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763 :日常 [sage] :2008/06/01(日) 01:08:34 ID:IVExRprK

夕日が空を真っ赤に染めて、遠い地平へとすべり落ちていく。
教室はその光を受けて濃いオレンジ色に包まれていて、まるで見知らぬ場所のようだ。
ぼんやりと机に肘をついて見るとも無しに運動部連中が忙しなく動き回るグランドを見下
ろす。

ふと、昨日やっていたロードショーの悪役を真似して呟きたくなったので、こっそりと口
に出してみる。
「みろ! 人がゴミのようだァー! ははははは!」
勘でやってみたら、似ても似つかないものになったので、誤魔化すように口笛を吹いてい
ると、教室の引き戸がガラリと開いた。
「涼ちゃん、帰ろ! 待っててくれたなんて嬉しいな。今日おばさんいないんだってね、
料理作ってあげてって頼まれちゃった」
引き戸を開けてから、一息に言い切った少女は嬉しげに俺に近づいてくる。
セーラー服のスカーフを靡かせながら小走りにこちらに向かってくる様子は、まるでどこ
かのアイドルのグラビアめいて可愛らしい。

少女――小山内恵美(おさないめぐみ)は俺の幼馴染にして、校内一の栄誉をほしいままにす
る美少女である。
栗色の長い髪はあくまですべらかに美しく、ミルク色の透明感に溢れる肌にはしみ一つな
い。
顔の造形は可愛らしさと美しさを絶妙に兼ね備えていて、完璧な造りの二重瞼はすっきり
と美しく、しかし肉厚の唇はふっくらと可愛らしかった。
すらりと伸びた手足は、一見して華奢に見えるが、つくべきところにはきっちりと肉がつ
いた、素晴らしいプロポーションであることを、恵美は水泳の授業で証明してみせた。
その所為で、途中から選択水泳ではなく必須に取り入れてくれと男子生徒が血涙を流した
らしいが。

ともかくも、実に麗しい幼馴染どのは、今日も今日とて、俺の腕を取ると無理やり机から
立ち上がらせた。
「涼ちゃん、なに食べたい? やっぱりハンバーグが好き? グラタンにする?」
「あー……なんでもいいや。恵美のはなんでも美味いしな」
立ち上がらされたまま、鞄に適当に荷物を詰め込みながらそう答えると、恵美きもじもじ
と身体を揺らす。
「りょ、涼ちゃんてばー、もう!」
「痛っ! おま、叩くなよ。痛いよ」
バシバシと背中を叩く恵美に抗議すると、彼女はえへへ、と笑ってそれを誤魔化した。
なにやら照れているらしい。褒め言葉なんか聞きなれているはずの恵美が、どうしてまた。
不思議に思ってマジマジと顔を眺めると、どう考えても人種が違うとしか思えないような
美しい顔立ちが仄かに赤く染まっている。



764 :日常 [sage] :2008/06/01(日) 01:09:03 ID:IVExRprK

「恵美、顔赤いぞ? 熱でもあんのか?」
「う、ううん……大丈夫。それより涼ちゃん、また絡まれたんだって? お昼休みいない
と思ったら、なんか怖い人たちに連れてかれてたって佐々木くんから聞いたよ!」
ぶんぶんと首をふった後、恵美は一転して心配そうに眉を寄せる。
「また絡まれた」というのは、言わずもがな、恵美という美少女の隣にどう見ても釣り合
わない俺みたいな男がいる所為だ。
所謂やっかみなのだが、どうにも俺への風当たりは強い。
蹴りつけられて痛む腹を抱えながら、頭に手を乗せると、恵美はぴくりと頭を振るわせる。
「あれなあ……恵美、俺たちそろそろ一緒に帰ったりすんのやめないか? そもそも……」
ため息まじりにそう言うと、食って掛かりそうな恵美の顔に二の句が告げなくなる。
美人が怒ると怖いと聞くが、美少女の怒りはものすさまじい。
般若のように顔を歪める恵美は、白い頬を朱に染めてこちらをにらみつけた。
「お、落ち着けよ……。べつに、俺だってお前といたくないわけじゃないよ。恵美は大事
な幼馴染だし」
「…………誰?」
「へっ?」
「涼ちゃんに、そういうくだらないこと吹き込んだの、誰? 涼ちゃんが私とのことそう
言う風に考えるのって、昔から絶対誰かに言われてからだもん! 誰?」
宥めるように肩を抱くと、恵美は低い声で俺を問い詰め始める。
しどろもどろになって弁解を試みるが、実際に恵美の推理どおりであるからして、なかな
か難しい。
なんとか名前を出さずに誤魔化そうとするが、恵美は追及の手を緩めない。
思えば、昔からこうなった恵美には逆らいきれた試しがなかったなあ、とため息をつきな
がら、俺は遠い夕日を見つめた。


