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668 :いない君といる誰か [sage] :2007/01/05(金) 13:04:35 ID:w9uu+67R
・三話
 如月更紗についてのあれこれ。当年とって15歳。ただし正確な誕生日は不明。同じクラス、同じ学年だから15だと思っているだけで、本当は16歳かもしれない。
実際のところ内情について知っているのはほとんどない。クラスメイト――それはクラスが同じというだけで、なんら共通項を得るようなものじゃない。
例えば彼女がどこの中学校の出身だとか、どこに住んでいるのだとか、野菜と果物のどちらが好きかとか――そんなことが、僕に知り得るはずもない。
分かることといえば、それこそ外見的なことと、彼女の立ち居地だけだ。
 こうしてみる限り校則違反はしていない。紺のプリーツスカートは極端に上げたり下げたりはしていないし、白の半袖シャツの下に柄物が見えることもない。
もっともこんなバカでかい鋏を持っている時点で、校則違反以前に法律違反だが――今のところ、誰も気付いた様子はない。かくいう僕もこうして突きつけられる
までは彼女がそんなものを持っていようとは夢にも思わなかった。
 長く伸びた艶のある黒髪は、こまめに手入れしてあるのか腰のあたりで綺麗に切りそろえられている。その几帳面さが、日本の古い幽霊映画に出てきそうな雰囲気を
かもし出していて、何ともいえないくらい絶妙に……似合っていた。学校にいる間中、ぼぅと窓の外を見て一言も喋らない、どこを見ているのか分からない如月更紗と
いう少女の雰囲気をひきたてるのに、それは適格だったのかもしれない。あるいは、本人が意識してそうしていたのかもしれない。
 そんなことを、つらつらと。
 口内を蹂躙されながら、思った。
「ん、ん――! んんん――!」
 口の端からだらだらと如月更紗の唾液がたれ始め、呼吸困難を憶える頃になって、僕はようやく抵抗を開始した。
 というか、この女。
 普通こういうときは触れるだけのキスをするだろうに、まるで攻撃でもしてくるかのように、無遠慮に舌を入れてきやがった。
あまりもの衝撃に突き飛ばすのも驚くのもキスに対して何かを思うのも忘れて、現実逃避してしまった。
 しかし一度現実に戻れば、当たり前のように抵抗する。なぜって、それは舌を入れられたことよりも――
「暴れないで欲しいものだね……」
 つぅ、と唾液の糸を引きながら如月更紗の唇が離れた。ぬらぬらと、放課後の光を浴びて輝く液体は扇情的で、未だ唇と唇が繋がっていたことをその身で証明していた。
 エロスティックというか、エロいというか、マロいというか、そういうのを否定するつもりはない。
どこか潤んだような瞳で僕を見てくる如月更紗の姿を見ていると、こう、ぞくぞくと背筋にくるものがある。
 が、それとこれとは別だ。僕は如月更紗の瞳をしっかりと見返して、言った。
「この――下手糞」
「………言葉遣いが悪いわよ?」
「なら言い直してやる! この下手れ!」
「それはまた別の意味よ。まったく困った同級生だわ」
 あっけらかんと、自分に非がないように髪をかきあげる如月更紗。その仕草に再びどきりとさせられるが、意識を総動員して無視する。
「いきなり何すんだって言いたいが……他に言いたいことがあるんで先に言ってやる。歯をがんがんぶつけんじゃねぇ!」
 そう――そうなのだ。てっきりいきなり舌を入れてくるくらいだから上手いかと思ったのに、この女ときたら、舌を動かすたびに頭を押し付ける
せいで歯ががんがんと当たるのだ。おまけに痛みなんて気にしないかのように続けるから、延々とがち、ガチとぶつかる音が脳内で響く。
 最悪だった。
 何が最悪かって、キスにわずかに期待してしまった自分が最悪だった。
「仕方ないのよ。慣れてないんだから」
「慣れてないならいきなりキスなんてするな!」
「勘違いしないで。キスには慣れてるのよ」
「……? じゃあ、何に慣れてないんだよ」
 僕の問いに、如月更紗はクラスでは絶対に見せないような、そのくせこの屋上では何度も見せた、にたりとした笑みを浮かべて、
「生きてる相手とするのには、慣れてないのよ」
 なんてことを、さらりと言ってのけた。
「………………」
 冗談か本気か、その妖しい笑顔からでは判別できない。
 判別したいとも――思わない。


