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386 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:04:16 ID:4i4yRZ/G

第六話~従妹とお嬢様~

 今夜、俺の部屋に女の子が二人も泊まっていくことになった。
 なぜそんな状況になったかというと、
 一人は、今も降り続いている雨のせいで帰れなくなってしまったから。
 一人は、俺ともう一人の女の子が間違いを犯さないよう監視するために。

 一人暮らしの男の部屋に女の子が泊まる。と聞けば、大概の人間は
その夜に何が起こるかが予想できるであろう。
 俺も男だ。もちろんそんな状況下で女性から迫られたならば、やることはやる。
 とはいえどんな女でもいいわけではない。

 俺の理想のタイプの女性は年上で、穏やかな性格の人だ。
 だが、年上でなければ駄目というわけではない。そこは性格次第だ。
 髪型などの好みは特に無い。
 体つきは太っていなければ、スレンダーでもグラマーでも構わない。
 顔つきは――綺麗な感じよりは、可愛いほうが好みだ。
 俗物というなかれ。男など多少の違いはあれ、似たようなものである。
 さて、俺の両隣にいる女性はどうかというと。

 左で寝ている女の体型はスレンダー。
 そして、体型に合わせたかのように引き締まった顔つきをしている。
 普段は長めの黒髪をリボンを使いうなじの辺りでまとめているが、
さすがに寝るときはリボンを付けていない。
 縁無しの眼鏡も今は外している。それでも変わらず理知的に見えるのは、
彼女の本来の雰囲気がそうだからだろう。
 スーツでも着せたらその辺のOLよりデキる女に見えるかもしれない。
 彼女の年齢は19才。多少離れてはいるが、十分に許容範囲内だ。

 そして右で寝ている女。
 左に居るの女とは対照的に、なかなかグラマラスな体型をしている。
 ぱっちりと開いた瞳と血色のいい肌。どちらかと言えば可愛い顔立ちをしている。
 肩まで伸ばした髪の毛は、少しだけ茶色が入っている。本人曰く、地毛とのこと。
 年齢は俺と同じで24歳。
 しかし、俺よりも年下に見えるのは彼女の仕草や喋り方のせいだろう。
 当然ながら、彼女も年齢的には守備範囲内にいる。

 しかし、一人は従妹である。もう一人は親友である。
 二人には悪いが、手を出す気にはならない。
 ――まあ、手を出さない理由はそれだけではないのだが。

「ねえ、華ちゃん。狭いからそっち、詰めてくれない?」
「香織さんがそうしてくれませんか?――できれば布団の外に出てほしいものですけど」
 
 女二人が言い合いをしているという状況で手を出せる男は相当の大物か、ただの馬鹿だ。
 そして、俺はそのどちらでもないと自覚している。
 ただ、二人が眠るのを黙って待つしかないのである。


387 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:05:38 ID:4i4yRZ/G
・ ・ ・

 ザァァァァァァ――

 雨音が聞こえる。
 現時刻は夜十時。七時ごろから降り始めているが、全く勢いが衰えない。
 天井から雨漏りなどはしていないが、ここまで降り続けるとさすがに不安になる。
 ――だが、今眠れないのはそれが原因ではないだろう。
「すぅぅぅ……」
「くぁーーー……」
 華と香織が隣にいる状態でいつも通りに寝られるわけがない。
 二人とも俺の方を向きながら寝ているので、寝息の音がよく聞こえる。
 なんだか、くすぐったい。

 それに加え、場所の問題もある。
 俺の部屋は六畳一間。
 部屋の中に置いてあるものはブラウン管のテレビ、最近は使っていないノートPC、
ハンガー掛けとプラスチック製の小さいタンス、本棚、その他の小物など。
 玄関の入り口に台所があるので、そこには冷蔵庫を置いている。
 一人で寝る分には十分な広さだ。
 しかし、三人が川の字になって眠るには狭すぎる。
 三人で密着しないととても寝られたものではない。
 スペースを確保するために俺は腕を組んでいる。
 この体勢を維持することに意識を向けているので眠れない、というのも原因の一つだ。

