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58 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18:21:19 ID:Quf4Ljbq
 昨日のように、あるいは条件反射のように、加奈の視線を感じた瞬間俺は島村との距離を置いた。
 その一瞬の動作だけで俺の息は荒くなる、心臓の鼓動音が聞こえてくる、胸が破裂しそうになる。
 加奈の存在が、”いい意味”でも”悪い意味”でも俺の心をかき乱している。
 そんな俺の精神状態を覗き込むように加奈は笑顔を崩さないまま、相変わらずの光沢を失い黒々とした目を細めてくる。
「誠人くんのクラスの人に聞いたら”他の人と”どっかに行ったって言ってたから探したんだよ?勝手に行っちゃうなんて意地悪だなぁ」
「悪い加奈…」
「素直でよろしい!」
 表面上は何の変哲もないやり取り、いつもと違うところと言えば加奈の目が俺を凝視したまま笑っていないのと、加奈の笑顔が明らかに”貼り付けた”ものだという事だ。
 無理に笑顔を取り繕っているのが口元の僅かな痙攣から読み取れる、その動揺した様子が俺の中で一つの確信を生む。
 ”加奈が俺と島村の『距離』を見ていた”という確信を。
 そう、加奈はいつからかは分からないが少なくとも俺と島村が危うく”行為”に及びそうになったところは見ているはずだ、なのに…妙だ。
 加奈は昨日とは違って、偽りの笑顔を通したまま”その事”について一切言及してこないのだ。
 何事もなかったかのように、まるで、”自分が見た事”を全否定しその事実を直視しないかの如く。
 ”直視しない”と言えばもう一つ加奈には大きな異変があった事にようやく気付いた…加奈の奴、先程俺に話し掛けてきてからずっと島村の事を見てない。
 チラ見すらしない、視線は動かず真っ直ぐ俺の事だけを見つめてくる…恰も今この場にいるのは俺と自分だけで、”島村なんていない”と言い聞かせているように。
 そんな風に明らかに常軌を逸している加奈が足取り軽そうに、しかし地面をしっかり踏みしめるようにゆっくりと俺の下へと歩み寄ってくる。
「さっ、一緒に帰ろ!今日は誠人くんのお母さんいないからあたしの家に泊まっていかない?」
「ッ!な、何で加奈が俺の母さんの事を知ってるんだよ!?」
「さて何故でしょう?強いて言うなら、”恋人同士だから”かな?フフフ…」
 俺は露骨に動揺を示してしまった、それが加奈の怪しい含み笑いを引き起こす原因になってしまうと分かっていながら反応せずにはいられなかった。
 加奈の言う通り、母さんは今日何かの会のイベントで一泊の旅行に行っている。
 問題はその事を俺は一切口外していないのに何故加奈が知っているのかという事だ…まさか盗撮…って少し冷静になれ。
 俺が言わなくたって母さんは加奈の母さんである君代さんに言っているかもしれない、そこを通して加奈に伝わったと考えれば自然じゃないか。
 確かではないがそんな事は君代さんに尋ねればすぐ確認出来る、問題はそこじゃない。
 こんな単純な事を理解するのにこれ程の時間を有する今の”俺の精神状態こそが”問題なのだ。
 ただでさえ叫んで逃げ出したい状況なのに、加奈の巧みな言葉遣いに俺の思考は混乱させられている、正常な判断を下せずにいる。
 加奈を”元に戻す”と意気込んでおきながら、ミイラ捕りがミイラになってしまいましたじゃ話にならない。
 とにかく今は波を立てない、石橋は渡らない、それを肝に銘じなければ。
 加奈が”島村の存在”を直視していないという現状はかなりマズイが、幸い今はそれが非常に望ましい。
 加奈が島村への敵意を忘れているのならば”最悪の事態”には発展しない。
 このままこの場は潔く去って加奈を落ち着かせてからゆっくり心の緩和を進めて行けば良い。
「あたし、お母さんと最近お菓子作りを始めたから食べさせてあげるよ!」
「是非ともご馳走させて貰うよ」
 俺と視線を外さないまま俺との距離を詰め、さしのべてくる加奈の手を掴もうとする。
「人の事無視するなんて、結構な態度ですね」
「はい?」
 その手は空を切る、代わりに島村の言葉に踵を返した加奈の背中に触れる。
 その背中は少女のものとは思えない程俺には邪悪なまでに巨大に見えた。
 島村が…加奈に火を点けてしまった。



59 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18:22:21 ID:Quf4Ljbq
