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646 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:26:29 ID:Yzy+dAPl
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

私が恋を知ったのは、中学生のとき。
桜の舞う季節。
学校の校門近く。
私は――そこで恋に出逢った。

それまでの私の人生はさして優先順位のはっきりしたものではなかったけれど、彼――日ノ本創に
出逢ってからは上位はしっかりと定まった。
彼の傍にいることが第一で。
その準備に費やすこと――取り分け、邪魔者の排除と接近のための工作が第二・第三だ。
彼は自覚していないけれど、結構もてる。
私が心奪われたくらいなのだからそれは当然なのだが、だからと云って泥棒猫の接近を許すほど鷹揚で
はない。
彼をずっと見ていれば、誰が下心を持って近づいてきているのか、大体わかる。
雌猫達は決まって、薄気味の悪い媚びた笑顔で私の彼を誘うのだ。
酷いときになると、この私に彼を紹介して欲しいと頼み込む者も出てくる。
考えるだけで酷く疲れる。しっかりと名前を書いておかないと駄目なのだろうか?
その彼の管理は一人で出来るものではない。
勿論ひとりで管理し、品質保持し、品種改良することは理想であるし、最終目標でもある。
けれど、いまの状態ではそれは難しい。
それで、私は同盟者を持った。
それはまだ彼が中学一年生のとき。
度度、彼に逢いに来る表情の変化に乏しい女の子がいた。
一ツ橋朝歌。
彼の妹分だと云う。
二人の会話は何度か見張っていたことがあるけれど、別段親しさは感じられなかった。
事務的に話し、特に嬉しそうな様子も無い。
けれど一応他人だ。
本当の兄妹ならば安心も出来ただろうけど、自称妹にしか過ぎない存在。
私のものになる予定の日ノ本くんを、もしかしたら取ろうとするかもしれない。
相手は小学生。
でも、警戒を怠る必要も無ければ理由も無い。
だから、私は彼女が一人のときに声をかけた。
「少しいいかしら?」
「・・・・」
彼女は答えずに瞳だけ向ける。
中中整った顔立ちだ。
可愛いと云うよりは美人と評すべきだろう。
将来はさぞ良い女になるのだろうが、だからこそ余計に警戒する必要がある。
「はじめまして、と云えばいいかしらね」
「挨拶と云う点ではそうでしょう」
抑揚の無い、淡淡とした喋り方。
どこに向けているのかわからない瞳。
そして、私が覗いていたことを知っていたと暗に仄めかす科白。
「まるで私のこと、知ってるって云う口調ね?」
確かめてみる。
「織倉由良。中学2年生。A組。これまでに5回ほど、私達を見ていました」
「よく、知ってるのね」
「貴方は自分が思っているよりも目立ちます」
「そう。憶えておくわ。一ツ橋朝歌さん」
名前を呼んであげる。
『知っている』のはそちらだけではない。
言外にそう云ったつもりだけど。
目の前に在る、冷たい童女が動じた様子は無かった。
「何か用ですか?」
童女はつまらなさそうに問う。まるで私など眼中に無いかのように。
「用があるから話しかけたの。これでも私、結構忙しいのよ?」
「そうでしょうね。兄をストーキングすることに余念が無いようですから」


