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152 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/03(土) 20:55:23 ID:TLFyhqD/
第五話~親友と幼馴染~

 俺は今、ちょっとした手違いで香織を押し倒している状態にある。
 ちょっとした、ただの友人同士のじゃれ合いをしているうちにこんな状態になってしまっただけだ。
決してわざとではない。
 だが今の光景だけを見た幼馴染がそれを理解しているわけがない。
 華には俺が女の子を部屋に連れ込んで今まさに襲い掛からんとしているようにしか見えないだろう。
 しかし、それは誤解である。大きな誤解である。
 決して俺は香織をどうにかしようとして押し倒しているわけではない。
 香織の腕が俺の背中に回っていて、抱きしめる力が弱らないのは俺のせいではない。
 「俺を抱きしめてくれないか」などと変態みたいなことを言った覚えは生まれてこの方一度も無い。
 ご先祖様に誓ってもいい。
 俺は変態では無い。
  
「まるで変態ですね。おにいさん」
 ……だから違うと言っているだろう。
「おにいさんがとうとう栄養失調で倒れてしまったのかと思って駆け込んだ私が馬鹿みたいですよ」
 そこまでお前は俺のことをダメな男だと思っているのか……。
「正社員からフリーターになって、この次はニートになるんだと思ってましたけど、
 さすがおにいさんは違いますね。まさか性犯罪者になるとは思いませんでした。
 たぶんムラムラきて、近所を歩いていた女性を無理やり連れ込んだんでしょう?
 前付き合っていた女性は普通の人でしたから、その人はおにいさんの趣味じゃなさそうですしね」
 この女。さっきから何言ってやがる。
 ――もう我慢ならん。今回ばかりは反論してやる。

「華。お前な――」
「華?」
 さっきまで黙ったままだった香織が口を挟んできた。
「もしかして、華ちゃん?」
「え?」
 華の視線が移動し、俺の下に居る女の顔を観察している。
 その顔が疑わしいものを見るものから驚愕の表情に変わるのはすぐだった。
 華がおそるおそる、といった感じで言葉を紡ぐ。
「まさか、香織さん……?」
「――やっぱり、華ちゃんだったんだ」
「…………ちっ」
「ふん…………」
 ぶつかり合っていた視線を一旦両者とも逸らし、黙り込んだ。
 華はその状態で、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
 香織は口を固く結んだまま歯軋りをした。ギリッ、という音がはっきりと聞こえてきた。
 ――またこの二人が再会してしまうとは。
 できれば華が大学卒業するまで会わせないつもりだったのに、
今日香織を家に入れてしまったせいでその予定が狂ってしまった。



153 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/03(土) 20:58:08 ID:TLFyhqD/
 香織と華。二人が知り合うきっかけは俺と香織が下校している最中に、
同じく下校していた華とばったり顔を合わせた、という簡単なものだった。
 だが、何故か顔を合わせた日から二人の犬猿の関係は始まった。
 二人は会うたびに俺を挟んだ状態で睨みあった。
 二人の目からビームが出ると想定した場合、性質の違う二つのエネルギーはぶつかり合った途端に
対消滅を起こし、その時に発生するエネルギーで中間地点に居る俺を消滅させているだろう。
 つまりはそれぐらいの激しさで睨みあうような関係なのだ。
 睨みあう姿を見たくないがために、二人を会わせたくない、と俺は毎日思っていた。
 二人のぶつかり合いは俺と香織が高校を卒業した時点で終息を向かえたわけだが、
再び、約五年ぶりに二人が再会したことでその光景が復活しようとしている。
 