 先程まで俺だけを見つめていた加奈の目が島村へと向けられる、俺の時と違いメラメラと苛立ちが溢れているのが揺れる眼球から見て取れる。
 加奈にとって”島村の存在を認める事”と”俺と島村の『行為』を認める事”は同意義だから、動揺するのも頷ける。
 何て風に冷静に場を解説している場合じゃない。
「あっ…島村さん、いたんですか?」
「えぇ、あなたがここに来るより前から”ずっと”誠人くんといますよ」
 はっきりと加奈は今下唇を噛んだ、その証拠に加奈の下唇から血が滲み出ているのが確認出来る。
 滲む血は加奈の島村に対する憎しみを顕著に示している。
 それを島村も分かっているからか、分かっていないからかは分からないが、いつものように腕を組み余裕そうに加奈を見下ろしている。
 こんな具体的に口で出さず相手の腹を探り心を絞ろうとする女同士の緊迫した状況に、俺は立ち尽くすしかなかった。
 自分の無力さの程を思い知らされ欠片程のプライドが切り捨てられてしまう。
「それともう一つ、盗み聞きは人としてどうかと思いますよ?」
「なっ…」
「盗み聞き!?」
 思わず叫んでしまった。
 加奈の方を向いて更に叫びそうになるのを何とか堪える、加奈が島村の言葉に動揺している。
 動揺しているという事は………
「その様子から見て図星ですね」
 その問いの答えを一足先に答える島村。
「そこの壁からあなたの長髪が風になびいているのが見えましたよ?」
 島村は加奈が出てきた方向を指差しながら嘲るようにクスクス笑う。
 俺は全く気付かなかった、逆の方向を向いていたからな…ってちょっと待てよ。
 という事は島村は、加奈が見ている事を”知っていた”上で見せ付けてやるようにしたという事か…。
 とんでもない女だ。
 島村の理不尽な一方的な攻撃に防戦一方の加奈、目と目の間に皺をつくり渾身の力で島村を睨みつけている。
 加奈がここまで怒っているのは初めて…いや、最早”怒っている”とかいう次元の話じゃない。
 こんなにいがみ合っている人間同士を俺は昼ドラのドロドロ恋愛劇でしか見た事がない。
「あたしの駄目出しばかりしていますが、島村さんこそどうなんですか?」
「何がですか?」
「あなただって”今朝の騒ぎ”は知っていますよね?”あたしと誠人くんが付き合っている事”知っているんですよね?」
「その発言は盗み聞きしていた事の自白と捉えてよろしいんですね?」
「黙れっ!!!」
 長い沈黙がはしった。
 今まで一度だって聞いた事のない、こんなに大声を張り上げる加奈を。
 既に断崖絶壁に追い詰められたように息苦しくしている、事実今の状況はその通りなのだと思う。
 島村が「やれやれ」と呆れた感じで呟きながら手慣れたように眼鏡の位置を直した。
「あたしたちの仲を知っておきながら”邪魔”するなんて、酷過ぎるっ!」
 加奈の言葉に余裕さは欠片も感じられない、焦りと緊張で喋り方も思った事をそのまま言っているような感じだ。
「何をそんなにムキになっているんです?別にあなたと誠人くんの関係が強国なものであるなら私の事なんて気にする必要はないはずですよ」
 対する島村は俄然冷静な態度を崩さない。
 相手の言葉全てに反論出来ると言いたげな自信たっぷりの目が眼鏡越しに光っている。
「あたしたちの仲は絶対にこわれないわよ!ねっ?誠人くん!」
「あぁ!」
 突然話を振られた俺は反射的にそう答えてしまった。
 まぁそう言うつもりだったから別に問題はないが、自分がここまで緊迫していたという事を再確認し改めて驚いた。
 頭の中で必死に二人の一挙一動を整理する俺をよそに、即答した事を満足に思ったのか、加奈は”俺にだけ”純粋に微笑みかけた。
 そしてすぐに島村へと視線を戻す。
「ほら!あんたなんかじゃあたしたちの仲は壊せないのよ!」
 俺からの援護に心から喜び、束の間の勝機に打ち震える加奈。
 しかし、やはり”俺たち”は島村を侮っていた。
「確認を要しなければならない関係なんて、”ない”に等しいですね」



60 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18:23:11 ID:Quf4Ljbq
 多分”俺たち”は同時にキレた。
 島村に、”部外者”に自分たちの関係を否定された事にかつてない程に怒りが込み上げた。
 本来なら、俺は女である島村であろうと容赦なくその胸倉を掴み叫んでいただろう。
