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103 :65の続き [sage] :2006/06/10(土) 00:56:48 ID:uj/kMvwy
 その日、珍しいことに、幹也は学校に行かなかった。
 その日、珍しいことに、喫茶店「グリム」にヤマネはいなかった。
 地下図書室には、いつもの姿をした、マッド・ハンターだけがいた。

「おや、おや、おやまあ! これは珍しいわね。おサボリ?」
「おサボリのお欠席だよ」

 言って、幹也はいつもの席に座った。いつもと変わらない制服姿。鞄には教科書と弁当が詰まっている。
 本当は、学校に行くつもりだったのだ。
 学校に行こうとして――そのまま、喫茶店「グリム」へと来たのだ。
 完全な気まぐれだった。
 完全な気まぐれだと、椅子に座るその瞬間まで、幹也自身もそう思っていた。

「それでそれでそれで? きみはどうして学校を休んだの?」
「同じように学校を休んでる君に言われたくないけどね――いや、そもそも、学校に『居る』の?」

 幹也の問いに、マッド・ハンターは唇の端を吊り上げて笑った。
 答える気はない、と笑みが告げている。
 幹也はため息を吐き、「それならば僕も答える必要がないな」と呟いて、
 ようやく、気づいた。

「ああ、なるほど。死んだからだ」
「――?」

 幹也の突然の言い分に、マッド・ハンターが首を傾げる。
 構わずに、幹也は独り言のように呟いた。

「『先代』が死んでから、ちょうど半年だ」
「ほう、ほう、ほう!」

 楽しそうなマッド・ハンターの声を、幹也はもはや聞いてはいない。
 頭の中にあるのは、『先代』との思い出だけだ。
 先代。
 十二月生まれの三月ウサギ――里村・春香。
 ちょうど一ヶ月前の放課後に、彼女は、図書室から飛び降りて死んだのだった。
 そして、それは、幹也にとっても特別な日だった。
 先代が死んだから、でも、三月ウサギになったから、でもない。
 生まれて初めて――『退屈でない』と思った日だからだ。







104 :名無しさん@ピンキー [sage] :2006/06/10(土) 01:06:52 ID:uj/kMvwy
「君は、君は、君は――」マッド・ハンターが楽しそうに言う。「彼女が好きだったのかな?」「
「彼女?」
「『12月生まれの三月ウサギ』」

 いきなりとも言えるマッド・ハンターの問いかけに、幹也は悩む。
 傍から見れば、付き合っているように見えた――わけがない。
 幹也と春香の関係は、図書館の夕暮れ、誰もいないところだけだったのだから。
 今でも、幹也と春香の関係を知る人などいないだろう。葬式に出た、くらいだ。
 そして。
 実際の『関係』がなかったかといえば、NOだ。
 ヤマネにするような関係を、幹也は、春香としていた。
 12月生まれの三月ウサギ。
 12月に生まれたウサギは――死にやすい。
 その通りに、春香は、今にも死んでしまいそうな人間だったし、実際に死んでしまった。
 彼女が死んだ瞬間を思い出しながら、幹也は言った。

「好きだよ」

 好きだった、ではなく。好きだ、と幹也は言う。
 その答えを聞いて、マッド・ハンターは笑う。

「ふぅん、ふぅん、ふぅぅぅん。それも嘘かい?」
「さあね」

 幹也は肩を竦める。本を探す気にはなれなかった。
 相変わらず退屈だ。
 そして、退屈でなかった一瞬を、思い出していたかった。
 里村・春香が死んだ瞬間を――唯一、退屈でないと思えた瞬間を。

「ふむ、ふむ、ふぅむ。私も見たかったわ、その瞬間。もう一つだけ質問いいかな?」
「駄目って言っても聞くんだろ?」
「まぁねまぁねまぁぁね。それで、自殺した先代は――君が殺したの?」

