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772 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:44:18 ID:jaox4gaa
「血液型占いより、星座占いの方が当てになると思わないか?」
 慣れ親しんだ町にある、慣れ親しんでいない病院に入院してから三日が過ぎた、二月十九日。
 俺の呼び出しに応じて見舞いにやってきた高橋は、病室に入った途端にそう言った。
 今日は平日。もちろん俺の通う高校は平常通りに教育機関としての役目を全うしている。
 高橋が制服を着ているのは、学校帰りだからだろう。
 時間からして、こいつは歩いてきたらしい。
 まあ、学校から病院まで走って来られて、汗だくの顔で病室に飛び込んでくれるよりは嬉しい。
 実は入院生活が退屈だから知り合いが来てくれるだけでも嬉しいのだが、その辺は内緒にする。
 あまりの退屈さに、昨日は本当に病院から抜け出す作戦を立てたぐらいだ。
 病院で過ごす時間は、神経をふやけさせる。
 いい意味でも、悪い意味でも。

 高橋は病室のドアを閉めると、ベッドの近くにあった椅子に足を組んで座った。
「ABO式で分類する、つまり人間のタイプを四つに分けるというのは危険だ。
 しかし、だからこそ覚えるのが簡単で、浸透しやすくもある。
 十二星座を全て言える人間は、四つの血液型を全て言える人間より少ない。
 これが、浸透の度合いについて指す、最もわかりやすい例えだろう」
 十二星座ね。
 みずがめ座、ふたご座、おとめ座、しし座、いて座、てんびん座、
後は、えーと……おひつじ座、かに座、さそり座、あと三つはなんだっけ。
 自分の星座は覚えているが、それ以外となるとうろ覚えだ。
 ちなみに俺はおとめ座である。
 小学生の頃は、男のくせにおとめ座というだけでからかわれた覚えがある。
 ふむ。そう考えると星座占いというものも、いかがなものかと。
 だが、どちらにせよ。
「血液型で絞り込もうが、生まれた月で絞り込もうが、高橋の占いよりは当てになる」
「占いを当てにするのはいい傾向ではない」
「じゃあ、これからは占いなんか信じないことにする。高橋のも」
「君は僕を信じていないのか?」
「……別に、お前の人格について言ったわけじゃないぞ」
 ああ言えばこう言う、この男は。
 感謝はしている。先週、訳あって地下室に閉じこめられ、葉月さんに助け出された後もジャージを貸してくれたし。
「そうそう、ジャージ、ありがとうな」
「なに、気にすることはない。友人として当然のことだ。
 それに…………」
「それに、なんだ?」

773 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:45:24 ID:jaox4gaa
 病室の入り口を振り返り、さらに窓の向こうの空にまで目を向ける高橋。
 何かを警戒しているようであるが、病院で何事が起こると心配しているのか。
 チェックするように指先を入り口、窓、天井に向けた後、高橋は俺に向き直った。
「それに、君にジャージを貸すつもりなど、僕には無かった。自分から貸そうと思ったわけじゃない。
 あの日、君がいつもより少し緊張感に包まれた顔で放課後の学校を歩き回っていたのは知っている。
 が、その後で何者かにさらわれたとまではさすがに知らなかった。
 無断欠席した時点で、何かがおかしいとは思っていたけど」
「普通は、そんなもんだろ。気付く方がすごい」
「うむ。葉月さんはすごい。君が登校していないか、僕に真っ先に聞いてきた。
 あれは、アレだな。つまり、ああいうことだ」
「あれアレ言うな。お前は説明をめんどくさがるお父さんか」
「口にせずとも察してもらいたいのだがな。葉月さんが君のことを想っているから、君の異常に気付けたということ」
「分かってるよ、その辺のことは」
 葉月さんは俺を好きなままで居るんだって、この間の土曜日に思い知らされたから。
 俺が澄子ちゃんを話題に出した後の変貌振り。
 弟に渡されたチョコを、澄子ちゃんからの贈り物だと誤解して怒ったこと。
 葉月さんが、自分を名前で呼ぶように求めてきたこと。
 全ておいて、澄子ちゃんを意識していた。対抗していた。
 では、対抗心はどこから生まれたのか。
 葉月さんが俺に寄せる好意からだ。
 自意識過剰だと以前の俺なら考えるだろうが、今の俺ならば、そう断言できる。
「葉月さんと、何かがあったらしいな、その様子だと」
「……さすがに、それぐらいは見て取れるか」
「まあね。けれど、僕は何も言わないことにする。
 僕は他人の恋に口を出すほど馬鹿でも、向こう見ずなわけでもないから。
 それに、そんな余裕もないし。できるのはちょっとした助言ぐらいだ」
「そうかい。そうしてくれると助かるよ」
 俺だって、高橋の恋に口を出す余力はないから、似たようなものだ。
 というか、頑張れとしか言いようがないのだが。
 高校二年生と三十路の教師、この二人をどうやればくっつけられる。
 せめて篤子女史が只者であればやりようもあるだろうに。