 やはり、香織を部屋に泊めてもらうように華に頼めばよかっただろうか?
 いや――それはやめたほうがいいな。
 二人っきりにしたら一体どんな結果になるかわからない。
 口喧嘩が過熱してもし素手での取っ組み合いになったりしたら、と思うと
とてもじゃないが二人きりになどできない。できるわけがない。
 二人ともそこまで無思慮ではないと思うが、用心するにこしたことはない。
「……ぉにぃ、さん……」
「ゆぅし、くぅん……」
 二人が寝言で俺の名前を呼んだ。
 今の二人を見ていると、仲が悪いようには見えないんだけどな……。

 そういえば、なんで二人とも喧嘩するんだろうな?
 初めてあった日からこんな調子だったけど。
 ――たしか、二人が出会ったあの日。
 俺と香織が一緒に居るところに華が来て……
 そのまま華が俺に抱きついてきて……
 それを見た香織が華に注意したら、なぜかにらみ合いになったんだよな。

 今考えてみても、なぜそんなことで仲が悪くなるのかわからない。
「なんで二人とも、仲が悪いんだよ……」
 舌と唇を動かして、小さな声で呟く。
 すると、左側から聞こえていた寝息が止まった。
 なんとなく、視線を感じる。

「――そんなこともわからないから、おにいさんはニブチンなんですよ」
 左で寝ている華が小さい声で喋りかけて来た。
 首を軽く曲げて、目を左にいる華の顔に向ける。
 暗闇に目は慣れてはいるものの、その表情ははっきり見えない。
「悪い。起こしちゃったか?」
「いいえ。偶然目が覚めただけです。
 それより今、なんで私と香織さんが仲悪いのかって言いましたよね?」
 さっきのひとり言はばっちり聞こえていたようだ。
 続けて華が喋りかけてくる。


388 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:06:27 ID:4i4yRZ/G

「実は私、香織さんを嫌っているわけではないんです。
 ただ……おにいさんと香織さんが一緒に居ると、ついあんな態度をとってしまうんです。
 おにいさんには、ただ仲が悪いだけにしか見えないでしょうけど」
「……まあな」
 二人のやりとりを見ていると、お互いに嫌っているようにしか見えないからな。
 だが、華が香織に対して嫌悪感を持っていないということは、
いつか二人が仲良くなる可能性があるということだ。ぜひともそうなってほしい。

 ……しかし、意外だな。
 俺と香織が一緒にいると、華が不機嫌になるとは。
 もしかして、華は香織のことを?
「嫌っていないだけで、好きなわけではないですけど」
「あ、そうなのか? 俺はてっきり――」
「……おにいさん、わざとニブチンを演じていませんか?
 その鈍さは、もはや天然記念物レベルです。
 おにいさんのことを好きな女性がその鈍感さに腹を立てて、刺してくるかもしれませんよ?」
「ははは、まさかそんな……」
 さすがにそれは無いよな。俺が女性にそこまで好かれることなんてないだろう。
「本当にそう思いますか? 私と香織さんに挟まれているというのに?
 現におにいさんはそうなってもおかしくない状況にいるんですよ?」

 …………なに?
 今とんでもないことを言わなかったか?
 華と香織に挟まれている状況では、刺されてもおかしくない?
「まさか、お前……」
「刺したりなんかしませんよ。
 私は、そういう意味で言っているんじゃありません」

 そう言うと、華は息を吸って、吐いた。
 彼女の顔は部屋が暗いせいでよく見えない。
 それでも、俺を見つめているということは雰囲気で伝わってくる。
 華の手が俺の左腕を掴んだ。
 手の感触が伝わってくる。少し冷たいが、柔らかい。
 華はもう一度息を吸って、吐いた。
 そして。

「香織さんも私も、おにいさんのことを好きだから。
 そういう意味で、言っているんですよ」
 
 俺に向かって、自分と香織の気持ちを打ち明けた。


389 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:08:15 ID:4i4yRZ/G
 
『ははは。冗談はよせよ』
 などと言おうものなら、本当に刺されるだろう。
 そう確信してしまうほどに、華の告白には真剣さが込められていた。
 つまり、さっきの告白は冗談ではないということだろう。
 本当の、華の気持ちだということだ。

