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573 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 01:59:27 ID:ejMmZJZV
チャイムが六時間授業、つまり一日の授業全てを終えた事を告げていた。
録音された味も素っ気もない、しかも毎日十数回と聞いているために、ありがたみが薄れているチャイムではあったが、
この六間目の授業終了となると、そのありがたみも一入(ひとしお)なもの。
実際のところ、この脱力感の直後には帰りのHRなどという興を大いにそがれるものがあるが、そんなものは所詮は些事に過ぎない。
私も正直なところこのHRが嫌いなのは確か。今日など、貴重な松本君と共有する時間を減殺してしまうのだから。

あるものは部活動に勤しもう、あるものはぶらぶらと購買や食堂に向かい本日三度目の食事に舌鼓を打とう、
はたまたあるものは帰ってから何をしようか、等等、めいめいが赴くままに思いを馳せている。
私は先程の趣旨を測りかねるごくごく簡素な手紙の内容を思い起こしながら、私の席から手の届きそうなくらいの位置にある、
正方形の窓を通して外を眺めた。
白無地の便箋にボールペンで走り書きされた字というまさに思いつきで行動したことが伺える点とその手紙をわざわざ購買でも売っていない、
封筒に入れるという計画性を匂わせる点とが、矛盾しているように感じられた。
ただ、いずれにせよ計画的であるならば、私を長期間企んできた何かの罠にはめるため、そうでなく思いつき、運が悪ければ、
つまるところ、それがその場の激情による思いつきならば、私は物理的な危害を加えられるかもしれない。
おそらく、今頃あの害物は手ぐすね引いて、私が来るのを待ち望んでいるのだろう。



574 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:00:40 ID:ejMmZJZV
そもそも、今までのあの害物との直接的な接点というのも、非常に乏しいものであり、また、知りたいと思わなかったこともあるが、害物自身に関してもあまり知らなかったため、
あの寄生虫が何を意図しているのか皆目見当がつかなかった。
しかし、どちらに転んでも私にとっては好ましくない結果になるのは明らか。
でも、見方を変えれば、相手から手を出すということは私自身が正当防衛を名分として、害物に攻撃できるのも確かだ。
松本君にあんなにひどい思いをさせておきながら、ただで済ませるわけがないのだ。
現に昨日、妹による事故であることがわかって打ちひしがれる松本君を見て、報復を誓ったばかりではないか。
それならば、相手がどんな悪意を持っているかわからないが、それを私と彼にとって、プラスに転化すればいいだけなのだ。

しかし、実際報復するとなると、その方法は乏しい。
まさか接近している相手に、どんなに得意とはいえ弓で矢を放つわけにもいかない。
害物の悪意に対処する方法に特別有効なものが見つかったわけではないが、未だに浮かれているからなのか、
それとも、報復できる貴重なチャンスであるからなのか、不思議と彼女の屋上に来るように、という申し出を無視するつもりはなかった。



575 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:02:22 ID:ejMmZJZV
味気ない病室で、特別何をするわけでもなく、無為に退屈な時間を過ごすという奴はひどく苦痛なものだと思う。
何でも僕は数日前の事故で内臓を損傷し、肋骨を三本ばかりありえない方向に折り曲げ、大量の出血をしたらしいが、実に実感がない。
流石に昨日はいろいろと事故の話を聞いて、感情の大きな起伏が生じて、結果的に北方さんに迷惑をかけることになってしまった。
しかし、今日はそれに比べたらいくらか落ち着き、不遜な言い方だが、無為に時間を過ごせてしまうのは病人だけの特権ではないかと思ってしまう。
実際のところ僕自身も本来は重傷なので、無為に時間を過ごせるはずなのだが。
そこで敢えて、無為に時間が過ごせないのは重傷にも関わらず、
ふざけたことを言っていられるほどの余裕が生まれてきたということ、と言えばプラス思考でハイセンスに近い考え方なのだろうか。

