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朧は出て行かなかった。雪香に興味をそそられたのもあった。それにこの家に住んでいれば明日の寝床と食事にもありつけるからだ。


80 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/27(火) 00:05:56 ID:RI+ri3es
室内の空調が一定に保たれているので裸でも寒くはない。わりと居心地は良い。気が向いたときに出て行けばいいだけの話だ。
雪香は朧に決して服を着せようとしない。服を着せないのは雪香の趣味だ。
雪香も家の中では同様に、一緒に裸になって過ごす。裸なのは、どこでもセックスが出来るからだ。
少し気疲れを覚え、朧はベッドに寝転がった。身体の芯がだるいのだ。運動不足が原因だろうか。
うつ伏せになったままページをめくっていく。三十分ほど本を読み勧めていくと軽い空腹感を覚えた。
冷蔵庫を漁ろうと朧が身を起こしかけると、タイミング良く雪香が買い物から帰ってくる。朧は本を傍らに置くと部屋を出た。
「ただいまァ」
明るいほがらかな笑みを浮かべて雪香は買い物袋をキッチンに持って行き、冷蔵庫を開けて食材をしまった。
穏やかな光を称えた雪香の双眸──それは幸福に満たされたものだけが持つ瞳だった。実際、紛れも無く雪香は幸せに包まれていた。
朧と暮らし始めて、雪香は眼に見えて日々明るくなっていった。
ダイニングキッチンの窓から差し込む薄暮の輝きが、雪香の顔貌に優しく降り注いだ。
太陽の光が染めたかの如き艶やかなセミロングの栗色の髪、くっきりとした薄い二重瞼、黒く清らかな長い睫、
丹花のように可憐な唇、綺麗に象られた鼻梁。明眸皓歯だ。朧と出会う前も美しくはあった。だが今のような華やかさがなかった。
それは明るさだ。あの病的な美はすっかりナリを潜め、雪香は健康的な笑みを振りまくようになった。
雪香が少女本来の笑みを取り戻した理由──それは朧に対する恋であり愛だった。
ダイニングの脇から朧は雪香を盗み見た。今の雪香には華やかさがある。それでも朧は思い出すのだ。
あの時嗅いだ色香を。腐臭を。絶望的な孤独の中に感じた雪香の腐敗じみた色香。あの匂いはどこへいったのだろうか。
何故、雪香は狂っていたのか。当初、朧は雪香の孤独の苦しみが理解できずにいた。いくら思案を巡らしてもわからないのだ。
孤独が理解できないのではない。孤独である事に何故苦痛を感じるのかだ。朧も孤独だった。
しかし、孤独である事を寂しいと思った事も無ければ、苦痛を感じた事もなかった。朧は孤独を愛していたのだ。
孤独とはいいかえれば自由。しかし、雪香と暮らすようになってその苦しみがわかりかけてきた。
孤独は二種類存在するのだ。他人から強制された孤独か、自分で選んだ孤独か。
朧は自分で孤独を選んだが、雪香のそれは他人から強制されたものだった。強制された孤独はつらく悲しい。
強制された孤独は人の心を腐らせる。雪香にとって生き地獄とは恐ろしく静かな場所なのだろう。
エプロンをつけると雪香は食事の準備にとりかかった。鍋に水を汲んでお湯をわかし、大さじ二杯ほどの塩を混ぜる。
お湯が沸騰すると次はスパゲッティのパスタを茹でながら、少量のオリーブオイルをひいたボウルと作り置きのミートソースを横に置いた。
丁度いい茹で具合になったパスタをトングで掴み、ボウルに移した。その上からミートソースをかけて絡ませてから皿に盛り付ける。
肉汁たっぷりの湯気をくねらせるパスタからは食欲をそそる匂いがした。ソースをすくって舐める。隠し味に加えたトマトの酸味が爽やかな味わいだ。
テーブルに皿を乗せて雪香が朧を呼びにいこうとしたが、朧はすでに階段を下りてキッチンの前に来ていた。
イスには座らず、朧が立ったままでパスタを飢えた野良犬のようにかぶりつく。さながら地獄の餓鬼だ。
フォークを突き刺すと一気に口に運び、一心不乱に咀嚼する。ミートソースが唇を茶色く濡らした。肉汁が顎の周りを汚す。
そんな朧を雪香はテーブルに肘をつけてニコニコと笑いながら見つめ続けた。雪香は何も言わない。
朧が何をしようが、無言で微笑を浮かべるだけだ。
中々の早食いだった。朧が三人前のパスタを完食するに要した時間は実に四十八秒だ。雪香がエプロンと服を脱いだ。
