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622 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:27:26 ID:RXIiPa7U
***

 昔話をしながら、思う。
 本当に、アタシは何をやっているんだろう。
 自分でもよくわからない。
 昔の話を先輩にしたところで、何か特別なことが起こるわけじゃない。
 あんなに痛くて、惨めで、気持ち悪くて、涙も枯れて、まるごとまとめて最悪な過去を話して、先輩が慰めてくれるとでも?
 そんなわけない。アタシの昔話を先輩が聞いたところで、傷を癒せるはずがない。

 ――あ、そっか。だからか。
 アタシは自分でも気付かないうちに、そのことを理解していたんだ。
 何を話したところで、先輩は何も変えてなんかくれない。何も言ってくれない。
 それが良かった。話し相手として最適だった。
 彼にも話せない、彼と出会う前のアタシの有様。
 もし彼が知ってしまったら、一体どんな気持ちになるのか。
 もともと彼はアタシのことなんか知り合いの一人ぐらいにしか思っていないだろうけど、それを計算に入れてもあの話は重すぎる。
 彼は、きっとアタシを嫌ってしまう。
 嫌われるのが怖い。
 嫌わないで。アタシは何も悪くない。
 悪いところがあるというなら、誰かに話す勇気を奮わなかったこと。
 でも、仕方ないじゃない。
 思い返すのだって嫌なのに、それを言葉にして誰かに話すなんて、絶対に無理だよ。
 今ならともかく、昔の――中学の頃のアタシには、難しすぎた。
 それに、知られたくもなかった。
 誰かに知られたら、そこから周りに伝播していって、もっとひどい目に遭わされそうな気がした。
 あの男以外だけじゃなくて、他の見ず知らずの男に好きなようにされるのを想像したら、死んでしまいたくなる。
 あの頃に死なず、よく今も生きているな、なんてよく思うのに。
 嫌われてしまうかもしれないなら、いっそのこと内緒にして、一切気付かれないよう封印した方がいい。

 そのガードを先輩の前で解いてしまったのは――見下していたから、かな。
 これじゃちょっと失礼だし、語弊があるか。
 もう少し正確に言うと、アタシは先輩をゴールデンレトリバーみたいな感じで見ている、って感じ。
 うーん、これもちょっと違う? …………柴犬が一番近いかも。
 レトリバーと日本犬じゃ全然違うじゃないか、とか先輩なら突っ込みそう。
 でも日本人だから、やっぱり柴犬の方が似合うとアタシは思う。
 ぱっと見た感じでは大人しそうで人畜無害。
 でも、いざというときには頼りになりそう。
 ……なんだけど、いざという時以外には使えそうにない、分度器みたいな存在。
 実際、アタシが彼をさらおうとした去年の文化祭の時、誰にも見られずに体育館に彼を連れ込んだ今回のケース、
両方とも先輩は自分の弟を捜して、かなり近くまで接近した。
 本当に犬みたい。先輩には特殊な嗅覚が備わっているんだろうか。

 さて、先輩の話はこれぐらいにして。
 そして、先輩とのお話もこれぐらいにしておきましょうか。
 明日アタシは、先輩に限らず、これまでに築いてきた人間関係を全て清算する。
 だから、こう見えても実はアタシは忙しいんです。
 この辺で話を切り上げたいから、どうか先輩、そんな呆気にとられた顔をしないでくださいよ。
 友達の話だって、最初に言ったじゃないですか。
 変な勘違いしてアタシに同情なんかしたら、とても表現できない効果音を立てつつ、先輩の額に穴を空けちゃいますよ?
 そうなったら、先輩は彼のお兄さんという重要なポジションにいるのに、アニメ化されてもビジュアルの問題で登場させてもらえませんよ?

