63 :名無しさん@ピンキー [sage] :2006/06/05(月) 02:23:08 ID:HVNZGBN/
翌日。幹也は学校が終わると同時に、喫茶店「グリム」へと向かった。
ヤマネが「明日」と言ったからではない。
単純に、退屈だったからだ。退屈だったからこそ、いつものようにグリムへ行き、地下の狂気倶楽部へと向かった。
いつものように、そこには二人の少女がいた。
マッド・ハンターと、ヤマネだ。
幹也は唄いながら十三階段を降り終え、二人に挨拶した。
「おはよう」
「ん、ん、ん? おはようと言った所でもう夕方よ」
「授業中退屈で寝てたんだよ――おはようヤマネ」
言葉を向けられると、ヤマネの顔に、満面の笑みが浮かんだ。
脳が蕩けたかのような笑顔を浮かべながらヤマネが言う。
「おはよっ、お兄ちゃんっ! 今日はなにするっ!?」
にこやかに挨拶をするヤマネに笑いかけ、幹也はいつもの指定席に座る。
長机の一番奥の椅子に。
いつもと違う事があるとすれば――幹也が本をとるよりも早く、その膝の上に、ヤマネが乗ってきたことだ。
まるで、昨日の分も甘えるとでも言うかのように、ヤマネは全身で幹也にすりよる。
臭いをつける猫に似ていた。
ヤマネが、二つ名の通りに『ヤマネ』ならば、今ごろ幹也は穴だらけになっていただろう。
「今日はずいぶんと甘えるね」
幹也もそう感じたのか、言いながら栗色の髪の毛を撫でる。
撫でられたヤマネは気持ち良さそうに微笑み、言う。
「――お兄ちゃんっ、昨日のコって誰かなっ!?」
64 :名無しさん@ピンキー [sage] :2006/06/05(月) 02:32:12 ID:HVNZGBN/
唐突なその問いに、幹也の手が止ま――らなかった。
まったく動揺することなく、頭をなでながら、幹也は言う。
「妹だよ」
「妹?」
逆に、ヤマネの動きが止まった。
その答えをまったく予想していなかったのか、瞳はきょとんとしていた。
何を言っているのかわからない、そういう顔だ。
家族がいないとでも思っていたのだろうか――そう思いながら、幹也は言う。
「妹。家族だよ」
「仲」惚けたまま、ヤマネは問う。「良いのかなっ?」
見ての通りだよ、と幹也が応えると、ヤマネは「そっかぁ。えへへ」と、笑った。
楽しそうに、笑った。
楽しそうに笑う場面ではないというのに。安堵の笑みなら分かる。幹也を取られないという安堵ならば。
けれども、ヤマネの笑いは違った。
どこか被虐的な――自嘲じみた、歪に楽しそうな笑みだった。
「家族かぁ! いいなぁ、いいねっ! お兄ちゃんも、ヤマネの家族だよねっ、だってお兄ちゃんだもんっ!」
楽しそうに笑ったままヤマネは言う。
幹也は「そうだね」と適当に頷き、ヤマネの軽い体を机の上に置く。
退屈だった。
妹もヤマネもどうでもよかった。退屈を潰せるのならば。
いつものように――幹也は、ヤマネの首に手をかける。
「うふ、ふふふっ、うふふふふっ! あは、あはっ! お兄ちゃん、楽しいねっ!」
ヤマネは笑っている。
いつもとはどこか違う、歯車が一つ壊れたような笑み。
幹也は構わない。歯車が壊れても遊べることには変わりない。
歪な、歪な今までとは違う歪さの二人。
その二人を見ながら、マッド・ハンターはひと言も発さず、楽しそうに笑ってみている。
65 :名無しさん@ピンキー [sage] :2006/06/05(月) 02:39:15 ID:HVNZGBN/
結局、その日は、いつもよりも早く帰ることになった。
ヤマネの反応が、いまいち面白くなかったからだ。常に笑っているだけでは、壊しがいがない。
反応を返してくれるからこそ、退屈しのぎになるのだ。
そう考えながら、幹也は一人、家へと帰る。
ごく普通の一般家庭の中に、普通の子供として帰る。
肌に少女の臭いが残るだけだ。家族は情事としてしか見ないだろう。
まさか首を絞め、異常な交わりをしているとは、少しも思わないだろう。
「雨に――唄えば――雨に――唄えば――」
ワン・フレーズを繰り返しながら幹也は歩く。
頭の中には、もうヤマネのことはない。あるのは、里村・春香のことだ。
図書室から飛び降り自殺をした春香のことを考える。
今もなお考えるのは――死んだ瞬間、春香のことが好きだったからだと、幹也はなんとなく考えている。
一瞬だけ退屈がまぎれるような――人を好きになれるような――幸せだと感じるような――
不思議な感覚が、『あの一瞬』にはあった。
人にとっては異常とも思える思考と記憶にたゆたいながら、幹也は家へと帰る。
「雨に、唄えば――」
唄いながら扉を開け、家へと入る幹也は気づかない。
――電柱の陰に隠れるように少女がいる。ワンピースをきて、栗色の髪の毛をした少女が。裸足のまま、じっと、幹也が入っていった家を見ている。
ヤマネに、後をつけられ、家を知られたことに、幹也は気づかない。
幹也の家を知り、幹也の部屋に電気がついたことを確認したヤマネは、楽しそうに笑いながらその場を去っていく。
ヤマネの頭にある考えは、一つだけだ。
――お兄ちゃんは、ヤマネだけのものなの。
(続)
最終更新:2011年05月20日 14:58