鍵を取り出して朧の片方の手錠をはずし、自分の手首にかける。
「ねえ、キスしていい?」
悪戯っぽく微笑みながらキスをせがんだ。唇を重ね合わせ、雪香が舌先を朧の口腔内に入れる。
狂おしい感触に雪香は恍惚の表情を張りつかせた。


81 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/27(火) 00:07:54 ID:RI+ri3es
粘った唾液がミートソースと絡みつく。雪香は朧の唾液を呑んだ。唾液が喉を通って滑り落ちる。
ふたりの指先が互いのアヌス周囲の麝香分泌線を探る。
雪香にとって最高のコミュニケーションとはセックスだ。言葉は何の意味もない。言葉はうそをつくからだ。
だから雪香は言葉を信用しない。
ディザイア──この肉の交わりこそが全ての真実であり、なにものにも勝る。嗅覚、体温、視覚、感触、快楽だけは嘘をつかない。
百の愛の言葉を送られるよりも、一度のセックスのほうが魅力的だ。雪香は手錠をかけた掌を強く握った。
ドクッ、ドクッと心臓が胸板を激しく乱打した。
めまぐるしい甘美さが内部を駆け巡った。身体が熱く火照る。朧の唇を一層、激しく求めた。求め狂った。
熱い舌が絡みつく。
雪香は舌で朧の存在を実感した。母の面影を追っていた雪香は当初、朧を母の代わりと愛していたが、今はひとりの人間として心から愛していた。
いや、それも正確ではない。人はやはり過去の呪縛からは逃れられない。朧と肌を合わせると、心のどこかで母の温もりが喚起する時がある。
雪香は元々レズビアンだ。朧に出会う前は男に興味を持つ事が無かった。出会った時も最初は異性として認識していたとはいい難い。
雪香がレズビアンに走ったのは未だに母親離れできないせいだった。朧の言葉を思い出す。
『俺はお前の母親の代用品じゃない』
その一言が雪香に何かを目覚めさせたのだ。朧に対する茫洋とした性の認識が定まった。唇を離した。欲情に濡れ輝く雪香の瞳。
「今日はこっちでしようか……」
しなやかなタッチで朧のペニスに触れた。柔らかい肉茎を指弄して雪香は楽しむ。徐々にペニスが硬度を増していった。
「雪香がしたいことをすればいいよ。俺はどっちでもかまわない」
高鳴る胸、女の肉裂が熱く疼いた。ふたりは床に身体を横たえ、もう一度キスを交わす。ペニスを握ると雪香は膣口に導いた。
最初は鈴口で自分のクリトリスを弄り、温かい蜜液で秘所をトロトロに濡らしてから挿入する。
「ああ……ッ」
半ばほど没したペニスを締めながら、雪香は自ら腰を動かした。朧の薄い胸板に噛み付く。痛みに朧は僅かに表情を曇らせた。
「美味しい……」
「痛いからあんまり強く噛むなよ」
「……ごめん」
謝りながら朧の薄桃色の乳首の幹を甘く愛咬する。形の良い乳房が小刻みに揺れた。雪香の息遣いが荒くなり、美しいラインの眉根が歪んだ。
「んんん……ッ、ああ……あああッ」
膣壁がペニスを擦るほどに、朧は亀頭の先端に熱い血流を感じた。汗が額に浮かぶ。こめかみから頤を伝わって汗がこぼれた。
「はあぁぁ……もっと、もっと奥に欲しい……ッ」
雪香は呻くように呟くと腰をさらに密着させてペニスを割れ目の奥へと呑みこむ。膣内は激しくうねり、せり上がった恥骨が当たる。
「もう、もう駄目……あああッ」
おびただしい愛液を股間をまみれさせながら、雪香は激しく腰を荒打ちさせた。背筋に凄まじい喜悦が走った瞬間、ふたりは達していた。
                 *  *  *  *  *  *
ベッドで安らかな寝息を立てる雪香の頬を朧は軽く舐めた。隠し持っていたを後ろ髪から抜く。手錠の鍵穴にヘアピンを差し入れた。
小さなレバーの部分をヘアピンで回す。はずれた手錠から手首を引き抜いた。雪香が起き出さないように静かにベッドから降りる。
クローゼットからトレンチコート、書斎から本を一冊失敬する。久しぶりに外の世界を見たかった。玄関を開けて外へと出る。
庭に視線を向けた。ドーベルマンは吠えもせず、ただ朧を見つめた。何かに誘われるかのようにふらふらと朧は道玄坂方面に足を運んだ。
気が向けば帰ってくるし、気が向かなければ帰らない。糸が切れた風船のように風の向くまま気の向くまま、自分の本能に従って朧は行動する。
東に風が吹けば東に飛び、西に風が吹いたら西にいく。流れ流れてこの世を漂い、好き勝手出来ればどこで野垂れ死にしようが一向に構わない。