774 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:47:06 ID:jaox4gaa
「僕がジャージを貸すことになったのは、葉月さんに頼まれたからなんだ。
 なんでも君の制服がひどく汚れているらしいから、替えとして同じぐらいの体格の男子の服が必要だったそうだ。
 それで、偶然ジャージを持っていた僕が貸すことになったのさ」
「ふうん。別に普通じゃん。
 ……なのに、なんでお前はそこまで警戒してるんだ」
 だんだん椅子ごとベッドに近づいてきているし。
 今じゃほとんど耳打ち状態だ。
「葉月さんに聞かれたら、困るからだよ」
「よりわからなくなったぞ。聞かれて困るような話だったか、今の」
「会話の内容ではなくて、今回の件についての僕の受け止め方を、だよ。
 どうも、葉月さんは君がいろんな目に遭ったことを嘆いているらしくてね。
 しかし、それだけならいい。そこで止まっていてくれれば。
 ……彼女は、自分を責めている。同時に、周りの人間に対しても不満を抱いている。
 どうして、君を助けられなかったのか。なぜ、誰も君を助けようとしなかったのか」
「それ、本当か」
 高橋は首肯する。
「たしかに、君が無断欠席した時点で僕も動いていれば、
 君はここで、プラモデル作りに限って発揮される技巧の詰まった右腕をギプスで固定していることはなかったかもしれない」
「だからって……」
「だからと言って、そのことを責められてもね…………僕には、謝ることもできない。君にも、葉月さんにも。
 今回の件に関して、僕は自分に非がないと思っているから」
「実際、非がないしな」
 悪いことをしたのは澄子ちゃんだ。
 直接動機を聞いても、彼女の言っていることはわがままにしか思えない。
 花火の気が動転したのも、原因を突き詰めていけば弟が誘拐された事に帰結する。

「しかし君は、どうして普段通りののっぺりとした表情のままなんだろうか」
「……常にのっぺりしているお前にだけは言われたくないと言い返したい俺は、おかしいのだろうか」
「事件から数日が経ってもまだ顔の腫れは完全に引かず、腕も当分の間使い物にならなくさせられたというのに。
 なぜ、不満の一つも漏らさない? もちろん聞きたい訳ではないが」
 さりげなく浅くけなすなよ。そして、スルーするなよ。
 むしろお前の反応に不満を覚えるわ。
「ちょっと前までは苛立ってたけど、三日も経てば、さすがに怒りも収まるさ。
 ここにいたら、自分と向き合う時間だけはたっぷりあるから。
 やりたいこともやれないと、退屈でな」
「君がそう言うのならそれでいいが…………もし、怪我をしたのは自分の責任だと思いこんでいるなら、即、改めた方がいい。
 変に自分を納得させると、また同じような事が起こった時、躊躇いなくそこへ飛び込み、自分の身を危険にさらしてしまう」
「…………色々言えない事情があるんだよ、こっちには」
「そうか、言いたくないならそれでいいさ。
 ただ、僕の忠告は覚えておいてもらいたいな。君が入院してから、葉月さんの調子が思わしくなくてね。
 元気ではあるんだが、時々寂しそうにため息を吐いたりする。あまり彼女を悲しませるんじゃないぞ」
「努力は、してみる」
 妹にまた助けを求められて、まだ覚えていられるかはわからないが。

775 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:48:43 ID:jaox4gaa
 高橋が言うには、月曜と火曜の間に学校では特に何事も起こらなかったらしい。
 俺一人が入院したぐらいで何か変化が起こるなんてことはない。そんなのは当たり前だ。