647 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:28:36 ID:Yzy+dAPl
「ストーキング?私は唯、愛で、護っているだけ。変質者と一緒にしないで欲しいわ」
失礼な話だ。
「貴方の主観が客観的に見て守護に該当するとは思えませんが」
「群盲象を撫でる。第三者の断片的な判断が正しいとは思えないわね」
「五十歩百歩です。事実、兄は最近視線を感じることが多い、と恐れていましたから」
そんな事を云う。何もわかっていない。
「それはいずれ至福に変わるわ。護られる快感。包まれる喜び。私はそれを教えてあげるために生れて
きたのよ?」
「御為倒ですね。それで納得できるわけがないでしょう?」
「納得?何故貴女に納得して貰う必要があるのかしら?これは私と日ノ本くんの話なのよ?」
「私は日ノ本創の妹です。妹が兄の幸せを願うのは、当然のことではありませんか?」
いけしゃあしゃあと。
「幸せ?それならこの私に感謝して貰わないとね。彼に近づく悪い虫は、皆私が叩き潰しているのだか
ら。貴女だって、どこの馬の骨ともわからない害虫にお兄さんが集られるのは嫌でしょう?」
「そう云う貴女はどこの馬の骨ですか?」
つまらないものを見るような目で少女は云う。
少し生意気ね。引っ叩こうかしら?
「やめたほうが良いですよ」
瞬間。
私の心を読んだかのように。
一ツ橋朝歌はボソリと呟く。
「貴女は大層運動神経が良いようですが、云ってしまえばそれだけです。武道の心得でもない限りは、
私には手を出さないほうが身のためです」
慇懃にして無礼な言種。
年上で、体格も段違いの私を前にしているのに余裕を持った発言。
気に入らない。
「本気でそう思ってる?年上の私に殴られないとでも?」
「思っています。寧ろ確信に近いです。まあ別の云い方にしても良いですけど」
そう云う少女の顔が、一瞬だけ歪んで見えた。
「――私を叩くと、お兄ちゃんに云いつけますよ?」
「・・・っ」
やっぱり気に入らない。
この女、性格が悪い。
「・・・ひとつ聞くわね。貴女は、日ノ本くんをどうしたいわけ?」
堪える。
堪えて、最も大事なことを糾す。
どう動くかは、それを知ってからでも遅くない。
(或は――)
激発するきっかけを欲しているだけなのかもしれないけれど。
「お兄ちゃんは私のものです」
どうせそんなことを云うのだろう。
そう思ったのに。
童女は。
一ツ橋朝歌は。
表情の無い瞳に強い光を湛えて、抑揚なく呟いた。
「私は兄をどうこうするつもりはありません。唯、幸せであってくれればそれで良いんです」
意外な言葉だった。
いちいち私に噛み付いてきたのだから、もっと独占欲丸出しの発言をするかと思ったのに。
「・・・・それ、だけ?」
「私、唯の傍観者ですから」
「・・・・・」
私は黙り込む。
もしもそれが本当ならば、『邪魔者』であっても『敵』ではない。
「それ、証明出来るの?」
「その必要は認められません。強いて云えば、今、この瞬間、この時に、兄をストーキングしている
変な女性の足止めを成功させている、と云えなくもないですが」
淡淡と。
本当に淡淡と喋る娘だ。
面白みの無い、失礼な少女。


648 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:30:52 ID:Yzy+dAPl
「ねえ、一ツ橋さん?」
私は改めて声をかける。
「お兄さんの幸せって云うのは、邪魔者の排除も含まれるのかしら?」
童女は答えない。
無機質な瞳をこちらに向けているだけだ。
けれど私は確信する。
多分、今の言葉に嘘はないと。
ならば。
「それなら――」
『敵の敵は味方』
この言葉の通りならば。
「貴女にとっても私にとっても、有益になる話があるのだけれど」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「呼び方?」
僕は眉を顰めた。
片耳にのみ響いた従妹の声が、そう云った。
「はい。呼称です」
着物姿の肉親は優美に頷く。
ここは自宅の居間。
僕の聴力がなくなったその場所だ。
あれから数日経つ。
何事かの『準備』と称して“あれ”以来逢っていなかった従妹は、訪ねて来るなりこう云った。
「にいさまの呼称を、変えたほうが良いでしょうか」と。
「呼び方って・・・なんで急に」
突然のことに僕は訝しがる。
綾緒は昔から僕のことを「にいさま」と呼んでおり、本人もその呼称を気に入っていたはずなのだが。
「はい・・・・その・・・・」
従妹は頬を染めて俯いた。
珍しく歯切れが悪く、俯いたまま上目遣いに僕を見ている。
「綾緒とにいさまは・・・め、夫婦になる予定ではありませんか。・・・・で、ですから、その・・・
妻として、それ相応の呼び方をしてほうが、にいさまも喜ばれるかと、思いまして・・・」
「・・・・・」
耳が疼く。
そうだ。
僕は――綾緒の婚約者になったのだ。
僕自身が泣きながら頼み込んで『受け入れて貰った』相手が、この従妹だ。
「にいさま、どうされますか?創さま、と御名前でお呼びしたほうが良いでしょうか。それとも、
旦那さまとお呼びしたほうが・・・良いですか?」
赤い顔で質する。
こういった所作は愛くるしくもあり、可愛らしくもある。
あるのだが――
(この状況は受け入れ難い)
今の僕には、恐怖の度合いが最も強い。
家族という意味では愛しいし、肉親という意味では好ましいけれど、それらを超えて、恐ろしさが盤距
する。
だからこう答える。
「・・・今まで通りで良いよ」
今まで通りで。
夫になるという現実を想起させられる呼称はいらない。
そのつもりで答えたのだけれど、従妹は何故だか嬉しそうな顔をする。
「そうですか、わかりました。綾緒はにいさまの妻であると同時に、妹でもありますから、それでも
構わないわけですしね。・・・実は、今までの呼び方にも愛着があったのです。綾緒はにいさまのもの
で、にいさまの妹であると自覚できますから」
指と指をくっつけて、ぐねぐねと動かしながら云う。その顔は当然赤い。
(僕の妻、か・・・)
『他人の』であれば、いくらでも応援してやれたのだが・・・。
「では、これからも“にいさま”とお呼びしますね」


