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84 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/02(土) 19:29:22 ID:TuUREegw
 帰ったら連絡する、とさつき姉が言い残して実家に帰ってから、3日が過ぎた。
 帰る当日、さつき姉は僕より先に起きて帰っていってしまったようだった。
 僕は朝に弱いさつき姉が自分で起きたことに驚くと同時に、不満を抱いた。
 早起きしてまで早く帰る必要はないんじゃないか。
 早く帰りたい理由でもあったのだろうか。
 せめて見送りぐらいさせてくれてもいいじゃないか。

 僕はなんとなく不満を覚えつつも、いつものように起きて顔を洗い、ご飯を
食べて、歯を磨くことにした。
 朝の行動が流れるように、なんでもないことに少しの寂しさを覚えた。
 きっと、数日間とはいえさつき姉が一緒にいたというのは僕にとって不快な
ことではなかったということだろう。
 トラブルもあったけど、楽しい数日だった。そう思う。

 以前のように部屋に1人で過ごすようになったというのは、僕にとっては寂しくもなく、
不満を覚えたりするものでもない。
 僕が住んでいる町は平和で、犯罪が起こる予兆すらなく、また(引っ越してからは)
事件が起こったことすらないところだ。
 子供達は友達と町の中を遊びまわり、学生達は並んで歩きながら談笑したり、
働く人たちは周りの目を気にすることなく仕事に没頭する。
 この町にいると、何も難しいことを考えずに一日を過ごすことができる。
 日本中で犯罪が起こっていることなど、嘘の出来事に思えるのだ。

 しかし、犯罪や事件事故といったものはどこかで発生する。
 今日のニュースでは、飛行機がハイジャックされて数人の怪我人がでて、
数時間してようやく犯人が投降した、と報道していた。
 高校の修学旅行で行った空港の名前もテレビの画面に映っていた。
 不安になる。自分の部屋で過ごしている時間はかりそめのものでしかなく、
少しのイレギュラー因子によって破壊されてしまうものなのではないか。
 18歳になった今までは運よく破壊の手から逃れてきただけで、本当はすぐそこに、
アパートの扉の前にまで迫っているのではないだろうか、と。

 そう思うと、さつき姉が連絡をよこさないことに対してまで不安を感じてきた。 
 もしかして、さつき姉の身に何か起こったんじゃないか?
 どこかに行くときには一言告げてからにしなさい、とさつき姉はよく言っていた。
 そんな人が数日も連絡をよこさないのはおかしい。

 さつき姉の携帯電話に電話をかけてみた。が、繋がらない。
 電波の届かない場所にいるらしい。そんなことはよくあることだ。
 僕は両親に電話して、さつき姉の実家の電話番号を教えてもらうことにした。
 実家に連絡したとき電話に出たのは母親で、たまには帰ってきなさい、
と言っていた。僕は生返事をして手短に電話を切った。



85 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/02(土) 19:30:13 ID:TuUREegw
 さつき姉の実家に電話をする。電話の呼び出し音が何度か続く。
 電話が繋がるまでの間に呼び出し音が鳴るのはいいことだ。
 もし呼び出し音が鳴る仕組みになっていなかったら、自分がなぜ電話器を耳に
あてたまま立ち尽くしているのか忘れてしまいそうになるからだ。

 電話の呼び出し音から意識をそらすと、せみの鳴き声。
 気分によって心地よくさせたり、嫌な汗をかかせる音は、窓を開け放っている
部屋のどこから聞こえてくるのかわからなかった。
 アパート前の路地をスクーターが甲高い音を立てながら走りぬけた。
 スクーターの音が遠くに行って聞こえなくなったころ、呼び出し音が止まった。

「はい。橋口です」
 控えめな、しかしはっきりとした口調で電話にでたのはさつき姉のお母さんだ。
 僕は懐かしい声を聞けたことに安堵しつつ、名乗ることにした。
「北河惣一です。お久しぶりです」
「あら……惣一君。お久しぶりね」
「はい」
「電話してくれて嬉しいわ。もっと電話してくれてもいいのよ。
 さつきにも連絡してくれなかったから、惣一君の声を聞けなくて寂しかったのよ、私」
「あはは……」

