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 親衛隊兼侍従というエーレンの役目は、つまるところエーデルワイスの身辺警護と身の回りの世話である。
 さすがに公務の時間帯のみで、私生活の面については専任の侍女が担当している。「私はそっちも卿にやってもらいたいのだがな」とエーデルワイスは言っていたが。
 エーレンにとっては実際にはそれほど困難でもない任務だったが、警護対象であるエーデルワイスの多忙さは半端ではなかった。
 行軍中も報告される様々な問題に対し耳を傾け、的確な指示を出す。
 そうかと思えば他種族の指揮官達と文書を交わし、頻繁に連絡を取り合う。その相手にしてからが、エルフ、ドワーフ、妖精、トロール、オーク、ゴブリン、デーモン……と、きりがない。当然、先日のオーク達のように直接会談する事も多々あった。
 エーレンは飲料水を用意したり、面会の段取りをしたりと、エーデルワイスの労苦を減らそうと努力していた。だが、エーデルワイスにとって結局一番の癒しになっていたのはエーレンが傍にいるという事実、そのものだろう。
 時折ふざけたようにエーレンの黒髪を引っ張るエーデルワイスは実に幸せそうであったのだから。

 エーレンが侍従となって三日後、エーデルワイスは全将軍を自身の幕舎に招集するとともに、各種族の指揮官へ伝令を派遣して高らかに宣言した。
「予定通り明日、決戦だ。ジ・スを再び永久凍土に封じ込めてくれる。諸将の働きに期待するところ大である」
 将軍達の歓声が幕舎の中に響き渡り、それは外にいる兵卒達にも届いていた。やがてそれは波のように討伐軍全体を流れる巨大などよめきと化していく。
 その波浪の中心地で、エーレンは襟を正しつつ思う。
「まずは勝つことだ。勝たなければ何も始まらない。だが勝った後、僕と殿下の進む道は果たして同一であり続けるのだろうか」
 侍従としてエーデルワイスに付き従い、彼女の双肩にかかっているものの重みを痛感させられてきた。
 善と悪の調和の継続という、自分の夢物語は、現実を多数抱え込む彼女にとって面倒事にしかならないかもしれない。それでも協力を申し出れば快く引き受けてくれるだろうが。
 エーレンが思案している様子に気付いたのか、エーデルワイスは彼の方を向いて声をかけてきた。
「ミュンヒハウゼン、明日も私の傍にいてくれ」
 普段は覇気に満ちて、気高く神々しいばかりに美しいエーデルワイスの相貌に、この時少女のように柔らかな微笑みが浮かぶ。エーレンに対してはいつもそう笑う彼女だった。
「御意」
 まずは勝つことだ。
 改めてそう思いつつ、エーレンはこの時心に刻んだことがある。
「自分の人生がこの人と共にあるのなら、それ以上何も望む必要は無いのかもしれない」