649 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:33:21 ID:Yzy+dAPl
従妹はそう云って立ち上がる。
――刹那。
「あっ・・・」
ぐらりと綾緒の身体が揺れる。
「綾緒!?」
慌ててその体躯を支える。
織物越しに伝わる感触は、柔らかでしなやかで、そして随分軽かった。
「も、申し訳ありません、にいさま」
「いや構わないよ。それよりどうした?立眩みか?」
もともと肌の白い従妹が、いつにも増して白く見える。蒼褪めている、と云っても良い。
「すみません。少し、貧血気味で・・・」
「貧血?お前、貧血持ちだったか?」
「いいえ。綾緒は至って健康です。これには事情がありますが、それはいずれ」
綾緒は力なく、だけど妖艶に笑った。
僕はホッとする。
けれど、その笑顔の向こう側には、僅かに、仄かに、『夜叉』が覗いているように思えた――

夜になった。
僕の腹がくうくうと鳴っている。
従妹はすでに無い。
数日ぶりに晩飯を作りに来たはずの綾緒だが、体調不良では無理をさせられない。
本人は「御作り致します」と云って聞かなかったが、無理矢理帰した。
「さて、今日はどうしよう」
出前か。レトルトか。外食か。
材料だけはあるが、家事無能力者の僕だ。自作するという選択肢は無い。
ここ数日は総て前述のうちのどれかだ。
以前ならば織倉先輩に御馳走になれたのだが、今はそれは出来ない。
綾緒の勘は鋭い。
異能と呼んでも良いくらいに洞察し、察知する。
もしも先輩に御馳走になり、それが知れたらどうなるか。
考えただけでも背筋に冷たいものが走る。
そしてお腹は考えなくても減るものだ。
家にレトルトの買い置きは無い。
なので、とりあえず外に出て考えることにした。
刹那、ピンポンと。
僕の家に呼び鈴が響いた。
「こんな時間に誰だろう?」
チェーンをかけたままの扉を開ける。
僅かに外気を進入させる有限の隙間からは、意外な人物の顔が見えた。
「一ツ橋?」
「どうも」
鉢植えを持った後輩は、いつも通りの無表情でそこに立っていた。
「こんな時間にどうしたんだ?」
「お見舞いです」
一ツ橋はそう云って僕の顔を――否、耳を見ている。
この後輩は僕の耳のことを知っている。
あの日の翌翌日(翌日は流石に休んだ)、二言三言話しただけで僕の異状に気がついた。
そして、事情の説明を求められたのだ。
(それで気を使っているのかな?)
折角の見舞いである。門前払いにするわけにも往かない。
僕はチェーンをはずして後輩を招き入れた。

「チェーンするようになったんですね」
居間のソファにちょこんと座る後輩は、思いついたかのようにポツリと呟く。
「ん?まあ、な・・・」
「楢柴綾緒」
「え?」
「彼女に云われたのでしょう?施錠を強固にするように、と」
(なんで)


