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212 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 00:26:23 ID:wHKFQGU5
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 都内の国道に沿って続く大通りを囲うようにして存在する店舗たちの
すき間を通り抜け、小さな路地を進んだ先。
 そこにはいわゆるメイド喫茶と呼称される喫茶店があった。

 喫茶店の中には4つのテーブルとカウンター席があり、カウンターの内側では
男性ウェイターがグラスを磨いていた。
 その男性ウェイターの苗字は南と言う。
 アルバイトの店員からは南さん、恋人である女性店員からは南君、と彼は呼ばれていた。
 大学を卒業後、彼はこの喫茶店に就職しウェイターの制服に身を包んでいる。
 
 彼の仕事は主に軽食の調理、レジでの清算、その他の雑務全般であり、
接客業務などは行わない。メイド喫茶でウェイターが接客をするのはおかしいから、
というのがというのがその理由である。
 店内には彼以外の男性従業員の姿はない。男店長が事務所の椅子に座っているものの、
足首と椅子が手錠で繋がれている状態では出歩こうにも不可能であるため、
結果的に喫茶店の男性従業員は南しか姿をあらわしていない。

 カウンターで業務をこなす南の横には、メイド服を着た女性が付き添っている。
 南と彼女はこの喫茶店で出会い、告白も喫茶店の中で行われた。
 彼らの仲の良さは、副店長の女性に「お二人の結婚式はこのお店で行いましょうね」と
言わしめるほどのものであり、営業時間中も二人は付き添ったままの状態である。
 二人の姿は店内にいるメイド服を着用したアルバイト店員の目にも映っており、
彼女達の心に焦りと羨望の情を抱かせている。

 南の顔は、殴られたあとのように少しばかり腫れていた。
 恋人と喧嘩したわけでも、女性店員の着替えをうっかり覗いてしまって殴られたわけでもない。
 仮に後者であれば顔を腫らすどころか、病院の白い天井を拝み続ける退屈な日々を
送ることになるかもしれないが、まあそれは置いておくとしよう。
 
 南が顔を腫らしている理由はこの数日に起こった出来事にある。
 その出来事が分類されるべきジャンルは暴力的なものになる。
 いや、ここでは「あえて」、という単語を付け加えるべきか。

 男性が南に果たし状を叩き付けたときの光景は、時と場所をわきまえれば美しいものに見えなくもなかったからだ。



213 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 00:27:21 ID:wHKFQGU5

 午後5時、喫茶店のドアをカランカラン、と鳴らして入ってくる男がいた。
 その男の特徴を表現するならば巨漢、というものがふさわしい。
 南よりも頭二つ分高い身長に、肩の筋肉の盛り上がりで異常に広く見える肩幅をして、
セカンドバッグかと思わせるほどの大きさの靴を履いている男だった。

 男は挨拶をしてくる店員に会釈をするとカウンターに向けて歩き出し、カウンターの向こうで
グラスを磨いたまま顔を上げない南を見下ろせる位置で立ち止まった。
 男は何も言わない。南も次に磨くべきグラスを手にとっただけで口を開かない。

 男がやってきた理由、それは南と戦うためである。
 別の言い方をするならば、喧嘩をしにきたのである。

 南と巨漢の男は知り合いである。南が大学に籍を置くと同時に身を寄せていた
格闘技研究会で、巨漢の男は南の後輩をしていた。
 その格闘技研究会では主に格闘技に関する情報を集めることを目的としていたが、
南と後輩の男は自らの身で技の実践を行っていた。
 技の威力・精度を高めるための鍛錬方法や、対人戦闘において留意するべき事項を
記録することを当初の目的としていたが、次第に目的が変わっていった。

 2人はどちらが強いのか、それを証明するために組み手を行うようになった。
 技の練度を重視する南と、力が全てと豪語する後輩。
 意見の異なる2人がぶつかり合うのは当然のことだったのかもしれない。

 学生時代の2人の戦いは、全てが南の勝利という形で決着がついた。
 ただ力押しでぶつかってくる後輩が、優れた格闘センスを持っているだけではなく
相手の心理・弱点をつく作戦までとってくる南に勝利することは不可能だったのだ。
 だがその結末は後輩にとって面白いものではなかった。
 勝ち逃げというかたちで卒業した南を追って、後輩の男はこの喫茶店にやってきた。

