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211 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 00:48:26 ID:r6GuVZQE
広い、と云う感覚は、孤独を認識させられることがある。
僕が通った廊下も、通された一室も。
広く、高く、長く。
どこか心細さを掻き立てられる場所であった。
傍に誰かが欲しくなるような、そんな感覚。
だからと云って、「人外」がそこに在っても、不安が紛れる事は無い。
楢柴綾緒。
今僕の前に居る従妹は、その面に化生を貼り付けている。
――泣増(なきぞう)。
綾緒が付けている能面は、そう呼ばれるものだ。
広い客間で僕らは相対している。
彼女は僕が座ると、言葉を発するよりも早く。
唯、深深と額を地に着けた。
綾緒は一言も発しない。
僅かに身を振るわせるだけである。
「・・・綾緒」
僕が声をかけると、着物姿の化生は静かに身を起こす。
完成された所作だ。
背筋が通り、風格のある座仕方だった。
「にいさま・・・」
能面越しに籠もる声は、正しく従妹のもの。
綾緒はもう一度にいさまと呟いてから、両手を着いた。
「急な御呼びたて、申し訳ありません。本来ならば兄の君に御足労願う等あってはならぬことですが、
綾緒は楢柴の屋敷を出ること叶わぬ身。どうか御容赦下さいませ」
「・・・何故、面を?」
身体を起こさせた僕は、そう質した。
他に云うべきことはあるはずだけれど、“それ”には触れたくなかったからだ。
「今の綾緒は・・・にいさまにあわせる顔がありません」
「・・・・・」
“どういう意味”で、あわせる顔がないのだろうか。
内罰的な意味か。
外罰的な意味か。
「とうさまには・・・・会われたのですよね?」
「ああ」
「そう――ですか。ならば、にいさまと綾緒の将来も、聞かされたのですよね?」
「将来、と云うことでもないだろう。唯、以前のように戻っただけだ」
そう。
綾緒が僕を呼ぶとしたら、当然婚約の話だろう。
文人氏は僕にこう云った。
あれが罪を自覚できるようになったら謝罪させると。
今、この場に僕を呼んだのは、綾緒だ。
文人氏が同席している訳でもない。
つまり、それは――
「綾緒は悔しゅう御座います」
この従妹は、何も変わっていないと云う事だ。
彼女はくぐもった声を僕に向ける。
「綾緒は、唯、お慕いするにいさまと共に在りたいだけなのです。その為に、総てを捧げ、一身に尽す
つもりです。それだけで、他はいらないのです。とうさまだって、それは理解してくれていたはずなの
です。なのに、突然に綾緒とにいさまの仲を裂こうとされた――。理由も告げぬままに。にいさまには
何と云って御詫びをすれば良いか、綾緒には思惟を絶することに御座います。本来ならば、このような
不始末、死して償う事ではありますが、考えているうちに・・・唯、にいさまに逢いたいと・・・」
それは、静かな感情の爆発であった。
ゆらり。
ゆらりと。
感情の爆風が、行動となって顕れる。
ぶるぶると震える腕が伸び、僕の両肩を掴んだ。
力は強い。肩が鬱血しそうな程に。
「綾緒」
「にいさまっ」


212 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 00:51:03 ID:r6GuVZQE
綾緒は僕を抱きしめていた。
息をすることが困難になるくらい、力一杯。
「綾緒、離れてくれ」
「嫌です!綾緒は、にいさまを離したくありません。これ以上、離れることは出来ません」
「・・・・」
そう。
これは確かに爆発だ。
中心が弾けて、周りを巻き込み爆ぜるだけ。
根本的に。
僕と綾緒では考え方が違うのだ。
この娘は狂おしいほどに僕を愛している。
だけど、僕には綾緒に女としての感情を持っていない。
普通ならば、ここで従妹を諭すべきなのだろう。
お前の気持ちには、伯父の存在を抜きにしても答えられないと云うべきなのだろう。
けれど――
「・・・・・」
爪と、耳が疼く。
云って聞く可能性は、酷く低い。
ここで綾緒が狂乱したとしたら、文人氏は、また心を痛めるだろう。
対処の方法が思いつかない。
ここへ来たのは失敗だったのだろうか?
否。
対応叶わなくても、綾緒の心を鎮める事は出来るはずだ。
鎮めて、心が平らになれば、自己を客観的に見れるはずだ。
そうすれば、綾緒と文人氏の間も、改善に向かうのではないか?
そんな脆い期待を抱いてここへ来た。
僕の身体にしっかりと腕を回す従妹に声をかける。
「綾緒。お前とは、きちんと話しをしたい」
「はい。にいさま。綾緒も・・・にいさまとお話をしたいです。ずっと、ずっと、その御声を聞きたい
と願っておりました」
従妹の指が、僕の身体に喰い込んで往く。
その痛みが、どれだけ僕を想っていたかを知らせていた。
綾緒と顔を合わせたのは、ついこの間だ。
それなのにこの美しい鶯は、もう渇き餓えている。
「にいさま・・・ここではなく、綾緒の部屋へいらして下さい」
こもった声がそう嘆願した。
盤根錯節に遇わずんば、なんぞもって利器を別たんや。
少し迷ったけれど、僕は頷いて移動する。
鶯の、巣へ。

