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586 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/27(日) 12:23:51 ID:nfd27eRQ
 さつき姉が僕の住むアパートの一室にやってきて一晩が過ぎた、二日目。
 今日は朝から雨が降っていた。
 朝に目が覚めたときカーテンのすき間から空を見ると、青い色が見えなかった。
 部屋の空気はわずかに湿っている気がした。
 雨は強く降っているわけではなく、雨雲から命令されて嫌々降っているように思えた。
 風は弱く、空を覆う灰色の雲は長く居座るつもりのようだった。
 実際、(僕の勘よりはあてになる)天気予報も僕の感じたままのことを言っていた。

 さつき姉は朝に弱い。
 その事実を知ったのは僕がまだ小学校に通っていたころのことだ。
 登校するときは僕がいつもさつき姉の家に行った。
 おばさんに挨拶をしてから、さつき姉が家から出てくるまで待つ。
 玄関を開けるときのさつき姉は、いつも目を瞑っていた。
 僕の記憶の中に、さつき姉が朝から活発的になっている様子は存在しない。

 いつもさつき姉はふらふら歩いた。僕はさつき姉に声をかけながら歩いた。
 学校に着く数分前になるころさつき姉の意識はようやく覚醒しはじめ、隣を歩く
僕を確認すると手を握ろうとしてくる。
 僕は手を握られないようにランドセルに手をかけたり、走って逃げたりする。
 その繰り返しが、小学生のころの僕の日常だった。

 さつき姉は相変わらず朝に弱いようだった。
 時刻はすでに7時数分前をさしているから、僕の目ははっきりと覚めている。 
 だというのに横になったままのさつき姉は身じろぎ1つしない。
 昨晩さつき姉にからかわれた仕返しに起こしてやろうかとも思ったけど、
やめておくことにした。
 特に理由はない。しいて言うならば、早く顔を洗いたかったからだろうか。

 洗面所に行き、顔を濡らして髭を剃り、顔を水ですすぐ。
 蛇口から流れてくる8月の水は、目を覚ましてくれるほど冷えてはいなかったけど、
変わりなく水としての役目を全うしてくれた。

 さっぱりとした思考で考える。
 今日は雨が降っているけど、さつき姉はどうするんだろう。
 本でも読みながらじっとしてくれたら嬉しいんだけど。



587 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/27(日) 12:25:18 ID:nfd27eRQ
 焼いた食パンを台所で食べ終わった頃、さつき姉がやってきた。
「惣一、おはよ」
「おはよう」
「ね、今何時?」
 台所には時計を置いていない。
 全く必要がないというわけではなく、単に狭い部屋に数多くの時計は必要とされないからだ。
 居間の壁にかけてある時計を見て、両手で指を8本立ててさつき姉に見せる。

「そっか。よかった、早起きして。今日はいろいろやりたいことがあるから」
 さつき姉はそこまで言うと、洗面所で蛇口をひねった。
 鏡に向かって顔を向けているが、2つのまぶたは閉じられたままだ。
 あの様子ではまだ意識が覚醒していないと思われる。
 僕は居間に敷かれたままの布団を畳むと、続いてテーブルを定位置に置いた。

 買い物に行こうとさつき姉が言い出したのは、パンを食べ終えたあとだった。
 実を言うとそれまでの間にさつき姉は一度倒れた。
 僕が駆け寄ってさつき姉の体を抱き起こすと、小さな寝息が聞こえてきた。
 寝ていた。大きく口を開けながら。
 口は開けたままなのに、鼻で呼吸をしていた。
 僕は肩から力を抜くと、さつき姉を仰向けにして頭の下に枕を敷いた。


 さつき姉は僕の左で、雨に濡れたコンクリートの地面を踏みしめながら歩いている。
「もう! 惣一が起こしてくれなかったのが悪いんだからね!
 今日は久しぶりに一緒にでかけようと思っていたのに!」
 だったら早めに言っておいてほしかった。
 さつき姉がしっかりと伝えてくれていれば僕は頬をつねってでも起こした。

 いや、それぐらいでは起きないか。
 さつき姉は一度眠ってしまうと、死んだように動かなくなるのだ。
 以前さつき姉が夏休みの宿題を片付けるために徹夜をしたことがあった。
 徹夜した次の日には、丸一日ベッドの上で眠りこけていた。
 僕は、その時のことをよく覚えている。
 なにせ、丸一日中僕の手を握ったまま眠っていたのだから。



