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85 名前:触媒[] 投稿日:2016/04/11(月) 17:24:51 ID:RaipZvYo [2/8]
「ミュンヒハウゼン、なんだそれは?」
 決戦当日の早朝、エーレンが身支度を整え幕舎でエーデルワイスに挨拶をしようとすると、機先を制するかの如くエーデルワイスが質問してきた。右手を上げて、人差し指をエーレンの左手にある指輪に向けている。
 エーレンはエーデルワイスの指と声音が心なしか震えているように感じ、恐怖を覚えた。そして「浮気がばれた時の夫の心境とはこういうものなんだろうか」とやや呑気な感想を抱く。
 幕舎内にはまだエーレンとエーデルワイス、それに侍女の三人しかいない。
 さて、何と答えたものか。
 昨夜リアと別れてからも考えてみたのだが、上手い言い訳もごまかしも結局浮かばなかった。ならば正直に話すしかない。
 落ち着いて、昨日リアから貰ったものだという事と、その経緯を説明する。
「外せ」
 エーレンの話を聞き終わったエーデルワイスは一刀両断に言い切った。その有無を言わせぬ迫力にエーレンは絶句しかけたが、戦場に赴くとき以上の勇気を振り絞ってなんとか弁明を試みる。
「恐れながら殿下、友人が僕の為に心を込めて用意してくれたものなのです、それを……」
「私の言う事が聞けぬというのか?」
 今度は紅蓮の炎がエーデルワイスの周囲で燃え上がっているような錯覚に、エーレンはとらわれた。しかもその火炎は絶対零度の暴風をエーレンに向けて吹き付けてくるのだ。
「大体、魔術を防ぐ為というなら、私の鎧があるではないか。これをやるから指輪はさっさと返して来ればよかろう」
「殿下の鎧って、『ミューラスの鎧』じゃないですか!」
「その通りだ。不服なのか?」
「国宝なんて受け取れません!」
 エーレンの言う通り、エーデルワイスが戦場で着用している鎧は「ミューラスの鎧」と称されるリンドランドの至宝である。他の将軍達と同様白色で彩られ、作られてから数百年という歳月を経過した今なお、その輝きを失っていない。
 美しいだけではなく極めて頑強で、さらに神々からの祝福が授けられており、それによってあらゆる魔法攻撃を無力ならしめているという。
「そうか、ミュンヒハウゼンはあの女の指輪は受け取っても、私からの贈り物は嫌だというのだな。そうなのだな」
 とうとうどす黒い瘴気を出しつつ俯いてしまったエーデルワイスを見て、エーレンは本格的に身の危険を感じた。とにかくこの戦いが終わったら指輪はリアに返す、という事で納得してもらおうと説得を続ける。
 十分ほど経過しただろうか、エーデルワイスはやっとのことで顔を上げた。
「分かった。この戦いの間だけ我慢しておこう。ただしだ」
「はい」
「戦いが終わったら、私からの贈り物を受け取ってもらうぞ。この鎧以外でな」
「はい。殿下から賜りものを頂けるなど、身に余る光栄。恐悦至極に存じます」
 助かった、とエーレンは心の底から安堵した。
「うむ」と、エーデルワイスは頷く。
 ちなみにその心中では「私から、それより遥かに豪華な指輪を贈らせてもらう。今度はその指にはめたら二度と外させぬぞ、楽しみにしているが良い。……しかし待てよ、それでは私からプ、プロポーズするという事ではないか! 乙女になんて事をさせるのだミュンヒハウゼンは! 結婚式の日取りとか新婚旅行の日程とか、新居はどうしようとか、子供は何人欲しいとか、そんな事まで私から言わせるつもりなのか、意地悪! ……でもそんな所も可愛いぞ」とか考えている。
 そんな二人の様子をやや離れた場所で眺めていた侍女は「二人とも、これから世界の命運を賭けた戦争に赴くってことを分かっているのかしら」と、呆れかえっていた。