綾緒の部屋は、和風そのものである。
公家と武家は相反する観念を持つことがあるが、ここでは公武が見事に調和されている。
武を嗜む公家か。
或は、雅を解する武家か。
そのどちらかの娘の部屋と云われれば、即座に了解出来ただろう。
荘重にして明媚な一室は、けれど不必要に広い訳ではなかった。
これは綾緒の考えか。それとも文人氏の意向だろうか。
いずれにせよ、名族楢柴本家令嬢の部屋にしては、狭いと云える。
僕は根っからの中産階級者である。
狭い部屋のほうが断然落ち着く。
この従妹の部屋へ来たことも幾度かある。
だから、唯の一点を除いて、違和感を感じることは無かった。
その一点――僕はそれを指差した。
「綾緒、それは何だ?」
それ。
畳の上に敷かれた、寝具。
つまり、蒲団だ。
従妹は基本的にカッチリした人間なので、敷きっ放しにするとは思えないのだが。
(いや――)


213 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 00:53:33 ID:r6GuVZQE
敷きっ放しにしては、整いすぎている。
まるで、敷いたばかりのように。
「にいさま・・・」
僕が綾緒に顔を向けると、従妹は一歩僕に近づいて面を上げる。
「にいさま、“これ”を外して頂けませんか」
これ――泣き増面である。
意図の読めぬままに、見慣れぬ顔を除いた。
その下にある従妹の姿。
それは、泣き腫らしたかの様に赤い眼をしていた。
事実、泣いていたのだろう。
実情はどうあれ、この娘は僕に愛されていると思っている。不可解に引き裂かれたと思っているのだか
ら。
僕が能具を傍らに置くと、堪りかねたかのように綾緒は胸に飛び込んだ。勢い、僕が抱きしめる形にな
る。
「にいさま、にいさまぁ・・・・!」
ぽろぽろと。
大きく美しい瞳から、水滴が零れた。
事情を知らなければ、或は“相手”が僕でなければ、すぐにでも慰めてやったことだろう。
しかし――
「にいさま、綾緒は、綾緒は、悔しゅうございます。初めて御逢いした時から・・・いいえ、生を受け
る以前より御慕いしていたにいさまと漸くひとつになれるはずでしたのに・・・、とうさまの・・・と
うさまの誤った命で、それも儚いことにされてしまいます・・・」
「・・・・」
何と云うべきだろうか。何と云ったら良いだろうか。
激発させず、鎮めることだけに集中するにせよ、言葉は慎重に選ばなければならない。
綾緒は僕の胸板に頬を擦り付け、涙ながらに不遇を訴え続ける。
「綾緒」
僕は両肩を掴んで、少しだけ距離をとった。このままでは顔が見えないからだ。
綾緒は潤んだ瞳で、じぃっと僕を見上げた。
取り敢えず落ち着かせること。
それだけを決めて口を開こうとした矢先、従妹は僕の首元を凝視した。
「にいさま・・・それは・・・?」
「え?」
そこにあるのは、一ツ橋に貰った御守り。
ある女性から渡された。
そんなこと、云える訳も無く。
落ち着かせようとしているのだ。余計な発言は避けねばならない。
言葉を捜していると、従妹は奇妙に煌いた瞳を僕に向けた。
「にいさま・・・それを・・・綾緒に見せて下さいませ」
「・・・・」
首から外して従妹に手渡す。
すると、彼女は小さく震え始めた。
「あ・・・あ・・・あぁ・・・」
「綾緒?」
泣いていた。
従妹は再び涙を流していた。
泣きながら、御守りを抱きしめるようにその手で包んでいた。
「嬉しい・・・。嬉しいです。にいさまが、綾緒と同じことを考えていて下さったなんて・・・」
「え?」
当惑するのは僕のほうだ。
同じことを考えた?それはどういう意味だろう?
僕は部屋を見渡した。“広いが広くない”部屋には、綾緒の意図を感じさせるような変化は何も無い。
否。
“ひとつ”だけ、あった。
僕の足元。
そこに敷かれているもの。
そして――
従妹の手の中の御守り。
『それ』は、何を祈願したものであったか。


