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321 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/19(木) 01:34:29 ID:u5p/XDue
 夜の校舎には当然のように人がいない。その代わりに、人以外の何かがいそうな雰囲気で満ちていた。
日常とは違う非日常。現実とは違う非現実。昼間の世界から遠く隔離された、夜の校舎。
「…………」
 ブリッジしながら歩くベートーベンの七不思議があったな、と思い返しながら僕は静かに歩く。他に七不思議
は何があったかな――と考えようとして、怖くなってやめる。怖いというか、下手にそんなことを考えて思わず
笑い出してしまったら全てが台無しだ。
 シリアスに行こう。
 笑い出していけない理由は単純で、今僕は、酷く気を払って音を殺している。電気すらもつけていない。校舎の
中は真っ暗だが、廊下が広いのと窓から振り込む月明かりのおかげで歩きにくいというほどでもない。
 電気をつけてしまえば、見つかってしまう。
 外から――ではない。
 中にだ。
 中で待っているであろう誰かに、気取られたくなかった。
 だからこそ、靴を脱いでまで足音を殺しているのだ。上靴にはきかえることなく、靴下で足音を殺し、
静かに、静かに、静かに廊下を歩きつづける。片手に鞄、片手に靴。
 なんだか泥棒みたいだ。
 そう思った。
「…………、」
 息をするときですら、気を遣う。廊下の月明かりが届かない部分には、真に濃い闇が沈殿していて
今にもそこから何かが出てきそうな気がした。
 声を殺す。
 息を殺す。
 音を殺す。
 見つからないように。
 此処にいることに、気付かれないように。
「…………」
 本当なら、しなくていい苦労だ。図書室に行くのならば、堂々といけばいい。そこで彼はきっと
待っているのだから。
 けど。
 僕が向かっているのは、図書館じゃない。
 屋上だ。
 だからこそ――図書館にいる彼に、校舎内に残っている人間に、僕が此処にいることを気付かれたくない。
僕が屋上へ向かっていることを、知られたくない。
 これは、
 きっと、正規の話の流れじゃない。
 裏技、 
 裏道、
 そんな、本当の物語から外れる、行為だ。
 誰かが僕の――僕らのために描いた物語から、逸脱する行為だ。

 ――知るか。

 その誰かに毒づいて、僕は少し脚を速めた。階段を昇り、一階から二階へ。二階の図書館には電気は
ついていなかった。けれども――そこに誰かが、いる気はした。心持ち身体を隠しながら、さらに三階へ。
階段を昇って、廊下を歩いて、階段を昇って。
 そろり、
 そろりと。
 静かに、
 僕は――

 屋上の扉の、前に立った。



325 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/19(木) 01:43:30 ID:u5p/XDue
「…………はぁ」
 ようやく。
 僕は鉄の扉の前で一息ついた。ここまでくれば、いくらなんでも音が下に漏れることはない。
扉の向こうに出てしまえば、よほど大声で会話をしない限り、声が漏れることもないだろう。校
舎の中を歩き回っていた間中に感じていた緊張が、ゆっくりと身体の外に流れ出ていく。
 緊張。
 本番は――これからだというのに。
「…………」
 気の抜けかけた意識を貼りなおす。そうだ、今気を緩めるわけにはいかない。僕は何を確めた
訳でも、何を成したわけでもない。
 すべてはこれからだ。
 すべてはこれからなんだ。
 終わってしまった――わけじゃない。
「…………よし」
 片手に持っていた靴を履きなおす。少し考えて――鞄の中から魔術短剣を取り出す。もうここまで
きたら隠す必要もない。鞄は邪魔になるだけだ。扉の傍に鞄を置き、いつどこから襲われても大丈夫な
ようにしっかりと魔術短剣を右手に握る。
 闇夜の中、
 命を持ったように、魔術短剣は輝いて見えた。
 ――できることなら。
 僕は、願う。
 ――これを、使わずにいられたら、いいけれど。
 そして、笑う。
 人知れず、僕の顔に笑みが浮かぶ。今、自分が考えたことが、自分が願ったことがおかしくて
たまらなかった。
 姉さんの復讐を考えて、
 その相手を殺すことを考えていた自分が。
 この先にいるであろう相手に、それを使いたがっていないという事実に。
 その事実に、僕は笑う。
 嫌な気分は――不思議としなかった。
「――行くか」
 気合を入れて。
 僕は、左手で屋上へと続く扉のノブをつかみ、

