※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

442 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:18:26 ID:Fj6FOqqI

-----

第十二話~華の告白・二度目~

 爆発は室内で起こったようではなかったが、部屋に近い場所で起こっていた。
 なぜそうわかったのかというと、音波が心臓を余分に収縮させるほどのものだったからだ。

 目を開けて立ち上がり周囲の状況を確認する。
 部屋の中は薄い煙が立ち込めていて、部屋の入り口のドアの片方がかろうじて立っていて、
片方はどこかに消えていた。
 まさか、ドアのすぐ向こうで爆発が起こったのか?だとしたら、華とかなこさんは?

「華! かなこさん!」
 床に座ったまま大声でよびかける。すると、
「……おにい、さん……?」
 俺を呼ぶ、華のか細い声が聞こえた。
 華は右の壁に背中を預けるようにして床に座っていた。

 駆け寄って肩に手をやる。完全に開ききっていない目に見つめられた。
「だいじょうぶ、ですか……? おにいさんは」
「俺は平気だ。そんなことより自分の心配をしろ。どっか怪我してるとか、痛いとかないか?」
 見たところ華の体から血が流れている様子は無い。
 華は手を握り、足を曲げ、身じろぎして、その後でさっきよりは大きい声を出した。
「平気です。いきなり大きな音がしたから、びっくりしてしりもちをついただけですし。
 おにいさんは……本当に大丈夫そうですね。よかった」

 そう言ったときの華の安堵した笑顔を見ているとなんとなく恥ずかしくなった。
 ごまかすように立ち上がり、再び周囲の状況を確認する。
 さきほど目にしたように、部屋の入り口のドアは半分だけが健在で、もう半分のドアであったものは
大きさがばらばらの木片に成り果てていた。
 部屋の床上に満ちた煙はドアの向こうから流れ込んでいるようだった。
 ドアの向こうにある窓はことごとくガラスを割られていた。
 朝の日差しが煙を通過し、床をぼんやりと照らしている。
 部屋の中は煙と散らばったドアの欠片のせいで、荒れ果てているようにも見えた。

 壁のどこかに時計が掛かっていないか探しているうちに、ここが昨晩かなこさんに連れられて入った
部屋だと言うことに今さらながら気づいた。
 俺が住んでいるアパートの居間と台所と風呂場と便所の面積を足しても、この部屋の広さには敵うまい
というほどの広さだったが、装飾するようなものはほとんどなかった。
 壁に沿って置いてある本棚とそこに収まる本、客が席についていないレストランのテーブルのように
物が乗っていない簡素な机、壁の中に埋め込まれているクローゼットのドア、何を基準にしているのか
わからない間隔で壁に貼りついている額に収められた絵画たち。
 爆発のせいでどこかにいってしまったのか、もとからこの部屋に無いのか、時計らしきものは見つからなかった。

 時計が無いことを確認してから、室内にいた人間が1人足りないことに気づいた。
「そうだ、かなこさんは!」
 今度は絨毯の上に意識を向けて目を凝らす。
 すると、ベッドを隔てた向こう側、俺から見ればちょうどベッドに隠れるような格好で床に倒れるかなこさんを見つけた。
 彼女は俺に背中を向けたまま動かず、また動く兆候すら見て取れなかった。
 爆発が起きたのはドアの向こう側。そして、かなこさんは俺たち2人よりもドアの近くにいた。
 ということは、まさか――!


443 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:19:44 ID:Fj6FOqqI
「かなこさん!」
 倒れるかなこさんに近づこうとしたら、後ろから両肩を掴まれた。
「だめですよ、おにいさん」
 華の声をすぐ近くで聞いて、首だけを動かして後ろを振り向く。
 即、華の強い眼差しと目が合った。