 ――俺は今の告白に対してどう答えるべきなんだ?
 「華が好き」?
 「香織が好き」?
 いや、俺はどちらか一方が好きなわけじゃない。
 二人とも好きに決まっている。

 しかし、それは親愛の情とか、そういった類のものだ。
 彼女たちを大事な人だと思っているが、それは友人としてである。
 女として好きかと言われたら「違う」としか言えない。

 ――今の俺は、どちらか好きか選べない。

「華。俺は――」
「待ってください。答えるのはナシです」
 華の指が俺の唇に対して、垂直に当てられた。
「おにいさんがなんて答えようとしてるのか、わかりますよ。
 でも、今はその答えを聞きたくありません」
「? じゃあ、何であんなことを言ったんだよ」
「おにいさんに意識してほしかったからです。私の気持ちを。
 現状を維持し続けていたらいつまでも気付かれなかったでしょうし」
 ――お前の普段の態度を見ていたら気付くわけがないだろうが。

「あともう一つ。おにいさんに言っておくことがあります」
 華は手を引っ込めて自分の顔の前に持ってきた。人差し指を立てている。
「今度は何だ……?」
 またとんでもないことを言い出すんじゃないだろうな?
「今の話を忘れた振りをした場合……刺しますからね」
 ……今度は脅迫か。お前、本当に俺を好きなのか?
 なぜ俺の胃に穴を開けるようなことばかり言うんだ。
 おにいさん、辛くなってきたぞ。
「私の話は終わりです。おやすみなさい。……おにいさん」
「ああ。おやすみ」

 数秒間の沈黙の後で、華はゆっくりと寝息を立て始めた。

 ――ふう。

 華と、香織。二人ともが俺のことを好き、ねぇ……。
 華が俺のことを好きだというのは事実だろう。
 なにせ本人の口から告白されたのだから。

 しかし、香織はどうなんだろう?俺を好きだったりするんだろうか?
 香織は俺の右で寝ている。彼女の手は、弱い力で俺の右腕を掴んでいた。
「寝てるよな? …………まさか聞いてないよな?」
 香織に向かって問いかけた。…………しかし返事は返ってこない。

 代わりに、俺の右腕を掴んでいる手の力が一瞬だけ強くなった。――ような気がした。


390 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:09:57 ID:4i4yRZ/G
・ ・ ・

「おにいさん。朝ですよ」
 …………。
「起きて下さい。もう香織さんは起きて、バイトに行っていますよ」
 ………………。
「……おにいさん。いつもバイトに行く時間を過ぎてますよ」
 ……?
 …………はっ!!!
「マジでか?! やばい!」
 がばっ! と布団を跳ね除けて身体を起こす。
 窓の外を見ると、空が晴れていた。太陽の光が部屋に注ぎ込まれている。
 明るい。明るいということは――

「今何時だよ!」
「朝の八時です。寝坊するだなんてだらしないですね」
 華がやれやれ、といった感じで首を横に振った。
 もとはと言えば、お前が変なこと言うのが悪いんだぞ。
 あの後色々考え込んでしまったからしばらく眠れなかったんだ。
 ちくしょう。時間を守るのが俺のポリシーだというのに!
「華。今から着替えるから出て行ってくれ」
「ええ。もちろん出て行きますが……その前にこれだけは聞いてください」
「なんだ!」
「香織さんが出て行く間際にこう言っていました。
 『今日、雄志君は四時から入ればいいからもう少し寝かせてあげてね』」

 …………なんですと?
 ――そういえば、今日は四時からバイトが入っていた気もする。
 ということは、まだ寝られるのか!
「じゃあ、おやすみ。華」
 華に一言告げて、布団をかぶる。
 ああ――まるで「遅刻だと思って飛び起きて、カレンダーを見たら日曜日だった」
と気づいたときみたいだ。寝坊して得した。幸せすぎる。
 今なら、空も飛べそうな気がする――
「そうはさせません」
 布団の向こうから華の声が聞こえてきた。
 残念だったな。今の俺は無敵なんだ。お前が何を言おうと無駄だぞ。

「――頭は、この辺ですか」

 布団を通して、何か固いものが押し当てられた。
 その途端、頭のどこかでカンカンカンカンカン! と音を立てて警鐘が打ち鳴らされた。
 目を瞑っていると言うのに、何故か目の前が赤い。
「すぅぅっ……」
 そして、華が息を吸う音が聞こえた。

 ――起きろ! 

