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254 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/04/01(日) 18:10:53 ID:rphe6b+j
「”すぐに”済む『用事』だから…」
 加奈が俯いたまま、覚束ない足取りのせいで揺れる体で扉の前へと向かっている。
 発せられた言葉からは一言一言を噛み締めるように相手の脳裏に焼き付けようとする
強い意志が感じ取れ、同時に根拠のない説得力が俺に安心感を齎した。
 だから、俺は加奈の発した言葉から僅かに滲み出ている、延々と続くエレベーターに
乗っているような心の隅に滞在して不安を煽る不快感を払拭する為に振り向いた。
 そして”加奈の『背中』”を見た瞬間、何かが弾けた。
「ひゃっ!? ま、誠人くん?」
 俺は自分より一回りは小さい加奈の背中目掛けて無我夢中で飛び込んだ。
 加奈が驚いているのも厭わず、俺は自分の頭を加奈の背中に擦り付けた。
 動物の独占欲の象徴とも取れる行動、『マーキング』のように、何度も何度も。
 目で加奈の背中を見、耳で擦り付ける度に漏れている加奈の呻き声を聞き、鼻で加奈
だけの匂いを嗅ぐ、自分でも呆れる程厭らしい行為を繰り返す。
 全ては、加奈の姿を見た事によって広がった寂寥感を根絶する為。
 そして………
「…頼む…。”行かないでくれ”…」
 加奈自身を、俺の手元から手放したくないが故の行動である。

 さっき見た加奈の背中の事を思い出すと、体の芯から凍えるような寒気を感じる。
 その背中は、俺を安心させるように強気だった口調に反し、壊れ物のように脆そうで
弱々しかった。
 小さ過ぎるそれを見た時理解した、”加奈はまだ『無理』しているんだ”と。
 理由は分からないが、”俺の為に”思いつめているのは火を見るより明らかだった。
 数時間前の『誓い』をまるで無視するかのような行動に、俺は一つの不安を感じた。
 ”加奈が遠くに行ってしまう”という、立証しようのないしかし確信に近い推測。
 想いそのものを加奈が拒絶してきているなら、悲しむのは俺だけだから構わない。
 だが、加奈の俺の事を労わるような口ぶりからしてそれはありえない。
 ”想いは繋がっている”、その上で加奈は俺の為に”一人で”頑張ろうとしている。
 それは俺があってはならないと思っていた『状況』と全く同じなのだ。
 相手の事を全て理解していると仮定した上で相手の為に行動し、理解し切れていない
部分から『亀裂』が生じてしまう危なっかしい関係。
 そんな自己満足の為だけに存在しているような関係に甘んじるのは駄目なんだ。
 勿論加奈が自己満足なんて歪んだ欲望の為に行動しているとは微塵も思っていない。
 加奈は俺の事を想ってくれている、だがそこが問題なのだ。
 俺の事を”想うあまり”、自分の身を省みない行過ぎた行動を取りかねない。
 その延長線上でもし加奈の身に何かあったら、俺は絶対に自分を許せない。
 何より、加奈が傷付く事だけは何としても避けなければならない『絶対』なのだ。 
 その為ならば、見栄やプライド等の、持っていても関係維持に何ら役に立つ事のない
下らないものは喜んで捨ててやる。
 格好悪かろうが構わない、杞憂だろうと罵られようと構わない、”俺たちの為”だ。