「離せ! もし怪我でもしてたら――」
「もしそうだったら、なおのこと好都合です。手間が省けました」
 そう言うと、俺から目を反らして倒れたままのかなこさんに目をやった。
「逃げるのなら今しかないです。何で爆発が起こったのかはわかりませんけど、犯人に感謝です。
 目覚めてから自分の屋敷で爆発テロがあったと知って、そのうえ自分の好きな男性が目の前から
 消えてしまったことを理解したとき、あの女はどんな顔をするんでしょうね?
 いっそのこと、発狂してしまえばいいのに。……あ、すでに発狂してましたか」
 華が顔を伏せながら肩を震わせて、くっくっ、といった声を漏らした。

「……おい、いくら怒ってるからって、その言い草はないだろ。
 さっきから終わらせるだのなんだの、本気で言ってるのか?」
「さて? 私が本気かどうか、その目で確認してみたらどうですか」
 そう言ってから華が正面にやってきた。俺の顔より少し低い位置にある顔にまっすぐ見つめられた。
「どうです? 何かわかりますか、おにいさん」
 予想を裏切り、華の言葉が本気かどうか、俺を確信させるものは見つからなかった。
 わかったことと言えば、その目が実に嬉しそうに弾んでいるということだけ。
 華の口の端は緩やかな斜を描き、奥深くまで黒い瞳は、光を映していた。

 じっと見つめたまま何も言えなくなった俺の顔から離れて、華が言葉を紡いだ。
「そこまで心配しなくても、どうせあの人は無事ですよ。
 爆発の衝撃で死んでしまっているのなら私がこうして立っていることは無いはずだし、
 木片が当たったとしてもせいぜいかすり傷ぐらいです。
 だってそうでしょう、部屋の中に置いてあるものは絨毯以外、何も荒れてませんよ」
 そう言われてから気づいた。華の言うとおり、不思議なことに木片は室内に置いてあるものに命中せず
ただ床の上に落ちているだけだった。
 ――でも、何かおかしい。

「変だな。仮にかなこさんに危害を加えようとして爆弾かなにか仕掛けたのなら、もっと威力を強くしているはずだ」
「さあ? テロリストの考えていることなんてわかりませんし、わかろうとも思いませんから
 犯人が何を考えてこんなことをしたか、見当もつきませんね。
 ありうるとしたら、中にいる人間を足止めするつもりだったとか――」
 瞬間。
 意識を無理矢理振り向かせるようにして、二度目の爆発音がした。



444 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:20:44 ID:Fj6FOqqI
 今度は一回目の爆発音より遠くから聞こえてきた。
 爆発の規模は――俺の感覚がおかしくなっているのでなければ――今回の方が大きいようだった。
 ぐらぐらと俺と華の体が揺れて同時に床が動いた。入り口のドアは少し遅れたタイミングで音を立てずに
揺れた。数秒間それが続いた後は、何も起こらなかった。
 何か起こったとすれば、爆発があった場所。
 そこにあったモノは問答無用で粉々にされてしまっているかもしれない。スッ―、と一瞬だけ寒気が走った。

「今のは――」
「間違いなく、この部屋の近くで起こった爆発より大きかったですね。
 きっと、誰かの殺害か建物の破壊を目的にしたものでしょう。
 早く逃げますよ。既に事件に巻き込まれてますけど、ここにいたらもっとやっかいなことに巻き込まれます。
 もしかしたら、建物まるごと倒壊するかもしれません」
「ああ。……って、なんでお前はそんなに冷静なんだよ」
 俺は浮き足立っている状態だってのに。
「ふふふ……どうして、でしょうね。私が犯人だからかもしれませんよ?」
「アホかお前は」
 しかし、華の言葉に奇妙な説得力があるのはなぜだろう。
 こいつが犯人である可能性はここにいる時点で消えているわけだが、なんとなく不安になる。

 俺たちの会話が止まった瞬間、
「……さま…………し、様……雄志様……」
 あやうく聞き逃してしまいそうな声が聞こえた。
 声の主がかなこさんだとわかり、彼女が無事であることに安堵して、次に彼女に襲い掛かられた
ことを思い出した。
「雄志様……離れ、ないで……。もう、1人は……耐え、られ、ませ……ぬ……」
 再び聞こえてきた声は、俺を殺そうとしたことなど、微塵も感じさせない声音だった。
 かなこさんは床に倒れてうわごとのように弱弱しく俺を呼び続けている。
 今のかなこさんは、消えてしまいそうに儚い、ただの女性だった。

