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306 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:22:17 ID:cyMlVjZS
「・・・く・・・・・・くん。」
急に掌にかかる力が痛いほどに強くなった。そう、誰かに握られているように。
「・・・つもと・・・くん。・・・・くん。・・・・まつもとくん。」
誰かが、清涼感のある声で僕の名前を呼んでいる。
おぼろげながら聞こえていた声が次第に存在感のあるそれとして聞き取れるようになっていく。
その声はどこかで、いや、もっと身近なところで聞いたことのある声のようだ。
そして、重い瞼を緩慢な動きで見開くとすぐに味気ない天井のクリーム色が視界に入った。
自分が今、横たわっているのは雪白の整えられたベットの上であり、横にはテレビが載っている棚が置かれている。
今、僕がいるのはこの光景からは百人が百人、間違いなく病室というだろう。
何故こんなところに自分がいるのか、という疑問はすぐに浮かんだが、その回答は記憶回路の中に存在しない。

「松本君。目が覚めたのね。」
手を握っていたやや長身、黒髪の少女は、心からうれしそうな笑顔を浮かべつつ、静謐に言った。
「あなたは、三日間の間、ずっと、この病室で寝ていたのよ。」
「・・・・・。」
自分の頭はなぜこんなところにいるのか、という疑問が占めてしまっているため、急にそんな事を告げられても混乱するばかりで、返す言葉に窮した。
明晰な反応を得られなかったことが理由か、北方さんの笑顔が崩れ、事故の様子を回顧したためか、やや哀切さを含んだ憂いのある表情に変わった。



307 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:24:19 ID:cyMlVjZS
「覚えていないのかしら?あなた、土手から転がり落ちて、出血もひどかったのよ。それですぐに手術になって・・・。それで、あなたはこうして今、病室にいるの。」
「・・・・もしかして、私のこと、・・・覚えていないのかしら?」
そういった彼女は、より強い力で僕の手を握り締め、今にも泣き出してしまいそうな悲しげな表情で、漆黒の吸い込まれてしまいそうな瞳を潤ませて、見つめている。
当然、僕が彼女のことを覚えていないはずがない。
「北方さん、僕は北方さんのことを忘れているわけではありません。ただ、少し何が起こったのか良く分からないので、もう少し説明をしてもらえませんか?」


彼女の話を要約すると、僕は北方さんとサイクリングをしていた途中、訳あって自転車をお互いに交換し乗っていたところ、
僕が乗っていた北方さんの自転車が分解して、その結果僕は土手を8メートルほど転がり落ちて、その途中で四分五裂した自転車の部品と、
土手に身体を打ち、大きく身体を切り、出血がおびただしく、内臓にも損傷があったりしたためこの病院へ搬送され、すぐに緊急手術が開始された、という所だ。

話を聞いていると、北方さんは自分の責任でこうなってしまったのだと思い込んでしまっているようだった。
「・・・ごめんなさい、松本君。・・・私が自転車を換えなければ、あなたは無事だったのに・・・。」
僕はこの事故が北方さんのせいであるなんて、毛頭思っていない。
第一、自転車を交換したい、と言い出したのは僕なのだから、北方さんが悪いわけがないのだ。
「北方さんは、僕が言うままに自転車を交換しただけなんだから、北方さんが元凶だ、なんて思ってないですよ。」
「・・・・でも、あの自転車の欠陥に気づけなかったせいで、あなたが、私の・・・。」
そう言い掛けて、彼女は言うのを中断した。なぜ、中断したかは理解できなかった。しかし、彼女は本気で自分がこの事故の原因だと思っているのかもしれない。
もし、そうだとすれば、彼女を苦しめるだけのその誤解をといてあげたい。