 さつき姉の母親は、何故か僕にかまいたがる。
 昔さつき姉の家に遊びに行ったときはしょっちゅうお茶菓子攻撃にあったし、
たまには抱きしめられることもあった。
 さつき姉の母親はもう40歳を過ぎているんだけど、僕の主観では初めて会った日から
まったく容姿が変わっていないように見えている。
 以前母親に頼まれて若さを保つ秘訣を聞いてみたが、帰ってきたのは
「いつまでも恋をすること。しかも若い男に」という答えだった。
 言われたままのことを母親に伝えたら、しばらくさつき姉の家に遊びに行くことを禁じられた。

「あの、さつき姉は帰って来ましたか?」
「さつき? ええ、一度帰ってきたわよ」
「ええ……?」
 おかしい。帰ったら連絡すると言っていたのに。
「どうかした? 惣一君」
「いいえ、なんでもありません。さつき姉は今家にいますか?」
「さつきなら、今――あ! このことか……」

 僕の答えに対して、さつき姉の母親は驚いたようだった。
 いや、何かに気づいたような様子でもあったが。
「どうかしたんですか? このこと?」
「いいえ、なんでもないわ」
 さつき姉の母親は、電話の向こうで咳払いしたようだ。
「あの、実は……どこに行ったのかわからないのよ」



86 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/02(土) 19:31:34 ID:TuUREegw
 わからない?さつき姉が、母親に何も言わずにどこかに言ったということか?
 出かける前は行き先を伝えること、と僕に言っていたのはさつき姉だ。
 そのさつき姉が何も言わずにどこかへ行った?
「あとは、何を言うんだったかしら……。
 そうそう。実はさつきね、大学で恋人ができてたのよ」
「…………え」
 絶句してしまった。さつき姉に、恋人ができていた。
 繰り返し、電話の向こうから聞こえてきた声を反芻する。
 中学時代に1人きりで居残り勉強をさせられたことを、なんとなく思い出した。
 取り残された気分がした。さつき姉に。

「ぇ……と……ほんとう、に……?」
「え、ええ。それでね、私の予想なんだけど」
 さつき姉の母親は、僕の心臓が2回脈打つ時間をあけて、こう言った。

「恋人のところに言ったんじゃないか、って思うのよ」

 僕も同じ予想をしていた。なぜかというと、納得ができるからだ。
 恋人の家に泊まりに行くのなら、僕は家族には何も言わない。
 もしくは、事実をぼやかして伝える。
 きっと、さつき姉は母親に何も伝えずに出かけることにしたのだろう。
 ごまかすくらいなら、何も言わずに出かけたほうがいいと判断したのかもしれない。
 そこまで理解して、僕は窓際に座り込んだ。

「大丈夫、惣一君?」
「ええ。別になんともないですよ」
 自分が強がっていることを、自覚しつつ返事する。
 ショックを受けていることを悟られなければいいのだが。

「ふう。だからやめたほうがいいって、私は言ったのに」
 電話の向こうからの呆れたような小声が聞こえた。
 けど、耳に入ってきただけで受け流すことしかできなかった。
 早く電話を切ろう。一言も話したくない気分だ。
「それじゃあ、また。実家に帰ったら遊びに行きます」
「ええ、待ってるわ……あと、ごめんね、惣一君」
 謝罪の言葉を聞いてから、電話を切る。

 窓際の縁に肘をつく。遠くを見ても民家と商店街しか見えなかった。
 視線をアパート前の路地に落とす。自転車で走るおじさんと、電信柱が見えた。
 心臓の鼓動が早い。体が暴れまわることを要求している。
 けど、冷めた頭はこのままじっとしていることを厳命しているようで、結局は動けなかった。



87 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/02(土) 19:32:53 ID:TuUREegw
 何をしていても腹が減らない経験をしたことがある。
 学校の修学旅行で誰が1番早く睡魔に負けるか勝負をしたとき。
 遊園地で遊ぶことに夢中になってひたすらはしゃぎまわったとき。
 話題のテレビゲームを親がいないのをいいことに一晩中プレイしたとき。
 そして、今。

 さつき姉の実家に電話をしたのは、午前中だった。
 午前中から夕方の7時まで、ずっと寝転がったまま過ごしている。
 ときどき本を読もうとして体を起こすけど、内容どころか漢字さえも読めないので諦めた。
 トイレに行こうとも思わなかった。尿意も便意も起こらない。

 さつき姉に恋人がいたという事実がここまで自分に衝撃を与えるとは思わなかった。
 それは、僕がさつき姉に恋人ができないと思い込んでいた部分が影響している。
 さつき姉がもてないという理由で言っているわけではない。
 さつき姉はもてた。男からも女からも、年上からも年下からも。
 僕と一緒に下校している最中に告白をしてくる人もいた。
 告白をしにきた人が僕のクラスメイトで、しかも女の子だったということはショックだったが、
告白が真剣なものであるとわかったときはもっとショックを受けた。