「駄目ですよ、おにいさん」
 かなこさんの声につられて歩き出そうとしていた俺を、華が抑揚のない声で制止した。
「あの人に近づいたら、またおにいさんはとらえられて監禁されます。
 そしてきっと、さっきみたいに何かの拍子に首を絞められます。
 そうなったら今度は二度と目を覚まさないかもしれません。
 私は、おにいさんをそんな目に会わせないためにいるんです。
 だから、私はおにいさんを、意地でもあの人に近づけさせません。」
 華の声には冷たいものが含まれていなかった。
 訴えかけるように、懇願するように、強くてはっきりとした口調だった。

「お願いですから、このままこの部屋から立ち去りましょう。
 あの人はおにいさんが助けなくても、誰かが助けてくれます。
 でも、おにいさんに協力してくれるのはこの屋敷の中に誰もいません。
 私だけしかいないんです。私だけが、おにいさんを助けられるんです」



445 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:22:30 ID:Fj6FOqqI
 たしかに華の言うとおりだ。
 この屋敷にいる知り合いは、かなこさんと華だけ。
 もしかしたら十本松もどこかにいるのかもしれないが、あいつは居ても居なくても大差無い。
 すぐ近くで爆発が起こっているんだ。ここにいたら、今度こそ吹き飛ばされるかもしれない。
 早く逃げないと――って、おい。ちょっと待て、俺。

「ここにかなこさんをほったらかしにしたら危ないだろ。
 だいいち、こんな状況じゃいつ助けが来るかわからないんだぞ」
「私は、その人なんかどうだっていいって言ってるじゃないですか」
「悪いけど、俺はどうでもよくないんだよ」

 俺は慈悲深い人間じゃない。自分を殺そうとした人間を見捨てたい気分にもなる。
 だが、彼女が豹変したのはきっと、俺の言葉が原因なんだ。
 俺が下手なことを言わなければ、もしくは言葉を慎重に選んでいればあんなことはされなかったはずだ。
 おそらく、俺はかなこさんの心を傷つけてしまったんだ。ならばあれは因果応報ってやつだ。

「華。お前は他人から告白されて、迷惑か?」
「おにいさん以外の人から告白されても嬉しくはないですけど、迷惑ではないですね」
「その人を見捨てようと思うか?」
「積極的に見捨てようとは、思いませんね」
「俺だって同じだよ。かなこさんは俺のことを好きだって言ってた」
「……それがどうかしましたか?」
「俺はかなこさんのことを迷惑だとは思っていない、だから見捨てたりもできない、ってことだよ」
 きっぱりと、華の顔に投げかけるようにそう言った。

 華はしばらく首を傾げていたが、眉間のしわを消すと首をまっすぐに戻した。
 閉ざされていた口が小さく動いて、ぽつりと言葉を漏らした。
「好きです……おにいさん」
「……へ」
 華の顔は、近くで見ればわかる程度に紅くなっていた。
「好きです。大好きです。ずっと昔から、おにいさんを初めて見たときから好きでした。
 私が覚えている最初の記憶は、おにいさんが小さい私からお菓子を奪ってその後で
 はしゃぎ過ぎてつまずいて窓ガラスに頭から突っ込んだときの光景ですけど、その時には既に惚れてました」
 なぜそんなことをいまだに覚えているのか、と最初思った。
 が、すぐに突然始まった華の告白の不自然さと、唐突さに対しての疑問が大きくなった。

「もっと好きになったのは、小学校に入学した日でした。
 私は着慣れない小学校の制服に身を包んで、その日から同級生になる人たちと会いました。
 おにいさんに比べてなんて子供っぽいんだろう、っていうのが感想でした。
 年が離れているから当たり前なんですけどね。それでも惚れ直すきっかけにはなりましたよ」
「待て、そこで止まれ」
「完璧に心を射止められたのは、おにいさんがいじめられていた私を助けてくれたときです。
 いじめとは言っても、私はちっとも堪えてなんかいなかったんですけど……やっぱり、嬉しかったです。
 おにいさんも私のことが好きなんだ、ってことがわかったから」
「――喋るのをやめろ、華!」