「置いてかないでくれよ………頼むから…加奈ァ………」
 こんな子供染みた甘ったれた言葉も、恥ずかし気もなく平気で口から漏れてしまう。
 改めて今の言葉を脳内で繰り返してみると、語感までが甘えた感じになっている。
 いつから自分はこんなヘタレになってしまったのかと嘆きつつ依然と頭を擦り付ける
のを止めず、抱き締める力をより一層強くする。
 そうする度に僅かに揺れる黒髪から、”加奈だけの匂い”が漂う。
 絶対に口では説明出来ない、俺だけが知る幼い外見とは対照的な妖艶な香り。
 俺の心を焦らすように、煽るようにほんの少しだけ流れる夢想世界にうっとりしそう
になっていると、突如体に衝撃が奔る。
 刹那………
「ごめんね…誠人くん………ごめんね…」
 俺の腕を振り払った加奈が体を反転させ、今度は逆に抱きついてきた。
 いきなりの行動に戸惑いながら、加奈を見下ろす。
 そこには「ごめんね」という単純な言葉に『生』を吹き込むようにしっかり発音し、
自分より大きい筈の俺に子供をあやすように優しく囁く加奈の姿があった。
 加奈に、愛しの相手に擁護されているような感覚に包まれる。
 その心地良い一時を永遠の物にしたい意思の表れなのか、俺は加奈を抱き締め返す。
 お互いの力で繋がっていると言う実感が、俺の中の不安を完全に風化させていった。


255 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/04/01(日) 18:12:10 ID:rphe6b+j
「加奈…何かあったんだよな?」
 もう心の僅かな隙を狙い均衡を崩そうとする悪魔が巣食う事もない。
 そんな奇妙な確信を得た俺は、自分の想いを『確認』という形で示す事にした。
「………」
 抱き締める力を緩めた加奈が、居所を探すように視線を動かしている。
 その挙動不審な様は、先程の俺の中途半端な確信を確固たるものへと変えた。
「教えて欲しい。駄目か…?」
 数時間前の『誓い』をどんなに無様な格好であろうと遂行してやるという『意志』、
そして先程の『確信』が前提にあったからこそ、俺は恐れずストレートに訊けた。
 『覚悟』があるからもう心を揺さぶられる事はない、だから失う物もないんだ。
 俺も抱き締める力を緩め、加奈の肩を掴みながら腕の長さ分距離を取り見つめ合う。
 強制的に俺と視線を交錯する事を余儀なくされた加奈は、ばつが悪そうに視線だけを
下に向ける。
 その行為に多少なり焦燥感を感じながら、肩を掴む力を強くしていく。
 その力と、俺の今の想いの大きさは比例しているんだと暗示したいが故に。
「…目を背けないでくれ…!」
 勿論、想いは口で伝えなければ意味を為さない事は十分過ぎる程痛感させられた。
 だから、俺は呆れる程実直に今の想いを、一言一句違わずに加奈に伝えた。
 そんな俺の言葉に感化されたのか、再び視線を合わせてくる。
 互いの想いを伝え合う『経路』、それが俺と加奈の合わさる目線上と重なっていく。
 それでも、もう”目で会話している”なんて甘い妄想に取り憑かれる事はない。
 自らの意志の固さを再認識しつつ流れる数秒の後、加奈は微かに笑みを見せてきた。
 いつかのような無理な作り笑いでもない、何かに取り憑かれたような狂気染みた笑顔
でもない、俺が加奈と出会ってからずっと愛してきた幼さ残る笑み。
 その柔らかい表情を見て、ふと加奈と付き合い始める前の事が思い出された。
 思えばあの時は、お互い想いを心には秘めても決して口には出さない、『幼馴染』と
いう関係を守り抜いていた。
 だから、気兼ねなく話せていた気がする。
 そんな時の笑顔が今の加奈の笑顔とぴったり一致したような気がしてならなかった。
 自身以外の存在を全てなしにして、純粋に己が一番輝ける俺にとっての最高の笑顔。
 そんな笑顔を見て、俺は心の底から湧きあがって来る『懐かしさ』を覚えた。
 『懐かしさ』を感じるという事は、長い間それを見ていなかったという証拠だ。
 きっと俺がいたから、俺を意識するあまり加奈は無意識の内に心の底から笑う事すら
出来なくなっていたのかもしれない。
 そしてその原因は俺にある事に罪悪感を感じたが、今更いちいち悔やむ事はない。
 そんな事をしている暇があるなら、一刻も早く加奈を笑わせてやるべきなのだ。
 『誓い』という名の『決意』を新たにする俺をよそに、加奈はゆっくりとした足取り
で俺から離れ、俺が部屋に入った時にいた場所…敷布団の上に移動した。
 そして無駄のない小さな動作で俺の『携帯電話』を拾い上げるのを、静かに見守る。
 『携帯電話』………、置いてある場所が移動していた位にしか気に留めなかったが、
それに一体何の意味があるのだろうか…?
 困惑する俺に、加奈はゆっくりとその中身を突きつけてくる事で『答え』を示した。

