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273 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00:17:09 ID:l1rWfINJ
「眼鏡……?」
 困惑した俺の口から漏れたのは、何とも間の抜けた言葉だった。
 目の前で自分の眼鏡を情け容赦なく踏みつけてみせた島村を前に、俺は驚きを隠すこと
ができなかった。島村の足元に目をやると、踏み潰された眼鏡は最早原型を留めておらず
様々な部分が拉げた状態で地面に横たわっていた。
 その無残な最期を尻目に、俺は再び島村に目をやる。艶かしく濡れた瞳が俺のことだけ
を真っ直ぐ見つめてくる。決して大きくない眼を無理矢理開かせている様を見ていると、
まるでその眼球の中に自分が束縛されているような錯覚に陥りそうになる。きっとそんな
ことを考えてしまうのは、女子トイレから出てきたことを脅迫文句にして結構な仕打ちを
受けてきたという肉体の本能的察知と、島村が俺のことを好きだという事実――そして、
島村がたった今発した言葉が原因なんだと思う。
 俺は今とてつもなく不吉な想像をしている。俺が島村に”想いを捨てろ”という要求を
突きつけた後から、島村の様子は若干おかしくなっていた。行き所を失った視線を泳がせ
ながら、大切な玩具を取り上げられた子供のような絶望感漂う表情で、主人に捨てられた
子犬を思わせる震えた声で俺に必死に縋りつこうとしていた。
 そして俺が完全な拒絶を示した後の突然の奇行と言動――それらが示す答えは一つだ。

 ――島村は俺のことを諦めていない。

 もし、島村が俺の”好意を持つなら友達としても付き合わない”という言葉の対象を、
『島村由紀』という人物一人だという風に考え、そこから脱却すれば俺からの愛を受ける
資格を得られると勘違いしてしまっているとしたら俺は最悪のミスを犯したことになる。
 こんな常識では考えられないことを可能性として思いつくことができるのは、俺自身が
島村に翻弄されて狂っていった加奈と触れ合ったからだ。島村が加奈を『上書き』以外で
初めて狂気へと至らしめたからだ。つまり単純に物事をより受け入れやすくなったのだ。
 奇しくも俺はそのことによって加奈との愛を再確認し見直す機会を得られた。だから、
島村の想いを拒絶したのだ。加奈が一番だということを教えてくれた島村に感謝し、これ
以上傷付けない為の最良の道を選んだはずだ。
 しかし、結果的に島村は今虚ろな目で気持ち悪いくらいの笑顔を浮かべている。これは
完全に俺の誤算だった。俺は、島村の想いのほどを軽視していた。俺の加奈への愛がどれ
ほど大きいのか伝えれば諦めてくれると思っていた。普通他の人のことを絶対的に好きで
いる人間を好きでいられる人間なんていないと高を括っていた。
 島村はこの恋愛が『略奪愛』だと言っていたじゃないか。それは、たとえどんなに意中
の人間が他の者を好いていようとも奪ってみせるという絶対揺らぐことのない決意の表れ
ではないか。そこまでわかっていたなら、島村がどんな手を使おうとも俺を手に入れよう
とするなんてことは容易に想像できたはずだ。その手段が、”意中の相手が好きな相手に
なる”という単純且つ純真なものであったとしてもだ。
「用事が増えましたので今日は帰りますね、誠人くん」
 固定した視線をそのまま、島村はそう言い残すと俺たちに近付いてくる。
「帰るって、これから授業が……」
「取るに足らないことです」
 俺の言葉を遮り、島村は俺の横を通り過ぎると同時に視線を前に向けた。島村の足音が
俺の耳に鎖の金属音のように不気味に響き渡る中、俺は必死に何か言葉を紡ごうとした。
ここで何か言わなくては取り返しのつかないことになるという根拠のない想像が、脳裏を
過ぎったのだ。
 だが、俺は言葉を発することはおろか、振り向くことすらできなかった。冷汗が体中を
濡らし、足が地面に貼りついたように動いてくれない。最早自分の意志の範疇を超えた、
本能レベルの危険察知に俺はただ怖気づいていた。振り向いた時、島村は一体どんな表情
をしているのか、知るのが怖かった。
 俺が振り向くことは加奈を裏切ることに繋がるんだと自己正当化の論理を組み立ててる
最中、後ろから声が聞こえた。
「これから少しだけいなくなりますが、どうか寂しがらないで下さいね?」
 言い聞かせるような柔らかい声が耳に入る。その声を聞いて、俺ははっきりと震えた。
 島村の言葉の真意はわからなかったが、何か起こることは明白で、その”何か”に俺は
かつてない恐怖を感じていた。こんな時になっても何も言えない臆病な自分を心中で罵り
つつ足音が完全に消えるのを確認する。
 ――そして体育館裏に再び静寂が訪れた。


