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302 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:45:27 ID:QT51TBcr

彼の病院へ行くこともままならず、そのまま自転車の車輪をゆっくりと転がし、
すれ違ったクラスメイトの蔑視の混じった冷たい視線を背中に浴びているのを感じながら、私は家に帰った。
居間でお手伝いさんが出してくれた、父が貰ったという玉露と戸棚にしまってある前に作った羊羹とに手をつけた。
羊羹を見るたびに松本君の為に練習したときの事を思い出す。
基本的に私は料理が苦手ではないのだが、作るのに苦労した覚えがある。
彼の為に作るのだから、という理由でこの家に出入りしている、三人いるお手伝いさんの手を借りずに試行錯誤を重ねた。
本だけに頼りながら、作っていたので形にはなったのだが、それでは誰にだってできること。
細かいミスはいくつもあったが、その細かいミスを克服するのが一苦労だった。
自分の学習効果の無さにただあきれるくらいに何度と無く失敗を繰りかえした。
眺めている写真に写った彼の姿を思い浮かべながら、時間が矢のように過ぎていった。
とりあえず、羊羹を自分で作ってみて、ミスがなくなった頃に、初めて私は彼と接触を取った。
あのとき私が彼に聞いた、和菓子と洋菓子のどちらが好きか、という質問はそんな自分なりの努力の上にしたものであったから、
あっさりと洋菓子と答えられてしまったことに失望感を隠せなかったのだ。
しかし、私はあの質問に別の意味もかけていた。


303 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:46:27 ID:QT51TBcr
和菓子と洋菓子―。
すなわち、私とあの害物。
いつだったか、彼が私の黒髪が落ち着いていながら、美しいと褒めてくれたことがあったが、それに相対して、あの害物はブロンドの髪と小柄な姿。
私だけでなく、普通の人であればその日本人離れした容姿であり人の目を引くだろう。
それは、私も同感であり、私を和菓子に、あの害物を洋菓子に例えた。
しかし、それはあまりに突飛すぎる話であると後になってみて、気がついて人知れず赤面した。
確かに常人ならば、会ってすぐに、私があの害物よりも好きか、と聞くなどとは思わないだろう。
しかし、私は純粋に羊羹を努力して作れるようになった事と彼をずっと想い続けてきたことに対する見返りが欲しかったのかもしれない。
だから、あれほど常人からすれば、不可解で愚かな質問を呈してしまったのかもしれない。


304 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:47:33 ID:QT51TBcr
そして私は羊羹を食べ終わり、学校に持ち込んでいる歴史系の本を開く。その際にカード状の何かが落ちてきたことに気がついた。
それは例の村越という、私と一つ違いとは到底思えない程の、まるで小学生と言ったほうが相応しいような女の子の連絡先が記されていた。
考えてみると、あの少女に関して、妙なことばかり思い浮かぶ。
前もそうだったが、私が彼女に思うところがあって確認を取ろうとすると、既に彼女はその姿を消している。
それに、害物からすれば先輩格の人間までも味方につけているにも拘らず、親友と思われる彼女に協力を仰がず、
それどころか村越という名の女子は正面きってでは無いが、四面楚歌の私に協力するという。
さらに、今、最も不可解なのは、私は彼女の電話番号を伝えたが、私の電話番号を相手は知らない。
にも、関わらず、彼女は私に連絡する、協力すると、しながらも私の連絡先を素人はしていないことである。
相手が既に私の電話番号を知っているという可能性はありえない。
委員会でも、今までにこなしてきた自分の仕事でも、日常生活でもあんなに目立つ子であるにも関わらず、接触することはおろか、会ったことすらない。
私の学校は生徒数が多いから単に私がその存在を認識していなかっただけ、そうも言えるが、私の電話番号を知っているわけが無い。


305 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:48:25 ID:QT51TBcr
連絡網などという旧時代の異物が廃止されたこの学校において、私が電話番号を共有しているのはただ一人、松本君のみだからである。
そうすると、尚の事、彼女の行動が理解できない。
松本君から電話番号を手に入れるということは、彼女と村越という子に何らかの接点があることになる。
否、なんらかの接点、というレベルで私の電話番号を教えるだろうか?
深いつながりがあるのかもしれない。
しかし、朝に彼女は私に松本君の情報を教えて欲しい、そう要求してきた。
これは松本君との深いつながりを否定する材料とできるかもしれない。
もしそうなると、害物から流れてきた、というところだろうか。
しかし、それは何故だろうか?
ろくに内容を頭に入れることができなかった歴史書を閉じ、学校の用具と一緒に鞄にしまってから私は自室に戻った。
自室に引かれている電話から村越という名の彼女に電話をかける。