 南と戦い、勝利すること。後輩の男にとって、それが一番重要なものだった。



214 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 00:28:42 ID:wHKFQGU5

「おに……こほん、ご主人様、ご注文はお決まりですか?」
 立ち尽くす巨漢の男に声をかけたのは、メイド服を着て長い髪をポニーテールにした背の低い店員だった。
 彼女がいかにも声をかけにくそうな男に声をかけることができたのは、彼女が巨漢の男の妹だからだ。

 巨漢の男の名前は、剛と言う。
 妹はたくましい兄のことを、『兄』としてではなく『男』として慕っていた。
 いじめられたときや困っているときにいつも助けてくれた兄の存在は、
彼女にとって何よりも大きな心の支えになった。
 兄と一緒にいるだけで彼女の心は安心感に包まれた。
 彼女は次第に兄から離れることを嫌がるようになり、兄のとなりにいていいのは自分だけだ、
と考えるようになっていった。

 兄に他の女が寄り付かないようにするため、彼女はさまざまは行動をとってきた。
 自分の友人や兄の友人に、自分達が義理の兄妹であると言いふらしたり、
そのうえ2人の間に既成事実が発生している、ということまで捏造して言いふらした。
 そんな妹に対して剛は困った妹だ、という程度の認識しか持っていなかった。
 結果、2人は仲のいい兄妹として先日まで過ごしてきた。

 しかし、妹はその現状に満足していなかった。
 兄をいかにして自分のものにするか、という懸案事項は常に妹を悩ましていた。
 剛は野生的な勘に優れているので、妹が不審な行動をとったらすぐに気づく。
 睡眠薬や痺れ薬などの劇薬を食事に混入したときにはそれを口にしようとはしなかった。
 力づくでものにしようと考えたこともあるが、兄に敵うほどの人間はそうそういない。

 ある日、実の兄を無力化するための方法を考えながら、ぼんやりと路地を歩いていた彼女に声をかける老人が居た。
 不思議なことにその老人は彼女の浅ましい欲望を全て看破した。
 驚く彼女に向かって老人は、「君のお兄さんに○○というメイド喫茶に南君がいる、と教えなさい。
そして、君もその喫茶店で働きなさい。そうすれば、君のお兄さんは永遠に君のものになる」と告げた。
 胡散臭い台詞ではあったが、その老人の言葉はなぜか信用に足るように思えた。
 彼女は老人の言うとおりに行動し、喫茶店のアルバイトを始めた。 
 彼女の言葉を聞いた剛は、翌日には喫茶店にやってきて、南に勝負を挑むようになった。

 それが今から8日前のことになる。
 現時点で南と剛が再会し、拳を交えた回数は既に8回。妹がこの喫茶店でメイド服を着た回数も8回。
 そして今日、彼・彼女ら3人を巻き込んだ事態は9回目を迎えようとしている。



215 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 00:30:24 ID:wHKFQGU5

 剛は手元に視線を落とす南のうなじを見下ろしながら、こう言った。
「ウェイターさん。いつもの、お願いします」
 その言葉に込められた意味は店内にいる全員が知っている。
 つまるところ、今から喧嘩をしましょう、という意味である。

 その言葉に一番の反応を示したのは南の横にいる女性店員だった。
 彼女は一度剛の顔を睨みつけ、次に南の苦い表情を見つめると手で顔を覆った。
 また恋人が傷ついてしまうと思い、涙を流しているのだ。
 南の顔に張り付いている痣は昨日喧嘩したときについたものだ。
 ちなみに、おとといまで南の顔には傷一つついていなかった。
 では、なぜ昨日南は不覚をとってしまったのか?