274 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00:18:33 ID:l1rWfINJ
 島村が立ち去ったことがはっきりわかった後でも俺は指先一つ動かせなかった。体が俺
の意志を無視して膠着を守っている。きっと金縛りとはこんな感覚のことだろうと思う。
自分の安全が表面上は約束されているはずなのに、”見えない何か”によってその自由が
理不尽に奪われている状態。それは非常に居心地が悪い。すぐ近くに見えるはずの景色に
いつまで経っても届かない時のような歯痒い気分と、可能なはずのことができない孤独に
似た恐怖が俺の背筋を擽った。
「誠人くん……?」
 加奈の心配そうな声で俺はようやく我に帰る。結構長い時間立ち尽くしていたようだ。
 さっきまで自分がいかに情けない表情で不安に息を荒げていたのか考えるとかなり恥ず
かしくなったのだ、俺は慌てて加奈へと目線を向け笑顔を取繕う。どんなことよりもまず
最優先にしなければならないのは、”加奈が笑顔でいる”ということだ。俺はこんな不安
な表情を加奈にさせたいと思うほど加虐的な趣味は持ち合わせていない。
 大体俺は島村を傷付けてまで加奈との幸せを選んだのというに、加奈までが暗雲を垂れ
込ましているのでは今までの決意が全て無意味なものになってしまう。島村の動向は気に
なるが、今すべきことは決まっている。
「大丈夫だ」
 俺は加奈の小さな肩を抱き寄せながら言う。それは加奈へだけではなく、自分自身にも
言い聞かせる為の言葉だ。
 島村はこれから十中八九何か仕掛けてくる。絶対だと思っていいだろう。それは確実に
俺と加奈にとってプラスなことではないことは明白。もしかしたら今までよりはっきりと
した形で俺たちの関係を壊しに掛かってくるかもしれない。そうなったら、歯止めをした
加奈には何もできない。俺がしなければならない。
 そこでようやく俺はもう一つミスをしてしまったことに気付いた。
 さっき島村がまだ俺のことを諦めないというニュアンスを含ませた発言をした時、俺は
どうしてその時点で島村を強く拒絶しなかったのだろうか? 島村が俺たちの関係を壊す
と宣言したも同じだと理解しておきながら、何故はっきりと「お前との関係は終わり」と
言うことができなかったのだろうか? 答えはわかりきっている。
 単純に、押しが弱かっただけのことだ。
 正直なところ俺は誰も傷付けたくなかった。それは相手を思い遣っているからだという
のが半分と、俺が罪悪感から逃げたいからという自分本位な勝手な欲望が半分だ。何とか
後者の感情を振り払ってまで俺は島村に胸中を告げたつもりでいたが、振り払ってなんか
いなかった。そんな風に思っていたのは俺の自己満足でしかなかった。
 結局俺は半端な想いが相手を傷付けることを知っておきながら自分の精神の保守を優先
してしまったのではないだろうか?
「大丈夫だから……」
 俺は下降気味になっていた思考に軌道修正を図る。こんな後の祭り的なこと考えること
には寸分の意味もない。過去の失敗は取り返すことができない。俺がどういった心持ちで
島村への対応をしたのか今ではもうわからないが、そんなことは関係ない。
 重要なのは、島村にまだ期待を持たせてしまっているという結果だ。
 島村がまだ俺のことを諦めていない、しかももしかしたら島村自身がやってはいけない
選択をしようとしているという事態は防がなければならない。島村が何をしたとしても、
俺が島村を異性として好きになることはありえない。だから、島村がいかなる努力をした
としてもその先に待ち受ける未来は『失恋』しかありえない。そのことよって傷付く程度
をこれ以上肥大化させない為に俺はこの道を選んだ。それは正しい選択だ。
 そして、俺の独り善がりで曲げていいものじゃない。
「チャイム、鳴ったな……。行こうか、加奈」
 始業を告げる鐘の音が校内に響き渡る。加奈にそう告げると、加奈は笑ってくれた。
 俺も、偽りの笑顔で場を丸く収めつつ、体育館裏を後にする。大丈夫と何度も何度も、
言い聞かせながら。



 その後、島村はしばらく学校に姿を現さなかった。
 前の席にいつもいたはずの奴がいないのは妙に違和感あることで、俺は全く授業に集中
できなかった。日常とは違う光景に気持ち悪い新鮮感を覚えたというのもあるが、やはり
その一番の原因は俺がまだ島村との関係を決別していないところにあると思う。勘違いを
続けている島村が俺の見えないところで何をしているのか、不安にならないはずがない。
 俺は早く決着をつける為に島村が学校に来てくれることを願い続けた。