 しかし、加奈の素早く且つ不自然な動きに俺は見とれた。
 慣れたように胸ポケットから”何か”を取り出そうとしている加奈、そして、それの招待が分かった瞬間…
「誠人くん離してっ!」
 俺は加奈の腕を力一杯握り締めた。
 痛がっている加奈の様子に心を痛めながらも、俺は改めて加奈の手に握られている”物”が何かを確認し戦慄した。
 それは、何の変哲もない”カッター”、刃が出ていない為”今のところ”は殺傷能力ゼロだ。
 しかし、親指を数センチ上げるだけでそれは簡単に人を殺める凶器と化す。
 無我夢中で俺の腕を振りほどこうとする加奈を何とか押さえ付ける、もし今この手を離したら加奈は一体何をするというのだろうか…考えただけで背筋が凍る。
「こんな奴ッ!あたしたちの邪魔をするこんな人間をかばわないでっ!!!」
「落ち着け加奈!」
 俺が加奈を見るとその視線は別の方向、島村の方向を憎々しく見つめていた。
 俺もその方向に首を傾げると、俺たちのこんな様子をまるで楽しむように、滑稽に思うように島村はニヤついていた。
 その表情を見て理性を失いそうになるのを必死に抑える、今は加奈を何とかしなければならない。
「加奈、このカッターを離すんだ!」
「あたしは誠人くんがいればそれでいいのにっ!なのにこの女はっ!」
「やめろォ!!!」
 俺の声が響いた瞬間、加奈が視点が定まらない目をキョロキョロさせながら体だけ俺に向けてきた。
 「え?」という間の抜けた声と共にカッターが加奈の手から滑り落ちる。
 俺の発した大声によってより一層静けさが強調された体育館裏にカッターの落ちる音が響く。
 俺も、島村も、そして、加奈も、呆然とする中最初にこの沈黙を切り裂いたのは、
「あ…あ………あ…」
 加奈のうめき声だった。
 加奈が吐き気を催したように口に両手を当て、そこから加奈のうめき声が漏れる。
 俺だけを見ながらよろよろと後退りする加奈。
「加奈、どこ行く気だ?」
 俺への返答は依然変わらないうめき声だけだった。
 俺と徐々に距離を置いていく加奈、小刻みに全身を震わせながら、目に涙を溜め何か言いたげな様子だ。
 そんな加奈が発した言葉は、思わず意外と思ってしまうものだった。
「………ごめ…んなさ………い…」
 絞り出した言葉はかすれていた。
 その言葉を言い残すと、加奈は俺に背を向け走り出していった。
「加奈ッ!」
 呼び止めたがそんな俺の声を無視して加奈はどんどん先に行ってしまう。
 しばらく呆然とした後追い掛けてみたが、加奈が出てきた壁の分かれ道の左右どちらにも加奈の姿は確認出来なかった。
「加奈…」
 何度も呟く、そうすれば戻ってきてくれる気がして…。
「誠人くんはあの人のどこが好きなんですかね?」
 そんな俺の期待虚しく、背後から聞こえたのは島村の声だった。
 その透き通るような声で先程俺たちに”何を”言ったのか思い出して無性に腹が立った。
 島村の言葉を無視し、加奈が放置した加奈の鞄を拾い上げると、島村に俺自ら近寄る。
 ちょっと勢いをつければすぐに接触してしまう程近寄った、それ程の距離で行ってやらないと気が済まない。 「何か?」と言いたげなとぼけた表情の島村に俺は思い切りその想いをぶつけてやった。

「今度加奈を侮辱するような事言ったら殺すぞ」
 自分でも驚いた、まさか俺の口から”殺す”なんて言葉が出るとは。
 しかし、俺は軽はずみでそんな事は絶対言わない、だからこれは本心なんだろう。
 吐き捨ててやった後はさっさと島村に背を向ける、この女の顔を一秒でも見ているのはご免だった。

「加奈さんを侮辱してやった時のあなたの顔、格好良かったですよ」




61 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18:24:10 ID:Quf4Ljbq
 昨日加奈と抱き合った時のように陽が僅かに覗く、そんな夕方の道を俺は一人で歩いている。
 周りには誰もいなく、小鳥のさえずりが聞こえてくる程静かだ。
 あましにも静か過ぎて自分の存在が一人浮き、より一層”孤独”である事を思い知らされる。
 今までは加奈と一緒にいたから、加奈と一緒に歩いたから、加奈と一緒に笑い合ったから、寂しさなんて感じなかった。
 しかし、こうして初めて加奈のいない帰路を踏みしめて俺は孤独感を痛感している。
 加奈の存在がこんなにも大切だと分かり切っていた事を再確認する、そして先程自分が加奈にしてしまった事を思い出し拳を握り締めた。