 学校以外の、うちの家族に関わる問題は一応の解決を見た。
 花火は俺に宣言したとおりに、弟を連れ戻すことに成功していた。
 弟の体に怪我の類は無く、日曜日だけ自宅で過ごして、月曜日には俺の見舞いにやってきた。
 つまりそれが昨日のことなのだが、弟は疲れた様子を見せることはなかった。
 驚いたのは、花火まで病室にやってきたこと。
 一言も漏らすことなく帰って行ったのは、俺の見舞いを目的としていたのではないから。
 単に弟の身が心配で、弟について行ったら仕方なく病院に来てしまったというところだろう。
 何度か花火の顔を見たが、花火はまるで右頬の傷を隠すように窓の方を向いていて、一度も目を合わせなかった。
 俺の有様を見て何も言わないのは、実にあいつらしいと言える。
 花火に謝って欲しくない俺にとっては、ありがたいことだった。
 
 しかし、弟が家に帰ってきたことを知って、一つの気がかりが心に浮上した。
 澄子ちゃんがどうなったのか。
 花火が弟を連れ戻したということは、もちろん澄子ちゃんとやりとりをしたはず。
 結果として、澄子ちゃんの手から弟は解放されたわけだが、如何なる手段を用いてそれを果たしたのか。
 花火は何も言ってくれなかった。弟も聞き出せなかったらしい。
 まず、澄子ちゃんが無事なのか心配になる。
 花火の性格から考えて、問答無用で実力行使に踏み切った可能性が一番高い。
 高橋に澄子ちゃんの安否を聞いたところで、答えは返ってこないだろう。
 葉月さんにはもちろん聞けない。豹変されるのが怖くて、葉月さんの前では口にしたくない。
 やはり俺が登校してから、直接確認するしかない。
 もっとも、澄子ちゃんのクラスメイトに聞いても、期待していた類の答えが聞けるとも思えない。
 クラスメイトの一人が無断欠席して、そのことについて追求する人間がいるかどうか。
 葉月さんが俺を捜したみたいに、澄子ちゃんを心配している友達がいるのか。
 去年の文化祭で弟と澄子ちゃんのクラスメイトとは顔見知りだが、あの時考えていたのは衣装のことだけで、
交友関係の把握とか、後輩と親睦を深めたりなんてしなかった。
 ともかく、木曜日が退院日でそれまで学校には行けないから、今度の金曜日だ。
 金曜日に調べよう。
 それまでは退屈と向き合うしかない。
 …………予定がない、やりたいことができないって、かなり辛い。

776 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:49:57 ID:jaox4gaa
「じゃあ、僕はそろそろお暇するよ」
「なぬ? もうちょっとゆっくりしていってくれてもいいんじゃないか」
「……このシチュエーションで、その台詞。
 君が、か弱くて葉月さんのように麗しい女の子だったならば、僕だってもう少し考えたかもしれない」
「ち……この薄情者め」
 そりゃ、俺が入院している女の子の見舞いに行ったときに「もう少しゆっくりしていって」と言われたら、喜んで居座るだろう。
 好きな相手であろうとなかろうと、気弱になっている可愛い女子の要求に応えたくなるのは男の性だ。
 しかし、男に同じ台詞を言われても嬉しくない。そこには同意する。
 この場合、暇だからと言って男に頼った俺が馬鹿だな。
「しょうがない、あと少しだけ話に付き合ってあげよう。
 肘の関節を脱臼したらしいが、どれぐらいで回復する予定なんだ?」
「だいたい、四週間から六週間だと。ある程度動かしてもよくなったら、リハビリすることになってる」
「ということは、その間はずっと入院か?」
「いや、痛みも引いてきたし、木曜日には退院するよ。で、ギプスしたまま学校に行く」
「難儀だな。利き腕を使えない状態ではノートもとれないのに。
 いっそのこと、ずっと入院していたらどうだ? 今日から新学期まで春休み気分が味わえるぞ」
「入院してるより、学校に行ってる方が楽しいよ。お前も入院してみたらわかる」
「残念。僕は一生涯怪我や病気をしない、医者にかからないことを人生の目標の一つに掲げているからね」
 そう言うと、高橋は立ち上がった。
 借りていたジャージをバッグに入れ、病室の出口へ歩いていく。
 ドアを半分ほど開いて廊下側に出て、高橋は振り向いた。
「では、金曜日に」
 レールを転がる音も、壁を叩く音もなく、ドアは閉まった。

