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713 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/13(土) 00:04:41 ID:+bXpdwYt
 神無士乃についてのあれこれ。カンナシノ、とカタカナで書くとどこまでが苗字でどこまでが名前なのか
分からないな、とからかうと怒られたことがある――なんてささやかなエピソードはここでは置いておく。
神無士乃がクラスで神無ちゃんと呼ばれていようが士乃ちゃんと呼ばれていようが僕にはまったく関係ない
からだ。二歳も違うと世代が一つは違うと考えていい。神無士乃と同じ学校に通うのは僕が三年生で士乃が
一年生、という形にしかならないので、彼女が中学校でどんな扱いを受けていたのか知らない。高校に入っ
たとしても知らないままだろう。もっともそれは、神無士乃が僕と同じ高校に進学すればの話だけれど。
 20センチは低い身長。小さな背と大きな胸。兔の耳みたいなツインテール。丸い瞳と、女性らしい体つ
き。如月更紗が人間味のない彫刻だとすれば、神無士乃は人間味に溢れる少女だった。行き帰りに着ている
モスグリーンのチェックの制服が印象深いけれど、結構な数の私服も持っている――それを知っているのは、
休日に共にどこかに遊びにいくからだ。姉さんと予定がないときは、神無士乃と遊ぶ。それが僕の日曜だっ
た。
 何せ、神無士乃は幼馴染なのだから。
 仲がよくも悪くもない。ただ神無士乃は僕から逃げないし、僕も神無士乃から逃げることはない。余計な
気をつかう必要もないし、疲れるけれど気を遣う必要もない。他の人間というよりは居心地がいい。それが、
僕にとっての神無士乃だった。こっちに引っ越してきた小学校の頃からその関係はずっと変わっていない。
 毎朝一緒に登下校をするのも――昔から変わっていないのだ。

「チャイムが鳴ったわ」
 裸のままの如月更紗が言う。こいつ、一向に隠そうとも服を着ようともしない。お陰で同級生の裸に見慣れてしまった。
この歳でそれはさすがにマズい。それ以上に、今この状況がまずい。
 朝から部屋に裸の同級生がいるという状況は、とてもマズい。
「鳴ったな」
「そろそろ始業開始かしら」
「学校からうちまでどれだけ離れてると思ってる! インターホンに決まってるだろうが!?」
「案外下校開始かもしれないわね」
「一日!? こんなやり取りで一日が終わったのか!」
 最悪な一日だった。
 というか、こんな馬鹿なやりとりをしている暇はない。まったくない。インターホンが鳴ったということは、
玄関前に人が来ているということで、それはつまり――
「先輩ー! いないんですかー!」
 玄関の外から、そんな神無士乃の声が聞こえてきた。
「…………」
 まずい。この状況を神無士乃に見られるのは非常にまずい。いくらなんでも不名誉すぎる噂をたて
られるのは確実だった。嫌われるのは別に構わないが、侮蔑されるのは僕のみみっちい尊厳が許さな
い。最悪学校にバラされて、同級生と朝から同衾した男という不名誉な名称を戴いてしまう。
「……如月更紗」
「何?」
「今すぐ服を着てここからいなくなれ。話の続きは昼休みにでも聞いてやるからどこでもドアでもワープでも
『あっちからこっち』でも何でもいいからとにかくここからいなくなれ」
「切羽詰まってるわね」
「誰のせいだと思ってるんだ!」
 お前のせいだ。
 如月更紗を今すぐ蹴り出したい衝動を必死でこられる。狂気倶楽部とか三月兔とか姉さんを殺した奴とか
チェシャとかアリスとかそういった様々なことを全て後回しにしたくなる。思想がなくても生きていけるが
パンがなければ生きていけないというやつだ。
 食うだけなら動物以下だ、とも言うが。
「とにかく、この状況を見られるわけにはいかないんだ」
「この状況?」
 小首を傾げて、唇に人差し指をあてる如月更紗。くそ、お前なんで今この瞬間に至ってそんな可愛げのある仕草をするんだ。
「この状況、だ」
 念には念を入れて言う。この状況――いうまでもない。ベッドの上で裸のクラスメイトとキスをしようとしていた状況だ。
もし神無士乃がこなければ、そのまま行為に及んでいたかどうかは……神のみぞ知る、ということだ。
「とにかく僕は神無士乃をごまかしてくるから、お前はとにかく服を着ろ。まずはそれからだ」
 問題はドウ誤魔化すかだが――最悪ぱっと着替えるだけ着替えてこいつを家に置いていけばいい。遅刻をして
困るのは如月更紗だけだ。留守を預ける、というのには非常に抵抗があるが、ピッキングをするような奴に言っても
仕方がない。
 神無士乃を誤魔化す算段を頭の中でまとめていると、
 ――がちゃん、と。
 玄関の方で、扉の開く音がした。