446 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:24:24 ID:Fj6FOqqI
 喉から声をしぼりだして華のしゃべりを止める。
 華は不機嫌そうに眉をしかめている。
「なんで止めるんですか? 私の告白は聞きたくありませんか?」
「違う、そうじゃなくて……なんで改めて告白なんかはじめたんだ」

 華は、2回まばたきをしてからこう言った。
「おにいさんはあの人から告白されて嬉しかったんでしょう?」
 3秒ばかり溜めを置いて、首肯する。
「告白されたのが嬉しかったから、あの人をかばうんでしょう?」
 今度は何秒かけて考えても頷けなかった。
「おにいさんがあの女をそこまでかばう理由なんか、それだけしか思い当たりません。
 告白されて嬉しいんなら、私がずっとしてあげますよ。
 さっきの続きから、一緒に登校していたときのこと、何年間もずっと会えなくて寂しかった日々のこと、
 先日再会してから昨日までのこと、おにいさんに関する記憶を全部語ることができます」
「あのな、俺は告白されたのが嬉しかったからかなこさんをかばっているわけじゃない。人道的な観点で――」
「嘘、ですね」
 華は目を瞑って、左右に首を振った。

「おにいさんは告白されたらほいほいついて行っちゃうような人だって、私は知っているんですよ。
 昔っからそうでした。たいして美人じゃなくても、性格が悪そうな人とでもおにいさんは付き合ってました。
 私がそれを見て、どう思っていたか理解できますか? 思い出すだけで歯軋りしてしまいます。
 ずっと昔から一緒に居て、誰よりも早く一緒にいたのに、他の女にとられる。
 私が従妹だからおにいさんは敬遠するだろう、って遠慮していた隙をつかれて」
 華の拳は、握り固められていた。時々、ふるふると動く。

「昔は、おにいさんと毎日会えたから怒りをなんとか抑えられたんですよ。
 学校がある日には一緒に手を繋いで帰ったし、学校が休みの日には一緒に遊べた。
 怒りと癒しのバランスがとれていたからなんとかなってました。――ましたけど!」
 華はその場で、右足を床に叩き付けた。
 絨毯とパンプスがぶつかりあう音は、大きくはなかった。
 もう一度、今度は左足で床を勢いよく踏みこんだ。
 床は、冴えない音しかたてなかった。

「おにいさんが高校を卒業して、就職して遠くに行ってから、私がどうなったか知ってますか?
 それはもう、自分でもひどい日々を送っていたと思いますよ。よく自殺しなかったもんです。
 朝家を出て、おにいさんの家に行こうとしてもおにいさんはもういない。
 胸がからっぽになったまま学校に行って、からっぽな人たちと一緒に過ごす。
 下校するときだってもちろん1人。隣にいるのは錯覚が生み出したおにいさんの気配。
 夜眠れなくて、おにいさんを想って自慰をして、もっと寂しくなって泣きながら眠りにつく。
 毎日、家を出ておにいさんと一緒に暮らしたい、って思ってました」
 言い終わったところで、右手首を華の両手で包み込まれた。
 触れるときも、握るときも、ゆるい力しか伝わってこなかった。



447 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:26:54 ID:Fj6FOqqI
「志望高校を決めるときはそのチャンスでした。
 おじさんにおにいさんの住所を聞いて、近くにある高校を探しだしました。
 もうすぐ一緒に暮らせる! って思ってたまらずおにいさんに電話をかけました。
 そのときのこと、覚えてますか?」
 問いかけられて、答えをひねり出せずにいたら、
「返ってきた応えは『そんなことで電話してくるな』ですよ。『そんなことで電話してくるな』」
 飼い主に捨てられた犬が出すように切なく、弱弱しい声でそう言った。