650 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:35:35 ID:Yzy+dAPl
わかったんだ?
僕が驚いていると、視線を真っ直ぐ、こちらに向けぬまま。
「先輩はズボラです。しなくていいなら普通の鍵すら掛けない様な人ですから。外部から指示ないし
圧力があったと考えるほうが妥当でしょう」
流石に鋭い。
「・・・無用心だからってね」
僕はそう答える。
従妹には念を押された。
自分達以外の人間が鍵を持っていたり、発見できたら容易に侵入されてしまう。それは絶対に避ける
ようにと。
「まあ、一理・・・無くも無いからね。それはいいさ」
そう云う僕の顔は多分固いのだろう。
後輩は無表情のまま、呆れたような気配をつくる。
「そ、そんなことより、一ツ橋、その箱はなんだ?」
誤魔化す様に云う。
後輩の手には黒い箱が納まっている。20センチ程度の直方体。ちいさな一ツ橋が持つと、それすらも
大きく見えるから不思議だ。
「・・・・・」
後輩は僕を一瞥してから、
「御守りです」
と呟いた。
「御守り?宗教的なものには見えないが」
寧ろ科学的な事物に見える。
「神仏の加護ではなく、自らに安心を与えると云う点で御守りなんです。特殊な電波を発生させる為の
機械ですから」
「おいおい。電波って、安全なのか?それ」
「人体に影響はありません。これは盗聴や盗撮を妨害するためのものです」
携帯も使えなくなりますけど。一ツ橋はさらりと云う。
「なんでそんなものを・・・」
「念のためです」
後輩は“御守り”を居間のテーブルの上に置く。
そして、持ってきていた鉢植えを僕に渡した。
「お見舞いです」
「ああ、ありがとう」
黒い箱が気になったが鉢植えを受け取る。
草丈30センチ程度、葉の形状は2列の互生。花弁は六枚あり、その中心から花蕊が噴水のように長く
突き出ている。
「なんだか毒毒しい花だな」
貰っておいて失礼な話だが、つい口からそんな言葉が出る。
「Tricyrtis hirta Hook.別名を油点草。毒用や薬用ではなく、観賞用です。
元禄年間には庭に植えられる事も多かったようですが。お気に召しませんか」
「いや。これはこれで愛嬌がある。薄紫の花ビラに白のかのこも良く見れば綺麗だよ、ありがとう」
「そうですか」
後輩は表情無く頷いた。
「耳の調子はどうですか?」
ところで、も、それで、も付けずに、一ツ橋は問う。これは彼女の独特のパターンなので、慣れてしま
えばどうということもない。
「とりあえず通院する必要はありそうだ。どの程度自然治癒するかわからないけど、それで駄目なら
手術するみたいだ」
「・・・・・・」
一ツ橋は何も云わない。
じっと僕を見ている。
「そんな目でみなくても、大丈夫だよ。多分。うん」
「・・・・先輩」
「うん?」
「先輩は、今――幸せですか?」
「・・・・・」
僕は黙った。
なんと答えて良いかわからず、後輩の真意も窺い知れない。


651 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:38:08 ID:Yzy+dAPl
「貴方はこの境遇に満足ですか?貴方を取り巻く人間関係に安息はありますか?この先が平穏であると
思えますか?」
「お、おいおい。どうしたんだよ、急に」
「答えて下さい」
「そんなこと云われても、よくわかんないよ」
僕は首を振った。
確かに織倉先輩と云い、綾緒と云い、最近は何か変だ。
前のような気軽さは、雲散霧消してしまったと云って良い。
出来るならば以前のような気の置けない優しい先輩と良く出来た妹分に戻っては貰いたいが、それは
無理だろうと確信できる。
「皆、どうしちゃったんだろうな・・・」
応答するかわりに、そんな愚痴をポツリとこぼした。
「好むと好まざると環境は変わるものです」
一ツ橋はソファから降りると、僕の前にやってくる。
「どうぞ」
そして僕の手に何かを握らせた。
それはテーブルに置かれた黒い箱とは違う、正真正銘用命本物の御守りだった。
「これは?」
「見ての通りです。最近不幸続きのようなので差し上げます」
少し驚いた。
僕の知る限りでは一ツ橋朝歌という少女は、アニミズムやアニマチズムと云ったものに無縁だったはず
だ。こういったものは分析の対象でしかなく、信仰することなど、今まで一度もなかったのだが――
(いや、それはともかく)
「なあ、一ツ橋」
「何でしょうか?」
「僕の目がおかしくなければ、これ、『安産守り』って書いてあるんだが」
「お約束は大事かとおもいまして」
表情を変えずに淡淡と云う。
「どうせそんなものは気休めです。ならば何でも良いでしょう」
「それはそうだが・・・」
僕が肩を竦めると一ツ橋はこう云った。
「ひとつおまじないを教えます」
「おまじない?」
「はい。おまじないです。もしも先輩が絶体絶命の危機に遭った時――その御守りを思い切り握り潰し
て下さい」
「は?握りつぶす?」
「はい。思い切り。御守りには、木片が入っているのですが、それを破壊して下さい」
「おいおい、罰当たりだな。壊すとどうなる?」
「運が良ければ――天佑神助があるかもしれません」
「御守り壊すようなことをして、助けがあるのか?」
「運が良ければ。まあ、頭の隅に入れておいてくれればそれで良いです」
云うだけ云うと、後輩はくるりと背を向け、キッチンに歩いて往く。
「お、おい、一ツ橋?」
「晩御飯作ってあげます」
体躯に不釣合いなエプロンを掛けて云う。
僕は首を傾げて“安産守り”を見つめた。
(天佑神助・・・ねぇ)
頭を掻きつつ御守りを身につけた。
ちなみに、後輩の作った晩飯は、思いのほか美味しかった。