308 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:26:06 ID:cyMlVjZS

それにしても、そんな目に遭っていながら生きていた僕自身のしぶとさには驚きだった。
体力がない、と自認していた僕が大出血や手術に耐えられるなどと思いもよらなかったのである。
何かのラノベで読んだ敵役の、まるでゴキブリのようにしぶとくあれ、などという件を咄嗟に思い出し、つい失笑を禁じえなかった。
なんというか、シュールなネタという奴は思い出したときはいつでも、思い出し笑いをしてしまうんですよ、これが。
状況認識が甘い、なんて父親から怒られることがあるが、こんな時にこんな馬鹿げたことを考えるとはまさにその通りだ。
でも、北方さんが曇った表情でそれを咎めてきたので、心配してくれたのにやはり失礼かと思って謝った。
それから、いろいろと僕が眠っていた間の話をしてもらった。
北方さんは淡々とその間に起きた出来事や、連絡事項を話し始めた。

僕の手術中に理沙が泣き崩れて、まるで抜け殻のようであったこと。北方さんは理沙を慰めたが何も口をきかなかったらしい。
僕の家族が心配してくれて、いろいろと面倒を見てくれるはずだったのが、父は出張で、母は運悪く僕が事故にあった翌日に死亡した、
近親の葬式の手伝いと参列のために両親ともに家をあけていること。
さらに理沙は自室に篭ったきり出てきていないこと。
また、あの子はよくできた子だから、おそらくこんなことになってしまったことが自分のせいだと責めているに違いない、と付け加えて言った。

そして、両親も理沙もこの病室には何度か訪れて荷物を持ってきてくれたようだが、その間、僕の世話をしてくれたのは北方さんであったようだ。
確かにずっと眠っていたわりには僕の寝巻きは清潔で、荷物も几帳面な彼女らしくまとめられている・・・
って、そんな重要なことを僕は気づかなかったのか。


309 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:26:58 ID:cyMlVjZS
・・・なんという鈍感・・・なんという恩知らず・・・。
身の回りに心配かけるだけかけておいて、周りの人が何をしてくれたか気づかないとは、我ながら恥ずかしいものだった。
第一、今回も自転車が壊れると予兆がありながら、それに気づけなかったから、こんなひどいことになったはずだ。
もしこんな鈍感さのままだったら、どっかであっけなく死ぬかもしれない。
しかし、僕は自分が鈍感だと知ったところでそれを直せる自信がない。

生まれつき、気の利く何事にも敏感な人がいるが、ああいうのとは対極にあるようだ。
まぁ、要するに馬鹿は死んでも直らないと言うように、鈍感は死んでも直らない、のかもしれない。
でも馬鹿な事を考えられるようだから、僕もすぐにいつもどおりの僕に戻れる、そんな根拠のない考えを抱いた。
やはり愚かな考えだろうが、僕にはネガティヴな思考よりこういったほうが似つかわしい。
そんな場違いなまでにのんきな考えを僕のそれとは比にならない、北方さんの洞察力は察したらしく、
時折見せてくれるくすくす、という微笑を垣間見ることができた。


310 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:28:08 ID:cyMlVjZS
慰めが功を奏してか、明るく振舞っていた北方さんだったが、何か言いたいことがあるような感じがしたのが気になったが、
彼女が切り出さない以上、こちらが詮索しても詮無いことだと思ったので、特に突っ込まないでおいた。
それから、北方さんが病院食は食べるに忍びないという理由から作ってきてくれた夕食を二人でとり、
彼女の家に遊びに行ったときと同じようにいろいろと話をして過ごした。

学校関連の話では、田並先生が心配して駆けつけてくれたことが意外だった。
また、病室から出て来れないことから、気分転換にと花を買って持ってきてくれたらしく、
花瓶にその優美な花が飾られていた。
特に強烈な印象はなく、落ち着いていて香りも良い花で、いつも面倒なことが嫌いで、
不精な担任、というイメージからは考えられないハイセンスさだと、北方さんも感心していた。


