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473 :ラーメン屋とサラリーマン [sage] :2007/05/22(火) 06:29:05 ID:t0NRggZl
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 啓太は、今年の3月末から企業に勤めるサラリーマンになった。

 大学に入学してすぐの頃には資格取得に励んで就職を有利にしようと
もくろんでいたが、気がつけばアルバイトに明け暮れる生活を送っていた。

 大学4年時には就職活動に必死になって取り組んだ。
 面接の本を買い漁り、履歴書を大量に書き、革靴の底をすり減らして取り組んだ。
 ようやく内定をもぎとったころには、サークルの後輩に何時間も苦労話を
できるほど多くの企業の面接を受けていた。

 大学を卒業し、入社式を無事に終えて、会社では総務部に籍を置いた。
 啓太に与えられる仕事は難しいものではなかった。
 新入社員に難度の高い仕事を任せる上司はいないだろうが、そのことを
差し引いても簡単すぎる仕事だった。

 PCの使い方に慣れていたため、文書作成を任されたが、過去に作成
された書類をもとにすればあっさりとつくることが出来た。
 電話の応対は、人並みに明るい性格をしていたせいで注意されなかった。
 来客の応対は上司が率先して行っていたので、啓太がすることといえば
すれ違ったときに元気よく声を出し、会釈することだけだった。

 啓太は、1ヶ月経たないうちに会社に、会社の仕事に飽きていた。
 一体なぜ、就職することがあれだけ難しくて、働くことは楽なのだろうか。
 疑問に対して、世の中はこんなものだ、と啓太は結論付けた。

 しかし啓太は酒が入るとうかつになる癖があった。
 先日行われた新入社員歓迎会で、酔った勢いで上司の前で思っていたことを
全て言ってしまったのだ。
 自分の口が滑ったことに気づかなかった啓太は、目の前にいる上司の口が、
頬が、目が笑みを形作っていたことにも気づかなかった。

 翌週から、啓太の仕事量は同期の新人を圧倒するほどのものになった。
 加えて、来客の案内、お茶くみ、さらには取引先との接待にまで駆り出された。
 はじめのうちこそ新人の謙虚さで熱心に取り組んでいたものの、休日を挟んだ
翌月曜日には出社することもおっくうになっていた。

 啓太は、五月病の症状である無気力とは一味違うエネルギー不足に陥っていた。



474 :ラーメン屋とサラリーマン [sage] :2007/05/22(火) 06:30:11 ID:t0NRggZl
 金曜日の夜、取引先との接待の帰り道。
 啓太は上司と一緒に、大通りとは離れた場所にあるラーメン屋に入った。
 接待の帰りで啓太がいつも利用しているラーメン屋だった。

 時刻はすでに深夜1時を過ぎており、他の客はいなかった。
 啓太と上司がカウンター席に着くと、店の奥から店主の女性が現れた。
 店主の容貌は、夜の仕事に就く女性達とは違う魅力を放っていた。

 頭の後ろでくくった髪は艶やかで、蛍光灯の光を反射していた。
 身に着けた三角巾とエプロンは青く染まって、若い女性の体をぴったりと包んでいた。

「何にしようか、お2人さん」

 女店主が2人に向けて言った。
 メニューは『ラーメン』と『白米・餃子セット』の2つだった。
 啓太はラーメンを注文した。上司は白米・餃子セットを注文した。
 2人がぽつぽつと会話をしているうちに、ラーメンと、白米と皿に乗った餃子が
カウンター席に置かれた。
 酔った体は満腹中枢を若干麻痺させており、啓太は数分でスープまで飲み干した。
 上司は啓太より少し遅れて、茶碗と皿を空にした。

 コップに注がれた水を飲みながら、男2人と店主を交えて会話していくうちに、
上司の言葉が卑猥なものになってきた。
 具体的には、女店主の容姿をいやらしく褒めるものになってきた。