すると、俄かに内臓が痛み出した。
あー、痛い痛い。内臓の損傷が並みのレベルでない事を改めて実感しました、もう馬鹿なことは言いません、はい。
そういえば、北方さんが前に話していた内容で、肝臓は“沈黙の器官”だとか言っていたような。
そう、肝臓は負担がかかっても痛みというシグナルを発しないから、そのまま放っておいて、
最終的に肝臓が痛み出したらそれは末期で、手の施しようがないから将来的に節制したほうがいい、などとのたまっていた。
まあ、今回は肝臓ではないようだから、痛んでいても末期ではないのだが、なかなかこういったことを知っていると、あんまり気分はよろしくない。


576 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:03:57 ID:ejMmZJZV
きりきり痛む腹を今日の朝、北方さんがかわいい、と評した手でさすりさすり、いかにも規格的、
ありきたりの病室の窓から外を不意に眺めてみた。
北方さんには、今日までも迷惑をかけるわけにはいかないので、学校に行くように促したが、
今は何をしている頃であろうか。
テレビの傍の棚にいつの間にやら動かされている、目覚まし時計の丸い文字盤に視線をやると、
時刻はもう六時間目が終了したくらいの時刻だった。
田並先生がわさわさと開放感に浸り、騒いでいる連中を十八番の“シャーラップ!”で即時黙らせる光景が浮かんできて、
ふと笑いがこみ上げてきた。
そして、担任の田並先生が持ってきてくれた、植物の名前に疎い自分には名称を知らないが、
優美な花弁を眺みながら、昨日今日と北方さんと過ごした時間を反芻する。

それにしても、毎回北方さんと話していて驚くのは、彼女自身の知識量の多さである。
しかも、それも広い方面をそれぞれ深く知っている。
歩く辞書?図書館?いやいや、そんなレベルじゃない。
コンピューター、電算機、電子計算機、そんなレベルだろう。
人は彼女をスーパーコンピュータ内臓のインテリゲンチア、と呼びます。
っておい、何か昔やってたリフォーム番組みたいなことを言ってしまった。


577 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:05:18 ID:ejMmZJZV
いずれにせよ、彼女と話していると飽きを感じないのだ。彼女は幼い頃から不遇で人と接触を取らなかったと、そう彼女のお父さんと自身から聞いていたのだが、それを感じさせないくらい、
彼女は話し上手であり聞き上手だ。
さらに言えば、人とかかわりを持たなかった間に読書で培ってきた知識が彼女にとって、大きな戦力にもなっていると思う。
であるにもかかわらず、人は彼女のことをポーカーフェイスでいつも澄ましていて、何を考えているのかわからない、ひどい人であれば不気味などと、
得手勝手に評している。
僕からすれば、そんな連中の目は本当に開いているのかと、問いただしたくなってくる。

僕自身、彼女に対して恐れに似た感情は以前持っていたことは確かだった。
彼女自身の僕に対する警戒みたいな物がその原因だったのかもしれないが、それは彼女の今までの人間関係から言えば至極当たり前に生じた、
自己防衛、別の言い方をすれば傷つきたくない気持ちの裏返しではなかろうか。
それにプラスできる原因としたら、人間関係などは自分と価値観が合う人間とだけ築いていけばいい、と割り切っている事だろうか。
それらは一種、達観したが故の考え方や行動なのだろうが、僕は彼女に共感できた。
その達観は彼女の過去に由来するものだけれども、それから立ち直ろうとする北方さんを助けたい、
そう思ってから彼女の気持ちも良く解り、恐れも自然と雲散霧消してしまった。


578 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:06:08 ID:ejMmZJZV
彼女の本質的な良さを全ての人に理解しろ、ということは非現実的で不可能なことはわかっている。
しかし、彼女から受ける薄っぺらな印象だけで、彼女の全人格を否定しかねないような、貶めるような事を言うのは許せない事だ。
こんな考えを抱くのはおかしいことだろうか。確かに僕は彼女のことを好きだ、いや、それ以上に彼女が僕を愛してくれるように、彼女のことを純粋に愛しているつもりだ。
だから、当然彼女に関して思うところは、主観が大なり小なり入っているのは仕方ないことである。
しかし、愛する人が不当に貶められるような事を嫌い、相手のことを考えるのは誤りでない、そう思う。