714 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/13(土) 00:21:21 ID:+bXpdwYt
 次いで、
「先輩ー! いないんですかー!」
 なんて、神無士乃の声が、家の中から聞こえてくる。
「…………」
「…………」
 如月更紗の顔を間近で見つめる。というか、睨む。如月更紗は飄々と、
「ピッキングしてそのままにしていたようね」
「無用心なのはお前の方だ!」
 この女……人の家にピッキングして入った挙句、そのまま扉を開けて放置していたのか。侵入者相手に言うのも変だが
せめて夜の戸締りくらいはやってくれ。不審者や暴漢魔が入ってきたらどうする気あったんだ。お前の目的はチェシャ猫
から僕の身の安全を保証することじゃなかったのか。それともあれか、社会的地位を抹殺するために送り込まれた刺客か。
 そう、突っ込みたいのは山々だったが――全て我慢した。今この状況でそんなことをしている余裕はない。状況は先よ
りも切迫している。なぜなら――
「先輩ー! もしかしてもしかするとまだ寝てますかー! 永眠ですかー!」
 そんなことを怒鳴りながら、二階への階段を昇ろうとしている神無士乃がいるからだ。
 いっそ、今すぐ部屋から飛び出て神無士乃をぐるぐる巻きにして浴槽にでも叩きこんで
しまおうか――そんな物騒なことを、半ば本気で考えてしまう。
「冬継くん」
 そんな僕とは対照的に、如月更紗は落ち着き払っていた。この鉄の度胸は少し羨ましい
ものがある。
「何か起死回生のアイデアでも思いついたのか?」
「ちゅー」
 口で言ってから、キスした。
 目を瞑る暇もなかった。
 さっき寸止めされたのが不満だったのだろうか――如月更紗は両手を僕の後頭部にあてて、無理矢理
頭を引き寄せてキスをした。また歯がぶつかるのか、と心配したが、衝突の寸前で減速したらしく痛み
はなかった。その代わりに、柔らかい唇の感触があった。
 目を瞑る暇も余裕もなかった――だから、はっきりと目を開けたままキスをしてくる如月更紗と、目
があってしまった。キスの最中に目があうことほど気まずいことはない。如月更紗の瞳は、はっきりと
僕にも分かるくらいに、笑っていたのだから。
 トン、トン、トン、と二階へと昇ってくる足音が聞こえてくる。それでも如月更紗は手も唇も離さな
い。初めてのキスでもないのに、頭の中が真っ白になってしまう。くるくると回り進む現状に思考がつ
いていかない。
 如月更紗は、唇を離そうとすらしなかった。押し入るように、分け入るように。昨日教わったことを
忠実に実行し、歯をぶつけないように――そのぬるりと長い舌を、僕の口内へと差し入れてきた。