 どこかから聞こえてきた声につられて、全力で上体を起こす。
 その、刹那。

「はっ!!!」
 ずん! という音が背中から聞こえてきた。
 振り返ると、足の裏が見えた。
 枕には、踵が突き刺さっている。

 なるほど。踵落としか……って!


391 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:11:37 ID:4i4yRZ/G
「華! いきなり何をする!」
 彼女はさっき座っていた位置から一歩下がって、右足を突き出したまましゃがんでいた。
 今のは体重を乗せた一撃だったということか。
 ――刺される心配よりも、撲殺の心配をしたほうがいいのかもしれない。
「おばさんから頼まれたんです。
 『雄志がだらしない素振りを見せたら叩きなおしてやって』。
 今のおにいさんはだらしないと私に判定されました。だから叩き起こしました」
 ――母上。恨むぞ。

「実は、起こしたのにはもう一つ理由があるんですよ。お願いがあるんです」
 華が両手を胸の前に合わせてそう言った。
 なぜか嬉しそうな顔をしている。
「言ってみろ。聞くだけは聞いてやる。叶えてはやらないがな」
「今日、一緒に大学に行きましょう!」

 大学。
 おそらく、このアパートの近くにある大学のことだろう。
 聞いた話によると、偏差値が相当に高くないと受からないというハイレベルな大学らしい。
 驚いたことに、華はその大学に通っているという。
 そんなすごいところに通っているなんて、おにいさんは嬉しいぞ。
 ぜひこれからも学業に励んでくれ。

「俺には不似合いな場所だな。というわけで、断る」
「大丈夫ですよ。部外者がいても誰も気にしませんし。
 それに無理なお願いではないでしょう?
 ただ一緒に大学まで行って、お弁当を一緒に食べて帰ってくれたらいいんですから」
「いや、ただめんどくさいから行きたくないだけで…………ん?」
 お弁当?構内の食堂で頼むのなら弁当とは言わないよな。
 嫌な予感がする。
 いや――嫌な予感しかしない。
「弁当をどこかで買っていく、ってことだよな? 手作り弁当とか、言わないよな?」
「言いますよ。私が作りました」

 その言葉を聞いて、俺はすぐに行動を開始した。
 素早く立ち上がる。
 そして掛け布団を華の体に押し付けて、華を追い出すために玄関へ向けて押す。
 華が押し出されまい、と抵抗しているのが感じられる。
 しかし、パワーなら俺のほうが上だ。
 目を瞑り、全力で押す。容赦なく押す。全身全霊を込めて――

「おにいさん。壁を押してどうしたいんです?」
 後ろから、冷たい声が聞こえた。
 華の声だ。
「――馬鹿な。さっきまで目の前に居たのに」
 それに、何故俺は壁を押しているんだ?
「おにいさんに押されながら、抵抗しつつ壁に向かって後退しました。
 そして、壁に押し付けられる瞬間に体を入れ替えればこうなるんですよ」
 
「そんな、馬鹿な……」
 そんなに上手くいくなんて、ありえない――
「馬鹿なのはおにいさんですよ。さあ、一緒に大学へ行きましょうね」

 色々言いたいことはあるが、最初に思い浮かぶのはこれしかない。

 こんな現実は――理不尽だ。


392 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:12:30 ID:4i4yRZ/G
・ ・ ・ ・ ・ ・
 
 落ち着かないな。大学の中庭にあるベンチに一人で座っているというのは。
 中庭に在る小さな時計台を見る。短針はほぼ真上、長針はそれより少し後ろを指している。
 時刻は11時55分。間もなく正午。
 間もなく、乗り越えなければならない時が訪れようとしている。