***


まだずっと幼い頃だ。
まがりなりにも高校生になった俺が、今の半分も身長がなく、恵美よりも低かったときの
こと。
小学生だった俺らはその頃から変わらず仲がよく、いつも一緒に遊んでいた。
俺はその頃から恵美との関係に対する認識を、お隣さんというだけの繋がりから、大事な
幼馴染だという認識に変えていったように思う。
恵美は昔から綺麗で可愛かったが、その頃はずっとお転婆で勇敢で、一緒にいて飽きるこ



765 :日常 [sage] :2008/06/01(日) 01:10:11 ID:IVExRprK
とが無かった。
「涼ちゃん! 今日は探検だよ!」
可愛らしい声で誘いにくる恵美を、ランドセルを放り出して追いかけるのが楽しかった。
一緒に泥だらけになって叱られたこともあった。

小学校も高学年になると、それまでのように全く男女の隔てのない付き合いというのは難
しくなる。
なにしろ恵美は美少女だったので、クラスの色気づいた男子は彼女にちょっかいをかけて
はあっさりと玉砕し、その八つ当たりに俺を怒鳴りつけた。
「なんでいつまでも女なんかとつるんでるんだよ! お前も女なんじゃねーの?」
その言葉に反論しつつも、俺は心のどこかに棘が刺さったような気分になった。
それは恵美との純粋で楽しい関係が崩れてしまったことへの悲しみかもしれないし、ただ
単に侮辱されたのが悔しかっただけかもしれない。
ともかくも、俺はその時初めて恵美との関係に疑問を差し挟むことになった。

幼い俺は幼いなりに必死に考えて、泣きそうになるのを堪えて恵美に言った。
「俺、もう恵美ちゃんと遊ばない」
「…………なんで?」
俺が一大決心をして望んだ、絶交宣言に恵みは茶色い目を見開いてそう答えた。
その透明な眼差しに怯みながら、俺は聞きかじった知識で恵美に畳み掛ける。
「男と女が2人だけで一緒に遊ぶのは、いやらしいんだってさ。俺は恵美ちゃんに迷惑か
けんのやだから、もう一緒に学校行くのもやめるし、遊んだりしない」
「涼ちゃん、それ誰が言ったの? 恵美は迷惑だなんて思ったことないし、涼ちゃんと一
緒にいると楽しいから一緒にいるんだよ? 
恵美は涼ちゃんと一緒にいたいの。涼ちゃんはもう恵美と一緒にいるのヤになった?」
「……………そんなこと、ないよ」
必死に言い募る恵美の目に、みるみる透明な膜が張っていくのに気づいて、俺は恵美の肩
を叩いて囁いた。
「俺、恵美ちゃんと居るの楽しいよ。ずっと一緒にいたいくらい」
「…………うれしい。恵美も涼ちゃんとずっと一緒がいいな」
一転してにこにこと笑い出した恵美に、ちょっと騙されたような気分になったが、その笑
顔が非常に可愛らしかったので俺はなにも言わないことにした。
ずっと一緒、と指きりをした、恵美の小指がびっくりするほど小さくてすべすべで、なん
だかドキマギしたことを今でも覚えている。