 そしてあの日から二週間後、島村由紀はやってきた。


275 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00:19:56 ID:l1rWfINJ
「すみません、遅れました」
 ”そいつ”は前触れもなしに突然やって来た。日本史の授業中に俺が睡眠魔法にやられ
かけ意識を手放そうとしていた時、控え目な声を発しつつ勢いよく教室のドアを開けた。
 ドアの開く音にその声はかき消され気味だったが、俺には一体誰が入ってきたのか一発
でわかった。やっと会えると思い、俺は意気揚々と視線を声のした方向に向けた。
 その瞬間、絶句したのは俺だけではなかった。
 会話で騒がしく最早授業と言えるような空気ではなかった教室内が一瞬で静まった。俺
を含めた誰もが”そいつ”にそれぞれの思惑を乗せた視線を送っている。それは俺たちに
催眠術をかけていた日本史教師も例外ではなく、今にも壊れそうなボロい眼鏡をしきりに
動かしながら、”そいつ”のことを凝視している。
「失礼ですが、君はどこの生徒ですか?」
 教師は言葉の通り失礼極まりないことを”そいつ”に尋ねた。だが、誰も教師のことを
咎めることはしないし、することもできないだろう。だって、それは教室内の生徒全員が
抱いている疑問だと思うから。
 ”そいつ”は別段驚いた素振りを見せることもなく、視聴者に無料スマイルをばら撒く
アイドルのように不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「一年B組18番、島村由紀です」
 その言葉に誰もが驚いた。静寂を保っていたはずの教室は瞬間騒然となる。こっそりと
話そうという配慮もなくお構いなしに近くにいる騒ぎ合っている、俺を除いて。
 当然だと思う。これは俺の想像だが、クラスメートが持っていた『島村由紀』に対する
イメージは、”眼鏡を掛けた沈黙キャラ”くらいのものだ。近くにいて愉快に思うことは
ないし、不快に思うこともない。どこのクラスにでも一人はいる、おまけ的存在。
 それが今自ら『島村由紀』だと名乗った目の前の女はどうだ。
 特徴的な大きな眼鏡は跡形もなく消え、若干ミステリアスな雰囲気を醸し出していたと
思う長い前髪も適度な長さに切り揃えられている。顔もちゃんと化粧が施されている。
 そして何より俺が恐怖を感じたのは――腰まで垂れ下がっている黒い長髪と、明らかに
小さくなった胸だ。
 二週間前に俺が見た島村の髪は肩に掛かるか否か程度の短髪だった。それがこの短期間
でこんなに長くなるなんて絶対にあり得ない。それに胸だってそうだ。別に意識して島村
の胸を見ていた訳ではないが、その変化は簡単に察知できる。人並、というかそれ以上は
あったと思われた胸が貧乳と言ってしまっていいほどの大きさになっている。ギャグでも
冗談でもなく、本当にそうなっている。島村が今までブラジャーにパットでも入れていた
ならそれを抜いただけと解釈していいのだが、突然取る理由もないし、それについ前まで
化粧を全くしていなかったような女が見栄を張って胸を大きく見せたいと思うともとても
考えられない。髪の方は付け毛なんだろうけど、胸は一体どういうことだ?
 俺が思考の旅に彷徨っている最中、島村は悠々と自分の席――俺の席の前まで向かって
くる。歩いている時に周りのクラスメートが次々と島村に声を掛けているのが聞こえる。
 その主な内容は「可愛い」や「綺麗」のような褒め称える言葉ばかり。男女問わず変化
を遂げた隠れていた美女に熱い視線を送っている。確かに島村は一般的視点から見れば、
かなり可愛くなったのだろう。俺も思っているから。
 だが、皆外面的な変化ばかりに囚われて重要なことを一つ見落としている。そのことに
気付いているのは多分俺だけだろう。だって、”どちら”とも関連を持っているのはどこ
を探しても俺以外いないからだ。
「またよろしくお願いしますね、誠人くん」
 いつの間にか着席していた島村が俺の方に振り向きながら笑顔を携えて言った。それは
俺からすれば悪魔の微笑にしか見えなかった。

 何故なら――『島村』の容姿は、限りなく『加奈』に酷似していたから。

 授業中、教師の説明を無視した生徒のほとんどが島村に質問攻めを浴びせていている中
で、俺は一人で考え事をしていた。
 俺は何を間違えたのか、俺は何をするべきだったのか、俺はこれから何をするべきなの
か……。目の前で揺れる長い黒髪に動揺しつつも必死に考えた。
 そして導き出した結論は、”わからないことが多過ぎる”、だった。
 島村の胸中も何もかもがわからない。ならば今すべきことは一つだ。
 俺は授業終了と同時に他の生徒に先駆け、島村に声を掛けた。
「”あそこ”に来てくれ……」
 島村は一瞬光った視線を向けた後、黙って頷いた。