 その原因は自分の恋人の女性にあると南は考えている。
 彼を責めないでほしい。自分の油断を恋人のせいにするのは彼にとって本意ではない。
 しかし、勤務中かまってもらえないからという理由で、8日前から前例に無いペースで
精力を搾り取られている南の体力はガタ落ちしており、それが昨日の不覚を招いた。
 昨日はかろうじて勝利を収めた南だったが、昨晩は泣き続ける恋人をあやすために
夜通し起きていたため、現在の彼のコンディションは赤一色に染まっている。

 だが、南の体に宿る闘争本能は燃え尽きてはいなかった。
 南の体の奥底から力が沸き始め、全身の血流を活発化させる。
 彼はグラスを食器棚に納めて手を拭うと、肩を震わせる恋人の肩に手をやった。
「南君……」
「大丈夫。今日は怪我なんかしないからさ」
 南は恋人の髪を撫でた。
 言葉と仕草で彼女を励ますのが、南にできる精一杯のことであった。


 喫茶店の前の路地で、2人の男が向かい合って立っている。
 中肉中背の男は腕を垂らして構えを見せていない。
 もう1人の筋骨隆々とした男は豪腕を見せ付けるように腕を組んでいる。

「眠そうですね、先輩。今日のところは日を改めましょうか?」
「慣れない敬語なんて使うな。いつもどおり喋れ」
「まあ、そう言わずに。僕の敬語を聞くことができるのは、これが最後なんですから」

 南は目を閉じると、かぶりを振りながらため息を吐き出した。
「残念だが、お前が俺を敬わなくていいようになるには10年早い。
 せめて言葉遣いだけでも馴れ馴れしくするのを許している俺に甘えろよ」
「それじゃあ、目いっぱい先輩の胸を借りるとしましょうか。
 下手すれば借りたまま失くしちゃうかもしれないから、気をつけてくださいね」
 剛は喜色満面の笑みをつくった。

 その顔を見て南も笑おうとしたが、笑えなかった。
 彼の心には、余裕など微塵もありはしなかったからだ。



216 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 00:32:11 ID:wHKFQGU5

 2人が戦いを始める合図は存在しない。
 どちらからともなく襲い掛かり、殴り、蹴り、叩き伏せるだけである。
 この日、最初に仕掛けたのは剛であった。

 咆哮をあげながら全力で駆け出す巨体は、南の前に立ちはだかると、拳を振りかぶった。
 人間のものとは思えないほど巨大な拳が向かう先は南の顔面。
 その場に立ち尽くしたまま動かないウェイターは、殴られ吹き飛ばされる――
 かと思われたが、悲鳴をあげて後退したのは殴りかかった剛であった。
 見ると、南はその場から一歩踏み出した状態で右手を突き出している。
 剛の打ち下ろしの一撃に合わせたカウンターである。

「ちっ……やっぱ無理か」
「そんなワンパターンじゃ、結果は変わらないぞ」
「さて? ……そいつはどうかな!」

 剛は体をひねると、大振りの右回し蹴りを放った。
 それは標的の首から上を吹き飛ばすためのものだったが、即座にしゃがんだ南には当たらない。
 南は地を這う右足払いを放つと、体勢を崩した巨体の顔面を全力で蹴り上げる。
 続けて放たれる足刀をみぞおちに受けて、巨体が地に伏せた。

 冷徹な声が、せき込む巨体の男に投げかけられる。
「どうした? もう終わりか」
「っへへ……まだまだ!」
 立ち上がると、剛は力任せの攻撃を繰り出す。
 そのことごとくに、南はカウンターを合わせていく。振り回される拳を払い、かわし、急所をつく。
 一瞬の溜めの後に放たれる前蹴りに対しては、体を入れ替えて前進し飛び膝蹴りを顎に穿つ。
 長い間戦ってきた剛の攻撃を見切ることは、南にとってたやすいものだった。
 決して油断できる攻撃ではない。直撃を受けたら骨の数本は折れてしまいそうなものばかりなのだ。
 剛が立ち続ける限りその攻撃が止むことはない。
 決着をつける方法はただひとつ。巨体が地面に沈み動かなくなるまで打ち続けること。
 それすらもたやすいものであったはずだ――南のコンディションが万全ならば。

 剛の放った右ストレート。その軌道もスピードも南の目には写っていた。
 だが、ただでさえ神経をすり減らすカウンターは南の体力まで削っていた。
 ストレートに合わせたフックが剛の顔面に当たる。だが、当たっただけで振りぬくまでにいたらない。

 南の体力に限界が近づいていた。彼のスタミナに問題があるわけではない。
 連日繰り返された恋人との情事によって、彼のスタミナはエンプティラインの目前にまで減っていたのだ。