 ――――――

 興奮冷めやらぬ大多数の兵士達にとって、この夜、夢の世界に落ちるのは困難な事であっただろう。
 だがエーレンは不眠に悩む間もなく、寝床に入る直前にリアの声を聞いた気がした。
 周囲を見回し、リアの名を呼び掛けてみたが返答はない。
 空耳かと思った時、再度頭の中心に直接響いて来るリアの声を確かに聞いた。エーレンを呼んでいる。
 不思議に思いながらも、外出着に着替えると声に従って兵舎を出て行く。途中で他の兵士に見とがめられたが、気分を落ち着けるために散歩して来る、と言うとあっさりと引き下がってくれた。
 どうもエーデルワイスとの関係がそれなりに広まって、特別視されているようだ。そう思うと妙な居心地の悪さを感じたが、この際その立場を利用させてもらうことにした。
 吐く息が白くなる程度に寒気のある時期となっている。周囲は松明と、月光の明かりに照らされて意外と見渡せていて、暗がりの中でも警戒に当たる兵士たちの動向が見て取れた。
 声に従って平地を歩き続けること十数分、リンドランドの兵舎群を抜ける。そして邪悪と混沌の勢力の軍勢の領域に間もなく入る、という直前の所で一人佇むリアをエーレンは見つけた。
 珍しく既にフードを脱いでおり、月明りの元銀髪が眩く輝いている。
「リア」
「エーレン!」
 同時に呼びかけると、エーレンは小走り、リアは全力で駆け出してお互いに近づいていった。リアはそのままエーレンに飛び込むと、背中に爪を立てる程強く抱き付いてくる。
「呼ばれた気がしたんです。やっぱり貴女(あなた)だったんですか?」
 エーレンの問いに、リアは抱き付いたまま何度も頷いた。
 しばらく落ち着かせるようにリアの頭を撫でていたエーレンだったが、頃合いを見て体を離すとリアの両肩に手を置いて話しかけた。
「どうしたんですか? こんな夜中に」
 リアは両目に浮かんでいた涙をぬぐうと、はにかんだように笑う。
「君へ贈り物の準備がやっと整ったのだ。一刻も早く渡したかった」
「贈り物? 馬車に閉じ籠っていたって聞きましたけど、それを用意してたんですか?」
 リアは肯くと、エーレンが一瞬息を飲む程に美しい緑色の瞳を彼に向け、唇を開いた。
「すまないが左手を手の甲を上にして開いて見せてくれぬか?」
 首をかしげつつエーレンはリアの言葉に従う。
 リアは僧服のポケットから一つの指輪を取り出すと、ごく自然な動作でそれをエーレンの薬指にはめた。
 呆気に取られてそれを見つめるエーレンに向かってリアは嬉しそうに説明を始める。
「我が家の家宝に、更に特別な魔力を込めておいた。この指輪は、君に対するあらゆる魔法攻撃を無効化してくれる。今回の戦いで、私は残念だが君の隣には居ることができない。でもその代わりこの指輪がきっと君を守ってくれる」
「カムチャッカリリー家の家宝? そんな大事な物受け取る訳には」
「良いんだ。受け取ってくれ」
 リアの表情には何物にも揺るがない強い意志の光があった。それを感じてエーレンは微笑した。
「分かりました、ありがとうございます。では、この戦いの間だけお預かりして、その後お返ししますがそれでもいいですか?」
「それで構わぬ。大事にしてくれ」
 エーレンは安堵したが、同時にやはり左手薬指にはめていることが気になってきた。
 他の指に付け替えても良いのだろうか、と、尋ねてみたのだが「それは駄目だ。その指でないと効力を発揮できなくなっている」と、断言されてしまって諦めざるを得なくなった。
 複雑な気分になり、改めて左手を自身の眼前にかざして指輪を観察してみる。
 純銀製と思しき指輪は、全体に複雑な紋様が刻まれており、正面には二枚の舌を生やした太った男の肖像が刻印されている。あまりいい趣味とも思えないが、エーレンはその男に見覚えがあった。
「ここに描かれているのは、まさか……」
「そう、アル・ド・ゲリサンだ」
 背中を毒蛇が這いずり回るような感覚があり、エーレンは全身に鳥肌が立つのを感じた。まさか悪意の神の指輪だったとは。
 そんなエーレンの気持ちに気付いているのかいないのか、リアは嬉しそうに自身の左手を差し出した。
「私の指輪と対になっているのだぞ、ほら」
 リアの左手薬指にもよく似た銀の指輪が見て取れた。だがそこに描かれているのは、ねじれた短剣を持った美女の肖像だ。
「ひょっとして、ダニアですか?」
「その通りだ。さすがエーレンだな」
 ヴァーサの妹神ダニアは嫉妬の女神である。兄にただならぬ感情を抱いた彼女は、兄に近づくありとあらゆる女性を手にした短剣で切り刻むと伝えられていた。
 お互いの左手を眺めながら、エーレンは内心で独り言ちる。
「ヴァーサの指輪をしているなんて言ったら、両親には勘当されるだろうなあ。その前に、明日殿下にどう説明しようか」
 リアはと言えば、こちらはうっとりとした熱のこもった視線で二つの指輪を眺めていた。