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33 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/29(火) 23:33:01 ID:LZH3xKXm
 僕は今、意識をふわふわとうわつかせた状態で夢を見ている。
 僕の見ている、あるいは見ていると錯覚している目の前には、山川がいる。
 昨日着ていた浴衣ではなく、大学にいるときのように動きやすそうな服を着ていた。
 髪の長さはばっさり切った状態のままで、僕にとってはまだ違和感があった。

 山川は両手の指を絡めて、開いたり閉じたりという動きを繰り返し、僕の顔を
見たかと思うとすぐに目をそらす。
 口が開いた瞬間目に強い力が込められたが、僕が真正面から見返すと
頬を変なかたちに緩ませて、背中を見せた。
 そしてとぼとぼと歩き去る、と思わせて背筋をぴんと伸ばして振り返り、僕の
目の前に戻ってくる。
 山川らしくない、というより普段の山川からは考えられない妙な動きだ。
 僕は山川の一連の動きにハムスターと名づけてやりたくなった。

 山川は僕に何かを伝えたがっているようだった。
 どんな内容のものなのかは、ハムスター的動きを見ていればなんとなくわかる。
 ここで自分に対してとぼけることもできるが、僕としては別に冗長的になる必要も
ないので、はっきりと意識してみる。

 山川は僕に好意を伝えようとしている。

 (夢の中だが、)山川が僕に向かって告白する、というのはなんとも奇妙な図だ。
 キャベツとレタスが一緒にハンガーストライキしましょう、と言い合っているような
脱力感と空虚な感じを覚える。
 こんな喩えをすると山川に悪いのかもしれないが、実際思ってしまったのだから仕方ない。

 僕も山川も、お互いに友人だとしか思っていないのだ。
 もちろん僕は山川の本音など知らないが、夏季休暇突入前に彼氏と遊びに行く計画を
熱心に立てていた様子を思い出すと、色気のある展開の予兆すら浮かばない。
 昨晩の行動にしても、僕を含む友人グループにとっては当たり前のことなのだ。

 山川の動きが止まった。今度はじっと僕の目を見つめている。
 唇が動いて、意味のある言葉を発しようとする。
 自分の見ている夢の馬鹿さ加減に呆れ、ふと山川の後ろを見た瞬間、変なものが飛び込んできた。

 さつき姉が白い着物を着て、右手にジョッキを持って、左手にビールのビンを持って、
額に白いハチマキを巻いて立っていた。
 ハチマキと額の間には栓抜きが2つ挟まっている。
 ちっとも怖くないし、なぜ変な格好をしているのかも分からなかったし、どうしてそこまで
不気味な表情――目の下にくまを張り付かせて俯き上目遣い――をしているのかも分からない。

 さつき姉の格好の不気味さと、山川の不可解な行動の理由について考えているうちに、
僕の目が覚めた。
 すでに部屋の中は昼間の明るさになっていた。窓の外には青空と雲が点在している。
 時計を見ると時刻は10時を過ぎていた。
 口の中に残るべとべとしたものを洗い流すために、洗面所へうがいをしにいくことにした。



34 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/29(火) 23:34:09 ID:LZH3xKXm
 僕がいつものように朝の身だしなみを整えていると、さつき姉がやってきた。
 昔から変わらない朝の合図であるかのように、目を閉じていてふらふら歩いていた。
 僕は仕方なくさつき姉の分のパンを焼くためにキッチンへ向かった。
 しかし、パンは無かった。
 冷蔵庫の中にも、上にも、もちろん下にも無かった。
 おかしい。昨日の朝部屋を出るときは一斤まるごと残っていたはず。
 となると、僕が出かけているうちに無くなったことになる。
 昨日僕の部屋にいたのは1人しかいない。 

「さつき姉、もしかして食パン、食べた?」
「あー、うー……うん、全部食べた」
 やはり予想していた通りだった。
 仕方なく他のものを食べようと冷蔵庫をあさってみたが、あるものと言えばウーロン茶と
オレンジジュースと、さつき姉が買ってきたビールだけだった。
 今の僕は飲み物だけで空腹を埋められる気分じゃなかった。

 さつき姉が洗面所で顔を洗っているうちに、台所と居間を仕切る引き戸を締めた。
 昨日飲んだビールの匂いがするシャツとジーンズを脱ぎ、黒いシャツと白い綿パンを着た。
 ポケットに薄い財布を突っ込み、引き戸を開け放つとさつき姉と顔を合わせた。
 寝ぼけ眼のさつき姉が口を開く。

「なに? いきなり目の前に現れて、どういうつもり?」
「さつき姉、寝てるでしょ」
「ああ、うん。分かってるって、ちゃんとお部屋のお掃除しますから」
 会話が成立しない。やはり眠っているようだ。
 さつき姉はテーブルに向かって歩くと、部屋に散らばったままの空になったビール缶を
一箇所に集め、お菓子の袋をゴミ箱に突っ込んだ。
 続けて床の掃除をしてくれたら嬉しかったのだが、さつき姉は空いたスペースに横になった。
 先ほどの行動は、寝床を確保するためのものだったらしい。