276 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00:20:59 ID:l1rWfINJ
 俺が向かった場所は説明する必要もないだろうが、あの体育館裏だ。
 別に意識して向かった訳ではない。ただ、島村関連となると体が勝手にその方角目指し
突き進んでしまうようになっているだけだ。芸がないとかワンパターンだとか言われても
文句の『も』の字も出ないし、出そうとも思わない。それはほぼ形式化してしまったこと
なんだろう。それに、やはり全ての原点から反省したいから。
「誠人くんも随分ここがお好きなようで。それで、私に用ですか?」
 それがあるから呼び出した、という当たり前の言葉を飲み込んで、俺は授業中に思考に
靄をかけた疑問を片付けることから始めることにした。
「惚けるな。その髪は何だ? 二週間前に見た時より”かなり”伸びているようだが」
「あぁ、これのことですか」
 島村は興味なさ気に上目で自身の綺麗に揃えられた前髪を流し見した後、少々不器用な
動きでその長い黒髪を掴むと、ゆっくりと掴んだ手を下ろした。それと同時に非現実的な
様相を呈していた長髪が外れ、そこからマトリョーシカ人形のように更に髪が覗く。それ
は若干伸びていたものの、正真正銘俺が二週間前までに見ていた島村の地毛に相違ない。
「ただの付け毛です。ですが、髪はすぐに伸びますから安心して下さい。私の計算ですと
この地毛が付毛と同じ長さになるのに二ヶ月程度でしょうかね。それまで一日千秋の心持
で待っていて下さい。期待すればするほど、それが叶った時の喜びは大きいですからね」
 島村が慣れないウィンクを投げかけてくる。そんな嬉しそうに微笑みを見て俺は罪悪感
に苛まれる。だって、俺はそれを投げ返すことができないから。
「俺にはわからない。何でお前はそんなことをする?」
 俺が心に引っ掛かっていた――というより引っ掛かっているということにしておきたい
疑問を尋ねると、一瞬狐に抓まれたような呆け顔をした後、さきほどから張り付いている
ように変わらない笑顔を取り戻しながら一歩近付いてきた。
「それは本気で言っているんですか? 誠人くんから好かれる為に決まっているじゃない
ですか。その手段として、好きな人が好む容姿になるというのは当然のことです」
「俺が好む容姿だと? 俺がいつ長髪が好きだなんて言った? そんな覚えはないぞ……」
 俺はほぼ反射的にその質問をした。そしてその後激しい後悔に襲われた。俺はこの後に
くる返答の内容を予想できている。その答えを聞きたくない。聞いてもし当たっていたら
俺はその瞬間戦慄するだろうから。触らぬ神に祟りなしってやつだ。
 しかし、一方で俺は勢いに任せて言ってしまえてホッとしている一面もある。いずれに
しても俺は”そのこと”について問わなければならなかったからだ。どんなに俺が自分の
都合で言いたくないとしてもそうしなければ島村の心理を読み取ることは不可能だから。
 待つこと数秒、島村は更にもう一歩近付きながら今日一番の笑みを浮かべた。

「うふふ。……だって、”加奈さんは”とても髪が長いじゃないですか」

 その言葉に俺が凍りついたのは言うまでもない。
 俺が何か言おうとする暇も与えず、島村は次の言葉を紡ぐ。
「後ですね、先程から随分と私の『胸』を気にされているようなので言っておきますが」
 俺が島村の胸ばっかり目で追ってしまっていたという更衣室を間違えて女子の着替えを
覗いてしまった小学校時代以上に恥ずかしい事実を突きつけられ、俺は赤面してしまう。
 俯きつつ視線だけで島村の顔を覗くと、その頬はほんのり赤みが差していた。胸を見ら
れていたということを恥ずかしがっているのか、中々可愛らしいなと思えるほど俺が余裕
じゃないのは明白だが、それでもその羞恥に震えた姿は男心を僅かに擽った。
 普段からそうしていれば、今すぐにでも学園ミスコンでグランプリを取れるぞと言って
やろうかと一瞬迷った刹那――突然島村が制服のリボンに手を掛け、一瞬で外した。
「し、島村ッ!?」
「”私から”目を逸らさないで下さいね、誠人くん」
 慌てて視線を再び遠くに向けようとしたが、それを予期していたかのようなタイミング
で島村に制されてしまう。その言葉には言われた俺にしかわからないであろう意味以上の
”重み”があって、俺は目線を島村から外すことができなくなった。
 そんな俺をよそに、島村は上半身の制服を手際よく脱いでいく。友達と興味本位で一度
だけ見たAVで女優が確かそんな手つきで服を脱いでいたなんて不埒なことを思ってしまう
のは、もう俺が情緒不安定の域に達しているという証なのだろう。