306 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:49:46 ID:QT51TBcr
繰りかえされる呼び出し音が焦燥感を駆り立てる。
時間に追われているわけでもないのに、なぜか迫り来る不安感と自分のむき出されている猜疑心から、
一刻も早く、村越さんと接触を取って、どうして自分の電話番号を聞かなかったのか、ひいては電話番号を知っていたのか、ということを確認したかったのだ。
無機質な音が繰りかえされる中で、結局のところ自分はあの害物の手のひらで転がされているような、嫌悪感が増幅していった。
この不安をどこにもって行けばいいのか。松本君に打ち明ければ、彼ならばきっと私の為に協力してくれるだろう。
でも、父の言いつけを破ることで、私は非を作るわけにもいかないし、第一に松本君を心配させるだけなので選択できない。
かといってクラスメイトに話せば、それこそ害物の思う壺。担任の田並先生ならば話は聞いてくれるだろうが、十人並みの対応しか取れない。
それどころか不安の原因である、あの害物と話し合いで解決しようとする可能性もある。それは危険極まりない。

「…あ、あの……、……もしもし?どちらさま……ですか?」
電話の受話器を伝って、唐突に聞こえてきた声に不意をつかれ、咄嗟に体を強張らせた。しかし、狼狽の色を相手に見せないようにしなければならない。
まだ彼女がどの陣営に属するのかわからないままであるから。
「…北方です。」
「き、北方先輩ですか?」
いつものように、震えた何かを恐れるような声が受話器の奥から聞こえてきた。紛れも無く、これは村越智子の声だろう。
「そうよ。」
いつも多くのクラスメイトに対する機械的な対応と同じような対応をした。


307 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:51:36 ID:QT51TBcr
「あ…あの、その、用件は…何でしょう?」
私はいつもどおりの対応をし、彼女自身も私がどのような態度を取るか知っているはずなのに、今回は奇妙なまでに緊張や恐れ、というレベルを通り越したひどく狼狽の色がその声から感じ取れた。
しかし、私は彼女を安心させて話しやすくしよう、などと思うことも無く、淡々と自分の用件を続けて言った。
「今朝、あなたは私にあなたの電話番号を伝えてくれた。
けれども、あなたは私の電話番号を知らない。
だからあなたに私の電話番号を伝えようと思って。
それともあなたは私の電話番号、知っているのかしら?」
どのような反応をするか気になったので、そこで話を断ち切った。
他意がなければ、そのまますぐに電話番号を聞くであろう。
しかし、何か腹に一物、であれば咄嗟に反応が遅れるとか、ぼろが何か出るに違いない。
めぐらした罠に彼女がかかるのを待つことにした。
暫くしてから、彼女は口を開いた。
「えっ、あの?私、先輩の電話番号聞いていませんでしたか?」
「ええ、そうよ。だから、電話番号を伝えようと思って。」
「……わ、わかりました。…め、メモをとります。」
狼狽していた彼女がより一層、取り乱していくのが感じられた。彼女に対する、あの害物と裏で繋がっているのでは、という疑いが強まる。
それとも、狼狽してしまうほど、私と接触を取りたくない理由が何かあるのだろうか?
「村越さん」
「は、はいっ!」
「あなた、何か私に隠していること、むしろ、話さなければならない事、かしら…何かあるのでしょう?」
一言一言を少しずつ切って強調して言った。
「何もありません、私は先輩にお知らせしなければならないほどの重要な事を知っていません。」

即答だった。

不自然なまでに間髪いれず、まるで聞きたくないとでも言うように、即答された。
しかも、さっきまで狼狽していたのが演技だったかのように、淀むことなくはっきりと言った。