 躊躇うことなく、引き開けた。



327 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/19(木) 01:53:41 ID:u5p/XDue

 思っていたよりも――考えていたよりも、扉は勢いよく向こう側へと引き開けられた。気圧差。そんな言葉が
頭に浮かぶと同時に、向こう側から新鮮な風が中へと吹き込んでくる。夏の匂いをはらんだ、夜の匂いをはらんだ、
強い風。暑さすら感じてしまう、涼しい風。
 同時に、光。
 扉によって防がれていた月明かりが、正面高くに昇った月の光が、僕の目に飛び込んでくる。夜のまぶしさ。思わず、
目がくらんでしまう。どこまでも続く空は暗くて、その最果てにぽっかりと、穴が開いている。開いた穴から注ぎ込む光が、
夜の街と、夜の校舎と、夜の屋上と、


 そこに立つ、彼女の姿を照らし出していた。


 規定どおりの制服。紺のプリーツスカートに白の半そでシャツ。凹凸の少ない、生きていくために必要な
肉付きすら少ない、抱きしめれば砕けてしまいそうな身体。長く伸ばした艶ある黒髪は、こまめに手入れし
てあるのか腰の辺りで綺麗に切りそろえられている――その髪が、今は風で微かに揺れていた。古いモノク
ロ映画に出てくる幽霊のような雰囲気。
 現実味のない、姿。
 現実感のない、姿。
 月明かりを浴びて、フェンスに寄りかかって立つその姿を、

 僕は、素直に――綺麗だと、そう思った。

 シルクハットはない。男装のスーツも、杖も、そこにはない。彼女が狂気倶楽部であることを示すのは、
寄り添うようにしておかれた、赤のクイーンと白のクイーンを両面に模したトランクケース。
 あの中に這入っているものを、僕は知っている。
 そして――彼女の背中にしこんである、大鋏のことも。
 触れれば壊れそうな、姿。
 触れれば壊してきそうな、姿。
 両刃の刀のような、
 心中自殺のような――そんな雰囲気が、彼女には確かにあった。
 今なら、わかる気がする。
 おちゃらけていた時の彼女と、
 狂気について語る、彼女。
 そのどちらもが――全て、彼女なのだろう。
 ――今は、どちらなのだろう?
 そう思いながらも、僕は、