「あっははは、ありがと、お客さん。でもちょっと酔いすぎだよ。
 早く帰ったほうがいいんじゃないかい?」

 上司は、お姉ちゃんの部屋に泊めてくれよ、代金を体で払ってもいいぞ、
と言いながらへらへら笑っていた。
 上司と女店主のやりとりは同じことの繰り返しだった。
 上司が社会人にあるまじき発言をして、女店主があしらう。

 啓太は無言でやりとりを見つめていたが、会話が止まったタイミングで上司を
店から出るようにさりげなく促した。
 上司はそれでも腰を動かそうとはしなかった。

 困りかねた啓太は、自分の分の代金を置いて立ち上がった。
 女店主は代金をつつ、と啓太に向けて押し返した。

「先に帰りなよ。兄ちゃんの分はこのおじさんから払ってもらうから」

 上司はおう、早く帰れ、と言っていた。
 しぶしぶ啓太は頷いて、店を後にした。



475 :ラーメン屋とサラリーマン [sage] :2007/05/22(火) 06:30:55 ID:t0NRggZl
 翌日は土曜日で、啓太が勤める会社は休みだった。
 起きたとき、時刻は午前10時を差していた。
 休日はバイクに乗って遠出することが啓太の趣味だった。

 顔を洗い歯を磨き、しわがしっかりついたスーツから、ジーンズとジャケットという
スタイルに着替えて、啓太は自宅の外に出た。
 空は青く日差しが強かったが、風が程よく吹く絶好のバイク日和だった。

 愛用する250ccのバイクに跨りエンジンをかけ、ギアを1速に入れて発進する。
 自宅から路地を通り、国道に合流する地点の一時停止線で停止する。
 左から車がやってきていたが、右からは車がやってこなかった。
 左折して空いた道路に合流して、特に感慨も無く走り出す。

 啓太は目的地を持たず走ることが好きだった。
 目的地を設定する遠出のツーリングは義務感と意地が湧いてくるからだった。

 家を出てから8時間が経った。
 8時間のうちに昼食をとり、1回ガソリンスタンドに入り、2時間おきに休憩して
自動販売機で缶コーヒーを買って飲んだ。

 7時になり小腹が空いて来たので、昨日行ったラーメン屋へ走った。
 上司がちゃんと帰ったか聞きたかったし、上司の代わりに謝っておきたかったからだ。
 ガラガラ、という耳に障る音と一緒に、ラーメン屋の引き戸を開ける。
 厨房には女店主が立ち、仕込みをしているようだった。

「いらっしゃい。あ、昨日の兄ちゃんか、今日も来てくれたのかい」

 女店主に会釈して、カウンター席につく。
 ラーメンと白米・餃子セットを注文しようと思ったが、今日はメニューが増えていた。

 『とんこつラーメン』と書かれた紙が壁に張り付いていたのだ。
 なんとなく気になり店主に尋ねてみると、すぐに答えが返ってきた。

「メニューを増やしてみようかと思ってね。
 とんこつはいろいろごまかせるから、作りやすいんだよ。
 匂いを消すのが難しいけど。兄ちゃんはとんこつ、好きかい?」

 啓太は好きだ、と言ってから頷いた。



476 :ラーメン屋とサラリーマン [sage] :2007/05/22(火) 06:32:09 ID:t0NRggZl
「じゃあ、第1号ってことで、サービスだ。さらに、餃子もつけたげるよ」

 女店主はそう言うと、とんこつラーメンと餃子をカウンターに置いた。
 れんげでとんこつスープを汲んで、舌で味わう。
 臭みは特に感じられなかった。味は濃厚で、油はしつこくなかった。
 美味しいです、と啓太は言った。

「そうかい? ふふ、ありがとさん」

 餃子を食べて、麺をすすり、スープまで飲み干してから、啓太は、昨夜のことで謝罪した。
 酔っていたとはいえ失礼なことをして申し訳ありませんでした、と。
 女店主は特に気にしていなかった。