308 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:52:51 ID:QT51TBcr
「先輩こそ、電話番号、いいんですか?」
「そうね、電話番号は教えるわ。
でも、あれだけうろたえていたあなたが、それだけはっきりした受け答えを行えた、というのは釈然としない、かしら。
あなたは、何か知っていることがあるのでしょう?」
「………。」
「小さいことだと言っても、もしかしたら何かの助けになるかもしれないでしょう?」
「重要なことじゃない、ですよ。」
「重要かどうかは、情報を得た私が判断すること。とにかく、何かあったら知らせてくれる、そういったわよ?」
「………はい。」
観念したような声で搾り出すように承諾の意を伝えてきた。
そんな彼女の声を聞きながら、先程の恐怖や狼狽にさいなまれている彼女の声が私にはどうも演技か何かのような空々しさを感じていた。
彼女はやはり、あの害物と協力している、悪くすると、私を貶める側の人間なのかもしれない。
「では、話しますよ…。先輩がどう感じるか考えると……私は話したくありませんが…」


309 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:53:43 ID:QT51TBcr
ちぎれた瑠璃色の美しいしおりがゴミ箱に捨てられている部屋
棚の上の装飾のない、素朴なノートの36ページ目

 今日はあまり気分がよくない。
 夏に相応しくない雨が降っていることもあるだろう。
 病院食が不味いこともあるだろう。
 数週間も外に出ていないで、行動が定められている以上、テレビも特定の番組しか見られないこともあるだろう。
 そういえば、アニメの放送内容も近々変わるらしい。確認はしておく。
 しかし、今日はそんなありがちな事が原因で、メランコリーを感じているわけではない。

 何故だろう?
 そんなのは、昨日、僕が理沙を拒んだ事が関連しているに決まっている。
 その行動は、いろいろな事が原因で、元から不安定だった理沙を切り捨て、悲しみの淵に追いやることになった。
 後悔しているかといえば、否だ。
 自分の決断が間違っている、とは思わない。しかし、心は痛む。
 昨日の心からの決意が僕を勇気付けてくれはしたが、やはり後ろめたさは残る。
 数週間に渡って、顔を合わせ続けている、僕の大変な手術の執刀もした医師は好々爺で、今日の診察の際も、僕が考え事をしているのを見て、
 退屈していると取ったのか、趣味のつりの話をしてくれて、退院したら教えてくれると言って来た。
 つりに興味の無い僕だったが、生き生きしたこの老人の話に耳を傾けることに苦痛を感じなかった。
 その老医師の話では、退院はそう遠くないと言う。
 リハビリの器具が重く感じる。


310 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:54:38 ID:QT51TBcr
126号室・松本弘行というプレートが掲げられた部屋
真紅の本の下に置かれたノートの38ページ目

 うだるような暑さが襲ってきた。冷房の利きが悪いのか、今日が以上に暑い日なのか。
 この天気の大きな変化では、偏頭痛持ちだと言っていた、北方さんは頭痛に苦しんでいるだろう。
 腕のギプスははずしている為、蒸れて気持ちが悪くなることは無いが、汗が肌を伝い、服が皮膚にぺたりと張り付いて気持ちが悪い。
 リハビリを続けているが、なかなか苦しいものがある。
 放課後の時間を見計らって、家に電話をかけてみたが、理沙は電話に出てこない。
 未練がましいとは、わかりつつも自分のエゴの為にか、電話をかけている。
 五回かけても駄目だったので諦めることにする。
 そういえば、夏休みはもうすぐだ。僕はもう少しで退院だという。

 机の上の真紅の装丁、北方さんの本を再び読んでみた。
 理由は特に、これといったものは無いが、北方さんに似ているヒロインとその結末が気になった、そんなところだと思う。
 理沙がここのところずっと病室を訪れていたが、思い返せば、北方さんのお父さんの提案で、二人ともここにこないことになっていた。
 理沙は弊履(へいり)の如く約束を破ったが、北方さんにはここのところ会っていない。話すらしていない。
 だからこそ、本の中の髪長姫と彼女を重ねているのだろうか?
 