 『From 島村由紀
  Sub  (無題)

  誠人くん、あなたは何で”あんな”子が好きなんですか?』

 そのメールを見て、『納得』と共に激しい『憤怒』が体中を駆け巡っっていった。
 折角前者が理解を前提とした爽快感を与えてくれたというのに、後者の感情のせいで
相殺、もしくはそれ以上の激情が俺の頭の中に奔ってしまった。
 加奈の不気味な行動の真意は読めた、要はこのメールが気に食わなかったのだ。
 島村は今日俺の事を好きだと言った。
 その事とこのメールの内容を繋げると、島村が俺たちの仲を壊そうとしているという
結論に十分に至る事が可能だ。
 だから、加奈はそれを憎悪に変えて”何か”をしようとしたのだろう。
 その”何か”の正体は、今俺が感じている起伏の激しい感情が教えてくれている。
 純然たる………『殺意』。
 失礼な推測だが、”加奈は島村を殺そうとした”のではないかと、俺は思った。


256 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/04/01(日) 18:13:03 ID:rphe6b+j
 勿論、それが真実だったのか、俺の空想に過ぎないのかは定かではない。
 可能性は五分五分だが、だからといってそれを確かめようとは思わない。
 加奈がもうその行動に対する意欲を失っているのだから、確かめる必要もない。
 しかし正確には、確かめようとしないのではなく、確かめたくないだけなのである。
 俺は島村から送られてきたメールを見て、はっきりと『殺意』を覚えた。
 今日島村がはっきりと加奈を侮辱する発言をした時思わず「殺す」と言ってしまった
時並の、沸々と湧き上がる、それでいて波の激しい感情。
 今もそれを感じているが行動を起こさないのは加奈が意志を手放したからに過ぎず、
もしも今も加奈が島村に対して殺意を抱いていたら、果たして俺はその感情を抑止して
やれたか、否定してやれたか、正直言って自信が全くないのだ。
 同じ欲を持った者同士と言う『共通点』を『絆』と意図的に錯覚して、それに便乗し
流されるままに加奈が纏っている狂気に呑み込まれていたのではないかと思ったのだ。
 加奈を狂気から助けてやるという目的を達成出来ないまま、結局お互いに甘い現状を
抜け出す事が出来ないままに、真の『絆』の居場所を見失っていたのではないか。
 その光景を想像すると身震いしてしまう。
 自分たちが正しい『幸福』を手に入れられなかったのに気付かないまま歪んだ妄想の
中で一生沈んでいく、そんな無限地獄、俺は死んでも御免だ。
 そんな最低で甘い終幕を『上書き』するかの如く、俺は加奈の手から携帯電話を奪い
取り、そのメールを滑らかな手つきでボタンを弄る。