214 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 00:56:08 ID:r6GuVZQE
(まずいぞ!)
たとえば。
婚姻関係で揉める親子を是とさせる現象。
僕の母が、どういう理由で険悪な本家との仲を解消させるに至ったか。
「にいさま!!」
思考がそこに辿り着いた時、僕の身体は蒲団へ倒されていた。
従妹は僕に覆い被さり、熱の籠もった顔が近づいて来た。
「待て綾緒!違うんだ!その御守りは、違うん・・・んぅっ!!」
身体が固まった。
今、僕の口に押し付けられているものは、何だ?
口の中を這い回っているものは、何だ?
「ん、んぅ・・・」
「んっ・・・にい・・・さまぁっ・・・」
くちゅり。くちゃりと。
爆ぜた感情が蠢いて往く。
従妹は自らの唇で僕の口を塞ぎ、一心不乱に、舐め、吸っていた。
「や、やめ、んぐっ・・・」
再び口を塞がれた。
何とか抵抗しようとしたが、綾緒の行為は思考を鈍らせた。
脳味噌が蕩ける。
僕にはこういう経験は無いけれど、それでも何故だか判った。
今僕のされている行為は、他の人間とするよりも、ずっと上質で淫靡であるということ。
他人とこういうことをしても、恐らく、ここまで脳は蕩けない。
楢柴綾緒という人間を構成するパーツは恐ろしく出来が良く、その行動は魔性の趣があった。
(やばい・・・)
のぼせた様に顔が熱くなる。
血液が沸騰し、“どこか”に血が集まって往くのが判った。
(こんな・・・恋愛感情どころか、男女の感覚も持っていない相手に・・・・)
身体だけが、反応させられている。
天性のものなのだろうが、それだけ上手なのだ。
僕は抵抗を試みるが、
「うぁぁっ」
頬を押さえていた両の手。その片方が、すぐに反応した部位を握っていた。
「にいさま・・・」
綾緒は完全に入り込んでしまっている。
その瞳はどこかとろんとしていて、僕の知らない女としての表情を浮かべていた。
「にいさま。綾緒も・・・こういったことは初めてです・・・。至らない点があるかとは思いますが、
どうか御容赦下さいませ」
初めて?
これで初めてなのか?
僕の下腹部に伸びる手は別の生き物のように独立して動き、思考と行動を遮断した。
従兄の表情を見ながら、的確に弱い部分を学習して往く。
このままでは・・・・。
「や、やめてくれ・・・・」
叫んだはずの声は、酷く弱弱しかった。
まるで形だけの抵抗の様に。
「ふ、ふふふふふふ・・・」
綾緒は穏やかに。けれど、どこか淫蕩に微笑む。
「いつもそう・・・」
「うううぅっ」
「いつも、にいさまは口だけは駄目だ、嫌だって云うんですよね?」
ジ、ジジと。
聞き慣れた音がする。
従妹は僕を見据えたまま、ジッパーを引き降ろしていた。
「どの様な時でも、最後は必ず綾緒の願いを聞いてくださるのですよね?今も、そう」
(ち、違う)
従妹は完全に誤解している。
恐怖。
或は痛み。