 何かきっかけがあったわけではないだろう。
 だが、二人は同時に顔を向き合わせた。
「……お久しぶりですね香織さん。五年振りですか。あまりに長い間会わなかったものだから
 てっきりご臨終されたかと思っていました」
「うん、そうだね。本当に久しぶりだよ。ごめんね長く会えなくって。
 雄志君とセットになっていない華ちゃんと会う価値なんてなかったからさ」
 二人ともが――久しぶりだからかもしれないが――昔以上にトゲのある言葉を吐き出す。
 逃げたい。でも香織が手を離してくれない限りそれはできない。
 つまり、まだこのやりとりを見続けなければならないということだ。
「おにいさんを離してくれませんか? 香織さん」
「離すも何も。雄志君から押し倒してきたんだもん。
 どうしようもないよねこれ。いやん。ボク、どうしよう?」
「――ッ!! おにいさん! 本当ですか!」
 華の怒りの矛先が俺に向けられた。
「違う! 断じて違う!」
 首を振って全力で否定する。
「確かに傍から見れば香織の言うとおりかもしれないが、俺はそんなことはしない!
 俺はいたって普通の人間だ! 性犯罪嗜好は持ち合わせていない!」
「またまた雄志君ったら。さっきまでケダモノみたいな顔をしてたくせに」
 笑顔を浮かべながら香織が言う。何かおかしいぞ今のこいつは。
 ――もしかしてわざとやっているのか?

「……そうでしたか。やっぱりおにいさんは変態だったんですね。
 いえ、もはや犯罪者そのもの、と言ったほうがいいかもしれませんね。
 さすがです。もはや軽蔑の念さえ抱きますよ」
 華が俺を見下ろしながらそう言った。
「なんでそうなるんだよ! 香織とは知り合いだぞ!」
「知り合いだとか、知り合いじゃないとかは関係ないです。
 今、香織さんははっきりと『押し倒してきた』と言いました。
 それに、今まさに押し倒している人の発言を信じることなど出来ません」
 つまり、「女性がそう証言しているのだから、あなたの言葉は信じられません」ということか?
 華よ。いつからお前は女尊男卑の考えを持つようになったんだ?
 いつから俺の言うことを全く信じなくなったんだ?
 おにいさんは悲しいよ。
「よく聞け華。たしかにこの状況を見ればその言葉を信じてしまうのも無理は無い。
 だが真実はそうじゃないんだ。香織が俺にタックルを仕掛けてきて――」
「そう! 真実は違うんだよ華ちゃん!」
 香織が割り込んできた。
 そうだ。お前の口から華に真実を教えてやってくれ。
 俺は無実だと。
 俺がお前に対して邪な考えを抱いていないということを――
「本当は、雄志君が風呂上りのボクの姿を見てむらむら来て襲い掛かってきたんだよ!」



154 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/03(土) 20:59:47 ID:TLFyhqD/
 ……なに?
 お前はさっきから何で馬鹿なことばかり口にするんだ?
 そんなこと言ったら、また――
「なんですってぇええ?!」
 ほらな。華の怒りに燃料を注ぐ結果になった。
 華の手が、わなわなと震えている。
 そして、その手が握り締められたときに、ゴキリ、という音がした。
(まずい。香織の口を塞がなければ、今度こそ俺の命が危うい!)
 香織の口を押さえようとして腕を持ち上げた。
 すると。
「んっ! 雄志君、だめ・・・・・・そこ、弱いから・・・・・・」
 香織が今までに聞いたことのない声――喘ぎ声を漏らした。
「何を言ってるんだ! 目を覚ませ香織!」
「ふぁんっ! だめぇ。そんな硬いもの当てちゃ……ボクおかしくなっちゃうよう……」
「ええい! さっきから悪ふざけがすぎるぞ!」
 それに体のどこも硬くなったりなんかしていない。……まだ。
「――さん……」
 俺が香織を黙らそうともがいていたら、華が俯きながら何かを呟いた。
 肩が震えて、手に持っている鍋の蓋がカタカタと音を立てる。
(――――鍋?)
 さっきまで持っていなかったはずだが、どこから取り出したんだ?それに何故鍋を持っている?
 その理由について考えていると、華がこちらに向かって歩いてきた。
 床に鍋を置く。立ち上がると同時に、右手で蓋の縁をつまんで持ち上げた。
 華が哀れなものを見つめる瞳をしたまま微笑む。