 ―――『メールを削除しますか』

 そして携帯に表示されたその文章を加奈に見せながら、俺は微笑んだ。
「”二人で”決めよう…? ”俺はする”。加奈は?」
 それは、『誓い』を最も体言化しているであろう、俺の中での『最善』。
 そんな俺のボタンに触れている指に、温かい感触が伝わってくる。
 見ればそこには加奈の細くてしなやかな指が、同化を求めるように添えられている。
「”あたしもする”」
 たった一言そう言っただけの加奈は、しかし相反する程充実した笑顔を向けてくる。
 俺が何年も待ち望んでいて、遠回りばかりして視界に広がりすらしなかった理想物語
が、ついに終着点に辿り着いて完結したんだという実感を加奈と共有する。
 こんなに近くにあった、ちょっと機転を利かせれば簡単に見つけられたであろう道。
 複雑過ぎる迷路の端っこに横たわっている一直線の『正解』を思わせる。
 加奈と見つめ合いつつ口で交わした言葉を手繰り寄せながら、俺と加奈は”二人で”
そのボタンを押した。

 ―――『削除しました』

「終わった…」
 安心感から漏れた言葉、しかしこれは明らかに間違っている。
 まだ終わっていない、終わらしてはいけない、終わらせられる訳がない。
 まだ”やり残した事”がある、それが決着するまでは先に進む事は出来ない。
 手始めに俺は加奈と向き合い、言葉の大切さを噛み締めながら一つの要求をする。
「加奈、約束してくれ。もう二度と、誰も傷付けようとしないって」
「え?」
 俺の言葉を受けて、加奈は心なしかキョトンとしてしまった。
 無理もないかと、心の中で気休めに苦笑してみるが、やはり罪悪感は拭い切れない。
 これが俺の出した、加奈を狂気から助け出す為の『手段』であり『答え』だ。
 この言葉は加奈の中に巣食う狂気を認める事に繋がってしまうが、俺だけでなく加奈
も納得する為には、加奈自身にも滞在する『狂気』を認めてもらわなくてはならない。
 『誓い』を守りつつ加奈を助ける為の方法として、俺はこれしか思いつかなかった。
 加奈を一時的に傷付けてしまうかもしれない、それでもこれは避けて通れない道。
 これを約束してもらわなくては、また独断での行動に奔ってしまうかもしれない。
 危ない種は早々に摘んでおかなければならない。
 沈む俺の心中を察してか、加奈はその深くて暗い闇に灯を灯すように笑顔で答えた。
「約束するよ。もう誰も傷付けないよ…!」
 その答えに俺は安心しながら、距離を詰め加奈の頬に軽いキスをした。
 これは明日への誓いの証、真っ赤になって蒸気している加奈の頬を撫でながら思う。
 ”明日で全てを終わらせてやる”。



257 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/04/01(日) 18:14:03 ID:rphe6b+j


「お早うございます。そちらから呼び出しておいて遅刻というのは頂けませんね」
「痛いとこ突くな…。俺の寝覚めは最悪なんだよ」
 暑中真っ只中だが朝はやはり肌寒いななんて事を体と心で感じ取りながら、目の前で
クスクス笑う島村を見て、俺は因縁の体育館裏の中で俄然やる気を奮い立たせた。

 昨日加奈にあの約束をさせた後、今度は加奈が一つの『約束』を要求してきた。
 その『約束』は俺が”やり残した事”として、やらなければならないなと心に決めて
いた事だったから、俺はすぐさま快く了承した。
 その『約束』の後、俺は島村にメールをした。
 そして翌日の早朝、あの体育館裏で待ち合わせをする約束を取り付けたのだ。

 ―――『体育館裏』。
 一昨日、女子トイレから出てきたところを見られて、無理矢理連れ込んだ場所。
 初めて人に、それも女に踏まれるという屈辱的体験をし、同時に島村由紀という人物
の存在が俺の中で色濃いものになるきっかけとなった場所。
 加奈が敵意を向け、カッターを取り出した狂気が渦巻く忌々しい場所。
 思えばこの静かで穏やかな空間は、俺と俺を取り巻く人間をかき回し続けてきた。
 神の悪戯なんだと現実逃避すらしたくなった、『非日常』の連続だった二日間。
 その時に起こった事象にに幾度も翻弄され、大切な人をも失いかけてしまった。
 これからその因縁に決着をつける、その因縁の連鎖を作り出してきたこの場所で。

