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578 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2008/08/11(月) 20:31:47 ID:nE6xJSOe


 ――何も悩む必要はなかった。

 考えるまでもないことだ。校舎の前で、図書室ではなく屋上へと進むことを選んだ時点です
でに答えは出ているのだ。僕はここに、戦いにきたのでも殺しにきたのでもない。アリスなん
てものと対決するためにやってきたヒーローでもない。
 姉さんの仇を――取りにきた、わけでもないのだ。
 選んでしまった。
 僕を必要として、最後には必要としなかった姉さんではなく。
 僕を守るといった、彼女を。
 彼女とともに進むと、そう決めたんだ――
「如月更紗ぁ!」
 マッド・ハンターではなく。
 如月更紗と、そう名前を叫んだ。裁罪のアリスと斬り合っていた如月更紗は、余裕綽々に僕
へと振り返る。見ずとも振るう鋏がアリスの傘を打ち払う。まるで、名前を呼ばれただけで力
がわいたかのように。けれどそれも、長くは続かないだろう。このまま斬り結び続ければ、ア
リスに押されるのは僕の目にも明らかだった。
 だから。
 僕は叫ぶ。如月更紗の黒い黒い瞳から目をそらすことなく。彼女も目をそらさない。じっと、
僕の瞳を覗き返してくる。僕の言葉を待っている。一瞬にも満たない間、その瞳に様々なこと
を思い出す。屋上で鋏を突き付けられたときの真摯な瞳を。今夜同じ屋上で、僕が現れたとき
に見せた、驚きの中にあった僅かな安堵を。
 最後に。
 教室の隅。窓際の席で、どこか遠くを眺めている、まだ名前も覚えていなかった黒い瞳を思
い出して。
 僕は、叫んだ――

「――来いッ!」

 彼女は、拒まなかった。何を問うこともためらうこともなく、即座に反応した。
「えぇ、ええ、ええ!」
 にやにやとした笑みを浮かべながら、如月更紗は踵を返して駆けてくる。バック・ステップ
ですらない。完全にアリスに無防備な背中を向けて、全速力で僕の元へと駆け寄ってくる。彼
女たちにとっては死の象徴である『アリス』に背を向けて、僕に信頼を委ねて。
 それが――少しだけ、嬉しかった。


579 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2008/08/11(月) 20:33:12 ID:nE6xJSOe
「――兎は死んだんだよ!」
 魔術短剣を、アリスめがけて投げつけた。
 姉さんの形見である魔術短剣を、僕は手放した。
 当たるとも当たらないとも思わなかった。身体はごく自然に動いた。魔術短剣の偏った重心
のせいか、刃を前にして真っ直ぐにアリスへと飛来する。如月更紗の頬、すぐ横を通りぬけて
後ろへ――アリスの胸元へと吸い込まれるように魔術短剣は飛んだ。アリスの表情は変わらな
い。当然のように魔術短剣は打ち落とされる。
 そう。
 如月更紗に振り下ろすべく傘を振り上げていた以上、不意の一撃をその傘で防がざるを得な
いのだ。動きが一瞬だけ止まる。足がわずかに鈍る。
 その一瞬で十分だった。全力疾走する如月更紗はアリスの間合いから抜け出し、弾かれた魔
術短剣は屋上を転がり、僕はそれを拾いにいくことなく、
 校舎の内へと続く扉を開けた。
 そして、僕は。
 手を指しのばす。
 彼女へと。 