その後、恵美曰く「俺に間違った知識を吹き込んだ」クラスのリーダー格だった男子は見
るも無残にクラスの頂点から転落し、いつのまにか転校していった。



766 :日常 [sage] :2008/06/01(日) 01:10:52 ID:IVExRprK

恵美は終始ソイツを、まるでゴミを見るような目で見つめていたが、その度にどこか切な
げに目を伏せる彼の姿は妙に印象に残っている。
彼なりの初恋だったんだろうなあ、と同情が沸いたが、俺も少しは例のことを根に持って
いるのでなにも言わなかった。
恵美とは結局、小学校を卒業して中学に入学し、同じ高校に通う今日に至るまで、ずっと
学校への行き来をともにしている。


***


「で……涼ちゃんは一体誰にそんな馬鹿なこと吹き込まれたの?」
「落ち着けよ、恵美。いいからそろそろ帰ろうぜ」
「……ふぅん。ま、いいけど」
食い下がる恵美をなんとか宥め、後ろから肩を抱いて教室の出口へと押し出すと、恵美は
少しだけ楽しそうに笑った。
くすくすという鈴を鳴らすような声は無人の廊下に響き渡り、どことなく不気味だ。
「それで涼ちゃん、今日はなにがいいの?」
「なんでもいいよ。恵美が作るってくれんなら。でも洋食がいいな。ここんとこ和食ばっ
かだったし」
「いいよー」
先ほどまでの烈火のような怒りを綺麗に消し去り、恵美は口元に手を当てて楽しそうに笑
った。
並んで歩くとよく分かるが、俺は恵美より頭一つ分以上に高くなっている。
恵美の頭に手を乗せると、彼女はどことなく悔しそうに(多分身長を抜かされたのが悔しい
んだ)、しかし嬉しげに頬を染めた。
「なんか腹減ってきた。早く家帰ろうぜ、恵美」
「ちょっと! 廊下は走っちゃ駄目なんだからね!」
「おいてくぞー?」
走り出した俺の背中に、風紀委員らしい注意が降りかかるが、無視して走り続けると、後
ろからパタパタと駆け出す足音が近づいてくる。
いくらスタートの差があるとはいえ、相手は市の陸上記録持ち(中学生の部)だ。
昇降口までにはかなりその差を詰められ、デッドヒートが繰り広げられた。





767 :日常 [sage] :2008/06/01(日) 01:12:03 ID:IVExRprK

***


涼ちゃんの家は、なかなかご両親が帰ってこない。
小さいときからそうだったらしくて、私もよく夜遅くまになるまで涼ちゃんの家で遊んで
いた。そんな家庭環境にもかかわらず、涼ちゃんはしごく真っ当に育って、変に捻くれた
りもしなかった。

私は私自身がちょっとばかり捻くれているところもあって、そんな涼ちゃんが眩しくて大
好きで仕方ない。涼ちゃんも、最近は照れて言ってくれないけれど、昔はよく私のことを
好きだといってくれた。

ずっと一緒にいようと約束した日のことは忘れた事がない。
涼ちゃんの真剣な眼差しがまるでプロポーズのようで、今でも夢に見て頬を染めているくらいだ。
「ん~~んん~~ん~~ん~~」
幸せな空想に浸りながら、鍋をかき回していると、涼ちゃんがリビングでテレビのチャン
ネルを変えながらこちらを見つめた。
多分、シチューの煮える匂いが気になっただけだろうけど、なんだか自分の考えを読まれ
たような気分になって、私は思わず顔が赤らむ。
「おーい、大丈夫か?」
そんな私の様子を不信に思ったのか、涼ちゃんはテレビから離れてキッチンまでやってきた。
こんな風にやさしい所は昔から変わらない。
嬉しくてドキドキして、更に顔を赤くした私の額に手を当てた涼ちゃんは難しい顔をする。
「熱はないみたいだな……俺がかわろうか?」
「だ、だいじょーぶ! 涼ちゃんはゆっくりしてて!」
心配そうに覗き込んでくる顔の近さに、胸が高鳴るのが分る。
心臓の鼓動がうるさいくらいに鳴り響いて、自分の声を聞き取るのにも一苦労なほどだ。
至福だけど辛い試練のような時間は、永遠のようにじりじりと過ぎていくように思えたけ
ど、次の瞬間にそれは一気に霧散した。
「分った。辛かったらちゃんと言えよ?」
「うん! ありがとね、涼ちゃん」
涼ちゃんの眉がほんのりと下がり、口元は小さく歪められていて、私を気遣っていることが分る。
嬉しくて嬉しくて、弾んだ声でそう応えると、涼ちゃんは頷いてリビングに戻っていった。




