372 :上書き6話前編 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/19(月) 18:16:35 ID:hQq+AdIr
「加奈ッ!ごめんな、弁当の事すっかり忘れてたよ」
 さっきまで島村の命令の為に下ろしていた腰を起き上がらせ、足早に加奈の元へ歩み寄る。
 加奈の小さな両肩を掴み、大袈裟に且つ不自然にならないような笑顔を作る。
 加奈に見られたのかは分からないが、どっちにしたってする行動は決まっている。
 今はとにかくこの状況で一番納得のいく言い訳を考えるんだ…って、今日の俺は言い訳しようとし過ぎだな。
 自分に呆れつつ、思考回路を全て最適な言い訳のために整備する。
 とりあえずこの言い訳を考えるのは島村の時よりは遥かに簡単だ…そんな油断が俺から物事を客観視する為の冷静さを奪った。
「ちょっとこの腕の治療しようとして、偶然ここにいた島村に頼んだんだよ。な、島村!?」
 俺は絶対世界一の馬鹿だ…というより、状況判断能力が致命的に欠落してるのだと思う。
 よりによって島村に一切口裏も合わせず嘘の共有を求めるなんて…。
 島村は恐らく俺と加奈が付き合っている事を知らない、だから―知っていても島村ならどうかは分からないが―わざわざ辻妻を合わせるような発言はしてくれない。
 きっと「何言ってるんです?」とか言って普通に返される。
 只でさえマズイのに、嘘までついたなんて事になったら状況は悪化する一方だ。
 今すぐにでも加奈を連れて逃げたい…しかしそれはいらぬ心配だった。
「はい、その通りですよ」
 一瞬耳を疑った。
 加奈に笑顔を向けている島村。
 予想と真逆の解答、島村には俺の嘘に付き合う理由はないのに何でだ…と考えた瞬間すぐに答えは出た。
 簡単な事だった、要は島村は勘違いされたくないだけだ…俺と危ない関係にあるんではないかと噂されるのを嫌ったんだ。
 そう考えれば初対面の加奈への対応としては一番自然だ。
 心の中で島村に感謝しつつ、加奈の表情を伺おうとする。
 でも、加奈はうつ向いたまま顔を上げないから、表情が読めない。
「加奈…?」
「…そう…なんだ………」
 加奈が絞りだしたような声を出す。
 微妙にかすれていたようにも聞こえたが、今はそんな事は気にしない。
 それ以上言及しない事から、どうやら島村としていた事は見られていないようだ。
 心の底からホッとしつつ、両肩を掴んでいた腕で加奈の体をクルリと反転させる。
「そんじゃ飯食おうな」
 加奈を納得させられたのなら、急いでこの場から逃げ去るのが得策だろう。
 加奈の背中を後押ししながら後ろを振り向くと、島村が物言いたそうな感じで俺を見つめていた。
 その表情は加奈へと向けていた自然且つ張り付けた笑顔ではなく、俺を見下ろす優越感溢れるものだった。
 そんな顔に気味悪さを感じ、顔を戻そうとした瞬間、島村の口が大袈裟に、それこそ”あいうえおの歌”のように大きく動いた。
 読唇術の心得なんかない俺でも何を言っているのかはっきり分かった。
『か・し・で・す・よ』
 「貸しですよ」か…どうやら俺は大きな勘違いをしていたらしい。
 島村が俺の口裏を合わせてくれたのは、只単に俺で遊ぶ口実を増やす為に過ぎなかったようだ。
 …ん?
 でもそうなると、島村は俺と加奈が付き合ってる事を知ってる事になる…何でだ?
 誰にも話してないはずなのに…ってよくよく考えりゃ島村と俺は同じクラスだ。
 確かに加奈とはいつも程学校内では親しくしてないが、たまに弁当食いに来たりしてたんだ、それを見て彼女だって判断したんだろう。
 でも、普通特に話さないクラスメートの事なんか見てるか………なんて風に考えたが疲れたので頭を休める。
 正直どうでもいい、今は加奈の事で頭がいっぱいなんだから、そっちに意識を集中しなければ…。
 俺は島村をちっぽけな抵抗として軽く睨みつけつつ、加奈と一緒に保健室から出ていった。