 思いやりの心なんて、アタシは欲しくありません。
 彼の、それ以外は。

623 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:29:24 ID:RXIiPa7U
***

 澄子ちゃんが去り、またしても一人きりで閉じこめられた暗闇の中で、思考を巡らせる。
 澄子ちゃんの友達の話について。
 初めて聞かされる、彼女の友達のこと。
 かいつまんで言うならば、その子は過去に暴行を受けていたという。
 それも、性的な。
 俺が考えていたのは、その話の真偽についてではない。
 澄子ちゃんがそんな話をどうして俺に聞かせたのか、そして、俺は話が終わった後になんと言うべきだったのか。
 澄子ちゃんは友達の話だと言っていたが、嘘だろう。聞かせやすくするための方便だ。
 では誰の話なのか、というと、それは。
「…………信じたくないけど」
 澄子ちゃん本人のことだろう。
 もちろん確認をとったわけじゃないから俺の誤解かもしれないけど。でも、俺の勘はそう判断した。

 中学時代――少なく見ても一年以上前に、ストーカーされ、ある日の帰宅途中に自分の家まで追いかけられ、
そして、未成熟な体と、穢れを知らぬ心に取り返しのつかない傷を負った。
 なお悪いことに、同じ目に遭ったのはその時だけでなかったという。
 相手は男。逮捕後に分かったらしいが、同じような犯罪を同じ時期に、数件も重ねて犯していたらしい。
 そんな外道は死んだ方がいいと思う(澄子ちゃんも同じ事を言っていた)のだが、裁判で男は懲役十余年の刑に処され、今でも服役しているそうだ。
 被害者の中には、男と遭遇してから人生を狂わされた人間が多く居た。
 世の中の男の全てが恐ろしくなり引きこもった人間。
 二度とその男に見つかるまいと自分の顔を跡形も残さず整形した人間。
 この世に救いなどないと言い、遺書を残して自ら命を絶った人間。
 ほとんどの被害者は女性。中には小学生ぐらいの男の子も含まれていたという。
 その中で今でも社会生活を営んでいるのは、親友や恋人や家庭、人でなくても自分を支えてくれる何かを持っていた人。
 あと、事件に巻き込まれてしまったせいで希望を失い、悪い意味で諦観してしまった人だった。
 誰も信じられないなら、生きていても仕方がない。意味がない。
 でも、死んでしまいたくても、死に方が分からない。
 自分の家にトラックが突っ込んできて、あっという間に死んでしまえば楽なのに。
 そんなことばかり考えて過ごしていたと、澄子ちゃんの友達は言っていたそうだ。
 いったいどれほどの絶望感だったのか、想像できない。
 こうして一人地下倉庫に閉じこめられ暗闇を見つめていても、だ。
「……いや」
 そもそも比べるべくもない。
 俺のこの状況はまだ救いがある。校内であれば大声を聞いて不審に思った人がやってきて、地下室から抜け出せる可能性がある。
 けれど、話に出てきた男に対して被害者が覚えた恐怖はどんな時でも消えはしない。
 手足が自由であっても、どこかで男に遭ってしまえば、また恐ろしい目に遭わされる。
 それか、男の方から近づいてくるかも知れない。そして、欲望を満たすためだけの玩具にされる。
 そんなのは、覚めない悪夢そのものだ。

 あんな傷ましい話を、どうして俺に聞かせたんだろう。
 澄子ちゃんが言うには、今の俺を見ていたらその子を思いだした、とのことだったが、はたして本当だったのか。
 聞きたかったけど、深く詮索するのも気が引けてしまい、結局はろくなことを言えなかった。
 聞きたいことを除いて、思いついた疑問を慎重に選び、おそるおそる聞くだけだった。
 友達は今どうしているのか?
 事件が終わってから自殺してしまった、止めることも出来なかった、という答えが返ってきた。
 警察は動かなかったのか?
 友達は怖くて相談していない、自分が事実を知った時には手遅れで、翌日に友達はもう……、という答えが返ってきた。
 話に出てきた友達が澄子ちゃん本人なのかどうかは聞いていない。
 聞いても応えないだろうし、聞いたら傷つけてしまうだろうし。

 澄子ちゃんが去る時、俺は何か言うべきだったのかもしれない。黙っていることはなかったと、なんとなく思う。
 本当のところ、俺は話につられて暗い気分になっただけで、かけるにふさわしい言葉なんか何一つとしてなかった。
 それでも何か言うべきだと、からっぽの頭の中を探ってはみた。
 探してもひと欠片の言葉さえ浮かばず、澄子ちゃんが地下倉庫と校庭を遮るドアを閉めるところを見ているしかできなかったのだけど。

624 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:32:27 ID:RXIiPa7U
 嘆息し、一旦思考を止める。
 すでに澄子ちゃんはいない。だからさっきの話について考え込んでも詮無いことだ。
 一応頭の中に疑問のひとつとしてストックしておく。
 澄子ちゃんがどうして俺にあんな話をしたのか。また顔を合わせることがあったらタイミングを見て聞き出そう。
 ――と、思ったのも束の間。
 あることに気付いた。遅いぐらいだけど。