思えば、人のことについてここまで深く考えるなんて事は久しくしていなかった。
自分が気づいてあげられなかった事を嘆いていた、理沙の変化に関しても、特別微に入り細にわたらなくとも、少し考えてみれば、解ることだったのだろう。
そう思うとやはり悔しいものだが、これから気づいていけばいいのだ。今回の事故で結果的に被害に遭ったのは兄妹の僕であって、その僕もこうして生きている。
他の北方さんや近所の人、クラスメイトなどではなかったのだし、この怪我は勉強料代わりとでも思えば、安いものだ。



579 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:07:00 ID:ejMmZJZV
田並先生の花が飾られている花瓶の隣に、真紅に金文字という豪華な装丁の本が置いてある。
どこかで見たことのある豪奢な本を手にとって間近に見ると、そのハードカバーの表紙には金文字で”Albtraum”と書かれていることがわかった。
そんな題名と装から、いつか北方さんの家に行ったときに机の上に置かれていた本であることを思い出した。
彼女の説明ではグリム童話の髪長姫に関する内容だと言っていた。その髪長姫をアンダーグラウンド的な観点から捉えた物であるらしい。
この本はおそらく、彼女がここへ来て僕の世話をしながら読んでいたものだったのだろうが、それを持って帰るのを忘れてしまった、大方そんなところだろう。

あの時は特別に興味があったわけではなく、さほど細かい点に注意を払いながら読んでいたわけではなかった。
しかし、今回は特別、これといって何かをするわけでもないので、彼女の読む活字の本を読んでみたい、などと単純な考えから読んでみることにする。
ええ、迷路なのに外壁沿いに右回りに行けば簡単に外に出れてしまう、白痴もびっくりな位に単純ですよ、僕の頭は。
ついでに言っておくと、迷路の外は何もない。真っ白。そこまで考えられるほど複雑じゃない。



580 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:09:21 ID:ejMmZJZV
ページをめくっていくと、最初の方のページだけ流し読みした前回とは違って、いたるところの活字に几帳面な彼女らしく、ラインマーカーの緑の蛍光色の線引きを使って引かれたラインに気がついた。
場所によっては一言、二言程度書き込まれた付箋紙が貼ってある。
こんなところにも彼女の性格が出るのだろう、などと内容そっちのけで感心してしまった。
僕なら掛け値なしで適当にボールペンでひん曲がった線を引いていそうなところだ。しかも、引いていた線が活字にかかって、
勝手にショックに感じていそうなところだ。
それから気を取り直して再び読み返していくと、
登場する髪長姫の設定が背丈はやや高めで、美しい光沢のある漆黒の黒髪、そして涼しげな切れ長の目というもので、自然と北方さんと重なった。
それだけに感情移入しやすくさくさくと読み進めることができた。

そもそも、この話は髪長姫自身が子供に恵まれてこなかった夫婦の間に生まれるところから始まるのだが、
それは難産で、妻は母子共に安全にお産をするために、魔女のラプンツェルを望むが、魔女はそのラプンツェルと引き換えに生まれた子供をもらうことを交換条件として提示する、
というのがプロローグである。
童話として描かれる場合には、夫は子供を魔女に預け、魔女が死んだら娘を取り返そうという意思があったかもしれないが、あっさりと配偶者である妻を選択している。
しかし、このストーリーでは、優しいが優柔不断な夫は嫉妬深い妻と自分の待ち望んできた娘とのジレンマに陥っている。
あくまでもこのストーリーの主人公は娘の髪長姫であるのだが、この板ばさみにあっている夫の心理描写は難しいものではあったが、精緻で、真に迫るものがあった。
そんな本の内容に引き込まれ、ラノベ以外の活字に抵抗感を感じる僕でも楽しく読むことができた。