「昨日は申し訳ありませんでした。兄の君に御仕えする身でありながら、本分を全うすることが出来ず
に引き返すことになりまして」
翌早朝。
僕は玄関で綾緒と対面していた。
普段は和装に身を包んでいるはずの従妹は、登校前だけあって制服姿である。
綾緒は訪ねて来るなり前述の言葉を口にし、深深と平伏した。
「いいから体を起こしてくれ。制服が汚れちゃうよ。髪も――」
「いいえ。綾緒はにいさまの御世話を仰せ付かった身です。それが果たせぬのですから、罰を与えて
頂かないと申し訳が立ちません」


652 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:40:48 ID:Yzy+dAPl
昨日、貧血で帰したことを気に病んで態態謝罪に訪れたらしい。
帰したのは僕だし、体調不良は仕方の無いことだろうに、従妹は酷く気にしている様子だった。
「と、とにかく体を起こしてくれ」
半ば無理やり起き上がらせる。
立ち上がった綾緒は、当然のことだが砂埃で汚れていた。
「あああ、やっぱり」
パタパタと叩く。
高価そうな制服と綺麗な長い黒髪が砂まみれだ。
「にいさま」
叩く手を綾緒が制した。
「綾緒の穢れなど、どうでも良いことです。それよりも――綾緒に罰を与えて下さいませ」
「は?」
罰?
罰って何だ?
「綾緒、お前、別に悪いことをしていないだろう?」
少なくとも、昨日の件に関しては。
「いいえ。妻としての務めを果たせなかった事のみが総てです。どの様な理由も云い訳にすぎません」
妻。
その言葉に一瞬身を硬くする。
が、敢えてそこは無視した。
「罰なんていらないよ。ほら、汚れを落とさないと――」
「にいさま」
綾緒は強い光を湛える瞳で僕を見つめた。まるでこちらが悪事を咎められているかのように錯覚する程
の視線だった。
「にいさま、けじめをつけて頂かなければ、綾緒は前に進めません。どうか綾緒に罰を」
「・・・・」
僕は押し黙る。
たかだかあの程度のことでどんな罰を与えろと云うのだ。
「にいさま、御願い致します」
綾緒は再び頭を下げる。
「でも・・・どうしたらいい?」
「にいさまの御心のままに。なさりたい様にして下さいませ。綾緒の肉体は髪の毛一本から爪の先まで
総てにいさまのものです。どのようにされても、綾緒は満足です」
「そんなことは」
したくはない。
たとえば、本当に綾緒に非があるのならば『罰』を与えることもあるだろう。
けれど、昨日の件に関しては非があるとは思えない。
そんな状態で与える罰は、唯の暴力になりはしないか。
(承諾できるわけが無い。――でも)
このままでは綾緒が納得しないだろう。
だから僕は、
「わかったよ・・・」
そう答えた。
『とりあえず』綾緒の望むままにしておく事が一番良い。
軽く小突けばそれで丸く収まるのだから。
頬を張ろうとして手を上げる。
「にいさま」
手を上げたままの僕を従妹は真っ直ぐ射抜く。
「綾緒に手心加えるような真似はなさらぬよう、御願い致します」
「――」
見透かされている。
いや、釘を刺されたのか。
いずれにせよ、これで手加減は出来なくなった。
(・・・・仕方、ない・・・よな)
僕は歯を食いしばって手を薙いだ。
パチン、と高い音が響き、従妹の身体がぐらりと揺れる。
「あ、綾緒、大丈夫か!?」
慌てて肩を掴んだ。
細い肩を支えて見る従妹の頬は赤く赤く腫れていた。