777 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:51:39 ID:jaox4gaa
 一人になり、弟が持ってきてくれた漫画を読んでいるとトイレに行きたくなった。だから俺はトイレに行く。
 トイレに行くぐらいのことに理由なんか必要ないが、することがないと自分で自分の行動する理由を、
こじつけでもなんでもいいから浮かべたくなってくる。
 入院期間が短くて良かった。
 一ヶ月間も周りが白く、他人の居る空気が濃いのに生活感の薄い場所に居たらどうにかなりそうだ。
 型にはまり過ぎているとでも言えばいいのだろうか。
 病院の外側が部品数の多いプラモとするなら、病院の内側は組み立ての楽なプラモだ。
 見ているだけで部品の処理に頭を抱えたくなるものと、そうでないもの。
 手を加えやすいもの、手を加えにくいもの。
 俺が好むのは、成形色がひとつかふたつしかなくて、パーツが細かく分割されているスケールモデルだ。
 簡単なプラモは、すぐに作り終えてしまうから面白くない。
 病院の外は何が起こるか予測できても的中するとは限らない、いわばカオス。
 対して、病院は怪我を回復させることに努める単調な場所。
 プラモデルと病院での生活。
 ちょっとだけ似ていると思うのは、俺だけなのだろうか。
 というか、結びつけようとするやつは俺ぐらいしかいない。

 病院の中で何かの楽しみを見つければ、ちょっとは退屈も紛れるだろう。
 しかし、俺はあと二日間しかこの病院にいない。
 例えば、美人の看護師さんと仲良くなってもすぐにお別れしなければいけない。
 この病院の看護師に好みの人は居ないけど。
 葉月さんの方がずっと美人だし。
 ――あ、そういえば。
 葉月さん、今日はまだ来てないな。
 まあ、毎日は来ないか。
 来てくれるのはありがたいけど、また昨日みたいなことになったらちと困る。
 面会時間が終了しても居座ろうとする葉月さんと、若い看護師さんのやりとりはなんとも要領を得ないものだった。
 剣呑な顔つきの葉月さんは、手助けに来た先輩看護師三人を相手にしても譲る気配を見せなかった。
 結局俺が説得して、どうにかお帰りいただけた。
 今日来ないのは、昨日のことで病院が嫌いになったからかも。
 でも、それはそれでありがたく思えてくる。
 いろいろと気を遣ってくれる葉月さんに、俺はまだ言っていない。
 告白の返事。葉月さんの気持ちに対する俺の答え。
 病院で話を切り出してもいいか、やめておいた方がいいのか、頭の片隅で考え続けなくて済む。 
 来てくれても、来てくれなくてもありがたい。
 ただし、ポジティブな感謝か、ネガティブな感謝かの違いはある。

「……何様、というか、なんなんだろうね、俺は」
 なにやってんだろ。
 時々、どうして入院しているのか、どうして肘を固定しているのか、理由をぱっと浮かべられなくなる。
 最近は混乱しっぱなしだ。
 やらなければならないことを先送りにして、目の前の問題に対処し続けている。
 今のままじゃいけない、葉月さんに誠意を見せなければいけない、そう思ってもなかなかチャンスがない。
 加えて、先日の澄子ちゃんによる弟誘拐事件。
 澄子ちゃんがどうなったのか気になる。
 土曜日から一度も会っていない妹の様子も気がかりだ。
 金曜日から問題を片づけ始めよう、なんて考えていると、それまでの間にまた何か起こりそう。
 杞憂に終わって欲しい。
 せめて、尾を引きそうな問題だけは起こらないでもらいたい。

778 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:53:10 ID:jaox4gaa
 慣れない動きで用を足し終え、病室へと足を向ける。
 途中、すれ違う白衣を着た人間や入院患者、それ以外の人間に会釈をする。
 忙しそうにしているのは見舞いに来た人たちだった。
 世話をするためによく動いているけど、落ち着かないから忙しい演技をしているようにも見えた。
 病院関係者は誰もが平静な顔で、コツコツという靴音を立てて歩いていく。
 彼ら彼女らの一定のリズムは乱れない。
 きっとそれは、この町の病院で働く人特有のペースなんだろう。
 忙しいときもあれば、忙しくないときもある。
 たまたま今の時間が穏やかなだけだ。
 病院と言えばドラマみたいに常に忙しそうなイメージがあるけど、中にはそうでない場所があったっておかしくない。
 たまたま、この町の病院がドラマチックじゃなかっただけだ。
 そして俺は、テレビドラマのようなことが身近で起こっているというのがあまり嬉しくない。
 ドラマなんて、見方を変えてしまえばどろどろしたものでしかない。
 カメラアングルと演出の妙で綺麗に見えているだけだ。
 そこから漏れた人間がどうしているのかなんて、わかりはしない。
 例えば、カメラの当たっている場所で、兄弟の一人が同級生の女の子にさらわれて十八禁的なことをされている間に、
裏の舞台にいる残された長男が怪我をしたりとか。
 バイオレンスな出来事は裏でこそ起こりうるものなのだ。