「――如月更紗」


 彼女の名前を、呼んだ。


329 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/19(木) 02:11:23 ID:u5p/XDue
 彼女は。
 クラスメイトにして狂気倶楽部の一員、マッド・ハンターでもある、彼女は。
 如月更紗は、名前を呼ばれて、初めて気付いたように僕を見て――酷く驚いた顔をした。彼女の表情がここまで崩れる
のを、僕は初めて見たような気がする。大きく見開かれた黒い瞳が、じっと、真正面から僕を見据えていた。
 言葉に表すまでもなく、驚いていた。
 僕が、此処にいることに。
 そして、驚いたその顔のままに――如月更紗は、僕へと、言う。
「……えっと、どちらさま?」
「ボケから入るのかよ!」
「ああ、挨拶がまだでしたね。初めまして、須藤冬華です」
「さらっと偽名使ってんじゃねえ!? お前の名前は如月更紗だろうが!」
「不束者ですが、よろしくお願いしますね。式はいつにします?」
「展開速いな――!」
 思わず突っ込んでしまった。
 突っ込まずにはいられなかった。
 僕の突っ込みを受けて、ようやく如月更紗は一瞬顔に浮かべた動揺を、チェシャ猫のような薄い笑いで覆い隠した。
……ふん、本気でボケたのかと思ったが、どうやら驚きを隠すための時間稼ぎだったらしい。
 しかし、ほんとに誰だよ須藤冬華。
 口調まで違ったぞ、今。
「それで……一体何の用かな、冬継くん。私はそんなに、暇じゃあないんだけれど」
 あっさりと話を元に戻しやがった。
 しかも、前振りのボケを完全に流してる。この辺りの切替の早さだけはさすがと言わせてもらおう……
「……夜中の学校にいるような人間が、暇じゃないとは知らなかったな」
「私は夜行性なのよ」
「そんな気はしてたよ」
「具体的に言えば、夜中に鋏だけ持って街を徘徊するのが趣味――とも言えるわ」
「それはただの変質者だよ! いや、鋏持ってる分だけ変質者よりタチが悪いぞお前!」
「冬継くんはどんなときでもボケを忘れないから好きよ」
「ボケはお前のほうだ!」
 本当にやりそうだから本気でタチが悪い。全裸で人の布団にもぐりこんだ姿が、未だに脳裏
からは消えていないのだ。
 しかし――なんとなく、懐かしいやり取りだ。
 こういう、馬鹿な話。
 よく考えれば、如月更紗とこういう会話をするのは、もう一週間ぶりくらいになる。最後に交わしたのが
僕の部屋の中で……それからずっと、神無士乃に監禁されていたからな……。
 ――神無士乃。
 そうだ。
 そのことが――あるんだ。
 明瞭させなければならない。楽しいやり取りをする前に。
 全てを。
「――如月更紗」
 僕はもう一度、彼女の名前を呼ぶ。きっと、一瞬前とは表情が変わって見えただろう。
ふざけあうのは……一時、おあずけだ。
 それがわかったのか――あるいは、最初からわかった上で、馬鹿な会話へと話をそらしていたのか。
 如月更紗は、つぅ、と唇の端をあげた。
 笑っている。
 月光の下、如月更紗は、僕を見て笑っている。
「何かな――冬継くん」
 きしり、と。
 フェンスが鳴った。如月更紗が体重を後ろのフェンスにかける。きしり。音が鳴る。
 心のどこかが、きしむ音が聞こえる。
「そんな、物騒なものを持って。まるで私のように物騒なものを持って」
 幽かに視線をそらし、如月更紗は僕の右手を見た。右手に握られている、魔術短剣を見た。
 物騒なもの。
 彼女が持つ鋏のように、物騒なもの。
 神無士乃の首をはねたモノのように――物騒な、武器。
 それを持ったままに、僕は言う。
 彼女に、問う。

「お前は――――――――――誰だ?」

346 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:19:55 ID:VvIppM+g
 その質問に、如月更紗は、微笑んで。
 嬉しそうに微笑んで、言葉を紡ぐ。
「おや、おや、おや――どこかで聞いたような言葉ね、どこかで聞いたような言葉だわ」
「……そうだな」
 彼女に言われてようやく僕は思い出す。奇しくもそれは、如月更紗が僕の部屋へと忍びこん
だあの朝に、彼女に向かって問いかけた言葉だった。
 お前は誰だ、と。
 あのときは、彼女の『二つ名』を知らなかったから。狂気倶楽部での立ち居地を知るために
訊ねたのだ。お前の二つ名は何だ、という意味で。
 今は、違う。
 お前は如月更紗なのかという意味で、僕は問うたのだ。
 同じ言葉でも――意味が違う。
 それがわかっていて、如月更紗は笑っているのだろう。思い出すように。思い返すように。
 懐かしい記憶を。
「あのときは……はぐらかされて、答えは聞けなかったな」
 そうだったかしら、と如月更紗は首を小さく傾げた。とぼけているのか、本当に忘れている
のか、それとも知らないのか。その態度からでは判然としない。
 彼女が彼女であるのなら、きっととぼけているのだろう。
 僕の知る如月更紗は、そういうやつだ。
 にやにや笑いを浮かべたままの如月更紗へと、僕は一歩だけ、脚を進めた。月に照らし出さ
れた影が、如月更紗に近づく。右手に握った短剣が、月光を反射して輝いていた。
 如月更紗は、何も言わない。
 物騒な様相をした僕を見ても、何も言わない。逃げようともしない。
 待っているかのように。
 ただそこで、笑っている。
 嬉しそうに。
 嬉しそうに、笑っている。
 その笑みから、視線をそらすことなく、僕は言う。
「返答次第では――僕は、お前の敵に回らなくちゃ、ならない」
 その問いに、如月更紗は肩をすくめた。制服の襟口から覗く鎖骨が浮いて見える。月光のよ
うに白い肌に、一房、黒い髪が雨のように流れている。
 肩を竦め、笑ったままに、如月更紗は答える。
「私は私さ、私は私だよ、冬継くん。如月更紗。それとも、もう一つの名前で名乗ったほうが
いいかい?」
 もう一つの名前。
 狂気倶楽部の中での、二つ名。
 狂った芝居の中で、彼女が演じる役。
 ――マッド・ハンター。
 イカレ帽子屋にして、狂った首狩人。
 ――違う。
 それは違う、違うんだ如月更紗。僕はそんなことをお前に聞きたいんじゃない。そんなこと
を訊ねるために、そんなことを確認するために此処まできたんじゃ、ないんだ。
 僕は、
 ただ。