768 :日常 [sage] :2008/06/01(日) 01:13:12 ID:IVExRprK

***


涼ちゃんと私が出会ったのは、お隣さんなだけに物心つく前だった。
ほとんど生まれたときからずっと一緒にいた涼ちゃんは、そのときからずっと私の特別だった。
小さく光る星みたいに、強くはないけど確かにきらきらとした光を纏った涼ちゃんは、あ
まり何かに興味をもてない性質だった私の、色々な感情を掘り起こしてくれた。
両親にすら特別な思い入れがなかった私が、唯一執着を覚える涼ちゃんは、けれど私のこ
となんかてんで気にしていないようで、平気で私以外の子とも仲良くしていた。
それが面白くなくて、何かにつけて涼ちゃんの好きそうな遊びに誘い、連れ回して、よう
やく本当の涼ちゃんの隣という位置を手に入れることができたのだ。

だから、私が涼ちゃんの隣にいることと、涼ちゃんが私の隣にいることは、その時から当たり前のことなのだ。
何しろ、滅多に努力しない私が珍しく努力に努力を重ねて手に入れた場所なのだから。


ある日のこと、小学校の高学年になった涼ちゃんは、背負ったランドセルをカタカタと揺らして私に言った。
「もう、恵美ちゃんと一緒にいるのやめる」
頭が真っ白になるかと思った。
ようやく手に入れた、涼ちゃんの隣というスペースにすら不満を抱きはじめていた私にと
って、それは死刑宣告にも等しいものだったのだ。
真っ黒い目で真っ直ぐにこっちを見つめる涼ちゃんは、なんだか見知らぬ男の子のように
見えて、無意味に胸がドキドキしたのを覚えている。
「なんで?」と聞いた私に、涼ちゃんはいっぱいいっぱいな顔で「男と女がふたりきりで
一緒にいるのはいやらしい」と力説してくれた。
それを聞いた私は、なんだかちょっとだけ嬉しくて、それ以上に涼ちゃんにいらない事を
吹き込んだ馬鹿が許せなくて彼に詰め寄った。

本当のところ、早熟だった私は涼ちゃんと「いやらしい」ことをしたかったのだが、どうにも身体が
ついていかなそうだったし、涼ちゃんに嫌がられたら立ち直れないのでそれを誤魔化した。
代わりのように涼ちゃんに馬鹿なことを吹き込んだ男に殺意を燃やしつつ、涼ちゃんと指きりをした。

触れ合った小指の先に感じる涼ちゃんの熱い体温に無性に興奮して、家に帰ってから疼く
下半身をその指で慰めたものだ。
その日の夜は布団の中で涼ちゃんを思い出しながら一人の行為に耽った後、いらないこと
を吹き込んだらしいクラスメイトの猿をどうしてやるか、悶々と思い悩んだ。
結局転校していった、根性ナシの馬鹿の顔は未だに思い出せないが、涼ちゃんと私の愛の
確認のために多少は役立ったことを認めてやってもいい。



