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282 :或る木こりの話 一話 [sage] :2008/06/17(火) 01:39:45 ID:6u6c9BFk
―――昔々のことじゃった。
ある山ん中に一人の木こりがおった。自分で小屋を建てて、独りぼっちで暮らしとった。
山には、木こり以外、二本足で立つもんはだぁれもおらんかった。木こりはそれでも気にせんかった。
なぜならそいつは、特別、人間という生き物を怖がっていたんじゃ。
木こりの身の丈は小さな杉の木ほどもあったし、座り込めば、でっかい岩みたいにしか見えんかったからの。
普通の人間が見たら、まず「バケモンだ!!」なぁんて騒ぎだすにちがいなかったんじゃ。
実際には、それ以上のことを木こりはされたんじゃな。石を投げられたり、鍬で襲われたり。
そんなもんだから、木こりは人間ってやつに愛想を尽かして、山ん中に引きこもっておったんじゃ。
寂しかったんじゃないかって?
そりゃあ、寂しかっただろうよ。木こりに話しかけてくる奴なんざいなかったからな。
木こりだって食っていかなきゃならねえ。森の動物達を狩っては、腹を満たしておった。
そんなんだから、鹿も猪も鳥も、みぃんな、木こりの姿を見ると一目散に逃げていったんだ。
ところがある日、木こりの家に娘がやってきたんだな。
それもとびきり綺麗なやつが、だ。


第一話


木こりが目を覚ますのは、きまって、太陽が真上に昇る頃であった。
朝を告げる鳥の鳴き声など、木こりの住む小屋には響かない。小鳥達は、この熊のような男を恐れていて、
彼が腹を空かしていなくとも、近付くことはなかったからだ。それゆえ、スダレの隙間から差し込む陽射しが
目を射るまで、木こりは延々と眠るのが常であったのだ。
ところが、である。
その日に限って、木こりは、早く目を覚ますことになった。
森のざわめき以外の音が、耳に飛び込んできたのだ。
―――トントントン。
当初、木こりは、それが小屋の戸を叩く音だと気付かなかった。
十数年のあいだ、そんな音を耳にしたことがなかったのだから、それも仕方のないことである。
太陽はまだ山の向こうで、崖をよじ登ろうとしている時分―――夜明け前である。
(そんな時間に戸を叩く人間が、果たしてまともなやつだろうか……?)
木こりはしばし逡巡したあと、覚悟を決め、声を出した。
「ど、どなたで?」
声を出すことすら、久々のことである。自分でも予期せぬほどの大きな声であった。
さらには、どもっていたり、所々がひっくり返っていたりで、どうにも威厳のない代物であった。



283 :或る木こりの話 一話 [sage] :2008/06/17(火) 01:41:21 ID:6u6c9BFk
あまりに恥ずかしかったのか、木こりは咳払いをしたあと、もう一度、しっかりと言葉を発した。
「どなたで?」
扉の向こう側にいる訪問者からは返事がない。しかし時折聞こえる、寒風が通り抜ける時のような
震える息遣いが、“そいつ”がそこにいることを、木こりにはっきりと悟らせた。
今度は、出来るだけ敵意を感じさせないよう、柔らかな声色で戸に話しかけた。
「どなたで?」
うさん臭い声ではあったが、相手は木こりの意図を、果たして理解したらしい。
『おはようございます。申し訳ないのですけれど、一度、お顔を見せてくださいませんか?』
色で表すならば、澄んだ水色。布地で表すならば、柔らかな絹織物。そんな質感の、女性の声が返ってきた。
だが、例えどんなに美しい声の持ち主であっても、心までそうであるとは限らない。それも、いきなり
「顔を見せろ」ときたものだ。徹底的な人間不信に陥っていた木こりには、魔女の囁きにしか聞こえなかった。
「なにゆえに、おめえさまはそんなことを言うのかね?」
じりじりと後退りつつ、木こりは手を馴染みの斧へと伸ばす。
『どうしても、どうしても必要なことなのでございます。どうぞ、その斧を私に向けないでくださいまし』
木こりは仰天した。彼はまだ戸を開けていない。扉の向こうにいる女には、苔に覆われた木目模様しか
見えていないはずだ。だというのに、彼女は木こりが斧を掴んだことを知っているのだ。
(こいつはいよいよもって怪しい。きっとこの山に住む悪魔に違いあるめえ)
岩のような体を震わせて、木こりは斧の柄をしっかりと握り締めた。
『お願いします。おやめください、どうか、落ち着いてくださいまし。一目、お顔を見せていただければ、
それでよろしいのです』
女のあまりの必死な様子に、木こりもつい、気勢を削がれた。しかし、そう簡単に気を許せるほど、
木こりの人間に対する感情は緩くない。
「そんなら、おめえさま。扉から十歩、離れてくだせえ。そんでもって後ろを向いて、目をつぶっててくれ。
俺が『良いぞ』と言ったら、こっちを向いてくれ。約束してくれ、でねえと、俺は扉を開ける訳にはいかねえ」
『分かりました。あなたがおっしゃる通りにいたしますわ』
木こりは、この返事を聞いて、ほっ、と息をついた。
(魔女は、相手の目を見て呪いをかけると聞く。これならば俺が襲われる心配もあるまい。
どうせ相手は女だ、腕力なら俺に分があるだろう)