 酷く核心的な、酷く確信的な問い。
 全ての前提を覆すような問いを、笑いながらマッド・ハンターは吐く。
 幹也は、その問いに、真顔で即答した。

「――さあね」





105 :名無しさん@ピンキー [sage] :2006/06/10(土) 01:19:53 ID:uj/kMvwy

 結局、その日は、幹也は学校には行かなかった。
 ほぼ一日中、本も読まず、楽しいと、退屈ではないと思えた一瞬のことを思い出していた。
 思い出している間は――かすかだけど、退屈さが紛れるような気がしたからだ。
 席を立ったのは、十六時前。
 いつも喫茶店「グリム」に来る時間よりも、かなり早かった。
 ヤマネもいないので、家でゆっくりと思い返そう――そう思ったのだ。
 帰る道すがら、幹也は、ぼんやりと思考をめぐらせていた。
 帰ったら妹がいるだろうか、一昨日買ったケーキがまだ残っているだろうか。
 父と母は家にいるだろうか。時間が不定な家族は、いつ家にいるかわからない。
 いなければいい、いてもいなくても退屈なのだから、いないほうが静かだ――そう幹也は思った。
 そして、そんなことよりも、頭にあったのは。
 里村・春香のことだ。
 彼女の最後の言葉を、幹也は思い出す。

『――幹也くん、私はもう疲れた』

 心の底から、疲れきった、生気の無い声。
 いつものように首を絞められながら、春香はいった。

『――だから、お終いにしよ』

 それが、最後の言葉だった。
 その数秒後――春香は、図書室の窓から落ちて自殺したのだから。
 その光景を思い出して、幹也は小さく笑う。
 地面に咲いた赤い花。
 肉と臓物と血で出来たきれいな華を思い出して、幹也は歩きながら笑った。
 あの瞬間。
 あの瞬間だけは、退屈でなかったのだから。
 いまもなお退屈をかかえる幹也は、退屈でないときを思い返しながら、歩く。
 あっという間に家へとたどり着き、チャイムを鳴らした。
 ぴんぽん、という間抜けな音。
 誰も出なかった。そもそも、誰かが出るとは思っていなかった。とりあえず鳴らしただけだ。
 玄関を入り、ポケットから鍵を取り出し、ドアノブを掴み、

「……あれ?」

 そこでようやく、幹也は異変に気づいた。
 ドアノブが、回ったのだ。
 鍵を差し込んでいないのに。
 鍵は――かかっていなかった。
 誰かいるのだろうか。チャイムに気づかなかったのか? そう思いながら、幹也はドアノブをひねり、
 扉を、
 開けた。


 ――そして幹也は、むせ返るような赤を見た。





107 :名無しさん@ピンキー [sage] :2006/06/10(土) 01:26:49 ID:uj/kMvwy

 赤と紅と朱。臙脂、橙、茶。
 思いつくかぎりの、この世に存在する限りの赤が、そこにあった。
 それは、とある赤いものが、元からあった家具や壁や空気と触れ合って、変色した結果だった。
 もともとは、くすんだ赤。
 黒に近いような――赤。
 家の中は、完全に、赤に染まっていた。
 濡れた赤。
 まだ、乾ききっていない。
 幹也の家は、玄関に入れば、扉一枚向こうにリビングが見える作りになっている。
 そして、その扉は今、開けっ放しになって――扉の向こうには、赤が広がっている。 
 赤に塗れた世界を見て、幹也はなるほど、と納得した。
 ――これならば、チャイムに出ることもできないな、と。
 扉の向こう。赤い水溜りに沈むように、ばらばらの何かがあった。
 皮をはがれ、肉を抉り、骨を削り、臓物を取り出し。
 必要以上に――否、必要がないのに、ばらばらにされた、父と母の姿を、幹也は見た。
 そして、その奥。
 手足から血を流す妹と――その妹の神を掴み、楽しそうに笑う少女の姿を、幹也ははっきりと見た。
 普段の白いワンピースは、いまは赤く染まっている。
 この部屋と同じように――――溢れる血で、ヤマネは真っ赤に染まっていた。
 幹也は、いつものように、ヤマネに声をかける。

「やぁ、ヤマネ」

 ヤマネは。
 右手に分厚いナイフを持ち、左手に妹の髪を掴んでいたヤマネは。
 まるで人形か何かのように、妹を放り投げ、血の海をばちゃばちゃと言わせながら、幹也へと近づいてきた。
 そして、真っ赤に染まった体と、真っ赤にそまった顔で、ヤマネは笑う。
 血に塗れ、右手に包丁を持ったヤマネは、死に囲まれた部屋で、満面の笑顔で言った。

「おかえりっ、おにいちゃんっ!」

(続)