『クチュァア』
「ハァ…誠人くんの…味がする…」



373 :上書き6話前編 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/19(月) 18:17:16 ID:hQq+AdIr

「そんで歴史の日野の奴が大ボケかまして教室内がかなりシラケたんだよ!」
「………」
 いつも通りの加奈との帰り道、陽が名残惜しそうに地平線の彼方へと消え入りそうになる中、俺は一人空回りした芸人のように喋り続けている。
 あの時からずっとこの調子だ。
 一緒に昼飯を食った時も俺の一方通行な会話がうるさく教室に響いただけだ。
 何か質問を投げ掛けても無反応、頷きもしない。
 5時間目には何度かメールしてみたが返信はなかった。
 なのに何となく気まずく今日は一人で帰ろうと思っていると、教室のドアの端に地縛霊のように佇んでいた。
 無言でこちらを見つめ続ける加奈を避ける事は出来ず、結局いつも通り2人で帰っているという訳だ。
 島村との事を見られてはいないはずなのに、何でこうも沈黙を守るのだろう…?
 確かに島村と一緒にいたという事実は認めたが、加奈は今まで俺が別の女の子と一緒にいても別段普通だった。
いつも通りに俺に笑顔を向けてくれていた。
 なのに何で今日に限って…?
 分からない…頭の中のありとあらゆる経験を総動員して考えるが、全く分からない…。 何か加奈を怒らせるような事したか…いや、それ以前に加奈は怒っているのか?
 俺は加奈が怒っている時を知らない…加奈を怒らせた事なんて一度もないから。
 俺の傷を”上書き”する時は、怒っているというよりは一心不乱に何かに取り憑かれたような感じだ………そこまで考えてようやく理解した。
 何で気付かなかったんだ…こんなに身近な事に。
 多分加奈を無意識の内に軽視していたからだと思う…何で俺が肉体的に傷付いた時だけが”発動条件”のように決めつけてたんだ…?
 相変わらずうつ向き続ける加奈の様子を凝視して感じた、今の加奈の様子は俺の傷を”上書き”する時の感じに酷似している。
 もう訳が分からない…様々な事が全く噛み合わない気がした…。
 しかし、歯車を噛み合わせる為のキーワードは、俺にとっては意外なところにあった。
「ハハ…そうだよね…」
 突然加奈が小さく呟く。
 思わず体まで驚きで反応してしまう中、加奈は一瞬半分生気を取り戻したような顔をして俺を見上げる。
 すぐにまたうつ向き、小さく小さく、それでも俺に訴えかけるように言った。
「ごめんね…」
「…え?」
「あっ、何でもないの。気にしないで」
 笑顔で手を振ってくる加奈。
 その表情には無理した様子は見受けられない…そのはずなのに、妙な違和感がある。
 いつもの笑顔でもない、狂気に満ちた笑顔でもない…様々な感情をごちゃ混ぜにしたような、複雑そうな顔…。
 こんな加奈の顔、俺は初めて見た。
 加奈の考えが今の俺には欠片も読めない…。
 自分に失望している最中、加奈は神妙な面持ち―笑顔は崩していない―でこちらを見てくる。
 そして………
「ねぇ、誠人くん?」
「何だ?」
「今日のお昼休み、保健室で何をしてたの…?」
 俺は決定的な言葉を突きつけられた。

――――――――――――――――――――

(誠人くん…どういう事?)