 ”あの状況”ではああするしかなかったとはいえ、加奈の気持ちも考慮したもっと上手い対応が出来なかったのかと反省と自問を同時に行う。
 加奈は俺が好きなだけだ、ただそれがいき過ぎているだけ…いや行き過ぎるなんてある訳ないかと一人で笑った。
 加奈からの愛情なら腹を壊してでも全て頂く、どんなに歪んでいても”加奈からのだから”構わない。
 こんなにも好きなのに、何が噛み合わないのだろう…?
 まぁその答え探しは今度に回そう、今は加奈に謝りたい思いで一杯だった。
 きっと家に寄っていったら喜ぶに違いない…俺は”この事態”を楽観視し過ぎていた。

 陽はとっくに沈み、街灯が灯り始めた頃、俺はようやく家に着きそうになった。
 自分の家と加奈の家と先にどっちに行くか迷いながら向かい合っている二軒を見渡すと、遠くからではっきりしないが人影を発見した。
 特に気にはしないつもりだったが、明らかにその人影がこちらの存在に気付くと手を降ってきたのを確認して気が変わった。
 少々足早に歩を進めていくと、次第に何か言っている声も聞こえてきた。
 その声と、その内容を理解した瞬間、同時にその人影の招待も分かった。
「誠人くーん!」
「君代さん!」
 まだ顔ははっきりとしないが、この声で俺を名前で呼ぶのは加奈の母さんである君代さんだけだ。
 君代さんとの遭遇で寂しさが紛れたなと安堵していると、君代さんが突然催促し出す。
「誠人くん、早く来てーっ!」
 あの穏やかな君代さんが俺を急かすというのは中々ない事だ。
 不思議に思い、近付いてみて驚いた、君代さんの顔が困惑と焦りに満ちていたからだ。
「君代さん、どうしたんですか?」
「誠人くん、それが加奈が!加奈がっ!」
 鬼気迫る君代さんの表情、それがこの周りで起こっている事態の深刻さを示している。
 普段の君代さんからは考えられない程の慌て様に俺にも緊張がはしり、冷や汗が頬につたわった。
「落ち着いて下せず!一体何があったんですか!?」
 そう言いながら君代さんの両肩を掴む、自分が思った以上に早口だったのは、俺自信も焦りを隠せないからだ。
 さっき君代さんが呼んだ名前…加奈に何が起こったのか、気にならない訳がない。
 ただでさえさっきまでなし崩し的に半ば喧嘩別れのようになって加奈を見失ってしまったのだ、責任を感じる。
「加奈が部屋に閉じ篭ったまま出てこないのよ!」
「!」
 俺は一瞬にして現実の残酷さを思い知らされた。
 俺は考えるよりも先に走り出した、多分本能的な行動だったと思う。
 鞄を放り投げて、君代さんが何か言っているのも全て無視して加奈の下へと急いだ。
 走りながら後悔や責任や使命感といった様々な感情が俺の中を渦巻く。
 どうして”こうなる事”を予期出来なかったのか、思慮の浅い自分をこれでもかという位呪った。



62 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18:25:07 ID:Quf4Ljbq
 今日は朝から”異変”だらけだった、それこそ数え切れない位、日常がねじ曲がる位狂っていた。
 そんな限りなく非日常に近い日常に身を置いていたから、感覚が麻痺してしまっていたんだろう。
 それが、加奈がさっき小声でうめきながら去っていき”俺と一緒に帰ろうとしない”というのが”おかしい”事だという事に気付かせなくした原因なんだと理解した。
 しかし、”感覚が麻痺していた”事だけが今の事態への引き金になった訳ではない、それ以上にもう一つ最大の要因がある。
 あの時、加奈がうめきながら俺に何かを絶望したような視線を浴びせてきた時、その目には間違いなく”正気”が宿っていた。
 行き過ぎる事のない…まぁ繰り返し言うが”行き過ぎの愛”なんて存在しないが、そんな純粋に人を、俺を愛している時の目だった。
 俺に対して”上書き”しようとする時の目じゃない、鮮やかな色で彩られた美しい目をしていた、”だから”だ。
 そこだけが俺が微かに記憶の底にある”日常”の風景だったから気付けなかったのだ。
 つまり、俺が戻そうとしたのは”狂気に満ちた加奈”であって”正気の加奈”ではない、だからあの時の”正気の加奈”に対して危機感を感じなかったのだ。
 そして、ここまでに探り当てたピースを合わせて一つの結論が出た…”加奈は正気と狂気の間にいる”。
 正気と狂気が混合しているのだ、この状態の時は非常に危ない。
 正気だけなら純粋、狂気だけならそれもまた純粋、しかし”二つ”が混ざったらどうなる?