581 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:11:01 ID:ejMmZJZV
学校の屋上―。ここは、何度か松本君と昼食をとった場所。あの時はまだ初夏になっていなく、そよそよと心地よい風が吹いていて、
のどかな天気が続いていたが、最近では湿度も気温も上がり、かなりじめじめとしてきて、
ここから学校内の緑を見ながら食べる余裕などなくなっていた。
だから、最近では冷房がよく効いている食堂で快適に過ごしていることが多い。
現に今日も私は食堂で食事をとっていた。
それで、今ここに来ているのは食事をするためでも、学校内を見渡すためでも、悲嘆にくれるためでもない。

その食堂であまり見かけない子を伝って、私に届けられた、あの害物からの手紙にあった通りに、
この屋上の上で相手が来るのを待っているのだ。本来、放課後に屋上に立ち入りする事はできないようになっているはずだったのだが、
なぜか周到に鍵が開けられていて、私は屋上であの害物がやってくるのを待っている。
やはり、事前に私が踏んでいた通り、用意周到さの垣間見える感じから考えて、私に対して何らかの害意を持っているのは明らかだろう。
相手は松本君にとって足手まといで、それどころか彼に害を振りまく事すらするような害物だ、一方的に私を逆恨みしているの事も考えられる。
下手をすると、屋上という位置から言っても、私は死ぬ可能性すらある。
松本君のために命を落とすことならば本望。けれど、その後に松本君に苦しい思いをさせる展開になってしまうなら、それは私にとって痛恨の極みである。



582 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:12:25 ID:ejMmZJZV
私自身も、彼の傍にいたいと思うので、当然、あの害物の手にかかって死ぬ事は絶対に阻止しなければならない。
昨日は事故の犯人があの害物であることを話したために、松本君は感情を高ぶらせていたが、
最近ではあの出来損ないの妹のことで嘆くことが一時に比べて少なくなったように感じられる。
あの害物に毒されていて重病だった彼の容態を少しでも良くする事に貢献できたのだという実感が沸きあがり、
彼に恩返しが少しでもできているのだと思う。
そう、だから、恩返しのために、いくらか病状が小康状態になったあたりで、劇薬を用いて一気に解決へ導くのも手。
昨日の今日にいきなり劇薬を用いるのは、松本君のことが心配だから、そこまで手荒なことをしようとは思わない。
けれど、相手が私に対して悪意を持っている事と、松本君をあんな目に遭わせたことの報復という事から、
多少は強い薬を使って治癒に役立てるのが良いだろう。


松本君の持っているものとお揃いになるように、いろいろとお店をあたって探し当てた、
松本君のセンスのよさを感じさせる、つや消し銀のフレームにコバルトブルーの文字盤の腕時計を見ると、
既にHRの終了から二十分近くが経過しようとしているようだ。
人を呼び出しておきながら、自分は遅れて恥じることなくやってくる、というのはやはり厚顔無恥な害物だからなしえることなのだろうか。
怒りを通り越して、呆れてしまった。
おそらく、私に対して心理的な効果を生むことを期待しているのだろうが、そんなことは全く無駄。
後、十分しても来なかった場合には、学校を出て、松本君のいる病院へ向かうことにしよう。
と、そんな事を決めていた矢先、その決定は無意味なものになった。



583 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:14:03 ID:ejMmZJZV
部活に所属している下級生が上級生にするそれのように、会釈程度に頭を下げて、松本君のそれとは違ったブロンドの髪の害物、松本理沙はやってきた。
「北方先輩、お待たせしてしまってすいません。」
「いいえ、この程度気にしないわ。……それよりも、あなたが私を呼び出さなければならない程の理由、何かしら?」
例によって、私が松本君以外のその他大勢に対するように、顔色一つ変えずにそう問う。
「…………」
その質問を受けて、いつものはかなげな印象を完全に滅し、冷静に構えて、不敵な笑みを浮かべていた相手の顔が一瞬、怒りに満ちたものに変わったのを感じ取れた。
害物が私を逆恨みしていることから、理由、というフレーズが相手からすれば白々しく、癪に障ったのだと思う。
「……単刀直入に言うと、北方先輩、これ以上……これ以上、お兄ちゃんに近づいて変なことするのやめてもらえますか?」

