78 :羊と悪魔 [sage] :2007/09/19(水) 00:35:10 ID:zx7wJDLP
 高校生活のリズムにも慣れてきた五月、私はある悩みを抱えていた。
 何故だか知らないが、私の所持品がすぐに消えてしまうのだ。
 教科書、シャーペン、消しゴム、ボールペン……気がつくとそれらがあるべき場所から消えている。
「それさぁ、絶対ストーカーだよ」
 理子がけらけらと笑いながら言う。本当にストーカーなら笑い事ではない。
「希美子は美人だからね、なんかそういうの連れてくるフェロモンとか出してるんじゃないの?」
 玲が真面目そうな顔で、そんなことを言い出した。先ほどまで読んでいたブ厚い美術史の本を閉じて、私の顔をじぃっと見つめる。
「あー、希美子ってなんか女王蜂って感じよねー」
 女王蜂ってどういう感じなのよ、とスナック菓子を頬張っているのぞみにツッコミをいれつつ、私はいつ失くしたのか、もしくは誰が盗んだのかを考えた。
 しかしいざ考えようとしても、さっぱり答えは出ない。
 いつ失くしたか憶えていないのだから、どこで失くしたのかもわからない。誰かが盗んだとしても心当たりはない、はず。
 それに理子が言うようにストーカーだとしても、私にはそんなストーカーの気配など微塵も感じないのだ。
「これ、希美子」
「あてっ」
 玲が、持っていたブ厚い美術史の本でチョップしてきた。
「あんたはあんまり難しいこと考えんな。あんたの心配はあたしたちがするから、あんたは自分の心配はしなくていいのよ」
 無茶苦茶なセリフだけど、玲の表情はいたって真面目だった。
 その真面目そうな顔があんまりおかしくて、私はついつい噴き出してしまった。
「ぷっ。あはははははははは!」
「何笑ってんのよ」
「いやごめん」
 むくれてる玲の顔を見ていたら、ものが失くなったことなどどうでもよくなっていた。
 玲ははげましたつもりだったんだろうけど、はげまし以上に心が満たされた。玲は、いい人だ。
「あ、そだそだ」
 食べ尽くしたスナック菓子の袋を丁寧に折りたたみながら、のぞみが今思い出したらしい話題を語りだした。
「あの赤い髪のコ、なんだっけ名前、えーと……」



79 :羊と悪魔 [sage] :2007/09/19(水) 00:44:37 ID:zx7wJDLP
 きみこちゃんと違うクラスになりました。
 とても悲しいです。
 やたらと私に他人たちが話しかけてきます。親友はきみこちゃんだけです。話しかけないでください。
 私は悪魔ですから、あなたたちを食い殺しますよ?
 そんなことを言っていたら、いつの間にか誰も私に話しかけないようになっていました。ありがたいことです。
 カールクリノラースくんはそんな私をじぃっと見て、何も言いません。

 きみこちゃんが他人と話しているのを見かけました。
 とても悲しいです。
 きみこちゃんは私の親友です。私の親友はきみこちゃんだけです。
 そんなきみこちゃんが知らない他人と話をしているのを見るたびに、私の喉と胸が、針を刺されたように痛みます。
 この感情は一体なんでしょうか。

 いらだった気持ちのまま家に帰り、無言の父と母の横を通り、自分の部屋に入って鍵をかけます。
 物で溢れかえる鞄を勉強机に置き、学校の制服を脱いで放り投げます。放り投げた制服は私の足元に落ちて、ここは自分の領地であるかのように裾を広げていました。
 下着も脱ぎ捨て、ベッドに倒れこみます。暗い部屋の中で冷えた毛布の感触が、私の肌に直に伝わります。
 女性には性感帯というものがあるそうなのですが、私が感じるものはこの心地よい冷たさだけです。自ら裸体を晒すあの他人たちは、この心地よい冷たさを知っているのでしょうか。
 きみこちゃんは、この冷たさを知っているのでしょうか。
 何故でしょうか、きみこちゃんのことを考えるたびに、冷たさが消えていく気がします。けれどそれもまた心地よくて、私はきみこちゃんのことばかり考えているのです。

 いつかきみこちゃんをこの部屋に連れてこよう。私はそう思いました。
 この暗い部屋に。この暗がりで冷えた、ゆりかごに。
 カールクリノラースくんと私だけの部屋に。
 私は一糸も纏わない自分の身体を抱きしめて、何がおかしいのか自分でもわからないまま、ただただ笑い続けました。
最終更新:2008年08月24日 13:24