654 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:43:17 ID:Yzy+dAPl
それなのに。
「ふ・・・ふふ・・・」
どうして。
この従妹は笑っているのだろう。
自らの頬を撫で、恍惚とした表情を浮かべている。
「この痛みは、綾緒だけのもの・・・。にいさまが刻み込んでくれた肉の証・・・」
熱を持った吐息と澱んだ瞳。
「にいさまァ、もっと、もっと綾緒にお仕置きして下さいませ。綾緒は、にいさまに与えられる総ての
ものが愛おしいのです・・・」
支える肩越しにふるふると振動が伝わった。
まるで、悦びで打ち震えているかのように。
「“罰”はこれで終わりだ」
僕は手をどける。
「残念、です。でも、にいさまがそう仰るのであれば」
今だ頬を撫でながら従妹は首を振った。
「ところでにいさま」
「ん?」
表情を普段のそれに戻しながら綾緒が問う。
「昨日、綾緒が去った後ですが・・・この辺り一体で電波障害でもありましたか?」
「電波障害?いや?そういう話は聞いていないけど。どうかしたのか?」
「いえ。明朝先程の謝罪に参ります、とお伝えしようと思ったのですが、電話が繋がらなかったようで
すので」
「・・・・」
一ツ橋の『御守り』。
僕は即座に了解した。
あの直方体は本当にジャマーとして機能していたということか。
僕は「よくわからない」とお茶を濁した。
なんとなく、一ツ橋とでも二人きりで逢っていたと話すのはまずいような気がしたのだ。
従妹は「そうですか」と首を捻って、すぐに顔を上げる。
「にいさま。綾緒がここへ来たのは、謝罪のほかにもう一つ理由があるのです」
「何かな?」
「実は、にいさまに差し上げたいものがあるのです。それで、本日御時間を頂きたいのですが・・・」
時間?
「放課後って事だよな?」
綾緒は制服姿であるし、これからということはないだろう。
「はい。授業の後で。綾緒が迎えにあがります」
「それは構わないけど、一体何をくれるんだ?」
素朴な疑問をぶつけてみる。
すると、従妹はとても嬉しそうな顔をした。
どこか危うさを感じさせる、歪んだ笑み。
「それは・・・、まだ聞かないで下さいませ。ですが、それはにいさまの身体にとってとても良い事
となりましょう。それだけは約束できます」
「・・・・・」
耳の手術でもするのだろうか?
(それはないか)
何にせよ、“この状態”の綾緒は危険な気がする。
僕が答えあぐねていると、従妹は危うさを消した笑顔でこう云った。
「にいさま、車を待たせておりますのでここで失礼致します。すぐに迎にまいりますので、校門で
待っていて下さいな」
深深と腰を折って、綾緒は立ち去って往く。
その姿に、僕はどうしようもない不安を覚えた。

そして放課後になった。
宣言通り綾緒はすぐに遣って来て、僕を車に乗せた。
黒塗りの高級車。
楢柴家の私物だ。
母方の血筋が血筋なので、こういった車に乗ることは初めてではない。
けれど何度乗っても落ち着くことが無い。
生まれながらの小市民の僕には、横にいる従妹のように悠然と座ることは生涯出来ないだろう。


655 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:45:28 ID:Yzy+dAPl
そんな気持ちを落ち着かせるためか、或は朝見た従妹の笑顔に恐怖したせいか。
僕は胸のもやもやを無視するために、綾緒に話しかけた。
「なあ綾緒、これから一体どこに往くんだ?」
「病院です」
従妹は微笑したまま答えた。
澄んだ声には淀みが無い。
「病、院?」
声が引きつった。
何でそんなところへ往くのだろう?
あまり良いイメージのない場所なのだが。
「にいさまに差し上げるものは、そこでないと受け渡しが出来ぬものなのです。隣街の病院ですが、
そこは楢柴のお抱えです。規模も設備も保証致します」
「いや・・・・。規模とか設備とかはどうでも良いんだけど、何を渡すつもりなんだ?」
嫌な予感がする。
「”いいもの”ですよ。ここ数日、にいさまの御世話を満足に果たせなかった理由もそこにあるので
す。綾緒が体調を悪くしていた理由でもありますが」
「体調って、貧血のか?それはどういう・・・」
僕が云いかけると、綾緒は人差し指を立てて僕の口に当てた。
「内緒です。すぐにわかります。楽しみにしていて下さいな」
従兄を黙らせた綾緒はその人差し指を今度は自分の唇に押し当てて片目を瞑った。

病院へ着いた。
楢柴のお抱えと云う言葉は本当だったようで、医師も看護士もその他の従業員も、従妹の姿をみとめる
と丁寧に御辞儀をした。
頭を下げられ慣れているのだろう。
綾緒の対応は鷹揚で、貴種の貫禄があった。僕などは終始落ち着かず、“半歩後ろにいる従妹について
往く”ような歩き方だったろう。
だから院内をきちんと見ているゆとりもなく、周囲の通路に人影と明るさが無くなって、初めて地下に
来たことに気づいた程だ。
「なあ、綾緒」
コツン、コツンと足音が響く。
「何で御座いましょう、にいさま」
しずしずと歩く従妹に足音は無い。これも作法なのだろうか?
「随分寂しい所へ来たけど、どこへ往くんだ?」
「無論、受け渡し場所です」
従妹は口元だけ笑っている。
能面のような冷たい笑い方。
蛍光灯の明かりは細長い通路を照らすには力不足で、非常口の案内が陰鬱に輝き目立っていた。
後ろを振り向いても人影は無い。
叫べば響くだろうが、外に届くだろうか。
僕らは暫く無言で歩いた。
時間の感覚が孤独で狂い、どの程度歩いたかは判断できない。
「にいさま、こちらです」
無個性で静かな扉がそこにあった。
綾緒はそれを開き、僕を誘い入れる。
「暗いな」
部屋の中に電気は無かった。
妙に心細い。
「明かりをつけますね」
従妹の声が薄闇に響いて、蛍光灯独特のタイムラグの後、暗くて白い明かりが室内を満たした。
「・・・ここ、は・・・?」
ブウウウウウンと機械の唸り声がする。
壁が扉になっていて、そこから唸りは聞こえているようだ。
「にいさま、どうぞおかけになって下さい」
にこやかに云う。
広い室内の真ん中にはポツンと椅子が一個だけ。
しっかりした造りの背もたれのついた椅子だった。
(こんなど真ん中にあるのに、気がつかなかった)
雰囲気に飲まれているせいだろうか。