「おにいさん。さようなら。――永遠に」
 彼女は少しも別れを惜しんでいない決別の言葉を、涙を流さずに呟いた。右手を振りかぶって。
 下にいる俺からは肘しか見えていない。
 しかしその手にはおそらく、鍋蓋が握られているのだろう。

 一拍置いて、華の気が動いた。
 そこからは、見えるもの全てがスローモーションになった。
 振り下ろされる銀色の丸い金物を見つめながら、こう思った。

 ――理不尽だ。



155 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/03(土) 21:01:47 ID:TLFyhqD/

・ ・ ・ 

「おにいさん。女性を部屋に連れ込むのは構いません。
 しかし隣の部屋に住んでいる人のことも少しは考えて欲しいですね。
 壁の向こう側で大きな音がしたら誰でも迷惑だと思いますよ」
「……はい」
「隣に住んでいる私にも人の倒れる音が聞こえてきたんですから、
 たぶん一階に住んでいる人にも聞こえていたと思いますよ」
「ごめんなさい」
「私に謝られても意味が無いです。今度下に住んでいる人に謝ってください。いいですね?」
「わかりました」
 テーブルの前に正座させられながら、華の叱責を受ける。
 反論しないのはこっちが悪いと自覚しているからだ。
 ――決して華に対して頭が上がらないというわけではない。
 実際、大人二人が同時に倒れる音がしたらこの狭いアパート内の住人全員に聞こえているかもしれない。
 悪ふざけが過ぎたと確かに思う。華の叱責は当然のことである。
「反省しているのならそれでいいです。……それより頭は大丈夫ですか?」
「ああ、心配するな。たいしたことはない」
 華の鍋蓋による一撃は後頭部に直撃した。
 しかも縁の部分が当たったものだから平らな部分で殴られるより痛い。
 まだ脳に痺れるような痛みが残っている。
 まあ、それで華の怒りが収まってくれたのだからよしとしよう。

「じゃあ、晩御飯にしましょうおにいさん。あと、つ、い、で、に香織さんも」
 華が普段の調子に戻った。鍋を胸の前に持ってきている。
「晩御飯?」
「はい。私が作ってきました」
 そうか。何故鍋を持って隣の俺の部屋にやってきたのかと思っていたら、そういうことだったのか。
 ――いい話じゃないか。隣に住む生活苦のフリーターのために夕食を作って持ってきてくれる幼馴染。
 しかもその幼馴染はしばらく会わないうちに綺麗になっているというおまけ付き。
 夢のようなシチュエーションの話だな。
 本当に夢であってほしいと思うほど。
「……よし、三人で外に飯食いに行こうか」
「おにいさん? 外はどしゃぶりですよ」
「いや、それでも店は営業してるだろ。なんならコンビニでもいいし」
「おにいさん。もう八時過ぎです。買い物に行っていたら食べる時間が遅くなります」
「あ、そうだ。まだ部屋にカップラーメンのストックが――」
「おにいさん!」
 ドン! と大きくなく、頑丈でもない黒テーブルに鍋を叩きつけた。
「私の料理を食べたくないんですか……?」
 勢いとは裏腹に小さく、悲しげな声を漏らした。
 まずい。さすがに言い過ぎたか。少しだけ目に涙が浮かんでいるようにも――見えなくも無い。
 とはいえ、ここで譲るわけにもいかない。なぜなら、華は。
「だって、華ちゃん料理下手でしょ?」
「――――ッ!!!」