311 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:55:43 ID:QT51TBcr
リノリウムが味気なく、窓も一つしかない光の届きにくい部屋
走り書きされているノートの41ページ目

 ここ数日の間、この日記をつけていない。
 理由は、本をずっと読んでいたことと、その数日間に北方さんのお父さんが電話をかけてきたので、それに対応していたことである。
 北方さんの本の内容は衝撃的であった。
 あらすじを述べると以下の通りだ。
 ある老夫婦は長い間、求めていた子供を授かる。しかし、それは難産になり、妻は母子共に助かるために魔女のラプンツェルを望む。
 夫は魔女にラプンツェルを分けて貰い、子供は無事に生まれるが、ラプンツェルとの交換条件で子供は魔女の元に引き取られる。
 この少女は魔女に酷使され苦しみながらも、長い黒髪を持つようになり、美しくなっていった。
 ある日、魔女の住む森の近くで、自身の父親の死体を発見する。これは、妻と魔女が殺したものだった。
 彼女が年頃になった頃、彼女はたまたま狩りの最中、森に迷い込んだ王子と出会い、魔女の目を盗んでは逢引きするようになった。
 これを知った魔女は怒り、王子の許婚の王女は八方手を尽くして、ヒロインを苦しめ、二人の仲を裂く。
 それに悲観したヒロインは去り行く王子を横目に墜死を試みる。
 が、失敗し、彼女は失明する。本来ならば再び王子との逢瀬を迎えるはずだが、そうではなく悲劇的な結末に終わっていた。

 北方さんのお父さんは、自分の身の回りに変化が無いかということと、最近、北方さんの立場があまり良くないから、退院したらまた、助けてやってくれということを、言っていた。
 また、娘を慮って、教師陣にも喝を入れてきたという。その娘を思う気持ちがあるならば、どうして北方さんが幼い時に虐待を止められなかったのか。
 思うところを口にしたら、悲しげに君しか彼女の傍にいてやることはできないよ、とつぶやくように言っていた。
 なんとなく、この物語を北方さんが好んで読んでいる理由がわかったような気がした。
 このヒロインと自分を重ね合わせて、僕の傍にいたい、と祈願するように言っていたのだとすれば、心が痛む。
 物語のような結末にはしたくない。


312 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:57:03 ID:QT51TBcr
面会人も無くいつもどおりの静謐さを崩さない部屋
切抜きされた新聞と共に棚に置かれているノートの44ページ目
(左ページに切り抜かれた新聞記事が貼ってあり、適宜、赤線が引いてある)

 今日も暑い日のようだ。ミンミンという蝉の鳴く声が鬱陶しい。
 北方さんの立場があまりよくないという彼女のお父さんの話を聞いて、北方さんの事が心配でたまらない。
 冷静で隙を作らず、誰とも価値観を共有しない、そういう状態でいるのは本人自身厳しいことだろうし、周りが悪意をもって彼女に接していたとすれば、殊更だ。

 南雲が今日、僕に夏休みの宿題と新聞を片手に面会にやってきた。
 南雲は成績がよく、冷静な性格で僕の親友である。
 一、二週間くらい前だったか、理沙が僕のところに出入りしていた頃、僕に友人の南雲が北方さんの立場が悪い、むしろいじめに近い状態になっていることを示唆するような連絡を受けた。
 スタンガン事件の事と、理沙の事でいろいろと悩んでいてその時は恥ずかしい話だが、気に留めることができなかった。
 その南雲曰く、最近はどんどん迫害がエスカレートしているという。僕と南雲の仲間は北方さんが悪い人ではないことを気づいているので、悪意をもって接することはしないという。
 南雲は北方さんにアプローチをかけてみたり、教師の協力を仰いだりしてみたらしいが、北方さん自身が自分の殻に篭っているので、どうすることもできなかったことを伝えた。
 さらに、彼女はここ数日の間、北方さんが休んでいるとも言っていた。
 
 南雲が持ってきた新聞記事は一面にでかでかと載っていた。
 北方さんのお父さんが何者かに刃物で刺されて、重傷の状態で病院へ搬送されたという。
 細かいことは知らなかったが、彼の会社は相当規模が大きく、ここ数日、大きな商談があって山口を訪れていたという。
 テレビでもそう報道していた。
 北方さんは一層、悲しい思いをしているだろう。
 こんなときに病院を出ることができない自分が嫌だ。
 断るかもしれないが、北方さんと会う必要がある。電話を明日にでも、かける事にする。


313 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:57:48 ID:QT51TBcr
壊れた時計の部品が床に転がり放置されたままの部屋
折れた鉛筆と一緒に置かれたノートの46ページ目