 ――――――

 サラトガ平原はリンドランドの東北に位置している。
 名とは異なりそれほど緑が多いわけではなく、どちらかと言えば荒野に近いかもしれない。
 この地に生息している者と言えば、痩せた土地に適応した野生生物と、ごく僅かで独特の文化を営む少数民族、あるいは交易の為縦断する隊商達、といった所である。
 だが今、この地には有史以来最大規模の大軍勢の姿があった。
 地平に到るかの如く続く刀槍と甲冑の集団は、今は出撃の合図を待ち、高揚した意識を抑えるべく努力しているように見える。
 そして天空にも、無数の翼ある者達の姿が見える。彼等もまた今か今かと戦闘の合図を待っていた。
 これらの戦士達が一様に向ける視線の先には、濃緑一色で染められたような外観をしたジ・ス軍がいる。その兵士達は、多少の個人差こそあれ、全員エーレンがコク大橋で対峙した化け物と瓜二つの姿をしていた。
 無感動な一つ目で、何物をも拒むかの如く全身に棘を生やし、ゆっくりとした歩調で前進する、その総数はおよそ一万。

 ――――――

86 名前:雌豚のにおい@774人目[] 投稿日:2016/04/11(月) 17:25:36 ID:RaipZvYo [3/8]

「目印となる旗もない、か。どこにジ・スがいるのか分からんな」
 討伐軍の文字通り先頭で、騎乗の人となったエーデルワイスが呟いた。
「それで統率が取れるものなのでしょうか」
 ゴーシュの問いに、エーデルワイスは鼻で笑うような仕草をした。そのような所作も優雅に見えるのは桁違いの美貌の賜物だろう。
「そもそも統率を取る気があるとも思えぬ。陣形も端から崩れているし、神々と百年も戦っていた割にはまるで素人だな」
「ご不満ですか、殿下」
 隣に控えるエーレンにそう言葉をかけられて、エーデルワイスは虚を突かれたような表情をした後、今度は苦笑した。
「できれば強敵と戦ってみたかったという思いはある。すまぬな、ミュンヒハウゼン、少し傲慢になっていたかもしれぬ」
「いえ、出過ぎたことを申しました。お許しください」
「卿の言葉が私にとって害になることは無い。気づいたことがあったらなんでも言ってくれ」
 そんな会話を横で聞いていてなぜか自分が恥ずかしくなってしまったゴーシュは、上空を仰ぎ見る。視線の先では全長三十メートルにも達する金竜が、青空を泳ぐように飛びまわっていた。
「竜王も張り切っておりますな」
「何百年ぶりかの戦いであろうからな。空はデイトナに任せた。右翼バーネット、左翼ボッシュの準備は抜かりないだろうな?」
「準備万端整っているとの返答がございました、殿下」
 エーレンが答える。
「よし。合図と共に中央は全面攻撃、左右両翼は敵側面に回り、上空のデイトナ達も合わせて四方からの包囲殲滅を計る。単純な作戦だが、百万の大軍ならば小細工は無用だ」
「はっ!」
 エーデルワイス達の眼前で、ジ・ス軍は圧倒的少数ながら恐れを知らぬかの如く歩みを止めない。一歩一歩、確実に近づいて来る。
 頃や良し。そう判断したエーデルワイスは右手を高々と上げ、大音声で告げた。
「弓兵隊、魔法隊、構え!」
 その声に従い、人間やエルフを主力とした弓兵隊が矢をつがえると共に、善と悪の魔術師達も呪文の詠唱を始める。
「撃て!」
 右手を振り下ろしエーデルワイスが命令すると、幾千、幾万もの矢が豪雨のごとくジ・ス軍に降り注いだ。同時に、魔術師達から放たれた火球や雷撃が正面からの大打撃を与える。
 怪物たちの絶叫が平原にこだまのごとく広がっていく。その怨嗟の声は討伐軍にも届いていた。
「もろ過ぎる」
 一撃でジ・ス軍が完全に混乱の際に叩きこまれたのを見て取って、エーレンは呟いた。それから、思い直したように付け加える。
「ですが個々の戦闘力は侮れません。ご油断召されぬよう」
「卿に手傷を負わせるほどの相手、承知している」
 エーデルワイスが刀の柄に手をかけて答えた。そして鞘から大剣を引き抜く。
「抜刀!」
 今度は大軍の刀槍が一斉に煌(きら)めき、光の河を形作った。
「突撃!」
 白馬を駆ってエーデルワイスが疾走する。エーレンもまたその側に寄り添い、共に敵軍の只中に飛び込んでいった。
 幾多の兵士達がその後に続いていく。