277 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00:21:58 ID:l1rWfINJ
 制服が脱ぎ捨てられると、そこには見るからに小さい水色のブラジャーが露わになって
いた。別に下着なんかには欠片も興味がないが、バレているとわかっているのに尚下着を
凝視するというのは非常に気恥ずかしいものがある。本当に目を逸らしたかった。
 見たくないけど本心では見たくてでもバレているから恥ずかしいけど見ないとならない
なんてややこしい葛藤に苦しむ俺をよそに、島村はとうとうブラジャーにも手を掛ける。
 そして――
「見て下さい」
 ブラジャーも外れ、『雪』のように真っ白な島村の胸が俺の視界に飛び込んだ。
 それを見て色々と脱線を繰り返していた思考は完全に軌道修正を余儀なくされた。体中
が熱に絆され汗を垂れ流しているのに対し頭だけが凍結しそうなほど冷静になっていく。
 それは頭ではわかっていても心では受け入れたくないという心の表れなのだろう。

 何故俺がそんな精神状態にあるのか、それは――島村の白磁の二つの胸に痛々しい傷跡
が刻まれているからだ。

 濁ったところなど見当たらない純白の肌を汚すように、生々しい傷跡は刻まれていた。
 陸上競技場のフィールド上に野球ユニフォームで素振りをしている人間がいるような、
例えるならそんな違和感を瞬時に感じる。
 俺が確認する限り傷は三つある。
 二つは右胸と左胸にそれぞれ一つずつ付いているものだ。その傷は目立ちこそするが、
『比較的』小さいし綺麗に縫合もされている。故にそれを見たとしても「大変だったな」
と何かあったことを案じてやるくらいのことはするであろう、その程度の傷である。
 問題なのは右胸にあるもう一つの傷である。俺はこの傷を見て放心状態になりかけたと
言っても過言ではないくらいのショックを受けた。だってその傷は、島村の右胸を左右に
分けるかの如く上から下に長く引かれていたからだ。その有様は思わず目を覆いたくなる
ほどの悲惨さである。既に黒ずんでいるそれは、痛々しく腫れ上がっていて、俺が思うに
その傷は多分一生消えないのではいだろうか。それほどその傷は、島村が俺の前から姿を
消した二週間の間にしていた『痕跡』をわざわざと見せ付けてきた。
「やはりこんな”醜いもの”がある胸じゃ興奮してくれませんか……」
 俺が島村の胸に見とれていると、不意打ちのように島村の声が聞こえてきたので、半ば
現実逃避の意も含ませつつ胸から視線を外し顔を上げる。見ると島村が赤面しつつ一直線
に何かを見つめている。俺も島村の視線を辿り、その方向にあるのが俺の股間だとわかる
と一歩下がる。それ自体に全く意味はなかったが、今の俺には気持ち悪い恥じらいの声を
発しながら自らの股間を手で隠すような余裕はなかったので、せめてもの抵抗である。
 そして、同時に”赤面する島村”と”島村の発言”を受けて俺は一つの事実を知る。
 ――俺、さっきまで島村の胸を舐め回すように見ていたな……。
 別に下心はなかったが、花の女子高生にそんな陵辱をしてしまったことに罪悪感を覚え
つつ、俺は視線を空にやりながらジェスチャーで島村に服を着ることを促す。一瞬躊躇い
のような溜息が聞こえてきたが、それは聞き流すことにした。
「もう結構ですよ、お騒がせしました」
 和気藹々とした声を聞いて、俺は視線を島村へと戻す。さっきのことを思い出すと見る
のは悪い気もしたが、今はそれよりも重大なことがある。聞かなくてはならない。
「……さっきの『傷』は、一体どういうことだ……?」
「さっき言おうとしたのは、それに関連することについてなんですがね」
 俺の質問を待ってましたと言わんばかりに島村は速攻で言葉を返してきた。口元が僅か
にピクピク痙攣しているところを見ると、言いたくてうずうずしているようだ。好都合だ
と俺は思い島村の言葉に耳を傾ける。
「私って一般女子並には胸があったようなんです。だから脂肪吸引してもらったんです。
だからしばらく音信不通だったという訳です。”もう大丈夫だ”と言うのに看護婦さんが
しきりに”まだ駄目”って言ってくるので。二週間近く病室で誠人くんの写真を見続ける
生活は……それはそれで楽しかったんですが、やはり本物が一番ですね。まぁということ
で、誠人くん好みの小さい胸になれた訳ですよ」
 『俺好み』というのは”加奈の胸が小さいから”という事実が導き出した結論だろう。
 色々と引っ掛かることがあったがそれは全て些細なことだ。島村の二つの小さな傷が、
何かの手術の跡だというのは大体予想できていたから驚きはしない。
 問題は、もう一つの大きな傷の方だ。