588 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/27(日) 12:27:12 ID:nfd27eRQ
 アパートを出て、50分ほどバスに乗って、近くにあるコンビニで弁当を買い、
案内板を頼りにして海水浴場にやってきた。
 さつき姉の予定では、今日は海水浴場にくるつもりだったらしい。
 雨が降ったから予定を中止するかと思いきや、さつき姉はこうやって海を見に来ている。

 さつき姉は傘を持ちながら、人の居ない砂浜を見下ろしている。
 ため息をひとつ吐くと、まぶたを少し下ろして憂いの目をつくった。
「残念ね。せっかく惣一と一緒に海に来たのに、これじゃ面白さ半減よ」
「半減しただけ?」
「そ。水着を買って、泳ぎもしないのに海水浴場にやって来て着替えて、
 貸し出されたパラソルの下でのんびりとして、というのをやってみたかったから」

 疑問に思った。
 ただ海にくるだけならいつでもできるだろうし、なにも今日である必要は無い。
 ぼんやりするだけなら、僕は居てもいなくても同じじゃないか。
 僕が思ったことを口にすると、さつき姉はうーん、と呻いた。
「違うのよ。惣一と来るっていうことに意味があるの」
「僕と?」
「うん。私が惣一の部屋に泊まっているうちにやっておきたかったから。
 こんなところ、1人でくるものじゃないわよ。基本的にはね。
 男の人はナンパをするために1人で来たとしてもおかしくないけど、
 女の人が1人で海水浴場に来てぼんやりとしてたらなんだか変じゃない」

 僕は目を動かして灰色の空を見たあと、さつき姉に対して頷いた。
 頷いたのを見て、さつき姉は思い出したように声を出した。
「ねえ、もしかして惣一もナンパとか、したりするの?」
「なんでそう思うのさ」
「いいから質問に答えなさい」
 さつき姉は少しだけ眉根を寄せた。
 別に隠すようなことはないし、そもそも隠すものが無いので正直に答える。

「ナンパはしない」
「本当に?」
「しようと思ったことはあるよ。……ちょっと違うか。
 僕の想像の中にいる僕が、ナンパしようかどうか考えたことがある」
「……よかった。駄目よ、ナンパなんかしちゃ。
 遊びに行きたいんなら私を誘ったらいいわ。私はご飯は割り勘にする女だから。
 今日みたいにね」

 さつき姉は時刻を確認すると、屋根のあるベンチのところへ向かった。
 僕もベンチに座り自分の弁当を取り出して、次にさつき姉の弁当を差し出した。
 さつき姉の後ろにある雨の降る様子を見ていると、さつき姉に問いかけられた。
「想像の中の僕、とかいう言葉をよく使ったりするの?」
「普段は使わないよ。今日はさつき姉が二度寝した横で小説を読んでたから、
 なんとなく言ってみたくなっただけ」
 ふーん、と呻いてから、さつき姉は食事を再開した。



589 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/27(日) 12:29:15 ID:nfd27eRQ
 海水浴場から離れてバス停に向かう途中、お土産屋に立ち寄った。
 遠く離れた街までやってきたから、家族や友達に買うためのお土産を選ぶのだろうと
僕は思ったのだが、さつき姉はどうやら違うことを目的にしているらしかった。
 さつき姉はキーホルダーが大量に吊るしてある回転式ディスプレイを、何度も熱心に
回しながら難しい顔で睨み付けている。

 お土産屋の中は人がいなくて閑散としていた。 
 店内の広さは僕の部屋をひとまわり大きくしたくらいのもので、壁にまで商品が置かれていた。
 外観はお土産屋の看板がなければ素通りしてしまうほどに地味で、あまり繁盛していない
のではないかと僕は思った。
 今日は、雨が降っているせいで誰も店内に入ってこないどころか、路地を歩いている人すらいなかった。

「惣一、これ」
 さつき姉の声に振り向くと、目の前に目玉が現れた。
 形容しようもなく、目玉そのものだった。本物ではないが。
 目の前にかざされた目玉のキーホルダーは直径が1cm少々の大きさでとても軽く、
銀色のリングには200円と書かれたシールが貼ってあった。