217 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 00:35:03 ID:wHKFQGU5

(あと一撃で決めないと、やられる)
 と南は感じていた。
 自分が全力の一撃を放てるのは、あと一回が限度。ならば、渾身の一撃で剛を倒すしかない。
 剛が左手を真横に振りかぶる。次の攻撃はフックだ、と南は見切った。
 巨体のわずかなひねりを感じ取った南は、ためらうことなく右の拳を全力で突き出した。

 ぐきり、という音が空気と右手の骨を通って脳に届いた。
 確かな手ごたえ。これでまた、自分の勝利だと確信した。
 目の前にいる剛の巨体が段々と沈んでいく。だが、そのときにおかしなものが見えた。
 剛の口の端が吊り上って、顔が愉悦を形作っていたのだ。

(なぜ、笑っている――?)
 その疑問を浮かべた次の瞬間、南は内臓に衝撃を受けた。
 呼吸が止まり胃が締め付けられ、喉の奥から生暖かいものが飛び出した。
 たまらず顔を伏せた南の目に飛び込んできたのは、太い腕だった。
 剛の太い腕の先端についた拳が、自分の腹筋に突き刺さっている。
(そうか――)
 あえて自分の最後の一撃を受け、至近距離での一撃を放つ。
 それこそが剛の作戦だったのだ。

 
 脱力して地に伏せた南を見ながら、剛は震える膝を押さえつけていた。
 ここで立ち続けていれば、夢に見ていた勝利を掴むことができる。
 倒れたら、きっと起き上がることはできない。この勝利はおあずけになってしまう。
 だが彼の膝は勝利より、休息を一番に求めていた。
 剛の膝が折れる。そして地面に張り付いたように動かなくなった。

 動け、と強く念じても剛の腰から下が動くことはなかった。
 しばらく間を置いてから、彼の背中が地面に着いた。
 次第に、意識が遠くなっていく。
 必死で目を閉じることに抗う剛の目に、カチューシャを髪に差した妹の顔が映った。

 妹は泣いていた。ぼろぼろと涙を流して、自分を見下ろしている。
 一粒の雫が落ちてきた。剛の目に向かって、まっすぐに落ちてくる。
 その様子は、剛の目からはスローモーションに見えている。
 目前に雫が迫ってきたところで、剛は目を閉じ――そのまま、彼は眠りに落ちた。

 2人の戦いは、この日初めて相打ちという形で決着が着いた。

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222 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 04:31:24 ID:wHKFQGU5
・ ・ ・ ・ ・ ・

 2人の戦いから3日が経った。
 今、南は朝霧の立ち込める寺にて1人で座禅を組んでいる。
 剛との再戦に備えて精神集中をしているのだ。

 あの対戦のあとで南は2日間の有給休暇をとった。
 それは体の傷を癒すためというよりは、恋人と一時的に離れることが目的だった。
 剛との戦いで相打ちに終わった理由は、スタミナの不足である。
 その問題を解決するためには恋人との情事を控えることが一番だと南は考えていた。

 だが、後ろ髪を引かれる思いをしたのも事実だった。
 恋人に2日間会えないということを告げたとき、彼女は世界の終わりが来たときに浮かべそうな表情をした。
 立ち去ろうとしたときは、腰にしがみつかれて制止された。
 それでも南は彼女を振り払った。一緒にいると、どうしても彼女を抱きたくなってしまうことを自覚していたからだ。
 だからこうやって離れた土地にある寺にやってきたのだ。

 今日は剛との再戦当日。久しぶりに喫茶店へ出勤することになる。
 同時に喫茶店にいるであろう恋人にも再会できる。そう思うと南の心は躍った。
 この2日間、南は恋人のことばかり考えていた。
 すぐにでも帰って彼女を抱きたいと思っていたが、剛の笑い顔がその思いを止めた。
 戦うたびに自分に倒されていた後輩。その彼の顔が勝利を確信した表情を浮かべたときの悔しさ。
 それを思い出すたびに彼は自分を強く律した。

 手元にある携帯電話が振動し、6時を告げた。
 今から向かえば8時には喫茶店に到着する。
 寺の住職に挨拶をしてから、南は愛用のバイクに跨った。
 向かう先は、決戦場――自身と恋人が勤めるメイド喫茶。