相手としては最大限、込みあがる害意を抑えに抑えて、もどかしく感じるだけの下らない前置きを全て省いて、伝えたいことを歯に衣着せず、正面を切って言った。
しかし、私が害物の言うことなどに聞く耳を持つわけがない。だから、はっきりと拒絶の意を示す。
「ふふ、それはできない相談ね。」
今、仮に私が松本君に近づかなかったとしたら、私のことはどうでも良いことなのだが、松本君は再び毒に塗れ、病状も再び悪化してしまうだろう。
病は治り際が大切。

「っ………」
間髪を入れずによどみなくなされた返答に、害物は眉間にしわをよせて、不愉快であることが手に取るように分かる。
相手を挑発するような行動をとっている、ということは分かっているが、
ここで毅然とした態度で害物の毒手から松本君を守ることをはっきりと宣言しないと、本当の意味での平穏が訪れないような気持ちがした。


584 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:15:56 ID:ejMmZJZV
「どうしてですか?お兄ちゃんに近づかないし、話しかけないだけでいいんですよ?頭のいい先輩なら造作もないことじゃないですか?」
「くすくす、それはどうかしら?私、嫌なことを人に強制されることは嫌いよ。…もちろん、あなたもそうでしょう?
それなら、自分ができないこと、人に勧めるのはどうかと思うのだけれど。」
幼子を諭すかのように、ゆっくりと言い聞かせる。すると、ただでさえ曇り始めていた表情から完全に余裕が消え、さらに顔を歪ませた。
自分の言っていることに無理があるのにもかかわらず、自分自身だけがそれを知らないために、反論できないことを歯がゆく感じているのだろう。

「はい、でも先輩も自分さえ良ければいい、そう思っているのだから、私だって同じ様にしているだけです。」
それで、苦し紛れにこんな言葉を吐いた。正気の沙汰とは思えない。
「あらあら、交渉は一人で成り立つものではないのよ。相手に譲歩させたいなら、もう少し相手のことを考えないとどうにもならないと思わないかしら?」
結局、自分が間違っていることは何があっても認めないのだろう。あの松本君の妹とは言っても、その差は歴然としていて雲泥の差ほどもある。
それにしても、こんな身勝手な自分中心な寄生虫が近くにいながら、十数年もの間、生きてこれた松本君に驚きを隠しえない。

自分の論理に破綻を来したことを悟り、返す言葉が見つからないのか、害物は俯いて一言か二言、聞き取れない位の声で何かを呟いていた。
相手の敗北は一目瞭然。だから、こんなところで油を売っている必要などない。ぶつぶつと言っている害物を相手にするよりは、松本君の傍にいたい。
「……もう、用は済んだかしら?」
それなら、帰らせてもらうわね。といいかけた刹那、顔をあげ私に向かってはっきりと言った。

「お兄ちゃんは私のモノ。誰にも渡さない。そう、誰にも…もちろん両親にも、そして、絶対に、先輩だけにはもう、指一本触れさせない……。」


585 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:16:57 ID:ejMmZJZV
いったい何様のつもりなのか、と怒りがこみ上げてきた。第一、自分のせいで松本君が今、苦しい思いをしていることを忘れたのだろうか。
それなのに、害物は謝罪の一つもしていないではないか。
そんなのに松本君をモノ、あまつさえ所有物のように扱われたのが腹立たしくてならない。
相手から伝染したのかと疑いたくなるほど、強くこみ上げてくる殺意をぎりぎりのところで理性で押しとどめ、
歯牙にもかけていないことを示すため、表情に変化がでないようにしながら、冷然と反論した。
「松本君をモノ扱いしないでくれないかしら?あなたは松本君の妹であって、松本君はあなたを恋愛感情という形で愛していない。
そこを勘違いしているみたいね。」