 なぜ、華の弁当を食べなければならないのだろうか。
 自分で金を出してパンでも買って食べた方がよほど体のためになるのに。
 昨晩食べた肉じゃがの味から考えると、華の料理の腕は上がっているのだろう。
 しかし、それでも昔の苦い記憶を塗り替えることはできない。

 洗剤の味がする白米など、想像するだけで吐き気がする。
 噛んだ途端に歯茎から出血しそうなほど硬いから揚げなど、思い出すだけで顔が歪む。
 ケチャップに浸してあるだけのスパゲッティなど、料理と呼ぶことすらおこがましい。
 華には悪いが――ここまで昼飯を食いたくないと思ったのは久方ぶりだ。

 逃げよう。
 それが一番だ。
 華に見つからないようにここから逃げ出すんだ。
 もし見つかったとしたら、それこそ地獄を見るかもしれないが……。
 いいや。弱気になるな。最後まで戦うんだ。俺の力で。

 ゴーン ゴーン ゴーン

 中庭に、正午を告げる音が響く。
「ようやく、12時か」
 何時に講義が終わるのかはわからないが、早く逃げるにこしたことはない。
 ベンチから立ち上がり、一歩踏み出そうとしたその時。

「君は今、12時だと言ったね」
 
 低い声――というより、低い声を無理矢理に出しているような声が後ろから聞こえた。
 振り向くと、ベンチの後ろに知らない人間が立っていた。
 そいつを見ての感想は――訳が分からない、というところだ。

 すらりとした体には、紺色の、男物のスーツを纏っている。
 が、胸の部分が丸く膨らんでいる。人間の筋肉ではあり得ない膨らみ方だ。
 白いシャツの襟の上には、やけに綺麗な顔があった。
 ただし、どう見ても女の顔である。
 黒髪をオールバックにしているが、性別は女だろう。多分。
 それなのに何故男の格好をしているのかが分からない。
 しかし、それ以上に訳が分からないのは。

「それは君の中の時間が12時、つまり昼飯時だからという意味で言ったのかい?
 それとも、あのアホ面の時計が12時を指したからかい?」

 そいつが言っている台詞の内容だ。
 左手を右肘に添えて、顎に右手を添えて、首をひねったりしている。
 何か考えこんでいるようだが、俺だって考えこみたい気分だ。
 ――なんなんだこいつは?


393 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:14:05 ID:4i4yRZ/G

「えーっと……」
 言葉に詰まる。
 こんな得体の知れない男――じゃなくて、女に何を言えばいいんだ?
「……まず、俺がさっき12時だと言ったのは時計の針が12時を指したからだ。それ以外の理由は無い」
「ふむ。では、あの時計がアホ面に見えるのは何故なんだい?」
「知るか。そんなこと」
「時計がアホ面に見えるのには理由がある。と父は常々言っていた」
「……どんな親父さんだよ」
「父が言うには、昔時計を分解したときに呪いをかけられたのではないか。というのが有力な説だそうだよ」
「へえ」
「その次に有力なのが、人間が時計なのではないか。という説だ。同類相憐れむ、というやつだね」
「……それは無いだろう」

 つっこみどころが多すぎてそんな言葉しか口から出ない。
 ここまで電波なことを言う人間は今まで見たことが無い。
 こいつは何者だ?この大学の学生か?それとも教授か?
 ――どっちでも嫌だな。こんなやつが俺より学力において優れているなど認めたくない。

「とうっ!」
 俺がそんなことを考えている間に、変人はベンチを飛び越えて俺の前に立った。
 そして、さっきの顎に手を当てたポーズのまま顔を俺に近づけて、まじまじと見つめてきた。
「ふむ……君は私の知り合いではないし、父の知り合いでもないし、アホ面の時計台の知り合いですらないね?」
「……はっきり言うと、そのいずれかでもないし、この大学の学生ですらない」
「ではなぜこのベンチに座っているのかな? この特等席は私のために作られているんだ。
 もし君がこのベンチを作った人間――つまり父親だと言うのならば、
 父親を尊敬している私としては、君の子を思う気持ちに畏敬の念を覚えながら
 分速一メートルでこの場から立ち去らないでもない」
「俺はそのベンチの父親でも母親でも生き別れの兄でも恋人でも友達でもなんでもねえよ!
 たまたまそこに座って人を待ってただけだ!」
「なに!? ひと時だけでも父親で母親で兄で恋人で友人でありたいと思ったのか! この泥棒猫!」
 人の話など聞いちゃいない。