 周囲に立ち込める朝霧を乱さぬつもりでスロットルを回し、南は寺を後にした。



223 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 04:32:25 ID:wHKFQGU5
・ ・ ・

 喫茶店に到着したのは、まもなく8時になろうかという頃合だった。
 店の壁に張り付かせるようにバイクを停めてヘルメットを脱ぐ。
 そのとき、ヘルメットを被っているときには聞こえなかった音が耳に届いた。
 音がする方向は、店内。そこから騒がしい音がする。

 ドン、ドン、という太鼓を打ちつけるような音と、
「が、ぁっ、そんな、なんでぇ! があっ!」
 という男の叫び声が特によく聞こえた。時折、女の声がそれに混ざる。

「あんたの……せいで、…なみくんが、いなく……なったの、よ」
 聞き覚えのある声だった――というより、忘れられない声だった。
 南の最愛の恋人の声である。
 しかし、普段南が聞いているような声とは違った。
 暗くて、耳にこびりつくような恨めしげな音階をしていたのだ。

 さらに耳をこらすと、別の女の声もした。
「や、やめて…………おにいちゃんを、ゆるして……」
 その声は最近入ってきたアルバイトの女の子の声に似ていた。
 そう、たしか――剛の妹の女の子だ。

 何かを打ち付けるような音と、男の悲鳴と、自分の恋人の声と、剛の妹の声。
 それだけ整理しても、店内で何が起こっているのか分からない。
 南は店内を望める窓から中の様子を伺って、次の瞬間目を疑った。
 
 自分の恋人と、剛が戦っていた。
 いや、一方的に剛が押されている状況は戦っているというより、リンチのように見えた。
 剛が力なく拳を振り上げると、その瞬間に恋人の握る箒が動いて拳を突く。
 メイド服のスカートが広がると同時に箒が回転すると、次の瞬間には剛は顎を打ち抜かれて巨体を揺らす。
 その一方的な光景を涙目で見つめる少女は、剛の妹で間違いなかった。

 剛が膝をついた。首はうなだれて、白いTシャツには血がこびりついている。
 メイド服に返り血を付けた女が巨体の男のすぐ目の前まで近づいた。
 右手には赤く染まった箒が握られている。その箒が彼女の頭上に持ち上がる。
 左手で剛の顎を持ち上げると、箒の先端が剛の眼窩を貫ける位置に構えられた。

 そこまで目にしたで南の足はようやく動いた。
 勢いよくドアを開け放ち、店内に踏み込む。血の匂いが鼻をついた。
 恋人の後姿を確認した南は、彼女を止めようとした――が、何をしたらいいのか思いつかなかった。

 奇妙な感覚だった。
 勢いよく迫るトラックを止める方法を探しているときのような圧迫感と無力感を覚えた。
 その威圧感が最愛の恋人の体から放たれているものだと南が気づいたのは、振り向いた彼女の目に
狂気が宿っているのを察した瞬間だった。



224 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 04:33:42 ID:wHKFQGU5

 血に濡れたメイドは、恋人の姿を目にした瞬間に巨体の男から興味を反らした。
 離れた位置にいるもう1人のメイドがそれを見て、必死な様子で巨体の男を奥に引っ張っていく。
 小柄なメイドと血に濡れた後輩の姿が店の奥に消えた時点で、南は変わり果てた恋人に声をかけた。

「ひ、久しぶりだな」
「……ねえ、みなみくん。どこ、いってたの」
 まったくと言っていいほど唇を動かしていない様子であったが、聞き逃すことなどできそうもない声だった。
「ああ、えっとだな……その……」
「……なんで、どもるの、みなみくん。
 どうして、どうして、ねえ、ねえ、なんで、なんで」
 首が左右に揺れると同時に、血に揺れたカチューシャのフリルも揺れる。ゆらゆらと。
「あ…………ち、違う」
「なにがちがうの。わたし、なにかまちがったこといったかな。
 みなみくんがいなくなったのに、しんぱいしちゃだめかな」