反論すると、害物は再び俯きながら、少しずつこちらににじり寄るようにゆっくりと近づいてきた。
完全に今の反論が相手のスイッチを入れる結果になってしまったようだ。
私は少しずつ相手から間を取りながら、階段のある方向へと後ずさっていった。
近づいてくる害物の顔に感情の欠片もなく、視点は定まらずに、空虚な笑みを浮かべながら、聞き取れない独り言をぶつぶつと呟いていた。
それから、おもむろに制服の内ポケットに手を伸ばし、細長い棒状の何かを取り出し、突如私に向かって駆け出した。



586 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:18:28 ID:ejMmZJZV
咄嗟にそれがスタンガンであることを悟り、後ずさる足を反転、前へ向けて不意打ちをかけた。
確かに無謀であったが、このまま相手に背を向けて、逃げ出したとしても、電撃をうけることはほぼ確実。
それならば、逆にわずかな期待でも、相手からスタンガンを奪いとるという奇跡に賭けてみるべき。
やっと、松本君と一緒になれたのに、こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
前進しながらも、スイッチに指をかけた状態でスタンガンを持っている相手の右手に最大限の注意を払う。
突き出されたスタンガンの空を切る音とバチバチというスパーク音に恐怖心をあおられるが、すんでのところで電極を避ける。
それから、すぐに攻撃に転じて、相手の右手首を下から掴み、電極がこちらにあたることがないように、腕を突き上げた。
突き上げた腕を左右に大きく動かしながら激しく抵抗したが、その抵抗もすぐに終わりをむかえ、スティックタイプのスタンガンを取り上げた。

害物は苦しそうにその場に倒れこんでいたが、そんなことはどうだっていいこと。
それよりも取り上げたスタンガンの柄の部分にあるスイッチを安全のために切る。
しかし、そんなときにふと思い出した。―松本君の怪我と、昨日の哀れなまでの姿を。
私は松本君が許しても、この害物を許さない、そう思っている。
早々に松本君に謝罪していたとしても、私は許さないだろうが。
それならば、ここでこの害物に罰を受けてもらうというのも一興かもしれない。しかも、まさに私を襲おうとしていた、このスタンガンで。
人を襲うならば、返り討ちにあうことも当然考えているはず。
人を襲っておいて、ただで済むほど世の中は甘くないのだ。
幼少期の自分の母親から受けた折檻から考えれば、この程度の罰を受けたところで不公平ではない。
出力を最小レベルにまで電圧を下げた状態で、再びスイッチを入れる。
それでも、出力を最低にしてあげたのは私の温情だと思って欲しいところだ。最もそんな事を考えないだろうし、
感謝などされたところで私はうれしくないのだけれども。
私としては、殺しても構わないくらいだが、肉親を失う苦しみまでも松本君に与えようとは思わないからだ。


587 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/06/27(水) 02:19:23 ID:ejMmZJZV
スパーク音を迸らせながら、相手に近づいていく。ブロンドの短めの髪が目に付いた。
私自身が黒髪な事もあるが、私はブロンドの髪に対して嫌悪を抱いている。
松本君自身は黒髪なので、何故、妹はブロンドなのかと思ったが、いずれにせよこのブロンドの髪を害物がしていることも重なって、
私はブロンドは好きになれそうにない。
そのブロンドへの嫌悪と害物への嫌悪とが重なって、スタンガンの出力をもう一段階上げた。
害物は恐れと身体の痛みから動けずにいたまま、私を睨みつけている。
しかし、もうそんなことはどうでも良かった。
そしてスティックの先をさっき自分がそうしたように、害物へと向け、身体に電流を迸らせ、相手は筋書き通り見事に気絶するはずだった。

しかし、その完璧で崩しようがないと思われた詰みのシナリオは不意に現れた男の手によって阻まれた。
スタンガンを掴む私の右手をその男に掴まれて、さっきの害物のように止めを刺す前に武器を取り上げられてしまった。
その無粋な闖入者は他でもない、私の父である北方利隆であった。