 ・・・ ・・
「行くぞ、更紗!」

 そう名前だけを呼んで――名前を呼ばれた更紗は、その意味がわかっているのかいないのか、
嬉しそうに笑った。ああ、わかっているのだろう。その、にやにや笑いではなく、満面の笑み
とも言っていいようなそれは、僕の心境の変化をすべて見通している笑いだ。僕が選んでしま
ったことに気づいている目だ。
 ……照れくささに顔をそむけたくなる。
 そんな余裕は一切ない。僕は顔をそむけなかったし、更紗は目をそらさなかった。お互い見
つめあったままに、駆けてくる更紗は、鋏を握るその手を僕へと差し出してきた――危ないな
こいつ! なんて突っ込む暇もなく、鋏ごとその手を握り、僕は一気に引き寄せるようにして、
 屋上から校舎の内側へと転がりこんだ。
 同時に扉を力いっぱいに閉める。重い鉄の扉が、迫りくるアリスの前で音を立てて閉まり切
る。鍵なんてない――だから僕は、胸の内に更紗を抱きよせたまま、力の限りにノブを抑え混
んだ。
 勝算はあった。
 力比べで勝つ自信、ではない。扉を無理やりこじ開けるような、物語的でない方法をアリス
はとらないだろうという勝算だ。狼と七匹の子ヤギで、狼は無理やり扉をあけはしなかった
――そんな計算ともつかないようなあやふやな予感だ。
 願望とすらいっていい。
 わずかに、祈った。
 何に祈ったのかは――自分でも、よくわからなかったけれど。


580 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2008/08/11(月) 20:34:28 ID:nE6xJSOe
 祈りはどこかの誰かに届いたらしい。あるいは誰にも届かなかったからこそ、か? 
 扉のノブは回らなかった。一切の力をかけてくることなく、無駄な行為をすべて省くように、
アリスは扉を破ろうとはしなかった。
 一瞬でももたらされた静寂に安堵する。さて、どうす――
「えい」
 る、と思う暇もなかった。どこからともなく鍵を取り出した更紗が、僕の抑えるノブに手を
伸ばし、その手に持った鍵を鍵穴に突っ込んだ。
 がちゃん、と間の抜けた音がした。
 間の抜けた音がして……屋上への扉は、完全に閉ざされた。
 鍵を、かけられた。
「……………………」
「どうしたんだいどうしたのよ冬継くん?」
「……鍵」
「んんんんん?」
「鍵、なんで持ってるんだ?」
 いや――聞くまでもなくろくでもない理由で持っているのはわかってる。職員室から盗んで
きたとか職員室から奪ってきたとか職員室からギってきたとか、そういう犯罪めいた答えが返
ってくるに決まっている。そういえば初めてあったときもこいつは名目上は立ち入り禁止にな
っている屋上に容赦なく入ってきていたっけ……
 屋上は立ち入り禁止。
 にみせかけて、実は鍵がかかっていなかったりする。立ち入り禁止なだけで、立って入るこ
とはできるのだ。場所が不便なのと知名度が低いのと危ないのと殺風景なのが重なってるので
誰もこないだけで、一部の生徒は屋上に出られることを知っている。出ても何もないため、わ
ざわざ校舎のてっぺんまできて屋上に出ようとはしないけど。
 そして、そういった一部の生徒は知っている。屋上には鍵がかかっていないことを。屋上の
鍵穴は両鍵穴式で、どちらかからつまみで開閉するタイプではないのだ。それが屋上にエスケ
イプする奴が少ない理由、つまり完全な密室にできないということなんだ、けど……
 この女、あっさり密室にしやがった。
 このままノブを抑えているしかないんだろうかとか、アリスが根をあげるまで力比べをする
しかないとか、僕が抑えているうちに更紗が机を持ってきてバリケードを作るべきかとか、そ
ういった諸々の悩み事を、ただの一動作で無意味にされた。
 …………。
 帰りたい。
 ぐったりと疲れ果てる僕に対し、更紗は喜々とした笑顔のまま――そうだ、更紗はさっきか
ら、にやにや笑いじゃなくて、本当にうれしそうな笑顔を浮かべている。まるで年相応の少女
みたいだ。
 そんな笑顔を浮かべたままに、更紗は言った。
「冬継くんはピッキングルーツというものを知らないのかしら?」
「泥棒の起源なんて知るか!」
「この学校には代々狂気倶楽部のメンバーがいて、屋上の鍵は受け継がれているのよ」
「そんなどっかのエロゲみたいなツールがあってたまるか!」
 ああ……でもそういえば僕の姉さんもこの学校で狂気倶楽部のメンバーで、五月兎とやらも
多分この学校の人間なのだから、他にいたって不自然はないのか。先輩、同級生、後輩。日常
に紛れているだけで、日常に紛れている時には気付かないだけで、そこら中に異質な奴はいる
かもしれない、と。
 気付かないだけで。
 あるいは、気づいてしまった誰かが、変質してしまうだけで。
 ……まるでホラーだ。
 姐さんが飛び降りたせいで、〝向こう側〟へいってしまった人が、僕のような誰かが、いる
かもしれない――


