりとも負担を軽くすることができればよいのだが。
 そう思い、厳粛な顔をしてエーレンはエーデルワイスの幕舎に入ったのだが、先日同様エーデルワイスの抱擁による熱烈な歓迎を受けてしまった。
「先が思いやられる」
 傍らで呟いたバーネットは、今回は大げさに咳払いをしてみせた。
「どうした? バーネット」
 邪魔をするな、と言わんばかりの眼光をバーネットに向けつつエーデルワイスが応える。
「いえ、お時間もありませんし。それにそんなに密着していてはミュンヒハウゼンも話しにくいかと」
「それもそうだな。……それにしても、ミュンヒハウゼンには親衛隊の鎧がよく似合う。卿が着ることを考えてデザインさせたんだからな、当然か。それにその長剣ともよく合っている。卿の家を訪問した時、壁に飾られてたのを覚えていたのだ。いつかそれを持って仕えてもらうことを夢見ていた。ずいぶん時間がかかってしまったが、やっと……」
 エーレンは自身に向けられた「おまえが何とかしろ」というバーネットの眼差しに気付き、声を出した。
「殿下、お言葉は嬉しいのですが。申しあげたき儀がございます」
「ん? ああ、そうか。今日から私の侍従として勤めてくれるのであったな」
「はい。非才の身でありますが、大変なご恩を頂きました。全身全霊をかけ努めさせて頂きます」
「謙遜するな、ミュンヒハウゼンの才能は私が一番知っている。それに、分からぬことがあったら遠慮なく私に尋ねるがよい。ゴーシュもいるしな……? おい、ゴーシュ、どうしたのだ?」
 沈着冷静、武人の鑑と称されることもあるゴーシュだったが、この時は初めて見るエーデルワイスの惚気た姿に呆気にとられ、口を半開きにしたまま立ち尽くしていた。

「そう言えば一つ尋ねたいことがあるのだ。カムチャッカリリー殿の事だが」
 ゴーシュが正気を取り戻したのを見た後、エーデルワイスはエーレンに問いかけた。
「リアがなにか?」
「彼女が転属に際し出してきた条件は卿も知っていよう。魔法の研究用の施設を貸してほしい、それも個人用として、という事だ」
 転属の通達はエーレンとリア、二人同時に受けたので、リアの出した条件に付いてもエーレンはその場で聞いていた。
「はい、存じております」
「別にそのぐらいは容易い事なのでな。研究道具一式と設備の整った馬車を用意して御者付きで与えておいた。あれなら行軍中でも研究することが可能だ」
「ありがとうございます」
「なぜ、卿が礼を言うのだ」
 形の良い唇を不満の形に歪めて、エーデルワイスが問い質す。幕舎内の気温が下がったようにエーレンは感じ、急いで返答した。
「殿下は友人の頼みを聞いてくださいました。そのお礼です」
「友人か。まあいい。話の続きだが、カムチャッカリリー殿は昨日一日中、馬車の中に籠っていたらしい」
「え?」
「彼女が何をしているか、卿に心当たりはないか?」
 そう言われても、と思いつつエーレンは首をひねって考えた。
 なにか戦いの役に立つ新しい魔法なり道具なりを作っているのではなかろうか。結局その程度の考えしか浮かばず、エーレンは諦めて自分の意見を述べる。
 それを聞いたエーデルワイスは俯き加減で顎に手をやりしばらく思案していたが、指を鳴らすと顔を上げた。
「嫌な予感もするが、そこまで気を回す必要もないか」
「なにかご心配なのですか?」
「強力な媚薬でも作って卿を襲うのではないかと思ってな。冗談だが」
 口調が全然冗談っぽくない。と、その場にいたエーデルワイス以外の全員が思っていた。