 血に濡れた箒は離さぬまま、にじりよってくるメイド服の女。
 その女が自分の恋人だと南は理解していたが、足は彼女から遠ざかろうと後ろにさがる。
「なんでにげるの。わたしが、こわい、の」
「違う! 俺はお前のこと、その……好き、だ……」
「じゃあ、はやくおそうじしよう。ふたりでいつもみたいに。
 わたしがゆかをはくから、みなみくんがガラスをみがいてね。
 そのつぎは、ひとりがふたつずつテーブルをふこうね。
 トイレそうじはそれぞれべつべつだよ。
 さいごはカウンターのおそうじしよう、ね」
 そこまで言い終わると、彼女は目を閉じて天井を見上げた。

「うれしいな、みなみくんに、好きだっていってもらえた。
 ずっと、ずっと、ずっとききたかったのに、ふつかもきいてなかったんだもん。
 でも、がまんしたかい、あったかも。いま、す、ご、く……ふふふ、うれし……
 あはははは、うふふふふ、きゃはははは、くひひひひひ」
 顔を天井に向けたまま、返り血を浴びたメイドは笑い出した。
 その様子は、欲しかった玩具をようやく与えられた子供のように無邪気であった。

 しかし、彼女から放たれる狂気が消えたわけではなかった。
 狂気に気圧され、南は後ろにさがり続けていた。が、その背中がドアに着いたところで下がれなくなった。
 来客を報せるためのベルが、カランカランと心地よい音を立てた。

「あれ……みなみくん、にげてるの。
 そんなにとおくにいっちゃだめだよ。へんなむしがくっついちゃうよ。
 みなみくん、かっこいいから、へんなおんながよってきちゃうよ」
「いや……逃げてるわけじゃなくて……」
「だめだよ。もう、わたしといっしょじゃなきゃ、そとにだしてあげない。
 ずっと、ね。ずーーーーっと、わたしといっしょにいるの」

 南は確かに見た。恋人の目の奥に宿る狂気と、闇がさらに濃くなっていく様を。

「まずは、おそうじ、しなきゃ、ね。みなみくんのからだを」



225 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 04:35:55 ID:wHKFQGU5

 白いエプロンに赤い斑点をつくったメイドが南の元へと近づいていく。
 彼女はにこにこと笑っていた。狂気を宿した目を大きく開きながら。
 ほっそりとした手が南の肩へと近づいていく。
 その手には返り血がついているというのに、変わらぬ美しさを保っていた。
 あまりに場違いな美しさだった。だから、南は無意識のうちにその手を払った。
 そして、呆然とする彼女と勝手に動いた自分の手を見比べながら南は狼狽した。

「ごめん! その、つい……」
「……やっぱり、そうか。みなみくん、わたしからはなれちゃったからよごれちゃったんだね。
 わたしにまかせて。みなみくんの、こころとからだ、ぜんぶきれいにしてあげる。
 なかも、そとも、めんどうみてあげるよ。……だから、ちょっとだけよこになって」

 南は警戒心を解いていなかった自分を褒めた。
 もし油断していたら、恋人の箒に足を払われて倒れ付していたからだ。
 振り回される赤い箒を避けるため、南は距離をとった。
 距離をとっても彼女の放つプレッシャーが緩むことはなかった。
 彼女の放つ威圧感は、店内全体を覆っていた。
 そのせいでどこにでも彼女が存在しているような錯覚を南は覚えた。
「はやく、きれいにしなきゃ、よごれちゃうよ、みなみくん」
 彼女の放つ一言一言がこだまのように聴覚を混乱させる。

 南は眩暈を覚え、一瞬目を閉じた。次に目を開いたときには、恋人の笑顔が目前にあった。
 頭を伏せる。すぐに彼の頭上を箒が通り過ぎた。
 サイドステップでその場を離れ体勢を立て直そうとするが、目にも止まらない速さで
振るわれる箒はそれすらも許さない。
 女の持つ箒は南の居た地点を確実に突いて来る。
 鼻先をかすめる一閃は、一撃で気絶に至らしめてしまう速度で振るわれていた。
 南がテーブルを盾にして構えた。ただの箒であればテーブルを破壊することなどできないはずだ。
 ――と考えていた南の予想は別の意味で裏切られた。
 テーブル越しに一度衝撃が伝わった次の瞬間には、南の体はテーブルごと後方に飛んでいた。