374 :上書き6話前編 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/19(月) 18:18:18 ID:hQq+AdIr
 本当ならお昼休みに誠人くんと一緒にお弁当を食べるはずだった。
 あんなに楽しみにしていたのに、誠人くんの腕の傷を見てまた動揺してしまった…。
 また誠人くんを傷付けてしまった。
 誠人くんは悪くないのに、あたしが我慢強くないから…耐えられないから。
 本当に申し訳ない…普通ならこんなあたし誰も好きになんかなってくれないのに、誠人くんは違う。
 あたしの事全部受け止めてくれる、あたしの気持ちを理解してくれている…はずだ。
 誠人くんを世界で一番愛しているのはあたし、他の誰でもない、あたしだ。
 誠人くんもあたしの事を愛してくれている…だから二人が結ばれるのは至極当然の事のはずだ。
 さぁ今日も当たり前のように誠人くんとお弁当を食べるんだ。
 中々戻ってこない事が心配になった、もしかしたら一人で包帯を巻けてないんじゃないか。
 そんな思いを胸に、あたしは誠人くんがいるであろう保健室へと向かった。
 困ってる誠人くんの顔を見るのも悪くない。
 消毒液で思いっ切り悪戯してやるんだ、それで拗ねた誠人くんにあたしが自分の弁当をお裾分けして謝る、それで元気になった誠人くんと笑顔で食事、そんな光景になるはずだった。
 なのに…

(その女誰?)

 一瞬誠人くんがその女の指を…まさかね、誠人くんがあたし以外の人にそんな事する訳がない。
 動揺して見間違えたのだろう…そう信じ瞬きしてから再び視線を誠人くんに向ける…これで悪い夢は醒めるはずだった。
 でもあたしが見たのは…

(…涎?)

 誠人くんの口元に妖しく光る液体、その終着点を辿ってあたしは愕然とした。
 誠人くんを床に座らせて自分はベッドの上で寛いでいる女の人差し指に、それは確かに繋がっていた。
 状況が理解出来ない…というよりしたくない。
 それなのにあたしの思考は次々と残酷なビジョンを映し出す。
 誠人くんの口元とあの女の指を繋ぐ涎…これから想像為うる展開は只一つ。

(誠人くんが…!まさか、そんな…)

 目の前が暗転する。
 深い絶望の落とし穴に嵌っていく…誠人くん、手を差し述べて…。

「ちょっとこの腕の治療しようとして、偶然ここにいた島村に頼んだんだよ。な、島村!?」

 追い討ちの一言…誠人くん何言ってるの?
 何で本当の事隠そうとするの?
 隠そうとしてるようだけどあたしには分かる、どうしてそんな慌ててるの?
 やましい事がなければこんなに必死になる必要ないのに…何でなの?



375 :上書き6話前編 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/19(月) 18:20:31 ID:hQq+AdIr
 その後、あたしはひたすら自問した。
 誠人くんがあたしに隠し事をする理由…最も正当な理由を。
 でもあたしなんかじゃその答えは導き出せない。
 難し過ぎる問題だよ…助けて、誠人くん!

 それでも誠人くんと一緒に帰る事は忘れない、体にしっかり刷りこまれている”やるべき事”の一つだから。
 その間も考え続けた、必死に探す…。
 その問題の難度さに、途中”誠人くんがあの女と…”と最悪な想像をして逃げ出そうともした。
 しかし、それは一番やってはいけない事…誠人くんを信じなくなったら、全てが終わる。
 誠人くんがあたしを裏切る訳がない…そうよ!
 やっと分かった!
 この出口の見えない迷路からの脱出方法を。
 誠人くんに聞けば良かったんだ…問題への解答を諦めなければ誠人くんはあたしに微笑んでくれる。
 あたしの誠人くんへの愛の度合いを図る試練だったんだ、これは!
 理解してしまえば簡単だった…そこまでの過程で、一瞬でも誠人くんを疑ってしまった事を悔いて自分を呪った。

「ごめんね…」

 精一杯の想いで謝った後、誠人くんに問う。
 あの時はいきなりあたしが現れたから驚いて嘘をついっちゃったんだろうけど、今度は本当の事言ってくれるよね…?

「ねぇ、誠人くん?今日のお昼休み、保健室で何をしてたの…?」

――――――――――――――――――――

 決定打だった…。
 見上げてくる加奈の表情、言動、全てが物語る。
 ”全て知っているよ”。
 俺は、初めて見るこんな加奈の様子を前に、一体どうすれば良いのだろうか…?


A.今すぐ謝る
B.本当の事を言う
C.嘘をつき通す
最終更新:2008年07月29日 22:58