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792 :異喰物語 ◆cgdFR4AMpg [sage] :2007/09/13(木) 21:52:16 ID:xF1kV5oJ
苦しい。
 唇が渇き、喉が涸れ、臓腑が爛れ、肉が火照る。
 得も知れぬ衝動に突き動かされながらしかし、一向に解放は訪れずに苦悶に伏す。
 理由は簡単。――――餓えだ。
 前代未聞の飢餓に苛まれながら彼は、摩訶不思議なことに一切の食物を口にすること能わず、僅かな水分を赦された身のみで、ここ数年間その苦しみを耐え抜いてきた。
 最終的に下された診断は“拒食症”。しかしながら彼は、それは違うと確信を以って否定できた。理由は知らぬ。元より智に長けたとはとても言えぬ己だが、そんなささやかな理性以前、本能としてそれを理解できた。

 おそらく先はそう長くない。耐え抜くうちに気付けば、髪の色は抜け落ち、肉は削がれ骨と皮だけとなり、貌には死相を思わせる皺が幾重にも刻まれている。未だ成人すら迎えていないにも拘らず、だ。
 正体不明の飢餓に追いやられ、死の淵に臨む。そうした窮極に至ったからか、彼は最近“妖精”を目にするようになった。とはいえ、その通りに可愛らしい存在ではない。寧ろ逆、圧倒的な“美”を漂わせ佇む様は、魔女か女神か死神か。怖気を誘うほどに美しい。

「相も変わらず苦しそうなのね、あなた」
「そう、言わないで、くれ……これ、でも、必……死なん、だ」
「必死、ふぅんそう、必死……ね。文字通り、このままだと必ず死ぬのじゃないかしら」

 朧霞がカタチになったような、不確かな存在感で見下ろす彼女の瞳は、やはりいつもと同じく冷ややかだ。さもありなん、彼女は彼を見下しているのだから。



793 :異喰物語 ◆cgdFR4AMpg [sage] :2007/09/13(木) 21:56:14 ID:xF1kV5oJ
「未だ“答え”が解らないの? とっても簡単、いくつもヒントを示してきたのに。そろそろ私も限界よ?」
「馬鹿、言うな……解るわけ、ないだろ。俺には、さっぱり……何が、なんだか、理解出来ん」

 出会った当初に彼女が示した問い。それは『何故、志賀京司郎は原因不明の飢餓に見舞われているのか?』というものだった。
 そんなものこっちが聞きたいと、京司郎は言い放ったが、彼女――平坂暦は問いからの逃走を認めず、毎夜現れる度に問答を繰り返している。今の会話もまた、その問答の後に交わされたものだった。

「予兆は過ぎ、前兆も終え、死兆に見えながらも“覚醒”は未だ。どうしてかしら? 普通ここまで来れば気付いてもおかしくない。いいえ、気付いてなければおかしいはずなのに」

 暦は憤りに表情を歪め、もどかしさに震えながら京司郎の首へと手を這わす。
 感触は無い。首筋に僅かな冷たさが伝わるだけで、一切の物的干渉は起こり得ない。

「そう、おかしいのよ。あなたはおかしい。目の前にある答えに、まるで気付いていない」
「やめて、くれ……」
「いえ、気付いていない、のではないのかしら? これだけの圧倒を前に、もしかして知りたくないだけ?」
「やめろ……」
「目を瞑り、耳を塞ぎ、口を噤むの? 成程、まだ“人間”でいたいのね? “人間”のままで死にたい、そういうこと……」
「やめろ!!」

 ぶん、と。腕を力まかせに振るう。
 衰弱しきった枯れ枝の一撃は、しかしながら容易く鉄柵を砕く。だが、暦の身体を捉えることは出来なかった。それこそ、朧でも掴むかのように。

 無理に怒声を発した代償に京司郎は血反吐を吐き、掻き毟るように喉元へ手を当てる。口笛のような呼気を吐く彼を見て、暦はその手を離した。
 音も無く、滑るように寝台から離れ、一連を見守る。冷ややかな視線をそのままに。

「――――また来るわ。次こそは、あなたが気付いてくれることを信じて。諦めようだなんて思わないでね? 私の大好きなあなた」
「もう、来ないで、くれ……」

 届かぬ言葉。一方的に話すだけ話して、暦は跡形も無く消え去って行った。
 ドサリ、と沈み込む。頼りない照明に腕を翳し、胡乱に見つめ、

「くそ、くそ……っ!」

 じゅるり、と唾液を呑み。
 異質な“餓え”に涙ぐんで、京司郎は自らの細腕に歯を立てた。



795 :異喰物語 ◆cgdFR4AMpg [sage] :2007/09/13(木) 22:30:12 ID:xF1kV5oJ
がちり、と歯が鳴る。その一噛みで右腕の骨が露出した。
 ぶしゃり、ぶちゃ、ばき。
 皮膚を剥ぎ、肉を喰らい、骨を砕く。髄を啜り、鮮血を飲み下し、吟味する。
 自らの歯で、自らの肉を咀嚼する。
 終わりは無い。喰う端から髄は伸び、骨は融け合い、肉が盛り上がる。それをまた喰う。
 幾度となく、終わり無く。
 在り得ない循環を繰り返しながら、流す涙をそのままに食み続ける。
 まるで餓鬼のようだ。
 逸話と違い子は産まぬが、それでも自らを喰うことに変わりは無い。
 絶対的な矛盾。彼女の言う通りだ。
 これが窮極の発露。己が至った、生態の袋小路。
 
 彼女は言った。この異常極まる行為こそが、志賀京司郎にとっての“窮極発露”だと。
 彼女は言った。この果てに在るものこそが、志賀京司郎にとっての“覚醒進化”だと。

 壁を乗り越えねば、死は免れぬと。
 壁を乗り越えれば、生き延びると。

 そんな戯言めいた真実を片隅に、京司郎は“一”を噛み砕き咀嚼して、再び“一”に戻るを繰り返す。

「美味いなぁ。美味い、なぁ……。柔らかかったら、もっと美味い、のか、なぁ……」

 喰う時はいつもこう。美味い美味いと繰り返し、忌避しながらも止められぬ。
 “答え”なんて、すぐ解った。己の果てなど、すぐに見えた。

 ――――平坂暦が何であるかなど、一目見ればすぐに察せた。

 時は無い。答えるならば、そろそろだろう。
 だがそのためには、京司郎の意志は脆く儚く、別れを告げるには未練が多すぎた。
 しかし別れを告げたとしても、“仲間”は傍に居てくれる。

 “人”を取るか、“外”を取るか。
 答えは二つに一つ。それだけだった。