347 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:21:13 ID:VvIppM+g
「……言い換えようか、如月更紗」
「……?」
 わからないわ、と言いたげに首を傾げる如月更紗。とぼけようとしているようにしか見えな
かった。とぼけたいのだろう。
 如月更紗は、きっと、僕が何を言い出そうとしているのか、勘付いている。
 勘付いているから――そちらへと、話をもって行こうとしないのだ。
 それは、向こう側へと踏み込むことだから。
 一方的に僕の方へと踏み込んできていた、如月更紗の方へと、逆に僕が踏み込むことだらか
ら。踏み込んでしまえば、もう、戻ることはできないから。
 ――構うものか。
 戻るつもりは……もうない。戻る場所も、もうない。
 あるとすれば、如月更紗。
 ――お前の側くらいだ。
 恥かしい台詞を口の中で押し殺して、代わりに、僕は言う。
 彼女に対する、最大の疑惑を。

「神無士乃を殺したのは本当にお前なのかって――そう訊いてるんだ」

 如月更紗は、即答した。
「なんのことか、なんのことだかわからないね冬継くん。わかられるように説明してくれない
かな」
「呂律が回ってないぞ」
「酔いが回ってるのよ」
「お前未成年じゃなかったのか!?」
 クラスメイトである以上、同い年のはずだぞ。
 それともまさか、五年以上留年してるのか……?
 一瞬本気で悩んでしまった僕に対し、如月更紗はにやにや笑いを深めて、
「貴方の瞳に酔ったのよ」
「…………」
 ボケか。
 ここまできてボケるか。
 どうあってもシリアスに持っていきたくないらしい……いや、ある意味それも如月更紗らし
いというか、僕ららしいと言うのだろうか。よく考えれば、あの時だって、あの時だって、シ
リアスの真っ最中にこいつは下ネタとボケを飛ばしてきていた。
 シリアスの最中ですら――よくある日常だと、態度で彼女は表していた。
 こんなことは、いつものことで。
 いつものように、やるのだと。
 ――なら。
 如月更紗、それがお前のやり方だと言うのなら。
 僕は、それに付き合ってやる。
 どこまでも。


348 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:22:38 ID:VvIppM+g
「……もう一つの名前、か」
「そう、そうね、そうだわ。狂気倶楽部の最古参、狂った狩り人してイカレた帽子屋――」
「あるいは」
 彼女の言葉を遮るようにして、僕は言う。
 如月更紗の家で読んだ、あの絵本を思いうかべながら。
 僕は、言う。
 恐らくは――それこそが、彼女に対して核心となる言葉だと信じて。
「ハンプティか? それとも――ダンプティか?」