「女が夜中にラーメン作って餃子焼いてりゃよくあることだよ。兄ちゃんが気にすることじゃない。
 上司のおじさんには代金受け取った後で、大人しくかえってもらったし。
 どうしても気になるってんなら、これからも来ておくれ。兄ちゃんは貴重な常連さんだからね」

 言い終わると、女店主はけらけら、と笑った。つられるように、啓太も微笑んだ。

 席を立って、代金を払おうとしたが女店主は頑として受け取ろうとはしなかった。
 仕方なく、深く頭を下げて店のドアを開けて外にでる。女店主も一緒に外へ出てきた。
 女店主は啓太のバイクを見ると、しゃがみこんで興味深く観察した。

「ちゃんと掃除してあるんだね、今時珍しいよこんなに綺麗なバイクは。
 どうだい兄ちゃん、お店で働いてみないかい?」

 女店主は立ち上がると、啓太に向かってそう言った。
 話を聞くうちに、啓太は少しだけ心を動かされた。
 店の奥には空き部屋もあるから住み込みで働けるし、働きぶりによっては
給料も弾む、という条件だったからだ。
 逡巡した結果、啓太は折角ですけど、と断った。

「残念だね。店と部屋を綺麗に掃除してもらおうと思ったんだけど。
 ま、いいか。気が向いたり、リストラされたりしたら来なよ。雇ったげるから」

 本気とも冗談ともつかない喋り方だった。啓太はその時はお願いします、と言った。
 ヘルメットをかぶり、バイクのエンジンをかけて、啓太は店を後にした。



477 :ラーメン屋とサラリーマン [sage] :2007/05/22(火) 06:33:36 ID:t0NRggZl
 日曜日を隔てた、次の月曜日。
 総務課の事務所がいつもの朝とはうってかわって騒々しかった。
 話によると、啓太の上司との連絡が土曜日からつかない、ということだった。

 昼の休憩時間に、啓太は失踪者と接待に向かった人物ということで、来客室で
警察から事情聴取を受けた。
 ラーメン屋に立ち寄ったことを言おうと思ったが、女店主は大人しく帰ったと言っていたので、
啓太は結局口にしなかった。

 終業の時刻になった。
 今日は上司がいなかったので、啓太は特に仕事を任されなかった。
 接待に駆り出されることなく家でゆっくり過ごせる、と啓太は安らかな気持ちになっていた。
 同僚の女性が声をかけてくるまでは。

「啓太君、今夜は何か用事ある?」

 声をかけてきたのは、1年先輩の志保だった。
 総務課は女性の多い職場だったが、志保は一際異彩を放っていた。
 啓太より背が高く、黒い髪は清潔感があり、鼻は高かった。
 同僚の男性社員と同じく、啓太も志保のことが気になっていた。

 同僚の女性社員の中でも、志保は啓太によく話しかけていた。
 今までは全てが仕事に関する内容であったが、今日は違うようだった。

「これから、2人で飲みにいかない?」

 啓太は何も考えず、1回、2回と素早く頭を下げた。
 

 志保に連れて行かれたバーで、啓太と志保はカクテルを飲みながら、いくつか話をした。
 上司のこと、志保が今任されている仕事のこと、お互いバイクに乗るのが趣味だということ。
 2人は意気投合し、続いて居酒屋で焼酎を飲み、志保だけがべろべろに酔っ払った。

「ねえ、けーたくん。この後、どこ行こっか?」

 ろれつの回らない志保を肩で支えながら、啓太は考えていることを実行に移そうかどうか、
迷っていた。
 志保をホテルに連れ込もう。いや、酔った女性に無理矢理するなんて最低だ。
 啓太の脳内に住む天使と悪魔が、激しくせめぎあっていた。
 勝利したのは、理性をつかさどる天使だった。
 まだほろ酔い状態だったことと、自分が新人であるという要素が悪魔の侵攻を妨げたのだ。