「我が友にして、最愛の特等席を奪おうとする者には――死を。しかし、いきなりは殺さない。
 じっくりしっくりゆっくりゆるゆると死を与えてあげよう」
 そう言うと、男装の変人が俺に対して戦闘態勢をとった。
 足を肩幅に開き、腰を落としている。両手は斜め下に向けてまっすぐ伸ばしている。
 そいつの目が俺の目を捉えた。その目は、明らかな攻撃の色をしている。
 一応、俺もボクシングの構えのようなものをとってみる。
 左手を前に、右手を胸元の辺りに近づける。
 ――しかしまったく緊張感が沸いてこない。
 相手が変な構えをとっているからか、相手が変人だからか。

 …………。
 
 そのままお互いに睨みあっていると、唐突に相手が構えを解いた。
 またしても顎に手を当てるポーズをとった。お前のホームポジションなのか?それは。
「――やめよう。こんなことで戦うだなんて馬鹿馬鹿しいよ。
 私は平和主義者。そしてベジタリアン。しかし肉食動物でもあるんだから」
「……お前の台詞は後半が全て無駄になっているな」
 というよりは、こいつの喋り自体が無駄そのものなのかもしれないが。
 
 腕を下ろすと、どっと疲れが押し寄せてきた。
 無駄に疲れた。横になりてえ。腹が減ったから立つのもめんどくさい。
 ――ああ、そういえば今は昼飯時だっけ。うまいもん食いてえなあ。


394 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:15:26 ID:4i4yRZ/G

「おにいさーーーーん!!!」

 遠くから、女の声が聞こえてきた。
 聞こえてきた方向――建物の入り口に目をやると、華がいた。
 玄関の入り口に立っているということは、たった今講義が終わったということだろう。
 彼女の手には、四角形の箱のようなものが握られている。
 それが弁当箱だということはすぐに分かった。
 そして、次に俺がするべき行動もすぐに思いついた。
 
 大学の入り口に目を向ける。距離にして約200メートル。
 その距離を華に追いつかれる前に走り抜ければいい。
 おそらく大学の外までは追ってこないであろう。
「よし……!」
 手を強く握り締め、緊張感を体に思い出させる。
 そして、左足を勢いよく前に踏み出した。

 ――次の瞬間、俺が目にしたのは中庭に生えている芝生だった。

「ぎゃふ!」
 自覚するほどに変な声をあげて、顔面から倒れた。
 右の頬に痛みを感じる。鼻を打たなかったのは幸いだった。
「痛たた……。一体何が…………って!」
 倒れたまま自分の左足を見ると、人が掴まっていた。
 両腕で俺の脚をしっかりとホールドしている。
 さっきの状況でこんなことが出来る奴はこの場に一人しかいない。

「この変人! 何しやがる!」
「変人とはなんだ! 私には十本木あすかという立派な名前がある!
 それに、いきなり君が逃げ出すのが悪い! つい足を掴んでしまったじゃないか!
 こんなことは初めてなんだぞ! 責任をとって私と結婚するか、墓の中にいる母の面倒を見ろ!」
「お断りだ!」
 左足を振り、変人の腕から逃れる。
 まずい。予想外のタイムラグが発生してしまった。
 早く。早く逃げないと華が来る!
 立ち上がり、再度脱出口へと顔を向ける。

 ――顔を向けたら、女の顔が目の前にあった。
「そんなに急いでどこに行くんですか? せっかくお弁当を作ったんですから、一緒に食べましょうよ」
 ……遅かった。
 すでに華が俺の目の前に立って行く手を遮っていた。
 前には華。後ろには十本木あすかとかいう名前の変人。
 もう、逃げるのはあきらめるしか無いな……。