715 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/13(土) 00:31:37 ID:+bXpdwYt
 抵抗ができるはずもなく。
 今まで出来なかった分の鬱憤を晴らすかのように、如月更紗の舌はどんよくに蠢いた。一回目のキスが失敗で、
二回目のキスは僕からで。三回目のキスは寸止めで――四回目のキスは、如月更紗からのディープキスだった。
 トン、トン、トン、と足音が聞こえてくる。その音に会わせるようにして、如月更紗の舌が上へ下へ奥へと動
く。唇からちゅぱ、ちゅぱと水音が漏れるのが聞こえた。
 シーツに、雫が落ちる。
 とん、とん、とん――
 ぺちゃり、ちゅぱ、べちゃりと――
 頭がくらくらしてくる。キスをしている相手はクラスメイトで、何一つ身にまとっていないのだ。その上
今にも部屋に幼馴染が乱入しかけていて、それでも目の前の相手はキスをやめない。間近ではっきりと如月
更紗の甘い匂いを感じる。こうして裸だとよく分かる――それは彼女の体臭だ。汗臭い自分の身体とは違う、
まるでお菓子か香水で身体ができているかのような、理性をとかしていく匂いだ。
 すぐ真下に、如月更紗の白い裸体がある。手を伸ばせば届く。
 僕は。
 僕は、更紗に手を――

 伸ばそうとしたところで、部屋の隅に佇む姉さんと、目があった。

「…………ッ!」
 力ずくで――如月更紗の身体を引き剥がした。


716 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/13(土) 00:51:06 ID:+bXpdwYt
 今――僕は何をしようとしていた。
 如月更紗を抱こうとしていたのか?
 彼女を、名前で呼んで。
 姉さんの前で――抱こうとしていたのか。
 姉さんを抱いたベッドと同じベッドで、同じように如月更紗を抱こうとしていたのか。
 それは――許されるのか。
 それを、許していいのか。
 僕は思う。
 抱き終わった後――果たして。

 部屋の隅に、姉さんの亡霊は見えるのだろうか?

「…………」
 如月更紗から身を離し、姉さんと視線を絡めたまま僕は後ろへと下がる。何も見なくても、部屋の位置くらい
は把握している。たとえ後ろ向きでも、扉に辿り着くことは容易い。
 背中で、部屋の扉を、押さえつける。
 トン、トン、トン――背後で神無士乃が階段を昇ってくる音がする。寝ているであろう僕を脅かすつもりなの
か、もう呼びかけてくることはしない。それでも一段おきに音は近づいてくる。あと13段もあれば二階へ辿り
着くだろう。
 今すぐ部屋から出て、彼女を誤魔化すべきだろうに。
 僕はそれができない。振り向くことができない。扉から出ることができない。
 姉さんから、視線を逸らすことができない。 
 視界の端で如月更紗が僕と、僕の視線の先を見比べている。彼女にはただの部屋の隅があるようにしか見えな
いだろう。姉さんの姿は、僕にしか見えない。
 もう僕の心の中にしか――姉さんはいない。
 僕が忘れてしまえば。
 姉さんは、今度こそ本当に、居なくなってしまう。
「……姉さん」
 僕が呼ぶまでもなく、姉さんは、笑っていた。微笑んでいた。
 姉さんはずっと微笑んでいる。
 死んでからは、ずっと。
 死んだことで幸せそうに微笑んでいる。
 死ぬ前日、僕に初めて見せた、あの寂しくも嬉しそうな笑みを、ずっと浮かべている。
 ――ああ。
 今にして分かる。あのアルカイックスマイルは、きっと――自分を殺してくれる誰かを見つけた喜びの笑みだ
ったんだろう。
 死にたがっていた姉さんは。
 自分で死ねない姉さんは。
 自分を殺してくれる誰かを見つけて――自身の死を確信して、あの笑みを浮かべたのだ。
 姉さんは微笑んでいる。
 姉さんは、僕に向けて微笑んでいる。
 でも、その笑みは――――僕に向けられたものではないのだ。
「今すぐ出て行け、如月更紗」
 小声でそう言って、僕は逆に大声で廊下の向こうへと「神無士乃!」と呼びかけた。
 トン、トン、トン、という足音が止まり、
「はいはい何でしょう~♪」
 という声が聞こえる。お気楽そうなその声に、僕はできるだけ感情を押さえつけて叫ぶ。
 いかにも焦っているように、叫ぶ。
「いいか、絶対に入ってくるなよ! 今着替えてるんだから入ってくるなよ! 扉開けるなよ!」
「ははあ、朝の処理中でしたか」
「どうしてお前はそういうことを平気で言うんだ!」 
 いつもの――いつも通りの、やりとりだ。
 これでとりあえず問題はない。