「放置かよ、俺……」
 澄子ちゃんを引き留めていればよかった。せっかくの開放されるチャンスだったんだから。
 弟を二人きりの理想郷とやらに連れて行ったら解放すると言っていたが、逆に言えばそれまではこのまま、ということになる。
 理想郷って、外国とか南の島とかじゃないだろうな。
 もしそうだとしたら、二人分のチケットを手配して、いやその前にパスポートを取って……ふうむ、弟を強引に連れて行くのだろうから、
でかい入れ物に梱包して、一人は貨物室、一人は座り心地の良いシートに乗って空の旅を満喫するのか?
 というより、澄子ちゃんなら弟と二人で木箱の中に梱包されても文句言わなさそう。
 いやいや、移動手段はどうでもいいのだ。
 問題は、俺がいつ解放されるのかということだ。あまり時間がかかりすぎるとまずい。
 まだ腹は減っていない。トイレに行きたい欲求もない。少しだけ眠くはある。
 しかし、いつまでもこのままでは必ず破綻する。
 具体的にどうなるか脳内でイメージできるが、あえて表現して形にしたくない、そんな有様になるであろう。
 自分で突っ込むのもなんだが、ちっとも具体的じゃない。
 しかし、何かの光景に喩えたら最初に浮かぶのが動物園の檻の中なんだから、思い浮かべたくもなくなるってものだ。

625 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:35:14 ID:RXIiPa7U
 自分が置かれている状況を作った原因は、俺にはない。
 悪いのは澄子ちゃんである。そして同じくらいに、デリカシーに欠けることをほざいた弟が悪い。
 弟がもう少し配慮をしていれば、こうしていることはなかったかもしれない。
 最初から澄子ちゃんは弟をさらうつもりでいたらしいから、弟が変なことを言わなくてもこうなった、とも考えられるが。

 しかし、弟があんなことを言うとは。
 本当は好きじゃないんでしょ、か。……これ、弟に先んじて俺が口にしていたかも知れない台詞だな。
 去年、まだ数回話を交わしただけの関係だった葉月さんに告白された時に。
 葉月さんが俺に弟のことしか聞いてこないから、てっきり葉月さんは弟が好きなんだろうと思っていた。
 あの時に変なことを言わなかったのは――言いたくなかったのは、告白に関する過去のトラウマをほじくり返したくなくて、
早く葉月さんの前から立ち去ることしか考えてなかったからだ。
 だから、俺は黙って葉月さんの前から立ち去った。
 もしも強引に引き留められ、理由を話すまで返さないと言われていたら。
 おそらく、俺はここで二つの選択を迫られたはず。
 一つ、振った理由を言える範囲で説明する。二つ、きついことを言って突き放す。
 俺は一つ目の選択をするだろうが、澄子ちゃんに迫られた弟が選択したのは、二つ目の選択だった。
 わざと傷つけて、自分への興味を失わせようとした、というところだろう。
 だけどそれは誤りだった。澄子ちゃんに対しては、最悪の選択肢だった。
 もっとも、一つ目の選択をしていたところで無事に済んだとは言えない。
 むしろ、相手が悪かったということこそが、さらわれた原因なのかもしれない。
 失礼かもしれないが、こう思う。
 弟の奴も、タチの悪い女に惚れられたものだ。

「ま、そこに関しては弟は悪くぁ……にゃい、か」
 独り言にあくびが混じった。
 我ながらなんとも緊張感のないことだが、眠いものは眠いのだ。
 暗闇の中は静かだ。やりすぎなくらいに。周囲を囲む壁や天井が外部からの音を全て吸収してしまう。
 この分だと俺が叫んでも外にいる誰にも聞こえやしないんじゃないかとも考えられる。
 時計がないから現在時刻はわからないが、やはりそれなりに夜は更けているのだろう。
 寝よう。起きてても退屈なだけだ。
 まだここにぶち込まれて数時間しか経っていないから、脱出不可能な状況を嘆いて舌を噛むには早すぎる。