「――随分と」
 
 今度もまた、即答だった。
 微塵の間もあけずに、如月更紗は即答し、即断する。彼女の表情は変わらない。顔にはりつ
いたにやにや笑いは変わらない。それでも、この短い期間の付き合いからでも、彼女が焦って
いるのがわかった。
 少なくとも――揺れている。
 平常心じゃ、ない。
 それでも笑みを浮かべたままに、如月更紗は言葉を続けた。
「懐かしい、懐かしい、懐かしすぎる、名前を言うものね」
「懐かしいのか」
 そうね、と如月更紗は頷いた。
 そうして、さらりと彼女は言う。
「それは、私が『マッド・ハンター』になる前の名前だから」
 マッド・ハンターになる前の名前。
 三月ウサギが代替わりするように。
 狂気倶楽部がごっこ遊びである以上、役柄は、変わりゆく。
 姉さんは、三月ウサギだった。
 如月更紗は、マッド・ハンターだった。
 ――なら、その前は?
 姉さんは、三月ウサギになる前は、ただの姉さんだった。新人である姉さんは、三月ウサギ
から始まった。
 最古参である如月更紗は、違った。
 マッド・ハンターになる前に、違う役を、経験していた。それがどんな役なのか、いくつの
役を演じてきたのか、僕にはわからない。それでも、マトモな人間がいない狂気倶楽部の中で
、役代わりは頻繁に行われてきたはずだし――如月更紗が演じた役のうち、少なくとも二つは
、はっきりしている。
 ひとつは、マッド・ハンター。
 そしてもう一つが――ハンプティか、ダンプティだ。
 あの絵本を読んで、確信まではいかなくとも、その可能性に思い至ったのだ。


349 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:23:47 ID:VvIppM+g
「……どうして」
 如月更紗は。
 笑いを浮かべたままに――それでもどこか、それは僕の気のせいなのかもしれないけれど、
泣きそうな顔をして――消え入るような小さな声で、僕に言ってくる。
「どうしてなのかな。冬継くんが、どうしてそんなことを知っているのかしら?」
「お前と同じだ。ここに来る前に、お前の家に寄らせてもらった。あれを家というのなら、だ
けどな」
「不法侵入は立派な犯罪ね」
「お前にだけは言われたくないな!」
 玄関から侵入して窓から逃げてったお前にはだけは言われたくないな!
 ……。
 そういえば、僕の家一週間も留守にしとておいてよく泥棒に入られなかったな……まさかあの
あと如月更紗が戸締りでもしてくれたのか……?
 今更疑問が思い浮かぶが、とりあえずは後回しにしておく。確める機会があるとは思えないが、
まあ、確める必要もないだろう。
「自首することをお勧めるよ冬継くん」
「その時はお前も道連れだな!」
 罪状で言うなら、間違いなく僕よりお前の方が多いぞ。
 ……その時は、狂気倶楽部まるごと芋蔓式に捕まるだろうけれど。
 ん……そうか、だからか。如月更紗があの時言っていた、遺書を書くのと外側を巻き込まないと
いうのは、何かがあったときに自分ひとりで物語を完結させるためか。
 仲間でありながら、横の繋がりは存在しない。
 いつ死んでも、いつ殺されても構わない、閉じた輪。
 ――狂気倶楽部。
「…………」
 実際――姉さんの死も、少しも話題にはならなかった。多感な少女が自殺しただけ。それだけで、
すべては片付けられた。その奥にあるものについては、何一つとして明るみにはならなかった。
 明るみにしてはならないことだから。
 それが――狂気倶楽部の、掟だから。
 ……なら。
 今更にして、僕は思う。なら、と。
 ――神無士乃の場合はどうなる?
 あいつは、狂気倶楽部のメンバーじゃなかった。遺書を用意していなければ、横の繋がりがあるわ
けでもない。家族もいて、多少歪でも普通に生活に生活していた、一般人だ。彼女が殺されたら――
何かしら問題が起こるんじゃないのか?
 そんな疑問が、頭に浮かぶ。
 それは先の泥棒の件とは違い、さらりと流してはいけないような気がしたが……どの道、今の最重
要目的は、如月更紗以外にはありえない。


350 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:25:25 ID:VvIppM+g
僕はまた一歩、如月更紗へと近づく。目算で、あと五歩。五歩もあるけば、如月更紗に手が届く。
 彼女が逃げない。
 じっと、ずっと――僕を、待っている。
「お前の家で読んだんだ。『ハンプティとダンプティ』の話を。あれは――」そこで僕は言葉をくぎり、
一度大きく、息を吸って吐いた。言葉を出すのには、覚悟がいった。ゆっくりと、意識してゆっくりと
くぎるように、僕は続ける、「あれは――実話なんだろう?」
「そうさ、そうね、そうだとも」
 あっさりと。
 呆気にとられるほどにあっさりと、如月更紗は、僕の言葉を首肯した。
「狂気倶楽部には一つの伝統があってね。自分たちの物語を、自分で絵本にするというものさ。こちら
は強制ではないが……喫茶店グリムの地下には、本が山と並んでいるよ」
「メンバーの数だけ、か」
「かつていたメンバーの数だけ、よ」
 いなくなってしまった人の、
 失われた物語。
 自身の手で――綴られた、絵本。
 狂気倶楽部の、物語。
 そして、如月更紗は。