「それ、買いなさい」
「なんで? キーホルダーなら間に合ってるんだけど」
「いいから買いなさい」
 同じやり取りを繰り返しても、さつき姉は強硬な姿勢を崩さない。
 仕方なくレジに行って会計を済ませると、さつき姉も同じものを購入した。

 さつき姉は右手で目玉のキーホルダーをぶら下げ僕に差しだし、左手のひらも差し出した。
「交換しましょ、このキーホルダー」
「……なんで? 同じものじゃないか」
「別々に買った、って点では別物でしょ。
 私は惣一のものを持つから、惣一は私のを持ってちょうだい」

 買わされた理由もわからないうえに、交換する意味も掴めない。
 とはいえ、断る理由はない。
 僕はキーホルダーをさつき姉に渡して、さつき姉のキーホルダーを受け取った。
「今日から私が居なくて寂しくなったときは、それを見て紛らわしなさい。
 私も寂しくなったときは同じことをするから」

 2人でお土産屋の外に出ると、空の色はたいして変わっていなかったものの、雨はまったく
降っていなかった。
 バス停に着いて到着したバスに乗り、降りてから自宅に帰るまでの間、僕は右のポケットに
入った目玉のキーホルダーを適当にいじった。
 何度触っても変わりなく、プラスチックの滑らかさしか感じられなかった。



590 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/27(日) 12:31:06 ID:nfd27eRQ
 部屋に戻ってきてから、僕は携帯電話を置きっぱなしにしていたことに気づいた。
 着信を確認すると、大学の友人の1人から何度か電話がかかってきていた。
 かかってきた番号に、折り返し電話をかける。
 4コール目で繋がった。
『もしもし? 北河君?』
「うん」
『どうして出なかったの? どこかに行ってた?」
「まあ、ちょっと散歩にね」
『ふーーん』

 部屋の時計で時刻を確認すると、長針は4時を差していた。
 時刻を確認できるだけの間隔を空けて、友人の声が聞こえた。
『聞いてくれますか、北河君』
「それって、聞いてくれることを前提にしての質問だよね」
『実は私、山川は本日朝7時に目を覚ましたところ、隣に彼氏が寝ていないことに気づきました。
 あれ? どこにいっちゃったの? と口には出さず彼氏を探して部屋を右往左往する私。
 トイレ、浴室、冷蔵庫の中、ゴミ箱の中を覗き、首を傾げながらテーブルを見ると!』
「見ると?」
『合鍵は返しておく 俺たちはこれで終わりにしよう。 と書かれたメモを発見しました』

 僕はほう、と言いそうになった自分を抑えて、次の言葉を待った。
『というわけで、明日の夏祭りアンド花火大会は北河君と行くことが決定されました。がちゃり』
「がちゃり、じゃないよ。なんで勝手にそんなことを決めてるんだ」
『いいから付き合いなさい! これは決定事項です!』
「……まあ、別にいいけどさ」
『よろしい。では明日の朝北河君の自宅へ迎えに行きます。シャワーを浴びて待っていてください』
 友人の山川はこういう冗談をしれっと口にする。
 性質の悪さが子供っぽくて面白いから、僕にとっては気の合う友人の1人だ。
「わかった。じゃ、明日会おう」
 と言ってから、僕は通話を終了した。

 携帯電話をテーブルの上に置いてから水でも飲もうか、と後ろを振り向くとさつき姉が
真後ろに立っていることに気づいた。
「惣一、今のは誰? ずいぶん楽しそうだったけど」
 言葉の中に隠しきれない不満の色が混ざっている。やけに機嫌が悪そうだ。
「大学の友達」
「女の子でしょ? 女の子よね? 女の子なんでしょう?」
「う……ん。そうだけど」
 なぜ言葉を繰り返したのはわからないが、喋るごとに目と眉がつりあがるさまから察するに、
さっきの電話の内容が面白くないものだったらしい。
 山川の声はよく通るから、真後ろに立っているさつき姉にも聞こえていたはずだ。

 さつき姉は不機嫌から微笑へと表情を変化させた。
「そうなんだぁ。女の子の友だちねぇ」
 頷く動作を繰り返しながら、さつき姉は台所へ向かい夕食の準備を始めた。
 包丁とまな板のぶつかる音が、昨日とは違い甲高く響いた。