 なんてことを考えているうちに、自分が世話になっている病室が見えてきた。
 同時に、かつてない光景が目に飛び込んできた。
 澄子ちゃんや妹よりもずっと小さい、小学生ぐらいの女の子が、病室のドアに張り付いている。
 小さな不審人物に気づかれぬよう、足音を忍ばせて近づき、背後に立つ。
 女の子は、ドアを数センチだけ開き、そこから中を覗いている。
 しばらくその状態を続けた後、今度は首だけを部屋に突っ込んだ。
 体隠して頭隠さず。そんなことをしたら、ベッドに寝ている俺でもさすがに気づく。
 ふむ――――この子は誰だ?
 病室には二人まで入れるようになっているが、表札に入っている名前は俺だけ。
 相部屋している人間はいない。
 とすると、俺の見舞いに来た親戚の子供だということになる。
 なるのだが、親戚が見舞いに来るなんてことは聞いてないし、正月でさえ実家に訪れない親戚が来るとも思えない。
 それに、これぐらいの大きさの子供が親戚に居ただろうか?
 もしかして、両親が隠れて育てている子供?
 ……それはない。世間に隠す必要があるという意味では俺と弟と妹も同じ。あえて隠す意味がない。
 部屋を間違えているんだろう、きっと。

779 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:55:33 ID:jaox4gaa
「ねえ、君」
「ふひっ!」
 と叫び、その弾みで開いたドアに嫌われ、女の子は前のめりに倒れた。べちゃっという感じで。
 あれ、声のかけ方を何か間違えてしまったのか? 別に普通だったと思うのだが。
「あ…………」
 いかん。女の子がスカートを穿いていたから、こけた時にめくれ上がってしまった。
 スカート全体ではない。後ろだけがめくれ、太腿と股上十センチが見えているだけだ。
 しかし絶妙すぎる。チラリズムと言える領域から逸脱することなく、しかし確実に白とグレーのストライプの中身が見えている。
 くっついた左右の太腿とストライプのそれの間に、小さな細長い三角の隙間ができていた。円錐を横から見たような形をしている。
 幼い外見の割に太腿の形が良い。緩やかな曲線が膝へ続いている。
 極めつけが、右膝だけを曲げてこけたこと。
 静止画であれば、膝が曲がっているかいないかで大きな差が出る。
 足が真っ直ぐならただ寝ているだけ、片方の膝だけ曲がっていればアクシデント、両膝が曲がっていればわざとらしい。
 そう、片方だけというのが肝要なのだ。
 それは意図してやったものではないだろう。完全に偶然の産物だ。
 だけど、だからこそ価値がある。
 この子が大きくなってから同じ事をやっても、これほど可愛らしくはなるまい。
 実年齢が低いころ、もしくは澄子ちゃんみたいに思春期でありながら幼く見える子にだけ許されている。
 そして、そんなレアな光景を俺は見てしまった。
 いや、すぐに目を逸らしたから、ちらっと見ただけだ。じっくり観察していたわけではない。
 網膜に残像が残るのが悪い。体の機能が万全に働いた証拠であって、むしろ喜ぶべきことなのだ。
 真の小児性愛者であれば、目を剥いてじっくり見ているはず。
 俺が咄嗟に目を逸らすという反応をしたのは、正常だという証拠なのだ。
 だから、すぐに優しく気遣いの言葉をかけることもできる。