284 :或る木こりの話 一話 [sage] :2008/06/17(火) 01:55:23 ID:6u6c9BFk
木こりはそう考え、斧を椅子に立て掛けると、扉へそろそろと近付いていった。
扉を少しだけ開き、外を伺う。
(何と美しい娘だろう……)
そこには、身なりこそ貧相なものの、どこか高貴な空気を纏う、金髪の少女の後ろ姿があった。
「あの……よろしいでしょうか。お顔を見せていただいても……」
木こりがしばらく見とれていると、少女がおずおずと話しかけてくる。
少女に見とれていた木こりは、慌てて、「よし、良いぞ」と返事をした。
ふわりとなびいた金髪が、いつの間にか顔を出していた朝日の光を吸い込み、燦々と輝いた。
鼻も口も小さく、小綺麗にまとまっていて、顔の輪郭は、少し丸い。こちらに向いてから、
少女はゆっくりと目を開けた。青い瞳が木こりをじっと見つめる。木こりの方はその動作一つ一つに
見惚れてしまい、もはや少女に対する警戒心を完全に失ってしまっていた。
二人はしばらくのあいだ見つめあっていたが、やがてその均衡は、少女によって破られることとなった。
突然、少女の瞳に涙が溢れだしたのだ。
「ああ! 神様! ようやく会わせてくださったのですね!」
豊かな金髪で、とめどなく流れだす涙を拭い、わんわん声を上げた。
困ったのは木こりである。顔を見た途端に泣き出されたのだから、どうすることもできない。
(ああ……やはりこのお嬢さんも、俺を怖がるのだ)
昔から、木こりを見る女の顔は二つと決まっていた。
一方は、まるで糞尿でも見るかのような嫌悪に満ちた顔。もう一方は、化け物にでも出会ったように怯える顔だ。
この少女も例に漏れず、自分の容貌に恐怖しているのだ、と木こりは思った。
ごつい手で顔を覆い、小さく呻いた。
ところが、そうではなかったのだ。

「本当に、長かった。あなたに出会う日をずっと心待ちにしていたのです!!」

少女は駆けだし、木こりに抱き付いたのだ。
「へええ?」
木こりがこんな間抜けな声を出してしまったのも無理はない。
今までの経験とは全く別の、異質の反応である。恐れられこそすれ、涙するくらいに喜ばれたことなど、
一度もないのだ。少女は嗚咽を繰り返し、木こりの纏うぼろ切れの裾を掴んでいた。
もう二度と放しはしない、とでも言うかのように。





285 :或る木こりの話 一話 [sage] :2008/06/17(火) 01:59:28 ID:6u6c9BFk
 ※  ※  ※  ※  ※  


「私の目には、人間が人間に見えないのです」
かび臭い小屋の中、木こりと少女はテーブルを挟んで座っている。
互いの目の前では、お茶が、ぽつぽつと湯気を浮かべていた。木彫りのコップを手に取り、唇を湿らすと、
少女は再び話を始めた。
「生まれたときから私の目はこうなのです。お父様もお母様もお兄様も、みんな枯れ木にしか見えないのです」
「それはどういったわけで?」
木こりは困惑気味に質問する。
「分からないのです。とにかく、私には生きている者が全部、枯れ木にしか見えません。体の大きな方は、
太い幹の枯れ木に。小さな方は、細くて、今にも折れてしまいそうな枯れ木に、という具合にしか
見えないのでございます」
少女の目には、再び涙が溢れだしていた。きっとこれまでのことを思い出したのだろう。
(しかし、本当にそんなことがあるのだろうか……?)
木こりは、少女の言葉が真実なのか、今だに確信を持てないでいた。
「お医者さまには話さなかったのかね?」
「ええ、ええ。もちろんしました。ですが、お医者さまは、まったく信じてくださらないのでございます。
お医者さまだけではございません、誰も私の話を信じてはくださいませんでした。私は、自分が
大変恐ろしくなりました。だって、この世界には、私以外、枯れ木しかいないのです。
犬は、四本の根っこで私に駆け寄ってきては、めりめりと不気味な音を立てて尻尾を振りますし、
小鳥達ときたら、木屑が空に浮いているようにしか見えないのですもの。それに、私にはもう一つ、
不思議なものがありまして、命のないものとお話が出来るのです。例えば、本当の木とか、家とか。
私がそんなものとばかりお話をするものだから、お父様もお母様も、すっかり怯えてしまいまして。
いたたまれなくなって、私は我が家を飛び出したのです」
お茶の表面に、波紋が広がった。少女の涙は、止め方を忘れてしまったかのように、零れだす。
人と話すことが久々な木こりに、少女の慰め方など分かるわけもない。図太い体でおろおろと周囲を見回す。
当然、小屋には誰もいない。木こりは改めて「ああ、俺は今、人間と会話をしているのだ」と認識した。
「そうか。それで、さっき、俺が斧を持っていることが分かったのだね?」



286 :或る木こりの話 一話 [sage] :2008/06/17(火) 02:00:39 ID:6u6c9BFk
「ええ。この小屋の戸が、教えてくれました。うちの主人は大変怖がりなのだ、とおっしゃっていましたわ」
何がおかしかったのか、少女はくすくすと笑った。相変わらず涙は、零れ続けているが、
気分は楽になったようである。その後、顔を引き締めると、少女はこう言った。
「私は、枯れ木以外の生き物をずっと探しておりました。そして、ようやく見つけたのでございます」
それまでの会話から予想はしていたものの、それは、木こりにとってやはり衝撃的な事実であった。
(なんてことだ……。人間から化け物と罵られてきた俺が、よりによって……)
「初めてヒトをヒトと、分かりました。あなたさまを見て」
(このお嬢さんには、人間にしか見えないのだ)
少女は真っ直ぐに木こりを見つめ、木こりはそれを避けるように深く俯いた。

「どうか、どうか私をここにおいていただけないでしょうか?」

木こりを穴が空くほどに見つめ、少女は懇願するのだった。