656 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:47:50 ID:Yzy+dAPl
勧められるまま椅子に座る。
「支度致します。にいさまはそこに掛けていて下さいな」
綾緒は僕の背後に廻る。
そして。
「え」
ガチャリ。
金属と金属が結合する音が聞こえた。
「あ、綾緒・・・・これは・・・・!?」
手に。
足に。
僕の身体に、何かが嵌められていた。
四肢は椅子にしっかりと固定され、動かすことが出来ない。
「お前・・・何を?」
冷や汗が出る。
従妹はニコニコと笑ったまま、腰にもベルトを廻して固定した。
「御無礼。急なことで驚かれたでしょうが、不意打ちのほうが、にいさまも喜ぶかと思いまして」
(喜ぶ?何を云ってるんだ!?)
怖くなった。
カチカチと歯が鳴る。
「約定の通り、にいさまに贈り物を致します」
「な、何だ?と、とにかくこれを外してくれ・・・・っ」
叫び声に近かったと思う。
聞こえているはずの綾緒は、満面の笑みを浮かべて僕を見ていた。
「にいさま。美味しいワインの造り方って御存知ですか?」
ワイン・・・?
何云ってるんだ!?
「製法その他、色色ありますが、一番重要なのは良質の葡萄どうしを掛け合わせて良い葡萄を確保する
ことなんです」
理解できない。
何だ、これは。
「ですが、良質の葡萄どうしを掛け合わせていると、やがて品種は劣化するんですよ。そんな時、野山
の葡萄と掛け合わせると、品質は元に戻るそうです。猟犬なんかもそうですね。良血どうしでは血が先
細りをするので、狼と掛け合わせるんです」
どうなってる・・・・!?
一体どうなってるんだ!?
「人間もそう。高貴な血ばかりで家を成すと、弱い子が生まれやすい。そういった意味で、雑種に手付
けをして出来た子は血を引き締める意味で必要なんです。将軍家や天皇家などに新しい血が入るのは、
この要領ですね。雑種はそうやって役立てるんですよ?」
「あ、綾緒?何云ってるんだ、お前」
「にいさまの母さまは、そういった意味で役には立ったと思います。高貴な楢柴の血を否定し、低劣
な下下の血を混ぜたことは許し難いのですが、遺伝上の必要悪と考えれば我慢できなくもありません。
なにより、にいさまを産み落とした功があるのですから」
心臓が鳴る。
何か、まずい。
「綾緒はにいさまを好いています。下賎の血が混じっているとしても、愛しく思います。新たな血を
入れる意味でも、にいさまと結ばれることは必要であると自覚しています」
ですが。
綾緒は表情を歪める。
「その一方で、楢柴宗家の長女たるものが、下劣な血を受け入れることには抵抗があるのです。にいさ
まだって、本当は楢柴の純血で生まれたかったでしょう?その無念、痛いほど解ります」
そんなこと、思ったこともない。
綾緒はなにを云ってるんだ。
「だから綾緒は考えました。どうすればにいさまに喜んで頂けるか。どうすればこの撞着を昇華出来る
か、と。それで、答えが出たのです」
ブウウウウウウン。
唸る機械に綾緒は近づく。
そして、扉を開けた。
「な・・・」