581 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2008/08/11(月) 20:35:41 ID:nE6xJSOe
「理科室と保健室はマスターキィが手に入らなかったから、合鍵が伝承されているわ」
「他にもあったのか!?」
 というかこれやっぱりマスターキィかよ!
「どうして私があの日保健室に入ってこられたと思っていたのかしらね」
「保健室は日常的に空いてるだろうが! むしろ僕はあれが誰かに見られてないかを心配して
るんだよ実は!」
 あんな光景見られていたら、狂気倶楽部と関係なく二度と学校に来られなくなってしまう。
 それ以前に、人として大切な何かを失ってしまう気がする……
「ともかく、よ」
 咳払いをするような動作をして、更紗は右手をくるりと回転させた。魔法のように、その手
からは鍵が消え失せている。恐らくはポケットの中にしまったんだろうが……ほれぼれするく
らいの器用さだ。この細い指で、あの分厚い鋏を繰っているのだと、間近で目にしてもにわか
には信じることができない。
 鋏。
 空いた右手で、更紗は左手で抱え持つようにしていた鋏を手にとった。右手に大鋏、左手に
仕込み杖。完全武装スタイル。着替えるときに置いてきた制服とトランクケースだけはさすが
に持ってくる暇もなかったため屋上に置きっぱなしだ。身軽といえば身軽。
 それ以上に僕の方が身軽だった。なにせ、唯一の武器といってよかった魔術短剣――姉さん
の遺品を、アリスに向かって投げつけたのだから。牽制のため、更紗を逃がすために必要な時
間を稼ぐためだったとはいえ、これで僕はめでたく役立たずとなったわけだ。
 僕の視線から同じことを考えたのだろう。更紗は僕の何も持たない両手を見て、
「綺麗な手ね。斬り落としたくなるわ」
「お前は殺人鬼か」
「殺人鬼よ。人を殺したことは、ないけれど――」
 そう言って更紗は、その鋏と杖を持つ両手で、人を殺すことのできる手で、人を殺したかも
しれない手で、人の首を跳ねるその両の手で――
 そっと、
 包み込むように、僕の手を包みこんだ。
 冷たかった。
 信じられないくらいに冷たかった。
 信じたくないくらいに冷たかった。
 こいつは生きてなんかなくて、最初から死んでるんじゃないのかと――死に続けているんじ
ゃないかと、そう思ってしまうほどに、冷たかった。
「……心は暖かいんだろうな?」
 心に僅かに浮かんだ恐怖を振り払うように、僕はそんな軽口をたたきながら更紗の全身を舐
めるように見た。僕が気付いていないだけで、どこかに怪我をしていて、血が流れ続けて本当
に死にかけているような気がしたのだ。
 けれど、どこにも怪我はなく、傷もなく、流れる血の紅はない。
「そうね――」
 全身を舐めるように見終えた僕と、そんな僕を見上げた更紗の目があう。
 彼女は、
 僕の手を、包み込んだまま。