395 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:18:17 ID:4i4yRZ/G

「十本木先輩。おにいさんを見張っていてくれてありがとうございました」
「いやいや。なかなか面白かったよ。まるでストーカー気分だった。
 しかし、真後ろに居てもなかなか気づかれないものだね。
 これからは華君の後ろに張り付くことにしよう。
 愛と憎悪は紙一重。探偵とストーカーは似たようなもの。そして華君と私は二人でひとつだ!」
「――さ。ベンチに座って下さいおにいさん。一緒にお弁当を食べましょう」
「あ…………」

 華が十本木を無視して俺に話しかけてきた。
 後ろにいる十本木は顎に手を当てたままの姿勢で立ち尽くしている。
 なんとなく、悲しそうな目をしているようにも見える。
「なあ、あいつ――」
「あの人に対してはあの対応でいいんです。相手をするとペースに引き込まれますよ」
 言われてみればそんな気もする。
 つっこみどころが多すぎるからつい返事をしてしまうし、返事をしたらまた電波な台詞が飛んでくるからな。
 ――ちょっとだけ会話をするのが楽しかったのも事実だけど。

 ベンチに腰掛けると、華が左に座ってきた。
 膝の上には弁当箱。大きいものと、小さいものの二つ。
 当然、中身の量は箱の大きさに比例しているのだろう。
「おにいさんの弁当箱は、こっちですよ」
 そう言って、大きい弁当箱を俺の膝に乗せた。
「なあ、華? 俺は食欲が無いんだ。だからその小さいほうに――」
「たっぷり食べてくださいね。おにいさん」
 ……俺の言うことだけは無視しないでくれないかな?
 まあ、言っても無駄なんだろうけどさ。
 仕方ない。まともな料理であることを祈るしかないか。

 弁当の包みを解いて蓋を開けようとしたら、突然華の手で止められた。
「待ってください。もう一人来ますから、その後で一緒に食べましょう」
「もう一人? 誰だ?」
「私が所属している料理研究会の先輩です。
 おにいさんの話をしたら、ぜひとも会ってみたいって言ってました。
 今日おにいさんを呼んだのは、その人に会わせるためでもあったんです」
「……その人の性別は?」
「もちろん、女性です」

 ――今日、ここに来てよかった。
 俺の話を聞いただけで「ぜひ会いたい」と言うということは、たぶん好感を持たれているのだろう。
 長い冬だった。何年ぶりかに俺にも彼女ができる――かもしれない。
 嬉しくて、涙が出そうだ。


396 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/03/13(火) 23:25:16 ID:4i4yRZ/G

 俺が喜びに打ち震えていると、スーツを着た変人が目の前に立ちはだかった。
 そして、俺の顔を指差した。
「最初に言っておくよ。私の婚約者に手を出したら、許さない」
「婚約者ぁ? ……お前、女だろ」
「その通り。正真正銘の女だよ」
「……日本じゃ合法的に結婚できないだろ」
「私の父は言っていた。そして私は毎日言っていた。そして今日もこの言葉を言うとしよう」
 十本木は両手を大きく広げ、天を仰いだ。
「愛とは! 時に相手に受け入れられないこともある! しかし――」
「『それでも相手に想いをぶつけるのが真実の愛だ』でございますか?」

 華の声でも、十本木の声でもない、別の声が聞こえてきた。
 静かな声なのに、どんな喧騒の中にあっても聞こえてきそうな声だった。

「あすかさん。想われるのは嬉しいのですが、
 誤解を招くことを言うのはやめていただけませんか?
 わたくしはあなたと婚約などしてはいません。
 ――特に、雄志さまの前では言わないでいただきたいのです」

 ベンチの左側、俺の位置からは華を挟んで向こう側に女性が立っていた。
 長い髪に、目が覚めるほどに綺麗な顔。
 直線を思わせるような、背筋を真っ直ぐにした姿勢。
 儚くも、どこか恐怖を思わせるような眼差し。

「お久しぶりでございます。雄志さま。
 ――やはり、またお会いできましたね。ふふ」

 淑やかな口調で喋りかけてきたのは菊川かなこさん。
 もう二度と会うことはないだろうと俺が思っていた女性がそこにいた。

ーーーー