 誰かが見つけてくれないかななんて、他人の手を借りて脱出するしかないこの状況で抱く希望。
 叶えてくれる人がいるとして、それは誰になるのだろう。
 俺は、誰に助けて欲しいと思っているんだろう。
 一番最初に浮かんだのは警察だった。警察にはお礼を言いやすい、という理由で。
 では他にはいないのか、と自分の頭に検索をかけてみたものの、これといった相手が決まらない。
 誰の顔を浮かべても、この人は巻き込みたくないと除外してしまう。
 それ以外に、こいつには助けられたくないということも選別の基準に入れていた。だから誰か決まらないのだ。
 我ながら贅沢なことだ。

626 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:37:19 ID:RXIiPa7U
*****




「ねー、三人とも、好きな人、いる?」
 突然聞こえてきた声に総毛立つほどびっくりした。
 次に、同じ空間内に人間が居ると思い至り、瞬間だけ安心したのも束の間、幽霊か何かかと思い直して今度は鳥肌が立った。
 しかし状況把握に努めると、ただ声が聞こえてきただけであって恐ろしいものが見えていた訳ではなかった。
 不気味ではあるが直接的な恐怖はないという、ホラー映画のDVDのあらすじを読んだ後のような気分になった。

 聞こえたのは子供の声だった。
 高校生が子供だとするなら俺もまだ子供であるが、その前提があったとしてももっと子供っぽいと言える声だった。
 声変わりするにはまだまだ遠い、数年はかかりそうな高い声。
 推考。――――ふむ、どうやら俺は夢を見ているらしい。
 小学生が高校の敷地内に入るわけがない。しかも人の立ち寄らない体育館の地下倉庫に入り込むなどあり得ない。
 俺が小学校の頃は高校生なんて、得体の知れない分両親やその他の大人たちより怖かったものだ。
 いや、中学生と高校生の区別すらついていなかったかも。
 ともかく、俺が聞いた声は小学生のそれであった。そして俺は夢を見ているのだ。

「好きな人?」
「うん、そう。おんなじクラスに居るんじゃないの?」
「えっと……それは……うーん」
 また違う子供の声。こちらも高い声だったが、響きが男の子を思わせる。
 今のと比較すると、最初の声の主は女の子のような感じがする。
 仲の良い友達同士なのだろう。なにせ暗闇の中で会話を交わしているのだから。

 ――待て。
 何か変だぞ。どうして暗くて一寸先の見えない状況でこの子達は会話をしているのだ?
 それに、俺の体の上に柔らかな感触がある。適度な重さに、好ましいこの暖かさ。
 布団だ。布団が俺の体の上に乗っている。そして俺は敷き布団の上で横になっている。
 体が軽く感じられる。溜まっていたものがなくなった感覚と、ちょっとした喪失感。
 足を伸ばすと、膝や踵がコンパクトになっているのがわかる。体が相当縮んでいる。おそらく小学生サイズまで。
 ということは、今回は夢の中の人物にとけ込んでいるわけか。精神年齢が十七の小学生が誕生だ。
 布団に、暗闇に、女の子と男の子と俺。
 ――あ、三人が同じ部屋の中で床についているのか。暗いということは夜だから、就寝前だ。
 仲の良い三人が集まって、お泊まりをしているわけだな。
 これが荒唐無稽な夢じゃなく、過去を体験しているなら嬉しい。
 俺にもこんな昔があったわけだ。ちょっとだけ嬉しくなる。

 さて、女の子と男の子が誰なのか、であるが。
「はっきり言いなよ。さとみちゃん? みうちゃん?」
「ううん、ちがうよ」
「じゃあ、だれ?」
「えっと…………も、もくひけんを」
「そのけんりはみとめられておりません」
「うー…………ね、ね。兄ちゃん起きて。なんとかしてよ。花火がへんなこと言うよお」
 ……女の子は花火で、男の子は弟である、と。
 弟は俺に頼ろうと、俺の肩を掴んでいた。弟の手が小さいのも、俺の肩が細いのも変な感じだ。
 まあ、なんだ。小学生の俺がどう思っていたかは知らんが、今の俺からすれば、弟にこんな風に甘えられても嬉しくない。
 気色悪いと言ってもいいな。
 しかしながら、今の俺は小学生。間違っても変なことを言ってはならない。
 試しに、高校生になった弟が好きになる相手が誰であるか言ってみたかったが、
この夢がこれからどんな展開を見せるのか気になったので、水を差さないことにした。