582 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2008/08/11(月) 20:37:03 ID:nE6xJSOe
「――――――」
 無言でその手をひょいとつまみ上げて、指をぱくりと咥えた。
「!?」
 ぬるっとした。
 ぬるっとして――それから、手とは比べモノにならないくらいに熱かった。視覚よりも一瞬
遅れて、その熱さとぬめりで指を咥えられたのだと理解する。
 こいつは何を、とは思わなかった。
 こいつが突拍子もないことをするのは今更始まったことではなく、思い返せば初対面からそ
んなことの繰り返しであって、やれやれ仕方ないな更紗は――なんて冷静に考える余裕はもち
ろんなかった。咥えると同時に指に絡みつく舌と唾液の感触が、ぞくぞくと背筋に走ったから
だ。指を三本ほど咥えられているだけなのに、全身を捕食されているような気分になる。
 がくがくと、足が震え、腰が砕けそうだった。
 そして、
「んー」
 それを見越したように、ほれぼれするような足払いが僕に向かって飛んできた。飛ばしたの
はもちろん目の前に立つ更紗であり、彼女は僕を押し倒すと同時に拘束するように馬乗りにな
る。背中が屋上へと鉄扉にぶつかって音をたて、それ以上後ろに下がることができない。
 嫌にやるような手際の良さだった。
 下腹部に馬乗りになり、鋏と杖を持ったまま人の指をくわえるタキシード姿の男装女(クラ
スメイト)に向かって、僕は言う。
「……何がしたいんだ?」
 心の底からの疑問だった。
 魂の奥底からの本心に、更紗は薄く唇を開き、僕の指からわずかに舌を離して、聴きづらい
言葉で告げた。
「いえ、せっかく二人きりになったから」
「時と場合と状況を選べお前は!」
「プロポーズの言葉が嬉しかったから、ではダメかしら?」
「………………」
 …………。
 頬を赤く染めて、まるで照れたようにそんなことを言われた。
 …………。
 …………いや、まあ。
 いったいどのくらい更紗が理解しているのか知らないが、名前だけで呼ぶということは、僕
としてはそういう意味合いがあるわけで、特別な存在だと認めるようなものであって、確かに
飛躍して考えればプロポーズといえなくもないけれど。
 飛躍しすぎだ、いくらなんでも。
 第一そこまで理解してるのかお前は。
 そう突っ込みたかったが、突っ込むよりはやく、更紗は僕の手を離し――自由になった手で
、僕の肩を押さえつけるようにした。そうして身体を、唇を寄せてくる。傍から見たら、男色
強姦魔に見えたことだろう。
 当然のように僕は抵抗した。
「…………?」
 両肩を押さえ返して抵抗する僕を、更紗は不思議そうな眼で見る。
 どうして不思議そうな眼をするのかが不思議でたまらない。


583 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2008/08/11(月) 20:37:56 ID:nE6xJSOe
「更紗。今がどういう状況か言ってみろ」
「真夜中の学校で二人っきりね」
「間違ってはないけどさ……」
 間違ってはないけど、何かが違う気がする。
「それに今思い出したけど、お前ものすごいキスがヘタクソだっただろうが。歯茎から血を流
しながらクライマックスなんて嫌だぞ」
「安心していいわ冬継くん。あれから練習したのよ」
「一人でか?」
「いえ、寝ている間に冬継くんで」
「僕の純潔を今すぐ返せ!!」
 別に純血じゃないけど、精神的にレイプされた気分だった。
 なおも馬乗りになって押し倒そうとしてくる如月更紗の身体を、僕は必至で押しとどめる。
もういっそ流されちゃってもいいかな、と一瞬ばかり思ったことは、自分でも否定できなかっ
たけれど。
「……大体、こんなことしてる場合じゃないだろ」
「邪魔ものはどこにもないわよ?」
「すぐそこにいるだろ! 扉一枚向こうに!」
 正直なところ、裁罪のアリスがピッキング技術を持っていても僕は驚かない。ドアノブを力
づくで破壊するような驚きはするけど……あくまでも狂気倶楽部は日常の中の非日常であって
、映画のようなショットガンが出てこないのが不幸中の幸いだった。もしアリスがそういった
武器を持っていれば、それこそ映画のようにドアノブを破壊して出てきただろう。超常ホラー
モノなら、扉を素手で突き破ってつかまれるシーンだ。
 生憎とアリスはそこまで化け物ではないらしい――異常、異端だとしても、それはあくまで
も人類の内にあるからこその端、常と異なるものであって、完全にファンタジーやメルヘンの
世界の住人じゃない。
 勝機は、たぶん、そこにある。
 勝ち残る――生き残るための術は。
「……更紗」
 扉の向こうから何も物音が聞こえてこないことを確かめながら、僕は間近にいる更紗の顔を
覗き込む。ヘソの上に腰を乗せるようにしてそこにいる彼女の体は、やっぱり、信じられない
ほどに軽かった。
 黒い瞳は、揺れていなかった。
 全く揺れることなく――僕を覗き返していた。
 僕は。
 僕は――その瞳から、目をそらすことなく。



□最終選択肢

・どこかへ逃げよう、と決めた。
・日常へ戻ろう、と決めた。