 ジ・スの一族にどの程度の知能や感情があるのか、という事に関してはまだ検証の余地が多分に残されているのだが、少なくともこの日、陣中に躍り込んで来たエーデルワイスに対して彼等が恐怖を抱いたのはまず間違いない。
「殺(シャア)!」
 そう咆哮しながら大剣を縦横無尽に振い続け、戦場に「死」を撒き散らすエーデルワイスは、この時、美神よりも死神の寵児のように見えた。
 一刀毎に敵数体をまとめて吹き飛ばす。ジ・ス軍も道中で得た刀や盾を装備しているのだが、全く問題にならない。盾で防げば盾ごと両断し、刀をかざしてもそれは小枝のように折れてしまう。
 もはや戦いとすらいえぬ、一方的な殺戮劇をエーデルワイスは演じていた。
 その隣で長剣を振るい続けながらエーレンは思う。
 士官学校時代、エーデルワイスは戦略論・戦術演習等々、全ての科目において卓越した才能を発揮していたが、それは剣技においても例外ではなかった。
 試合ともなれば、上級生を相手にしても完膚なきまでに叩きのめして見せた。そもそも入学から卒業に至るまで、彼女に一太刀でも打ち込めた人間がいただろうか。少なくともエーレンの記憶にはない。
 その頃と変わらず、いやそれ以上に現在のエーデルワイスの武勇はすさまじい。おそらく剣技だけならリア以上であろう。もし二人が戦ったら、どちらが勝つのだろうか――。
「馬鹿な考えだ。戦場で何を考えているんだ、僕は」
 なぜか頭にこびりついてしまったその疑問を振り払うように、エーレンは「殺(シャア)!」と叫ぶと緑の返り血に塗れた長剣を振るい続ける。

87 名前:触媒[] 投稿日:2016/04/11(月) 17:27:38 ID:RaipZvYo [4/8]

 緑の怪物の絶叫が響き渡り、血と脳漿の生臭い匂いに満ち満ちている戦場で、エーレンはジ・ス軍の中に戦うこともせず防御姿勢のみを取っている二百匹程の一団を見つけた。
 その一角だけは他の者達と異なり、混乱することもなく平静を保っているように見える。
「殿下、あちらを!」
 その言葉にエーデルワイスも馬首を巡らして振り向いた。エーレンの意図を瞬時に覚り、号令をかける。
「続け! ジ・スはあの中だ!」
 エーレンとエーデルワイスは一直線にその一団に突撃していく。遮るものをすべて薙ぎ払い、今まさに剣撃を叩き込もうとした瞬間、二人は眼前で上空に飛び上がる影を見た。
「なんだ、あれは!?」
 遅れて到着したゴーシュがそう叫ぶ。
 討伐軍とジ・ス軍の生き残りが見つめる中で、その影は遥か上空まで飛翔し、巨大な四枚の翼を広げるとそのまま滞空してみせた。
 一瞬、戦場全体を静寂が包み込む。誰もが一時戦いの手を止め、その姿を仰ぎ見ていた。
 身の丈およそ三メートル。体型は人型だが、蝙蝠を思わせる四枚の翼に九本の腕を生やし、全身を昆虫のような緑の甲羅で覆っていた。長い首を持ち、その先にある頭は、これだけは他の部位と不釣り合いな色白の人間の顔をしている。
「奴がジ・スか」
 エーデルワイスのその認識は正しい。この時、ジ・スは初めて討伐軍の前にその姿を現したのである。