311 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:29:49 ID:cyMlVjZS
他の生徒は僕が事故で怪我したと聞いても、奴は死ぬわけがないから大丈夫、などと公然とのたまった猛者がいたそうだ。
こいつめ、後の事を考えずに何を言っているのか?シベリアに送られてしまえ、人でなしめ。
まあ、学校に復帰したら少し遊んでやれば気が済む程度だが。

そんなこんなであっという間に時は過ぎていき、既に外は暗くなりつつあった。
とすれば当然、面会時間ももう少しで終わりになるだろう。
母が持ってきた荷物の一つでもある、目覚まし時計を見て確かな時間を確認すると、もう七時に近い時刻であった。
そろそろ家に帰るようにしてはどうか、と北方さんに勧めた。

「・・・どうかしたの?時計なんか見て。」
「え、ああ、うん。もうかなり遅いから、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないかな、と思ってさ。」
「・・・そうね。」


312 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:31:36 ID:cyMlVjZS
普通、そんなに考えるところでもないにも関わらず、帰るか帰らないかの返答にわずかながら間を取ったことが変に気になった。
何を考えたのか分からないが、さっきは詮索しなかったが、やはりまだ黙っていることで言いたいことがいくつかあるのかもしれない。
その証拠に返事したにもかかわらず、彼女自身の荷物が多くて荷物を片付けなければならないわけでもないのに、
僕の病床の傍の椅子から立ち上がろうとすらしていない。
「北方さん、どうかしたの?やっぱり無理をしたから疲れているんだよ。早く、家に帰って休んだほうが身体にいいと思うよ。」

しかし、その問いに対する返答はなく、暫く遠い目で、何かを考えているようなそぶりを見せた後、
やおら立ち上がると、病室の扉の傍へ行き、なんとドアの鍵をかけてしまったのです。
そして、暗くなってしまった外でこうこうと光が燈っているこの病室で、北方さんは感情を読むことができない、
固有のポーカーフェイスを浮かべて、歩み寄ってきました。

この彼女特有のポーカーフェイスは学校でももはや、お馴染みのものと言えるかもしれないけれど、
今までの彼女のそれとは比にならず、言葉では表現しきれないほどの怖さがあった。
ゆっくりと歩み寄っているのにもかかわらず、かえってその威圧感は強く感じられ、
金縛りにあったようにというべきか、腰が抜けてしまってか、動くことができずにいた。


313 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:34:08 ID:cyMlVjZS

体と体がぶつかるくらいの所にまで彼女が来るまでに、
理由は明確ではないが僕は体中から冷や汗を流し、恐怖に駆られていた。
さっきまでいた位置と変わらないくらいの距離に彼女はいるだけなのに、
急にそれが異物感や恐怖感となって伝わり、身の毛をよだたせる。

「き、き、北方さん、急に、いったい、どうしたの?」
やっと紡ぎだした言葉は自分でも呆れ返るほどに、
どもった高い声で恥ずかしいものだったが、そんな事を言っている場合でない。
その質問には答えずに、その冷徹な双眸を僕の瞳に向けるだけであった。
そういえば、こんな恐怖感を何度か抱いたことがあったが、
そのどの回でも彼女はここまで近くに来ていないし、鋭いまでの視線を向けていたこともなかったと思う。


314 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:35:24 ID:cyMlVjZS
「・・・本当に、北方さん、どうかしたの?」
そんな再三再四の質問には取り合わずにポーカーフェイスを崩さないまま、僕に唐突に質問した。
「この事故の真実について知るつもりはないかしら?」
この事件の真実?いったい何のことであろうか。僕には当然のことながら、
そんなことは見当のつかないことではあったため、すぐさま鸚鵡(おうむ)返しにしてしまった。
「そう、文字通りの、真実。嫌ならば、話さないけれど・・・。」

冷静な声でさらりと告げたが、非常に意味深長な発言であった。
もしかすると、さっきから話そうかどうか考えていたことはこれのことなのかもしれない。
仮にそうだとすれば、ここで彼女の話を聞くことは良い選択だともいえる。
しかし、真実ということは現在、僕が認識している事故の経緯は虚偽であるということに他ならない。
ならば、いったい何故、虚偽の認識を僕に持たせる必要があったのか、それが理解できない。
しかし、意を決して彼女の話を聞くことにした。