「私、馬鹿みたいでした。なんでしょうね、その程度の存在なんだって思い知らされましたよ。
 電話をかけることだって久しぶりだったんですよ。忙しいんだろうって自重してましたから。
 雄志、おにいさんですか? 『華か。何の用だ』 実はいいニュースがあるんですよ。 『何だ』
 私、おにいさんと一緒に住むことにしました。 『はあ?』
 志望する高校、おにいさんの自宅の近くにしたんです。 『……』
 これからは、おにいさんと一緒に暮らせますよ。 『そんなことで電話してくるな』 ガチャン。
 こんな感じでした」
 華が中学3年生になった頃、というと就職して2年目のことだ。
 当時は与えられた仕事をこなすことで精一杯だった。
 もしかしたら、ストレスが溜まっていてまともに電話の応対をしていなかったかもしれない。

「おにいさんは私のことより今の生活の方が大事なんだろうって、思いました。
 結局、志望高校は実家の近く、おにいさんが通っていた高校にしました。
 予想したとおり、中学時代となんら変わらない退屈で救いの無い日常が始まりました。
 高校生活のことは何も思い出せません。学校に行って、授業を受けて、家に帰るだけの日々。
 体が軽くって、風が吹いただけでどこかに飛んでいきそうな、薄っぺらな毎日。
 それでも成績は良かったから第1志望の大学には通りましたけど」
「そこが、かなこさんと十本松の通う大学だったのか」
「大学の近くにおにいさんが住んでいるって知ったのが、だいたい2ヵ月前です。
 両親を説得して、引越しの準備を進めて――」
「そして、俺の隣に引っ越してきた」

 華は右手を広げて、俺の顔の前に掲げた。
「5年ですよ。5年かけてようやく願いが叶ったんです。5年といったら私とおにいさんの年齢差です。
 何でそんなに時間がかかっちゃったんですかね? 
 いえ、答えなくてもいいです。自分でもわかってますから。
 おにいさんに自分の気持ちを告白しなかったのが悪かったんですよ。
 告白していればもっと早く、いえ、そもそも私から離れなかったはずです」
 華の右手に、左手をつかまれた。
 今、俺の両手はそれぞれ華の手に握られている。
 顔を上げた華と、目が合った。

「これだけ長く告白したんだから、もうしてもいいですよね」
 何をだ、と聞く前に華の顔が素早く近づいてきて、
「ん…………ふぅぅ……」
 唇を重ねられて、次いで息を吹き込まれた。
 キスされていたのはほんの数秒のことだっただろう。
 それだけでも、華の好意がどういった種類のものか理解するには、充分すぎるほどの時間だった。



448 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:29:49 ID:Fj6FOqqI
 顔が離れても、華は目をそらさなかった。
 俺も、目をそらさなかった。正確には、呆然としていて視線を外すことを忘れていた。
 華はふふっ、と短く笑うと顔をそらし、部屋の出口へ向けて歩き出した。
 俺は両手を握られて変な体勢になったまま、華に引っ張られた。

 部屋を立ち去る前に、華は一度立ち止まり、後ろを振り返った。
 華の目はどこか一点を凝視していた。
 しばらくそれを続け、口の端を上げて少し笑うと、再び前を向いて歩き出した。


 華に手を引かれたまま廊下を歩く。華の足は迷うことなくどこかへ向けて進んでいた。
 廊下では誰ともすれ違わなかった。
 爆発が起こったことなど蚊帳の外であるかのように静かで、かえって不自然だった。
 華は廊下の突き当りにあるドアの前に着くと、3回ノックをした。
 部屋の中からの返事らしきものは聞こえてこなかった。

「いないみたいですね」
「ここ、誰の部屋だ?」
「十本松先輩の部屋です。屋敷の奥にあるらしくて、人が滅多にこないって言ってました。
 じゃあ、着替えますから待っててくださいね」
 外開きのドアを開けると、華は部屋の中へ入っていった。
 手持ち無沙汰になったので、腕を組み壁にもたれる。