 静寂は地上にまで届く竜王の咆哮によって終わりを告げた。それの意味する所は、竜族と、ガーゴイル、鳥人(バードマン)、ハーピー等からなる約五万の翼ある者達の軍勢による全面攻撃の開始だ。
 ジ・スに向かって一斉に矢、火球、さらには燃え盛る竜の息(ドラゴンブレス)が襲い掛かる。
 全方位から殺到する逃げ場のないはずの攻撃。だがそれらが着弾する直前、ジ・スは一瞬にしてその場から飛びすさり、全てを回避してみせた。その飛行速度は、地上で観戦している者達ですら追いかけるのが困難だった程である。
 鳥人らが愕然として見つめる中、ジ・スの周囲に多数の光源が現れる。それが数百本にも及ぶ魔法の矢(マジック・ミサイル)だと判明した時、地上の魔術師達から悲鳴が上がった。
「有り得ない……! 最高位の魔導士でも、魔法の矢を一度に十本以上も作るなんて不可能だ!」
 その魔法の矢はジ・スを中心としてあらゆる方向に発射され、周囲の軍勢に全弾命中した。多数の翼ある者達が断末魔の叫びを上げて落下していく。
 自身の眷属が犠牲になったのを見たデイトナは怒りの叫びを上げ、自ら竜の息を吐きジ・スに向かって突進していった。飛行速度に於いてデイトナに比肩する者はいない。
 いや、いなかったと言うべきだろう。デイトナをもってしてもジ・スを捕えることは不可能であったのだ。その攻撃は尽(ことごと)くかわされ、反撃とばかりに魔法の矢を雨あられと撃ち込まれていく。
 だがデイトナの固い鱗はそれらを全て弾き飛ばした。身体には傷一つない。それを見て取ったジ・スは再度魔法の矢を発動させると、今度は全弾をデイトナの両眼に向けて叩きつけた。
 着弾する寸前、デイトナは瞼を閉じて防御したのだが、その瞬間隙が生まれた。ジ・スは猛スピードでデイトナに接近すると、首の付け根に取りついたのだ。
 そして至近距離からデイトナの首めがけて今度は雷撃を撃ち込んだ。その威力の凄まじさは、地上に本物の雷鳴さながらの轟音を鳴り響かせた程である。
 頸部に巨大な穴を開けられ、血飛沫(ちしぶき)を流しながらデイトナは絶叫した。ジ・スは尚も手を休めることなく、場所を変えながら雷撃を撃ち込み続ける。
 周囲の竜族が彼らの王を助けようと突進するのだが、罠のごとく待ち受ける魔法の矢に迎撃され、手を出すこともできない。悲痛な叫びが大空に響き渡る中、ついにその身に五つ目の巨大な穴を開けられ、デイトナは苦悶の叫びと共に羽ばたくことを止めて墜落していった。
 ジ・スはデイトナから離脱すると、再び天高く舞い上がっていく。

「竜王が地に墜ちた……」
 ゴーシュが茫然として呟いた。彼だけではない、討伐軍全体が愕然とした空気に支配されていた。
「デイトナはあの程度では死なぬ。至急衛生隊を落下地点へ派遣せよ」
 そう命令するエーデルワイスは、まだ冷静さを失ってはいない。と同時に、自軍の士気の低下が甚大だという事も理解していた。
 特に翼ある者達の軍勢は、もはや恐慌寸前であろうことも。

 統率を喪失し、今や文字通りの烏合の衆と化した翼ある者達の軍勢の中央で、ジ・スは再び滞空すると九本の手を自身の前にかざす。次の瞬間、ジ・スの正面に漆黒に燃える火球が出現していた。