「それで、『話』とは一体何ですか?」
 先手を取ってきた島村の発言に怯む事もなく、俺は唇を噛み締める。
 そう、迷いを振り払う為に、躊躇いを捨て去る為に、血が滲むまで噛み続ける。
 そして余裕を絵に描いたような島村の態度をよそに、俺は一歩左にずれる。
 俺という壁がなくなった事により、その後ろから隠していた加奈の姿が露になる。
 この突然の演出に驚くかと思ったが、意外にも島村の顔色が変わる事がなかった。
「あら、加奈さんもご一緒されていたんですか。仲の宜しい事で」
 相変わらず笑顔は崩さないまま、島村は多少皮肉めいたような口ぶりで言い放った。
 島村のその言葉を受け流す加奈、ここで俺が加奈にさせた『約束』が効いている。
 誰も傷付けないというあの『約束』、していなければ今頃また加奈と島村の無意味な
口論を繰り広げて、下手をすればまた加奈は逆上して奇行に走っていただろう。
 自分のした事の正当性を改めて確認しながら、俺は島村を見据える。
「島村、今日言いたい事は『一つ』だ」
 俺は加奈を庇うように右手を横に伸ばしながら、島村を真剣な眼差しで見つめる。
 催促するように”俺だけ”を嘗め回すような視線で凝視してくる島村。
 その行為を感じ、昨日島村が言ってきた「俺の事が好き」という発言が本当なんだな
と今更な事を思いつつ、左手を自分の胸に当てる。
 大丈夫だ、とひたすら自分に言い聞かせる。
 そして口早に、陳腐だが絶対に捻じ曲げる事の出来ない『真実』の言葉を紡ぐ。
「”俺が好きなのは『加奈』だ”。だから、お前とは付き合えない」

 そう………加奈が俺に要求してきた『約束』とは、”島村との絶縁”だった。
 『絶縁』というと少々大袈裟に聞こえるが、要は”付き合えない”という意志を明確
に示し、島村の俺への想いを諦めさせてくれ、という事だ。
 これは俺自身やらなければならないと実感していた必須事項だ。
 島村が俺に好意を以って接してくる限り、俺にとっても加奈にとっても平穏と心から
感じ取れる時間は訪れる事はないと思う。
 この二日間で十分に理解している、島村の行動原理は俺を振り向かせる事にある。
 単純な一つの理由であり、理屈が決して割り込めない思考での行動だから、島村由紀
の行動は全く読めない。
 それは紛れもなく、俺と加奈の関係維持にとって最大の『脅威』と言って良い。
 だから、その危険な芽は速めに摘んでおかなければならない。
 それに、島村は加奈以外で初めて俺に好意を示してくれた女の子だ。
 そういった意味で一人の男として『けじめ』をつけなければならないと思ったのだ。
 加奈と付き合う為には、中途半端な関係は全て清算しなければならない。
 それが最愛の加奈への愛情表現であり、加奈と付き合う上で”あるべき様”を教えて
くれた島村由紀という一人の女の子への、最大の礼儀なのだ。