278 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00:23:00 ID:l1rWfINJ
「じゃあ……右胸にあった、あのどデカイ傷は一体どう説明するつもりなんだ?」
 俺は理由もなく慎重に訊いた。
 あんな傷見せられて、見過ごせるほど俺は無神経じゃない。もしあれも手術の跡なんだ
というならその医者は間違いなくヤブ医者だから、一緒にそいつのいる病院まで行って、
慰謝料でも請求しに行こうということで済む。島村には悪いが、俺は一番それが平和的な
展開だと思っているし、それを望んでもいる。
 沈黙を守る俺を一瞥した後、ニヤリと笑って島村は言った。

「これは、”自分で”付けたものです」

 何の躊躇もなく、不思議そうにもせず、当たり前のようにはっきりと言ってのけた。
「こんなこと告白しちゃうと馬鹿扱いされちゃうかもしれませんがね、私”あの時”は気
がどうかしていたようで……。胸の脂肪落とす為に、間違えて胸を斬ればいいとか思って
しまったんですよ。血しか出てくるはずないのに、何を考えてたんでしょうかね。母親に
発見されて慌てて病院に運ばれて助かったから良かったものの、あのままでは私は今頃、
ここにはいなかったでしょうね。まぁ別に胸を刺しても痛くはなかったんですがね……」
 俺の名前を口ずさみながら刃物で胸を抉り笑っている島村の姿が脳裏に過ぎった。
 笑顔でそう語る目の前の女の子は、馬鹿なんかじゃなく『狂人』という言葉の相応しい
人間だった。何でそんな怖いことを平気で笑いながら語れるのかわからない。聞いている
俺の方が怖くなってくる。その証拠に、気を緩ませたら崩れるほど足は震えている。
 俺は、目の前の島村由紀を恐れている。
 俺に好かれる為に自らの胸を引き裂こうとまでする、そんな盲目的に俺だけを見ている
少女にはっきりと怯えを感じている。逃げ出したい。惨めに地を這い蹲っても、踏まれて
も、靴の裏を舐めろと言われても構わないから、今すぐに逃げ出したい。島村の全身から
発せられる『圧迫感』から開放されたいが為に、一秒でも早くこの場を去りたい。
 今にも傾きそうな体を何とか支えながら、俺は生唾を飲み込む。
「……お前……島村……」
 意味もなくその名前を口にする。
 俺が”初めて”会話した時の島村は必死に頭を下げてくる健気な女の子だったな。いや
”健気なのは”今でも変わらないな。俺に好かれる為に自らを傷付けるのだからな。
 思考の海原の中で溺れてしまいたいと思う俺に、島村は決定的な言葉を突きつけた。

「もう少しで、もう少しで誠人くんが好きな”加奈さんのように”なれますよ……」

 その時、俺は知った。
 島村は、”加奈のように”なれば俺から好かれると思っている。それは言い換えれば、
”加奈の容姿を手に入れれば”ということだ。
 つまり――島村は俺が”加奈の容姿”を好き、だと思っている。
 言い聞かせているだけかもしれないが今はそんなことどうでもいい。ということは島村
は、とんでもない勘違いをしていることになる。
 俺は加奈が好きだ。『容姿』も含めて。だが、それは”加奈が”好きだという前提の上
に成り立つ事象である。例えれば、加奈と全く同じ容姿の人間がもう一人いたとしても、
俺は加奈を選ぶ。つまり、俺が好きなのは『加奈』であり、”加奈の容姿”ではない。
 だからどんなに島村が加奈の格好を真似しようともそれは俺にとって偽りでしかない。
 そんなこと伝えていた気でいたが、俺が決着をつけようと島村に言った言葉は何だ?