「私の父も――本を書いたわ。狂気倶楽部の一員として、『ハンプティとダンプティの物語』を」

 笑みを、消して。
 ずっと浮かべていたにやにや笑いをかきけして、どこか困ったような、どこか寂しげな表情をして、
僕の疑惑を肯定する言葉を吐いた。
 けれど、僕は。
「…………」
 何を言い返すこともできずに、沈黙するしかなかった。
 ――父親?
 父親……だって?
 あれが彼女たちを描いたものだとは思っていたが、まさかそこまでとは思っていなかった。てっきり、
如月更紗自身が描いたものだと思い込んでいた。それが父親が書いたもので――しかも、父親すら、狂気
倶楽部の一員だって?
 そんなの……筋金入りじゃないか。
 血統のような。
 連綿と続く、狂気の血統。
 狂気の子は――また狂気。
 そういう……ことなのだろうか?


351 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:26:29 ID:VvIppM+g
 はぁ、と、困惑する僕に対して、如月更紗はやるせないため息を吐いた。わざとらしく肩をすくめ、
やけに明るい声で、
「困ったものだよ、困ったものだわ、本当に。冷蔵庫の中は見たかしら?」
「…………」
「見た、って顔に描いてあるわよ」
「……ああ、見た」
 見た。如月更紗にどこか似た、女性の生首が――入っていた。
 頷く僕に対し、如月更紗は、からかうような笑みを再び顔に浮かべ、
「あれが私たちの母で……同時に、父の妹なのよ」
 まったく困ったものだわ――と。
 そう、繰り返した。
 至極当たり前のように、繰り返した。
「…………」
 母親。
 ……妹?
 如月更紗の言葉を素直に受け止めるのなら、彼女は、実の兄妹から生まれた近親相姦の子ということになる。
 言うまでもなく、常軌を逸している。
 日常から、遠く乖離している。
 狂気。
 狂気――倶楽部。
「…………」
 一体……どこまで根が深いんだ? どこまで辿れば、原因に辿り着く?
 なにがおかしいのか。
 誰がおかしいのか。
 そんなことすら――わからない。
 狂っている。
 はじめから、狂っている。
 はじまる前から、狂っている。
「ま、」
 ぐるぐると、遠退きかけた僕の思考を呼び戻すかのように、如月更紗はさらに明るい声を出した。
その声に、意識が引き戻される。揺れかけていた焦点が、再び彼女に向けられる。
 ……しっかりしろ。
 今は――考える必要の、ないことだ。
「考える必要のないこと、よ。それはそれで、また別のお話なのだから。それは私の物語でもなく、冬継くん
の物語でもなく、ましてや貴方のお姉さんの物語でも三月ウサギの物語でもない、また別の物語なのだから。
今は――」
「――そうだな、今は」
 僕は如月更紗の言葉を受け継ぐようにして、言う。
 頭に思いうかべるのは、あの部屋のこと。あの部屋で見た全て。廃墟とかした家。少女趣味な部屋。生首。
 ――二段ベッド。
 そして、『ハンプティとダンプティ』の物語。