 僕は肩を落として鼻から息を吐き出した。
「さつき姉、何か食べたいものある?」
「うーん、惣一を食べたいな」
「……わかった。適当なものを買ってくるよ」
「うん、って、ストーーップ!」

 さつき姉が急に起き上がり、僕に向かって歩いてきた。
 なぜか知らないが、目ははっきりと見開かれ、眼力がみなぎっている。
「1人では、行かせないわ」
「じゃあ、さつき姉も一緒に行く?」
「いや。眠いから」
「じゃあ僕が1人で――」

 というやりとりをしているとき、玄関をノックする音が聞こえた。



35 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/29(火) 23:35:52 ID:LZH3xKXm
「ごめんくださーい。北河君、居るー?」
 目の前にいるさつき姉の顔を見ながら、はてこれは誰の声だろう、と僕は思った。
 聞いた限りでは女性らしき声だったが、今日は誰とも会う約束をしていない。
「私ー。友達の山川があなたのうちにやってきましたよー」
 その声を聞いてから、玄関に目をやる。
「山川か。ちょっと待っててくれ」
「はーい。外は暑いから、脱水症状にならないうちによろしくね」

 山川の声の調子は、昨日よりもいいようだった。
 今年の4月に、山川が彼氏ができたという自慢話をしているときと比較しても遜色の
ない弾み具合だった。
 迷惑なことかもしれないが、山川にとってつい先日まで好きだった男性への想い
を完全に断ち切ってしまうというのはいいことなのだろうか、と思う。
 もしかしたら、もう一度会って話をすればやりなおすことも可能だったんじゃないだろうか。

 山川がどれほど彼氏に対して入れ込んでいたか、僕は知っている。
 それはもう、弓道の達人が放った矢のように一直線に、到達地点を男性に設定
したら確実に射止めてしまうだろう、というほどのものだった。
 否、一直線だったからこそ少しの風が吹いただけで見当はずれの方角へ飛んで
いってしまったのか。

 だけど、(冷たいかもしれないが)僕が口を出すべきことではないのだろう。
 僕が失恋した友人にすべきことはせいぜいヤケ酒に付き合ったり花火大会へ一緒に
行ったりするぐらいのもので、考えを改めさせることではない。
 山川が彼氏とやりなおしたいと考えるならば、僕は視線で背中を押すべきだ。
 僕が山川の立場になったとしても、そうしてもらったほうが嬉しい。

 僕が玄関の前に立ち、鍵を開けようとしたら、さつき姉が隣に来た。
 さつき姉の柔らかな右腕が、僕の左腕に絡んできた。
 腕に汗はかいていなかった。
 僕が視線で行動の意味を問い続けても、さつき姉の表情は応えない。
 そして、さつき姉が玄関の鍵を解き、ドアを開けた。

 玄関の向こうに立っていたのは、当然のように山川だった。
 黄色のTシャツを着て、少し短めのデニムパンツを履いていた。
 山川は僕に向かって白い紙製の箱を渡してきた。
「これは?」
「昨日のお礼。一日中付き合ってくれたんだから、ケーキぐらいは、と思って。
 私としては、朝まで付き合ってもらっても一向に構わなかったんだけどね」
 と言って、元気な顔で笑った。

 山川はさつき姉を見ると、きょとんとした顔をつくった。
「あれ? 彼女できてたの? ごめんなさい、昨日北河君を独占しちゃって」
「いいえ、気にしなくてもいいのよ。……私も、昨日は花火大会の『現場』にいたんだから」
 どことなくアクセントのおかしい喋り方だった。
 さつき姉はご機嫌なようで、にこにこと笑っていた。



36 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/29(火) 23:37:15 ID:LZH3xKXm
 山川が持ってきたケーキは、どうやら無差別に選んできたものらしく全て違っていた。
 いくら僕が甘いもの好きとはいえ6個もいらない、と言うと、
「半分は私が食べるつもりだったから」
 と山川が答えた。

 さつき姉は僕と山川をテーブルの前に座らせると、ケーキとジュースを持ってくる、
と言って台所へ向かい、引き戸をしめた。
 僕が山川と何の話題も出せずにいると、さつき姉がジュースを持ってきた。
「山川さん、でしたっけ。オレンジとウーロン茶はどっちが好き?」
「えーっと、ウーロン茶で」
「そう。まあ、私としてはそれでも構わないけど……」
「え? 何か言いました?」
「いいえ。なんでもないわ」

 さつき姉はウーロン茶を山川の前に置き、僕の前にオレンジジュースを置き、
自分が座る場所にもオレンジジュースを置いた。
 透明なコップに注がれたオレンジ色の液体の中には氷が入っていて、水面に
透明なへこみを作り出していた。