627 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:39:07 ID:RXIiPa7U
「アニキにたよろうなんて男らしくない。いいから、はくじょうしなって」
「じゃ、じゃあ、言い出しっぺの花火から言ってよ。そうしたらぼくも言うよ」
 小学生だから許容できるヘタレぶりである。逃げる気満々だ。
 まあ、これぐらいの手なら俺も取るからお互い様か。
 あれ、今自分で自分が小学生並のヘタレだって言ったか? そうなのか?
 自覚してたのかよ、俺。
「私は、三人」
「三人?」
 三人? とちび弟と心の中で台詞をシンクロさせた。
「お前と、アニキと、ちっさい妹。三人とも同じくらい好き」
「ず、ずるいよそれ!」
 そうだそうだ、とつい口走ってしまいそうになった。いかんいかん、黙っとけ。
「そういうんじゃなくって、その、もっと、もうちょっとちがう……」
「けっこんしたい相手、とか?」
「……そういう話じゃ、ないの?」
「どうかな? でも私はそういう意味でも好きだよ。三人とも」
 えらいませたお子様だな。ちび花火。
 仲の良い相手だからこそ言えるんだろうが、まさか小学生の時分で言うとは。超小学生級だ。

「さて、私は言ったから答えてよ。誰が好き?」
「ぼ、ぼくは……」
「んー? ん、ん、んー?」
 花火の意地悪な声が聞こえる。明かりを点けたらにやにや笑いの顔が見られるであろう。
「ぼくもは、花、はなはな、花火が、す、す……すき……で…………」
「へー、私のこと好きなんだあ。……じゃあ、けっこんする?」
「え。え、え?」
「う、そ、だ、よ。…………っぷ。あはははっ、おもしろい!」
 こやつめ、ハハハ! ハハハ!
 いやはや、ちび花火は上手だな。弟が手玉に取られているじゃないか。
 小学生男子らしい純情な心を持っている弟からすれば、花火の台詞にはどぎまぎさせられっぱなしだろう。
 しかし、それは俺にも言えるわけで。遊ばれているのがちび弟じゃなく小さい俺であっても同じ目にあっているはずだ。

628 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:40:43 ID:RXIiPa7U
「じゃあ、次。ちっさい妹は? 誰が好き?」
 妹? 妹もこの場に居たのか? 全然気付かなかった。
 それに、今――夢の時間軸から数年経った頃にはとてつもないブラコンになっている妹が、今のやりとりに入ってこないのもおかしい。
 昔と今は違う、ということか。
 幼い頃ならば、一年あれば性格が変わるには十分だものな。
 妹は物心ついた時からブラコンだった訳ではなく、なんらかのきっかけでああなったのだろう。
 それは、この夢の一つ前に見た夢で妹が虐待される光景も関係していたりするのか。
 しかし、二つ夢にあまり共通する部分がないからわからない。俺と妹が登場するところしか重なっていない。
「ほら、早く言いなって。……それとも、ねちゃった?」
「……ううん、きいてた」
「じゃあ答えられるよね。ちっさい妹の好きな男の子はだれ?」
「ちょっとまってて。すぐに、いうから……」
 ちび妹の声は小さくて、人や草木の眠る時間でなければ聞き逃してしまいそうだった。
 中学三年生の妹の声とはまるっきり違う。喋るのを躊躇っている節さえある。
 そのせいでどこにちび妹がいるのかわからない。
 左を向きながら寝そべっている俺の前には、花火と弟がいる。
 その二人の声は聞き取りやすいから位置もわかりやすいが、妹の位置はつかめない。
 肩を掴んできたのだから、弟は俺の前にいる。すると、俺から見れば弟、妹、花火の順。もしくは弟、花火、妹の順か。

 ふと、息を吸う音が聞こえた。背後から。
 え、と? 左を向いている俺の前に弟と花火がいるわけだから、その二人以外、つまり――妹?
 なんで俺の後ろにいるんだ。妹は俺より、弟のことがずっと、ずっと好きなはず。
 だったら、弟のすぐそばで眠りたがるはずなのに。
 どうして?
「あたし、おにいちゃんのことが好き。いつも、まもってくれるから」
 パジャマの背中の部分を引かれる感触。妹が、俺のパジャマを引っ張ったのだ。
 おにいちゃん。妹にとってのそれは、弟のことであるはず。
 でも、それは中学生になった妹の話で、もっと幼い頃の妹の事実とは限らない。
 じゃあ、もしかして、弟じゃなくて、もう一人のおにいちゃん。
 それは――――――――