669 :いない君といる誰か [sage] :2007/01/05(金) 13:34:09 ID:w9uu+67R
「とにかく」
 こほん、とわざとらしく如月更紗は咳払いした。上体を起こしていないせいで、口から漏れた息が直接顔にかかる。
生暖かいような、甘いような吐息だった。
「何だよ」
 問い返すと、如月更紗は、それが当然だと言わんばかりの口調で、はっきりと言った。
「慣れていないのだから、慣れさせてよ」
「なんでそうなる!?」
「あら、あら! 当然の理屈だわ、当然の理屈よ――アインシュタインもニュートンも団鬼六先生も賛同してくれるに違いないわ」
「物理学者と官能小説家を同じラインに並べるのかお前は!?」
 恐ろしい女だった。
 ある意味、人類平等を体現しているのかもしれない。
「貴方がファーストキスもまだだと言うのならば、やぶさかではないけれど」
 ため息と共に、如月更紗はそういった。なんとなくバカにされているようで癪に触る。
「貴方がファーストえっちもまだだと言うのならば、諦めるけれど」
 深い深いため息と共に、如月更紗はそんなことを付け加えた。
「いや、それは付け加えなくていい」
「そう?」
 大体キスをしたことがあっても初体験もまだだというのは世の中には一杯いるだろう、と思ったが言わないでおくことにした。
余計なことを言えば藪をつついで鬼を出す嵌めになることくらいは想像できる。
 どうも、如月更紗という相手は――未知数だ。
 何が返ってくるのかわからない。
 何を思っているのかわからない。
 何のためにここにいるのか、まだ、分からない。
「…………」
 そのことに多少の警戒はあれど。
「如月更紗」
「何かな?」
「眼、つぶれ」
 僕は――思春期なのだった。
 言われた通りに素直に子供のように、如月更紗は眼を瞑った。そのまま微塵も動かない。僕の方から、何かをするのを待っているように。
 殉教者のように、如月更紗は待つ。
「…………」
 その耳の側から、如月更紗の髪に僕はそっと右手を差し込んだ。手で触れることで、彼女の髪のきめ細やかさがよくわかる。
いつまでも触っていたいような、それだけで幸せになれるような触感だった。
「……動くなよ」
 一応、そう前置いて。
 手で、ゆっくりと、如月更紗の頭を引き寄せる。如月更紗は何も抵抗することなく、僕の手に導かれるままに顔を寄せて、
 眼を瞑り、唇を横一文字に閉じる如月更紗。
 その顔に、歯がぶつからないように――そっと、キスをした。

 血の味が、するような、気がした。




670 :いない君といる誰か [sage] :2007/01/05(金) 13:56:46 ID:w9uu+67R
 今度は歯がぶつかることはなかった。もっとも如月更紗のように舌を入れるようなことはしない。
唇をそっと触れて、相手の唇を舌でなぞるだけの、簡単なキスだ。それでも、痛みがないというだけで先よりもずっと良かった。
 痛くはない。血の味もしない。温かく、柔らかい、
 人間との、キス。
「ん……」
 小さな吐息と共に如月更紗の唇が離れていった。気付けば、自分から彼女の頭に差し込んでいた手を話していた。
人の胸板にのしかかるように身を寄せて、如月更紗は僕を覗き込む。至近距離で見る彼女の瞳は、どこか猫のように笑っていた。
「確かに――上手ね」
 良し、よし、よし、と子供をあやすように如月更紗は幾度か繰り返した。
 上手いと言われて悪い気がするはずがない。僕は思わず微笑みかけ、

「貴方のお姉さんと、練習したからかしら」

 微笑みが、固まった。
 意識してか、意識せずか、そんなことはどうでもいい。
 どうだっていい。
 問題は彼女が、如月更紗が何げなく、何事でもないように口にした、軽口のようなその一言にしかない。
僕は押し黙り、恐らくは、明確な敵意を持って――如月更紗を睨みつける。
 この距離で、睨みつけられても。
 如月更紗は――微笑んでいた。
「どうやら――姉に対して鬱屈したコンプレックスを抱いているシスコンで、正しいみたいね」
 くすくす、と笑う。僕は笑わない。僕は笑わずに、黙って、彼女を見遣る。
 如月更紗を、見る。
「とはいえ言い過ぎたわ、口が崖から落ちていったようね」
 そう言って、如月更紗は唐突に僕から身を離した。両足で立ち上がり、鋏を制服の背中に隠す。
さっきまで濃厚な彼女の匂いに包まれていたことに、僕はようやく気付いた。彼女が離れたことで
その甘い蜜のような匂いの存在に、ようやく、気付けた。
 脳が痺れるような――如月更紗の匂いだった。
「今日は色々考えてくださいな。色々と、色々と――思い起こして思い返して考えてね、冬継くん」
 それでは、また明日。
 そう言って、如月更紗は、寝そべったまま身を起こせないでいる僕をまたいでつかつかと歩き去った。
人の顔面の上を通り越していったせいでスカートの中身が見えたのにまったく気にした様子がない。
用は済んだのだとばかりに、振り返ろうともしない。
 振り返らず、何も言わず。
 がちゃん、という音と共に、如月更紗は屋上から出て行った。
「………………」
 今日一日と、昨日のことと、明日のことと、如月更紗のことを思って。
 屋上に寝転がったまま、僕は深く、深く深く――ため息を吐いて、舌で唇を舐める。

 キスの感触が残っていた。

・第三話 了