315 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:37:12 ID:cyMlVjZS
「・・・そうね、どこから話そうかしら・・・。」
彼女は僕から視線を逸らさずに、もう一度、淡々と事故の経緯を語り始めそれを終えると、
自転車の異常が原因になったことから、自転車の状態を分析させたことを話した。
あの自転車は北方さんが彼女の家を出発前に確認したので壊れているはずがないのにも関わらず、
人の手でボルトが緩められていたり、ブレーキが時限式で利かなくなったり、
といった明らかに人為的な悪意ある工作が仕掛けられていた痕跡があるらしい。

「・・・ということは、誰かが僕たちの命を狙っていたということ?」
「ええ、極論で言えば、そうなるわね。」
「でも、いったい誰がそんな事を・・・。」
しかし、その質問には北方さんは明快には答えなかった。彼女の態度から言って、彼女は心当たりがあるのだろう。
僕には主な心当たりがなかったが、彼女の自転車に細工がされていたとするならば、
僕ではなく、彼女だけを当初は狙っていた可能性も当然出てくる。

誰かがそんな悪意を彼女に対して抱いたと仮定すると、
彼女の話では事前に北方邸で彼女は自転車のコンディションを確認してきたのだから、
その後に僕の家に一度停めて、北方さんは家に上がって少しの間、休憩した間にしか、その自転車に細工はできない。

そうすると、おのずと細工をした人間は絞られてくる。
・・・はずだが、あの間に誰かが自宅に訪れた様子もない。
となると、内部犯しか考えられないが、両親はあの時まだ寝室で寝ていたし、
理沙だって僕たちの行く支度をしてくれていた。そうすると、誰かが特別怪しい、と断言することができない。
いったい誰を疑えばよいのだろうか?


316 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:39:34 ID:cyMlVjZS
北方さんにとって、僕の考えていることなどは洞察することなど簡単なようで、
腕を組みながら考えている僕に彼女の分析の結果の『答え』を冷厳な裁判官の判決のように告げた。
「理沙さんが、細工をしていたとしか考えられないわ。」
しかし、到底その内容は信じられるものではなかった。
「いや、それはない。理沙は北方さんも知ってのとおり、僕たちのサイクリングの準備をしていたのだから、
不可能だろう。」
ほぼ即答だった。やや粘着質なところがあるが、兄想いの優しく賢い理沙が人を傷つけるような馬鹿げた真似をするはずがないからだ。
「・・・そう。」
そう静かに言うと、五枚程度にまとめられた分析結果の冊子を取り出し、自転車の破損部分の写真と分析が記されているところを僕に読ませた。

『・・・・自転車に残された痕跡などから、犯人が大人ほどの力の持ち主の仕業ではないと考えられる。
わずかではあったが、確実にねじが緩められていたために、
うまく時限式に近い形で分解させることに成功したと考えられる・・・。
これらのことから、被害者の身近にいる、女子ないし子供程度の力の持ち主が確信犯として、
自転車の所有者・北方時雨さんに何らかの危害を加えるためにこの細工を施したと思われる・・・。』

この結果は恐るべきものであった。
こんな分析が正しいという確証はどこにもないじゃないか、と叫んで目の前の事実を否定してしまいたかった。
しかし、自分でもそんなことが無意味であること位分かっている。それだけに悲しいのだ。
誰も望んでいないのに、涙が堤を破るようにして、あふれ出てきてとまらない。
北方さんの前なのにも関わらず、恥も外聞もなく涙を流すことができた。
なぜ、理沙が急に、そんな事を・・・。本当に理由が分からない。