 ――『ハンプティとダンプティの双子が、そのお茶会に加わったのでした。』

 その全てを、頭の中で反芻しながら。
 僕は、言った。


352 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:28:43 ID:VvIppM+g




「神無士乃を殺したのは、如月更紗じゃない。お前の――――双子の姉妹だ」









 その通りだよ、と。
 どちらともつかない彼女は頷いた。






353 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:29:46 ID:VvIppM+g
 ずっと感じていた、些細な違和感の正体を。
「一晩休んでゆっくり思い出してみれば……お前は僕のことを、冬継くんって呼ぶんだよ」
 あの時。
 神無士乃に地下室で監禁されていた時、僕を助けにきた――というよりも、神無士乃を殺し
にきた彼女は、僕を見てこう言った。
 ――里村くん、と。
 違和感は、それだった。それだけだった。たった小さな、呼び方という違和感。冬継くん、
と名前ではなく、里村くん、と苗字で呼ばれたこと。
 些細なことだ。
 けれど、違和感を感じずには言われなかった。僕が決して、一度として、如月更紗のことを
フルネーム以外で呼ばなかったように、姉さん以外の誰かをフルネーム以外で呼ばない僕にと
って、呼び名というのは常に無意識を払っているものだったから。
 加えて、『里村くん』だと、如月更紗が呼ぶ場合には、姉さんまでも含まれてしまう。
 だからこその――違和感だった。
「成る程、成る程、成る程ね。呼び名の違いは、ミステリィの基本だよ――よく気付いたわね
、冬継くん。それとも本当に褒めるべきなのは、そんな些細な違和感を信じて行動したことか
しら?」
「……さぁな」
 僕は嘯く。本当のことを言うつもりはなかった。これだけは、口を閉ざしておくつもりだっ
た。
 確かに、違和感を感じたのは本当だ。
 きっかけになったのも、事実ではある。
 けど、僕はそれを、信じたわけじゃない。そんなことを信じて行動したわけじゃない。
 ただ、信じたかっただけだ。


 如月更紗があんな殺人を犯すような人間でないと――――信じたかっただけだ。


「…………」
 恥かしいから、絶対に言わないけれど――もしも言ってしまったら、この先一生からかわれ
るのは目に見えているので、それこそ墓の中まで持っていくつもりだけど――結局のところ、
僕は如月更紗を信じたかったから、信じるための証拠を探しに、こいつの家までわざわざ脚を
運んだのだ。
 何かないかと、探すために。
 結果として十分すぎる何かは見つかったわけだけれど……それは結果論にしかすぎなくて。
 ようするに。
 あの時点で、僕は。
 どうしようもないほどに……如月更紗に、心を奪われていたのだ。
 ただ――それだけなんだ。


354 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/07/20(金) 04:31:56 ID:VvIppM+g
「…………」
 ……。
 …………。
 口が裂けても言えないなこんなこと……今にして思い返せば、思いっきりバカップルみたい
な発想じゃないか、これ。妄信的にも程が有る。『恋人のことなら何でも私信じるわ!』なん
て、大昔のラブコメじゃあるまいし、まさか自分がそんなことをやりだすとは思いもしなかっ
た、というか今でも思いたくない……。
 妄信的な愛。
 狂信的な愛。
 そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。僕はひょっとしたら異端で、如月
更紗は間違いなく異端だけれど――だからこそ、真っ当な恋愛がしたかったと、それだけなの
かもしれない。
 自信なんてなかった。双子だという突拍子もない説を、心の底から信じていたわけじゃない。
今だって、信じているわけじゃない。
 信じたいだけなんだ。
 如月更紗に、人殺しをしてほしくなかったから。
 如月更紗を、復讐の対象にしたくなかったから。
 それだけ――なんだ。
 それだけの、ことなんだ。
「……だから訊いたんだよ、お前は誰だ、って。少なくとも見かけだけじゃ、双子の姉妹なんて
僕には判別がつかないからな」
「そこは愛の力で」
「できるかよ、そんなの」
「そこはエロの力で」
「それができるのはお前だけだ露出魔!」
「つまり――脱いで証明しろということだね?」
「いつ! 誰が! 脱げって言った!?」
「前世からの運命で、冬継くんが言うことは運命づけられていたのよ」
「一山いくらなメンヘラみたいなこと言ってんじゃねえ! いつからお前は運命論者になったんだ!?」
「ふ、ふ、ふ、」
 と。
 今時聞くのも恥かしいくらいに典型的な笑いを如月更紗は言葉で表現した。笑っているというよりは、
ただ単純に、笑うという声を発したようにしか聞こえなかった。
「運命を信じたくもなる、運命を信じたくもなるわよ――だって、まさか」
 そうして、如月更紗は。
 僕を見上げて。

「冬継くんの方から、私の方へ歩み寄ってきてくれたのだから。運命ですら、信じたくなるものよ」

 嬉しそうに――母親に褒められた子供のように――にやにや笑いとは似てもつかない、純粋な笑みを
浮かべたのだった。