216 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 00:58:39 ID:r6GuVZQE
僕がそれに屈してきたことを、良い様に解釈してしまっている。
「だから・・・」
「うぁぁっ」
外気に晒された僕のものを。
綾緒は、丁寧に扱き上げて往く。
「いつもの感謝も籠めて、綾緒が精一杯、御奉仕致しますね?」
「う・・・い、嫌だ・・・やめてくれ・・・」
僕は首を振る。
蒲団から這い出ようともがいた。
けれど綾緒の腕は僕を掴んで、脱出を阻んだ。
「愛しております。綾緒のにいさま」
紅を塗ったような赤い唇を形の良い舌がなぞった。
「だ、駄目だっ!」
これ以上先に進んでしまったら、完全に引き返せなくなる。
「にいさま」
「うわぁっ」
「にいさまは、何も考えなくて良いのです。総て綾緒に御任せ下さいな。にいさまはただ、綾緒を感じ
ていてくれればそれで良いのです。幼子のように、綾緒を求めて下されば、それで」
馬乗りになった綾緒は着物をずらして往く。
雪の肌の中に見える女の部分は、しっとりと濡れていた。
「にいさまだって、寂しかったでしょう?そうでなければ、あんなことをしませんよね?」
「あんな、こと?何の話だ・・・?」
「云ったはずですよ?織倉由良を、家にあげないように、と」
「――」
何で・・・。
「そのこと・・・っ」
「それも云ったはずですよ?」
綾緒は乱暴に僕のものを握りこむ。快楽よりも痛みを優先させるように。
「綾緒は何時でも、にいさまを見ています、と」
「う、ぁ・・・」
従妹の表情は淫蕩なそれのまま。
けれど、その瞳は暗く濁っていた。
「罰を与える――本来ならば、そうするところです。でも、綾緒と逢えなくて、にいさまも寂しかった
のですよね?とうさまを説得出来なかったのは綾緒の落ち度です。ですから、織倉由良の件でにいさま
を責める様な真似は致しません。だって、大切なのは“これから”ですからね・・・」
ゆっくりと。
綾緒は僕のものを自身の中に宛がう。
繋がる。
それはあってはならないこと。
「や、やめろ!やめてくれぇ!」
「やっと・・・やっと愛しいにいさまとひとつに・・・・」
「駄、駄目っ、うあああああ!!」
躊躇は無かった。
僕に跨った綾緒は、全身を重力に任せていた。それは、進んではいけない道へ足を向けることと同じで
あった。
「んぅっ・・・にい、さまァ・・・!!」
何かを突き破る様な感覚。それは一瞬のこと。
従妹は顔を歪め、すぐに呆けた笑顔で僕を見おろしていた。
「う、うわぁぁっ」
自分の口から漏れる悲鳴。
それは、起きてしまったことに対する恐怖と、それを上回る快楽からだった。
締め付ける。
そう云う表現は聞いたことがあるけれど、綾緒のそれは、そんな次元を超越していた。
まるで全方向から舌で舐め上げられる様に。絡みつき、僕という存在を絞りつくすかの様に。
男を悦ばせることに特化した器官と動きは、僕の思考を壊すには充分だった。
「んんぅっ・・・にいさま。綾緒の、にいさま・・・」
どこか夢見るような瞳。
念願かなったからか。それとも、行為自体に酔っている為か。


217 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 01:01:13 ID:r6GuVZQE
とろんとした表情の従妹は、にいさま、にいさまと呟きながら、一方的に腰を振っていた。
痛みを感じていないのか。
陶酔は、痛みをも甘美な快感へと変質させているのか。
鶯の鳴き声は、どこまでも艶やかだった。
「うああ、うぁぁぁ」
僕は何も考えることが出来ない。
恐怖と、悔恨と、快楽と、自失。
脳内がどろどろに溶けて、叫んでいるのか呻いているのかも判らなかった。
「あ、ぁぁぁ、にいさま。にい、さまぁ・・・!」
綾緒が上下する度に、僕の意識が飛びそうになる。
自分がどの様な表情をしているのかすら判らない。
あるのは奇妙な恐怖と、恐ろしい程の快楽だけ。
「ああぁ、にいさまぁ、にいさまァ!綾緒の中に、にいさまを・・・んっ・・・にいさまを感じます。
もっと、もっともっともっとぉ、もっとにいさまを、綾緒に感じさせて下さい」
綾緒の中は際限なくきつく、気持ち良くなっていく。
限界が訪れるのは、時間の問題だった。
「お願いだ、綾緒、もうっ・・・もうやめてくれ・・・」
「にいさま・・・にいさまも、気持ち良いのですね?綾緒を感じてくれているのですね?」
「こ、こんなの・・・駄目、だ・・・」
「云ったはずですよ?にいさまは・・・にいさま、は、何も考えなくて良いと。唯、唯、綾緒に・・・
綾緒に、甘えていれば良いのです」
笑う従妹の顔は。
恐ろしく妖艶で、恐ろしく高圧的であった。
綾緒は僕に尽くしているつもりで、どこまでも僕を支配して往く。
今この瞬間も、僕を見定め、思う通りに動かしていた。
恐怖と。痛みと。そして、快楽。
綾緒は従兄をコントロールする術を完全に身につけていた。
どう動き、どう攻めれば良いのか。
知悉し、楽しんでさえいた。
(身体が、おかしくなってる・・・)
まるで望んでいない相手としているのに。
(もっと・・・もっと動いて欲しいと思ってる・・・・)
感覚が一点に集中し、その場に齎される快感だけにのめり込んで往く。
知性も。理性も。
何もない。
貪ることだけを身体が欲していた。
日ノ本創という人間が、楢柴綾緒という化生に喰われて往く。
心も、身体も、何もかも。
綾緒の口は僕をしっかりと啄み、“それ”を飲ませろと無言で要求していた。
「さあ、にいさま、にいさまの子種を・・・綾緒に授けて下さいませっ・・・・」
弄ぶことを止め。
絞り尽くすことに集中した従妹に抵抗する術は無い。
「う、うあああああああああ」
僕は泣いていた。
泣きながら、綾緒の中に果てていた。
「んぅぅっ。にいさま、にいさま。まだ、まだまだ足りません。もっと、もっと授けて下さいませっ」
それは、僕の中の僕と、僕の中の綾緒の消滅だった。