317 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:40:26 ID:cyMlVjZS
「・・・やっぱり、こんな話、しないほうが良かったわね。ごめんなさい。」
北方さんが僕の取り乱した姿を見て、申し訳なさそうに言った。しかし、そんな彼女の声は僕には届くわけもなく。
ただただ、理沙が何故こんなことをしたのか、また、予兆を察知できなかったことを悔いた。
今回は怪我したのは僕だから、まだ良かったようなものだが、他人が怪我をする事を考えただけでも恐ろしい。
さっきは肯定したが、やはり僕の天性の鈍感さは災いにしかならないのだ。到底肯定すべきものではないのだ。
「どうして・・・どうして、僕はこうなるのを止められなかったんだろう・・・。」
何の意図があっても、理沙が行ったことは誤り、ひいては犯罪以外の何物でもない。
でも、あの理沙がこんなことを行うのを止められなかった、自分にも同等の責任があるともいえる。

それは、身近にいる兄としての責任を欠いためでもある。
今頃になって、最近の理沙とのかかわり方が走馬灯のように思い出されてきた。
僕は明らかに、今までのあの子への接し方に比べて、おざなりな対応をしていたように感じられる。
もしかしたら、あの子と同じ視線で話すように心がけていれば、こんなことはならなかったのかもしれない。
少なくとも、予兆だけでも察知できていただろう。

・・・どうして・・・彼女のことを考えてあげられなかったのだろう・・・
・・・・・何故、予兆を察知できなかったのだろう・・・
結局、僕は兄としてふがいなく、失格だったから、こんなことになってしまったんだ・・・。
・・・こんなはずじゃ・・・・僕は・・・・



318 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:42:05 ID:cyMlVjZS
松本君はうわ言のようにそんな事を繰り返し続けていました。
きっと、今の松本君はやり場のない、虚ろさと怒りを抱えているのでしょう。
信頼していた妹が暴走してしまい、それを止められなかった、それを断腸の思いでいるのは重々承知しています。
ただでさえ、うわ言で聞き取りにくかった声は一層小さくなり、しかも震えだして聞き取りにくくなってきました。

「・・・・松本君。あなたは何も悪くないのよ・・・それに・・・・これはどうにもならなかったこと。だから、自分を責めないで・・・。」
そう、悪いのはあなたじゃない。松本君。
本当に悪いのは、勝手に勘違いを繰り返して、私を狙った挙句、あなたをそんな半死半生の目に遭わせたあの寄生虫なのだから。
日々、松本君を友人のなかった私に相談しなければならないほどにまで、追い詰めるだけでは飽き足らず、結果的に自分の兄を
傷つけて、それなのに、こうして松本君が悲しんでいるときには自宅でのうのうと過ごしていて、自分の罪に気づかずに、謝罪すら
しない。

これは人間のする事ではない。やはり、あれは害物、松本君を苦しめるだけの駆除されるべき寄生虫なのだ。
私はあれを絶対に許さない。


319 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:43:12 ID:cyMlVjZS
それにしても、松本君が可哀想だ。
私が毎晩寝る前に見ている、写真の彼は明るい笑顔の松本君だ。
私の彼を慕う心の中にいる彼もまた笑顔だ。
学校でも私に見せてくれる表情は非常に豊かなものではあるが、決してこんなに悲しい顔などしていない。
その笑顔一つが、言葉一つ交わしていなかった時でも、いかに重要な糧であったことか―。
それをあの害物は一瞬にして奪ったのだ。
本当に松本君は可哀想で可哀想でならない。

「・・・理沙・・・・どうして・・・・」
「・・・・・・」
その時、私は無意識のうちに立ち上がり、彼の涙にぬれた顔を胸元に抱き寄せた。
そんな姿はもう見ていられなかったから。
私は慰め、勇気付けられてきたのに、彼に何もできないのは悲しすぎたから。
「かわいそうな・・・松本君・・・」
私はできる限り強く、松本君を強く抱きしめた。
あんな寄生虫のために心を痛める必要はないから。早く立ち直って欲しいから。
それに、彼の傍には、負の影響しか与えない害物だけじゃなく、私が居てあげられるのだから。