 今からでもかなこさんを助けにいったほうがいいんじゃないのか?
 二回目の爆発音から大きな音は聞こえてこないけど、犯人はどこにいるかわからない。
 犯人の目的はかなこさん、もしくは当主の桂造氏に危害を加えることが目的だと考えるのが妥当だ。
 爆発が殺傷を目的にしたものなら、かなこさんは無事だが、桂造氏はどうなっているかわからない。
 カモフラージュだとしたら、気絶したままのかなこさんは格好の標的だろう。
 助けにいくか? いや、爆弾をしかけるような人間に対抗する手段を俺は持っていない。
 返り討ちに遭うのがオチだろう。だけど――
「あぁ、もう!」
 左手で頭を掻く。考えがまとまらないから、行動さえも決められない。いらいらする。

「どうしたんだい? 頭にノミでもわいて、痒いのかな?」
 誰だ、こんなときにわけのわからないことを言う奴は。
「んなわけねえだろ! 確かに昨日は風呂に入ってないけど」
「それはいけない、髪の毛は大事にしないと。
 朝シャンはしなくても構わないが、夜は髪を洗わないと髪と頭皮の健康を損なうよ。
 雄志君は寝癖がつきやすいという理由で朝シャン派なのかな?」
「俺は夜シャン派だ」
 夜シャンなんて言葉、聞いたこと無いけど。
「いいことを教えてあげよう。
 まず、タオルを水に濡らして絞り、レンジで1分少々チンする。
 蒸しタオルができあがるからそれを髪にあてて――」
「そんなことは知っているし、俺は寝癖ができにくいから必要ない――っ?!」

 即座にサイドステップ。左にいたそいつとの距離をとる。
 さっきまでいた地点には、壁にもたれる十本松がいた。



449 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:31:54 ID:Fj6FOqqI
「いつの間に来たんだ、お前」
「生涯の伴侶でない人間に、お前、などと言われる筋はないな」
「……いつの間に来たんだ、十本松あすか」
 言い直すと、十本松はこくりと頷いた。
 壁から背中を離し、毎度のホームポジション、顎に右手をやるポーズで俺と向き合った。
 左手は右肘に添えられている。
「雄志君が目を瞑って天井を見上げている隙にさ。ところで、雄志君はなぜここに? もしや――」
 華が中で着替えているから待っている、と言おうとしたら、

「夜這いならぬ、朝這いかな?」
「いや、まったくぜんぜんちっとも、ナメクジの触覚の先ほども当たっていない」
「ふっ……やれやれ、私も罪な女だ。知らぬ間に雄志君の心を奪っていたとは」
「人の言葉に耳を貸せ!」
「ちなみに私のスリーサイズはウエストから5――」
「聞きたくないし、それに何故真ん中から教える! 普通上からだろ!」
 なぜだろう、こいつの相変わらずの変人的言動の相手をしていると落ち着くのは。
 まさか、知らぬ間にこいつに心を奪われたりしてないよな、俺?

 部屋の扉が開き、青のセーターとロングスカートを履いた華が現れた。
 十本松の姿を確認すると、袖を握って両手を広げた。
「あ、十本松先輩。すみませんけど服を借りますね」
「一向に構わないよ。もう着なくなってしまった私のお下がりだけどね。
 なんならもらってくれて構わない。その方が服も喜ぶはずだ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
 にこやかなやりとりだが、疑問が一つ。

「こんな女の子らしい服も持ってたのか?」
「当然だろう。今でもときどき身に着けて鏡の前で悦に浸るからね」
 鏡に向かって衣装合わせをする十本松を想像する。
 が、想像力の限界が来てしまった。そんな面白映像は作り出せない。
「もちろん、冗談だ」
「……あ、やっぱり」
 呆気にとられていた華が呟く。対して俺は、ほっ、と息を吐き出した。