717 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/13(土) 01:09:04 ID:+bXpdwYt
 ちらりと部屋の中へと視線を戻すと、如月更紗は既に動き出していた。部屋の隅にきちんとハンガーにかけて
あった――いつのまにそんなことをしていたんだ――制服に袖を通し、身嗜みを簡単に整える。その間にもトン、
トン、トン、と近づいてくるが、如月更紗の着替えは早い。早着替えになれているのかもしれない。
 そして如月更紗は着終えると、部屋の片隅にあったトランクケースを手に取った。
 ……トランクケース?
 トランプの、トランクケースだった。赤のクイーンと白のクイーンを両面に模した、そこそこ重量のありそうな
トランクケース。キャリーケース、と呼ぶのかもしれない。長方形のでかい箱に車輪がついた例のアレだ。
 勿論、僕の物ではない。姉さんのものでも、家族のものでもない。つい昨日まで、部屋の片隅にそんなものは置
かれてはいなかった。
 となると、アレは如月更紗の私物ということになる。形はどうあれ、《泊まり》に来たので荷物が多く、全てを
詰めるために必要だったのかもしれない。
 普段からあんな鋏を持ち歩いていることを考えれば――他にもろくでもないものが入っていそうだが。
 最後に如月更紗は、その物騒な鋏を制服の後ろへと隠し仕舞った。後ろの席に座ってる奴でさえ、彼女がそんな
ものを制服の下に隠しているとは思わないだろう。体育の時とかどうしているんだろう。
「それじゃあ、冬継くん」
 如月更紗は別れを惜しむように、寂しさの入り混じった微笑みを浮かべた。その笑みの意味が、今ここを去るせ
いなのか、キスを無理矢理に中断してしまったせいかは――僕には判別がつかない。
 僕はまだ、如月更紗を完全に信用しているわけではないのだから。
 如月更紗が僕に一目惚れしたというのを――信じているわけでは、ないのだから。
 トン、トン、トン、という音がようやく途切れる。それはつまり、神無士乃が二階へと辿り着いたということだ。
ともかく今は神無士乃を引き下がらせ、部屋に入れないようにしなければならない。
 そう思う僕に対し、如月更紗は笑んだまま、
「また学校で会いましょう」
 と言って――二階の窓から、平気で飛び降りた。
 スカートが風でめくれあがるのだけが見えた……というか、あいつ最後まで下履いてないのか。履く時間がおし
かったのかもしれない。そういえば、上も下も下着をつけているようには見えなかったから。
 なんてことを考えたのは、勿論現実逃避だ。目の前で、飛び降り自殺をされたら誰だってそうなる。
「如月更紗!?」
 思わず彼女の名を呼びながら、慌てて窓まで駆け寄ると、芝生に着地し、さらにキャリーケースをうまく使って
塀を乗り越える如月更紗の姿が見えた。平然と、平気で、そのまま立ち去っていく。制服の後ろ姿が、家の影に隠
れて――見えなくなる。
 影も形もなく、如月更紗はいなくなっていた。
 窓から入ってこようと言ったのは、冗談でもなんでもなかったのかもしれない。
「先輩、先輩――!」
 扉の向こうから神無士乃の嬉しそうな声。この声は間違いなく部屋に入ってくる声だ。
 僕は慌ててズボンを脱ぎながら、
「待て着替えてるって言っただろ――!」
 そんな抵抗の振りもむなしく、予想通りに神無士乃は扉を開け放った。躊躇が微塵もない。その顔は喜色満面と
いう言葉に相応しかった。
「あらあら先輩は着替え中でしたか――!」
 トランクス姿の僕を見て、神無士乃は嬉しそうに笑い、その予想通り過ぎる反応に僕は内心で安堵しながらも慌
てたように脱ごうとしたズボンをはいて、

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――あれ、この匂い?」

 予想外に……神無士乃の、笑みが固まった。