629 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:43:49 ID:RXIiPa7U
「それじゃあ最後。アニキの番。アニキは、だれが好き? 
 ごまかしはダメだよ。好きな女の子のこと、ちゃあんと教えてね」
 話を振られ、思考を止められた。
 いいや、頭の中で整理のつかないこの不愉快な感じは止められただけじゃない。
 流れを変えられていた。話の流れに遅れないよう、頭が勝手に思考を開始していた。
 ちび妹にとってのお兄ちゃんより、花火の問いかけが気になる。どうしようもなく。
 かつての自分、小学生の頃の俺が好きだった女の子。今では欠片も思い出せないけど、夢の中とはいえ小学生になっているならわかるはず。
 口が勝手に開いた。誰かに操られているように、ぱくぱくと動き出す。
「……同じクラスの、藤原」
 と、素っ気ない感じで俺は言った。吐き捨てるようでもあった。
 今の答えが、本心からのものではなかったから。夢の中の自分と心がシンクロしているから、そのことがわかる。

 俺は誰も好きじゃなかった。

 それが真実。同じクラスの藤原という女の子も好きじゃなかった。
 嘘でも、無難に妹とか言っておけば良かったのに。
 だって、小さい俺は妹を第一に思っていたんだから。
 今こうして妹を背にしているのは、守るためだったんだから。
 でも、守りたいとは思っていたのは好きだったからじゃない。
 妹が傷つくのが、自分のことのように痛くて、悲しくて、辛かったからだ。

 妹をいじめるあいつが憎かった。
 お父さんとお母さんに挨拶して当たり前のように家に入ってきて、二人の味方でいる振りをして、二人が居なくなった途端に本性を現わす。
 力じゃ敵わないことを知ってて、大人のくせに大人げなく、憎たらしそうに弟と妹を見て、殴って、蹴って、わめき散らした。
 あいつは言ってた。あなたたちのお父さんとお母さんに似ている、あなたの弟と妹が憎いって。お父さんとお母さんのことも憎いって。
 私の気持ちに応えなかった、裏切った。だから憎いんだって。
 たったそれだけの理由で、あいつは妹を泣かせていたんだ。

 この時に本当に言いたかったのは、俺には大嫌いな人間がいるということ。
 だけど言えなかった。だって、お父さんにもお母さんにも、弟にも花火にも、もちろん妹にも言ったことはないんだ。
 一度口にしてしまったら、全てを吐き出してしまいそうだった。
 バットでめった打ちにして、骨ごとちぎれるまで手を噛んで、動けなくなるまで殴りたいなんて、絶対に言えない。
 殺してしまいたいなんて、そんな怖がらせるようなこと、口が裂けても言いたくなかった。

「ねえ」
 背中をつつかれた。続けてパジャマをくいくいと引っ張られる。
 妹が俺を呼んでいたのはわかっていたけど、今振り向いたら怖がらせてしまいそうだったので、返事の代わりに小さく身動ぎした。
 布団の中を移動する音。俺の布団の中に妹が入り込んでいた。
 肩に手の感触があらわれた。うなじの辺りに妹の息がかかる。
 無反応でいると、やがて妹が小さく呟いた。
「ふじわらって、だあれ?」
 聞こえていたが、俺は返事しなかった。何度か肩を揺すぶられたけど、無視した。
 この話が早く終わりますようにと願いながら、ただ目を瞑って呼吸を繰り返した。

630 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:45:43 ID:RXIiPa7U
*****

「――――て」
 ん?
「起きて。起きて」
 おや珍しい。寝ている俺を起こしに来る人間が弟以外にいるなんて。
 声からして、俺の肩を揺すぶっているのは女の子らしい。
 貴重だ。あまりに貴重すぎる。嬉しすぎる。もう少し幸福感を噛みしめていたいので狸寝入りしよう。
「お願い、起きて。……お願いだから、起きてよおっ!」
 なんだなんだ。やけに逼迫した感じだな。俺が起きないのがそんなに不安なのか? 
 ――ふうむ。必死になって俺を起こそうとする女の子。可愛いじゃないか。
 これは意地でも起きはすまい。この先二度と経験できないかもしれないから。