769 :日常 [sage] :2008/06/01(日) 01:14:03 ID:IVExRprK
***


ついつい零れ落ちる意地の悪い笑みを抑えて、沸き立つ鍋の火を落とす。
もうもうと立ち込める湯気が視界を覆って、柔らかなクリームの匂いが鼻腔をくすぐった。
「涼ちゃーん、できたよー」
「おお、お疲れ。皿出すわ。盛り付け俺がやるから先休んどけ」
「ありがとー」
リビングに向かって声を掛けると、涼ちゃんは私をいたわるようにそう言って、食器棚か
らシチュー皿を取り出した。
まるで夫婦のやりとりみたいだ、と口元を緩めながら、涼ちゃんの後姿を見つめる。
にまにまと笑いながら、細々しく働く大きな背中をリビングから眺めていると、本当に涼
ちゃんと結婚したみたいで、嬉しい。
「ほら、恵美のぶんな。あと水と……サラダ作ってくれたんだな。ありがと」
「気にしないで! パンもってくるね」
「いいから座っておけ」
マメに動く涼ちゃんは、まさしく理想の旦那さまってかんじだ。
ますますにやにや笑いが止まらない。背が高くて、顔もカッコイイってほどじゃないけど
それなりの涼ちゃんは、普通だったらそれなりにモテる。
けど、どうにも涼ちゃんは普通以上にモテる性質みたいで、どの女も涼ちゃんを狙いまく
っている。
今日の体育の授業の時に涼ちゃん話しかけていたあの女だって、涼ちゃんを狙う女狐に決
まっているのだ。
はしたなく涼ちゃんにすりよりやがって、あの売女、どうしてくれよう。
……いやいや、それよりも、涼ちゃんにいらないことを刷り込んだ阿呆のほうが先だ。
昼休みに涼ちゃんを呼び出して私たちの仲を裂こうとした、どうしようもない馬鹿をはや
く特定して、相応の罰を与えないと。
目まぐるしくそんな事を考えている間にも、涼ちゃんは手際よく食卓を整えていった。
飴色のテーブルの上には私が作ったサラダとシチュー、それに涼ちゃんが切ったフランス
パンが並んでいく。



770 :日常 [sage] :2008/06/01(日) 01:15:28 ID:IVExRprK

座ったままぼんやりとしていた私に、涼ちゃんはにこりと微笑んで言った。
「ほら、準備できたぞ。本当にだいじょぶか?」
「うん平気―。ありがとね」
「おうよ」
にこにこと笑いあってスプーンをとり、頂きますの言葉ともに夕食は開始された。
ちょっぴり考え込んでいた私を、具合が悪いと勘違いしている涼ちゃんは、いつもより優
しくて、私はときめいてしまう。
凄まじい勢いで皿を空にしていく涼ちゃんの食べっぷりを見ていると、こちらがお腹一杯
になってしまいそうだ。
ため息交じりにその様子を眺めていると、なかなか進まない私の食事に涼ちゃんは不信そ
うに眉を顰めた。
いけないいけない。慌ててスプーンを動かすと、涼ちゃんは納得したように一つ頷いてグ
ラスを煽り、お替りをよそう為に席を立つ。
「………………」
それを見守りながら、私は無性に腹が立ってフランスパンをむしった。
こんなに仲が良くて理想形ともいえる私たちの仲を裂こうとする全てのものが厭しい。
私たちは私たちだけで完結していて、それが自然なのに、どうしてみんなそこに割り込も
うとするのだろう。
おかしいと思わないのだろうか。恥ずかしいとは思わないのだろうか。
つらつらと考えている間に、むしったパンくずが皿から零れ落ちているのに気付いて、私
はそれをあわててシチューに沈める。
シチューの汁気を吸って膨張したパンをスプーンで掬って口に運びながら、胸に蟠る殺意
をなんとか宥めた。
別に人を殺すのが嫌なのではない。涼ちゃんと一緒にいられなくなるのが嫌なのだ。
もし殺人が罪でなかったら、私は私たちの為にとっくに何人かは殺しているだろう。
「パンにシチュー浸すのって美味そうだな。俺もやろ」
「美味しいよー。涼ちゃんもやってみなよ」
私がシチューからパンを掬い上げているのを見て、いつのまにか席に戻ってきていた涼ち
ゃんは楽しげに笑った。
それに微笑みを返しながら、私はスプーンでシチューの中のパン屑を追い掛け回し、掬い
上げて口に運び、それをかみ締めた。