218 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 01:03:30 ID:r6GuVZQE
家についたのは、夜になってからだった。
どうやって帰ってきたのか、覚えてもいない。
楢柴の車を断ったことは記憶にあるので、何時間も掛けてふらふらと歩いて来たのだろう。
あの後――
綾緒は壊れた僕を抱き続けた。
身も心も枯れ果てる程に絞りつくし、満足そうに笑っていたように思う。
愛しそうに自らの腹を撫で、何か呟いていたように見えた。
玄関についた僕は、その場にへたり込んでいた。
家に帰ればホッとするはずなのに、涙が出て止まらなかった。
膝を抱えたまま、ずっとそうしていた。
廊下に置かれた電話が鳴ったのは、その時だ。
普段の習慣がそうさせたのだろう。
僕は受話器を耳に当てていた。
片耳は心同様壊れている。
聞こえる方の耳に、受話器をあてた。
僕の口から声は出ない。
その気力がなかった。
「あ、日ノ本くん?やっと繋がった!さっきからずっと電話してたのよ?」
「・・・・・」
それは誰の声だったか。
親しい先輩・・・いや、僕の恋人だったか。
どちらでもいい。
「日ノ本くん、お昼のことはどういうつもりだったの?朝歌ちゃんには謝罪されたけど、日ノ本くんの
言葉を聞きたいの。ねえ?私の覚悟、まだ伝わってなかった?もう一度命を掛けなきゃ駄目?」
「・・・・・・」
何かを云っている。
よく聞き取れない。
こちらの耳は、壊れていないはずなのに。
「ねえ、日ノ本くん、私、寂しいと死んでしまうのよ?」
「・・・・・・」
「聞いてるの?返事をして!」
「・・・・・・」
「どうして返事をしてくれないの?それとも、何かあったの?」
「・・・・・・」
「何かあったのね?判った。今すぐそっちに往くから待ってて」
電話は一方的に切れた。
何が判ったのだろう。
自分でも自分が判らないのに。
兎も角、誰かがここに来るらしい。
誰が来るかは判らなかったが、逢ってはいけない人のような気がする。
ここも、僕にとっては安住の地では無いのだろう。
壁に掛かっている能面が、じっとこちらを見つめている。
貴方を見ていると、誰かが云った。
心身が摩耗していて、それも誰の言葉か思い出せない。
僕は受話器を澱んだ瞳で見つめると、そのままにして外に出た。
家の鍵は掛けたろうか。
どうでも良いか、そんなこと。
靴も履いていない。
ただ、どこへともなくフラフラと歩いた。
心身悉く吸い尽くされたせいか。
それとも別の理由か。
総てが消耗し、意識が摩耗している。
自分が生きているのか死んでいるのか、それすらも識別出来ないくらいに。
どれくらい歩いたろう。
5分か、10分か、それとも1時間か。
疲労に疲労が重なった頃。
ぎゅっと。
何かが僕の手を握っていた。
いつの間にか、すぐ傍に誰かがいたのだ。