 ――「俺には、”加奈しかいないんだ”」

 俺自身信じられないがこの言葉を島村が、”加奈しかいない、つまり加奈しか俺好みの
容姿をした人間がいない、ということは加奈と同じ容姿になれば自分も俺が好きになって
くれる可能性を得ることはできる”、と解釈していないという可能性は否定できない。
 現に島村は俺を手に入れるという些細な理由の為に自傷行為をするまでに狂っている。
 二週間前にも思い知ったことだが、俺は島村が『略奪』するとまで言ったその意識程度
を完璧に侮っていた。もっと『島村由紀』という人物を知るべきだったんだ。島村の精神
の保身を考えるなら、まず始めに俺の言葉によって島村がどう考えどう行動するのかを、
理解していなければならなかったんだ……。
 そんなこと言っても手遅れで、今島村は”俺のせい”で不気味な笑みを浮かべている。
 もう島村を傷付けないでフるなんて不可能な状況になっている。俺の言葉によっては、
島村は必要のない分まで傷付かなければならない。
 その全ての責任は俺にある。言い逃れなんてできない。だから――


279 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00:24:04 ID:l1rWfINJ
「島村……辛くないか?」
 島村の両肩を掴みながら目線を彼女へと固定する。島村は「はい?」と気の抜けた感じ
の声を発しながら、意味がわかりませんよと言いた気な瞳で俺のことを見上げてくる。
「”こんなこと”してて、虚しくなってこないか?」
「虚しい? 何がでしょう? 私は自分が着実に誠人くん好みの女へと近付いていること
に至高の幸福を感じていますがね。少々言っている意味が……」
 うんうん唸っている島村をよそに、俺は何も考えずに喋ることを決意した。
 余計なことを考えずに、心に思ったことを素直に口にすることにした。他人任せだが、
もう島村自身に俺の誠意を示してわかってもらうしかないと思う。色々策略を巡らした上
で言葉を選んだとしても今の島村にそれが届くとは到底思えない。それに、大体一番安全
な道ばかり選ぶような説得は不謹慎だ。島村を傷付けたくないと思うなら、本心を言って
俺の想いをぶつけるべきなのではないか? たとえそれで島村が傷付くとしてもその責任
は俺にあるんだから、全て俺が背に負ってやる。
「こんなこと言うのは無茶苦茶失礼だとはわかってるけど、俺は島村には化粧なんかして
欲しくないな。してない方が間違いなく”お前らしい”。流行なんかには流されませんよ
的なオーラが漂って神聖な感じがする。うん。眼鏡だってそうだ。あの明らかに昭和だろ
と思わせるちょっと古そうなのが逆に魅力的っていうか? 何て言ったらいいのか俺には
わかんないけど、とにかく俺は前のお前の方が」
「でも”前の私”は『加奈さん』より劣っているんですよね?」
 やっと見出した道を島村は一言で封鎖した。
 そして再確認させられる。島村の目的はあくまでも”俺から好かれること”。フられた
時に後味悪くならないようにする為の配慮なんかじゃない。だとしたら、最早俺にできる
ことは何もない。島村と付き合うのは無理だし、かといって今の島村を止める自信も体中
どこを探ってもどこにも見当たらない。
 ――全てが手遅れだったんだ。
 一度のミスが命取りだった。そして問題なのはそれがどんなミスだとか、どこでそれを
してしまっただとかそんな些細なことじゃない。”ミスをしたこと”自体が絶対にやって
はならないことだったんだ。その証拠に、結果的に俺は今までの努力が全て無駄だったと
悟り、ただ立ち尽くすことしかできない。
 万策尽きたとはこのことだな。もう笑うしかない。狂えるなら俺も狂ってしまいたい。
そうすれば、理性とか理屈だとか抜きにした本能のみで動けたんだろうか? そしたら、
俺は今頃見上げることしかできない壁を越えることができたんだろうか……?
 思考を止めてしまいたいと本気で俺が思った時、
「誠人くん、何故私があなたを好きなのか……知ってますか? 正直に答えて下さい」
 突然島村がそんなことを言い出してきた。
 俺は質問の意味を理解するのに数秒要した後疲れきった脳細胞に鞭を打ち考えてみる。
 それは時々思っていたがすぐに忘れてしまう程度の疑問だった。何故俺みたいなそこら
中に転がっているような男を何の接点もなしに好きになったのか? 接点といえば怪我を
させられたくらいだ。あ、後女子トイレのことを忘れていたな。あれは永遠に封印したい
記憶だ。それはいいとしてやはり島村が俺に特別恋愛感情を抱くような事件はなかった。
当然俺は一目惚れされるほどのイケメンじゃないし、その可能性もゼロだ。
 ……再び数秒考えた後、俺は首を横に振った。”正直に”と念を押されているし、仮に
嘘をついたとしてもそんなものはすぐにバレしまう。そうしたら俺の”不誠実な”行いで
島村を傷付けてしまうことになる。まさか島村だって、自分が好きな相手が大嘘つき野郎
だなんて思いたくもないだろう。
 そう思われてでもいいから嫌われた方が良かったのかななんて考えていると、島村の方
から大袈裟な風な嘆息が聞こえる。
 顔を上げてみると、島村は若干表情に悲哀の念を含ませつつ、厭らしいほどの笑みは何
があっても崩さないと言わんばかりに守っている。
「”覚えていませんか”。残念です……。まぁ”そういうところ”も好きですがね……」
 そう言った後、島村はゆっくりとした足取りで地面を踏みしめながら、俺の方へと歩き
出してきた。俺は既に戦意喪失しており、その不穏な気配を察知しつつも足を動かすこと
はしなかった。というよりできないし、しようとも思わなかった。一歩下がっても島村は
二歩近付いてくるだろうし、二歩下がれば四歩近付いてくるだろう。要は無駄。