 コップにくっつき始めた水滴を見ていると、山川が僕の耳に口を寄せてきた。
「あの人、さつきさんだっけ。綺麗な人だけど、恋人?」
「高校まで近所に住んでいた友達だよ」
「幼馴染、ってやつね。ふふ、なんだか恋愛アドベンチャーゲームみたい」
 断言してもいいが、さつき姉と甘い雰囲気になったことは一度もない。
 僕は変な顔をしていたのだろうか。山川がじとりとした目で見つめてきた。

「北河君はわかっていないね。女の子の行動ってやつを」
「どういう意味だよ、それ」
「ふむ。……例えばだよ。誤解しないでね、くれぐれも」
「分かってるって」
「恋人と過ごしている甘い時間に突然のノックの音が飛び込んでくる。
 誰だろう、と思って扉を開けると知らない女だった。
 知らない女の癖に恋人とは仲良く話している。こいつは目障りだ、邪魔者だ」
「最後、いきなり怨念がこもったね」
「一服盛ってやろう、それっ」
 山川はウーロン茶の上に鳥のくちばしのようにした指を持ってくると、パッと開いた。

「ウーロン茶を飲んだ女は倒れました。邪魔者は消えました。さあ続きをしましょう」
「……さつき姉がそんなことするはずないだろ」
 一応、非難をこめたまなざしを山川に向ける。
 山川は両手を上に向けながら首を振った。
「たとえ話だって。ほら、こんなふうに」
 と言うと、ウーロン茶の入ったコップを口に運んで、3分の1くらい飲んだ。
「……ね、なんともないでしょ」
「当たり前だろ」
 僕は特に何も思わず、そう言った。



37 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/05/29(火) 23:39:17 ID:LZH3xKXm
「面白くないなあ、北河君は」
「悪かったね」
「ちなみ、もし私だったら恋人の飲み物には睡眠薬を入れるね。自由を奪うために。
 そして、邪魔者の女には笑いが止まらなくなって腹がよじれる薬を入れる」
 笑いが止まらなくなる薬があるのなら、僕が欲しい。
 笑えないバラエティー番組を、笑いながら見ることができるようになるから。

「そうだ、こうしてみようか」
 山川は僕の前に置かれたオレンジジュースと、さつき姉の席に置かれたオレンジジュースを
入れ替えた。水滴の跡が残らないように、コップを浮かせて移動させていた。
「もしかしたら、これでさつきさんがいきなり眠っちゃうかもね」
 僕は山川の冗談のくだらなさに呆れつつ、嘆息した。


 結果から言うと、山川の言うとおりだったということになる。
 さつき姉が僕らの前にケーキを置いて、ケーキを食べながらオレンジジュースを飲み、3人で
話をしていると船をこぎ始めた。
 さつき姉はテーブルの上に肘をつくと俯いて、時々肘をテーブルからずり落とした。
 何か言おうとしたのだろう。素早く顔を上げると口を開いたが、意味のある言葉を発する前に
スローモーションで後ろに倒れた。
 さつき姉のすぐ後ろには白い壁があり、当然後頭部を打ち付けた。
 拳骨を食らわしたときとそっくりの音がしたが、さつき姉はすーすー、と寝息を立て始めた。

 ちなみに、山川はさつき姉が眠りに落ちた時に口を開いたのだが、
「あらははは、やっやぱぱりあらららいのいうおおいいあっあええ」
 と聞こえる、ろれつの回っていない声を出した。
 笑っているようではなかったが、フォークを持つ手が小刻みに震えだした様子からすると、
体が痺れて動かなくなっているようだった。

 僕は自分の体に何の異常も起こっていないことを確認すると、山川を背負って部屋を出た。
 山川の体は細いが、痙攣しつつ脱力している体はおんぶしている僕の腕と肩を圧迫した。
 歩くうちに僕の汗が顔に浮かび、山川の汗が背中に貼り付いてきたので途中からタクシーに
乗って、山川の住むアパートに向かった。

 山川は自室に到着したときには体の異常から回復しつつあった。
 それでも、立ち上がろうとしてしりもちをついたり笑顔を作ろうとして頬を強引に吊り上げ
たりしているので、まだまだ痺れが残っているようだった。

 部屋から去ろうとする間際、山川にこう言われた。
「……気をつけてね。本気で危機感を持ったほうがいいよ」
 僕はその言葉を聞いてから合鍵で鍵をかけ、新聞の投函口から合鍵を部屋に入れた。

 せみの鳴き声と、髪を焼く日光の中を歩きながら考える。
 さつき姉は、僕を眠らせて山川の体の自由を奪って、どうしようとしていたのか。
 汗がうっとおしくて想像力は働かなかったけど、悪寒だけは沸いてきた。