「だ、大丈夫?」
「うう…………鼻、痛い」
 女の子は鼻を押さえながら立ち上がった。涙目で俺を睨んでくる。
 女の子の柔らかそうな髪は、左右両方の耳の後ろでリボンでまとめられている。
 染めているのかどうかはわからないが、髪の色は茶色。
 小さい顔に、くりくりの瞳。どう見ても小学生。
 大きくなってもこの容姿のままで居て欲しい、なんてことを思った。
 いや正確には、無垢なままで育って欲しいという期待だった。
 実際には経験を積んでいくうちに変わっていってしまう。
 だけど、望まずにはいられない。
 ランドセルを背負っている十歳ぐらいの子を見ていると、俺はそんな期待をしてしまう。
 まっすぐに自分の感情をぶつけてくる瞳を、他の誰よりも間近で見ていると、特に。
「何か用ですか…………じゃなくて、何か用?」
「いや、それ、俺の台詞」
 それに、なぜ敬語を言った後で言い直したんだ。
 普通、敬語にして言い直すだろう。
「いきなり後ろから声をかけて驚かせておいて、ごめんの一言もなし?」
「ああ、ごめんごめん」
「誠意が感じられない。ごめんなさい悪かったです許してください、ぐらい大きくなったら言うものじゃないの?」
「……言わねえよ」
 まずい。口調が高橋相手のモードになってきてる。
 落ち着くんだ。気を取り直して。
「あのね、君。俺は怒らないけど、年上の人と話す時は敬語を使った方が、ぐっと印象が良くなるから、気を遣った方がいいよ」
「ボク、目上の人には敬語を使うけど、対等の相手ならタメ口で話すことにしてる」
「……ってことは、何か。俺は君みたいな小学生と同レベルだと、言いたいわけか」
「むしろボク以下だね。女の子のパンツを見て喜ぶのは小学二年生レベルだもん」
 な? 気付いていたのか……?!
 ――――いや違うそうじゃない。俺は喜んでない、断じて。
 散歩中、猫の親子が道ばたでくつろいでいるのを見た時みたいに和んだだけだ。
 一切興奮なんかしていない。
 誤解は解かなければ。この年になって、小学生に馬鹿にされたままでは居られん!

780 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:56:58 ID:jaox4gaa
「まだ子供にはわからないんだろうね」
「何が? 年下の可愛らしい女の子を好きになる変態の気持ち?」
「いいか。男っていう生き物はな、マンネリを嫌うんだ。その性質は大きくなるにつれて強くなる」
「だから、同年代の女よりもボクぐらいの子を好きになるの?」
「そうじゃない。成熟した男は、真の男は……………………下着などでは興奮しない!」
 唖然とした顔を浮かべる女の子。
 きっと、今まで知らなかった大人の世界を知って驚いているのだ。
「自分を律することができる男は、性的なものから見たりしない。
 社会的な立場を守り、同時に自らの欲求を満たすために、ひたすら我慢する。
 むやみに下着を見たがるのは、無謀の証。
 まず相手が自分にとってどんな相手かを知り、そして――――――――」
 あれ? 女の子がだんだん俺から遠ざかっていく。
 一歩踏み出す。と、女の子まで一歩後退する。
 試しに、俺の方が一歩下がってみる。しかし、女の子は動かない。
 女の子と俺の体が見えない金具で固定されているわけではないらしい。
 後退はするが、前進はしない。
 それって…………避けられてるってこと?
「ど、どうした?」
「いやっ、ち……近づかないで、…………変態」
「っな! また変態と言いやがったな?」
「だってそうじゃないか! 下着でも興奮しないってことは、相手を見ているだけで興奮するって意味でしょ?」
「違う、それは誤解だ! 中にはそんな奴もいるかもだが、少なくとも俺は違う!」
「そんなこと言って、今もいやらしい妄想でボクを弄んでいるんでしょ!」
「思い上がるな! ちびっ子には十年早い!」
「じゅ、十年? 十年って言うと、ボクが今九つだから…………十九?
 う、嘘だ! ボクはそんなに年増にはならないもん!
 女はいつまでも十七のままだって、お母さんが言ってたもん!」
 十九で年増って。
 この病院の看護師のみなさんが聞いたら激怒するぞ。
 というか、お母さん。
 子供に間違った認識を植え付けないでくださいよ。
「人は大きくなっていくものなんだよ。ちびっ子だっていつかはそうなる」
「ちびっ子って言うな! ボクは玲子だ!」
「それが名前か。じゃあ、玲子だから…………玲っ子と呼ぶことにしよう」
「なんだよ、その上擦って間違って言っちゃったみたいなあだ名! ちびっ子とくっつけるんじゃない!」
「じゃあ、似た漢字をあてがって…………冷やっ子なんかどうだ?」
「どうしてそうなるんだよ!」
「玲と冷。かなり似た漢字だと思うけどな。お気に召さないか?」
「召すもんか! 同じクラスの東並みのセンスだよ! お前なんか今日から東って呼んでやる!
 ボクを変なあだ名で呼ぶやつは全員、東だ! 東東東、あずまあずまあずま!」
 ほう、やるな、東君とやら。
 相手の名前の部品を使いながら、元の名前のイメージを覆すようなあだ名を付けるなんて。
 しかし、この子も面白い。
 あだ名で呼ばれただけでここまで取り乱すなんて、いかにも小学生らしい。
 まあ、そろそろ弄るのはやめにしようか。
 騒ぎすぎると周りに迷惑だ。もう手遅れっぽいけど。