須臾の時間、この刹那の時だけを生きる。昨日も無ければ明日もない。
明日を信じたところで何が起こるかわからない。昨日を振り返ったところで、過去が変わるわけでもないのだ。
明日という予測のつかないモノを信じてストレスを抱え、己を殺して生きるよりは今日を好きに生きて明日死んだほうがいい。


82 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/27(火) 00:10:03 ID:RI+ri3es
気に入らない奴はぶちのめし、欲しいものがあれば盗んででも手に入れる。朧は自分に対して嘘はつかない。
その考えは到底、社会に受け入れられるものではない。反社会的とさえ言える。だから朧はつねに独りだった。
集団の中にいれば何かと煩わしいからだ。
下は裸のままトレンチコートを一枚羽織って、暁闇に包まれた住宅街を横切る。当たり前だが人通りは途絶えていた。
夜空を見上げた。星一つ見えなかった。
「ああ……はらへった」

「親分さん、色突き終わりましたよ」
彫菊に声をかけられた初老の男が布団から身を起こした。歳を食ってはいるが、男は壮健そのものの身体つきをしていた。
実際の年齢より十五歳は若く見える。太鼓腹だが、相撲取りのように脂肪の下には厚い筋肉が隠されているのが彫菊にもわかった。
男の眉は太く一本に繋がっており、一重瞼の金壺眼に顔面の中央にどしっと座った低い団子鼻という異様だが精力溢れる面貌だった。
鯉に金太郎の彫り物を背中に背負うこの男は、関東では有名な金看板を掲げてた一家の総長だ。
本来ならば、たかが七年そこらの駆け出し彫師に毛の生えたような彫菊に声をかける人物ではない。
彫菊の師匠筋に当たる人物と総長との付き合いが深く、ある席で師匠に紹介されたのが縁を持ったそもそものはじまりだった。
「十八年ぶりの色突きはきついよ。やっぱり私も歳だねえ。だけど若い娘さんにやってもらうとなんか若返った気分になるよ。
特にあなたみたいな綺麗な娘さんにしてもらうとね」
「いえ、とんでもありません」
大島紬の袴を着ると叩いた。若衆らしき黒服の青年が襖を開けて部屋に入ってくる。
「総長、彫菊さん、お疲れ様です」
三つ指を突いてふたりに向かい深々とお辞儀をする青年に総長は温和な微笑を投げかけた。屈託の無い笑みだった。
「ご苦労さんだね。ちょっと忙しいと事悪いんだけど、彫菊さんを家まで送ってやってほしいんだよ」
「はい、わかりました。ではどうぞこちらへ」
青年が車庫まで案内するとベンツのドアを開けて、彫菊を車内に促した。
                 *  *  *  *  *  *
スツールに腰を下ろして彫菊はウイスキーの水割りを頼んだ。肩の荷が下りた気分だ。流石にあれほどの大物と会うと緊張する。
マスターが運んできた水割りを三口で飲み干すと彫菊は水割りのお代わりを頼んだ。あの少年──朧の事が気にかかる。
不思議な少年だった。美しい顔と肌の持ち主だった。金と食事を与えるから背中に刺青を彫らせてほしいと頼んだら自分についてきた。
すでに半金を支払ってはいたが、残りの金を受け取りに来ない。今頃どこで何をしているのか気がかりだ。
堅気ではないだろう。かといってヤクザでもない。今まで見てきた人間のどのタイプにも当てはまらないのだ。
しいていえば小学生の時に飼っていた黒猫に似ていた。濡れ羽色の毛並みをした細身の綺麗な雄猫だった。彫菊はこの猫が好きだった。
美しかったからだ。半年ほどしてから家から居なくなってしまい、泣きながら日が暮れるまで探したのを覚えている。
彫菊が彫師の世界に身を投じたきっかけ──それは飼っていた黒猫に右腕を引っかかれた事が引き金だった。
鋭い爪が肉を引き裂く灼けるようなあの痛み。腕に残った傷の跡。傷とは、痛みとは何なのだろうか。
幼いながらに彫菊は痛みについて頭を絞って思い集んだ。英国の詩人フランシス・トムソンはこんな詩を残している。
『全ては呻きではじまり、呻きで終わる。人生は他人の痛みで始まり、自分の痛みで終わるのだから』
では傷跡とは何なのか。傷跡──それは痛みの痕跡だ。傷跡はしばしば他人に苦痛を喚起させる。しかし美しくは無い。
美しい傷跡など彫菊は見た事が無かった。仮に美しい傷跡があったとしよう。だが、大部分の傷跡は醜い。
出来る事なら美しい傷を身体に残してみたかった。そしてたどり着いたのが刺青だった。