156 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/03(土) 21:04:23 ID:TLFyhqD/
 横合いから発せられた一言を聞いて、華が香織の顔を睨みつける。
 しかし、今の言葉に反論しようがなかったのだろう。すぐに目を逸らした。
 ――まあ、つまりはそういうことだ。香織の言ったとおり、華は料理が下手なのだ。
 壊滅的・殺人的に下手というわけではない。
 砂糖と塩を間違えるレベルの間違いをときどき犯すぐらいのものだ。
「今回は大丈夫です! 何度も何度も何度も確認しましたし、実家に住んでいる時に
 何回も何回も何回も何回も作ったことがあります!」
「それさ、昔ボクが食べたときにも言ってなかった?」
「う…………」
「あの時は嫌がらせかと思ったよ。
 砂糖と塩を間違って入れたケーキなんて漫画でしか食べられないと思ってたのに」
「今回は違います! 肉じゃがです!」
 そう言いながら華が鍋の蓋を開ける。
 その中には細切れの牛肉、オレンジ色のにんじん、糸こんにゃく、小さいジャガイモを
だしに浸してあるものが入っていた。たしかに、肉じゃがだ。
「見た目は普通だな。匂いも悪くは無い」
「――問題は味だけどね」
 鍋を覗き込みながら香織が言う。
「どうこう言う前に食べてみたらどうですか?」
 華が三人分の皿を取り出してテーブルの上に置いた。
「中学時代の私とは違う、ということを知るいい機会です。
 いつまでも子供のままでいると思ったら大間違いです」
「ふうん……中身は、成長しているってことだね。中身は。身体のほうは――成長してないみたいだけど」
 香織が胸を張る。ブラウスの胸の部分が突き出し、その存在が普段より強調される。
 その胸と自分の胸を交互に見た華は、注意深く見ないとわからない程度に歯噛みした。

「――――そういう香織さんは胸だけしか成長していませんね。身長は私より少しだけ低いですし。
 何より、頭がかわいそ……おっと、失礼」
 ……。
「ボ、ボクのどこが頭が可哀相で鈍くさくてノロマでドジっ子だって言うのさ!」
「昔からそうじゃありませんか。香織さん、『情けは人のためならず』の意味、分かりますか?」
 …………。
「え…………人に情けをかけるといつかお礼が返ってくるよ、って意味でしょ?」
「あ、ら、ら。あらあら。本当に、その答えでいいんですか?」
 ………………。
「え、え? ……ち、違うの?」
「違いません。その意味でほぼ正解です」
 ……………………。
「な! なんだよそれ! ボクをバカにしてるの?!」
「いいえ、試しただけです。……だいたい、これぐらいの問題の答えに自信を持てないなんておかしいですよ」
 …………………………はあ。
 相変わらずだな、この二人は。ある意味仲がいいのかもしれないが。 
 放っておいたらいつまでもやりあいそうな雰囲気になってきたし、ここは一つ……



157 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/03(土) 21:07:04 ID:TLFyhqD/
「んぬあああぁぁもう! もうボク怒ったからね! 華ちゃん、おもてに――」
「おい、香織」
「何さ! いくら雄志君でも今のボクを止めることなんかできないよ!」
「あーん」
 少し大きめのじゃがいもを箸で香織の口元へ運ぶ。
「へ? あ、ああ……あーん」
 差し出したじゃがいもを香織が口の中に入れた。
「もぐ、むぐ……」
 咀嚼をしている。口の中に入れたものの味を確かめているようだ。
 飲み込んだ後で俺の方から声をかけた。
「どうだ? 味の方は」
「んーー。まあ、華ちゃんが作ったにしては上出来だよね。美味しくは無いけど、変な味はしないし……っ!
 雄志君! 今あーん、て! いやそれよりも! なんでボクに毒見させるんだよ!」
「いや、いつまで経っても食べられなさそうだったんでな。つい」
 これは本当である。夜も八時を回っているから、俺の腹の虫は悲鳴を上げ始めている。
「あ、そっか。ごめん。……でも、いきなりあんなことしなくてもいいんじゃ、ないかな。
 こっちにも心の準備というものが……」
 香織が人差し指でテーブルに「の」の字を書きながら俯いた。何かぶつぶつと呟いている。
 ――とりあえず、険悪な状況は脱したようだ。
「……おにいさん」
 華が俺を呼んだ。
「なんだ? あ、悪い。勝手に食べさせちゃって」
「いいえ。別にそれはいいんですが。……それより、何か忘れてませんか?」
「何をだ? ――ああ、食事の前には手を洗えってことか?」
「違います! ほら、香織さんにしたことですよ。わかりますよね?」
 と言いながら顔を俺に近づけてくる。
「……? キス、か?」
 俺がそう言うと、華が顔をしかめた。
「――もういいです!」
 華はそう言うと、顔を引っ込めて元の位置に戻った。
 なんだ?何か不機嫌そうだな。キスをして欲しかったのか?俺に?
 ……それは無いか。