 単純にプラスにマイナスを乗法して”マイナス”という訳にはいかないだろう。
 ”相反する二つの明確な目的”が衝突した後の結末………これはあくまで推測でしかないが、”本来の目的”を見失う事になりかねないと思う。
 具体的に何が起こるのかは想像すら出来ないが、少なくとも”加奈の幸せ”が実現するとは思えない。
 それだけは防がなければ、加奈が誤った判断で自ら”幸せの可能性”を潰してしまったら何もかもが水泡にきしてしまう。

 何が起こるか分からないのに、目処さえつかない未来の未然防止の為だけに俺は加奈の下へと急ぐ。
 恐ろしい程思考が働く事に僅かに自分も”おかしく”なったなと失笑しながらひたすら走った。
 許可もなく加奈の家のドアを乱暴に開け、靴を乱雑に玄関に放り出した。
 昨日来たのにまるで別世界かのように暗い家屋内を徘徊し、加奈の部屋へと通じる階段を駆け上がる。
 焦れば焦る程息が絶え絶えになり、十数段上の二階が遥か彼方に感じる。
 焦れったくなる中二階へと到達し、すぐ横にある加奈の部屋のドアを躊躇なく開けようとする。
 しかし当然のようにそこには俺の侵入を拒む鍵がかかっている
「加奈っ、俺だ!」
 焦りが募り乱暴に部屋のドアを叩く、しかし返事は返ってこない。
 その事が俺の心を引き裂く、”加奈が俺を拒んでいる”ような気がして。
 しかし今の俺はかなり行動的になっていて、傷付いている暇なんてないと割り切りすぐさまドアに体ごとぶち当たる。
 さすがに一回じゃ開かないが高校男子の力だ、徐々に感触を掴みかけたと思った瞬間固く閉ざされたドアがとうとう開いた…そして、”その先”の光景を見て、初めて自分の加奈だけの為の躊躇ない行動に自画自賛したくなった。
「加奈ァー!」
 俺は幽閉されたように黙りこくって”ある事”をしようとしていた加奈の腕を掴んだ。
 その衝撃で、一糸纏わない加奈の腕から鋭く輝くカッターが”あの時”のように床に落ちた。
 落ちたカッターを瞬時に拾い上げ、刃をしまうと自らの懐にしまう。
 一時的な危機回避に一瞬の安息を得る、そしてその部屋の有り様を見て動悸が激しくなるのを感じた。
 昨日見た部屋とは比べようもない、本当に同じ場所なのか疑いたくなる。



63 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18:25:51 ID:Quf4Ljbq
 規則正しく並べられた書物は殆どが本棚から投げ出され床に散乱している、水玉の布団は無惨に引き裂かれ、机の棚は何かを漁られたかのように全開になっていた。
 そして最も驚くべき事は加奈の制服を俺が踏んでいるという事…そう、加奈は服を一枚も着ていないのだ。
 もしこんな荒れ果てた場でなければ、小さな膨らみの先にある更に小さな山を思わず見てしまうところだった。
 まだまだ幼い体に目を取られそうになるところで何とか煩悩を吹き払い、加奈の目を見る。
 加奈も俺を見つめている、いきなりの来訪者に驚いている様子だ。
 という事は俺が部屋に入ってきたところで俺の存在に気付いた、つまり俺が部屋を破ろうとしていた時には”加奈にはその音が聞こえていなかった”、それ程なまでに”一つの事”に熱中していたという事に恐怖を覚えながら加奈に問い掛ける。
「加奈、今何しようとしていた?」
「何って、”いらない物”を捨てようとしていたんだよ」
 加奈は微笑みながら自分の左腕を指差した。
 そう、俺が部屋に入った時見た光景とは…加奈が自らの左腕にカッターを添えているというシーンだった。
 今思い出すと身震いがした。
 俺を見上げ微笑む加奈の笑顔が、”俺の為に”必死に頑張って作っているものだという事に何となく気付き胸が苦しくなる。
「ごめんね…誠人くん」
「何で謝るんだよ?」
「だって、あたしが”欲張り”だから」
 加奈の笑顔がみるみる内に崩れていく、その事に罪悪感を感じつつ、加奈の言っている意味の解読に俺は必死になっていた。
 加奈が謝っているのは島村にカッターをつきつけた事か?