 目覚まし時計が止まっていた。
 それだけのはずだった。
 電池を取り替えようとして外蓋を開けたら、何か見慣れぬ機械があった。
 電子工作に詳しい友人の中津曰く、盗聴器だという。
 誰の差し金かはすぐにわかった。
 おそらく、この情報を元に北方さんへの攻撃をしたのだろう。
 北方さんへの迫害の首謀者も予想が悪い意味で的中した。
 最初は怒りのあまり、盗聴器が仕掛けられていた時計を床に叩きつけ、壊した。
 が、ただ寂寥感と悲しみだけが襲ってくる。

 北方さんは電話に出てくれない。事態はかなり深刻なのかもしれない。
 心配だ。



314 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 01:58:55 ID:QT51TBcr
時計の部品が跡形もなく綺麗に片付けられて何事も無かったかのような物静かな部屋
水濡れで字が見にくくなっているノートの48ページ目

 また、この数日の間、この日記をつけていない。
 理由は今回はきちんとあり、理沙が仕掛けたと思われる盗聴器が発見されたことである。
 発見されて、僕は怒りを覚えた。
 監視されていたことに怒りを覚えたわけではない。
 その得た情報をいじめに使うことになってしまったことにやり場の無い怒りを感じる。
 自分が自らまいた種が北方さんを苦しめることになっていたことが自分への怒りになっていく。
 友人の南雲は義侠心を奮い起こして、北方さんを救おうとした。
 しかし、彼女を助けて当然の僕は逆に、彼女を苦しめてしまった。
 電話に彼女が出てくれないのもそのせいかもしれない。
 
 もしかしたら、取り返しのつかない事態になりつつあるのかもしれない。
 でも、まだ何とかなると信じている。いつも何とかならないことだと思っていたことを何とか成功させることができたのだ。
 だから、ここで諦めたくは無いと思う。
 盗聴器は破壊したから、もう漏洩した情報によって北方さんが苦しめられることは無い。
 でも、彼女自身は心に傷を負っている。
 それを癒すことができなければ、僕は彼女を愛している、などと言う資格はない。
 それと同時に、何とか理沙にストップをかけなければならない。
 それこそが、兄である義務だと思うから。

 最近、休養は完全なはずなのに、疲労が取れずにいる。
 リハビリもうまくいっているのだ。ここで、ダウンするわけには行かない。
 もう、退院まで後、数日だ。



315 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 02:00:15 ID:QT51TBcr
朝、いつものように寝ぼけ眼をこすりながら、厳しい目覚めを迎える。
冬ほどは苦痛ではないのだが、やはり朝起きるのは厳しいものがある。
今日は退院の日だというのに、僕はあまり浮かれる気分にはなれない。
その証拠に寝汗の気持ち悪さが、窓の外に見える美しい青空の清清しさに勝っている。
身体ももう十分に動くに等しい。しかし、それは感慨深いものではなく、
土手から落ちる前には当たり前だった事が当たり前に行えるようになっただけの事なのだが。


到底、感慨などには浸ってはいられない。
退院後に自分がしなければならないことが山積みであることは明白なのである。
食べ慣れて、もはや酷いという感想すらも抱かなくなった朝食―。
生ぬるい味噌汁を口を湿らせ、不味いご飯を口にしながら、骨の取り除かれている鮭に手をつける。
前ならば、下らない冗談を言っていたであろう光景にも取り合わない。
いつもどおりに、例の好々爺の診察を受け、満面の笑みを浮かべた彼はとうとう退院であることを告げ、次は釣堀で会いましょう、などと茶目っ気に言った。
この老医師が手術してくれ、僕の為に少なからず心を砕いてくれたことに対して、素直に感謝の意を述べた。
それから、この老医師は看護婦に命じて、彼が全ての退院する患者にするように手品を見せてくれた。
なかなか、技も巧緻で、冗談も織り交ぜられたそれは僕の片頬を自然と緩ませた。

それから、僕は部屋にある自分の道具を退院の為に片付ける。
ベットの掛け布団やらシーツ、それからカーテンは既に取り外されている。
入院している間は、このベットの近くの棚に届いた手紙が届けられるのだが、退院する今日、珍しくその場所に手紙が置いてあった。
綺麗な封筒に達筆な見覚えのある字。
宛名に松本弘行様、とだけ書いてあることに気がついた。
差出人の名はそこには記されていなかったものの、それが誰がよこした手紙かは一目瞭然だ。
背筋が寒くなるような嫌な予感と共に、封をはさみが無かったのでビリビリと乱暴に破る。
中に記されている内容を見て僕は愕然とした。


316 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 02:02:32 ID:QT51TBcr
拝啓

松本君、ご退院おめでとうございます。
本来ならば、松本君の退院を祝い、迎えに行くことが当然だと存じておりますが、訳あって手紙のみである事をお許しください。
こんな他人行儀な書き方をするなんて、変な感じだけれども、気にしないでいただけますか?