88 名前:触媒[] 投稿日:2016/04/11(月) 17:29:18 ID:RaipZvYo [5/8]
 最初はリンゴ一個程度の大きさだったそれは、膨らみ続け直径約一メートル程に達する。
 すると、ジ・スはおもむろに地上めがけてその火球を発射した。流星もかくや、と思わせる超高速で一直線に大地に到達した黒い火球は、着弾しても消えることなく恐るべき勢いで再度膨張を始める。
 着弾地点にいたのはゴブリンと鬼(オーガ)の軍勢だったのだが、彼等は悲鳴を上げる間さえ与えられずに、一瞬で火球に飲み込まれていった。むしろ離れた場所にいた兵士達の方が、その光景を見てパニックを起こしたほどである。
 黒い火球はあっという間に直径三百メートルもあろうかという半球に成長すると、巨大な破砕音をたてて破裂した。
 不思議と爆風のようなものは発生しなかったのだが、跡には土煙が立ち込め様子を伺うことができない。いや、それは土煙ではなかったのだ。
 悲鳴が討伐軍を走り抜けた。土煙のように見えたのは吹き上がった灰であったのだ。火球に飲み込まれた軍勢は、全て燃やし尽くされ、後に残ったのは灰と、炭となり姿形も判別できなくなった亡骸たちであった。何万の兵が失われたのか想像もできぬ。
「また撃つ気だ! 散開しろ!」
 エーデルワイスの声を聞いて多くの者が我に返り、そして天を仰いで絶望した。
 ジ・スの正面にまた黒い火球が出現している。
 どこに撃ち込まれるかは分からぬし、分かったところであの速度では避けようもない。だが少なくとも被害は軽減しなければならぬ。
 全員がとにかく戦場から遠くへと全速力で駆け出して行った。エーレンもエーデルワイスに付き従い、全力で馬を駆る。
「来る……!」
 そう叫んだエーレンは次の瞬間、黒い火球が空から走り、僅か五メートル先の至近距離に着弾したのを見た。
「ミュ……!」
 エーデルワイスはエーレンの名を呼ぼうとしたのだが、言葉が届くよりも早くエーレンは黒い火球に飲み込まれていく。
 そしてエーデルワイスにも逃れる術(すべ)はない。エーレンの後に続くようにその身は黒炎に包まれていった。
 二人を飲み込んだ黒い火球は、着弾から膨張を終えるまで五秒とかけずに爆発する。再び発生した大量の灰の煙を前にして、討伐軍全体が虚脱し、戦意を喪失して手から武器を取り落す者さえ現れていた。

 エーレンが目を開けると、視界は灰色一色の煙で染められていた。
 ただ、不思議とその煙はエーレンの周辺を避けて流れていた。故に身体は灰を被ることもなく綺麗なままだし、息苦しくなることもない。
 自分は助かったのか、そこまで考えた次の瞬間、エーレンの耳に歓喜に沸く女性の声音が飛び込んで来た。
「ミュンヒハウゼン!」
 声の方向に向く間もなく、エーレンは抱き付いてきたエーデルワイスに押し倒されていた。エーレンの顔を至近距離から見つめ、蒼い目に涙を浮かべてエーレンの名を呼び続けている。
 さすがに戦場なのでエーレンもすぐ我に返り、体を起こして地面に膝立ちになるとエーデルワイスを落ち着かせた。
「殿下もご無事で何よりです」
「うん。良かった……。卿がまたいなくなったら、私はもう生きていけぬ」
「弱気なことをおっしゃらないでください」
 無礼と思いつつ兜の上からエーデルワイスの頭を撫で、エーレンはその姿を眺める。エーレン同様、灰を被っていないのかその身は綺麗なままだった。
「我々が助かったのは、やはりこの指輪と、その鎧のおかげでしょうか」
「恐らくそうだろうな。善神と邪神双方に感謝せねばならぬ」
 エーレンは自身の左手薬指を見て、そこにある指輪を軽く撫でた。ヴァーサはともかく、リアにはどんなに感謝してもしきれない、そう思う。
 続いて「やはり生き残れたのは二人だけなのだろうか」と考えた時、至近距離から発せられたと思しき男の呻き声をエーレンは聞く。エーデルワイスと共に目を見開き、立ち上ると声の持ち主を探し始めた。
 二人は灰煙の中を二メートルほど進み、倒れていたゴーシュを見つける。鎧は酷く損傷し、全身にも裂傷と火傷を負っているようだったが、ゴーシュはまだ生きていた。
「隊長! 聞こえますか!?」
 エーレンの呼びかけに、ゴーシュは呻き声を発する事しかできない。
「我々の近くにいたので火球の威力が軽減されたのかもしれぬな。とにかく早く衛生隊に診てもらわないと」
「はい。我々が乗っていた馬は助からなかったようです。救援を呼び……!?」
 その時、上空から接近して来る何者かが羽ばたく音をエーレンは聞いた。周囲の灰煙が風に煽られて晴れていく。
 翼ある者達の軍勢が助けに来た、と思うほどエーレンは楽観派ではない。