320 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:45:06 ID:cyMlVjZS

「・・・もう、涙を流さないで・・・あなたには、私が居てあげるから・・・。」
一つ一つやっとのことで紡ぎだしたように、震えた小さな声で彼は聞き返しました。
「・・・・どうして・・・・どうして北方さんは・・・何もできない・・・・僕のことなんかを・・・」
「・・・それは、あなたの事が好きだから。いいえ、愛しているから。」
疑うことなく、私はそう心から思ったことをはっきり言いました。

未だに流れる涙を押しとどめることができない、松本君の充血した瞳をひたすらに見つめ続けて言った。
「そう、あなたの事を本当に愛しているのは私。あなたの痛みは全て私が代わってあげたい。
あなたの喜びは全て、私にとっても喜ぶべき事よ。そして、あなたの望みは私の望むところ。」
「それから、もう自分を卑下しないで・・・。あなたは気づかなかったかもしれないけれど、
あなたは立派に皆の役に立ってるわ、現に私はあなたに救われた。だから私もあなたのことを慰めてあげたい。」
そして、驚きを隠せずにいる松本君に鼻と鼻がぶつかるほどにまで、顔を近づけ、唇を重ねた。

今まではどれだけ想像の中の事でしかなかったことが、現実としてそこにある。
柔らかな唇の感触と彼の確かなぬくもり。
松本君も最初は少し驚いていたが、拒否することなく、寧ろ受け入れてくれている。
「・・・・北方さん・・・ありがとう。僕も北方さんを愛していると思う・・・」
そう言うと、松本君も涙を流すことをやめ、積極的に私を求めてきてくれた。
こんなときに不謹慎とは思いながらも、松本君と結ばれる喜びが自然と泉の水のように湧き上がってきた。
それから私は身体を痛めている松本君に注意を払いつつも、私たちは文字通り一心に肌を重ね合わせた。


321 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/11(月) 01:47:54 ID:cyMlVjZS
地下の薄暗い一室―。
試験管やビーカー、そして様々な試薬の入った薬瓶といった化学の実験室にあるような種々の実験器具が、
所狭しと置かれている薄暗い部屋。
何度となく涙を流したことが伺える、疲れ果てた表情でこの部屋の主である、松本理沙は薬品を混合させながら、
ヘッドフォンを耳にあてる。
本来、細心の注意を払うべき薬品の精製や実験において、ヘッドフォンを耳につけるというのは邪道ではあったが、
そのヘッドフォンから聞こえてくるであろう、兄である弘行の温もりを何よりも彼女は欲していた。
彼女は、手術後に兄の部屋になるであろう部屋を先に洗い出し、盗聴器を複数個仕掛けておいたのである。
だから、目が覚めていない昏睡状態であっても、その部屋のわずかな音ですら聞こえてくるのだ。
その節々に兄の温もりを見つけようと彼女はしているのだ。

しかし、その願いは残酷でナイフのように鋭利な逐一、聞こえてくる事実によってずたずたに切り苛まれてしまった。
聞こえてきたあえぎ声は紛れもなく、あの憎むべき雌猫のもので、体中の力が抜け、めまいがするのが感じられた。
こんな事実は嘘に決まっているに違いない、あの雌猫がお兄ちゃんを襲っているに違いないのだと思いました。
そして、自分の愛する兄を救うために病院へ駆けつけようと思いましたが、
その考えもヘッドフォンから聞こえてくる事実によって脆くも否定されてしまった。
「あ、あんっ……ふあっ……松本くん、激しい……!」
「……じゃあ、ゆっくりする……?」
「意地悪……」
自分だけの兄が強要されたわけではなく、自ら望んで、自分以外の誰か、
しかもよりによってあの雌猫と睦みあっているという事実を知り、魂の抜けた抜け殻のように、力なくその場にへなへなと座り込んでしまった。