これは、何もかも決着をつけるため。
決着をつける、と唐突に書き出されても、あなたは混乱するだけ、それは分かっています。 
松本君が入院している間に、いろいろな事情があって、私はいろいろと考えました。

そして、結論するところは私は松本君に会うべきでないし、その傍にいるべきでない――という事。

あの日、私が松本君に言った「あなたの傍にいたい」という言葉。
こう聞くと、その言葉が真実でなかった様に感じられるかもしれません。
けれど、私は今でもあなたを愛している気持ちにかわりは無いです。
何故会えないかは、ニュースを見ているならば、そして、あなたの親友が伝えてくれた事から察していただけますか?
あなたの親友は、いろいろと裏で私を助けようとしてくれたようで、私は感謝しています。
全て事が済んだら、彼らに北方が感謝していた、そうお伝えください。

そして私が一番感謝しているのは、松本君、あなたです。
あなたと出会えて、わずかな期間だったけれども、無意味と思われた生に意味を見出すことができた。
私はあなたと同じクラスであり続けた長い間、何もアプローチが取れずにいたけれど、あなたの事が好きでした。
あなたの存在だけが私の行く先を明るく照らしていたのです。
人に嫌われる蛾であっても、その行く手を照らす光だけが私を拒まずにいたのです。
その光を求めるあまり、一種の憎悪を心の奥底に秘していた時期もありました。
それは、ご想像の通り、あなたの妹さんに向けられていたものです。
そのために、今、自分はこの運命を迎えることになるのだということを悟っています。
ただ、あなたと同じ時間をあなたと同じ様に過ごしてこれたことが夢の事のように思い出されます。
しかし、このままでは松本君に悪い影響を与えてしまうのは明白です。
それはあまりに忍びないことです。
全てが終わってからも、愚かな女であったと蔑まれるのは御免蒙りたいものです。
かなり長くなってしまい、しかも未練がましくなってしましたが、この辺りで切らせていただきます。
願わくば、私の存在など早く忘れ去って欲しい、それだけです。

敬具

追伸
和菓子と洋菓子、今はどちらのほうが好きですか?


317 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/08/24(金) 02:03:37 ID:QT51TBcr
一文一文を読むごとに切々と悲愴感と決意を感じた。最後まで達筆な字で記されており、彼女の意思を覆す事はできないようにも感じられた。
しかし、これほどまでに悲しい結末があっていいのだろうか。
そんなことは絶対にあってはならないし、バットエンドは許さない、そう僕は心に決めたではないか。
にも関わらず、ここで諦めるわけにもいかない。
僕のうぬぼれ云々を無視しても、彼女は死にたくない、そう、心の中では思っているに違いない。


そのとき、血相を変えた看護婦が入ってきた。そして、青ざめた僕を引っ張って、電話台の前につれてきて、受話器を握らせた。
「もしもし、松本理沙さんのお兄さんですか?」
「は、はい、そうですが。」
「こちら大村病院のものなんですがね、実は、あなたの妹さんの理沙さん、服毒自殺を図ったんですよ。」
再び、後頭部を殴られるような衝撃を受けた。
「もしもし?まだ、毒物が強いものものらしく、現在急いで、応急処置が取られているところです。」
「あなたのお父さんが、あなたの退院を迎えに行く際に、倒れている理沙さんを発見したのですが……すぐに来てもらえませんでしょうかね?」
わかりました、とだけ言葉少なに答えて受話器を置いた。

 
A.北方さんの理不尽で無意味な自殺を思いとどまらせる
B.兄としての自責と義務から病院へ搬送された理沙の元に向かう
C.どちらを選択することもできず、どうすればいいのかわからなくなってしまった