 志保が回復するまでどこで休憩しようか、と考えていると、ふとラーメン屋のことが浮かんだ。
 カウンターに寝かせていれば、ほどなく回復するはずだ。自分はラーメンを食べて待っていればいい。

 柔らかい志保の体に欲情する自分を抑えて、啓太はラーメン屋へ向かった。



478 :ラーメン屋とサラリーマン [sage] :2007/05/22(火) 06:34:49 ID:t0NRggZl
 ラーメン屋の引き戸を開けると、女店主がカウンター席に座ってテレビを見ていた。
 女店主は啓太を見ると口を開いたが、志保を見てから口を閉ざした。

「どうしたんだい、兄ちゃん。……その女、彼女?」

 啓太は違う、と言った。事情を説明する啓太を、女店主は憮然とした目で見つめた。
 志保をカウンター席に座らせる。志保は自分の腕を枕にして眠りについた。
 啓太は志保の隣に座ると、女店主にラーメンを注文した。
 女店主は、志保にちらりと視線をやった後でラーメンを作り始めた。

「はいよ、お待ち」

 箸を割り、目の前に置かれたラーメンに箸を向ける。すると、女店主に止められた。
 女店主の手には、小瓶が握られていた。『こしょう』と書かれたラベルが張り付いている。

「こいつを入れると、すっごく美味しくなるんだ。そりゃもう、天国にいけるぐらいにね」

 そう言うと、女店主はラーメンの上で小瓶を降り始めた。
 白い粉が、ラーメンのスープに混ざり、麺の上に乗った。
 啓太は箸で麺とスープと粉をかき混ぜて、食べ始めた。
 女店主は美味しくなると言っていたが、軽く酔っている啓太の舌には判断がつかなかった。

 啓太が箸を置くと、女店主はラーメンの器を下げた。
 隣に座る志保が起きる様子は見て取れない。
 仕方なく椅子に座っていると、女店主が隣にやってきた。

「どうだった? 美味しかったかい?」

 啓太は、いつも通り美味しかったと言った。女店主が言葉を続ける。

「ねえ? ……変な感じになってこないかい、兄ちゃん」

 言葉を聞いて、啓太は突然、柔らかい感触が欲しくなった。
 欲望が次第に大きくなり、落ち着かなくなっていく。
 隣に座る女店主のエプロンの、胸元に目がいく。
 首の下から少しずつ起き上がるふくらみを見ているうちに、目を離せなくなった。
 脳内で、エプロンを強引に引き裂いて、柔らかい乳房を撫で回し、乳首をつまんだ。
 体が求めるものが目の前にある。思考と欲望がどろどろに混ざり始める。
 女店主が啓太に近寄り、背中に手を回し、柔らかい体を押し付ける。
 押し付けて、離し、押し付けて、離れる。啓太の欲望を、体の奥から引きずり出す。

 啓太は、必死に、手を出すまいと歯を食いしばる。
 しかし、女店主の柔らかな唇の味を、自身の唇で味わったとき。

 啓太の理性の壁は決壊した。



479 :ラーメン屋とサラリーマン [sage] :2007/05/22(火) 06:36:58 ID:t0NRggZl
 翌日の火曜日、啓太と志保は、出社しなかった。

 水曜日、木曜日、金曜日になっても2人は姿を見せなかった。
 会社から警察へ連絡がいき、前日に失踪した上司を含めて捜査が始まった。

 同じ会社の男性社員は志保と同時にいなくなった啓太に、疑念と嫉妬を覚えた。
 女性社員は上司が自殺し、啓太と志保の2人が駆け落ちした、との噂を流した。
 噂は一時期こそ熱心にささやかれたものの、時が経つにつれて風化していった。


 同じ町にある、美味しいとんこつラーメンを出すと一部で噂になったラーメン屋は、
9日間だけ営業したのち、何の前触れもなく閉店した。

 終わり

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