258 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/04/01(日) 18:15:42 ID:rphe6b+j
 俺の発言の後、島村は一瞬目を大きくして驚いた表情を見せてきて、すぐに俯いた。
 何の返答もない為に広がる沈黙、場所が場所なだけにその負の雰囲気は不気味に俺を
包む空気に順応し、そのカクテルが織り成す不気味さに俺は耐え切れなかった。
「………島村?」
 ここで下手に出ては不味い気がしたが、自分の忍耐力のなさに呆れながら訊ねた。
 そんな俺の呼び掛けへの答えは『即答』という形でしっかりと返ってきた。
「誠人くん、何か『勘違い』していませんか?」
「『勘違い』…だと?」
 突然の心当たりのない問い掛けに、俺は思わず口篭ってしまった。
 慌てながら『答え』を探している俺の様子を、島村は見下すように楽しんでいる。
 島村の本性を垣間見たあの時と似た『空気』が、鼻を通して全身に行き渡っていく。
 …”不味い”、直感がそう告げている。
 この直感は、矛盾しているが島村にされた体験を基にしての根拠ある推測に近い。
 だからより一層俺の心をかき乱している…島村のペースに呑まれているという実感を
全身全霊で感じてしまっているから。
 それに連動して心臓が収縮しているような息苦しさが体を支配しているのを感じた。
「やはり分かっていませんね。私自身の事あまり理解されていないようで悲しいです」
 悲しんでいるようには到底思えない明るさを保ったままの声調で島村は攻めてくる。
 今の言葉が引き金になって、体中からどっと冷汗が噴出すのを肌で感じ取った。
 駄目だ、このままではどんどん島村の術中に嵌っていくようでならない。
 だから俺は『逃避』に限りなく近い行為、『無視』で応戦する事にした。
 何を言ってもボロが出そうな気がしてならない今の俺にとっては最も有効な策だ。
 島村の緩んだ目元をひたすら凝視している事数秒、島村の口が静かに開いた。
「これは『略奪愛』なんですよ。文字通り『略奪』させて頂くんですから、その前提と
 してお二人が付き合いなさるというのは至極当然の事。どうぞ私が『略奪』し終わる
 までの間は、正直嫌ですがお二人だけの時間をお楽しみ下さい。邪魔しますがね…」
 悠然と、何の障害もなく、真っ直ぐ島村は俺と目線を合わせようとしてくる。

 ―――『略奪愛』…なるほど。
 そういう可能性は全くと言って良いほど考えていなかった。
 島村は俺と加奈の関係を”容認した上で”、その仲に割って入ろうとしているのか。
 俺が好きなのは加奈だけど、不謹慎ながら可愛いと思ってしまった。
 そこまでして俺と付き合いたい、そんな娘の想いを無碍にするなんて俺は出来ない。
 加奈への気持ちが揺らぐ訳はないんだし、島村が”それでいい”と言っているなら、
島村が諦めるまで今まで通りの関係であるというのもいいんじゃないか。
 島村は飽きればそれで終わりだし、何だ、最善の策じゃないか!―――

 多分今までの俺なら、島村が俺たちの関係を容認しているという『逃げ道』を利用し
そんな最低な事を平気で考えていたのかもしれない。
 だが、”加奈と”『約束』を交わした今の俺には、する事は一つだと分かっている。
「島村………」
「本当はすぐに付き合いたいんですが、物事には順序があり…」
「島村ッ!!!」
 人の話を聞こうとしない島村に、落ち着いた静寂をかき消すかのように一喝する。
 突然の大声に、さすがの島村も驚きを隠しきれないかのか目を丸くしている。
「心臓に悪いですねぇ。どうされましたか、誠人くん?」
 すぐに呼吸を整えた島村は、再びポーカーフェイスを作り直す。
 これからこの余裕そうな表情を崩さなければならないのかもしれない事を考えると、
かなり胸が痛むが、『逃げ』ではなくこれは間違いなく島村の為の行為だ。
 ”分からせてやらなければ”、俺は加奈のみならず島村まで傷付けてしまう。
 加奈に”誰も傷付けるな”と言っておいて俺が実行してしまっては示しがつかない。
 どうせ傷付かなければならないのなら、傷が深くない内が良いに決まっている。
 多少良心が軋むのを感じるのは、俺だけだ。
 それは今まで”はっきりさせられなかった”俺の優柔不断さへの報いなのだと思う。
 だから、俺は受け止めなければならない。
「『勘違い』しているのは、お前だ。島村」
「はい?」
 間の抜けた声を発した島村、初めて隙が出来たなと思いつつ、俺は続ける。
「お前が俺を好きでい続けるなら、俺はお前と『友達』としても付き合いはしない」