 壁まで飛ばされ、背中を強く打った。
 顔を上げると、メイドが箒を振り上げて駆け寄ってくるのが見えた。
 振り下ろされる箒の速度を見切り、カウンターのタイミングを掴む。
 そらした頭をかすめて箒が振るわれる。再度攻撃が来る前に箒を掴んだ。
「あっは、はははは」
 しかし、振り下ろされていた箒は南の体ごと彼女の頭上に持ち上げられた。

 自分の目に見えている光景の不自然さを理解する前に南の体は放り投げられ、床に叩きつけられていた。
 南の頭の中はこの理不尽な状況を理解するためにフル回転していた。
 恋人の突然の変貌と、手も足も出させない圧倒的な彼女の戦闘能力。
 いかにして事態をひっくり返すか、それを考えても何も浮かばない。
 濁流に歯向かう力は、攻撃を受け続けた南には残されていなかった。



226 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 04:38:25 ID:wHKFQGU5

「お、そ、う、じ、しま、しょ」
 床に伏せる南に対して、恋人の振るったバケツの中身がぶちまけられた。
 透明な液体だった。顔を伝うその液体の粘度は水道水のものではなかった。
 唇を舐める。すると苦味が味覚を刺激した。
「おい、これって、台所の洗剤じゃないか!」
「そうだよ。いまからおそうじするんだから、せんざいはひつようでしょう」

 メイドは南の体をうつぶせにすると、両手と両足に手錠をかけた。
 もう一度ひっくり返して仰向けにすると、手に持った箒をシャツの胸元からジーンズの裾まで挿入した。
 南が何かを言おうとしたが、その寸前に彼の恋人の手によって箒が動いた。
 箒の両端を掴み、一気に服を引き裂いたのだ。
 彼女の腕力によってベルトの金具までが破壊されて、南は見るも無残な姿に変貌した。

「じゃあ、こんどはあわで、あらってあげるからね」
 そう言うと、彼女は今度は自分の体にバケツの中身を被った。
 そして身動きの取れない南の半裸の体にのしかかり、細かく動き始めた。
 両手の五指をそれぞれ絡みあわせて、体を上下に動かす。
「わたしは、いまスポンジだよ。
 よごれちゃったみなみくんは、こうやってあらってあげないと、いけないから」

 実際にその通り、彼女の動きは南の全身をくまなく洗うためのものだった。
 頬にほおずりし、腕・足を絡ませて、胴体をこすりつける。
 仰向けの状態で全ての箇所を洗い終えると、今度はうつぶせにする。
 背中に両手が当てられるのを南は感じ取った。
 その手は肩の上から背中を通過し、臀部まで動く。
 足の指は、さすがに彼女にも難しかったようだった。
 だが、次に彼女がとった行動は南の予想を上回るものだった。

 スカートに溜まった泡と洗剤を口に含み、南の足の指を咥え込んだのだ。
 咥えるだけでなく、さらに舌までも絡めてきた。
 指の一本一本を舐め回し、爪と指の間を舌先で刺激してくる。
 
 その動きが終わった頃には、南の体で洗われていない部分などなかった。
 ただ、一つを除いては。



227 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 04:41:00 ID:wHKFQGU5

「それじゃあ、つぎはここだよ」
 そう言った彼女の手は、さらけ出されている南の陰茎を掴んで上下になまめかしく動いているところだった。
 先ほどまでの動きで彼女の体の柔らかさを感じていた南は、男性自身をしっかりと硬くさせていた。
 その状態に加えられる恋人の絶妙な愛撫は、たちまちのうちに南の射精欲を高めていく。

「ああん……みなみくんの、にがくって、おいしいよお……
 まいにち……ほしかったのに……んむ、ひどいよ、みなみくん……」
 肉棒のすぐ近くで口を開く恋人の声が南の頭に伝わってくる。
 それだけの刺激でも射精してしまいそうになるほど、南は高ぶっていた。
「もうっ……やばい……」
 と、南が漏らした瞬間、恋人の愛撫が止まった。
 絶妙なタイミングでの寸止めだった。
 それは、付き合ってから先日まで培ってきた彼女の経験が成すものだった。
 もう一度何かの刺激を加えられたら、射精してしまいそうな位置に熱いものがある。