89 名前:触媒[] 投稿日:2016/04/11(月) 17:31:10 ID:RaipZvYo [6/8]
 そんな彼の予想は残念ながら当たっていた。巨大な四枚の翼を広げ、エーレンとエーデルワイス、二人が見つめるその前にジ・スは降臨する。

 エーレンは鞘から剣を抜き、瞬時に戦闘態勢に入る。エーデルワイスも同様に大剣をかざした。
 二人を青白い顔で眺めやったジ・スは、禍々しい外見には不似合いな、青年のような声を発する。
「ほう、見事なものだな。なぜ生きていられたのだ?」
「神の御加護だ」
 エーデルワイスの返答を聞いて、ジ・スは眉間に皺を寄せる。続いて唇の端を上げ、笑ってみせた。
「あのくそったれ共か。地上に姿を見なくなったと思ったが、どこに隠れているのだ?」
「さあな、自分で探してみたらどうだ?」
 ジ・スを挑発するかのように、皮肉交じりの微笑をエーデルワイスは返す。
 このような状況でもエーデルワイスの闘志はいささかも衰えていない。隣でエーレンは感嘆していた。
「こちらからも聞きたいことがある。大した魔術だが、貴様なぜこれを最初から使わなかったのだ?」
 エーデルワイスの問いを聞き、ジ・スは今度は声を上げて大笑した。
 それを収めると身を屈めて地面から灰と炭をすくい、見せつけてくる。
「これでは食いにくくて仕方あるまい」
 エーデルワイスは毒気を抜かれたような表情をし、続いて侮蔑交じりの声を発する。
「なるほどな、呆れたやつだ。もう一つ聞くが、貴様なぜ今の世に復活した? 何万年か何億年ぶりだか知らぬが、目覚めたのは何が理由だ?」
「偶々(たまたま)さ」
 ジ・スは返答し、またしても大口を開けて笑っていたが、それを止めるとエーデルワイスに冷ややかな眼光を向けた。
「しかし妙な事を言うな、仕向けたのはおまえらではないのか?」
「……どういう意味だ?」
 ジ・スは小首を傾げると、何かを納得したように一度頷いた。
「答える必要はなさそうだ。では、せっかく生き残ってくれたのだから、特に念入りに喰らってやろう。骨一本残さないと約束してやる」
「なめるなよ、この化け物。やれるものならやってみろ!」
 エーデルワイスが叫ぶや否や、ジ・スは九本の腕を振り回し、その全てでエーデルワイスに襲い掛かる。だが、目にも止まらぬ連撃をエーデルワイスは大剣一本で防いで見せた。
 エーレンも今は家宝の長剣を振るい、ジ・スに斬撃を繰り出していく。だがその攻撃はジ・スの甲羅に当たり、尽(ことごと)く防がれ、傷一つ付けることができない。エーデルワイスの攻撃も同様だった。
 ならばと、二人は甲羅の僅かな継ぎ目を狙って攻撃するのだが、ジ・スは身を翻してそれらをかわして見せた。
 だがそれは弱点の証明でもある。甲羅に覆われていない部分なら、傷つけることができるかもしれない。エーレンとエーデルワイスはそう判断し、無言のうちに連携を取ってジ・スに連撃を叩き込んでいった。