158 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/03(土) 21:10:24 ID:TLFyhqD/
 肉じゃがを三人で食べ終わったころには夜も九時を回っていた。
 雨はまだ降り続けている。
 アパートの天井と屋上の壁は薄いから雨音が良く聞こえるのだ。
「あーあ……どうしよう。こんなどしゃ降りじゃ帰れないよ」
 香織が窓の外を見ながらそう呟いた。
「帰ればいいじゃないですか」
 華が香織の背中に向かって声をかけた。
「香織さんは少しぐらいなら雨に濡れたって平気でしょう?」
「なに、それ? ひょっとしてボクが馬鹿だから風邪をひかないとでもいいたいのかな?
 なんなら華ちゃん、ボクの後ろに乗ってみる? 華ちゃんだったら風邪ひかないよね?」
「……それは遠まわしに私を罵倒しているんですか? 少なくとも、私は香織さんより馬鹿ではないです」
「知ってる? 馬鹿っていうほうが馬鹿なんだよ」
 ……本当にこの二人は口を開けば喧嘩ばかりするな。
 しかも華まで挑発に乗せられるほどに冷静さを失っているから、さっきより低レベルなやりとりになっている。
 仕方ない。ここは俺が一肌脱ぐしかないな。
「香織。もし良かったら、だけど。俺の部屋に泊まっていくか?」
 とりあえず提案してみた。
 返答は――
「「…………」」
 ――あれ?返事が返ってこないぞ。
 おかしいな、と思ったので二人を観察してみる。

 窓際に立っている香織は、俺の顔を見つめながら普段より多くまばたきを繰り返している。
 テーブルの前に座っている華は、口を半開きにしたまま固まっている。
 そのまま一分、二分、三分…………
 と、待っても返事が返ってこない。
「……どうしたんだ? 二人とも」
 その空気に耐えかねたので、二人に問いかけてみる。
 途端、二人が動き出した。
 香織が俺に向かって歩いてきた。ずんずんずん、と。
「うん! もちろんそれでボクはオッケーだよ! うん、寝よう。今すぐに!
 華ちゃん、そういうわけだから、早く出てって! しっし!」
 そう言いながら畳の上に折りたたまれている布団を敷き始めた。
 一方の華は、というと。
「おにいさん? 鍋蓋の一撃では目が覚めませんか? 
 何なら、このままおにいさんを『終わらせて』あげてもいいんですよ?」
 俺に近づくと、俺が着ているジャージの襟を掴んだ。
 目の前にいる幼馴染の目は、冗談が通じそうに無い本気の色をしている。
 なんだ?俺、変なこと言ったか?
「なあ、華。なんで怒ってるんだ? 困っている親友を泊めるのは当たり前だろ?」
「おにいさんはそう思っているんでしょうけど、香織さんはどう思っているんでしょうね?
 本当に何も起こらないと思っているんですか? おにいさん」
「起こるわけ無いだろ。俺は香織に手を出したりしないし」
「そうじゃなくて! 香織さんのほうから……」
 言葉を区切ると、華が襟から手を放した。
 それから、肩を落として嘆息した。
「――いえ、言ってもおにいさんには分かりませんよね。おにいさんはニブチンですから」
 ニブチンって言うな。そんな言葉使うもんじゃない。
 だいたい、香織が俺に襲い掛かってくるわけないだろ。
 昔も一緒に寝泊りしたときにも何もしてこなかったのに。
 
 しばらく頭を振っていた華は、顔を上げると俺の顔を見つめてきた。
 そして。
「仕方ありませんね。そういうことでしたら――私も、今夜ここで寝ます」
 有無を言わせぬ口調でそう言った。