173 :107の続き [sage] :2006/06/25(日) 02:32:12 ID:+sD7Pgg/
ヤマネは――笑っていた。
どうしようもないほどに、どうにもならないほどに、満面の笑顔でヤマネは笑う。
その笑顔の向こうを幹也は見る。それ以外は見ようともしない。
血に沈んだ家族も。壊れて散乱した家具も。割れた窓も。
穏やかで、退屈だった日常の残骸を幹也は見ようともしない。
血に濡れた笑顔だけを見つめている。
「ただいま、ヤマネ。どうしてここに?」
幹也は問う。
どうしてこんなことをしたのか、ではなく。
どうしてここにいるのか、と。
その問いに、ヤマネは笑ったまま答えた。
「だって、ヤマネはお兄ちゃんの妹だもんっ!」
言って、ヤマネは包丁を放りなげてすりよってくる。
手から離れた包丁が宙を回り、中ほどまで床に突き刺さった。
血をぱちゃぱちゃと踏み鳴らしながら、ヤマネは幹也へと抱きついた。
すぐ真下にある髪からは、いつもと変わらない少女の臭いと、真新しい血の臭いがした。
その血の臭いも、部屋に満ちているそれと混ざり合い、すぐに分からなくなる。
「ヤマネねっ、お兄ちゃんのために頑張ったんだよ?
お兄ちゃんを閉じ込める、ニセモノの家族を倒してあげたの!
ね、褒めて、褒めてっ!」
傍から聞けば、錯乱しているとしか思えないヤマネの言葉。
けれど、この場には『傍』に立つものは誰もいなかった。
血に濡れた部屋に立っているのは、ヤマネと幹也の二人だけだ。
力の限り抱きついてくる少女を、幹也はそっと抱き返して言う。
「そう。――がんばったね、ヤマネ」
答える幹也の顔は、邪悪に笑って――などいなかった。
笑ってもいない。
怒ってもいない。
いつもと変わらぬ、退屈そうな表情のまま、幹也はヤマネを抱きしめていた。
177 :173の続き [sage] :2006/06/25(日) 02:49:15 ID:+sD7Pgg/
腕の中、ヤマネが猫のように喉を鳴らし、頬を摺りつけてくる。
ふと、幹也はその細い首に手をかける。
キスをしたい。そう思う反面、このまま首を絞めてしまいたくもなった。
そうすれば、少しは暇ではなくなるだろうから。退屈が紛れるだろうから。
この異常な状況においてなお――幹也は、どこまでも平常だった。
けれども、幹也が何をするよりも、ヤマネの動きの方が早かった。
「お兄ちゃん、そろそろ行こっ!」
幹也から離れ、首に添えられた手を握り、縦にぶんぶんと振ってヤマネが言う。
上下に振られた手を追いながら、幹也は呟くように答えた。
「行くって――どこに?」
当然といえば当然の言葉に、ヤマネは「決まってるよっ!」と前置き、
「こんなところ、もういらないよね? ね、ヤマネと一緒にいこっ!」
――こんなところ。
その言葉を聞いて、幹也は部屋の中を見回してみる。
二人分の死体と、一人の死に掛けと、血と死と破壊で満ちた家。
すでに終わってしまった場所。
成る程、もうここは要らないな、と幹也は内心で納得する。
退屈な家から離れて、殺人鬼の少女と退屈な逃避行。
それも暇つぶしだ、とすら思った。
「そうだね。行こうかヤマネ」
ヤマネの手を握り返し、幹也は言う。
その言葉を聞いて、ヤマネは、これ以上ないくらい嬉しそうに笑った。
「うんっ! ここも、喫茶店もヤマネいらない!
お兄ちゃんがいればそれでいいよっ!」
ヤマネは手を繋いだままぴょんと跳ね、幹也の隣に並ぶ。
繋いだ手の温もりと、血に濡れる感触を感じながら、幹也は踵を返す。
視界の端に、重症の中まだ動いている――最後の生き残った家族が見えた。
もはや家族ではなくなった少女に向かって、幹也は言う。
「――ばいばい」
それが、別れの挨拶だった。
幹也も、ヤマネも、振り返ることはなく。
「雨に――唄えば――」
「唄え――ば――」
二人仲良く歌いながら、家の外へ、夜の街へと消えていった。
最終更新:2011年05月20日 14:58