259 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/04/01(日) 18:16:36 ID:rphe6b+j
 言ってしまった…だが後悔はしていない。
 こうしなければならなかったのだ、そう自分に必死に言い聞かせる。
 そうしなければ俺自身良心の呵責で、心が潰れてしまう気がしたから。
「それはつまり………”好きになるのも止めろ”って事ですか? ”まさか”ですよ。
 そんな酷い事誠人くんが言う訳ないですよね? これでも恋する女の子なんですから
 そんな一途な想いを否定なんて出来ませんよね? あ、もしかして私が本気で愛して
 ないとか思ってます? そんな事滅相もありませんよ。私は誠人くんを一番に愛して
 いる自信、いえ確信がありますしそれにですね…」
「それ以上言うな!」
 「ひえ」という情けない声を発しながら、島村は肩をビクリと震わした。
 その震えはそのまま体全体に広がっていき、顔も歪んでいくのが分かる。
 もう先程までの余裕は微塵も感じられない、壊れそうな表情を浮かべている。
 予想通りの反応、しかしこうするしかなかった。
 俺が島村を好きになる事は死んでもありえない、俺の一番はいつだって加奈だけだ。
 だからそれを知らずに、『可能性』があると思い込みいつまでも俺に固着していたら
島村は絶対に後悔する。
 叶わない想いだと知る由もなく、永遠に『俺』という呪縛から抜け出せなくなる。
 大袈裟だが、最善の策である事は明白だ。
 ”島村が俺への想いをこれ以上募らせない内に思い知らせてやる”、それしか無知な
俺には島村を助けてやる策を思いつかなかった。
「…”どうしても”なんですか? 私じゃ駄目なんですか? 何で加奈さんじゃなきゃ
 いけないんですか…?」
 眼鏡越しの潤んだ瞳が、俺を手放さんとするように粘着質に絡んでくる。
 だが、今ここで情を移したら全てが水泡に帰してしまい、また島村を傷付ける。
 心を鬼にするしか、ないんだ………。
「俺には、”加奈しかいないんだ”」
 …終わらした。
 絶望に打ちのめされ、目を見開かせ、口をパクパク動かしている島村を見て思った。
 俺と加奈の曖昧な関係を、そして”島村の恋”を俺が強制的に終わらせた。
 やはり罪悪感を感じる、それでも俺は島村に優しくしてはいけない。
 好きな人以外への好意は周りの者を傷付けはしても、癒すなんて事はありえない。
 もしかしたらこれよりももっといい方法があったのかもしれない。
 それでも俺のした事は間違っていない。
 俺を見たまま固まっている島村を見ながら、想いを断ち切ろうとする。
 …刹那、島村が俺から視線を外し下を向いたと同時に、静かに言った。
「…分かりました………”私では”駄目なんですね…」
 分かってくれて良かった、そう俺が思う暇もなく島村は何故か眼鏡を静かに外した。
 そして次の瞬間………
『ガシャッ』
 実際起こった事の割には結構小さい音が響いた。
 その音が耳に入ってからしばらく、俺は何が起こったのか理解出来なかった。
 それが島村お得意の、”理解不能の行動”だからだったと思う。
「島村!? お前何してんだよ! お前の眼鏡だろ!?」
 思わず叫んでしまう、叫ばなければ頭の中が疑問符で溢れかえってしまう。
 島村がした行動…眼鏡を外したと思ったらいきなり足元に放り投げ、そして躊躇なく
踏み潰してしまうという行動の真意が全く読めない事で、俺はかなり動揺している。
 困惑し生唾を飲み込む俺をよそに、島村は初めて眼鏡を外した状態で俺を見てくる。
 長い前髪でよく見えないが、微かに妖しく光っているような気がした。
「だって、もういりませんもん。誠人くんは眼鏡を掛けた女の子は嫌いなんですよね?
 …”加奈さんは”眼鏡を掛けていませんもんね…ハハハ………」