219 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 01:05:47 ID:r6GuVZQE
酷く小さく、華奢な人影がそこに在った。

「何をしているんですか。こんな所で」

抑揚の無い声。
痩身の少女は、じっと僕を見つめている。
「・・・・・」
僕は答えない。
これは誰だったろう。思い出せない。
唯、逃げなければいけない相手では無いような気がした。
少女は僕の手を握ったまま見つめていたが、やがてどこかへ引っ張り始める。
抵抗はしない。
そんな気力は無い。
少女に腕を引かれて、唯のろのろと歩くだけ。
やがて、どこかに到着する。
すぐに着いたような気もするし、結構歩いたような気もする。
時間の感覚も無い。
到着した場所は、どこかの家の中。
澱んだ瞳に映るのは、大量の本。
廊下にも、階段にも、部屋の中にも。
目に入る範囲に、形大小様様な書籍が積まれている。
どこか見覚えのある光景だった。
懐かしい感覚。
僕はここへ来たことがあったようだ。
通された場所は、矢張り本だらけの一室。
なんだか安心する。
そう思った瞬間、力が抜けた。
地面に張り付いて、動くことも出来なかった。
ちいさな誰かが、何か云っているが、答える気力は僕には無い。
深い闇の中へと意識を沈めるだけだった。

意識を取り戻した時視界に入ったのは、本の山。
窓からは陽の光が射し込んでいる。
どうやら僕は眠っていたようだ。
ここはどこかの部屋の中。
大量の本に埋もれた部屋の中。
本の山は綺麗に積まれているが、その量が多すぎるために雑多な印象を受ける。
「どこだ?ここ?」
場所が判らない。
何となく見覚えはあるのだが。
そもそも自分は、何でこんな所にいるのだろう?何でこんな所で寝ていたのだろう。
辺りを見回す。
すると、すぐ傍に気配を感じた。
ちいさな身体が、僕に寄り添う様にして、穏やかに寝息を立てていた。
痩身矮躯を猫の様に丸めて、僕の服を握っている少女の姿があった。
「ひ、一ツ橋?」
何で僕はここにいて、一ツ橋が隣で寝ているんだ?
理解が追いつかないが、兎に角、本人に聞かないことには始まらない。
僕は寝息を立てる後輩の身体を揺さぶった。
「お、おい、一ツ橋?起きてくれ」
「ん・・・」
昔馴染みは僅かな振動で目を覚ます。
無表情だが眠たそうな目のままで身体を起こした。
「おはようございます、お兄ちゃん・・・」
「おはよう。って、何でお前はここで寝てるんだ?」
「私が私の部屋で寝ていることが不思議ですか」
「え?」
僕は改めて周囲を見渡す。
云われてみれば成る程。


220 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2008/06/15(日) 01:08:33 ID:r6GuVZQE
ここは博識な教授と、その娘の暮らしている家屋に相違なかった。
「待てよ、じゃあ何で、僕はこんな所にいるんだ?」
目の前の人間に問いかけたのか。
それとも自分の記憶を探ろうとしたのか。
僕がそう云うと、一ツ橋はじっとこちらの目を見つめた。
表情は無い。だけど、真剣さの伝わる瞳だった。
「僕は・・・昨日・・・・」
(!!!)
思い出した。
吐き気の催す様な出来事を。
鶯の巣で起こった、忌むべきことを。
かたかたと身体が震える。
目の前が霞んで、寒気が全身を包み込む。
その瞬間――
僕の頭を小さな身体が抱きしめていた。
「一ツ橋・・・?」
「大丈夫です」
無機質なのに、穏やかな声。
「大丈夫・・・。怖がらなくて良い」
「ぅ、あ・・・でも、僕は・・・」
綾緒と・・・。
「大丈夫・・・」
一ツ橋は僕の頭を撫でる。
心臓は痛いくらいに鳴り響いているのに、不思議と心が凪いでいた。
「私が護ります」
表情は見えない。
声に抑揚も無い。
けれど、一ツ橋からは強い意思のようなものが感じられた。
「お兄ちゃんを不幸になんてさせません。私の人生と引き換えにしても、幸せにしますから」
だから泣かないで。
一ツ橋はどこまでも静かに。
「っ・・・・」
僕は再び身を震わせる。
涙が出た。
身体の震えが止まらなかった。