657 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:50:19 ID:Yzy+dAPl
僕は目を見開く。
開放された空間の向こう側から流れ出る白い気体は、冷気。
機械は、冷蔵庫のようだった。
「お前・・・それ・・・・」
赤。
白い世界の中に配置されているのは、よく知った赤だった。
「      血      ・・・・・   なのか・・・・・     」
そこに保存されていたもの。
大量の、血液。
「ある時期から、綾緒は少しずつ少しずつ、自らの血を抜きました。正真正銘、純度100%の綾緒の
血液です」
「まさか・・・これ・・・・」
「それでも血が足りませんでした。ですからここ数日は、かなり強引に採血したのですよ。貧血でにい
さまの御世話が出来ませんでしたが、それは総て、にいさまの為に」
「お前、まさかそれを僕に・・・・!?」
「はい」
従妹はニッコリと笑った。
夜叉のように笑った。
「これからにいさまに流れる不浄の血を総て捨て去ります。そして綾緒の血をにいさまに流すのです。
にいさまはこれから、綾緒の血で生きて往くのです。それなら、穢れた雑種の血も気にならないでしょ
う?」
「う、あ・・・」
身体が震えた。
そんなこと、おかしいだろう・・・!
「今回は血液のみですが、往く往くは、皮膚も綾緒のものに張り替えて差し上げます。少しずつ、にい
さまは綾緒と同じものになって頂きます」
「・・・・ひ・・・・・」
怖い。
綾緒が怖い。
僕は恐怖で悲鳴も出なかった。
綾緒は“自分になって往く”従兄を想像しているのか、恍惚とした笑みを浮かべていた。
「ふ・・・ふふ。にいさまが・・・綾緒と同じ血を流す・・・・」
従妹は自らの肩を抱き、ぶるぶると震えていた。
「あまりはしたない表情は見せられませんね」
熱い吐息のままの綾緒はそう云うと鞄に手を入れる。
取り出されたものは――能面。
『生成』(なまなり)
そんな名の。
綾緒は震える手で能面を装着する。
般若面に似たそれは、『人が化け物になる過程を表した』面である。
生成と云う呼称自体、“変わりかけ”であることを示している。
「ふふふ・・・にいさま。綾緒と同じものに変わって下さいませ」
仮面越しに籠もった声は、いつもの可憐な従妹のそれではなかった。
「や・・・やめてくれ・・・・」
呻吟は恐怖で掻き消され。
助けを呼ぶことも出来ない。
目の前が真っ暗になった。
生成の女は、歓喜に打ち震えた笑い声でにじり寄った。



658 :ほトトギす ◆UHh3YBA8aM [sage] :2007/09/07(金) 23:52:27 ID:Yzy+dAPl
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ここ最近、日ノ本くんが冷たい。
お昼に誘っても。
部活に呼んでも。
なにかと理由をつけて去ってしまう。
「ねえ、朝歌ちゃん。どうすれば日ノ本くんはこっちを見てくれるかな?」
目の前で本を読むつまらない女に声を掛ける。
どういう風の吹き回しか。
今日はイヤホンを付け、何かを聞きながら読書している。
(どうせクラシックか何かだろうな・・・)
クラシックは私も好きだけど、この女が聞いていると思うと途端につまらなく感じるから不思議だ。
無表情な女はちらりとこちらを一瞥し、
「知りません」
と答えた。可愛くない。
「私の想い、届いてないのかな?」
「そうでしょうね」
目を閉じながら余計な相槌を打つ。
本当に空気を読まない嫌な女だ。
「貴女はもう少し建設的なことが云えないの?」
「冷静に事物を見ることは、建設的意見を出す上で必須です」
「相変わらず口だけは達者ね。じゃあ何かアドバイスしなさいよ」
私がそう云うと、一ツ橋朝歌はつまらなさそうに立ち上がる。
「今日は帰ります」
なんて一方的なのだろう。この娘に社交性はないのだろうか?
「adviceですが」
急に立ち止まる。
背を向けたままで淡淡と。
「想いが届いていないと部長が云った通りです。唯の世話焼きな先輩だと思われているだけ、と認識
してみては如何ですか」
本を小脇に抱えた一年生は、云うだけ云って、さっさと去って往く。
「何よ、それ」
誰もいない部室で私はソッポを向いた。
「でも・・・一理あるかも」
考えてみれば、きちんと日ノ本くんに想いを伝えていないのよね。
でも、口に出しても彼は本気に取らないかもしれない。
「本気・・・・本気か・・・・」
そうだよ。
「なんでこんなこと、気づかなかったんだろう?」
私が本気で彼を好いているって、わからせてあげれば良いんじゃないか。
でも、どうやって?
本気だって。
命がけだって、わかって貰うにはどうしたらいいだろう?
「命がけ・・・命、か」
それを証明すればいい。
愛は命よりも重いって、わからせてあげればいいんだ。
「そうだ。そうしよう。それがいい!」
私は立ち上がった。
真剣さを見せてあげれば良いって気づいたんだから。
私は笑っていた。
笑いながら、叫んでいた。

「鳴かぬなら ×××しまおう ホトトギス」