 十本松は自室のドアを開けると、中へ足を踏み込んだ。
 振りむいたときの十本松の表情は、緊張しているように見えた。
「私の部屋から、屋敷の外に出る扉がある。2人とも早く脱出したまえ」
「なに?」
 なんでこいつが俺たちを逃がそうとするんだ?
 注意深く、不審なところが無いか、十本松を観察する。……不審なところだらけだ。
「相変わらずのニブチンだね、雄志君は。
 屋敷で爆発が起こった、犯人は誰だ、部外者に違いない、とくるのが人間の思考だ。
 この屋敷にいる部外者は、現在君達2人しかいないんだよ」
「それはそうだが……もし俺たちが犯人だったらどうするんだよ」
 もちろん、そんなことはありえない。
 だけど、十本松が俺たちを信用する理由が見当たらない。
 罠にはめようというんじゃないだろうな。



450 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/05/20(日) 12:35:16 ID:Fj6FOqqI
「雄志君は信用できないが、華君は充分に信用に足る人物だから、とでも言えばいいかな。
 ……ああ、冗談だよ。そんな怖い顔をしないでくれ、華君。可愛い顔が台無しだよ」
「こんなときぐらい、本音で会話してくれませんか」
 十本松を睨みつける華。視線をあてられてたじろぐ十本松。
 なかなかレアな光景だが、今は楽しく鑑賞している場合ではない。

「昨夜、かなこと雄志君を2人っきりにしてしまったことへの謝罪、とでも受け取ってくれ。
 あとは、冤罪で捕らえられる君たちを見たくない、という私の意思だよ」
「今の言葉に、嘘は無いですね?」
「ああ、私の父と――ご先祖さまに誓ってもいいよ」
 十本松の目が俺を見つめる。何を伝えようとしているのだろう。
 アイコンタクトで意思疎通できるほど俺とお前は親しくないぞ。
 嘘を言っているようではないから、とりあえず頷いておくけどな。

 外へ出るための扉は本棚の後ろにあった。
 扉を開けると、朝の日差しに照らされて緑色に彩られた、樹木と草葉の光景が広がっていた。
「草が踏まれた跡を辿っていけば県道の歩道にでる。歩いていって、20分かからないはずだ。
 右へ進めば国道にでるから、タクシーをひろって帰ることはできるだろう」
「わかった」
 珍しく無駄の無いしゃべりをする十本松に応えるように、頷く。
 
「ありがとうございました、十本松先輩」
「なに、華君のためならお安い御用さ。お礼として私ともっと仲良くし」
「では、さようなら」
 簡潔に言い残し、華は扉の向こうへ出て行った。
 華の後に続いて、部屋の床とは段差のある地面に飛び降りる。
 十本松に礼を言おうと振り向く。振り向いたタイミングぴったりに、目前に白い小さな紙を突きつけられた。
 二枚折の紙を受け取り、開く。メールアドレスらしきものが書いてあった。
 
「このやけに長い英数字の羅列は、誰のメルアドだ」
「私の携帯電話のものだよ。不審な目で見ないでくれ。メル友になってくれというわけじゃないんだから」
「じゃあ、どういう意味だ」
 十本松は後ろを振り返り、またこっちを振り向いた。俺の耳に口を寄せると、ぼそぼそとつぶやいた。
「無事着いたら、メールを送って欲しいんだ。やはり不安だからね」
「それは別に構わないけど……なぜそんなに近くで喋る」
「ふうむ」

 呻く十本松は、さらに口を寄せてきた。そして、何を思ったか、耳の穴に息を吹きかけてきやがった。
 驚きと、気持ち悪さでその場に崩れ落ちる俺。
「あっはっはっはっは! それじゃあ、しばらくのお別れだ。連絡を待っているよ」
 言い残すと、十本松は部屋のドアを閉めた。ガチャリ、という簡単な音が聞こえた。
「どうしたんです、何を言われたんですか」
「なんでもない。別に落ち込んでなんかいないぞ、心配するな」
「……なんだか、悲しそうですね」
 耳の穴に息を吹きかけられた初体験の相手は、幸運にも女だったが、十本松だった。
 背中にのしかかる重いものを意識しないために立ち上がり、脱出ルートへ足を向ける。
 後ろから聞こえる華の足音が、やけに耳に心地よかった。