 首をがくがくと上下させられても、まぶたを閉じ続ける。
 すると、女の子の声が震えだした。
「いやあ……いや。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 絶対に、やだよ、そんなの! 
 まだ、まだ私、返事してもらってないんだから! 認めないんだから!」
 胸の中心部分に手を乗せられた。仰向けに寝そべっていたから、胸は天井を向いている。
「あなたは、死なせない。助けてみせる。絶対に!」
 ここまで俺のために必死になってくれる女の子がいることに感動した。そして同時に罪悪感が芽生える。
 ちょっとやりすぎたか。そろそろ起きた方が良さそう。
 紙一重ぐらいにまぶたを開く。差し込んでくる光に目を慣れさせる。
 あれ、光? ってことはひょっとして、地下倉庫から脱出できたんじゃ――――――

「ふっ!」
 ぼっ!? 
「ふっ! ふっ! ふっ!」
 ぢょ! ごべ! ぶが!
 胸が、胸が沈んでる! 死ぬ! 肋骨折れる! 心臓破裂! 声が出ねえ!
「死なせ、ないから! ずっと一緒に、いるんだから! お願い、起きて!」
 死んでません意識はありますちゃんと呼吸も出来ます、お友達になりましょう!
 だから、胸を、押さないで。やめ、て…………。
 ――あ、思い出した。
 昔、学校に救急隊員の人が講習に来て、心臓マッサージのやり方を実践してくれた時に言ってた。
 心臓マッサージは意識のある人には絶対にしないでくださいね、って。とっても危険ですから、って。
 そっかあ。こういうことだったんだ。
 危険すぎる。ここではないどこかにとんでしまいそうだ。たとえば、三途の川のほとりとか。

 ほどなくして、祈りが通じたのか、胸への圧迫が止まった。止めてくれたのだ。
 だけど、脳とか内臓とかが穴からはみ出しそうだ。はみ出すというより、皮膚を突き破って飛び出しそう。
 今のはきっと、欲望に忠実になって狸寝入りした罰なんだろう。むべなるかな、むべなるかな。俺が馬鹿だったようだ。

631 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/05/25(日) 10:49:35 ID:RXIiPa7U
 混濁する意識の中、女の子の独り言を耳にした。
「マッサージの次は、たしかこう……首を上に持ち上げて……い、息を…………」
 額に手を添えられ、顎を指先で押された。額から手が離れ、鼻をつままれる。いわゆる気道確保。
 その次は……………………人工呼吸?
「し、仕方ないよね。時間は大事だから、それにこれは救助なんだから。しっかり、やらなくちゃ」
 だめだダメだ駄目だ! 絶対駄目! やっちゃ駄目!
 人工呼吸だから、この子から息をもらう。マウストゥマウス、いわゆる口と口が繋げるかたちで。
 たしかに、嬉しいよ!? 嬉しいけど、俺の心に邪な気持ちがあったら、またさっきみたいになってしまう。
 これまでの経験からして、予想を裏切らない結果になることはわかりきっている。
 今度こそ昇天してしまう。嫌だ、まだ俺は死にたくない!
 お願いだ。心音と呼吸の確認を! 返事できないだけで意識はありますから!
「い、いくよ。いくからね。初めてなんだから、なんだから……責任、よろしく!」
 ちくしょう、冗談じゃなく体が動かない。頭をがっちり掴まれてる。

 ――もう、俺は駄目だ。
 手遅れになってしまった。
 ごめん、皆。
 父、それと母。先立つ不幸を許してくれ。
 高橋、篤子女史とお幸せに。
 澄子ちゃん、君がいつか自分の過ちに気付くことを願うよ。
 花火、傷つけてしまって、済まなかった。もう一度、ちゃんと謝りたかった。
 妹、頼りないお兄さんで済まない。結局弟を連れ帰れなかった。
 葉月さん、返事できなくって、ごめん。君のこと、俺は大事な人だと思ってた。
 最後に、弟。死ぬんじゃねえぞ。
 
 唇を極上の感触で包み込まれた。予期せぬ形で入り込んでくる息に合わせ、吸気する。
 長く長く長く――――――嘘みたいに長く、息を吹き込まれる。
 いつまで待っても唇が離れない。入り込んでくる息が強すぎて、吐き出せない。


 女の子との初めての接吻は、空気の味がとっても濃厚で。
 あっという間に俺の意識は霞み、重さを無くし、たいして強くもない風に吹かれて飛んでいった。