782 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/07/06(日) 19:59:06 ID:jaox4gaa
「ところで、玲子ちゃん」
「なに、東」
 せっかく名前を呼んだのに、君は俺のことを東って呼ぶんだね。
 止めやしないけどさ。
「どうしてこの病室に来たんだ? 入り口に名前が書いてあったろ?」
「ちゃんと見たよ。別に間違ったわけじゃない。ちょっと、確認したいものがあって、しょうがなくだよ」
「ふうん? 代わり映えのない病室だと思うけど」
 窓から見えるのは中庭だけ。小学生ぐらいの大人しそうな男の子が木陰で読書していたりはしない。
 病室の造りは言わずもがなだし、持ち込まれた私物も代わり映えのないものばかり。
「そういうのじゃなくて、もしかしたらなんだけど…………ねえ、東」
「なんだい、冷やっ子ちゃん」
「ここに、ボクぐらいの子供がいそうな男の人、来なかった?」
 来ていない。
 入院してから見舞いにやってきた男は、弟と高橋だけだ。
 どちらもまだ高校生だから、九歳の子供を持つには早すぎる。
 身辺で唯一条件に当てはまりそうな父は、海外に出張中。玲子ちゃんが見ているはずがない。
 だけど、即答することはできなかった。
 玲子ちゃんの期待を込めた眼差しが、俺を射貫いている。
 答えるまで待っていそうな雰囲気なので、探るように慎重に話しかける。
「いつ見たんだ? 何日前?」
「昨日。この部屋から出て行くのを見たんだ。
 すれ違ったときは気付かなかった。気付いた時には、もうどっかに行ってた」
 昨日は弟が見舞いに来た日だ。
 じゃあ、弟と勘違いしたということか?
「悪いけど、たぶん別人だよ。昨日見舞いに来た男は俺の弟。
 結婚もしていないし、子供ができたっていう話も聞かされてない」
「本当に? 他の人っていうことはないの?」
「うん」
「本当にホント?」
「悪いけど、本当なんだよ」
「そう…………だよね。やっぱり、ボクの勘違い、だよね……………………」
 玲子ちゃんは肩を落として俯くと、俺の右側を通り過ぎていく。
 肩を掴んで止めようとして、右腕がギプスで固定されている事実に気付いた時には、玲子ちゃんはもう廊下に出ていた。
「バイバイ、あず――――地味な名前のお兄ちゃん。
 同じ名字の人に会えて、ちょっと楽しくて浮かれちゃった。悪口言っちゃって、ごめんなさい」
 ドアが閉まって、視界から玲子ちゃんの姿が消える。

 奇妙な出会いだった。
 父親を探して俺の病室にやってきた女の子は、俺の退屈を紛らわしてくれた。
 数日の入院期間も、あの子と楽しく過ごせるならもう少し延びてくれてもいいような気がした。
 でも、もうあの子は俺の前に姿を現わさない。
 玲子ちゃんは父親を求めている。聞いた訳でもないのに、確信を持ってそう言える。
 そうじゃなきゃ、見知らぬ男子高校生と話なんかしないから。

 もしも、俺があの子の父親だったのなら。
 朝に目が覚めたら、一日の輪郭を真っ先に捉え、生き生きしてやるべきことをこなすだろう。
 目標を持ち、子供に優しくして、何も告げずに行方不明になったりしないだろう。

 そんなことをベッドに身を預けながら考えていると、眠くなってきた。
 だから、俺は寝る。
 理由もなく眠くなって、眠りたい時に横になれるのは幸せだと、入院してから初めて思った。
 昨日までは何かのことを考えていないと眠れなかった。
 だけど、今日は逆で、何も考えなければ眠ることができそうだった。
 そんな当たり前の感覚を思い出すのは、かれこれ三日ぶりだった。