 物欲しそうにしている南の表情を見て取った恋人のメイドは、嬉しそうに笑った。
 それを見て南は続きをしてもらえるのかと思ったが、彼女が手に持っている物を見て驚愕の表情を浮かべた。
「お前、それって……」
「さいごはあ、そうじきでーす。
 しんぱい、ないよ。ちゃんと、すいこみぐちは、そうじしたし。
 くちのおおきさも、みなみくんのと、おなじぐらいだから」
 掃除機のスイッチが入れられた。
 ヴィーン、という規則的な音が律儀にも店内の空気を振動させる。
「ばっ、馬鹿! お前、やめろ!」
「やー、だー、よー」

 南の肉棒を包み込むかたちで掃除機のホースが入れられた。
 先に恋人が言ったとおり、ホースは勃起した南の肉棒と若干の誤差を残して適応していた。
 若干の誤差、それは南の陰茎と亀頭の大きさがホースの直径より少し大きかったということ。
 そのため、ホースが上下に動かされるたびに南の肉棒は擦れた。
「が、あ、あ、ぁぁぁ……」
 いきなりこのようなことをされたらたちまちのうちに肉棒は縮んでいくだろうが、
寸止めされた南の射精欲はまだ健在だった。
 掃除機相手に射精してたまるものか、というせめてもの抵抗が南の全てだった、が。

「んふふー、……えいっ」
 恋人が南の陰嚢を刺激してきた。
 その刺激は陰茎とは別方向からのものであり、巧みな手つきによって南の自制心を崩していく。
「うっあ! 頼む、抜い、って、くれ!」
「だーーめ。おそうじはしっかりとしなきゃ、ね」
 
 掃除機の出力が『強』になった。騒音がますます大きくなり、肉棒を強く吸引される。
 その間も陰嚢の刺激が止むことはない。
 執拗な双方向からの刺激が続くうちに、南の中にあるスイッチが強制的に入れられ、射精を迎えた。
 射精自体は興奮からではなく、痛みの拍子に起こったものかもしれないが、南にとってはどうでもよかった。
 
 掃除機に射精してしまったという事実が、南の何かを破壊した。
 ――その何かは、人としての尊厳であったかもしれない。



228 :ヤンデレ喫茶の床に、血が落ちる ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/05(土) 04:44:10 ID:wHKFQGU5
・ ・ ・ ・ ・ ・

 それから数日が経ったある日。
 都内某所にある大学の構内でこんな会話が交わされていた。

「知ってる? 格闘技研究会の、あのおっきいひと――名前忘れちゃったけど、退学したんだって」
「あ、そうだったんだ。最近見ないなって思ってたけど」
「でも、何で退学しちゃったのかな?」

「これは噂なんだけどね。大学に退学届けを出したあと、箒、箒、箒って呟きながら帰っていったらしいよ」
「なにそれ? 箒のお化けでも見たのかな?」
「意外と小心者だったのかもね。人は見かけによらないってやっぱりほんとだね」

「そういえばさ、その人の妹さんも一緒に退学したらしいけど、これ本当?」
「あー、知ってる知ってる。サークルの男どもが騒いでたよ。
 うちの大学のミス・コンテスト優勝者が退学するなんて! って言いながら」
「もしかして、お兄さんについてってやめちゃってたりなんかして。
 あー、いいなー。私も頼れるお兄さんが欲しかった。聞いてよ、うちの貧弱兄貴ってばさ――――」


・ ・ ・

 ところかわり、都内某所に存在する喫茶店にて。

「野菜ジュース、1つオーダー入ったぞー」
「うふふふふ……。かしこまりました、南君」

 ヴィィィーーン

「ひいっ?!」

 ガチャン!

「うわっ! どうしたんですか南さん。あーあ、グラス割れちゃったじゃないですか」
「あ……ごめん。つい、音に反応しちゃって……」
「音? なにか変な音でもしましたか?」
「いやいや! なんでもないよ。忘れてほしいな、なんて……あは、あははははは……」


 喫茶店の床に血の跡がこびりついた日から、南はこんな調子である。
 ミキサーの音に反応してしまうほどに彼の心を穿ったものとは何なのか。
 事実を知るのは、当事者である南と彼の恋人と、店内を監視していた店長と副店長の四人だけである。
 それ以外の誰にもそのことを知られたくないと、南は思っている。
 同時に、自分の記憶からも消えてしまって欲しいと、強く思っている。



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