 上中下、前後左右と全ての局面で二人から繰り出される攻撃をジ・スは防いでいたが、それが五十合から百合を越えた所で、相手を甘く見ていた事をジ・スは内心で認め、叫んだ。
「煩(わずら)わしいぞおまえら!」
 続いてエーレンを襲った一撃は、彼が今までの人生で経験したことのない速度と威力を伴った攻撃だった。長剣をかざし、全力で受け止めたにもかかわらず、エーレンは衝撃に負け、そのまま後方へ吹き飛ばされていた。
「ミュンヒハウゼン!」
 エーデルワイスの悲鳴を聞いて、エーレンはしまった、と思った。バーネットが評したように、エーレンはエーデルワイスにとって間違いなくアキレス腱だったのだ。
 エーデルワイスの全意識がエーレンに向いた一瞬、その隙をジ・スは逃さない。九本の腕全てで、エーレンに叩き込んだのと同様の攻撃をエーデルワイスに叩き込んでいた。
 だが、エーデルワイスはその攻撃を七本までは捌いて見せた。もはや人間業とは思えぬ動きだったが、残り二本は追いつかず、その攻撃を胸と腹に喰らって、エーレン同様後方に吹き飛ばされる。
 二人とも肋骨を損傷し、倒れた時の衝撃で呼吸もできなくなり、動きが封じられてしまっていた。
 ジ・スは勝利を確信する。しかし次の瞬間、風を切り裂く音とともにジ・スの胸郭部に一本の矢が飛来し、甲羅に当たって弾け飛んでいた。
「なに?」
 ジ・スは矢の飛んできた方向に振り返る。
 いつの間にか薄くなりつつあった灰煙、その中を掻き分け、蹄の音を鳴らし疾走して来る一騎がいた。
「殿下! ミュンヒハウゼン! 馬に乗られよ!」
 バーネットはそう言って二人を鼓舞すると、騎乗のままジ・スに斬りかかった。剣とジ・スの甲羅が衝突し、鋭く乾いた音が鳴る。
 バーネットの後からは彼に手綱を引かれていた空馬が一頭、こちらはエーレンの方に向かって走り寄ってきた。

90 名前:触媒[] 投稿日:2016/04/11(月) 17:31:50 ID:RaipZvYo [7/8]
 エーレンは呼吸を整え起き上がると、慣れた身のこなしで馬に飛び乗る。そのまま地上に伏しているエーデルワイスの方に馬を駆り、彼女も抱き上げて自身の後方に乗せた。
「閣下! ゴーシュ隊長もまだそこに居ます!」
「任せておけ! お前達、勝利の女神を惚れさせる絶好の機会だぞ! 虜にして、二度と離れられぬ身体にしてやれ!」
 下品極まりないバーネットの号令とともに、彼の部下である一万騎が灰煙を突き破ってその場へ雪崩れ込んで来た。
 ジ・スは九本の腕を振るって彼等の内何人かを吹き飛ばし絶命に至らしめていたが、次から次へと現れる援軍に嫌気がさしたのか、四枚の翼を広げると飛びあがり離脱していった。
 この間にバーネットはゴーシュを自身の馬に乗せて助け出している。
「ミュンヒハウゼンは絶世の美女と同乗しているのに、俺はむさくるしい男とか。割に合わんな」
 こんな時も減らず口を叩くのを止めないのが彼だった。