280 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00:25:07 ID:l1rWfINJ
 距離はやがて胸が触れそうなほどにまで縮まる。互いの呼吸も感じ取れるほどの近さ。
 また「好きだ」とでも耳元に囁いてくるのかと考えていたのも束の間――激しい破裂音
に似た音を静寂が支配する体育館裏に響かせつつ、島村はいきなり俺の頬を叩いた。
「うっ」
 間抜けな声を発しつつ俺はその中々の強さに体を傾かせかけてしまった。ヒリヒリ痛む
右頬を押さえていると、今度は左頬をもぶたれた。しかもほぼ本気でだ。
 俺もマゾじゃないし、男の沽券に関わるので一応無言で平手打ちを繰り出す島村を睨み
つける。その俺の全力の覇気を乗せた視線をいとも簡単に交わすと、今度は腹を渾身の力
で殴られた――ってちょっと待て。
「ぐふっ、かはっ……!」
 女の力だから致命傷にはならないものの、普段から怠惰な生活をしていていたもんで、
腹筋なんて全然鍛えていなかった。だから、俺は島村のボディーブローをほぼ直撃の力で
受け止めてしまった。
 その痛みに情けないとは思いつつ地面に座り込んでしまう。肺から思い切り空気を絞り
出されてしまい呼吸が儘ならない。目を地面に向けながら手をつき、過呼吸を繰り返して
いると島村が今度は耳元に囁きかけてきた。
「痛いですか? その痛みが記憶として残るんですからしっかり痛感して下さい。いずれ
は加奈さんと”対等の立場”に立つことになるんですから、その時になって私と加奈さん
のどちらかを選ぶ時に有利にことは進めなければなりません。誠人くんが”あのこと”を
覚えていらっしゃらないのは残念でしたが、それは元々誠人くん好みじゃない時の記憶。
そんなものはいりませんよね? 私は理解しました。過去に縋り続けていては、何も奪う
ことはできません。過去は『上書き』して、新たな記憶を刷り込まなくてはなりません。
そうですよね?」
 俺がボヤけた思考で理解できたのは、島村が俺に振るっているこの理不尽な暴力の目的
が、『島村由紀』という存在を刷り込ませる為だということだけだった。つまり、島村は
いつかは加奈と全く同じ容姿になるつもりでいて、その時になれば自分は加奈と同じ土俵
に立っていると勘違いしている。そして同じ条件のものが揃った時に選ばれる為にはより
強い印象がある方が勝つ、その為に最も手っ取り早い方法が『苦痛』――そんな風な子供
じみた解釈をしたという訳だ。
 島村の言う『過去』というのが何かまではわからないが、俺はもうどうでも良くなって
いた。最早俺は抵抗を示すことのない島村の愛用サンドバック状態と化している。
 再び叩かれたり殴られたりを繰り返しながら、もうこの意識を手放そうとしていた。何
ももう考えたくない。俺は頑張った方だと思う。相次ぐトラブルを、要所要所でなんとか
乗り越えここまできた。だが、最後の最後で”俺は非常になり切れなかった”。
 島村を傷付けようが何をしようが諦めさせるという覚悟が俺にはなかった。だから今、
俺はこうして半笑いしている島村に嬉しそうに玩具にされている。これは俺が受けるべき
『罰』だ。目先のことばかり考えていたことへの『贖罪』だ。

 後何発殴られれば俺は許されるのかななんてことを考えながら俺が遠い夢世界へと旅を
しようとした刹那――
「あ」
 一言俺はそう漏らした後、自分の目の前にいる人間を見据えて、一瞬にして現実世界へ
と引き戻された。
「何……コレ?」
 加奈がいた。
 同時に見られた。加奈に見られた。島村に殴られているところを加奈に見られた。
 今まで保健室で島村との恥ずかしい行いやキスされかけたところを見られたりはした。
 でも、これは”初めて”だった。


 『上書き』すべき対象を刻まれ続けている俺の姿を加奈に見られたのは。