「さつき先輩! 好きです、付き合ってください!」
「ありがとう。でもあなたとは付き合えないわ」
「え……そんな、どうしてですか」
「他に好きな人がいるから」
 さつき姉はそれだけ言うと、振り返らずに女の子の前から立ち去った。
 ショックを受けていた僕は、しゃがみこんで泣き続ける女の子に手を差し出そうとした
ところでさつき姉に呼ばれて、立ち去った。

 さつき姉の好きな男性が誰なのか、昔から僕は興味を持っていた。
 日常の会話のやりとりで、聞いてみたことがある。
 さつき姉の好きな人って、誰?
「昔からずっと一緒にいる人よ」
 それだけしか、教えてくれなかった。
 僕は、さつき姉が僕以外の男性に心を奪われていることを知って、不機嫌になった。
 僕以外に、さつき姉と昔から仲良くしていた男性がいるとは思わなかった。
 きっと、嫉妬していたのだろう。さつき姉に想われている男に。

 そして今、さつき姉は恋人のところにいる。
 僕が気に入らないのは、さつき姉が僕に何も言わなかったことだ。
 一度家に帰っていたのに、どうして僕に連絡をしてくれなかったのか。
 いくら僕でも、恋人がいるのを黙っていることには不満を覚えない。
 でも、恋人の家に行くのなら一言ぐらい欲しかった。

 ――あ。
 思い出した。僕も、さつき姉に何も言わずにどこかへ行ったことがある。
 僕が今寝そべっているこの部屋。アパートに引っ越してくるときだ。
 さつき姉と前日遊びに行く約束をしていたのに、僕は約束をすっぽかした。
 さらに、さつき姉には行き先を教えないでくれ、と親に頼んだ。



88 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/02(土) 19:33:39 ID:TuUREegw
「――あはは……はは」
 ははははははははははははは。
 面白い。面白くて、心の底から笑いたくなる。
 これが因果応報というやつか。ここまで同じ内容で報いを受けるとは思わなかった。
 同じことをやられて、僕のやったことのくだらなさと、僕の幼稚さに腹が立った。
 しかも取り返しのつかなくなった今、ようやく知ることができるとは。

 僕が、さつき姉のことを好きだったということに。
 近所に住む友達としてではなく、1人の女性として好きだったということに。
 いつから好きだったのは思い出せないけど、思い出せないほどに昔から好きだった
なんて知らなかった。
 初恋の女性はさつき姉だった。そして、僕は今までも想っていたんだ。

 好きだということに気づいて告白して失恋するか、失恋してから好きだということに気づくのか。
 どっちが傷つかずに済むのかな。――いや、がっくりするのはどちらも同じか。
 そして、僕は肩を落としてはいけない人間だ。
 自分の想いを伝えるどころか、引越し先すら伝えなかった。
 さつき姉の言いつけを守らず、デートの約束さえ守らなかった。
 想いを伝えず、約束も守らない僕は、相手にされなくて当然なんだろう。

 ゆっくり体を起こす。なんとなく頭がくらくらした。
 こうやって寝そべっている場合じゃない。
 さつき姉への想いを断ち切ろう。さつき姉は今頃、恋人と一緒にいるはずだ。
 僕がいつまでもさつき姉のことを想っていたら、きっとさつき姉は幸せになれない。

 昔、父親が言っていたことがある。
 死んだ人間への想いを断ち切らなければ、死んだ人間は成仏できない。
 さつき姉はまだ健在だけど、理屈は同じこと。
 僕がするべきことは、さつき姉の幸せを願うこと。
 もうひとつは、空腹を訴える腹を満たすことだ。

 お湯を沸かして、カップラーメンを作り、麺を食べて汁を飲み干す。
 少しだけ胃は満たされたけど、なんとなく物足りない。
 それは、さつき姉がいないことが原因なんだろうか。

 僕は、目を瞑って嘆息した。
 失恋すると感傷的になるのは、僕も山川も同じことか。
 明日は山川とどこかへ遊びに行こう。
 もしかしたら、山川みたいにすっきりした顔になるかもしれない。

 面倒くさいので、今日はシャワーを浴びずに寝ることにした。
 畳の上に横になり、枕に頭を沈み込ませる。
 失恋したのに涙が出ないということもあるんだな、と思いながら僕の意識は沈んでいった。