 しかしそれは俺に謝るべき事じゃない…考える俺をよそに、加奈は俺を見つめ続けている、その目は”正気”、しかししようとしていた事は”狂気”、俺の恐れた事態にやはりなっていた。
「あたし…”あの時”…誠人くんがあたしに怒鳴ってきた時分からなかったんだ…」
「分からないって、一体何がだよ?」
「島村さんには怒らないのに”あたしにだけ”怒った理由…」
 その言葉が深く、深く俺の心に突き刺さる。
 加奈に言われて思い出した、俺は”加奈にしか”怒らなかった、いや正確には加奈はそう思っている。
 島村の侮辱的な発言に俺はキレかけた、でも加奈も同時にキレたからそれを防ぐ為に俺は加奈に”自分が島村に怒っている”事を見せられなかった。
 加奈に”あんな顔”をさせたのは俺のせいじゃないかと理解し、この場から消えたくなった。
 何も言えない俺をよそに、加奈は続ける。
「でも部屋で考えて分かったんだ、あたしが”欲張り”だからいけなかったんだって。”誠人くんがいてくれれば”他に何もいらないとか言っておきながら、”誠人くんを独占する権利”まで欲していたあたしが悪かったんだよ…」
 加奈が言っているのはきっと今朝の”あの紙”の事だと思った。
 あれは加奈が俺を独占しようとした心の象徴だから。
「あたし”誠人くん以外のものは何もいらない”、本も服も友達も何もいらない!だから色々と”捨てた”けどまだ足りない気がして…」
 ここまできてようやくこの部屋の有り様と加奈の姿の理由を理解した。
「だから”あたし自身”も切り捨てようと思ったの…誠人くんがいればあたしは…誠人くんがいないと………”生きていけないよ”!何を捨てても構わない、だから誠人くんだけにはどうしてもいて欲しいの!好きなの!好きなんだよ!」
 目の前で必死に涙を堪えている加奈を前に、俺は抱き締めたい衝撃を抑えきれなかった。
 裸の加奈の小さな体を力一杯抱き締める、その体は柔らかくて、良い匂いがして、愛しくて………ここまで自分を愛している少女を危うく自滅させてしまうところだった自分自身への怒りで頭が爆発しそうになった。
 それを堪え、加奈に優しく囁きかける。
「ごめん…こんなになるまで………俺が…」
 俺の謝罪に、俺の胸に顔を埋めていた加奈が瞬時に顔を上げる。
 その顔は嬉しそうな悲しそうな…”人間味溢れる”ものだった。
「謝らないで!あたしが…」
「もう…思い詰めないでくれ…!」
 更に加奈を抱く力を強くし、加奈の言葉を封じる。
 驚きながらも加奈は、かつてない程安らいでいる表情をしていた。
 そんな加奈に俺は言い放った。
「加奈、”今日母さんいないから”、俺ん家来ないか?」
 俺はどういうつもりで言っているのだろうか…分からない。
 しかし少なくとも…
「うん…」
 一瞬驚きながらも加奈の面した小顔でこくんと頷いた様子を、俺は”了承”と受け取った。